「――告げる」
静謐な地下室に、力ある言葉が紡がれる。
描かれた召喚陣はエーテルの輝きを放出し、注ぎ込まれた魔力が十全に機能していると雄弁に主張していた。
召喚の呪文を不乱に唱え続けるのは、赤色の少女。
大気すら震わす力の本流に二つ結びの黒髪は強くはためき、しかし少女の身体は一切の揺らぎもなく魔術を行使する。
「抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」
少女は呪文を唱え切り、そして確信する。
完璧。
周到な準備と緻密な
考え得る限り、出来得る限り最大の成果が、今、顕現しているだろう。
エーテル光が収まり、視覚を取り戻して瞼を開くまで、もどかしくもあと数秒。
眼前には、最強の
……そう、確信していたのに。
赤い少女は忘れていた。
漠然と言えば、一族に伝わる悪癖、「ここ一番、最も大事なところで信じられないポカをしでかす」という呪いを。
具体的に言えば――正刻から一時間もズレた柱時計の存在を。
だから少女は誰もいない召喚陣に眉を顰め、次の瞬間居間から響いた爆発音に目を丸くして。
己のやらかしたポカに思い当りつつ、壊れた居間の扉を開け放った先に引っくり返っている、その存在に頭を抱えることとなる。
「…………」
ぼろぼろのソファに倒置されているその男は、室内の瓦礫に紛れたまま、身動きもせず無言無表情で少女に目をやる。
男は、一言で表せば『間違えた和風』だった。
体中にごてごてと身に着けた金属は奇妙な形状ながら肩当やら具足やらに似ていて、日本式の鎧装備を参考にしているように見える。
身に纏う衣服は、上は臙脂に下は水浅葱と和色に染められているものの、しかし南米にでも暮らしているかのような丈の短さだ。
腰には長刀を収めた鞘が、背からは絡繰りらしき弓矢と鈍く輝く盾がそれぞれ覗く。
体の大部分を覆う
そして頭には今時時代劇でも見ないような、年季の入った三度笠を被っていた。
「それで。アンタ、なに」
部屋の惨状を加味せずとも、少女の問いは苦々しげなモノに成らざるを得ない。
日本の意匠にしても、武将なら分かるし、侍なら理解できる。
しかし男の格好は、戦場で活躍した猛将にしてはあまりに軽装で、世に名を馳せた剣士にしては自由に過ぎる。
何より瞳はライトブラウン、どう贔屓目に見たところで、日本かぶれの外国人が仮装をしているようにしか見えないだろう。
そもそも冬木の聖杯戦争は西洋基準のシステム、日本どころか東洋の英霊すら、まず呼び出されないはずである。
サーヴァントとして呼び出した存在が、そもそも英霊かどうかすら怪しい。
ただでさえ自身のミスで平静ではないのだ、自業自得かもしれないとはいえ、小さな疑念は明確な不審へと移行してゆく。
少女の訝しげな視線を真っ向から受け止めつつも、男は引っくり返ったまま特に口を動かすこともない。
まさか日本語を喋れないのではなかろうか、と邪推すら始め、少女の男を見る目がさらに厳しくなってゆく。
勿論、聖杯から与えられる知識には現代の言語も含まれるため、言葉自体を話せないのでない限り、そんな心配はないのだが。
「ふう、ひでえ目にあった」
沈黙を破ったのは、少女でも男でもなかった。
男が背負った道具袋からぴょこりと顔を出したのは、綺麗な白毛を尾だけ茶に染めた小さな獣、イタチだった。
倒れたままの男の身体の上をすばしっこく走り周り、胸元で立ち止まると、「やれやれ」と少女に向けて話し出す。
「この時代の召喚陣ってえのは、随分と寝心地の良さそうな形をしてるもんだね。
それに部屋は酷く散らかってやがる、こばみ谷の倉庫だってここまでじゃあないぜ」
「あんたとそいつとどっちが本体だか知らないけど、呼び出されて第一声がそれ?」
「へえん、呼び出して第一声が『それで、アンタ、なに』だなんて高圧的な態度とくりゃあ、こっちも相応の言葉を返すに決まってらあ」
声真似を交えたイタチの減らず口は、愛嬌のある目や仕草と相まってどこかコミカルでもあったが、苛立つ少女はそうは捉えなかった。
遠坂家の家訓は既に忘れ去られかけているようで、こめかみに筋を立てた表情は、なんとか笑顔の体を取っているという程度。
対するイタチは少女の握りしめた拳に若干ビビりながらも、抵抗の意思を崩さない。
「コッパ、やめろ」
その白い毛並にぽん、と柔らかく置かれた掌が、一触即発の空気を散らした。
コッパと呼ばれたイタチは不満げに口を尖らせながらも、しぶしぶと体をすくめる。
「……喋れるんじゃない。それで結局、あんたはなんなのよ」
男の穏やかな声色に毒気の抜かれた少女は、そこでようやく、先の問いに答えて貰っていないことを思い出す。
けれどもやはり答える様子のない男に、再度怒りがこみ上げる少女。
コッパがふん、と鼻息荒く、「それより先に言うべきことがある」と口を挟んだ。
「オイラは語りイタチのコッパ。
無口なこいつに代わって言わせてもらおう――」
にやり、と不敵に笑んで。
「御嬢さん。
あんたが、こいつのマスターか?」
頭に血が上った少女は、未だ気付かない。
呼び出した男の格好がちぐはぐなのは、一所での安穏とした生活とは真逆、波乱万丈の旅路を踏破してきたからという可能性に。
呼び出した男の格好がちぐはぐなのは、想定を超えた敵にすら生き残る、万能な程の対応力を手にする為だという可能性に。
呼び出した男の格好がちぐはぐなのは、外見や拘りを放り捨てた先の、徹底的な実利を突き詰めた末だという可能性に。
その人生において数々の偉業を達成した、空前絶後の
かの男の真名はシレン。
『風来のシレン』として名を馳せた、架空存在の英霊である。
***
「――下賤な臭いがするな」
身を黄金の防具に包んだ、世界最古の英霊、英雄王たるサーヴァントは胡乱げな目で、そう風来人を評した。
冬木市が久遠川、新都へと道を繋ぐ冬木大橋の上で、英霊は対峙していた。
もっとも、対峙などと同等の視点で両者を眺める者など、誰もいはしないだろうが。
「どこかで覚えがあるような――だが、思い出すのも憎らしい、下種の極みの臭いだ。
喜べ。
塵も残さず、一瞬で葬ってやろう」
吐き捨てるように言い残し、
音もなく、殺意を込めた眩いほどの剣が、槍が、斧が、鎚が。
一振りでも戦を傾けうる、伝説に名を残す
それは、予告された死だった。
あるいは、決められた寿命だった。
絶対的上位者によって生きる価値なしと定められたそれを、しかし風来人は受け入れない。
己の力で運命を切り開いてこそ、風来人たる資格があるのだから。
砲撃が始まる、その前に。
風来人は、嵌めていた腕輪を静かに外した。
訝しげに眼を細める英雄王の元へ、懐の袋から何の変哲もない壺を取り出し。
投げた。
不意を突かれるも、弓なりに飛んでくる壺を英雄王は宝具を射出して迎撃する。
破砕音が響くかと思われた、その壺の口から。
ぬっ、と。
青紫の、腕が現れ。
――――宝具を掴んだ。
英雄王は思い出す。
前回の聖杯戦争、射出した宝具を掴み取り、どころか所有権までもを奪い取り自らの物とした、不届き千万たる漆黒のサーヴァントを。
第四次聖杯戦争がバーサーカー、裏切りの騎士ランスロット。
奴と同様の性質を、目の前のサーヴァントは有していたのだ。
何の躊躇もなく王の財宝を奪う、最悪の性質を。
コンクリートにぶつかり壺が割れ、化生が這い出る。
ずるりずるりと現れた青紫の生物は、ほっかむりをしているという人間臭さを除けば、トドに似ていた。
その数、六。
そして、
奪い、逃げた。
「な、この、トドどもが!」
怒りに表情を歪め、新たに取り出した宝具により射殺さんとする英雄王だったが、それは逆効果であった。
逃げるトドの背に放たれた宝具は、横から飛び出してきた他のトドにより、また奪われる。
ぬすっトド、と呼ばれるこの生物は、本能的に他者の所有物を奪う魔物である。
ついには開きっぱなしの蔵の入り口に手を伸ばし、直接宝具を奪い始めた。
英雄王は、遅ればせながら気付く。
トドが、異様に多いことに。
そして、今やトドどもの大半は、最初に見た青紫の体色ではなく、黄みを帯びた緑であった。
騒ぎを起こした張本人、風来人へと目をやれば、刀で緑のトドたちをさくさくと切りつけている。
切り付けられたトドは、切られたところから体を分かち、その両方が再生した。
分裂である。
風来人の左手、刀を持たないその手には、杖が握られていた。
その杖こそ、幸福の名の元に災厄を振りまく、しあわせの杖と呼ばれる
低階層でのトド狩りに御用達の、振るうだけでいとも容易く
ぬすっトドは杖の力により、増殖するみどりトドへと、進化していたのだった。
英雄王の表情が引き攣る。
風来人は小さく笑み、逃げ出した。
通り魔の如くみどりトドを切りつけながら。
悪辣なことに、種たるみどりトドを一匹小脇に抱え、決して狩りつくされることのないように。
緑の盗賊は細菌のごとく増殖し、戦場を覆い始めた。
……………………冬木の街は、混乱に包まれた。
真名:シレン
属性:混沌・善
特技:早食い、穴掘り、泥棒
好きなもの:探索、おにぎり、セキュリティの甘い店
苦手なもの:会話、腐敗した食物
天敵:魔眼、魔術師
聖杯への願い:踏破すべき新たな困難(ダンジョン)
一言頂ければ幸いです。