俺が通された部屋は、謁見の間……ではなく、王族のプライベートルームだった。
そこにいるのは、リオタムスとアンブロシウスとクヌートの3人。
国王と前王と前王の腹心の3人だけしかいないというのは、明らかに緊急事態だということを意味していた。
キッドやアディの父親のヨアキムの姿がないのは、何らかの仕事を頼まれているのか、それとも自分の領地の方に戻ってるのか。
「それで? 飛行船が来たって?」
部屋に入るなり、挨拶の類もなしでそう声を掛ける。
俺がこの国の住人であれば、かなり無礼な行動をしていることになるのだが、俺は別にこの国の住人ではない。
それに、リオタムスはともかくとして、アンブロシウスは面倒な事を嫌うのは知っている。
勿論、その嫌うというのはあくまでもこういう場所での話であって、それこそ謁見の間とかで誰かと会うような時は、相応の態度とかが必要になるが。
ただ、豪快な性格をしているアンブロシウスはともかく、リオタムスは比較的生真面目な性格をしているので、礼儀とかそういうのにうるさい感じもするが。
ともあれ、今こうしている時は特に俺に向かって何か不満を向けたりはしていないので、それでよしとしておく。
「うむ。ただし、侵略に来たという訳ではないらしい」
「……だろうな」
アンブロシウスのその言葉に、俺は素直に頷く。
飛行船を唯一有するジャロウデク王国。
そのジャロウデク王国は、現在周辺諸国との戦争を行っている筈だった。
ただでさえ敵が多いのに、そこで更に敵を増やすような真似をするのかと言われれば、それに素直に頷くような真似は出来ない。
あるいは、ジャロウデク王国が意味もなく自分達の国が有利だと思い込むような者達であれば、あるいはフレメヴィーラ王国という離れた場所にある国に向かって攻撃をしてくるという可能性もないではないが。
しかし、ジャロウデク王国は大国だ。
その大国をこれまで無事に治めてきた王族が全員そんな性格だったりする筈はない。
となると、考えられるのは……
「同盟と停戦交渉の仲介人。どっちだと思う?」
そう、恐らくはそのどちらかが目的だ。
ジャロウデク王国は、フレメヴィーラ王国でテレスターレという、全く新しい幻晶騎士が開発されたのを知っている。
それどころか、銅牙騎士団が捕まった後ではツェンドルグという人馬型の幻晶騎士も完成している。
その双方は、現在カルダトア・ダーシュとツェンドリンブルという、より生産コストを下げたり、尖っていた性能を普通の騎士でも使えるようにしたりといった感じになっており、ぶっちゃけ以前と比べると、性能的には圧倒的に上と言ってもいい。
周辺諸国の全てと敵対しているジャロウデク王国にしてみれば、離れた場所にあって高性能な幻晶騎士を有しているフレメヴィーラ王国という国は、同盟相手としてこれ以上ない相手だろう。
……もっとも、そこにはフレメヴィーラ王国がジャロウデク王国にどのような感情を抱いているのかというのを考慮に入れていないが。
はっきり言って、銅牙騎士団の一件の事情を知っている者達にとって、ジャロウデク王国に対する印象は最悪に近い。
自分達で技術を開発するのではなく、他国が開発した技術を奪うような真似をしようとしたのだから、当然だろう。
おまけに、その際にはボキューズ大森海と隣接しているフレメヴィーラ王国にとっては禁忌の呪餌を使うといった真似すらしているのだ。
それで、ジャロウデク王国に対して友好的になれという方が無理だった。
事情を知らない者であれば、ジャロウデク王国の現状を聞けば多少なりとも同情的になるかもしれないが、だからといって遠く離れた国に向かって援軍を派遣する事に同意するかと言われれば、その答えは微妙なところだ。
「ふんっ、同盟は論外だな。だが、停戦交渉の仲介人なら……」
アンブロシウスが視線を息子にして現在のフレメヴィーラ王国の王たるリオタムスに向ける。
「そうですな。個人的にはあまり受けたくない話ですが、条件次第では受けてもいいでしょう」
リオタムスにしても、ジャロウデク王国には思う所があるのだろう。
渋々とではあるが、そう告げる。
「条件ですか。具体的にはどのようなものを? 個人的には、あの飛行船の技術は欲しいところですが」
クヌートのその言葉に、アンブロシウスも頷く。
空を自由に移動出来るというのは、それだけ大きな意味を持つ。
俺がミロンガ改で移動しているのを見て、それは十分に理解しているのだろう。
一応移動速度という点ではツェンドルグやツェンドリンブルといった人馬型の幻晶騎士が存在していて、普通の……人型の幻晶騎士と比べると、その移動速度は圧倒的に速い。
だが、空を飛べるのあれば、そんなツェンドルグやツェンドリンブルよりも更に速く移動出来るのだ。
その辺の事情を考えれば、飛行船の技術を欲するのも当然だろう。
ジャロウデク王国としても、あのチラシの一件で自分達がフレメヴィーラ王国に嫌われているのは分かっているだろうから、飛行船の技術くらいは容易に渡してもおかしくはない。
「それは大前提として、問題なのはそれ以外の技術だな。それと、我が国に行った行為についての謝罪も必要となる」
リオタムスの意見には納得出来る面が大きい。
そもそもの話、テレスターレを狙って襲撃事件が起きた件は、それなりに知られているし、それをどこの国が起こしたのかというのも、当然のように広く知られていた。
そのような状況で助けてくれと言われて、それで助ける訳がない。
……いや、根っからのお人好しなら助けるかもしれないが、そんな真似をするような者はそうそういない。
国を治める国王という立場の者にしてみれば、論外だろう。
「ともあれ、ここでこうしていても話は始まらない。まずは向こうが何をしに来たのか。それを聞く必要がある。……そうなると、誰を向かわせるかだな。こういう時にエムリスがいれば便利なのだが」
「父上、エムリスがいたら、それはそれで問題になるかと。エムリスは父上の若い頃にそっくりらしいですし」
リオタムスの言葉に、クヌートがしみじみと頷く。
アンブロシウスが若い頃に付き人というか、お守りというか、保護者というか、そういう役目を任されていたのがクヌートだったらしいから、その頷きには強い説得力がある。
「ん、ごほん。……なら、儂が……」
「駄目です」
この場から逃げるという意味もあってアンブロシウスがそう言おうとしたのだが、それは息子のリオタムスによってあっさりと却下される。
とはいえ、その理由は俺にも理解出来るが。
今はリオタムスが王であるとはいえ、数十年もの間フレメヴィーラ王国を王として導いてきたアンブロシウスの存在感は強い。
そんな人物がわざわざ敵――と言ってもいいだろう――の飛行船に話を聞きに行ったら、どうするか。
ジャロウデク王国の性格を考えれば、それこそこれ幸いと人質にしてフレメヴィーラ王国に要求を発するだろう。
……もっとも、アンブロシウスを捕らえられるかどうかは、また別の話だし、もし捕らえる事が出来たとしても大きな被害を受けるのは間違いないが。
何しろ、国王専用の幻晶騎士をリオタムスに譲った後は、エルが開発した銀獅子という幻晶騎士に乗っているのだ。
元々若い頃から戦いの場で生きてきただけに、アンブロシウスの実力は高い。
その上、国王としての仕事をリオタムスに任せたので、訓練をする時間も増えている。
結果として、アンブロシウスは以前よりも操縦技術が上がっているのだ。
だが、それでもアンブロシウスのような大物をやってきた飛行船に向かわせる訳にはいかない。
「そうなると、誰を向かわせる。向かわせるのは、誰でもいいという訳ではない。ジャロウデク王国とうちとの事情をしっかりと知ってる者が必要だろう」
自分が行くのを反対されたアンブロシウスが、そう言いながら俺とクヌートに視線を向ける。
実際、すぐに飛行船に行ける者で、詳しい事情を知っているのは俺とクヌートくらいしかいない。
エムリスやエル辺りがいれば、話は別だったのだろうが……残念ながら、今ここにいない以上、話題に上げることは出来ない。
「では、私が」
クヌートがそう言うが、実際に消去法でクヌートしか残っていないというのも事実だ。
「クヌートも重要人物なのは変わらないと思うのだがな。それこそ、既に王を退いた儂よりも、公爵として現役のクヌートの方が重要人物だと思うが?」
アンブロシウスの言葉に、クヌートが少しだけ答えにくそうにする。
……実際、クヌートの立場が重要だというのは間違いない。
当初こそ、俺や銀鳳騎士団に対して何かを企んでいるのではないかという疑惑の視線を送ってきていたのだが、今となっては俺や銀鳳騎士団にとってはこれ以上ない後ろ盾と言ってもいい。
それだけに、クヌートが人質にされたり……ましてや、殺されたりといった事になると、困るのは間違いない。
ふむ、そうだな。ジャロウデク王国が一体何を考えて飛行船を送ってきたのか、気にならないと言えば嘘になるし……
「分かった。なら俺が護衛でクヌートと一緒に……おい、何でそんなに微妙な顔をするんだ?」
俺が護衛をすると言うと、クヌートが微妙な表情を浮かべる。
嫌がっているという訳ではないが、それでも素直に喜ぶ事も出来ないといったような、そんな表情を。
「何か不満でもあるのか?」
「……いや、アクセル殿と一緒に行けば、それこそ必要のない騒動が起きるような気がして」
クヌートも俺をトラブルメーカー扱いするのか。
いやまぁ、今まで俺が辿ってきた経歴とかを考えれば、トラブルメーカーであるというのは否定出来ない事実かもしれないが。
「どうだろうな。ただ、何だかんだと俺が護衛として一緒に行くのが最善だというのは、分かってるんじゃないか?」
「それは……」
俺の言葉に、クヌートは否定出来ない。
まぁ、その気持ちも分からないではないが。
何しろ、テレスターレ襲撃事件の時、俺は生身で幻晶騎士を……それもテレスターレを倒したのだ。
その辺の事情を考えると、護衛として俺より相応しい者は……エルくらいか?
だが、そのエルも現在はここにいないし、結局俺が護衛をするのが最善なのは間違いない。
「分かったら、準備をしろ。俺の魔法を使えば、飛行船がやってきた場所まで数秒で移動が可能だからな。……もっとも、あの感触は苦手な奴はもの凄く苦手だが」
「アクセル殿? 一体何を?」
影のゲートについては、まだ教えてはいない。
別に隠していた訳ではなく、単純にその機会がなかったというのが正しい。
「そういう魔法があるんだよ。だから、早く準備を整えてこい。俺はともかく、クヌートは公爵である以上、相応の準備も必要だろう?」
その言葉に、クヌートは真面目な表情で頷くと座っていた席から立ち上がる。
「クヌート、頼む」
「はい、お任せ下さい」
アンブロシウスの言葉にクヌートが頷いて部屋から出ていく。
それを見送っていると、リオタムスが俺の方に視線を向けてくる。
「アクセル殿、クヌート公爵の事をよろしく頼む」
「ああ、任せろ。向こうが何をしにきたのかは分からないが、クヌートの身の安全だけは保証するよ。……もっとも、向こうが何をする為にやって来たのかがはっきりとしないと分からないがな」
フレメヴィーラ王国にやって来た理由が分からない以上、どう反応すればいいのか分からない。
だが、クヌートが向こうに行けば一体何をしにやって来たのか分かる。
……とはいえ、ここで攻撃をしてくるとは思わないんだが。
「うむ。……正直なところ、そこまで心配はしておらんがな」
アンブロシウスにとっては、クヌートは古くからの友人だ。
それだけに、やはり心配なのだろう。
「もし相手が攻撃をしてきたら、今度こそ飛行船を入手出来るかもしれないな」
「……それは、こちらとしても助かる」
しみじみと告げるアンブロシウス。
フレメヴィーラ王国にとっても、飛行船というのは非常に興味深いのは間違いない。
空を移動するというのは、それだけ大きな意味を持つのだから。
フレメヴィーラ王国も飛行船は欲しいし、その技術も欲しい。
そういう意味で、純粋に国の事だけを考えるのなら、やはりジャロウデク王国が攻めて来たという方がありがたいのだろうが。
「それで、ジャロウデク王国との交渉にについてはクヌートに任せてもいいんだよな? 俺は基本的に政治には関わらないって事になってるし」
「うむ、ジャロウデク王国との交渉はクヌートに任せればいい。向こうが一体どのような事を考えてやって来たのかは分からないが、クヌートなら全面的に任せられる」
なら、いいか。
俺が特に何かをする必要がないというのは、ぶっちゃけ楽でいい。
ジャロウデク王国が妙な真似をしない限り、俺の出番はないだろう。
そう判断し、俺はクヌートが戻ってくるまで世間話を続けるのだった。