第十九話ようやく出来ました。
レミリアとの決闘が始まってから刃はずっと違和感を覚えていた。
『違う、そうじゃない。これは本来の戦い方じゃない』
最初は弾幕による撃ち合いをしているためだと思った。
しかし、その違和感は近接戦闘に入ってからも続いた。
刃は打刀の付喪神である。だから自身の本体である打刀を使って戦うことにおかしいところは無い筈。
(なのに……)
レミリアに追い詰められるごとにその違和感は強くなっていき。
『早く本来の戦い方に戻せ。そうしなければ負けるぞ!』
いつの間にか警告じみた危機感へと変わっていた。
(クソ、一体何が違うと言うんだ!)
レミリアのライフは三百、刃のライフは百四十七。自分は既に半分以下なのに相手は無傷と言う圧倒的な差もあって、内心苛立ちがこみ上げてきた。
さらに追撃を掛けるようにレミリアから詰問が来る。
「貴女はその程度なの?」
最初は何を言われたのか分からなかったが、すぐに何を言いたいのか分かった。
「美鈴から聞いたわよ。貴女、妖怪が集団になってでも奪いたいぐらいの刀なんでしょう?」
それはレミリアとフランを仲直りさせるために刃が語った過去話。その場に居合わせた美鈴も聞くこととなり、この過去話は彼女の立場上レミリアに話す必要があって、刃はそれを許可していた。
そしてこの過去話は客観的に聞いて、刃の本体である打刀はそれなりの力と価値を持った物となる。が、その付喪神である刃はこの様。
「私たちで言うところの魔剣。それがこの程度のはずないでしょう。それともフランに語って聞かせたことは嘘だったの?」
そう思いたくなるのも無理なかった。
もちろん刃は動けるようになってまだ三ヵ月、鍛錬期間は二ヵ月未満、人間だった頃は戦闘経験無し。いくら力のある打刀の付喪神と言っても、これで数百年の戦闘経験と鍛錬期間がある吸血鬼に勝てるはずがない。
だが、過去話を語ったのは刃自身。その目的が別だとしても自分はこんなに凄いと言ったことに違いはなく。
「違います! あれは本当にあったことです!」
こう言い返すのが精一杯だった。
(畜生。せめて違和感の正体さえ分かれば)
それで状況が好転するかは分からない。しかし、今よりは良くなるはずだ。
そんな刃の願いが通じたのか、レミリアから答えが出る。
「なら、貴女の本当の姿を見せてみなさい。多くの者を魅了し、多くの使い手を不幸にした、無名の『霊力の篭った刀』の力を!」
「!?」
刃に電流が走る。
(霊力の……篭った……刀)
自身の本体である打刀に目を移す。それは現在妖力が主に篭っており、霊力は仮初の体を維持するために使われているので少ない。
(まさか、いや、しかし……)
それが答えなのか疑問に思うが、刃の中から違和感は消えていた。
(よし、やってみるか)
気を引き締めてレミリアを見る。
「お嬢様。少しお待ち頂いてもよろしいでしょうか?」
普通ならこんなことは聞いてもらえないが、この決闘は刃の実力を見るためのもの。
「ええ、構わないわ。是非とも新たな力を見せて頂戴」
だから刃の要請をレミリアは快諾してくれた。
(さて、どうなるか?)
今から刃は肉体の構成に使っている霊力を妖力に切り替える。
必要が無かったために今までやったことが無く、どうなるかは分からない。
(だが、今やらなければ何も変わらない)
自身にそう言い聞かせ、目を閉じて精神を集中。
カチッと、刃の中で何かのスイッチが入った。
「お嬢様。お待たせしました」
刀を右脇に構え直し、今からすぐにでも再開できると言わんばかりの刃に、レミリアは微笑む。
「そこまで待ってないわ」
先ほどの刃から溢れた妖力が見せた光景と匂い、彼女自身の変化と聞きたいことはある。
(でも、それは後)
今はそんな空気ではない。
(一体何があったかは知らないけど、すっきりした顔しちゃって)
まるで溜まっていたものを吐き出したかのように刃の表情は活き活きしており、また闘志に満ちていた。
(まぁ、それは私もなんだけどね)
刃が見せた変化と光景によってレミリアが抱えていた問題は解決した。
だから今は純粋にこの新たな配下(兼食料)の新たな力を見てみたい。
己の中から闘志が湧き上がるのが、場に二人の闘気が満ちるのが分かる。
レミリアはそれに従うように左手足を前に出して半身に構え、再開を宣言する。
「さぁ、貴女の力を見せてみなさい!」
「では!」
応答と共に刃が脇に構えた刀を振るい、そこから赤い霊力の刃が放たれる。その赤い刃はとにかく長く、さらに速いため左右に避けている暇も、迎撃する暇もない。
レミリアは跳躍してこれを避け、刃はこれに合わせて霊力の光弾を三発発射し、相手に向かって走り出す。
(ふん。その程度)
向かってきた光弾をレミリアは魔力の光弾で迎撃。刃との接近戦に向けて構えるが。
「なっ!?」
何と刃は接近戦をするにはまだ数歩ある距離で急停止。
(ここでまた霊力で攻撃?)
先ほど放たれた赤い刃を警戒して刃の持つ刀に注意を払う。が、何と刃は刀を振らず、右手を握りしめて思いっきり振り抜き、そのまま肘から先を分離して飛ばしてきたのだ。
「「「えっ?」」」
これにレミリアだけでなく、外で見守っていた五人も同じ言葉を漏らす。
あまりに予想の斜め上の出来事に思考停止してしまったのだ。
このため刃から外れた右腕が赤い光を放ちながら高速で飛んできても何も出来ず。
「ぐふっ!」
刃の右腕はレミリアの鳩尾に突き刺さり、貫通こそしなかったがその推進力で彼女の体はくの字に折れ、そのまま壁に叩き付けられる。
そのダメージは鳩尾に受けたのが十、壁に叩き付けられたのが五の合計十五。
そして役目を果たしたように刃の右腕は光となって消えた。
「これって確か……くっ!」
さらに追撃とばかりに数発の光弾がレミリアに直撃し、レミリアの残りライフは二百五十三となる。
また、この気を逃さんと右手を新たに再製した刃が近づく。
「ちょ!」
レミリアは慌てて迎撃に移るが。
(あれってあれだったわよね!?)
先ほどの右腕だけが飛んでくる攻撃のせいでまだ軽く混乱しており、まともな対応が出来ていなかった。
「あはははは!」
その頃外野ではパチュリーが左手でお腹を抱えて、右手で右膝を叩きながら大爆笑し。
「だめ……です……よ。ごしゅ……じん……ぶふぅ!」
隣に居た小悪魔は体を震わせ、両手でお腹を抱えながらも諌めようとしたが吹き出してしまう。
そんな二人、特にパチュリーを見てフランは唖然としていた。
(こんなパチュリー初めて見た)
沈着冷静なパチュリーはいつも笑うときは静かだ。少なくともフランはこのように笑うところなど一度も見たことが無い。小悪魔は割と見ているが。
(そんなに面白かったかなぁ?)
パチュリーが爆笑している理由は言うまでもなく刃の右腕を切り離して飛ばすと言う、奇天烈な攻撃のせいだ。
またこの攻撃によって混乱しているレミリアのことも笑っているようにも見えた。
「パチュリー様。流石に不謹慎ですよ。もちろん小悪魔も」
そこに目を細めた咲夜が注意をする。
これにパチュリーは少し咳をして、息を整えた。
「ごめんなさい。でも、流石に『ロケットパンチ』が出るとは思わないじゃない。そしたら色々と馬鹿らしくなっちゃってね。ふふっ」
その顔はとても笑顔でまた笑い出しそうだった。
「それに、もう大丈夫なのは咲夜も分かってるでしょう?」
「それは……まあ」
パチュリーの問いに咲夜は困った表情で一応と言った感じに肯定と答える。
「だったら後はもう普通に観戦といきましょう。だってこれはもう『ただ』の練習試合なんだから」
「はぁ、分かりました。ですが、観戦と言うなら静かにお願いします」
「はいはい、分かってるわよ。でも、刃がさっきのような技を出したら分からないけど」
「……静かにお願いします」
そう言って咲夜はレミリアを見守るように視線を決闘結界の中へと戻す。
それを見計らってフランが美鈴に話しかける。
「ねぇ、美鈴。ただの練習試合になったってどう言う意味?」
聞いたのはもちろん先ほどパチュリーが放った言葉について。
これに美鈴は苦笑しながら答える。が。
「ああそれは、その、何というか。……もう終わったことですから気にしないで大丈夫ですよ。それにほら、お嬢様が巻き返し始めましたよ!」
言いづらいことだったようで無理やり終わらせ、ちょうど決闘に変化があったようで慌ててそちらを指す。
「えっ、うそ!」
そしてフランも決闘のほうが重要なのでそちらを向く。
結界の中では先ほどまで押されていたレミリアが攻撃を避け、逆に自分の攻撃をあてるようになり、再び優勢となっていた。
「どうして!?」
色の変わった刃は目に見えて動きが早くなっており、パチュリー曰くロケットパンチも使ったことから、レミリアと互角とまではいかなくとも、大分差は縮まったと思っていた。
それが決闘の最初とまではいかずとも劣勢に戻っている。
「お嬢様が混乱から抜け出したからですよ。確かに刃ちゃんは変色して変わりました。動きから見て身体能力が向上し、技の精度も上がっていると思います。しかし、劇的と言うよりは一段階上がった程度。
さらに遠距離攻撃は霊力を使っているみたいですが、妖力と違って最低限しか練習していなかったため威力はともかく、短時間で出せる数が減っています。
それではお嬢様には勝てません。だからお嬢様が混乱から抜け出した以上、刃ちゃんに勝ち目はもうありません」
「そんな!」
美鈴の説明にフランは顔色が悪くなる。
何故ならフランにとって刃に勝ち目がないと言うことは、また彼女がレミリアにズタボロにされて終わると言うことだからだ。
思い出すのはスペルカードの実験で仮初の体が崩壊する刃。
(そんなのもう見たくない)
思わず手を握りしめた時、フランの頭に美鈴の手がのせられた。
「……美鈴?」
その行為にフランは美鈴を見上げると、彼女は優しい笑顔で答える。
「大丈夫です。もう大丈夫なんです。だから貴女のお姉さんを信じてあげてください。フラン様」
美鈴の言葉にフランはパチュリー、小悪魔、咲夜の方を見ると、三人とも美鈴と同意見のようで安心しろと言わんばかりに頷く。
だからフランは改めてレミリアを見た。
(……楽しそう、なのかな?)
一言で言うならそんな感じだった。
刃の攻撃を避ける時も、受ける時も、そして彼女に攻撃するときも純粋に楽しんでいるように見えて、それ以外の意思は感じられないように思える。
さらに言うなら刃も悔しさは感じているだろうが、レミリア同様楽しんでいるように見えた。
(なら、大丈夫……なのかな?)
とりあえず美鈴を信じてみよう。フランはそう思った。
「分かった。お姉様を信じてみる」
フランはそう言って、最終局面を迎えようとする決闘に集中した。
「ぐっ!」
レミリアの放った魔力のナイフが胸に当たり、刃は片膝をつき、つかせた相手を見る。
「ふふっ、楽しかったわよぉ、刃。でも、それももうおしまいね」
先ほどの混乱が嘘のように優雅に立ち振る舞いながら、レミリアは左手の甲の上に表示された両者のライフゲージを見る。
レミリア・スカーレット、ライフ百五十二。
古刀・刃、ライフ二。
どちらも最後は二だが、その差はあまりにも大きい。
そして、通常攻撃のダメージ最高値は十で最低値は五。つまり、もしも刃がレミリアに勝つのならここから先、相手の攻撃に当たらずに自身の攻撃を最低十六回、最高三十一回当て続けなければならない。
もちろん、そんなことが出来るのなら刃は最初からダメージなど受けていない。
決闘が終わる。その事実に刃は奥歯を噛みしめる。
(ここまで……なのか?)
一応霊力の体から妖力の体に変わると言う、一種の変身によってレミリアに力を見せることは出来た。
ライフも半分近くまで削れた。
新人としては上出来だろう。レミリアも楽しかったと言っている。
しかし刃はやはり、このまま終わりたくなかった。
何故?
(勝ちたい……から?)
確かに負けるのは嫌だ。が、そう思ってみたもののしっくりこない。
そんな悩む刃を見て、レミリアが微笑んだ。
「ねぇ、刃。せっかくだし、最後は大技で勝負してみない?」
「えっ?」
「だってつまらないでしょ? 変身と言う大立ち回りをしたのに、小技で勝負が付くなんて。もちろんこの勝負で勝った方が勝者よ」
(ああそうか)
レミリアの提案に刃は不満の原因が分かった。
不完全燃焼。その一言に尽きた。
原因が分かり、そしてレミリアの提案に微笑む。
「やりましょう! お嬢様」
先ほどまでの悲壮感が嘘のように刃は活き活きとした表情で勝負を受ける。
これにレミリアもつられて微笑み。
「そう、それじゃあ始めましょう」
レミリアは左足を前にして、右手を後ろに構える。
そして右手の中に現れる紅い魔力の槍。
二日前、自身をボロボロの状態にしたそれに思わず背筋が凍るが、確かに最後の締めとしては最適だ。
(それに今度はただやられるだけじゃない!)
そう思って刃は自らを奮起させ、刀を上段に構え、その刀身に霊力を集め圧縮していく。
やることは先ほど放った霊力の刃の発展形。刃の初代使い手が考え出し、代々の使い手が工夫し、洗練した、無名であった刃の通り名の一つとなり、また自身の名前にした技。
故に使うのは少し恥ずかしかったりもするが、それよりも憧れた使い手たちのようにこの技が使えることが嬉しくあった。
(だからスペルカードのように堂々と言おう!)
その思いと共に紅く輝く刀身の霊力は最高潮に達し、レミリアの魔力の槍もそこに至っていた。
「さあ、刃。準備はよろしくて?」
「勿論です、お嬢様!」
どうなるか楽しみでしょうがない。そんな笑顔のレミリアに刃も同じ笑顔で答える。
「「…………」」
一瞬の無言。二人の表情から笑顔が消え、渾身の一撃を放つそれへと変わり、動き出す。
「スピア・ザ……」
レミリアは紅い槍を振り抜き。
「紅き……」
刃は紅い刃を振り下げ。
「グングニル!」
「刃ぁ!」
同時に放った。
両者から放たれた大技は互いを打ち破らんと高速で激突し、音と衝撃を放ちながら中央で拮抗する。
その形はレミリアの放ったスピア・ザ・グングニルは以前と変わりなく、観戦者たちも含めて見覚えのあるものだった。しかし、刃の放った紅き刃は本人以外全くの初見。
それでもこれがただの霊力の刃でないことは素人でもわかるだろう。
(紅いガラスの刃?)
フランは直感的にそう思った。
まるで紅いガラス板を三日月状に切り取ったかのような刃。
恐らくより強く、より速く、何よりより切れるようにしていった結果なのだろう。
そこにはいわゆる機能美と言うものがあった。
だが、残念なことにそのガラスは濁っており、それがそのままこの技の完成度を表しているように見えた。
だから。
「あっ」
数秒、あるいは数瞬後、紅き刃にガラスのようにヒビが入る。
これに顔が青ざめ。
「だめ」
もっと頑張ってと言う前に音を立てて紅き刃は砕け散った。
そして誰が勝者かを表すように打ち勝った紅い槍は、敗者に突き刺さる。
「刃!」
自身の頭から血が引いて行くのが分かる。
まるでスペルカードの実験の焼きまわしのように紅い槍は刃の胸に突き刺さり、その勢いを持って後ろに押し出す。が。
「えっ?」
紅き刃によって力が弱まっていたのか、はたまたそうなるようになっていたのか。
紅い槍は少し進んだところで魔力の残滓となって霧散し、刃は突き飛ばされたように床に叩き付けられた。
『古刀・刃、ライフゲージ零。勝者レミリア・スカーレット。決闘を終了します。お疲れ様でした』
(ああ、負けたのかぁ)
決闘終了を告げるスペルカードの音声が流れる中、刃は自身の敗北を知った。
(せっかくの逆転のチャンスだったのになぁ)
そう思いながら疲労感が増していく体を動かし、床の上に大の字なる。
メイドとして、何より(悲しいが)女の子としてはしたないと思うが、それよりも楽な姿勢になりたかった。
(まあ、あれで勝てたとしても素直に喜べなかっただろうから、むしろこっちの方が良かったんだけど)
その証拠に負けたにも関わらず、刃の心は悔しくはあるが晴れ晴れとしていた。
「その様子なら大丈夫そうね」
そこに勝者であるレミリアが近づいてきた。
「ええ、とりあえず体を維持することに問題はありません」
「あら、皮肉のつもり?」
刃の物言いにレミリアは特に不快感も無く、むしろ微笑を浮かべてそう言った。
これに刃は寝た状態で肩をすくめる。
「まさか。でも、お嬢様の攻撃が効いたのは事実です」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
言ってレミリアは刃に手を差し伸べる。
「刃、強くなったわね」
「……ありがとうございます」
少しの無言の後、刃はお礼を言いながらレミリアの手を取り立ち上がるが、その評価は言うほど嬉しくなかった。
「不満? 確かにフランを任せるには不安はあるけど、今の貴女は確実に弱者ではなく強者。美鈴と模擬戦をした頃に比べれば格段に強くなっているわよ」
(分かっているくせに)
ニヤニヤしながら言うレミリアを刃は意地が悪いと思いつつ答える。
「私が後半猛追出来たのはこの姿になれたからです。そしてこの姿になれたのはお嬢様のおかげ。相手に助けられ、未知の力に頼って、奇策で何とかするようではまだまだです」
言って紅い刀身となった自身である刀を鞘に納める。
これにレミリアは拍手で答えた。
「よく出来ました。もしもさっきの言葉で納得するようならまた咲夜たちに鍛え直してもらおうと思っていたけど、これなら大丈夫ね」
レミリアは右手を差し出す。
「改めて貴女を紅魔館の一員として認めるわ。だからより一層精進しなさい」
顔は笑っているが、その目は笑っていない。
「はい。頑張ります」
それに答えるように刃は顔を引き締めてレミリアと握手するのだった。
が。
「?」
思いのほか強い力で握られ、しかも離さないと言わんばかりに緩む気配がない。
「あの、お嬢様?」
一度握った手を見て、再びレミリアを見ると。
「!?」
そこには明らかに雰囲気の違うレミリアが居た。
何かに期待するような目、荒い息、せわしなく動く羽。
見る人が見たら子供には見せられないような展開を想像するだろう。
「ねぇ、刃。私、喉が渇いたの」
しかし、そこにあるのは混じりけなしの純度百パーセントの食欲。
「えっ? あっ、あぁ、はい。それではすぐに水を……」
「違うの。血が欲しいの」
刃はレミリアの状態に驚きつつ、彼女の言葉を普通に解釈するが、すぐに否定された。
「でっ、ではすぐに血をお持ち……」
それでも吸血鬼なら、と刃は普通に対応するが。
「貴女の血が欲しいの」
「…………」
返ってきたのは自身を欲する言葉。
これに一時刃は思考停止。すぐに再起動したときにはレミリアの左手が刃の右肩を掴んでいた。
「疲れているところごめんなさい。明日も休みで良いから、だから」
レミリアは一呼吸して命じる。
「貴女の血を飲ませなさい」
そこに威厳は無く、当然カリスマもない。
(これなんか前にもあったな)
だから刃は特に気にすることもなく、この状況にデジャヴ(既視感)を覚えていた。
思い出すのはデュラハン事件の事後処理の時に、フランに血を吸われたこと。
相手が逃げられない状況にして血を吸おうとする。
(やっぱりお嬢様はフランのお姉ちゃんなんだなぁ)
特に自分を逃げられなくして喉が渇いたと言う辺り。
「無言はイエスと取るわ。それじゃあ……」
刃が黙認したと思い、レミリアは優雅さの欠片も無く早々と彼女の首筋に噛み付こうとする。が。
「うぅぅぅぅぅっ!」
噛み付くはずの首筋が直前で消え、そのため予期せぬ閉口をしてしまい、結果として自身の舌を噛んでしまったレミリアは痛みに悶えることとなった。
同時に掴んでいた刃の右肩と右手も消えたのでそのまま両手で口を押える。
何が起こったのか?
それは刃が噛まれる直前で妖力の体を解除し、元の打刀に戻ったからだ。
「申し訳ございません、お嬢様。それは駄目です」
そして宙に浮く刃は少し離れたところで霊力により体を構成。いつもの黒髪碧眼、黒と青の和服少女に戻って頭を下げた。
「にゃ、にゃんで?」
その刃にまだ痛みが引かない口を押え、涙目になりながらレミリアは理由を聞く。
余程痛いのか、あるいは罪悪感があるのか、その声音に怒りは感じない。
それに安堵しつつ、刃は頭を上げて答える。
「私はフラン様の相棒兼従者です。だからフラン様以外に血をお渡しするつもりはありません」
古風に例えるならフランに操を立てると言うことだ。
刃の立場とフランの関係を考えるなら褒められこそすれ、怒られることではない。
雇い主のレミリアの命令に逆らうことであってもそれは変わらない。
そしてレミリアもこの考えを否定はしなかった。しかし。
「でも、ちょっとだけならセーフじゃない?」
食欲には抗いきれなかったようだ。
そしてこれにパチュリーによって抑えられ、場を見守っていたフランが切れる。
「アウトだよぉぉぉぉっ!」
「ぐふぅっ!」
受けた側には突然の出来事だったため、フランのドロップキックがレミリアの脇腹にクリーンヒット。さらにかなりの力と速度で蹴られたため、レミリアは口から血を吐きながら近くの本棚に激突。
「ちょっと大丈夫!?」
これにパチュリーが血相を変えて近寄るが。
「良かった。傷も汚れもない」
心配していたのは魔法で防護していた本棚と、そこに収められている本だった。
「げふっ、って、そっち!? 私よりそっちの心配」
親友のあんまりな態度にレミリアは口の中の血を吐き出し抗議を上げるが、返ってきたのは冷たい視線だった。
「血を吐いてもすぐに元気な声を出せる者、傷ついたり汚れたりすると修繕が難しい物、先にどっちを心配するかなんて決まってるじゃない? そ・れ・に」
冷たい視線の中に怒気が篭る。
「私たちの努力を色々と台無しにしようとした者に掛ける情けなんてあると思う?」
「うっ、それは……」
パチュリーの言葉にレミリアは冷や汗を垂らす。
そこに遅れて近づいてきた小悪魔と咲夜も口を挟む。
「馬鹿ですか? 馬鹿なんですか? やっぱり馬鹿だったんですか?」
と言っても小悪魔のそれは良い笑顔ではあったが罵倒でしかなかった。
「お嬢様。流石にあれはないでしょう。刃が拒絶しなければまた振り出しに戻るどころか、さらに悪化するところでしたよ」
続いて小悪魔より酷くはないとは言え、大体においてレミリアの味方に回る咲夜もため息を付きながら批判した。
もちろんレミリア自身も、自分がやろうとしたことがどう言うことになるかは分かっている。
前に記した通り吸血鬼に吸血されると性的な気持ちよさを感じると言う。
これを分かりやすく例えると、レミリアは妹の想い人に痴漢しようとしたわけだ。
また、そうでなくても吸血行為は相手を害する行為である。
咲夜の言う通りもしも刃の血を吸っていればフランとの関係は悪化。最悪破綻していたかもしれない。
(……でも)
やはりあの血の匂いを思い出すと抗いがたい衝動に駆られそうになる。
「さて、私たちに何か言うことがあるんじゃない?」
そんなレミリアを気付けば全員が囲み、差はあるが非難の視線を向けていた。
特にフランは刃と美鈴に宥められたようだが、それでもきつい視線を送って来る。
さすがにこんな状況で感情が高ぶるはずがなく。
パチュリーの言葉に答えるようにレミリアは頭を下げた。
「皆。色々と迷惑を掛けてごめんなさい」
レミリアの嫌悪によって始まった騒動は、レミリアの食欲によって何とも締まらない形で終息した。
「あっ、図書館の掃除お願いね。もちろん一人で」
「……はい」
なお、レミリアは罰として決闘によってそれなりに汚れた図書館の掃除と、後日聞くことになる刃のお願いとは別に誠意を見せることになるのだった。
ようやくこれで長かったレミリアの騒動が終わりました。
次回は刃についての話が主になる予定です。