なぜおまえは生きているのか、その問いは今でも覚えている。
◆
上条の坊主を病院まで送り届けたのは神裂とステイルの坊主らしかった。私が居ない間に……と言うよりも、私が『戻ってきている』間に全部の用事を終わらせていたらしい。しかし流石にあの惨状は直せなかったらしいが、後々小萌の嬢ちゃんが帰って来た時が怖いな。
別に、あの先生が力を持っているとかそんなんじゃない。それはステイルの坊主も神裂も一緒だろう、その気になれば簡単に殺してしまう事の出来るただの一般人で、別にそうすることに対して躊躇は無い筈だ。
結局のところ、どんだけ良い面をしていようが私らはその程度の存在。必要があれば殺すし、無ければどうだっていい、ただし殺す時には躊躇なく殺す、そこに一切の気の迷いはないし、あってはいけないんだから。
しかし、私はともかくとしてステイルと神裂はあの年にしてもうそこまで覚悟を決めてるのかい、最近の若いのってのは怖いねえ。私なんて初めて『理性的に』人を殺すのには結構かかった気がする、その間に何回殺されたかは覚えていないけど。
ただ、やっぱしそんな私らでも怖いもんは怖い。なんでってそりゃ、下手な無謀に突っ込んでくる馬鹿よりずっと怖いもんがこの世にあるからさ。どんな奴だって同じ、結局誰かに挟まれている限りは逃げられない問題。
「出来るだけ、こっそりやれって言われていたのにな……」
「この被害、どう説明しましょう……」
「私はこれからどこに住めばいいんだ……」
三者三様、悩みは違えど結果は同じ、責任問題だ。上からの命令を受けるし、迷惑をかけたなら謝罪と然るべきお詫びをせんやならんし、私としてはやったのは違うけど結果的に家があれだからなぁ……どうしよう、と言うより紫にどう説明しよう。
確か能力とかあんまり使わないように言われていた気がするし、いやさ言われていたし、絶対。一瞬「いや、私無関係だから」とか白を切ろうとも考えたけど、多分無理だろうな。多分だけどもう向こうも知っいてるんじゃないかなと思う、誤魔化そうにもあいつ相手にして誤魔化しきれないと思うし。
でもよー、そうしたら私が力を使ったのも不可抗力だってのも分かると思うんだけど。むざむざ殺されるとか嫌だし、それに生き返るなんてわかったらどう考えても穏やかな方向になんて進まないだろうさ。
そこで「でもやりすぎでしょう」とか「戦闘狂」とか言われたら否定できないけどさ、ここに来てから碌な奴と戦った事なかったから興奮しちまったんだよ。……って、言い訳か、あいつがそれで納得するなんて思えないしなぁ……。
「はぁ」
「どうしました?」
「いやねえ、色々とやりすぎたのさ。嬢ちゃ……神裂と戦う時とか、今の事とかさ、だからちょいと心配なのさ」
「何か不都合でもあるのかい? 確かにあれは目立つには十分すぎたけど」
「同じさ、私も目立つなって言われてたからなぁ、どうすっか」
あの紫、迷惑千万極まりない賢者がどう出るのか考えただけでも恐ろしいんだがね。だって私と言えばただの死なない人間に過ぎないだけだし、そんなのが妖怪の賢者にして幻想郷の創造主と渡り合おうだなんて……無理無理。
「すると、やはり君も」
「うんにゃ、私も外部の人間だよ」
「ここには何の目的で来たのですか?」
「さぁ?」
肩を竦めると怪訝な顔で両者に見られた、そんな顔する事は無いんじゃないのかい? まあ未だに私がここに寄越された理由が分からないんだけどさ、ちょっとは聞いておくべきだったのかな、でもあいつがそう喋りそうにもないし。
「取り敢えず頼みでね、ここに来ることになったのさ」
「ははぁ、すると」
「いずれは帰るんだろうねえ」
どこに、とは聞かれることは無かった。恐らく二人ともわかっているんだろう、私がそれを聞かれたところで話さない事は。まあ話したところでさしたる問題にはならないと思うけど万が一もあるしね、あの賢者の逆鱗にひょっとしたら触れちまうかもしれないし。
あれが本当に怒ったのを見たのは天人が調子乗って色々弄りまくった時か、あれは物陰から見てたけどやばかったな、何がやばいって全部だよ全部。本当の意味で敵にはなりたくはないね、まあ負けはしないだろうけど面倒はもういいや。
そもそも蓬莱人に負けは無い、死なないから。死なない限りは負けない、体が動き続ける限りは負けない。強大な力に対抗してもそれは当然であり、負けはしないがただ勝てないだけだ。
蓬莱人同士の戦いもそう、お互いに負けないからどちらも勝てない、永遠に私達が戦い続ける限りどこまでも並行な引き分けがあるだけ、どこまでも虚しい勝利『もどき』と敗北『もどき』を続けるだけに過ぎないのだから。
本当に空虚だよな、蓬莱人って。
「んま、何とかなるだろ?」
「大丈夫ですか? 酷い事されませんか?」
「さあ、もしかしたらされるかも」
「大丈夫なんですか!?」
突如として肩を掴まれて揺さぶられる、脳味噌が揺れるからやめてくれ。あと君は私の母親かなにかか、私は君のひいひい婆ちゃんが生まれた時から生きているんだけどな。でもあれだ、なんか慧音と似た感じだこれ。
「君が良ければ僕達が協力しようか? 一緒に英国に避難するとか」
「無理無理、んな事したら確実に睨まれるし」
「だが……僕らも君には恩義があるしね、それなりに手回しなら出来ると思うけど」
「てっとり早く諦めさせる事を言おうか」
「そんな言葉があるんですか?」
「私を普通に殺せる相手が大量に居る」
二人の顔が、明確に引き攣るのを確かに見た。恐らくはこの意味を分かっているのだろう、分かってもらわなきゃ困るんだけどさ。「どんな異次元ですか」とか「そこは本当にこの地球上にあるのかい?」とか言われるけど失礼な、あるよ。
「そんな訳で、私とはこれでお別れかな」
「せめて連絡先でも、駄目ですか?」
「すまん、そういうの持ってない」
「では私の連絡先を渡しておくので、何かあったら」
「ありがたい」
やっぱりこういったコネは大事だ、人との繋がりってのは金でも暴力でも作れない。私としても神裂個人に対して興味や、若干の敬意があるから連絡先を知れたのは僥倖だろうかな、うん。まあ幻想郷に返ったら使わなくなるだろうけど、すまんねって心の中で誤っておくことにしよう。
別れには慣れている、どうしようもない別れがあって、大したことのない別れがあって。だけどまあ、『身の張り裂ける様な別れ』ってのは、経験してないな。私にとって大切な人なんてのは1人だっていなかった、今では慧音が大事だけど……あいつが死んだ時、私が悲しんでいられるかは分からないなぁ。
でも、こいつらはそれをこれから知るか、もう知っているんだろう。インデックスの嬢ちゃんが記憶を失うなんて事がある度にそんな想いに囚われていたのかもしれない、そう考えると結構複雑な気分になる。
特にステイルなんて、そんな苦しみを知っていて、そうまでして得たかった者を横取りされたんだから複雑極まりないだろうね。上条の事を話すたびに苦々しげに眉をひそめていた事からバレバレだよ。
「なあ、二人ともさ」
「なんでしょう」
「なんだい?」
だから、ちょいとそれを軽くしてやるのもまあ、先輩としての役目なのかもしれない。もしくは久しぶりにあんなに輝いている目を見せてくれた人間への礼の気持ちかもしれない、良く分からないけどさ、私は自分が一番よく分からない、長く生きているとますます分からなくなってくる。
「インデックスの嬢ちゃんは、君らを恨んじゃいないよ」
「――っ!」
「どんな事しちまってもさ、そいつの為を思ってしたことなんだろう? 覚悟があったんだろう? ならさ、大丈夫だよ、多分だけどね」
私の言葉に、一瞬だけ表情を固まらせた二人だけど、暫くしてなんだか気の抜けた様な、笑みとも取れる様で取れない顔を浮かべた後ただ一言、「ありがとう」と、そうとだけ言って私の前から姿を消した。
◆
「なぁ」
誰も居ない虚空に向かって、呟く。
「私は、許されるのかなぁ」
覚悟も無く、ただ自分の為に殺した。
「許されないんだろうなぁ」
あいつはどんな事を思っていただろう、どんな事を思っているだろう。
「なあ、岩笠」
それが、一番分からない。
◆
黄泉川は現在、アンチスキルの施設内にある自室で頭を悩ませていた。目の前にあるのは先程渡されたばかりの真新しい、しかし重厚さがひしと伝わってくる「親展」「重要」のわざわざ二言が記された書類。
「まっさか、私にくるとは思わなかったじゃん」
先程自分の郵便入れに投函されていたこの封筒、何かあったのかと緊張して開けたこれだが――予想以上に、それをはるかに上回ったものを運んできたのだ。てっきり転勤の事だとかアンチスキルの職務に関係する事だとか思っていたのだが。
「しかし、これは……」
封筒に入っていた一枚の紙、学園都市上層部のものである判が押されますます威圧感を増すそれ。その一行目には大きく、ただこのような指令が書いてあったのだ――『藤原妹紅の監視』と。
「『彼女の素性調査、及び能力についての調査』ねえ、ふむふむ」
それ曰く、彼女が現在学生でも教員でもないのにいつの間にかそこに現れ、活動しているのだと言う、無論これは学園都市のセキュリティの沽券に関する事なので他言無用との事だが、割かし今更な話だった。
そして彼女についてだが、上層部は現在彼女が裏で『白き番長』とも呼ばれ畏れられているだとか。人助けをしている様子だがその理由が不明であるとか、出没についてのパターンが何もつかめないだとか、ともかく彼女の素性には謎が多すぎるのだが。
学園都市の総力を尽くしても掴めないその正体、それはなぜだか知らないが黄泉川に託されたのだ。個人的によく接触をしていたからなのだろうか、人のいない所を心が掛けていたが――どうやら自分が思っている以上に色々と張り巡らされているらしい。
それは多少不愉快だが、それよりも黄泉川にとってすればこの指令の方が重要だ。頭を抱えながら「どうするかなー」と考え込む姿は普段の彼女からしてあまり見せられたものではないが、それすらも気にならない程に彼女は考え込んでいた。
「どうやって妹紅に接触するかな、やっぱ堂々と? それとも絡め手?」
その表情は困惑ではなく、歓喜。頭を抱えていた理由はこの指令に対する疑問でも、受けるかどうかでも無く「どのように妹紅に関わればいいか」を考えて居る為。そもそも学園都市上層部から直々の指令なんて拒否権があってないようなものだ。
それよりも、妹紅に携えることはこの上ない事だった。今現在最も興味のある『人間』。最近では指折りの暴れ者ですら怖れたように恐々と口に出すのだ、浜面も「見たことはねえけど近づきたくはないな、ひでえ惨状だ」とぼそぼそ言っていた。
実際に手合わせした視点から行っても、彼女は凄まじいに尽きる。あらゆる面が今まで戦ってきたどんな手合よりも上、力も精神も技術も、そして何よりも彼女は『戦い慣れているのだ』とはっきりと分かった。
そう、それが一番違う。完全に生死両隣にある戦場に居た兵士のような身のこなしを時折彼女は見せた、あんな外見は幼い少女が――と考えるも、黄泉川の近くには皮肉にも月詠小萌たる存在が居るのだ、外見と内面の不一致には嫌と言う程に慣れていた。
そして能力、パイロキネシスの専門家である小萌はこう言った、「明らかに高レベルの能力者の仕業、しかも発火能力以外にも様々な炎に関する能力を保持している」と。それがどんな意味なのかは分からない、本当に複数の能力保持者だとすれば当然、そういった新しい能力だとしても研究者は興味津々だろう。
彼女がそういった目に合うのは嫌だが、それよりも自分の興味が引かれた、何としても藤原妹紅を知りたいと思えた、だからこそ興奮する、この任務を受けた事は運命ではないかと思う程に。
「黄泉川先生、何笑ってるんですか?」
「いや? 面白い奴を任されたじゃん、でもどうやってお誘いするか――あ」
そこで思いだす、思い出してしまった。自分が過去にいつか役立つだろうと思って取り付けた約束、半ば押し付けたような勝負を引き受けて勝ったことに対する報酬。その瞬間黄泉川の顔がまるで獲物を追い詰めた猛獣のような笑顔で染まった。
「デート一回、じゃん?」
「えっ、黄泉川先生彼氏いるんですか? 初耳なんですけど」
「彼氏じゃないじゃん、女じゃん」
「えーっ!?」
唖然とした顔で口をパクパクした同僚すら、今の黄泉川には見えていなかった。
◆
丁度同じころ、カエル医者とも呼ばれる『冥土帰し』は興味深げに――普段の彼からは想像もできない程に爛々と瞳を輝かせながら目の前のベッドに寝ている患者の容体を見守っていた。
「いやはやしかし、いやはや」
その患者の名は上条当麻、今朝方二人の男女によって昏睡した状態でここに連れられてきた少年。双方にとって不本意極まりない事だがここの常連となって居た上条の顔を冥土帰しは良く知っていた、そもそも彼が患者を覚えないなんて事は無いのだが。
半ば押し付けるような形で二人は上条を送り、それを受け取られたことを確認するのと同時に黙ってその場を立ち去った。そこにどんな意味があったかは分からない、ただ『何かがあったのだろう』と、それだけは確かに分かる事だった。
この医者は聡い、聡いからこそ何も言わない、黙ってまたこのベッドの世話になるであろう少年を寝かせ、検査し――驚愕した。確かに彼は、久々に心の底から驚愕の意を浮かべた、それも二つだ。
一つは、上条当麻の記憶が焼け落ちている事。そればかりではなくそれは、自らの力をもってしても回復が困難である事も彼を驚かせた。治せるものは何でも治すが身上である彼にとって治せないものが現れた事は耐え難い屈辱であり、また少年に対する後悔でもあったが、ともかく治せないものは治せないのだ、少なくとも今はであるが。
治す事が出来るかもしれない、今は無理だとしても将来は。例えて言うなれば焼き切られたハードディスクのような惨状を呈している彼の記憶も修復が可能かもしれない、この医者はその力故に人よりも遥かに傲慢で、頑固で、諦めが悪かった。
だがしかし、そこで冥土帰しの意図は別の個所へと逸れる。それは上条の隅々まで舐めまわすように見まわし、気のせいかともう一度入念に検査し、それでも尚間違いでない事に密かに、ただ先程よりも遥かに驚愕した。
「しかし、これほどの記憶障害を負っていながらなんで君は『怪我をしていない』んだろうね?」
何度検査をしても、そこには何のダメージも見受けられなかったのだ。それどころか上条の体調は記憶を失っていること以外では逆に健康になってすら居た、これが冥土帰しを本日二度目に驚かせたことだ。
外傷がないのはともかくなぜ健康になって居るのだろう? 一体どんな力が発生したのだろう? 興味や疑問は尽きない、一体彼に何が起きたのか、その結果どんな効果があったのか、知りたい、余すところなく知りたいと彼は強く思った。
そして、上条がまるで何事も無かったかのように起床し、自分のことを心配していた小さな少女と悲しい言葉のやり取りをした後。そこで冥土返しのそういった感情は遂に臨界点へと達する。
「覚えている?」
「そうじゃないんです、なんだか――残っているみたいな、頭のどこかに」
「そんな馬鹿な、君の記憶は全部焼き切れてしまった筈なんだがね?」
「それでも、目を閉じると思い出すんです」
なにを、とは聞かなかった。覗う様にこちらを見る少年に対して首肯する事でその続きを促す、すると少年はただ一言「炎」とだけ、そう呟いた。
「炎?」
「炎が、俺を包み込んでいるんです」
「それは燃やされているのではないかね?」
「いや、なんか――支えてくれているみたいで、力を貸してくれているみたいで」
「力を?」
体中を包み込む炎、まるで自らに力を分け与える様なそれ。まるでファンタジーの世界だと冥土帰しは溜息をつき、その瞳を見た瞬間に彼が一つたりとも嘘をついていない事を察した。
「それを見ていると、なんだか記憶が戻ってくる気がするんです」
「すると、少しでも戻ったのかい?」
「いや……あくまでも気がするってだけで、でもそれはとても大きくて、力強くて」
強い眼光だった、まるで決意のようなその瞳は一片たりとも嘘をついていない事を何よりも雄弁に語っている。ならば妄想癖でも発現したのだろうか? それにしては瞳も発言も確固としている。ますますもってよく分からない。
「案外、俺はまだ覚えているのかもしれませんね」
「しかしだよ、君の『思い出』は脳細胞ごと『死んで』いる筈だけどね?」
ふと、自分に言い聞かせるようにそう呟く声に反論せざるを得ない。ありえないと、根拠のない事を自分に言い聞かせるように、ただそれを僅かながら信じているだろう自分も居た。
「パソコンで言うならハードディスクを丸程焼き切ったって状態なのに。脳に情報が残ってないなら一体君のどこに思い出が残っていると言うんだい?」
透明な少年は、暫く考え込む。あるとするならば、自分のどこに記憶があるのだろうか、それは取り戻せるものなのだろうか、それとも取り戻せないのだろうか。目を閉じれば燃え盛る暖かな炎が見えるようで、それは幻かも――幻想かもしれないと言うのに。
「どこって、そりゃあ――」
この炎はどこで燃えているのだろうか、その時ふと分かった気がした。何故かはわからない、ただ直感的に、答えだとも言えない考えが思い浮かぶ。自らの右手、『幻想殺し』を持ち上げ怪訝な顔をする冥土帰しの前で、それを自らの胸に当てた。
「――心に、じゃないですか?」
『幻想殺し』が、神すらも殺すその右手がその瞬間
轟々と煌めき吹き出す幻の炎を捕えた気がした。
1巻最終話 だけどインデックスさんは出てこない 詐欺
もう一話だけ続きます、舞台裏みたいな感じで。