まだ失踪してませんこのサル
黄泉川メール
この世において、目で見えるものは悉く嘘だとのたまっても。
この世において、耳で聞こえるものは偽りだとうそぶいても。
それはあながち、間違いではない。
◆
件名:なし
本文:急な来客があったから帰るのが遅れた、鍵開けておいて。
「……はぁ」
メールを送った妹紅の表情は、お世辞にも皮肉にもご機嫌とは言い難いそれだった。
今となってはもうアンティークの領域に入った携帯電話、その昔にガラパゴス携帯……つまりはガラケーと呼ばれて“いた”それを折りたたんだ妹紅は、もう本当に誰もこない事を祈りながらシャッターを下ろす。
本来であれば大概の寮が閉まるその一時間前には閉店していると言うのに、今宵それを二時間過ぎているのは無論、先程までここに居た魔術師組のせいに他ならなかった。
「こっちの事情も考えて欲しいんだけどなぁ……あいつら」
そうとは言っても、彼らより面倒な客はごまんといる。
むしろステイルや神裂は未成年者としては拍手したい程よく出来た客だった。
ちゃんと現金で支払わせたし、本人達もラストオーダー過ぎてからの来店なんて不作法以外は極めて模範的な客として振る舞っていた。
その唯一の問題点としても、彼らにとってはごく普通の店に行くのと同じ感覚だったのだろう、学園都市において大抵の店が閉店し始めるのは、幻想郷において大抵の店が開店する時間帯なのだ。
この場所の大多数を占めるのは学生で、それらに門限と言うものが設定されている以上仕方のないことなのだが、子供だけでは無く大人まで帰り始めることは妹紅にとってやや割り切れない事だった。
ただ、妹紅は経営者として稼ぎが少ない時間に開店してやるほどの寛容さを持ち合わせていないし、律儀に紫の言う情報収集を行うなんて任務を未だに実行している身としても聞き耳を立てる事すら出来ない閑散とした店内に居る義理は一つもないのだ。
ただし、妹紅にとって“門限”という概念が縛りとして存在し始めたのはここ最近の事になる。
そしてそれが、彼女にとって模範的な客に舌打ちをさせる要因になっていた。
音が出るのがいやだと言う理由で常時マナーモードに設定してある妹紅の携帯が、微かなバイブレーションを伴ってその存在をアピールすると、彼女はその美少女と自称しても文句を言えない顔を顰めてそれを取る。
件名:遅い
本文:土日の掃除当番は決まりだから、早く帰ってくるじゃん
「……くそぅ、不条理を感じる」
ちなみに藤原妹紅は現在、居候の身である。
居候は家主に逆らえない、これは時代が移っても変わらない絶対的な規則なのだ。
◆
ことの始まりと言うよりかは、それ自体が中途である。
一度目の失態で提供された、というかは紫がどこかから持ってきた住居を燃やし尽くしてしまってからの藤原妹紅が辿った変遷と言うのはこの短い中で随分と一転二転として一向に定まらなかった。
最初は屋台で住み込みをしていたのだが、その外見から学生と思われたのかアンチスキルに職務質問をされた際、学校名不明の住所不定ということであわや学園都市から放り出されそうになった事……よりも、その際に非常に冷たいゴミを見る目線で見られた事が彼女に「せめて住所は持とう」と思わせるきっかけになったのだった。
ちなみに傍から見るとホームレス以外の何者でもないこの様子、数年どころか百年単位でホームレスな妹紅にとってすれば全く違和感がなかった。同じ蓬莱人である輝夜ならば数日とも生きていけない状況だが妹紅は川さえあれば年単位での生存が可能なのである。
ちなみにそれが話題に上がった際、経緯はさておくとして幻想郷では三日三晩の竹林大火災が観測されたことは触れないでおく方が本人たちの為になる。
住所を定める事は決まったが、ここで問題になるのは「どのようにして住所を獲得するか」であった。
なにせここは学園都市、大抵の住所と名前のつくものは学生寮なのだ、学生でも生徒でも無ければ教員でもない妹紅がそれを取得する方法は限りなく薄い。しかも外の世界において証明証が自分の能力を示すカード一枚しかない、連帯保証人も何もない。
偶然それでも入れてくれる場所があったとしても『前の住所は燃えてしまいました、自分は他の住民が慌てふためく中一人だけ失踪してました』なんて言った日にはまたアンチスキルのお世話になるだろうことは火を見るより明らかだった。
そんな状況で妹紅が取れる方法ときたら、どう考えても堅気の住む場所とは思えない所に居つく他なかったのである。
その日が来るまでは
◆
現在、藤原妹紅の住居として定められているのはマンションのうちの一つだった。
グレードとしたら中の上になるのだろうか、高級とは行かないまでも平凡的なそれとも言い難いそれは、家賃がそれなりの額である事を匂わせる。
「……まぁ、ちゃんとした住居が出来たのはいい事だけどさ」
転機となるのはステイルと神裂が住んでいた場所に居付いてから暫くして、どうやら大規模なテロ行為を行おうとしたスキルアウトの集団が居たらしくその地区が大規模な捜索を受けたのだ――それが果たしてどのようなものかは分からないけれど、妹紅が潜伏していた住居も含めて。
アンチスキルの捜索が入ったのだ、どうにも相当な事を画策していたらしく大規模で、かつ隠密に迅速に行われたそれは瞬く間にその勢力を広げて取り潰しにかかった。
そして当然の如く逃げ遅れた妹紅の所に来たのは、ついでに言うと慌ててもんぺを着替えていた妹紅の所に突入してきたのは。
『おっとぉ、なーにやってるじゃん……妹紅』
『……は、えっ』
ピンポンと、音が鳴れば五秒以内に鍵が開くのだと。
そんなことも体感で分かってしまうぐらいには、慣れていた。
「随分とお早いご帰宅じゃん」
「そりゃ、悪ぅ御座いました」
藤原妹紅、現在は黄泉川愛穂の家に居候中である。
◆
息をのむ美少女と言うのは、多分彼女の事を言うのだと黄泉川愛穂は薄々感じていた。
学園都市には美形が多い、とりわけ美少女の方――大通りを歩けば、よほど偏屈な趣味を持っている者以外であれば探さなくても見つかる程だ。
それが果たして科学的な根拠がある訳ではないし、統計を取った訳では勿論ない、母数が多いなら当たり前の結果になるとも言えるだろう。なにせお嬢様学校と呼ばれる場所に居るのはお洒落にも気を使える余裕のある者ばかり、軒並み平均点を大きく押し上げる顔立ちを持つ者ばかりなのも頷ける。
心なしかレベルが上がれば顔面偏差値も上がる……とは流石に偏見かもしれない。レベル5は7人、それと有象無象を比べるのは些か統計的に文句を言われてしまうだろう、更に言ってしまえば最高レベルで顔が知られているとすればほんの2・3人なのだから。
黄泉川自身も自分のクラスを持つ教師だ、美少女や美少年、そうでなくても二枚目な子供なんてごまんと見てきた。黄泉川も美女と称して憚らずとも天罰が当らない顔立ちをしているが、教師仲間にだってごまんと居るのだ、慣れてるなぁと思う時が数度あった。
「……黄泉川?」
扉を開けたら美少女が待っている、少年だったら堪らないシチュエーションじゃん。
彼女は聞こえてくる怪訝な声をひとまず置いておいて、そう思う。
薄幸の美少女――なんて使い古した表現が出てくる程度には、もしくはそんな表現でしか自分の中のイメージと現実を重ねあわせられないぐらいには、藤原妹紅と言うのは美しさと言う言葉をその容姿に秘めていた。
少し怪訝にこちらを見上げるその仕草と言い、なんとも堪らない。
「丁度ご飯、炊けてるじゃん」
「今から私に炊かせるのかと思ってた」
「そんなことしてたらお腹減って死んじゃうじゃん」
「黄泉川って三日者食わずとも生きていけそうなイメージが……」
「そんな事言うと飯抜きの刑じゃん」
「ごめんごめん、流石に私は耐えられないよ」
美少女と一つ屋根の下。
勿論、黄泉川がそんな下心を持って彼女を居候させている訳ではないし、第一お互いにそっちの趣味は断じて持っていないのだが。なにせ半端な美少女じゃないので事情を知らないものが見たら邪推するのに疑わしくない字面ではあったし、黄泉川も「これってばれたら色々面倒じゃん」と密かに思っているのだった。
◆
さて、学園都市に来てから腐れ縁が高じて居候先になった黄泉川について妹紅は考える。
考えつつ靴を脱ぎ、考えつつ慣れた足取りで靴下を脱いで、考えつつ洗濯機に入れる。
「いただきます」
「いただきます」
妹紅は食事を黙って粛々とする派ではある、なにせ育ちが育ちであるし、食事を一人で行う時期が長すぎた。
幻想郷に来てから暫くはそうやっていた、食べられる草木や茸を食み、川の水を啜っては時折筍を掘って、そのうち余裕ができたら家を建てた。
それに慣れていたし、そうするのが当然だと自然に自分の中で位置づけていたのだろう。不死人であり、同時に怪物である自分と食事が出来る者はこの世の中には居ないのだと、その思いが彼女に黙々とした食事を強いた、生きるためでは無く飢えないための食事をさせた。
いつからだろう、誰かと食事していないと寂しいと思ったのは。
「妹紅」
「んぁ?」
不意に自分の名を呼ばれた妹紅は、懐かしいと感じた。
同時に、黄泉川の以外にも華奢で、けれども力強い指先が自分の口許を撫でたのを感じた。
「お弁当、付けてるじゃん」
「……ぼーっとしてた」
「早く寝た方がいいって、寝る子は育つって言うじゃん」
そうは言われても
藤原妹紅は、千年以上前に成長を止められているのだった
肉体的な意味では
「黄泉川はさぁ」
「ん?」
「似てるんだよね」
ちょいっと、頬を擦りながらも妹紅は首を傾げた。
頬杖をついた方がそれっぽいけれど、生憎今は食事中で。
お互いにマナー違反する程の不良ではないのだった。
「似てる」
「似ている」
「誰に」
「誰かに」
「誰かとは言わない」
「誰かにとは言わない」
「気になるねぇ」
「気になるか」
ご愁傷様だよと、ちょいちょいサラダを摘まみながらくすりと笑えば。
それなら最初から言うなとばかりに、不意打ちのデコピンが命中した。
「あ痛いぃっ!?」
「悪い子にはお仕置きじゃん」
バチコンッと良い音を立てて妹紅はのけぞり、床に倒れ伏したまま転がる。
蓬莱人と言えど痛覚が鈍っているなんて事はなく、いつもは脳内麻薬で押さえているのだ――常人なら死に至る程の傷と出血でも死なない事を利用した究極のごり押し、これが蓬莱人同士の戦闘が大抵泥仕合にもつれ込む理由でもある。
まあ、そんなケースは一つしかありえないけれど。
「もーこーう?」
「……ちょっと待って、結構ジンジンしてるから」
「やりすぎたじゃん、ごめんごめん」
「うん、私も意地悪するべきじゃなかった」
「お詫びに休日の掃除当番は分担するじゃん」
「貸しは無しね、うん」
まだ食べる?と黄泉川が炊飯器を取り出せば
食べる、と起き上がった妹紅は茶碗を出した
居候、三杯目には、そっと出し
ただし七杯目にはにゅっと出し
人生においてふてぶてしさは必要なのである。
◆
『妹紅、米粒がついているぞ』
◆
食べ終わった後と言えば、随分と暇になるのだ。
風呂はお互いに入るし、それ以外はテレビを見たり読書に耽ったり。
時折アンチスキルとしての仕事が黄泉川に入るけれど、それ以外では恙なく生活が出来ている、というより役割分担がしっかりしている為か気楽な時間は増えていた。
まるで手の掛からない子供みたい、密かに黄泉川はそう思っていたけれど、なんだかそれを考えると言いようの知れない悪寒が走るので思考を切り替える事にしている。
「黄泉川、上がったよ」
「うーい」
因みにこの二人、豪胆さは人よりも強い。
黄泉川は子供に裸を見られていたところで動じないし、妹紅に至っては衣服が燃えて素っ裸になるのが日常茶飯事なので暑ければ下着一枚でも過ごすことが多かった。
これには居候の初日に妹紅が下着履いていなかったことが判明し、黄泉川が乾いた笑みしか出せなくなるアクシデントがあったが些末事だった。現在は彼女が買い与えたごく一般的な下着は最低限着用している。
(どんな生活を送って来たんだろうって心配になるじゃん)
湯気立つ浴槽につかりながら、黄泉川は考える。
どうして自分が彼女を家に泊めているのかではなく、彼女はいったい何者なのかを。
そして、彼女の奥底にある引っ掛かりについて、鼻まで暖かな温水に浸かりながら思案する。
藤原妹紅、自称レベル2の発火能力者。
それが詐称である事は間違いようも無かった。
某所で突如として発生した焼野原の犯人の事はさておくとして、黄泉川は友人で教師仲間である月詠小萌に妹紅の観察結果を聞いた時の事だ。
「少なくとも4以上ですね」
それだけだった、それだけで言いたいことは両者とも承知した。
小萌の専門は『発火能力』でピンポイント、その程度数度見たら確実に宣告できるのは訳がない。
「ただし、レベル5になれるのかは分からないんですよ。レベル4から5に上がるのには能力の強度以外にも何らかのファクターが必要みたいなのです」
「私達の中じゃ学園都市自体に何らかの必要性があるんじゃないかとか憶測が立ってるじゃん。AIM拡散場が大きくてもレベル5になるのにはレベル3から4になるのとは訳が違うって」
「そこらへんは上の方の判断なのですよ、私はよく分からないのです」
困りましたねーって言いながらも、その表情や仕草ではそれ程面倒に思っているとは読み取る事ができなかった。
しかし、黄泉川にとって月詠小萌は、歩く煙草消化器官は、永遠の小学生は、それ程腹芸に炊けている訳では無く、寧ろ腹を割って話すタイプなのだ。ならば彼女にとってレベル5への到達と言うのは、それ程興味がないことなのだろう――出世欲と同じ様に。
「しかし、そうすると……妹紅の能力は」
「能力だけで見るなら恐らく学園都市において最高峰に位置するですよ」
「恐らく? 小萌にしては随分と逃げ道のある言い方じゃん」
「あくまで私が見たのはそのラグと操作性についてだから、応用力と最高火力についてはっきりとしたデータは取れないって事ですよ」
それでも、確実にレベル4です
それは、黄泉川が対処できるギリギリ範疇外かもしれない存在。
「でも、妹紅なら大丈夫じゃん?」
「妹紅ちゃんなら平気ですね」
「根拠は」
「同じ喫煙者としての勘です」
「そいつは相当信頼おけるじゃん」
絶対に、という訳ではない、世の中に“絶対”程当てにならない言葉はない。
けれども黄泉川は、妹紅が到底そんな事をする奴だとは思わなかったし、日常生活においてはむしろ能力を使わないように抑えていることからも安全であると踏んだのだった。
「ところで黄泉川ちゃん」
「ん~?」
「どうして妹紅ちゃんと同棲を決めたのです」
「……なんとなく?」
「ほへぇ」
それは半分嘘で、半分本当だ。
風呂から上がった黄泉川が見たのは、穏やかな寝息を立てる無防備な発火能力者。
下着姿のままという残念仕様でなければ、そして黄泉川が異性愛者でなければ、立派な据え膳だけれど。
「そんな所で寝てたら風邪ひくじゃん」
「………むにゃ」
あまりにも無防備すぎるそれは、決して無知から来るそれではない。
恐れる者が無いサバンナにおいて、ライオンが悠々と眠るように、彼女はそうしていたところで万物が自らを傷つける事ができないことを知っているのだ。
傲慢と取れる程のその強さの由来は分からないままだけど、黄泉川にはなぜだか忘れられない表情がある。
それはまだ妹紅の事をあまり知らなかった時、彼女を家に招いて食事を作ってやった事があった。そのきっかけとしては些細なもので、財布を持ってき忘れたからツケにしてもらって、そのお返しに料理をご馳走したと言うものだけれど。
『……うん、やっぱり美味しい』
そう言ったのだ、“やっぱり”と言うからには自分の食事を知っていたのだろうかと聞くと、慌てていやいやと首を振って。
『誰かと一緒に食べるのって、美味しいね』
その時の感慨深くて、それでも少しだけ寂しそうな顔が、どうにも鮮明で。
なぜだか、そんな顔を決してさせるべきでは無かったと罪悪感を抱かせた。
紆余曲折、その通りに運命は曲がりくねった道を進む。
ならば二人が出会ったのは、悪趣味な演劇の規定事項なのかもしれない。
けれども、黄泉川はあの顔を見た時から、妹紅の事をもっと知りたいと思っていた。
決して魅了の魔法に掛かっただなんて乙女チックなことはない、例えて言わずともそれは興味以外の何者でもない。
「なんというか、放っておけないって言うか……とにかくここで寝かせて風邪引かせるわけにもいかないじゃん」
なんだか、捨て猫を拾った気分であった。
捨て猫と言っても本人は拾って欲しいなんて思っても居ないし、一人で生きられる力を十分に持ち合わせていたけれど。
「もこー、起きろ。自分の布団敷くじゃん」
「……敷いて」
「居候って事を理解するじゃん」
「あ、やめて、さりげなく締めてくるのやめて……敷くから、自分の敷くから!」
そんな訳で、黄泉川愛穂の家には一人の居候が居る。
物語の転機でも何でもないけれど、時間は流れていく。
あとがきとかコメ返しとかまとめてやります、章の整理とかするから題名が変わるかも