とある不死の発火能力   作:カレータルト

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ロマンス要素多め


人としての

 錬金術師アウレオルス=イザード……の、偽物である“それ”は藤原妹紅と言う存在が一体何であるかさっぱりと、これっぽっちも、一片として知らなかった。たった今「殺す、絶対に殺す」と宣言したそれがこれ以上なく皮肉な事に、この世の何よりも冥府に遠い存在である事をオリジナルのイザードからは伝えられていなかったのだ。

 

 それは、オリジナル自体が藤原妹紅を知らなかったからかもしれない。大昔の御伽噺の事なぞ記憶にするにも適さないと認識したのかもしれないし第一そんな存在が今まさに学園都市内に居る事なんて、そして自分の領土に侵入――もとい侵攻してくるしてくるなんて夢にも思わなかったのかもしれない。

 

 あるいは、あらゆる意味で知っていたとしても、そして認識していたとしてもそれを自分の偽物に伝える意味は無いと思ったのかもしれない。元より錬金術の深意すらも把握していないコピーだ、これはただ侵入者をその鏃で射抜く為だけに存在しているガーディアンに過ぎない。適当な時が来たら処理するだけ――それが自分の手によるものとしても、それが他の絶対的な力によるものだとしても同じ事なのだろう。

 

 

「殺してやる、貴様の肉一辺残らず錬成し直してやるッ!」

 

 

 知らないからこそ、何一つとして知ろうとしないからこそ立ち上がり気焔を吐ける。傍から見れば彼の後姿こそ、それはそれは勇ましいものに見えるのだろう、自らの神に背く蛮族を討滅するための聖騎士に等しく見えるのだろう。

 

 

「愚かだ、ああ愚かだ――白痴の勇者よ、お前は誰よりも愚鈍だ」

 

 

 誰かの口から、言葉が紡がれる。

 

 この世の何よりも上に挿げられる法がある、それは人だけではなく何事も縛る法だ、全ての動物どころか植物まで、その頭の頂点から爪先まで縛り付ける、そして地球どころかこの宇宙全てに有効な正真正銘の世界の法。

 

 

「無知は、罪だ」

 

 

 無知はそれだけでも罪なのだ、忘却は法を忘れることで、知ろうともしない行為は万死に値する重罪だ。無知による勇気なぞ蛮勇に他ならず、愚かなる勇者が貫く威勢は即ち虚勢にしかならないのだから。この場において誰よりも勇ましい彼は、それと同じくこの場において誰よりも貧弱で貧相で、震える小鹿と同じ程度の力しか持っていなかった。

 

 それが元より知識として与えていなかろうと、覚える事が出来なかろうと、法の上において罰を与えられるべきはこの憐れな偽物だと言う事に気付いていないのは当の本人だけだった。

 

 

 少しでも知っていれば直ちに退却していただろう、例え自暴自棄になっていようとも背中を向けて逃げ出していた事だろう。それほどまでにイザードの偽物と藤原妹紅の実力は天と地ほどに掛け離れていたのだから、勝ち目のない相手に立ち向かう利点なぞない。逃げた先に何があろうともそう――自分に知りたくなかった現実を突き刺したあの炎の魔術師が居ようと、逃げなかった事で彼の極刑は確定したのだ。

 

 

「くそっ、くそっ! なぜ当たらん!?」

 

 

 そうこうしている間にも時は流れて勝負は進む、そこにあったのはあまりにも一方的な展開だった。偽物は黄金の鏃を投げる、まるで狂ったように次々と、何本も何本も錬成した必殺の鏃を目にもとまらぬ速度で放ってゆく。

 

 だがそんな横っ飛びの雨の中を、まるで散歩をしているかの如く紅白はゆらりゆらりと歩を一歩づつ詰めていく。当りそうになれば躱し、鎖を叩いて、死ぬ事すらせずに欠伸でも殺しているかのような怠慢さで、ゆらりゆらりと歩を進める。

 

 当たれば、それが例えば自覚できない程薄らかすめただけでも肉体ごと黄金へと錬成してしまう生身を持つもの全てに特効を持つ術式。例えそれが不死の魂を持っていようと肉体は違う、ある意味では最強最悪の鏃を溜め無しで制限なく投げ続ける事の出来る彼はその小物臭とは裏腹に紛れもない強さを持っているのだろう――ただ、致命的な程相手が悪いだけで。

 

 

「遅い」

 

 

 彼女は、強い

 藤原妹紅は、強い

 

 

「蠅の方がもっと速いよ」

 

 

 例え不死でなくなろうと

 例え術が使えなくなろうと

 彼女は強い

 

 

「動きも直線的だ」

 

 

 彼女の肉体は脆い、並の人間よりも遥かに脆い

 それは彼女の肉体だけはただの人間で、しかも元箱入りのお姫様だったからだ

 体格は華奢で、背も小さくて力瘤はどこにもない

 

 だが――それを補っても余りある程、彼女には“経験”と言う武器があった

 千年以上の間、それも人ではなく強力な妖魔と戦い続けてきた経験があった

 鍛えられた経験は勘となり、強力な五感となり、全てが戦闘能力へ変換される

 

 

「的も目視できる程大きい、鎖で軌道が分かる」

 

 

 そして今も、日常となった弾幕勝負で鍛えられた“目”があった

 

 物量戦と言わんばかりに銃弾の如く放たれる弾幕は、その殆どをほぼ動かぬままにいなす事が出来る。3Way弾どころか全てが自機狙い弾、当れば駄目ならば当たらなければいいだけの話、その程度慣れ親しんだスペルカードルールで文字通り“死ぬ程”やっている。

 

 しかもこの程度の密度にはチョン避けすら必要ない、時折ワザと当たりにいってはすんでのところでひょいと躱し、伸びる鎖でシャドーボクシングすら始める始末、時折欠伸すら漏らす程。こうなれば最早どれだけ憤怒の炎を燃やそうとも関係は無い、そこにあるのは一方的な、蹂躙とも思える程の“遊び”だった。

 

 

「ただ投げるだけ、脳筋だね」

「じゃらじゃらって音だけが五月蠅いんだけど」

「もうちょっとほら、頑張って」

「当たっちゃうよぉ、ほらほら――あぁ、惜しかったね」

 

 

「貴様ッ! 許さんッ――許さんッ!!! うおぉぉぉっ!」

 

 

 煽れば煽る程面白い様に引っ掛かる、どれ程勇ましい叫び声を上げようとも失笑しか誘わぬと言うのに。それでも勇者には戦うしか選択肢がないのだ、目の前の敵を倒すことしか考えられぬのだ、こうなってくると憐憫を通り越して味方であるはずの妹紅に敵対心すら湧いてくるだろう。

 

 事実、この戦いを後ろから監視している神裂は初めこそ憐れなものを見る目付きで偽物を見ていたが今となっては妹紅が戯れるように鏃を躱すのを見て眉を顰めていた。彼女にとっては面白くない展開と言うのもあるが、それ以上にこれ以上あの憐れな偽物をいたぶってくれるなと思う所も当然あるのだから。

 

 

「くそっ、くそ――はっ、はーっ…はーっ……!」

 

 

 憤怒の炎は燃える、しかし燃えるからには空気が必要だ。あまりにも勢いよく炎を出していれば酸素があっという間に消滅する、酸素がなくなれば当然炎は勢いを落とし、やがて消える。

 

ものの数分としない内にあれだけ血気盛んだった彼は息を荒げて膝を落としてしまった、最早勝負はついたのだ。彼に出来る事と言えばもうすぐ近くまで、呼吸の音もはっきりと聞こえてしまうほどに近寄った彼女の靴を見る事だけ、顔を上げる気力すら残っていない。

 

勝負は決した、静かな廊下には響くのは全てを燃やし尽くした偽イザードの呼吸音のみ。息絶え絶えといった片方と、まだ準備運動すら終わっていない様子の片方。誰がどう見ても勝負は決している、もう反撃の余地は残されていない。

 

 

「……何故だ」

 

 

 だが、動かない

 

 

「何故、貴様は動かん」

 

 

 藤原妹紅はそれっきり動かない

 

 

「なぜだ!」

 

 

 彼女は、ただそこに立っていた

 立ったまま、もう動けない男を見下していた

 只々黙って、まるで煙草でも吸い出しそうな程暇そうに、見下していた

 

 その事すら理解出来ぬ鈍感さを持っている者はここには誰一人としていない、そしてそんな態度を取られて怒らぬ者も居ない。倒れ伏して動けぬまま、それでも犬歯を剥き出しにして、敵意で人が殺せそうな程の眼力で勝者を睨みつける敗者にふと、視線が交差する。

 

 

「あんたは、何者だ?」

「は?」

「あんたは誰だ――いや、なんだ?」

「意味が分からんぞ、どういう事だ……なぜ今それを聞く!」

 

 

 まるで天気の話をするかのごとくぼんやりとそう切り出した彼女の意図を誰も汲むことが出来ない。最早この場は藤原妹紅ただ一人の独壇場だ、彼女の言葉に誰もが引き寄せられる、意味が分からないが聞き入らざるを得ない。

 

 

「弱い」

 

 

 ただ一言、吐き捨てるように言い放った。

 

 

「なんだそれは、ただ殺す殺すばっかり言って殺す気の毛頭たりとも感じない攻撃をしやがって、刃物を投げただけで人が殺せるかよ、睨みつけただけで人が殺せるかよ、今のお前は偽物だ、“偽物”って言葉自体に縛られている、“偽物”に怯えて戸惑っている、ぶるぶると震えて自信の持てない、生白い顔をしたもやしっ子だ」

「なっ……!?」

「お前に人は殺せないよ、その程度の存在に人は殺せない――殺せてなるものかよ。今までお前が殺せてきたのはお前にとって“ごみ”みたいな存在だからだ、“ごみ”はごみ箱に、塵は掃いて捨てる、当たり前の常識をするのにはなんの躊躇いも無いだろう。老若男女関係なく出来て当たり前の事をさも『自分が強い証明』と勘違いして自慢してる事と同じだ」

 

 

 だからと

 

 一呼吸おいて彼女は本当に、心の底から馬鹿にした顔で吐き捨てた。

 

 

「お前には『価値が無い』、私が殺してやるだけの価値が一銭たりとも無い。お前はごみだ、お前がごみだと思って処理してやった奴ら以下だ、比べる事すら烏滸がましい、ごみと掃き捨ててやることすら汚らわしい奴だ」

「――――ッ!!」

「死んじまえ、どうせその傷だったら私が手を下すまでもなく死ぬ、あっさりと虫の様に死ぬ。悶え苦しもうと怒り狂おうと私には全然怖くないんだよ、だってお前はガキだからだ、いくら子供が喚こうと怖くなんてあるものかよ、危機感を抱くもんか――だからお前は、ただここで誰にも同情もされず死ね!」

 

 

 そこまで来てこの異常な場の空気に立ち眩んでいた誰もが初めて気付いた、ちりちりとまるでオーブンの中に居る様に身を焼く熱に。それは全てこの場の中心から流れていた、ぎりぎりと歯軋りして、体から発される熱で髪を巻き上げて、親の仇が如く敗者を睨み見下す彼女は今誰の目から見ても分からない程“怒っていた”。

 

 聖人は心の底から身震いする、彼女はあの不死人がここまで怒ったところを見た事は愚か想像する事すら出来ていなかった。いつも飄々として、時折物憂げに佇む彼女がまさかこれ程の熱を持っていようとは想定すら出来ていなかった。

 

 偽物は見てわかる程に怯え恐れる。目の前の存在が、今まで怒りに我を忘れていたせいで注視してすらいなかったその存在の脅威に今更ながら気付いたのだから。

 

 

「狂っている――っ」

 

 

 狂気とすら思えない怒気、それに比例するかの如く上昇していく熱はやがて暖かいを通り越し、熱いを通り越し、痛覚へと直接訴える程になってゆく。彼は初めて死を見たのだ、正気では直視できない死神が今そこに顕現していた。

 

 

(ああそうか、あれが死か、あれが私の死か――くく、まるで人の形をしているじゃないか)

 

 

 あまりにも避けがたい死を見てしまった彼は、全てが抜け落ちた表情でただ力無く笑った。どうせそれに焼かれまいと自分の死は目前にあった、意識が闇に溶けていくのが自覚できる、目に焼き付く様な灼熱だけが認識できて――

 

 

 

 

 

 やがて、それが薄らと引いていく

 

 

 

 

 

(――――なんだ?)

 

 

 潮が引く様に熱が急速に引いてゆく、目を潰さんばかりの赤々とした光が力を失ってゆく。訳が分からぬまま再びイザードの偽物は目を開く、そこでようやく彼はまだ自分が生きている事を自覚した。生きて、廊下に横たわったまま彼は先程まで怒り狂っていた彼女を見つけた。

 

 

 彼女はもう怒っていなかった

 見下している訳でも、悲しんでいる訳でも無かった

 ただ妹紅は、自分が打ち負かした相手の瞳を見つめていた

 

 

「少年、君は自分が一体誰だか考えてみたかい?」

 

 

 再び、先程と同じ事を問う。

 

 けれどもその口調は柔らかく諭す様で、馬鹿にしているとも取れるのだろうが不思議と敵意を持つことは出来なかった。それは今さっきの恐怖によって無駄なプライドが残らず燃えてしまったからかもしれない、だからこそ彼は今再び自分について考える余裕がその隙間に生まれた事を知った。

 

 

「私は――――誰だ?」

 

 

 考えてみて、愕然とする

 自分は思っていた以上に何者でも無かった

 

 

(私は……私の、偽物)

 

 

 作られた存在、先程突き付けられた生涯唯一にして最大の衝撃

 自分が偽物であるという認めがたい事実が正解なのだろう

 だが彼はなんと言うか、そこに至って不思議な気分に浸っている事を自覚した

 

 

(認めたくないんじゃない――だが私はそうじゃない、そうじゃないんだ)

 

 

 もやもやとする、腑に落ちない、どこか偽物だと結論付けるには心が落ち着かない。何かが違う、ピースが嵌らない、納得がいかない、正解の筈である完成された絵にどうしようもない違和感を覚える。

自分が偽物だと認めたくないからそう思っている――そう考察してから改めて否定した、それも違うと、そうではないと。

 

 

「私は、私は――――私は!」

 

 

 まるであてのない旅のよう、目的地も方位も分からぬまま延々と続く砂漠を歩く様な途方に暮れる感覚。あーだこーだと唸りながら頭を抱える彼はどうしようもなく滑稽に見えて仕方ないのだろうが、それを笑う者は誰一人としていなかった。妹紅はただ彼をじっと見つめていたし、後ろにいる神裂もやはり二人の行く末を見据えていた。

 

 

 

「私は」

 

(なんだ)

 

「私は……」

 

(これは、なんだ)

 

「私、は」

 

(訳が分からん)

 

「私」

 

(この世の何よりも難しい問題を投げられた気分だ)

 

「私――分からぬ」

 

(ああ、くそ)

 

「私は――!」

 

(さっぱりと分からぬ)

 

「………っ」

 

(ああ、もう)

 

「私は――――」

 

 

 

 

 

 

 

「私は――俺だ」

 

(どうでも、いい)

 

 

 

 

 

 

 

 ぱちりと、確かにピースが嵌る音がした

 

 

「私は、俺?」

 

「俺は――くく、はははっ」

 

「そうか、そういう事か!」

 

「俺は俺だ、なんと簡単な話だった!」

 

 

 心の底から楽しそうに、倒れ伏した彼は笑う。

 豪快に、まるで肩の荷が全て取れたかのような快活さで、ただ満面の笑みを浮かべた

 

 最早指先一つ動かす力すら残っていなかったであろう彼は、さも当然の如く片膝をついてむくりと起きあがる。その姿に先程までの危うさも狂気も、弱さも迷いも欠片たりとも見出す事は出来ない。一体なにが起こったのかは当事者以外には理解することは到底できないだろうし、本人すらも自分になにが起こったかなんて理解していないのだろう。

 

 否、理解しなくても良いのだ――理解する前に了解しているのだから。

 

 

「私はオリジナルのアウレオルス=イザードが作り上げたダミーだ、オリジナルの記憶の欠片とオリジナルの力の欠片しか持たされぬ代替品だ。半端な知識しか持たされていないし力の使い方も、錬金術がなんたるかすら教えられていない、挙句他人にそれを突きつけられて気付く愚か者だ。そして死にかけている、最早一時間すらも求める事が出来んだろう――」

 

 

 我ながら絶望的だと、笑いながら息を吸って

 

 

 

 

 

 

「だからどうしたっ!!」

 

 

 

 

 

 

 男は、吠えた

 

 

「それがどうした、確かにダミーなのだろう、確かに死にかけているのだろう、確かに半端な生き物でしかないのだろう、“だからどうした”! 俺は俺だ! 他の誰でも無い、何者でもない! もう俺には他の誰である必要はない! 名前なんてどうだっていい、どうやって生まれたかなんて考えなくても良い、そんな面倒なことを考えずとも答えはここにあったじゃないか……っ!」

 

 

 噛み締めるように、目をかっと見開いたままそう叫び終えた彼はただ、腹の底から毀れるようにくつくつとした笑みを零す。対面を見た彼はそこにいる敵がとても、とてもとても、堪らなく嬉しくて堪らないとばかりに犬歯を剥き出しにして笑う彼女を見て微笑んだ。

 

 両手を打ち合わせてぱんっ、ぱんっと何度も拍手を鳴らすのは誰だろうか。

 

 

「愉快だ、こんなに愉快なのは生まれて初めてだ」

「嬉しいね、なんて今日は良い日だ……カラッとした晴天よりも百億倍気分が良い」

「お前の名前を聞かせてくれないだろうか、改めてその口から聞きたい」

「私は藤原妹紅だ、そして私の前に居るのは間違いなくアウレオルス=イザードだ」

「そう言うのならそうなのだろう……俺は今、確固とした答えを見つけたぞ藤原妹紅!」

 

 

 だからと今再び彼は鏃を構えた、再び彼の敵を討ち果たそうと立ち上がった。

 

 だがそれは使命感ではない、植え付けられた命令でもない。本能ではなく理性を持って戦いたいと、「この目の前にいる敵と戦いたい」と強烈に感じたから。訳の分からぬ内に逃げる事を知らなかった彼は今、逃げる事を放棄した目でただ真っ直ぐに彼の倒すべき敵を見ていた。

 

 

「決闘だ、俺にはそれが必要だ」

「私にも必要だ、今ここであんたを殺すに相応しい場所が必要だ」

「ではどうする、勝負は一発と相場が決まっている」

「五歩歩こう、お互い背を向けて五歩――カウボーイはお嫌い?」

「男は格好良さに惹かれる物だがいいのか? 我がリメン=マグナに有利になるだけだぞ」

「なに、強者の誉れだよ」

「ハ――言ってくれる」

 

 

 最早言葉は不要なのだ、彼と彼女はお互いに背を合わせる、2mの長身の男と15歳ほどの少女は確かにお互いの心臓が鳴る音を聞いた気がした。

 

 

「一歩」

 

 

 神裂はその様子を、瞬き一つしないまま見つめている。

 邪魔立てなんてする訳がないし、それにこの場にいる誰もがこの空気に飲まれていたのだから。

 

 

「Two」

 

 

 歩くと言うには些かびっこを引くようなそれであったが問題は無いだろう、ただ歩ければいい、振り向ければいい、彼自身の持てる唯一のカードを切れればいい。彼はそれが出来る事がこの世に生まれた最上の喜びであると感じていた。

 

 

「三歩」

 

 

 口の端に浮かぶ笑みを堪えるのに精一杯だった、この場に笑顔は似合わない。獲物を前に舌舐めずりは例えそれが勝利を確信したそれでなくても三流のやる事であるし、覚悟の形を見せた彼に三流である己を見せるのはこれ以上の無い侮辱だから。

 

 

「Four」

 

 

 ここまでくればもう現世とは遠い。

 世界にはただ二人しかいない、自分と、自分が打ち倒すべき愛おしい怨敵がそこに居る。

 それで十分だ、それだけで十分だから。

 

 最後の一歩は躊躇う様に、恐る恐るとゆっくり右足を出して――

 

 

 

 

 

 

『『Fire!!!』』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 彼が一体何者であったのか、私は今も良く分かっていない。

 

ただ彼自身が自分の事を『錬金術師』と名乗ったので、私は時折彼を『錬金術師のおじさん』と呼んでいた。失礼な言葉かもしれないけれど彼はそう呼ばれても頭を掻くだけで怒りもしなかったし、お兄さんと呼ぶには年老いていて、おじいさんと呼ぶのには若すぎた。

 

 

「目的の無い人生は、虚しいものだ」

「目的? 私の目的は輝夜をぶっ殺す事だけど」

「それも十分な目的だがね、もうちょっと建設的な目的の方が健康的だとは思うよ」

 

 

 ま、それでも良かろうと彼は茶を濁す。その仕草もなんと言うか紳士っぽくて、どこか遠い海の向こうからやってきたような気品が漂っていた、それと同時に妙な――どこか世界と噛み合っていないような違和感も覚えたけれど。

 

 

「人は目的が合って生まれてくる者ではない、けれど人には目的が必要だ」

「それが叶わないものであっても?」

「叶わないものであっても、それを目的と認識できれば」

「でも、目的なんて大抵達成しちゃうものよね」

「達成できなければ目的ではないとは言わないが、目的は達成するものだね」

「でも、達成しちゃったら目的ではなくなっちゃうんじゃないの?」

「その時は新しい目的を見つけるのさ、それがなんであろうと」

「キリがないわね、死ぬまでそうやって目的を見つけ続けるのかしら」

「さあどうだろうね、ただ……そう、例えば人にとって『生涯の目的』があったとしたら。それを成す為に生を受けた目的があらかじめ設定されていたのだとしたら」

 

 

 そうだねと、言葉を味わうように彼は少しだけ考えこんで、笑った。

 

 

「その時人は、本当に満足して死んでいくのだろうね」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 凄まじい量の黄金が接近する、ただ一点をめがけて全方位から壁のような鏃が意志を持ったように蛇行して、うねり、一直線に収束して。その内に白が見いだせない程に光り輝いた、流石の神裂も腕で目を覆う事で逃れるが妹紅が一体どうなったかは判別できなくなってしまう。

 

 そして――勝負は一瞬で決着がつく、お互いに全てを掛けた一撃を受けるには肉体があまりにも脆すぎるのだから。必ず殺すのが必殺なのだ、お互いに必殺の一撃を放ちあったのだから。痛みすら伴う輝きはやがて収まり、消えて――

 

 

「――――が……ぁっ……!」

 

 

 肺に溜まっていた空気を一気に吐き出しながら膝をついたのは、イザードだった。背中からは真っ赤な”ナニカ”が生えて、腹から体を貫通したその一撃が致命傷であり決定打となったのは誰の目に見ても明らかなことだろう。

 

 ずるり、ずるると体勢が変わる事によって身の毛もよだつ様な痛々しい音と共に引き抜かれるとその正体が明らかになる。それは妹紅の腕だった、あの黄金を越えた藤原妹紅の手刀は寸分たがわずイザードの腹をぶち抜いたのだろう。内臓ごと抉り取る様に一撃、まさに必殺の一撃がイザードの体を貫通したのだ。

 

 彼女の持つ火炎の力を使えば鏃なぞすべて吹き飛ばしてしまえただろうに、あっという間に勝負がついただろうに。だがそれは勿体ない、この上なく勿体ない――彼女は自分の手で決着をつけることを望んだのだ、手抜きなぞ認められる筈がないのだから。

 

 

「お前の、勝ちだな……藤原」

「私の勝ちだ、負けてなんかやるものか」

「は、はは……良い気分だ、負けたのにとても――良い気分だ……」

 

 

 腕を引き抜く時も痛みすら見せない程、最早何もかもが手遅れなのだろう。だが彼はこの上なく満足しきった笑みを浮かべていた。妹紅は昔自分が言われた事をなんとなく、本当になんの前触れもなく思い出して、一つ頷く。

 

 ――人それぞれに決められた目的があったとしたら、それを成し終えた時にこれ以上ない充足感と共に彼らは死んでゆくのだろうね。

 

 

(……なるほど)

 

 

 イザードは、どこか納得したような面差しの妹紅を見つめていた。偽物であるイザードを殺し、そして今再び自分を殺した少女を見て――ふと気付く。自分は外見だけを見て年相応だとばかり思っていたが、随分と落ち着き払っていると。

 

 ただの少女にしては殺しに慣れ過ぎる

 ただの人殺しにしては優しすぎる

 ただの人間にしては達観し過ぎている

 

 そう、まるで千年の時を経た老樹の様な――――

 

 

「……なるほど、お前はそうか、お前はそのような存在なのだな」

「なにさ、一体」

「どうりで歳不相応の気配を感じる訳だ、どうりで人にしては人間離れをしている訳だ」

 

 

 彼は、藤原妹紅について何も知らなかった。

 だが今気づいたのだ、目の前にいるのは人にして人の埒外へと進んだものだと。

 その瞳はまるで穏やかな森の様、何千年も人の立ち入らぬ大樹の森だった。

 

 彼は、最後の最後に彼女の本質に触れたのだ。

 

 

「俺の最後がお前でよかった、藤原妹紅」

「そうかい、イザード」

「願わくば再びお前に会う時は、人間でありたいものだな」

「そいつぁ……ちょっと間違いだね」

「間違い?」

 

 

 なにを間違えたのだと、死に賭けにしてはやけに楽しそうなイザードは白い少女を見上げる。まるで絵から飛び出したような少女はただ目を瞑ってとんと、彼の胸元に左手を当てた。まるで確かめるように、もう一度とんとんと撫でて。

 

 

「お前は間違いなく人間だよ、イザード」

 

 

 ただ、それだけ

 それだけで、彼は救われたのだ

 

 

「そうか、私は人間か」

「どこからどう見たって、人間さ」

 

 

 人間、人間か、ぶつぶつと呟くその声も次第にか細くなり始める。

 

 立ち上がった事すら奇跡だと言うのに、最早何もかもを燃やし尽くした火はただ消えるのみだった。感情も意識も自己も命もなにもかもを薪としてくべてしまったが、その代わりに得たものはそのどれよりも大きかった。

 

 それはまさに魔法、錬金術よりも偉大な変換なのだろう。

 

 辿り着いたその境地を、その風景を覚えている内に自分を消してくれと、最早言葉も漏らせぬ少年は目で頼んだ。少女はただ何も言わずこくりと頷き、その瞳を見つめ合い、最後の言葉をその口の動きのみで、一字一句として間違えぬよう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(さらばだ化物よ――ありがとう)

 

「さようなら人間……もうおやすみ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その瞬間、廊下が眩く輝いた。

 

 圧倒的な熱と吹き荒れる突風、そして灼熱が黄金の水たまりに反射して煌めく。

 

 消し炭すら残さぬ弔いの炎はやがて、何も残さぬまま消えていった。

 


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