でも
文調が
その瞬間、俺は死んだと思った。
あのムカつく魔術師に囮として連れてこられたことを宣告された後階段から突き落された時もそうだったし、その後で自分でもよく対応できたと思う程の攻撃を受けていた時も冷や汗がだくだくだった。やっぱりあいつは後で一発ぶん殴っておかなきゃ気が済まない、絶対魔術師なんて悪い奴だ。
でも、そんな事もこの一瞬にとってすればお世辞みたいなものだ。
巫女さん――“吸血殺し”である姫神を見つけた後瀕死の子を助けて、ようやく出会えたことが嬉しくて、女の子も心配ないぐらい完璧な処置をされて……これ以上ないぐらい順調だったから安心してたんだ、気を抜いていたんだ。
「くそ、くそっ! 断然、何だこの重さは。たかが材料の癖に足を引っ張るとは……。くく、足、か。足を引っ張ると来たかアウレオルス=イザード! 今のお前に引っ張る足も無いだろうに!あは、あはは。どいつもこいつもそいつもあいつも馬鹿にしおってからに、必然全て溶かし尽くしてくれる……っ!!」
そこに居たのは、只々“おぞましい”としか言いようのしれない容貌をした男だった。左手と左足を切断され、歪な義手義足をつけてまで生き延びている男。激痛をものともしない様にありとあらゆる憎悪を大音量で放出しながら、まるで儀式の供物のように生徒“だったもの”を引き摺りながら近寄ってくる男。
「う……っ」
「は、何だこれは? なぜ『ここ』に居る少年? 『こちら』に居るべきは魔術師のみだろう? 貴様も侵入者か、それともあの炎の顔見知りか?」
炎――ステイルの知り合いか、確かに知り合いではあるけどそれは『前』の俺の話であって『今』の俺にとっては全然知らない存在だった。けれども錯乱しているらしいそいつはその言葉すら聞かずに支離滅裂な事を言い出して、姫神がただ一言「かわいそう」と言って、逆上して――。
人の形が崩れて溶ける
幾数多が金色に染まる
ぼろぼろと、金色の鏃に貫かれた人の形が崩れて高温の金色へと変わってしまった。生きていたかもしれないのに、まだあの子と同じ様に助けられたかもしれないのに、それなのに何の躊躇いもなく――っ!!
「なっ……テメェ! 自分が何やったか分かってんのか!?」
「当。然――絶命!」
勝てないのかもしれない、俺の右手は“能力”という幻想を打ち砕けても“物体”という現実は打ち砕けない。鏃は右手に充てることが出来れば砕けるけれどもその度に痛みと共に傷が入る、カッターナイフすら相手できないちっぽけな能力。それでも相手の戦意を崩せればよかったんだ、そうしたら勝機はあったのに
「はは、あはは! なんという愉快な人体だ、魔力喰いの呪いでも無ければロンギヌスを装備している訳でもあるまいに。ただ素の手のみで我がリメン=マグナを砕くときたか!」
勝てないかもしれない
だけど、俺は許すわけにはいかなかったんだ。
だって……だってそうだろう、こんなことあっちゃいけないんだ、許しちゃいけないんだ。人をまるでゴミの様に殺すこいつを俺は許しちゃおけなかった、許すわけにはいかなかった、例え俺の命に代えてでも――
「手前を―――――!」
その瞬間
「ふぁいとぉー」
気の抜けた声が響いて、白が俺達の後ろから飛んできた。
「いっぱぁーっ!」
時が止まった様に呆気にとられ固まっていた俺と姫神を置き去りに、凄まじい速度で飛んできた“それ”は今まさに黄金の鏃と飛ばしてきた男に激突した。止まっていた世界が段々とゆっくりと進み始める、隣に居る の息を飲む音がやけに大きく聞こえた。
男の顔面に突き刺さった“彼女”の脚がゆっくりと振り抜かれていく。
まるで舞い上がる様に束ねられた白髪が宙に踊り、お札がちらちらと見え隠れする。
まるで蝶の様だと、誰かがそう囁いた気がした。
ひらひらと舞い散る銀の糸が舞い散り、やがて重力に逆らえず一点に収束する。
そうして浮かび上がったその顔は――見た事のある美少女の姿で。
「妹紅……さん?」
今、なにが起こったか
突っ込んできた体勢から一気に距離を詰め、左足で一度地を蹴ったのと同時に再加速――そのまま右足で男の顔面を貫くとそのまま虚空を蹴り抜く。此方に直進してきた黄金の軌跡は大きくぶれて天井に当り、そのままからからと乾いた音と共に無力化した。
「ご――がぁっ!?」
動き始めた時は段々とその速度を正常なものへと戻していく、俺は相変わらず呆気には取られていたけど は既に調子を取り戻したらしくこちらを見つめていた。男が吹き飛んでいくのを相変わらずのスローモーションで見ながら、それでも意識は目の前で揺れる白を凝視していた。
白と言うよりも、その鮮やかな体裁きに魅入っていた。
「ん、よく飛んだ」
「あなたは、確か……」
「嬢ちゃん怪我はないかい? 少年の方は酷い有様だけどさ」
けらけらと、笑い声が響いた気がした――いや気のせいじゃない、実際に彼女は笑いながらいつもの様な笑顔でこちらに振り向いた。その白くて長い髪を返り血で僅かに汚しながら、蹴り抜いた人影を嘲笑うかのように陽気に
“いつもの様な”笑顔で
まるで今日の夕飯は何にしようかなんて、そんな事を帰り際に話し合っているような無邪気さで。トンっと着地した後で振り返った彼女はただゆらりと笑っていた、なんでだか知らないけれど背筋がぞわりと逆立つ。
「どうして、ここに?」
「通り掛かっただけよ」
聞いてはみるけど呆気なく冗談で躱されるし、それ以上聞き出せそうにも無い。強引にでも聞き出そうかなんて一瞬思ってしまったけれど止まる、よく考えればそうする理由なんて無いんだ。姫神は無事で、あいつが殺した奴は多いけど、それでも――生き残ったのも居るんだから、姫神が助けた女の子だってもう心配する事も無いぐらいなんだ。
「おーい、感慨に浸ってるのは良いけどそこの嬢ちゃんと一緒にちょっと聞いてくれないかね」
「何ですか妹紅さん、あとこの子の名前は姫神って言うんです!」
「そうかい、ともかく今すぐ逃げな」
「はい?」
「あいつが復帰したら間違いなく殺しに来る、一切合財吹き飛ばしにかかるだろうよ。その時に『お前らを守る』のと『あいつをぶっ叩く』事の両方を考えるのは正直面倒なんだよ」
「……つまり、邪魔だと?」
「馬鹿正直に言えばそう、それにもうお姫様は見つけ出せたんだろう? 王子様」
「お姫っ――!?」
なんか隣で姫神が口を押えてるけどそれよりも確かに妹紅さんの言う事には一理ある、言い方はあれだけど……とにかく姫神を助け出すって目的はもう果たせたんだ。ステイルは別の目的があるみたいだけど俺はあいつのこと知らねえし、完全に階段からけり落とされた時は殺されるかと思ったし――あんな奴の事は知らねえ。
ともかく、ここは言う通りに姫神を連れて逃げるとするけどそうなると――
「妹紅さんは」
「勿論、ここで戦う」
「……ですよね」
「当たり前だよ、君らが逃げる時間を稼ぐってんだからさ」
ここに残って戦う、時間を稼ぐうちに俺達が逃げる。物語で言うなら完全に死亡フラグが立っていた、多分ここで妹紅さんとの感動的な別れがあって……普通ならここで俺も一緒に戦うとか言うんだろうけど、それは普通の話だ。
「そんな、危険です。イザードはあなたが思ってるよりずっと――」
「行こう姫神、妹紅さんの言ってる通り逃げた方が良い!」
「そうだよ嬢ちゃん、人の好意には乗っておくもんだ……下心の有無に関わらず」
彼女が負ける姿が想像できなかった、そもそもその根拠となる記憶がすっぽりと消えてしまっている今『なぜそう思っているか』なんてさっぱり分からないけれど。彼女なら大丈夫だと思えた、俺の運の悪さもなにもかも吹き飛ばしてしまう様な強さを感じたから信じてみようと思った。
「う――ぐ…っ!」
「早く行きな、直にここは戦場になるよ」
とにかく今は姫神を助け出すことが先だ、彼女の言う通りここに居たら俺達まで無事じゃ済まない! 姫神は自分で立てるみたいだから俺は意識不明の女の子だけは背負って廊下を急ぐ。まだ生き残っていた人がいたかもしれない、助けたいけど――多分あそこにいたら俺達全員の命が危ない、そんな確信があった。
「貴――様、許さ……んっ!」
「別に君の許しなんて求めちゃないよ、手形にもなりゃしない」
「殺す――殺す! 殺すっ!!」
逃げる俺達の背中をちりちりとした殺気が焦がす、せめて「頑張って下さい」なんて言った方が良かったかなんて場違いな事を考えながら俺達はただ奥へ奥へと逃げていった。
◇
(さて、と)
此方の制止も聞かず……と言うより制止する言葉より先にぶっ飛んでいった彼女の後を追う事は無く気配を消して彼女を、彼女達を遠目に見ていた。そのまま彼女がただの蹴りのみであの場所を制してしまった所も、その後のやり取りもただ傍観するのみだった。
私には彼女に助太刀する気は毛頭ない、そもそもこの状況こそが私に与えられた任務であるからだ。表向きはステイルの援護であり、その裏には藤原妹紅たる脅威が任務中割りこまないように監視し必要とあらば制止する役割を私は与えられた――あくまで、それすらも表向きなのだが。
(慣れているとはいえ、えげつない事をする)
しかしながら、その二つすらも本当の理由を隠蔽するための口実に過ぎないのだと知っているのはこの場において私しか居ない。ステイルには悪いが『敵を騙すにはまず味方から』と言う様にそう、彼は隠し事をするには些か緩すぎるから。あのツンツン頭ならまだしも呑気なようで勘に鋭い彼女の事だ、気付かれかねない――と言うより私ですらそれは言えるのだが、適任が私一人しかいなかったらしい。
まあ、気付かれたとしても彼女がどうこうするわけでもなさそうなのだが、精々眉を顰めて不機嫌そうにする程度だろう。だが上層部にはそれすらも怖いらしい、耳にタコが出来るんじゃないだろうかと思うぐらい聞かされたのが『決してバレてはいけない』だった。腑抜けている様に見えるがよくよく考えれば当たり前の話だろう、裏を知る者にとって彼女はそれ自体が脅威なのだ。
閉ざされた異郷の地で振るわれたとされる異業の数々
妖怪、悪魔、異形の者どもが恐れ畏れたその力
なによりも正真正銘の弱点の無い“不死”“不滅”たる特性
どれ一つを取っても十分すぎる警戒が必要で、おまけに今回私で実証された『聖人すら凌駕する純粋な戦闘力』『隠された凶暴性』『戦闘狂』『少なくとも千三百歳』『料理が美味い』と危険要素てんこ盛りとなればもう、私にあのような命令が下るのも時間の問題だった。
――藤原妹紅の情報を、より詳細な情報を集めよ
そして私とステイルにはまるで添え物の様な主食が、三沢塾たるコンクリートの箱が手渡された。ステイルがどう思っていたのかは知らない、大よそインデックスの事で頭が一杯だったのかもしれないし若しくはあの幻想殺しとまた顔を合わせなければならない事に頭を抱えていたのかもしれない。
しかし私は……そう、私が思ったのはただ一つだけ、ありったけの皮肉を込めた言葉。
(本当に、えげつない……!)
そうだ、この三沢塾は謂わば閉ざされた実験場なのだ。もしくは……藤原妹紅たる未知の怪物に供物として捧げられた生贄なのだろう。彼女の事をより知るための、もっともっと情報を集めるためには格好の場所ではないか。その実力も、この立地も、あの力も、何もかもが彼女を引き出すためにお膳立てでもされたかのようなものだった。
あれは戦闘狂だ、呑気で間の抜けた様な仕草をしながらもいざ目の前に獲物があれば途端にその本性を、その狂貌を隠すことすら放棄しながらも襲い掛かる。しかも獲物を食べるためでも役立てる為でもない、それ食すには彼女にとってあまりにも不満足で量も少ないのだろう。
ただ獲物を殺す為に殺す、勝負の為に勝負をする、殺しあうために殺し合う。その度合いがどうだとしても、例え誰かの一生涯が掛かっていたとしても、大多数の生命が掛かっていたとしても、そんなもの彼女とっては塵芥に等しいのだろう。不死である彼女にとって自分の命も他者の命も、全ては影のように儚く吹けば飛んでしまうのだから。
思い出すのはあの夜の事、爆発しそうなわたしを嘲笑いながら世界を燃やし尽くす白を私は今でも忘れる事は出来ないのだ。私の全てを、私の何もかもを一蹴して、それすらも薪として彼女はありとあらゆる全てを燃やしたのだ。
本当に、馬鹿げている
否、馬鹿にしている
藤原妹紅の存在、言葉、力、その全てが
それを恐れるあまり一人の全てを勝手に贄とした上層部も
そして――ちりちりと、胸を焦がす私も
分かっている、私は今この時を“待ち望んでいた”のだ、まるで恋い焦がれるようにあの夜が再び生まれる事を心のどこかで待ち侘びていたのだ。なんと恐ろしい事なのだろう、たった今たかが一人が処刑されてしまおうとしているのに、私はそれが愉快で仕方ないのだ。
(見せてください藤原妹紅、あなたのその狂気を、その力を、何もかもを……さあ早く! 全てが燃え尽きて消し炭となってしまう前に! 私がどうにかなってしまう前に! 早く! 早く! 早く!)
「hurry! hurry! hurry! さあさあ、さっさと立てよ錬金術師! いや……錬金術師の“紛い者”!」
そうだ、そこに居る“それ”は偽物に違いない。
誰だって気づきそうなものだ、私には私が知っているイザードと“そこのそれ”は全く異なって見える。不確かだが確固とした違和感、存在の不合致――それはきっとあれが偽物だからに違いない。哀れな人型は恐らく誰かに突き付けられてしまったのだろう、自らの存在の不確かさを目の前に突き出されてしまったのだろう。
「――貴、様――……」
「どうしたよ、そんな薄っぺらな魂してたら『誰だって気付く』だろうに!」
「貴様……っ! 許さん! 許さん許さん――断じて、許さんッ!!!」
だからこそ激昂する、容易に彼女の挑発に乗る。
それは認めてしまっているからだ、自分が偽物だと認識してしまって、だがそれを認める訳にはいかない、許すわけにはいかないのだろう。自分が自分である事の否定なんて、そんな残酷な事が出来るとは、それすらも闘争の火種にしてしまうとは全くもって恐れ多い。
それが出来るから、彼女は強いのだ
完全に狂っているからこそ、彼女は誰にも負けない
「来いよ偽物! 悔しかったら私を否定してみろ! 私の心臓に鏃を突き立ててみろ!」
「当、然――必殺ッ!!」
ちりちりと、私の肌を焦がす様な熱は果たして何なのだろう。
本物の熱か、それとも本物の狂気か、偽物には分かるまい。
Q.これは妹紅ですか?
A.妹紅です
Q.神裂さんキャラ違うんですが
A.……私の好みです