とある不死の発火能力   作:カレータルト

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コメントアリシャス、美味しく食べました。


人にしれぬ

 その男が私の前に姿を現したのは果たしていつの事だったか、不思議な事にそれをとんと覚えていない。あらゆる記憶の貝殻が欠片になってもまだ足りず、しまいには粉になって風に溶けてしまう程の時を生きていてもあれ程衝撃的で、その時の色彩一つ一つが思い出せるというのにそれが果たしてどこで、いつだったかについてはまるで流れて消えてしまったように定かではないのだ。

 

 ひょっとすると、それは昨日カフェテリアで向かい側に座った事かもしれない。

 それとも、あれはあの時、あの山の頂で飲んだ薬が見せた幻なのかもしれない。

 ともすれば、果たしてそれは明日かその先に私が必然的に会うのかもしれない。

 

 

「ねえ、おじさんは一体”誰”? あなたは私と同じ様で、全く違う様に見えるわ」

「私が一体”何者”なのかかい? それはこの世で一番難しい質問だよ、お嬢さん」

 

 

 それがどこだったか、いつだったか、それはきっとどうだっていいのだろう。記憶は面白いもので不必要な情報から真っ先に消えていくのだから、まるで昨日の夕餉の様にそれは存在後と消えてしまって、私と彼が出会った事実だけが残ったのだろう。

 

 異国の風貌と、それ以上に異様な雰囲気をまとったその男は酷く年老いている様にも、または生気に満ち溢れた若々しい姿であるようにも見えた。便宜上私は彼をおじさんと呼んだが別にお兄さんでも良かった、ただ――私には彼を若輩呼ばわりするのはなんだか多少不敬である気がしたのだ。

 

 

「その紋様は? どこかの家紋にしても奇怪だけど……」

「おや、随分と聡いお嬢さんだね。これは”錬金術”の媒介さ」

「”錬金術”? 聞いたことが無いわ」

「この極東ではまだ伝わってないのさ、あるいはこれからも伝わらないかもしれない」

「ふぅん……でも、とっても面白そうね。その紋様を見ているとまるで吸い込まれそうだわ」

 

 

 面白そう、素直な感想を述べるとなぜか彼は驚いた様な、それでいて嬉しそうに顔をほころばせたのを私は覚えている。唐突にその紋様があしらわれた手袋を外した彼は私の頭をとても優しく撫でた。私が身を震わせたのはその手がとても慈愛に溢れていて、戸惑っていたからなのだ。

 

 

「聡いね、君は本当に聡いお嬢さんだ……この術は奥が深い、吸い込まれてしまうぐらいにね。大衆はそれを理解できず、ただ自らの欲望の為に道具として行使しようとしているのだ」

「もったいないことするわね、おじさんの知り合いって」

「そうとも、この術はそんな小さな目的の為に使われては意味が無い、本当の意味で“錬金術”を理解すれば金なんてシャワーのように浴びられるのさ」

「大金持ちになれるわね、貴族みたいに」

「君は興味がないのかい?」

「私はそこから逃げ出したから、出て行ったの方が正しいかもしれないけど」

「なるほどね、それが君の目的だね、それも簡単なものではない……“魂の”目的だ」

 

 

 その時の私と言えば彼の言っている事のほんの数割も理解できていなかった、その他にも錬金術とはどうこう、何が目的でどうこうと喋っていた気がするけど覚えていないのがその証拠だ。けれども彼の言っていた『魂の目的』の部分だけはなんとなく、けれども明確に理解出来た。

 

 私の目的はただ一つだ、あの月から来た厄災を見つけ出し殺す、必ず殺す。何年かかろうとも、何十年だろうが何百年だろうが探し続ける、それが私の目的だった。今思えばそれにしがみついていなければ生きていけなかったし、私は癪だが輝夜に生かされていたといっても過言ではないのかもしれない。

 

 

「難しいんだね、錬金術って」

「そうでもある、だが同時に簡単でもある――矛盾しているようだが“自分だけの世界”とはつまりそういうことだよ」

「おじさんは、それを作り上げたの?」

 

 

 なんとなくそう聞くと、彼は嬉しそうに、本当に嬉しそうに笑って。

 

 

「だからこそ『今ここに私は居る』のだよ、小さな小さなお嬢さん」

 

 

 そうとだけ、答えた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「それで、“彼女”とはどうなったんだい?」

 

 

 前を歩くステイルが不意に振り返ったと思えばそんな事を聞いてきた、紅いロン毛がはたはたと靡きながら夕日の橙に吸い込まれている様で。サマになっているのが男としてとても悔しい、イケメンはいるだけで罪になると思うんだけどな。青ピあたりに見せたら発狂しそうだけど……あいつそっちの気は無いよな? ありそうで怖い。

 

 

「彼女って? インデックスの事か?」

「君は相変わらず単純な脳細胞をしてるね、今さっきそれについて話していたばっかりだと言うのに、そんなに僕が未練がましい男だと思っているのかい?」

「まあ、うん」

「くっ……言ってくれるじゃないか」

 

 

 俺からしたら相当未練がましいと思うけどな、今となってはもう何があったのか分からなくなっちまったけどステイルとインデックスは何かあって、失敗して、俺はそれに成功した、その程度の違いが無いから調子に乗るなって事だろ? 未練たらたらじゃないか。でもそんな事を指摘するとさっきの様に“炎の魔術”をぶつけられるからやらないけれど、いくら“幻想殺し”で打ち消せるって言っても怖いものは怖いんだから。

 

 

 ステイル

 

 ステイル=マヌグス

 

 

 日常の中に突如として現れた異常の道先案内人の名前だ、俺の中に眠っていた“魔術”なんてありえないような、オカルトな異物を掘り出した男の名前。辛うじてなぜか思い出すことが出来たけど危なかった、今でも背中に冷や汗がべっとりと付いて気持ちが悪い。

 

 あのままだったらひょっとすると俺が記憶を根こそぎ持っていかれていることがばれていたかもしれない、ばれていたんだろう。そうなればさっきから関係を仄めかしているインデックスにその情報が行くかもしれない、それが怖かった。彼女が求めているのは『今の俺』じゃない――『記憶を失う前の俺』だから、それが死んでしまった事を知られるのがどうしようもなく怖かった。

 

 辛うじて残っていた記憶をどうにか繋ぎ合わせて会話を繋ぐと丁寧に解説までしてくれる、俺は何気ない相槌を打ちながら一字一句聞き漏らさない様に、見逃さない様に注意しながらその足跡をたどった。その中にひょっとすれば俺が元に戻るための何かが含まれているかもしれないと思いながら。

 

 

「それとも……姫神秋沙の」

「そんなわけないだろ? 彼女は今回の救出対象であってそれ以上でもそれ以下でもない、それ以上に彼女の事を君に聞いても意味が無いだろ?」

「うっ……」

 

 

 姫神秋沙、俺があの時相席した巫女さんの名前で――俺が助けられなかった名前。違うな、助けられなかったんじゃない。そんな綺麗じゃない……俺が助けなかったんだ、たった百円あれば何か変わったのかもしれない、それでも貸さなかったのは、彼女の手を振り払ったのは俺だ、俺は彼女を助けなかったんだ。

 

 “吸血殺し”だの、“三沢塾”だの“魔術師”だの言われても俺には分からない。どれだけ記憶を遡ってもたかが知れているし、いくら記憶を失う前の上条当麻が異常の中に身を浸していたとしてもそれはそれ程深い物でなかった事はステイルの反応から分かる。“畑が違う”だの言っていたから向こうも俺には期待していない筈だ、それがありがたかった。

 

 じゃあ、だったら誰だ? ステイルと関係のある――魔術絡みで思い当たるのは他に居ない。そもそも俺がどんな関係を気付いていたのか分からない状態なのに分る筈もない、答えが出そうもないと思ったのか、それとも苛立ってきたのかステイルが口を開いて。

 

 

「藤原妹紅だよ、まさか知らないとは言わないだろ?」

 

 

 ありえないと思っていた名前が、それでも心のどこかに残っていた名前が教えられた。でも、彼女は魔術を使えない筈だ――彼女は“レベル2の発火能力”であって、実際その結果を書いた紙を見せられたからで、だから魔術とは何の関係もない“こちら側”の人間だと思っていた。

 

 

「おいおい、その反応は――まさか、教えられてないのか」

「教えられるも何も、初耳だ」

「ふぅん……何か考えがあっての事なのかな?」

 

 

 考え込むステイルが出す空気は真剣そのもので冗談の紛れ込む隙は一切ない、彼は紛れもなく本気で言っているのだ。だからこそ分からなくなる、ますます彼女の――藤原妹紅の正体が霧に包まれていく。失われた記憶の中の唯一残された断片は、この世の中で最も謎に包まれた存在だった。

 

 元より彼女が上条当麻の存在してた――今も尚、帰るべき場所であって欲しい“日常”とは違う場所に生きているとはなんとなく理解していた。なぜだかは分からない、聞いた事もないし聞く気も無かったのだが心では出会った時からすでに彼女と自分がどこか違う場所を歩いている事には気付いていた。

 

 それは、時折見せるほんの僅かな空気の違いなのかもしれない。ふとした拍子に彼女の周辺だけ違う――まるで異世界の様な雰囲気を漂わせることがあった、自分が“吸血殺し”を掬うことが出来なかった時、その時の彼女は丁度そんな場所に居たのだ。そこだけ異質に空間が歪んでいるような錯覚を抱いたから声を掛けられなかった、その時はまるで気にもしていなかったが冷静になった今ならばわかる。

 

 

「妹紅さんって、魔術師だったのか?」

「違うかもしれないけど、そうかもしれないね」

「なあ……もしかしてお前、こっちが何も知らないからってふざけてたりするのか」

「大真面目さ、大真面目に分からないけどだけどね?」

「分からない?」

「そうだ、彼女について僕らは何も知らない、ただ彼女は『こちら』でも『そちら』側でも無い事は確かだけどね」

 

 

 日常には居ない異質な存在、だからこそ上条は妹紅が自分に残された記憶の残滓で唯一の異常である“魔術”の言葉と結び付けようとした、もしも藤原妹紅がステイルと同等の存在だとしたら納得できたのかもしれない。それには彼女が持つ能力者である事の証であったり、様々な不都合を無理矢理『見なかった』事にしなければならないのだが。

 

 だが、それもすぐさまステイルによって否定される。記憶を失う前の上条ですら見て事も無かったので当然今の彼が知る由もない事だがステイルと妹紅は一度殺し合っている、その時に彼は藤原妹紅の異常とも言い切れるほどの圧倒的な実力を叩きこまれているのだ。

 

 肉体的なタフさは“不死”で何とかできるとしてもあの膨大な火力、あの瞬発的な爆発力、そして何よりもそれだけの力を連続して出力し続ける事の出来る出自不明のエネルギー。全てが魔術として片づけるからには色々と突っ込みどころが多すぎる、この歳にして“天才”と称された彼はすぐさまあれを『魔術とは別の何か』だと位置づけた。

 

 だが当の彼女は世界にとっての異端中の異端、存在すること自体が異常事態である不死人の一人だ、あれが魔術だとしても……もしくは異能の一つだとしても在り得てしまうかもしれない。どれだけの“ありえない”も鼻で笑いながら一蹴する事ぐらい容易いのかもしれない、つくづく常識泣かせな存在だと内心で溜息を吐いた事を上条は知らなかった。

 

 

「でも、だったらあの人は一体……」

「知的好奇心は良い事だけどね? 目標に到達するのに余計なこと考えないでほしいな」

「お、おう……すまん」

「ただでさえすっからかんな脳味噌で考えても無駄だと思うからさ」

「てめえっ!」

 

 

 思わず殴りかかりそうになる上条をステイルが一睨みするとその動きがぴたりと止まる、出会い頭に燃え盛る剣で切り払われそうになった事が彼の中で少なからず尾を引いていた。そんな上条を傍目にステイルは目の前に聳え立つ立方形の建築物を見上げ、忌々しそうに眉を顰めた。聡い物には一発で、そうでない者にも違和感を感じさせるであろう程のまがまがしい気配に満ちている。

 

 

「ったく、よくもまあこんなど派手な事やってくれる。片付ける身にもなって欲しいね」

「……ここが、三沢塾か」

「ああ、この中に“吸血殺し”は監禁されてるよ。殺されてなければの話だけどね」

 

 

 飄々と冗談を言うステイルだったが上条は途端に沈痛な顔で俯き両手に拳を固めた、それを見て炎の魔術師はふん、と馬鹿にしたように鼻を鳴らした。それなりに大きな音を鳴らしたにもかかわらず全く気付いていない風の幻想殺しを見るなり、より一層眉の皺を深めぼそりと呟いた。

 

 

「変な考えを持たれないのは良いけど、こうも頭が春だと逆に扱いに困るね」

 

 

 どうにも上条と“吸血殺し”はステイルが接触する前に一悶着あったらしい、どうにも不敬な事を言われその場の全員が不快感を覚えたとか、百円を貸してほしいと言われたので断ったとか、俺が断らなければ彼女は脱出できたかもしれないとか、やけに妹紅が怖い顔をしていたとか、その他いろいろ言っていた気がするがどうでも良いので忘れた。

 

 ステイルとしては最も重要かつ非常に厄介な事が発生してしまった事に頭を抱えるのだが、それは上条と“吸血殺し”が邂逅した事ではない、更には“吸血殺し”が逃げ出せなかった事でもない。前者は完全にどうでも良い事だし後者に至っては寧ろ好都合だった。

 

 そもそも、逃げ出せたのなんだの言っているがそれが前提的にちゃんちゃらおかしい。逃げ出せる術なんてある訳がないし、方法があったとしてもたかが小娘にイザードが出し抜けるものか、もしもそんな事があったら今後あの錬金術師の顔を見るたびに吹き出してしまうだろう。

 

 そしてもしも、万が一にでも逃げ出せたとしよう、可能性として限りなくゼロに近いのだが。そうだとしてもどの道彼女に何かが出来るかと言われれば『何も出来ない』――“吸血殺し”は確かに脅威ではあるが人間に対してはまったくの無力、そしてあれだけの頭数を揃えられるイザードにとってすれば狭い学園都市に逃げた少女なぞ簡単に捕縛できてしまうだろう、寧ろ作戦において障害とすら成り得るのだ。

 

 問題はそこではない、一番の問題は上条でもましてや“吸血殺し”でもない。

 

 

「藤原妹紅、か」

「妹紅さんがどうしたって?」

「君には限りなく関係の無い話だよ、頭を使うからね」

 

 

 今話題の渦中にいた妹紅その人がステイルの最も危惧する要素だった。実の所今回妹紅に監視役を付けるよう進言したのは彼自身であったりもするのだ。敵ではないし、第一この件に一切の関わり合いの無い彼女がなぜそこまで警戒を抱かれるのか。不死だから? 強力だから? 魔女と称されていたから? そのどれもが違う、彼女の真の脅威はそことは別の次元にあったのだ。

 

 

(この件に彼女が興味を持ってみろ……間違いなく参戦してくる、賭けても良い。そして参戦してきたが最後だ……僕や上層部の人間、果ては“彼”の思い描いた思惑、やり取り、駆け引き、そういった全てを一切合財根こそぎ『吹き飛ばされる』っ……!)

 

 

 それは、彼の最も恐れた最悪の事態。これから未知の領域に突入する頃に緊張している上条の後ろで余裕綽々といった様相にも拘らず、この状況に置いて最も困窮し胃が痛い立場に置かれているのは他ならぬステイルその人で。

 

 

(頼む神裂、どうにかしてこの作戦中だけは彼女を引きとめていてくれ――っ!)

 

 

 二人が『三沢塾』に突入したその数分後、そこに長身でプロポーションの良い女のシルエットと、少女とも十分に呼べるほど小柄なシルエットが地面に投影されたのは、ただ一人に以外にとって最悪過ぎる不幸であった。

 

 

 ◆

 

 

 

「楽しそうですね、妹紅」

「そう見えるかい、神裂?」

「ええ、ここ一番に楽しそうな顔をしています」

 

 

 やけに不機嫌そうな神裂が先を走る私を留める様に声を掛けた、形は一応潜入任務だと言うのにも関わらず隠す気の無い無遠慮な声だけどそれを聞く者はどうやら私しか居ないらしい、だからこそこうしてお互い廊下を散歩するかのような気軽さで歩いているんだけどさ。

 

 どうやら今、私達が居るのは“裏”の世界らしい。此方から“表”は認識できるが其方から“裏”は認識できない、故に密閉された空間において――たとえばエレベーターとかに入っている時に“表”の人間が大量に入ってきたら潰れちまうんだとさ、一度やってみようと思ったら止められた。

 

 

「別にいいじゃん、死なないから」

「後に残された私としては明日の食事が抜きになるのは辛いですから」

「慣れてないの? その割には落ち着いてるけど」

「本音を言えば、服を汚したくないので」

「だろうね」

 

 

 並んで歩いているから判別は出来ないけれど、むすっとした声から大体神裂の表情は察することが出来る、絶対今のこいつは不機嫌極まりない顔をしている。煽っても良いけれどまた体を真っ二つにされるのはごめんなので大人しく黙っておくことにした、私が死なないからって殺していいのとは違うんだよ。

 

 

「そんなにインデックスの嬢ちゃんと会えなかったのが不満?」

「私があの子に対して思うことなぞ分かっているでしょうに、無論ですよ」

「会えなかった原因があのルーンだからなぁ」

「あの馬鹿は後でそれとなく殴っておきたいものですね、あの子の為を思って組んだ術式でなければ正面突破でぶち破ってしまいたいものですが」

 

 

 目に見える程浮ついた雰囲気を漂わせていた神裂と私が学生寮の中にある上条の部屋周囲に張り巡らされた侵入者迎撃用のルーンを見つけたのはそう遠くないさっきの話だ、恐らくは探知のルーンも仕組まれている事、一度発動させると相当厄介な事になる事、自分ではどうやっても解除できない事を察した瞬間神裂が目に見えて不機嫌になった。

 

 私としてはあいつの住居を二度に渡って放火するのは気が引けたし、神裂も目立った行動は起こしたくなかったので結局感動の体面は水の泡、それから予定通りの私と半ばやけになった神裂でこの三沢塾にやってきたわけだよ。

 

 なんで少年の部屋を知ってるかって、それは私が直接本人から聞いたわけでもあるし魔術師の方でも事前調査でとっくに割れていた、プライバシーはどこに行ったんだろうね。それでも学生寮には入れんだろうと思ったら神裂がしれっと「姉です」とかハッタリかましたら普通に入ることが出来た、セキュリティはどこ行ったんだろうね。

 

 そんな訳で絶賛侵入中の我々だけど――いやはや、なんともこれは。

 

 

「良い匂いがするじゃないか、ええ?」

「私にはどうにも血の匂いしかしないのですが、どちらかの鼻がおかしくなったのでしょうか」

「認識の差だよ、認識の差」

 

 

 歩けば歩くほど濃くなる生臭い鉄の香り、初めはぽつぽつと水滴程度の大きさだったそれは今や血溜りの様に川となって足元を流れている。神裂はそれが靴に着くのを非常に気にしてた、戦闘になったらそんなこと気にならないと思うけどさ、あの夜だって私の返り血を全く気にしてなかったし。

 

 呻き声や怨嗟とも取れる暗い感情に満ちた慟哭も段々とはっきり聞こえるようになってきた。それは死ぬ間際の声ではない、死にゆく者がそれを認められずにどうにかこうにか生へとしがみつく様な醜い声だ、醜くて鬱陶しくて――堪らない、ああ堪らない。神裂は転がっている死体みたいな死体を見て眉を顰め、吐き捨てる様に「厄介な!」と叫んだ。

 

 

「偽の『聖歌隊』とは全く、大掛かりな愚行をする」

「『聖歌隊』? 歌唱団に偽も本物もないだろうに」

「……要するに簡易的な超大型魔術ですよ、矛盾している様ですが」

「ははぁ、それってなに? こんな風に血痕で芸術品を作る目的で発動させるものなのかい?」

「偽と言えども大魔術に相当するものですし、第一『絶対に魔術を使用できない人間』を媒介にすればこうなることは当然。恐らくは暗示を用いたのでしょうが――遠回しな七面倒くさい事をする」

「おっかないねえ」

「こっちとしては後始末が大変そうで溜息が出ますよ」

「同情だけしとくよ……ん?」

「なにか?」

「居た、少年と“吸血殺し”だ」

「――はい、そうですね。確認しました」

 

 

 人間には目視できるぎりぎりだけれど、聞く限りではあらゆる生物よりも高い能力を持っている“聖人”にとっては判別なぞ造作も無いものなんだろう。私でも人よりは視力が良い方だとは思ってるけどね、あくまでそこは人の範疇だから。

 

私に見えたのは“吸血殺し”が恐らくは重症の誰かを庇うように座っている所、少年が緑髪でスーツなんて奇抜な格好をした男と向き合っている所、その雰囲気がどうもよろしくない事と男の身長がどう見ても2mはある大柄である事ぐらい。

 

 

「あと一人居るけど、誰?」

「馬鹿ですね、イザードに決まっているでしょう」

「ははぁ、結構あれってやばかったりする?」

「やばいですね」

「誰か死ぬと思う?」

「間違いなく一人は死ぬでしょう」

「おっかないねえ」

「私としてはこの後の事を考える方がおっかないですね」

「ん、じゃあ取り敢えず――」

 

 

 男が何かをしようとしている、私には確かにそう見えた。

 足が地面を蹴り、ぱしっと風切り音が辺りに響く。

 

 

「――取り敢えず、まあ先手必勝だ」

 

 

 私の足は寸分違わず男の顔面に直撃し、そのまま気持ちの良い音と共に蹴り抜いていた。

 




処刑タイム

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