武闘派悪役令嬢   作:てと​​

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武闘派悪役令嬢 006

 

 昼食後の、しばしの休み時間。

 天気と気分によって過ごし方が変わってくるものの、この日はよく晴れて爽やかな陽気だったので、私は学園のグラウンドにやってきていた。

 

 整地された広い空間は、まさしく校庭という風情だった。体育の授業などというものは存在しないが、魔法の実技をおこなう場合はここを使うことになるため、学生たちにとっては縁のある場所である。また課外の時間では、球技のような娯楽や魔法の自主訓練のために、グラウンドを利用する学生もそれなりにいた。

 今でも校舎に近いほうの場所を見遣れば、テニスのような遊びをしている女子グループが見える。正確にはテニスとルールがちょっと違うのだが、まあ細かいことはどうでもいい。要するに、学生諸君の余暇の使い方は、この世界でもそう変わらないということである。

 

「……いい天気ねぇ」

 

 うららかな日差しに心を和ませながら、私はなんとなしに呟いた。

 こんな晴れた日には、やはり外に出て体を動かすのがいちばんである。そう、運動というものはわれわれが健康に生きるうえで、基本的かつ重要な行為なのだ。この穏やかな快晴と広々とした大地を見て、肉体を活動させようと思わない人間は――ろくな輩ではないだろう。

 

「そう思わないかしら?」

「…………」

「思わない?」

「……なにが?」

 

 ふと本から私のほうへ顔を向けた、ちび学生――ミセリア・ブレウィスは、まるで話がわからないというような様子で尋ねかえしてきた。

 彼女は日光が直射しない木陰で、体育座りをして佇んでいる。そう――野外にいるにもかかわらず、この少女は読書に勤しんでいるのである。この生意気なガキを見たら、お天道様も大激怒まちがいなしではなかろうか。

 

「あなたねぇ……。わざわざ外についてきてまで、本を読むっておかしいと思わない?」

「おかしいとは思わない」

「……あっ、そう」

 

 私は呆れながら、ため息のような声を漏らした。

 

 あの日以降、どういうわけかミセリアは私にやたらと付いてくるようになった。理由を尋ねてみても、「友達だから」などという意味不明の回答が得られるばかりである。どうやら彼女の認識では、友達は一緒の場所で時間を過ごす存在らしい。

 ……もしかしたら、お友達教のアニスを真似ているのだろうか。だとしたら、いい迷惑である。

 

 金魚のフンのようにくっついてくるミセリアは、正直うざったく感じてしまうものの――かといって拒絶するのにも気が引けるのは、やはり彼女に少し関わりすぎてしまったからかもしれない。

 無感情で非人間的だった彼女が、自発的に“友達”などという社会的な存在に興味を示している。冷静に見れば、それはミセリアという存在(キャラ)が人間的な性質を持ちつつあることにほかならない。本来の(ストーリー)の筋で起こしうる行動を鑑みれば、それは更生と呼ぶに値するだろう。

 だから露骨に追い払うことには抵抗があるのだ。拒絶した結果、また何か事件でも起こされたら、まったくもって私の気分が悪い。

 

 まあ、たしかに目障りではあるものの――

 私の行動の邪魔をしているわけでもないので、好きにさせることにしよう。

 それが、私の出した結論だった。

 

「…………」

 

 ミセリアは本に視線を戻すことなく、私を黙って見つめていた。彼女はいったい何を考えているのだろうか。その内心を察するのは難しく、やはり理解できそうになかった。

 私は、彼方で球技に興じている女子たちを眺めながら――

 

 ――“ボール”を足で蹴り上げた。

 

 頭ほどの位置まで跳び上がった球体は、重力に従って落下する。それを右足の甲で、ふたたび蹴り上げる。少し軌道を変えて舞い上がったそれを、今度は左の大腿を使って空に飛ばす。

 いわゆる、リフティングである。サッカーなんて前世では体育の授業でしかやらなかっただけに、こうしてボールを蹴り上げて、落とさないように維持しつづけるのは相当に難しかった。

 

 体の動かし方と、力の入れ方。きちんとコントロールして蹴らなければ、リフティングを持続することは不可能だった。最近はようやくそれなりに続けられるようになったが、まだまだ完璧とはほど遠い状態である。

 

「――それ」

 

 ふとミセリアが、ボールを蹴っている私に声をかけた。

 

「それは、なに?」

「……これのこと? リフティングよ。球を落とさないように蹴り上げる、ただのお遊び」

「行為のことじゃない」

 

 真顔で言う彼女が、何を尋ねようとしているのか――私にはわかった。 

 そう……行為ではない。

 ということは、モノを指しているのである。

 

 私は、脛で高くボールを蹴り上げた。

 高く舞い上がったそれは、陽光を受けて眩しく輝く。

 私は重力に従って落ちてきた物体を――右手で掴み取った。

 

「――大したモノじゃないわ」

 

 私は右腕に“気”を集中させた。

 筋肉の隅々まで行きわたったエネルギーが、膨大な力を発揮して右手に伝わる。握り込んだボールは、破壊的な圧力を受けて悲鳴を上げていた。

 それでも――私の握力に曝されてもなお、球体はかろうじて形を維持していた。

 

 理由は簡単だ。

 なぜなら、そのボールは――

 

「鍛冶屋に特注して作らせたのよ。……鉄の球体を、ね」

 

 ――テニスボールほどの大きさの、鉄の塊。

 それは硬く、重く、そして丈夫だった。私が使うには、ちょうどいいくらいに。

 

「…………」

 

 ミセリアは一瞬、口を開きかけたが、すぐに閉ざしてしまった。言葉が見つからない、と言うかのようだ。

 ――にぃ、と私がふいに笑ってみせると、彼女はびくりと小動物のように肩をすくめた。怯える姿は、まるで年相応の少女のようだ。顔に恐怖を浮かべている時のほうが、人間味があってミセリアにはよく似合っていた。

 

「……ま、これも修行の一環よ。体を鍛えるためのね」

 

 そう言いつつ、私はリフティングを再開する。

 体を鍛える、というのは、もっと正確に言えば、骨を鍛えるということでもあった。

 

 ――かつての父が、よく家でビール瓶を自分の脛に打ち付けていた。

 当時の私にとっては理解しがたかったが、それは空手家にとっては基本的な鍛錬であるらしい。人間の骨というものは、衝撃を受けると骨芽細胞が活性化する。その人体の仕組みを利用し、あえて負荷を与えることによって、より太く頑丈な骨を作り出すことができるんだとか。

 弁慶の泣き所――などという言葉があるが、父はいくら脛を蹴られても痛くないと豪語していた。それは強がりなどではなく、本当に痛くも痒くもない鋼の骨と化していたのだろう。

 

 そう……普段から肢体への衝撃を繰り返すことによって、いかなる打撃にも耐えぬく、屈強で強靭な身躯を手に入れることができるのだ。

 

 ――落下してきた鉄球(ボール)を、脛で垂直に蹴り飛ばす。

 “気”を巡らせていても、さすがに骨に並々ならぬ衝撃が走った。ぶっちゃけて言うと、かなり痛い。だが、だからこそ効果があるというものである。

 骨折とはいかないまでの、微細な骨へのダメージ――それが重なれば重なるほど、私の肢体は強く成長する。

 痛苦は忌避すべきものではなかった。力を与えてくれる、受け入れるべき要素なのだ。

 

「……痛そう」

 

 なんとも言えぬ表情を浮かべたミセリアが、私のリフティングを眺めながら呟く。“気”の使い手ではなく、ましてや空手家でもない彼女にとっては、私のやっている行為など理解不能の領域なのだろう。ともすれば、狂気の沙汰に見えるのかもしれない。

 

「痛そう、じゃなくて痛いのよ。私にとっては耐えられる程度だけど。まあ……普通の人間だったら、死ぬほど痛くて真似できないでしょうね」

「死ぬほど……?」

 

 なんでそこに反応するのよ?

 不穏なワードに興味を示すミセリアのせいで、私は鉄球を地面に落としてしまった。小さくため息をつきながら、ボールを拾い上げる。

 

 その時、ふとグラウンドのほうを見遣ると――薄いシャツを着て、ランニングをしている男子が目に入った。

 その茶髪の青年は、私がよく見知った人物だった。フォルティス・ヴァレンス。同級生にして、婚約者でもある存在。

 最初に“力”の差を見せつけて以降、日常会話はろくにしていないので、婚約者のわりにいまいち関わりの薄い人物ではあったが――

 

「……ふぅん」

 

 大地を踏みしめ、体を動かしつづけるフォルティス。走り込みをしている彼の姿は、まるで運動部の学生のようだ。

 もっとも部活など存在しないので、彼が走っているのは自主的なトレーニングなのだろう。おそらくは――騎士となるための。

 

 だが疑問があった。

 騎士となるためには、とくに魔法の腕が重視される。どれだけ精確に攻撃を打ち込めるかの遠的や、多彩な魔法の実演など。いちおう模擬試合での動きも評価に入ってくるが、それにしたってスポーツ選手のような激しい運動をするわけではないので、あえて持久力を鍛える必要性はあまりないはずだ。

 

 私は少し視線を動かした。

 フォルティスとは違う、べつの男子の立ち姿が見える。銀に輝くプラチナブロンドの髪を持つ彼は、ここからでも美形の男性であることが一目でわかった。私の“知識”の中にも入っている彼は、フォルティスと同じように騎士を目指しているという“設定”だったはずだ。

 そんな彼は、どうやら風の魔法を練習しているようだった。杖を振ると突風が迸り、土埃が舞い上がる様子がうかがえる。顕現させる魔の力の強度、そしてコントロール。そういったものを日々繰り返し鍛錬し、魔術師としての技量を向上させているのだろう。

 それは――騎士を目指す者として、まっとうな修練方法だった。

 

 つまり、何が言いたいかというと。

 フォルティスが今やっている走り込みなど、騎士となるためにはまったく見当外れなトレーニングというわけである。

 

 それなのに。ああして魔法ではなく肉体を鍛えているのは、なぜなのか。まるで試験への合格ではなく、“実際の戦闘”を見据えてトレーニングを重ねているかのようだ。

 そう――実戦では魔法の技量だけが、すべてではない。相手の魔法に対応するための身体能力、そして決着がつくまで継戦するための十分な体力。魔術師といえど、本気で強くなるためには肉体的強度も必要となってくるだろう。

 

「強さ……か」

 

 フォルティスに対する評価、それが少しだけ変わった。

 ひとりの人間として、男として、なかなか見どころのある子のようだ。婚約者なんてどうでもいいと思っていたけれど――見方を改めるべきかもしれない。

 

「ふふふっ……」

 

 私は鉄のボールを右手で握りながら、不敵に笑みを漏らした。

 

 ――面白い。

 人が変わりゆく姿を眺めるのは、面白かった。そう、“彼ら”は人間なのだ。何かに影響され、何かを変化させてゆく、生きた人格(キャラクター)なのだ。当たり前なのだが、それは重要なことだった。

 

 アニスも、ミセリアも、フォルティスも。筋書きなどない物語の中で、それぞれの道を歩んでいる。それは不確定で、不可測で、そして未知にあふれた素晴らしい進路だった。

 知らぬモノを目の当たりにする――これほど楽しいことは、ないだろう。

 

「くくくっ……」

 

 心が弾み、力が湧き上がる。高揚した体からは、気があふれていた。まるで全身から、外へ漏れ出してしまいそうな錯覚に陥る。

 この渾身に昂る熱を、持て余したエネルギーを、右手へと収束させる。骨を伝い、筋肉に運ばれ、末端部分に破壊の力が宿される。それは何もかもをシンプルに打ち砕く、純然たるパワーの顕現だった。

 

 ――けっして人には向けられない暴力が、右手に発揮される。

 

 握力などという言葉では足りないほどの、すべてを押し潰す圧倒的な剛力。

 人体など一瞬で原形を崩すであろう圧力が、右手に握り込んだ金属の塊に向けられる。

 果てしない力を与えられた、鉄のボールは――

 

「……あぁ」

 

 私は全身の力を抜き、大きく息をついた。

 暖かい陽光と、穏やかな微風が、火照った体をなだめてくれる。

 そう、今はまだ昼の休み時間だ。遊びや憩いでリラックスするのが正しい過ごし方だろう。こんなところで、はしゃぐのは淑女としてみっともない。

 

 私は右手の中のものを、親指と人差し指でつまむようにしてぶら下げた。

 ――それはもはや、球形とは呼べないだろう。上下に過大な力を加えられたボールは、楕円体に歪み曲がっていた。

 

「これじゃあ……リフティングはできないわね……」

 

 また、鍛冶屋に頼まなければならないだろうか。いや、いっそ自分でボールの形に戻したほうが早いかもしれない。

 そんなことを考えながら、私はミセリアのほうを振り向いた。

 

「…………」

 

 彼女は青ざめた表情で、体を縮こまらせていた。

 眼鏡の奥の瞳は、死を目前にしたかのような恐怖の感情に支配されている。ひどく人間らしい様子で、ミセリアは震えていた。

 そんな彼女を眺めるのも面白くはあったが、あまり意地悪をしすぎないほうがいいだろう。

 私は肩をすくめて、彼女に声をかけた。

 

「そろそろ昼休みが終わるわよ。教室に行きましょう」

「…………」

「もしもーし? 聞いてる?」

「……寮室」

 

 ぽつりと言ったミセリアの単語は、私たちが向かうべき場所ではなかった。

 寮室? 今から戻っていたんじゃ、授業に間に合わないと思うのだけれど。

 

「寮室に行く」

「はぁ? それじゃ遅刻するわよ?」

 

 なぜ教室ではないのか。まさかサボろうというのか。でもミセリアの性格としては、そんなことをするタイプではなかったはずだが。

 私が困惑していると、彼女は平静を取り戻したように淡々とした声で、理由を口にした。

 

 

 

 

 

「――漏らしたから、下着を替える」

「…………」

 

 ミセリアの前で、全力を出すのはやめよう。

 ――私はそう心に誓った。

 


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