今回から雰囲気がガラッと変わります、多分
注意してね
「妹紅は、先生に向いていると思うよ」
唐突に、本当に湧いて出た様にそう話した彼女は赤く染まっていた。
別に血塗れだったとか物騒な事じゃなく夕日に照らされて赤くなっていただけだけど、その長くて綺麗な銀の髪にその赤が反射して私にはどうにも眩しく見えるから。
あの薬師も同じ銀髪を持っていたけれどなんて言うか、こいつの髪は柔らかいと視覚に訴えてくる、擬音にしたら「ふわり」って言葉がいつでも宙に浮いているみたいだった。
「どしたのさ、いきなり」
「なんとなくそう思ってさ」
辺り一面が赤く染まっている、それは今が夕暮れだからであってもう少しすればあたりはすっかり闇に溶けてしまうだろうから。
子供達の集団は早く家に帰らないと怒られるから次第に散り散りになって消えてしまう、道行く家族は幸せそうな顔で今日の夕餉について話していた。
そして私達は――というより私は、彼女が買い物に行くと言うから付き合い兼荷物持ちとして同行していた。お題は今晩のご飯を作ってもらうと言う約束はいつからだったっけな、彼女の味付けは割かし薄目だったけど好みだった。
いつものような風景の中で、彼女の言葉だけが少し違っていた。
「私が先生ね、似合わないよ」
「私は似合うと思うんだけどな」
「絶対に合わない、賭けても良い」
「『賭けても良い』なんて言葉はな、本当に負けたら死んでも良いって時に使うもんだ」
「私は死なないけどね」
「そりゃそうだけどな」
それを言ったらオシマイだろう、私もそう思う。
ただその時はどうにも私が彼女の言う通り教師になる姿を想像して、そのあまりにも滑稽な姿に混乱したからつい口に出てしまっただけだった。
彼女がそれ以上追及してくるより先に帰路を急いだのはきっとそれも分かっているからなんだろう、時折私よりもずっと大人に見える背中は物理的にも精神的にも大きかった。
「似合わないって」
「似合う似合わないじゃない、合っているか合っていないかだ」
「同じ事じゃないの?」
「同じ事の様で全然違う事だ」
「ふーん」
慌てて駆けたのは歩幅の問題、私と彼女とではあまりにも一歩の大きさが違い過ぎる。
私が一歩進む間に随分先に行ってしまう、同じ速度で歩いていたらあっという間に見えなくなってしまう、なんだかそれがちょっと悔しい。
それがまるでこいつが生き急いでいる様に感じたからそれ以上は考えない事にして、代わりに今日の晩飯について想像を働かせていると上の方でくすりと笑い声が聞こえたから。
「一番の年長者じゃないか」
「年食ってるからって人格が出来てるとは限らないよ」
「ああ、年寄りは頑固だからな」
「そーゆーこと、永琳や輝夜なんてそしたら大先生だよ」
「知識は凄いものがありそうだけどな、妙な事を教えられないか心配だ」
「私なんてもう戦い漬けだから碌な事を教えられそうにないね」
「……それでも」
「それでも?」
「私は、お前が先生に向いていると思うよ」
どうしてと、そんな顔をしていたのだと思う。
少しだけ微笑んだ彼女は屈み込んで私の目線に合わせた。
「今にわかるさ、妹紅」
上白沢慧音が言ったその時の言葉を、私は未だに理解出来てはいない。
どうにも、あの騒動は無事に収束したらしい。
アウレオルス=イザードが形成した一連の異変についてだが、どうにも私は彼の偽物を殺害した事ですっかりと満たされてしまったらしい。
私の目的は首魁を倒す事ではなく単純な興味本位であったし、ひいては内心暴れてみたかったなんて身勝手極まりない欲望が現出しただけであるし、つまりはあの一戦で十分過ぎる程暴れたと言う訳だろう。
だから私はとっととこの異変の終わり――上条少年が例えて言うなら6面ボスを打ち負かす所まで見学してからさっさと帰ってしまう事にしたし、それ以上関わるつもりも無かった。
というより全く関係の無い私が乗り込む自体アレなのにだ、その上異変のボスまで倒してしまったりその後色々と介入すればどう収拾を付けると良いのだろう。
だから私はあの場所に残された五人――一人死んでるかは分からないけれど、ともかくそれらを置いてさっさとねぐらと化してしまったこの学園都市のボロアジトへと神裂と一緒に帰還したのだった。
「……駄目だ、あの時の私はどうにかしてたよ」
「日本では厨二病と言うらしいですよ、確か。無駄に格好をつけたり」
「やめてよ、あんまり思い出したくないんだよ」
頭を抱えながらうーうー唸っていると上からニヤけた声が降ってくる、顔を見ずともいつの間にか同居人となっていた神裂のものだと分かるけれど今のあいつは絶対にしたり顔だ、見なくても分かる。
こいつはどうにもインデックスが無事とは言えないまでもちゃんと彼女らしく生きている事で満足したらしい、言葉を交わそうとも顔を見せようともせずにすたこらさっさと退散してきた。
明らかに鼻の下を伸ばしているステイルと違って極めてさっぱりしていた、これは性格の違いなのかそれとも男女の違いなのかはさっぱりと分からないままだけど。
「でも本当に良かったの? 目的はインデックスの嬢ちゃんだろ」
「私の目的は貴女ですし、それに……やっぱり彼女にとって過去の他人に等しい私達が今更出て言った所でする事なんて無いんですよ」
「……そんなもんかね」
「そんなもんです、ステイルは未練を捨てきれないみたいですけど」
「それは分かった」
さっぱりしているね、なんて思ったけれどよくよく考えればこれもあの嬢ちゃんが大切な存在だからかもしれない。
これ以上自分が出て行く事で彼女の平穏を壊しやしないか心配なのかもしれない、今の彼女が平穏に暮らせているのならばそれで良い――方向性は違うけれどなんだかんだであの小さな白いシスターは他人に想われる事に掛けては才能があるみたいだ。
まあそれは例えて言うなら小動物のような庇護欲を誘うものかもしれないし、それ以外かも知れないけれど……知らず知らずのうちに誰かに護られているなんて、少しばかり羨ましかった。
ただまあ「それで本当に満足なのか」とか「素直になった方が良いんじゃないか」とか言いたい事はあるけれどもぐっと堪える。
あんなことを口走っていた私が言う事じゃないけれども割かしそこら辺はデリケート且つデンジャラスな部分だ、下手したら逆上されかねないし地雷原の上でタップダンスを踊るような真似はしたくない。
……だから、あの時は変なテンションになってたんだって。
許してよ、もう数日経ったから時効でいいじゃん、結果的に上手く転んだみたいだからいいじゃないか。
多分あんだけ暴れたのは紫にもれなく見られてるだろうし、帰ったらどんな事になるか今から恐ろしい、死なずの蓬莱人と言ってもやっぱりあの胡散臭さは怖いんだ。
まあ幸いだったのは今回暴れたのが“裏世界”とかそんなけったいな場所であって、尚且つ意識があるのは殆ど居なくて、私の存在を感知していたのが殆ど見知ってる相手だったって事だけどやっぱり暴れたって事実には変わらないから。
でもさ、不満を言わせてもらうとすれば紫が何も言ってこないのが逆に悪いよ。
ここに突き落とされたときだって具体的な目標とか言われなかったし、暴れるなとは言われたけどじゃあ何をしろとか言ってこなかったし。
今だって何も言ってこないからひょっとするとあいつの感覚ではまだセーフな部類なんじゃないかなって思っちゃうじゃないか。間違いなくアウトだけど、設定のレベル2の発火能力の限界を軽く超えてるけど――いやいや、まだ学園側で知られているのは数人ぐらいだしセーフ? やっぱりアウトでしょ。
「……どーしよっかなー……」
「どうでもいいですけど今日の洗濯当番は妹紅ですよ」
「分かってる、分かってるよぅ」
騒動が終わっても神裂はすぐ帰る訳じゃないみたいだった、そもそもステイルとは違って私の監視が任務らしいし。監視されてても暴れちゃったんだけどそこはどうだろうねと聞いたら「いえ、大丈夫です」だってさ、割かし温いのか分からんね。
そのままどこに住むのかと思ってたら私と同居するとかしれっと言い出したのには仰天したけどそもそも考えるに私が間借りしているここって元々はステイルと神裂がインデックスを奪取しに来る際にアジトにしていた場所だから納得だった、寧ろよく考えればちゃっかりそこを使っている私に驚いた。
「でも食事当番は神裂だし」
「買い出しに行かないといけませんね、この都市は物価がバカ高いので」
「あの幻想郷直通箪笥は私が焼いちゃったしなぁ、残っていても使えるか……」
「なにか?」
「なんにも」
私の部屋にあったあれは多分あの大火災で焼失しちゃっただろうし、残っていてもあの場所に戻る事は盗人猛々しいようななんと言うか……良心が痛む。
幸いなことに屋台は引張って来たから夜毎に焼鳥屋を練り歩かせているのでまあ、お金は稼げているけれどね。一応人気店と呼ばれるまでになったみたいだけどその所為でいろいろ問題もある訳で。
ともかく、神裂が持参してきたお金もあるから物価の高い学園都市でも十分やってはいけるので細かい事を気にしなくても良いと割り切っちゃっていた。
私は勿論神裂だって独り暮らしスキルは身についているから不満もないし不便も無いと言うより気楽に役割分担も出来るし、恙なく日々を暮せているし。
「同棲みたいだねぇ」
「同棲ですけどね」
「いやそうだけどさ」
「ルームシェアなんて外国ではよくありますよ」
「私は純日本人だよ、海なんて渡った事はない」
「古いですね」
「そりゃ歴史の生き証人と自称できるぐらいには生きてるから」
「そう言えば私よりも遥かに年上でした、時々忘れます」
「いいんじゃないかな、長く生きてるってだけだから敬われる筋合いもないし」
何か大きなことを成し遂げたわけでも無し、子供や孫や子孫が居る訳でも無し。
ただ復讐心の為だけに今の今まで生き永らえる羽目になった碌でなしが私であって、そう考えるとやっぱり正真正銘の親泣かせなんだろうさ。
長い歴史の中で何をやってたかってただ殺したり燃やしたり呆然と過ごしたり破壊して回ったり……あれ、なんだか泣けてきたぞ。
「畜生、それもこれも全て輝夜が悪い」
「どうします? 偶には外食でもしに行きますか?」
「いいけど、どこさ」
「適当なファーストフード店」
「若いうちからそんなの食べてたらいけないぞ」
「体は丈夫ですし鍛え方が違うので」
「ならいいや」
私は煙草も酒も害がないし、健康なんて知ったこっちゃない体だから。
まあ慧音の前で吸ったら露骨に嫌な顔をされるから吸ってないけれども、そもそも煙草の依存症も無いから吸う意味も無いけれど、じゃあどうして吸ったり飲んだりしてるかってそりゃ格好つけたいからに決まっているさ。
それにしてもファーストフードなんてものは食べた事も興味も無かったけれど割かし面白い、あんなにゴミゴミとしたもののどこが美味しいのか疑問だったけどそれが新鮮だった。
慧音曰く「妹紅は料理に関して妥協しないな」とか言うけどさ、永く生きていれば食に対して貪欲になるんだって。蓬莱人生活をし始めて一番苦しかったのはお風呂じゃなく美味しいものが食べられなくなったからだし。
そう言ったら慧音も神裂も同じ様に「あの時代の食文化はそんなに発展してたかな?」と言ってたけど私は一応元貴族の娘だから、そう考えると今でも心の底では最初の私が生きていると思えて不思議な気分になる。
それにしてもこの学園都市は凄いもんだ。
なんたって新聞が、それもどこぞの烏天狗みたいな不定期じゃなくきちんと毎朝発刊されているぐらいだから大したもんだ。
定期で新聞を出せるって事はそれだけ毎日毎日飽きもせず何らかのイベントなり事件なり紙面を賑わす出来事が起こっていると言う事で、そう思うと改めてこの都市の異様さと過密さに眩暈がする。
「しかしにゃー、流石にこないだの騒動は乗ってないみたいね」
「上の方も全力で隠蔽したいみたいですから、魔術サイドと科学サイドなんて表面上はノータッチノーコメントでいきたいみたいですし……今は」
「今は、ねえ」
「お互い腹の内で何を考えているかなんて想像するだけで眩暈がしますよ」
しかし、学園都市の闇は私が思っていたよりずっと深い様子だった。
確かあそこは外界においてそれなりに大手の塾であるみたいだし、そこの生徒がいきなり死滅したとなったらもうこりゃ大事件ものだ。烏天狗なんて涎を垂らしながら群れを成してやってくるだろう、なんだか死体に群がる鴉の群集が見えた気がする。
だがどの新聞もそれについて一言も触れていない、触れられていないのか――つまりは事件後と丸々隠蔽されたのか、何らかの情報統制が作用しているのか。
そのどちらかは分からないしもっとやばいものがあったのかは知らないけれど、大学の研究成果や能力者についてのコラムの隙間にあの凄惨な現場の血の香りがちょっとでも香ってこないのは随分といただけない。
「綺麗だ、綺麗過ぎる」
「英国のゴシップ紙と比べればまるで児童新聞ですよ」
「文々。新聞と比べたらもう新品の雑巾だねこりゃ」
だからと言ってつまらないから見ないと言う訳でもないしそれについて追及しようだとかそんな事を思ったりもしないけど、小奇麗な内容からどす黒い情報統制がうかがい知れることはなんとなく面白い。
パタンと適当に買ってきた新聞を折りたたむと準備を終えたらしい神裂が財布の中身を確認しながら憮然とした顔でこちらを見ていた。
「なにさ、私の顔になんかついてる?」
「いえ、意外と妹紅は所帯じみてるなと……」
「神裂より独り暮らしの期間は長いんだ、それに精神はもう子供じゃいられないから」
「なるほど」
扉を開けば相変わらず夏の日差しはまっすぐでどうにも眉を顰めたくなる、凍死とか餓死とかで命の危機と隣り合わせの冬よりかは平気だけど夏も十分厳しい。
昔と比べてこの夏の暑さときたらもうない、下手をすると数分外で歩いていただけでへとへとになっちゃいそうになる。川遊びをしていたら十分涼しくなれた昔が懐かしいよ、ここは山もないし川も無いからもの寂しいしね。
「それじゃ行こうか、どこか目星付けてるの?」
「一度バニラシェークたるものを飲んでみたかったんですよね」
「肉とか無いのかな」
「ないです」
■
[Side:聖人]
私には時折、この蓬莱人が外見相応の子供に見える事がある。
「……あっつぅ……」
「うんざりしますね、どうにも」
「神裂が影になればいいんだよ、でかいし」
「どこを見ながら言ってるんですか」
例えば私を盾に灼熱の風からどうにか逃れようと画策するその姿、例えば私達の住居でぐでっとしたままこちらを見る眼差し、例えば美味しい料理を食べた時の表情、野蛮そうだがよく見れば細部に隠しきれない気品の漂うその仕草。
雰囲気もなにもかも、あの時ダミーと壮絶な笑顔を浮かべながら肉弾戦を敢行していた彼女と、あの夜私を完膚なきまでに叩きのめした彼女と、別物で。
まあ、だからと言ってどうという事は無いけれど。
時折本当に彼女が私の監視対象なのか分からなくなることはあるけれど、スキルアウトたる不良に絡まれている女子生徒を助けるために壁走りしたり屋根の上を音も無く走り回ったりするのを隣で見ていればやはり彼女は人間でないと再確認する。
まあ当然私もついていくけれど、この前金髪の女性がそんな我々を見た時歓喜の表情を浮かべたまま指差して「ニンジャ! ジャパニーズニンジャ! ハラキリ! セップク!」と言っていた、よくよく考えれば我々どう頑張っても一般人には見えないし思いっきり目立つ。
「神裂、買い出し先にする?」
「バニラシェークが先です」
「でも楽しみはとっておいた方がいいって」
「気力を回復するためにも必要なんです」
「……鯛焼きを食べる時は?」
「頭」
「尻尾でしょ」
「断固頭です」
「尻尾だって」
しかし、任務を完璧に放置しているとか色々大事なこともそこらへんに置いておけば彼女は、藤原妹紅と過ごす日々は私にとっては素晴らしく有意義で愉快なものになっている。
初対面はあれだったが寝食を共にしていても不快ではなかったし、意外な事に彼女は人間不信どころか人懐っこい性格だった。
それは決して信用しやすいとか迂闊だとか油断があるとかではなく、甘いように見せて強かで老獪な部分はあったが私としては甘いだけの人間よりも好感が持てる。
最初に会った時からわかっていた事ではあるが彼女との話は面白い、恐らく彼女は生来の聞き上手であったし、永い生涯での豊富な武勇伝は寝物語には丁度良かった。
改めて考えると、彼女と言う存在は自分の中で大きなものとなっていた。
立場や役割、聖人としての力が邪魔してこれと言った友と呼べる人物が少なかった私にとって藤原妹紅は様々な意味で対等に立てる存在。
彼女は聖人を打ち負かし、人でありながら人を超越し、千年も生きては未だ理性を保ち、あらゆる組織の干渉を跳ね退けるだけの実力を有する蓬莱人だ。
「神裂の服装って日焼けが心配よ」
「これは魔術的に重要なんです」
「ふぅん、でも今は魔術を使う予定も無いと思うけど」
「いざという時に必要なんですよ、ええ」
「そーゆーもんなのか」
「そういうもんなんです」
けれども、こうして二人並んで夏の日差しの下を歩いている日々は、私に出来たちょっと強すぎる友人と話しながら過ごす日々は。
多分、永い時間の元で彼女の記憶からなくなってしまったとしても私は忘れないだろう。
そうであって欲しいと、高い空を眺めながら少し笑った。