賑やかな外に比べて、まるで廃屋のようにシンと静かになっている。
宿屋に残っている奇特なお客さんはいなかった。
「お祭……でも、そんな気分じゃない、かな」
「クリスタも友達と遊んできなさい」と女将さんには言われてたけど。どうしても遊ぶ気にはなれなかった。
出たフリをして裏口から気付かれずに部屋へ戻ってしまった。
遊ぶ友人なんてほとんどいない。
そもそも知り合いだって女将さん、旦那さん、ヒルナイアさんにマイナリアさんとアオイ君と……あとは酒場の常連さん。
でもみんな忙しそうだった。
女将さんたちもだけどアオイ君はお仕事だし、ヒルナイアさんとマイナリアさんは競い合うように朝食をかき込むと、おめかしはじっくり時間をかけてそのまま競争でもしているのか走って出て行ってしまった。
たまに惚気てくる思い人さんにデートを申し込むのかもしれない。
木窓を開けて見下ろすと、たくさんの人たちが笑顔で料理やお酒を片手に騒いでいる。
夜の食堂とは比べ物にならないほど、安らかで無邪気で……そして眩い。
名前も、人生も、何もかも偽っている後ろ暗い私には全てが輝いて見える。
手を伸ばせば火傷してしまいそうなほどに。
それと比べて……私はなんてちっぽけなんだろう?
ただただ流されるままに生きて、一人になって、この宿に辿りついて……でも結局自分で動いた結果じゃない。
毎日を漠然と生きる姿は、壁外でフラフラとうろついているらしい巨人とどっちが生きているのか比べたくなる。
クリスタ・レンズなんてこの世の何処にもいない……もうそれでいいと思うのだけれど。
遠い。部屋から外までの道が果てしなく遠い。
ベットに横になって耳を塞いでも、みんなの楽しそうな声が聞こえてきて余計に今の自分が辛くなる。
荒野にたった一人いるのと、周囲に人がいるのに自分の周りにだけいないのとでは、後者の方が心が重くなる気がした。
…………荒野。そういえば、アオイ君は壁外で一年くらい生活していたって聞いたことがある。
「少し、歩こうかな」
チラリと彼の姿が思い浮かぶ。
だからという訳じゃないけど、今の私はとても酷い顔をしている気がする。
普段は明るい笑顔をするように気をつけているけど、一人になるとどうしてもあの日のことを思い出してしまう。
全てが壊れた日のことを。
でも心配は掛けたくない。ただでさえ普段から迷惑を掛けているんだから。
……日の光でも浴びればこの心を覆う暗闇が晴れてくれるかもしれない。
ちょっとした気まぐれだった。
ただお祭りに似合うような洒落た服は無い。
普段着でもいいけど……。
「お仕事用の服を借りちゃおうかな。可愛いし、帰ったらそのまま仕事もできるし」
膝上にかかるくらいの白いスカートにふわふわのフリルが可愛い白と黒の仕事着は割とお気に入りだった。
うん、遠くまでいかないし、軽く見回ったら女将さんの手伝いをしよう。
ちょっぴり怒られちゃうかもしれないけど、少しでも恩返しはしたい。
それにお客さんより料理を出す側の方が楽しいと思う。
部屋を出て、そっと足音を立てずに裏口へと向かう。
床板がギシギシと鳴るけど、祭の喧騒で全てがかき消えていた。
そのまま小走りで扉を開き、裏道へと飛び出そうとしたんだけど、
ドンッ!
「いたっ!」
「うおぃい!? いてーじゃねえか嬢ちゃんよぉ!」
「す、すみません!」
2、3歩ほど足を踏み出した途端、正面に黒い山……男の人とぶつかり合って尻もちをついてしまう。
謝って急いでその場を離れようとした。
でも、出来なかった。
右手を掴まれる。
ゴツゴツした手が私を放さないようにがっちりと握りしめる。
ゾワリと鳥肌が立って、とても嫌な予感がした。
見上げる。やけに明るい空。
彼らの顔は影となって窺えない。なのに……弧を描く口元だけは、赤くて湿り気を帯びてて、血に飢えた狼に見えたのは錯覚なのだろうか?
「へっへっへっへ……」
「お兄さん達と一緒に来てもらおうか」
「嫌だって言っても無理やり浚うがなぁ! ひゃひゃひゃ!」
「…………ぃ――ッ!?」
叫ぼうとしたらむせるような臭気と共に口が塞がれる。
どのみち大声をあげても祭の喧騒にかき消されてしまっていたかもしれない。
暴れても敵わない。
この手の男たちが何をたくらんでいるのかはすぐに判る。
大きなズタ袋を抱えた男が近づいてくる。
中の闇は暗く、深い。
結局、私は……何一つ決めずに……。それも、いいのかもしれない。お母さんが殺され、放りだされて、拾われたのは運が良かっただけ。
でも、もし神様がいるのなら。
言いたいことがあった。
――希望の光を見せながら、次の瞬間絶望へと叩き落とすのが運命なら、そんな神様などいらない――
「お、急に大人しくなったな。へへ……そうそう、素直に行くことを聞くなら怪我させねぇって約束してやるよ」
「ちょっと下の口が怪我しちまうかもしれねーがな!」
「ちげーねぇ! げひゃひゃひゃひゃひゃ!」
本当に…………酷い世界。
今すぐ消えてしまいたい。
でも約束……約束……?
不思議とその言葉が気になった。
「…………約束?」
「おうおう、そうだ。お兄さんたちとの約束だぜぇ~?」
男の子の声が聞こえる。おそらく幻聴であろう言葉。
――クリスタは自分の命を粗末にしないこと。そして自分の幸せの為に生きること! これで決定!――
ああ、そっか。
アオイ君に約束させられたんだった。
勝手にいなくなっちゃいけない理由がまだ、ある。
だったら、せめて足掻かないと。それすらも守れないほど最低な人間に落ちたわけじゃない。
こちらが力を抜いたのを見て油断していたんだろう。
下卑た笑顔を浮かべながらも、私を拘束していた手を緩めた。
手を払って、思い切りその男の手に噛みつく。
「まだ、消えたくないっ!」
「いでぇ!? テメエ、こんの餓鬼がぁッ!」
「ッ!」
一瞬逆さまになったような浮遊感と共に背中に痛みが走る。
たぶん力任せに投げられたんだと思う。
見張り役らしき男が更に二人。合計で5人。
裏口のドアも抑えられて、家の壁際に追いつめられる。
私が噛みついた男が顔を真っ赤にしながら怒鳴る。
「こっちが下手に出てりゃあ調子に乗りやがって! ちっと痛い目にみたいらしいなあ!」
「だったら私は出来る限りの抵抗をするから! ここは表通りのすぐ近く。見つかれば貴方達はすぐにでも憲兵に突き出される!」
少しでも時間稼ぎがしたい。
治安が良いわけじゃないし、観光客の安全対策に裏道への入り口には簡単なバリケードがある。
昼間でも一通りが少ないのはそのため。
だけど運が良ければ、女将さんと旦那さんが騒ぎを聞きつけて見に来る可能性がある。
でも……相手は余裕の表情だった。
「やっぱ餓鬼だな。その手にはのらねーよ。なんせ憲兵様なら南口にぞろぞろ集まっているらしいから今手薄なんだぜ。まあ勤勉であらせられる兵士様には金を掴ませてるから、今頃酒でも飲んでるんじゃねーの? ひゃひゃひゃ!」
「う……!」
「どーら一度引ん剥いて品定めでもするか――」
「い、いやッ」
やっぱり駄目なのかな?
どうあがいたって結局……。
絶望が脳裏にちらつく。男の手が伸びてきた。
必死に身を竦めて守ろうとしたその時、何か大きな影が降ってきた。
ガン!
「――がッ!?」
「……え?」
鈍い音がしたかと思うと、手を伸ばしてきた男の人が白目を向いて倒れ込む。
倒れた男の人の背中にローブを纏った人がいた。
上から飛び降りてきた……?
自分よりも背の高いその人が見た目よりも随分若い声で話しかけてくる。
アオイ君でもないし、誰なのだろう?
「どいつもこいつも盛ってばかりだねぇ~。野良犬よりはしたないんじゃないかい? 大丈夫? 金髪の」
ローブの奥から僅かに見えたその顔は、意志の強さが一目でわかるほどの鋭い目つき。ソバカスと短く結んだ黒髪が特徴的な女性だった。
不敵な笑みを浮かべて男達と向かい合いながら話しかけてくる。
「あ、はい、なんとか。ありがとうございます」
「別にいいよ。恩を売りたかったからね」
「恩……?」
「それは後回し。それより目の前の問題を解決しないとね」
気絶してしまった仲間を見て、他の人達が殺気だっていた。
「んだてめぇ!」
「通りすがりの物乞いだよ、腐れ外道」
そう言い放った女性は一歩も譲ることなく男たちと対峙していた。
「ところでこんな、かよわく可憐な乙女二人を大の大人が囲むって酷いと思わないかい?」
「勝手に飛び込んできた奴が何を言ってるんだ。ついでだ。てめえも一緒に浚ってやる」
「浚うならそこで眠りこけてる野犬でも連れてきな! 犬が偉そうに人の言葉を喋ってんじゃないよ!」
「野郎ッ! 言わせておけば!」
「私は女だけどねッ!」
「あの! 戦うなら私も!」
「動かなくていい。戦いってのは始まる前から終わってるもんだよ」
「それはどういう――」
そう言いかけたとき。
男達の背後から一人の男性が近づいてきた。
「ウィ~ッ……ヒック! お~うオメエらぁ~、少しおじさんも混ぜてくんねえか?」
駐屯兵団の制服を纏った……だけど顔を赤くして明らかに酔ってそうな千鳥足の
大変お待たせして申し訳ありません(>_<)
それと一挙更新で終わりまで投稿したかったのですが、13、4巻でまた設定の矛盾やらプロットの書きなおしが必要だったので完成できませんでした……。
気長にお待ちいただけると助かります。
読者の方々にはいつもご迷惑をかけて本当にすいません。
とりあえず小鹿さんとナイルが今後重要キャラになるかも。
14巻の敵が強すぎる……(汗)