「むぅ……それは……」
ジャロウデク王国に対して報復するべきだという提案に、アンブロシウスは難しい表情で言葉に詰まる。
ここはフレメヴィーラ王国の首都、カンカネン。
その王城で、現在俺はアンブロシウスと、そして他にも何人かの重臣と共に話をしていた。
正直なところ、俺はフレメヴィーラ王国の客人でしかなく、政治にはなるべく関わるなといった風にクヌートからも釘を刺されているのだが、銅牙騎士団の一件には俺も大きく関わっているので、この会議に参加している。
話の内容は、当然のようにジャロウデク王国のフレメヴィーラ王国における蠢動。
他国で開発した技術を奪う為に、フレメヴィーラ王国においては禁忌と言ってもいい呪餌を使って魔獣を誘き寄せ、ダリエ村に大きな損害を与え、カザドシュ砦にも同様の被害を与えた。
更には、朱兎騎士団の人員も結構な人数殺されている。
明らかに、ジャロウデク王国による攻撃と見なされてもおかしくはない。
だが、アンブロシウスはジャロウデク王国に対して抗議程度ですませるつもりだったらしい。
……まぁ、ケルヒルト率いる銅牙騎士団の襲撃があったと言っても、銅牙騎士団そのものはジャロウデク王国にとっても表向きにはなっていない騎士団だ。
そうなると、抗議したとしても向こうは知らぬ存ぜぬを通すばかりか、言い掛かりだと居直るのはほぼ確実だろう。
「ですが、アンブロシウス王。ここまでされた上で何もしないとなると、騎士達の士気にも関わりますし……何より、王に対する信頼が失われる可能性があります」
クヌートのその言葉に、アンブロシウスは苦い表情を浮かべる。
この世界において、騎士……幻晶騎士のパイロットというのは、非常に大きな価値を持つ。
特にこのフレメヴィーラ王国においては、ボキューズ大森海という魔獣の巣窟が近くにある以上、その価値は余計に大きい。
そんな騎士達が、自らの王に対する信頼を失ったとすれば……それこそ、今回の一件だけでは大きな影響はないかもしれないが、これからずっと騎士達の頭に残り、これまでは大人しく従っていた命令に関しても疑心を抱き、いざという時に一致団結するというのが難しくなるのは間違いない。
ボキューズ大森海が側にある状況でそのような事になった場合、フレメヴィーラ王国存亡の危機と言ってもいいだろう。
「だが、どうする? 報復をするにしても、騎士団を派遣するようなことをすれば目立つし、何よりも今のフレメヴィーラ王国にそこまでの余裕はない」
アンブロシウスのこの言葉も、間違いなく正しい。
ボキューズ大森海からやって来る魔獣に対抗するには、それこそ戦力は幾らあっても足りないのだ。
フレメヴィーラ王国内部で少し移動するといった程度ならまだしも、ジャロウデク王国に行く為には、オービニエ山脈を越えて、クエシェペルカ王国を越えて、ロカール諸国連合を越えて、それでようやくジャロウデク王国だ。
騎士団……それも、一国を相手に報復出来るだけの戦力を、それだけ遠くに派遣するとなると、相応の長期間になるのは間違いない。
そうなれば、フレメヴィーラ王国での魔獣の対処が後手に回ってしまう。
報復も大事かもしれないが、フレメヴィーラ王国の魔獣対策も必須。
アンブロシウスの言葉も、十分に理解は出来るものだった。
「そこで……アクセル殿の力を借りようかと」
クヌートのその言葉に、アンブロシウスや他の重臣達の表情に若干の驚きが浮かぶ。
当然だろう。
現在のフレメヴィーラ王国の上層部で、誰が一番俺を疑っているかと聞かれれば、まず殆どの者がクヌートの名前を上げるだろう。
そんなクヌートが、俺の力を借りようと口にしているのだから、他の者達が驚くのも当然だった。
「アクセル殿」
そんな周囲の視線を気にした様子もなく、クヌートは俺に視線を向けてくる。
カザドシュ砦で、俺がクヌートに報復の手段を提案した時、クヌートは驚いた。
それは、俺が積極的に報復を口にしたというのもあるのだろうが、それ以上に俺が口にした報復の内容が内容だったからだろう。
ぶっちゃけ、俺が本気になればジャロウデク王国の首都にある王城を破壊するような真似をするのも難しい話ではない。
だが、報復でそこまでやるのは少しやりすぎだという事で、結局俺が提案したのは上空から……今回の一件について若干話を盛った内容を書いたチラシを空中から散布するという事だった。
この作戦を最初に考えた時のように、これでジャロウデク王国軍の面子は丸潰れになるだろう。
だが、その行為をフレメヴィーラ王国がやったという証拠もない。
チラシの内容を考えれば、間違いなくフレメヴィーラ王国の仕業だと思うだろうが、この世界には空を飛べる幻晶騎士は存在しない。
……もっとも、エルがいる以上、将来的には空を飛ぶ幻晶騎士が現れてもおかしくはないのだろうが。
ともあれ、そんな訳で俺がやった事ではあっても、フレメヴィーラ王国がやったという証拠が出せない以上、向こうが何か言ってきても言い掛かりだと言えばいい。
「それは……また……」
クヌートがどのような報復を考えているのかを知ったアンブロシウスが、言葉も出ないといった様子から、何とか短くそれだけを告げる。
……いや、寧ろアンブロシウスがそれだけの声を出せたのは、国王としての経験からだろう。
実際に他の重臣達は、ただ唖然としているだけで何も言えなくなっていたのだから。
この世界において、このような報復……いや、ある意味で情報戦と言ってもいいような行為が行われる事は多くはない。
何より、空を飛ぶという機能を持つミロンガ改を使うのに、そこまで馬鹿馬鹿しい行為を行うのが、信じられなかったのだろう。
うん、まぁ……その気持ちは分からないでもない。
この世界において、ミロンガ改というのはそれだけ大きな意味を持つのだ。
「その……アクセル殿はそれで構わないのですか?」
重臣の1人、ヨアキムが俺に尋ねてくる。
ちなみにこのヨアキムという人物、実はキッドやアディの父親だったりする。
もっとも、あの2人はいわゆる愛人の子供であって侯爵家の人間という扱いではない。
その件もあり、キッドやエディはこの父親を決して好んではいないとか何とか。
そんなヨアキムに、俺は頷く。
「今回の一件では、何だかんだと俺も被害を受けてるしな」
これは決して嘘ではない。
俺専用に作られたテレスターレも銅牙騎士団に奪われて、被害が出たしな。
もっとも、その被害というのはコックピットをゲイ・ボルクで破壊した事による被害であって、ある意味では俺が自分で被害を出したと言えなくもないのだが。
……うん、取りあえずその件は気にしないようにしておこう。
ちなみに被害を受けたテレスターレは、既に修理を完了している。
今回の一件の功労者だからと、優先的に修理して貰ったのだ。
そして現在は他の機体と同様に空間倉庫の中に収納されている。
「……なるほど」
本当に納得したのか、それとも表向きだけ納得したように見せたのかは分からない。
だが、俺に向ける視線には警戒の色がない……訳ではないが、それでもクヌートよりは薄いように思える。
ともあれ、その言葉を最後にその場にいる全員の視線がアンブロシウスに向けられる。
意見は出たので、後はアンブロシウスがどう判断するのかといったところだろう。
「こちらとしてはありがたい。ありがたいのだが……いいのか?」
その、いいのか? という言葉が何を意味しているのかは、俺にも理解出来た。
今回の一件でミロンガ改を使い、ジャロウデク王国の首都で派手に行動をすれば、当然のようにジャロウデク王国……いや、他の国々も、ミロンガ改を探すだろう。
それだけ、空を飛べるというのは大きな意味を持つのだ。
そうなれば、当然のように俺もミロンガ改をそう簡単に使うような真似は出来なくなると、そう言ってるのだろう。
「そうだな。ミロンガ改を使う俺が、たまたまフレメヴィーラ王国にやって来た……といった風にしてもいいけど、可能ならやはりそれはやらない方がいいか」
その言葉に、皆が納得したように頷く。
実際、フレメヴィーラ王国で行われたジャロウデク王国の行動を書いたチラシを散布した後でフレメヴィーラ王国に偶然やって来るというのは、あまりにもわざとらしい。
「なら、ミロンガ改は暫く使わないでおけばいい。……言っておくが、俺が持ってるのは、別にミロンガ改だけではないぞ?」
「何だと?」
アンブロシウスの口から、そんな声が漏れる。
まぁ、その気持ちは分からないではない。
ミロンガ改は、この世界において他に類を見ないだけの実力を持つ。
だが、今の俺の説明では、そんなミロンガ改であっても特に貴重ではないと、そのように思えるような内容だったのだから。
実際、この世界の者にとってはともかく、俺にとってはミロンガ改はそこまで特別な機体でははい。
……あ、でもある意味では特別か。
元々機動力と運動性に特化した機体だったのが、新型のテスラ・ドライブとエナジーウィングを装備した事により、更に運動性と機動力が上がった。
結果として、操縦する時に受けるGはかなりのものになり……それこそ、魔力や気で身体強化を出来るような者でなければ、操縦するのは難しい。
それだけではなく、装甲を極限まで削っているので、防御力も脆い。
一応バリアの類があるしPS装甲もあるので、防御力が皆無って訳じゃないんだが、それでもシャドウミラーの量産機のシャドウと比べると、装甲はかなり薄い。
いやまぁ、元々シャドウの装甲が厚く設計されてるってのもあるけど。
「ミロンガ改は、特別ではあってもそこまで貴重って訳じゃない。……まぁ、この世界で修理とかするのは無理だろうけど」
「うむ。まぁ、そうだろうな」
アンブロシウスが頷くが、そこに若干悔しそうな色があるのは、やはり一国の王として自分の国の技術力が低いのが悔しいのだろう。
もっとも、エルがいる以上、これから技術はかなり上がっていくと思うが。
「そんな訳で、ミロンガ改をこの世界で使えなくなっても、俺は特に困らない訳だ。それに……別に、全く使えないって訳でもないしな。いざとなったら、それこそいつでも使えるのは間違いない。ジャロウデク王国が何かしようとした時にそれを邪魔するのなら、何も問題はない」
「それはまた……ジャロウデク王国の者達に同情する日がくるとはな」
アンブロシウスがじみしみと言う。
アンブロシウスの前で、実際にミロンガ改を使った事がある訳ではない。
だが、ベヘモスとの戦いについての報告書は読んでいるだろうし、解剖したりした結果についても報告が上がっている筈だ。
そうなると、当然ながら俺の操縦したミロンガ改がどれだけの性能だったか……それこそ、この世界の幻晶騎士とは文字通りの意味で性能が違うというのを知っている。
だからこそ、フレメヴィーラ王国にいらないちょっかいを掛けてきたジャロウデク王国に同情してるのだろう。
……実際、空中から情報の書かれたチラシを散布するというのは、俺が最初に想像していた以上に強烈な破壊力を発揮する筈だ。
直接的は攻撃力は皆無だが、そのチラシに書かれていた噂は間違いなく民衆達の間で大きく広がる。
上空から大量に散布する以上、幾らジャロウデク王国軍の兵士が回収しようとしても、それは無理だ。
そして回収しようとして必死になればなる程に、そのチラシに書かれている内容が真実なのではないかと、そう疑念を抱かれてしまう。
そうなれば、ジャロウデク王国の王家にとっては非常に痛い。
勿論、この世界の政治体系を思えば、民衆の支持が絶対的に必要という訳ではない。
だが、だからといって民衆の支持が一切なくてもいいのかと言えば、そんな事はないのだ。
……そんな状況が許せないと民衆に対する締め付けを厳しくすれば、当然のように反感が抱かれる。
それを更に強い力で締め付けるのか、もしくは何か別の手段で取り込もうとするのか。
その辺はどうなるか俺にも分からなかったが、それでもジャロウデク王国にとっては非常に厄介な事になるのは間違いない。
「そうですな。……アクセル殿、我が国ではくれぐれもそのような真似はしないで欲しい」
クヌートがアンブロシウスの言葉に同意し、しみじみと俺に向かってそう言ってくる。
他の面々も、そんなクヌートの言葉に同意しているのか、俺に向かって半ば懇願するような視線を向ける者までいた。
「そうだな。今のところはそんな予定はない。俺も友好的な関係を築いている相手にはそんな真似をするつもりはないしな。……あくまでも、友好的な関係であれば、の話だが」
そんな俺の言葉に、アンブロシウスは何を言いたいのか理解し、苦笑を浮かべて頷くのだった。