――その華やかな光景は、私にとっては眩すぎて目が痛くなりそうだった。
礼服やイブニングドレスに身を包んだ、若々しい青少年たち。普段の学生服とは違い、改まった服装を着て身嗜みを整えた男女らは、皆なかなかの麗しさをまとっていた。
そんな彼らが、何をしているかというと。
――ホールの中央で、軽やかな音楽に合わせてダンスを踊っていた。
なんてことはない。ただのダンスパーティーである。
食堂のある棟の二階にホールがあり、そこでは月末に一回、舞踏会が開催されていた。このソムニウム魔法学園はただの学び舎だけでなく、貴族の子弟が交流を深める場所という面もあるため、こういった社交イベントが定期的に設けられているのだ。
うまくいけば格式高い家柄の出身者や、魔法の才能に優れた将来有望な人物と仲を深められるため、多くの学生たちは積極的に社交をしていた。一曲ちょうど終わった今も、熱心に次の踊り相手を探している子たちであふれている。とくに有名な家柄の学生は、ひっきりなしに誘いを受けてはお断りしている様子がうかがえた。
――で。
なんで、私が“こんな場所”にいるかというと。
「……このチーズ、おいしいわね」
モグモグと皿の上の食べ物を口に詰め込みながら、私は退屈な面持ちでダンスに興じる諸君を眺めていた。
ホールの端にはテーブルが並べられ、そこにはちょっとしたつまみの品や、ワインなどが置かれている。ちなみに夕食のあとのダンスパーティなので、本格的な食べ物は用意されていなかったりする。私にとって至極不満な点である。
皿の上のチーズを平らげた私は、はぁ、とため息をついた。この煌びやかな空間に、似ても似つかない私がなぜ立っているかというと――答えは単純だ。そう、基本的に全学生が強制参加なのである。
貴族たるもの、社交とは嗜みの一つである。したがって、部屋に引きこもっていることなど許されないのだ。
まあ怪我や病気の場合は申告すれば休めるのだが、そんな仮病を何度も繰り返すのもまずい。そういうわけで、私は仕方なくダンスパーティに出ているというわけである。
「まったく、退屈ね……」
私は呟きながら、ビスケットが盛られた皿に手を伸ばした。
サクサクした食感を楽しみながら、かみ砕いたものを嚥下する。うーん、おいしい。ちょっと喉が渇くけど。
そんなふうに菓子をつまんでいた私は、ふと視線を隣に向けた。
「…………」
そこには、無言で突っ立っているミセリアがいた。
とくに感慨もなさそうな表情で、ただぼーっとダンスをしている男女たちを眺めている。彼女の性格的に、ダンスに対する興味なんて一片もないだろうから、私と同じく暇で仕方なさそうだった。
ちなみに服装はドレスコードに従って、いちおう彼女もイブニングドレスを身につけていた。が、年齢が年齢なうえに、痩せっぽちで胸もほぼ絶壁というスタイルのせいで、凄まじく女性的な魅力が欠けていた。まるで親に無理やり社交場に連れてこられた、小さな子供のような感じである。
「……あなた、もうちょっと体重を増やしたほうがいいわよ」
哀愁さえ漂うミセリアの見た目に、私は思わずそう声をかけてしまった。彼女はこちらに顔を向けると、真顔で聞き返す。
「なぜ?」
「なぜって、それは――」
ちょっと考えて、答えを口にする。
「運動する時にエネルギーが必要だからよ。脂肪が足りないと、筋肉が分解されてエネルギーとして使われてしまう。だから筋肉を落とさないために、脂肪はある程度つけておいたほうがいいのよ」
「…………?」
「つまり強靭な肉体を維持するためには、食べつづけないといけないわけ。おわかり?」
「わからない」
ええい、ちゃんと説明してやったのにわからないとは何事か!
私は手にしたビスケットをミセリアの口に押し当てた。歯の隙間から無理やり奥にねじ込むと、彼女は微妙な表情を浮かべながらモグモグと咀嚼する。あと十枚くらいは食べさせてやりたいところである。
――そんな馬鹿げたやり取りをしている私たち二人は、なかなかに浮いている存在であった。
もちろんダンスに積極的でない学生はほかにもいるが、それでも知り合いと和やかに歓談したりするものだろう。延々とテーブルの焼き菓子やつまみに手をつけている貴族令嬢など、この世のどこにいようか。ここにいる。
少し喉の渇きを感じた私は、ワイングラスに口をつけながら――向こうでダンスをしている一組の男女に視線を向けた。
その女性のほうは、艶やかな黒髪に淡い水色のドレスがよく似合っていた。言うまでもなく、アニスである。彼女はとくべつ家柄が優れているわけでもないが、さすがに容姿が可愛らしいだけあって、一曲ごとに男性たちから誘われているようだった。
……むかし、女性向け恋愛シミュレーションゲームで運動コマンドを選択しつづけた結果、魅力パラメータが下がりすぎて目当ての男の子を攻略できなかった記憶が、なぜかよみがえってしまった。
「……ゲームの世界というのは、げにも恐ろしきものね」
「…………?」
不思議そうな目を向けるミセリアに「なんでもないわよ」と返しつつ、私はワインを呷った。体が温かくなるのを感じつつ、さらにビスケットを食べようと手を伸ばしたところで――
離れたところから、こちらへ向かって歩み寄ってくる人物が視界に映った。
それが誰なのか認識した私は、グラスをテーブルに置いて微笑を浮かべる。それはもしかしたら、獲物を見つけて喜ぶ獣のような、獰猛な笑いだったかもしれない。
私をまっすぐ見据えながら近づく男子学生は、ふいにピタリと立ち止まった。友人同士が会話をするような距離で、お互いは対峙する。
私にとっては、一瞬で踏み込んで急所を貫ける距離であった。相手もそれを理解しているのだろうか。彼は額から一筋の汗を流したが、己の恐怖を打ち払うかのように、両手に拳を握りしめた。
「――ヴィオレ・オルゲリックッ!」
茶髪の青年――私の婚約者であるフォルティス・ヴァレンスは、まるで決闘を申し込むかのように口を開いた。その声は強い意志が含まれており、相応の覚悟でこの場に臨んだことがうかがえる。
私は彼と向き合い、手と足をわずかに広げた。かりにフォルティスがどのような手段に出ようと、対応できる構えである。その威圧を感じ取ったのか、彼は一瞬ひるんだような顔つきをしたが――負けじと私を強い眼差しで睨みつける。
フォルティスは息を吸うと、決心したように言葉を紡ぐ。
「この俺と――」
弱者たる彼は、強者たる私に、勇気と気骨をもってして宣戦布告した。
「――ダンスを、踊ってもらおうッ!」
……それは、叫んで宣言するような内容ではないのだけれど。
などと、ツッコむのも野暮というものだろう。この誘い自体は、舞踏会のたびにフォルティスからかけられていたので、もはやわかりきっていたことでもある。
――なぜフォルティスは、私とダンスすることにこだわるのか?
婚約者だから踊るのは当たり前――などと彼は言っているが、その真意はじつのところ、男としてのプライドにあるのだろう。
彼は間違いなく、私との“力の差”をはっきり理解していた。腕力ではけっして勝つことができぬ、超えられぬ相手。自分が“格下”に甘んじていることは、男として相当な悔しさがあったに違いない。
だからこそ。フォルティスは私と“対等の関係”――同じ場所に立ちたいと心の底から願っているのだろう。
そして対等なカップルの象徴といえば、まさにダンスパートナーがそれである。ゆえに、彼はこうして私を誘っているのだった。
「あなたとダンスをする条件。……まさか、忘れてはいないでしょうね?」
私は余裕の笑みを浮かべながら尋ねた。
そう、彼には伝えてあった。条件をクリアしたならば、ダンスの相手をしてやると。
彼は真剣な瞳で、「ああ」と重々しく頷く。
「――俺が“勝負”に勝ったら、大人しく踊ってもらおう」
「ふっ……威勢のよろしいこと。力量の伴っていない大言壮語は、愚かなだけですわよ」
「……ッ! やってみなけりゃ、わからないぜ……ッ」
信念を秘めて熱い言葉で応えるフォルティス。……きみ、そんなキャラだったっけ?
冷静に考えると物凄くばかばかしいやり取りをしている気がするが、まあ気にしたら負けである。ここは、このノリのまま行くとしよう。
「――準備はよろしくて?」
私は右の手を握り、硬い拳を作った。あらゆる障害を打ち砕く、疾風迅雷の武器が私にはある。負ける気など微塵もしなかった。
対するフォルティスも、緊張したように拳を掲げた。いつでも繰り出せる姿勢である。
私たちはお互い得物を構えて、開戦の合図を待っていた。
――二人の目線が交錯する。
その瞳に宿った意思を感じ取り、タイミングを合わせるのは容易だった。私と彼は、自然と同調して動いていた。
お互いが右手を繰り出し――勝利を賭けた闘いが幕を開ける。
――私たちは、覇気を漂わせながら叫んでいた。
「じゃんけんッ――」
「――ポンッ!」
私がチョキ! フォルティスがパー! 勝ったッ!
「――ぐっ!? な、なんでだ……ッ!」
「おーっほっほっほぉ! わたくしの冴えわたった読みに、あなたごときが太刀打ちできようはずがありませんわよッ!」
「くっ……まだだ……。勝負は三本先取の約束だ……これからだぜ」
悔しさを顔ににじませながら、なれど気概を失わず食い下がってくるフォルティス。その心意気やよし! なかなか男の子らしくなってきたじゃないの。
じゃんけんに勝ったらダンスしてあげる、などという意味のわからない条件にまじめに挑戦する彼の姿も、今では見慣れたものである。毎月、完膚なきまでストレート負けを喫していながらも、こうして舞踏会のたびに勝負を申し込んでくるのだから、その根性はかなりのものだろう。
「…………」
後ろから珍獣を見つめるかのようなミセリアの視線を感じるが、無視無視。
私たちは二回目の勝負に構えた。すでに一本を先取して余裕な雰囲気の私に対して、フォルティスは汗を垂らして歯を食いしばっている。勝機の薄い相手にも立ち向かう意気地は、褒めてやりたいところだ。
だが――勝負とは無情なものである。
「じゃんけんッ――」
お互いが拳を戦場に向かわせた。その瞬間、私の目はフォルティスの手の動きを捉える。振り下ろされながら、わずかに動く指を確認し――
「――ポンッ!」
私がグー! フォルティスがチョキ! 二度目の勝利である。
「うぐぐ……」
「おーっほっほ! 相手になりませんわねぇ!」
圧倒的な結果に私は勝ち誇った。二連続のストレート勝ち。もちろん――運任せというわけではなかった。
振り下ろされる瞬間の手の握り、指の動きを視認して、有利な手を出しているのだ。相手がグー以外を出す心積もりの場合、拳の握り方がわずかに緩まる。そしてチョキかパーは、人差し指と中指の挙動で判断する。チョキとパーが判別できない場合は、チョキを出して最悪でもあいこにすればいい。
アルスとのスパーリングを繰り返すなかで、相手の動きを見極めることに注力していた私は、動体視力がかなり鍛えられていた。フォルティスの手の形を把握することなど容易である。百回やっても彼が勝つことはないだろう。
「くっ……。じゃんけんッ――」
「――ポンッ!」
三回目の勝負!
もちろん私の勝ちである。フォルティスは握った拳を前に出したまま、私のパーを呆然と見つめていた。
「な、なぜだ……。こんなに負けるなんて、確率的におかしい……」
「おほほほほっ! “たかが”じゃんけんと思っているかぎり、あなたに勝利はありえませんわよ? どうして負けたのか、次までに考えておくことですのねッ!」
敗北のショックにうなだれるフォルティスに、勝者の高笑いを上げる私。周りの学生たちから白い目が向けられているような気がするが、いまさら構うまい。
私は敗北者たるフォルティスに「では、ごきげんよう!」と背を向けて歩きだした。
こちらを見つめていたミセリアに、すれ違いながら耳打ちをし、そのままバルコニーへ向けて進む。
「……さて」
――そこは広くはないが、夜空を眺めながら雑談するくらいはできるスペースがあった。
静かに一休みしたり、あるいは恋人同士がいいムードで語り合ったりするのに、このバルコニーはよく使われているようだった。たしかに見目麗しい男女がここで語らい合ったら、さぞや絵になることだろう。
私は暗い外を見遣りながら、大きく息を吸った。冷えた夜気が、アルコールで上がった体温をなだめてくれる。次のダンスが始まったばかりで、学生たちはホールの中央に意識が向いているだろうし、都合も悪くなかった。
――まあ、フォルティスと馬鹿なことをするのはつまらなくないけれど。
さすがに延々とダンスを眺めながら食べてばかり、というのは正直キツい。だから、この辺でお暇しようと思ったのだ。
私は後ろを振り向いた。そこには、無表情のミセリアが立っている。
「――で、あなたは?」
答えを予想しつつも、私は彼女に尋ねた。
「このまま残るか、さっさとおさらばするか。どっち?」
「後者」
即答だった。ミセリアにとっては時間の無駄でしかないだろうし、それも納得の返事である。
ダンスパーティは入場時に出欠を確認されるだけなので、途中でひっそり抜け出せばバレることがなかった。毎回ならともかく、たまになら途中で姿を消しても怪しまれることはないだろう。
私は靴を脱ぐと、「はい」とミセリアに手渡した。彼女はどこか不思議そうな顔で、それを受け取る。
「腰を下ろしなさい」
そう言うと、ミセリアは素直にかがむ体勢を取る。私は彼女の背中に右腕を回し、そして膝裏には左腕を通し――そのまま持ち上げた。
ようするに、お姫様抱っこである。まんま子供の体型である彼女は、抱きかかえてもまったく重みを感じなかった。……もっと食べたほうがいいんじゃないかしら、まじめに。
「靴をしっかり持って、眼鏡も押さえていなさい」
「…………?」
「あと、口もしっかり閉じておくこと」
そう言いながら、私はバルコニーの欄干に足をかけた。よっ、と力を入れて、そのまま手すり部分に乗り立つ。眼下には虚空が広がっていた。
ここは二階だが、一階食堂の天井高がそれなりにあるので、地面までの距離は普通の人間が飛び降りれるようなものではなかった。ましてや、人を抱えていたら怪我は免れまい。
私が何をしようとしているのか、ミセリアはやっと理解したのだろう。その瞳が何かを訴えかけてきたような気がするが、知ったことではなかった。
「準備はいいかしら?」
「よくない」
「大丈夫そうね」
ミセリアは諦めたように目をつむると、口をきゅっと閉じた。
私はふっと笑い、彼女を抱きかかえたまま――闇夜の空に、体を躍らせた。
空中という、体の自由が制限された空間に身を任せる。
重力が私たちを地へ追いやった。受け身に失敗すれば、常人なら死の危険性さえあるだろう。
徐々に加速し、迫りくる大地。暗がりの中では、いっそうスリルがあった。
私は高揚感を湧き上がらせながら――足を地面に向けた。
衝撃はすぐにやってきた。抱えたミセリアの重みが加わり、脚に大きな負担がかかる。咄嗟に腰を落として踏ん張り――私は二足で立ったまま着地に成功した。
高所からの落下という、慣れない行為のわりには上出来な結果だろう。“気”を巡らした私の肉体は、とくにダメージも受けていなかった。むしろ被害を受けているのは――
「……もう着いているわよ」
その言葉に、ミセリアはやっとまぶたを開けた。灰色の瞳には、かすかに恐怖のような感情が残っているようにも見える。なかなか人間らしくていい顔である。
「楽しい体験だったでしょう?」
「…………」
「ほらほら、自分で立ちなさい」
足を下ろしてやると、ミセリアはゆっくりと地面に降り立った。
私は彼女から自分の靴を受け取ると、足裏の土を落としてふたたび履く。
最近はアルスとスパーリングする時に裸足でやっているのだが、やはり靴を脱いだほうが動きやすいと感じていた。踏み込みをかける時や、踏ん張る時の力が明らかに違うのだ。履き物は足を守る役目があるが、私にとっては気を流した肉体のほうが堅固なため、はっきり言って靴は無用の長物だった。
「――それじゃ」
私はグラウンドの方面へ体を向けると、後ろに手をひらひら振って言う。その別れの合図に、ミセリアが短く疑問を投げかけた。
「どこへ?」
「散歩よ、散歩」
「…………」
わざわざ夜間に学園内を散策する――という行為が奇妙なのは、ミセリアもわかっているのだろう。背中に不審がる視線を感じたが、私はかまわず歩きだした。
そして数歩を進んだところで――こちらのあとを追う足音が聞こえてくる。どうやら付いてくるつもりらしい。
「面白いものは何もないわよ」
「いい」
「……あっそ」
相変わらず、この娘は私に付いて回るのが好きなようだ。まあ、べつに隠し事をするつもりではないので、こちらとしては困りもしないが。
そのまま私は歩きつづけると、開けたグラウンドに出る。月が出ているとはいえ、照明がないので非常に暗い――が、それはかえって好都合だった。建物側から覗いても、人影を簡単には視認できないはずだ。
整地された空間の中央へ進むにつれて――暗闇の中で何か動く存在が見えてきた。
“ここ”にいるかどうか確証はなかったが――どうやら、“当たり”のようだ。
こんな人目の付かない場所に、誰がいるのか。すぐ後ろのミセリアには予想もつかないだろうが、私だけはわかっていた。“事前知識”があればこそである。
「……あなたは眺めていなさい」
私は静かに、ミセリアにそう指示した。とくに反論もないようで、彼女は素直に足を止める。
――そこからは独りで、暗中の影へと近づいた。
気配を殺す、などというつもりもなかったが。
どうやら相手は、誰かがここにやってくるなど考えもしていないようだ。まったく気づくことなく、私に側面を向けていた。
一秒とかからず、相手に肉薄して拳を打ち込める距離に立ち。
私はその男子――杖を振って魔法の練習をしている学生に、笑みを浮かべながら声をかけた。
「――ごきげんよう」
「……ッ!?」
その瞬間、彼は凄まじい形相でこちらに振り返り、杖の切っ先を向けた。その反応から、どれだけの動転があったのかうかがえる。まあ、こんな闇の中で声をかけられるとは思うまい。
そこにいるのがドレスをまとった女子学生だと気づいたのか、彼はあわてたように杖を下ろした。それでも、表情にはまだ警戒心が浮かんでいる。目つきもどこか睨むような雰囲気だった。
私は青年の顔を、見定めるように眺める。
特徴的なプラチナブロンドの髪は、よく見覚えがあった。いつも昼休みにはグラウンドで魔法の練習をしているので、印象に残らないはずがない。それに加えて――
本来は知りえない彼についての情報を、私はすでに知識として把握していた。
レオド・ランドフルマ――それが眼前の青年の名前だ。
この学園は二年制だが、彼は上級生に当たる。とはいえ、たしか生まれ年は同じだったはずである。ミセリアが異例の年少で入学しているように、学生の年齢にはバラつきがあるので、あまり上級生と下級生の間には壁がないのが学園の特徴だった。
学年に違いがあるので、おそらくレオドは私のことを知らないだろう。警戒を少しでも和らげるために、ひとまず会話をしなくてはならない。
「……夜の散歩に洒落込んでいたら、あなたの姿をお見掛けしまして。気になって、近くまで来てしまいましたの」
「夜の散歩……? 今の時間は、ダンスパーティが開かれているはずだが」
「ええ。ですから、抜け出してきたのです。……あなたも、わたくしと同じではなくて?」
聞き返した瞬間、レオドは困ったような顔色を浮かべたが、「まあ、そんなところだ」と曖昧に答えた。
むろん、彼の場合は抜け出してきたわけではなかった。そもそもレオドは“特別な出自”を持つ学生であり、さまざまな面で学園から配慮されているのだ。本人が出たくないと言えば、舞踏会に出席しなくて済むくらいである。
私はレオドの瞳を見つめながら、自己紹介のために口を開いた。
「わたくしは、オルゲリック侯爵家の三女であるヴィオレと申します。お見知り置きいただければ光栄ですわ」
「……っ。オルゲリック家のご令嬢か」
もとより私の家が有名なのもあるが、彼にとってはとくに驚きがあったのだろう。何を隠そう、ランドフルマ家の領地は“お隣さん”なのである。もっとも――お互い“帰属する国”は違うのだが。
レオドはどこか疑うように目を細めつつも、自己紹介に応じて名乗りを上げた。
「――私はレーヴァンという名前だ。わけあって家名を隠しているが、無礼をご容赦いただきたい」
ああ、そういえば。そんな名前だったっけ。――学園で通している“偽名”は。
ここでは生活上の不都合があれば、家名や実名などを隠して過ごすことが許されていた。家柄が高貴すぎて目立つのを避けるため、あるいは平民出身という理由で侮られるのを防ぐため。学園に申請したうえで、理由が正当であると認められれば、本名を秘匿できるわけである。
この青年も、他国からの留学生――つまり“外国人”という身分なうえに、家柄も向こうの国の中ではトップクラスなことから、できるだけ目立たぬよう仮の名で通しているのだろう。そしてダンスパーティにすら出なくとも許されるほど、その血筋は格別なのであった。
――隣国たるフェオート王国の、王家に連なる血脈でもあるランドフルマ公爵家。
爵位だけでいえばフォルティスも同じ公爵家なのだが、支配領地がそれほど広くないヴァレンス家と違って、ランドフルマ公爵家は正真正銘の大貴族である。
オルゲリック家の隣――つまり、戦争になったら真っ先に戦地となる土地を治めているだけあって、その権力も独立国並みであった。ちなみに五十年くらい前にオルゲリック家と領土争いをした過去があるため、私の家と彼の家は犬猿の仲といっても過言ではない。私が名乗った時に動揺を見せたのは、そういう理由もあった。
「なるほど、レーヴァン様……ですわね」
仮の名のほうを呼びながら、私はニッコリと淑やかにほほ笑んだ。月夜の静謐なる空間の中で、言葉を交わす美男美女。なかなか絵になる光景ではなかろうか。
私の可憐なる笑顔があまりにも魅力的だったのか、レオドはハッとしたように息を呑む。その表情に悪魔を目撃したかのような戦慄がうかがえたが、たぶん気のせいだろう。うん。
「こんな素敵な夜に出逢えたのも――何かの運命ですわ」
私は笑みを顔に貼りつかせたまま、ドレスの裾に手を伸ばした。
そしてスカートを上に持ち上げつつ、左足を後方の内側に引いて、右足の膝を軽く曲げる。
上品で優雅な挨拶とされる
レオドの顔を見据えながら――私は熱情を込めて、その言葉を紡いだ。
「ぜひとも、わたくしと――
・小ネタ紹介
【女性向け恋愛シミュレーションゲームで運動コマンドを……】
かの有名な『ときめきメモリアル』シリーズにおいては、あるパラメータを上げようとすると、ほかのパラメータが少し下がってしまうことがあります。この数値のコントロールに失敗すると、特定パラメータを条件とするキャラが攻略できなくなってしまったりします。
なお、最近は影が薄くなりつつあった『ときメモ』シリーズですが、2019年4月におこなわれたKONAMI開催のイベントにおいて、『ときめきメモリアル Girl's side 4』が発表されました。なんと9年ぶりの新作です。
ところで……本家のナンバリングは…………?
【カーテシー/Curtsy,Curtsey】
創作などにおいて、西洋風世界のお嬢様やメイドがよくやっているお辞儀です。Curtsyの発音的にはカートシーなのですが、もともとの語源であるCourtesy(礼儀正しさ、作法)がカーテシーと読むので、そちらと混同されて読みが定着したのかもしれません。
目上に対して跪こうとする意思を表すお辞儀であり、現実でも王族や皇族など、身分の高い相手への敬礼としてカーテシーが用いられたりします。が、このポーズを取るのは地味に大変なようです。足腰にかなり負担がかかりそうですね。
いわゆる『悪役令嬢モノ』では、主人公が華麗なるカーテシーをキメるのが一種のテンプレ表現となっていたりします。貴族としての優雅さや品格を表現しやすいネタだからかもしれません。
世の中のご令嬢の皆さんも、片足スクワットで足腰を鍛練して、美しいカーテシーができるよう頑張ってほしいですね!