武闘派悪役令嬢   作:てと​​

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武闘派悪役令嬢 003

 

「五十一……五十二……五十三……」

 

 王都内のオルゲリック家が所有する屋敷に住まってはどうか、と最初は両親から提案された。

 上から二番目の兄が王都で、専門的な大学の教授として働いているのだが、その彼が暮らしている家はソムニウム魔法学園とも近い位置にあった。だからその屋敷の部屋を一つ借りて、そこから学園に通ったほうがいいだろう――という、常識的な理由で勧められたのである。

 

「七十二……七十三……七十四……」

 

 けれども私は断り、学園に併設されている学生寮で暮らすことを選んだ。

 より近いほうが通学しやすい、というのもあるし、何よりも周囲に人がいないほうが気楽でよかったのだ。王都内の屋敷には当然のようにメイドがいるうえ、兄に対して気を遣う必要もあることを考えると、私が寮暮らしを求めたのは必然だった。

 ちなみに寮の部屋は、家賃次第で相部屋か一人部屋かを選ぶことができた。平民やあまりお金がない貴族だと相部屋で生活している学生が多いようだ。言うまでもなく、私は一人部屋だったが。

 

「九十七……九十八……九十九……」

 

 自室では人目を気にすることがない。自分の好きなことに打ち込める。それは素晴らしいことであった。

 オルゲリックの領地から学園の寮に移り住んでから、私は生活習慣を変化させていた。骨格の成長が落ち着いた年齢になり、両親からの小言も聞かずに済むようになった今、私は自分の体を鍛えることに余念がなくなっていた。

 

「――百」

 

 腕立て伏せ百回、腹筋百回、背筋百回、スクワット百回。

 毎朝、十分間のストレッチのあと、自重トレーニングを同じく十分間おこなっていた。この寝起き後にする合計二十分の軽い運動は、もはや私にとっては欠かせない日課となっていた。

 

「ふわぁ……」

 

 まだ体に残る眠気にあくびをしながら、私はクローゼットから服を取り出して着替えを始める。汗は掻いていなかったので、シャワーを浴びたりタオルを使ったりする必要もなかった。

 自分でも気づかないうちに肉体の能力が向上していたのは、頻繁に気を体内に巡らせていたからだろうか。筋肉に馴染ませるように気を循環させながら、筋力トレーニングを始めとした運動をこなす。それを毎日持続させているうちに、私の体は息を吸うように気を取り込み、無意識的に運用できるようになっていた。

 

「……相変わらずの目つきね」

 

 着替えを終えて鏡を確認すると、そこには見慣れた吊り目が私を睨んでいた。鋭い眼光が宿っている。まるで獲物を探す、猛獣か猛禽類のようだった。

 顔は以前より大人びた印象だった。成長の証だろうか。何が目の前に現れようとも動じそうにない、精悍な顔つきだった。

 そして、お馴染みの金髪はというと――

 

「よし……面倒くさいからいいや」

 

 諦めた。

 故郷にいた頃はしっかり櫛で梳いていたのだが、もはや今となってはそんな時間も惜しい。したがって、寝癖以外は直さないことにしたのだ。

 つまり――

 

「おーっほっほっほ! この美しい金髪をごらんなさい! なんの手入れもしてないのに、ドリルみたいにカールする呪われた巻き髪を! ふざけんな!」

 

 私は意味不明なことを口走りながら、通学鞄を手に取った。

 ――どうして私の頭の左右に縦ロールが存在するのか。その謎を明かすことは、きっとデーモンを倒すよりも難しいのだろう。なぜだか私は、そんな確信を抱いてしまうのだった。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 学園での授業は、かつての世界の基準からすると、高校というより大学に近かった。学生たちは長い机が並べられた教室で、好きな席に座って先生から講義を受けるのだ。

 最初はどの分野でも基礎的な座学から始まるので、はっきり言って退屈な授業内容だった。私は普通の魔法の実践はてんで駄目だが、さすがに貴族として基本的な知識を教育されていたので、座学に関してはそれなりの素養があった。当分は勉強に時間を費やさずとも、なんとかなるだろう。

 

「…………」

 

 私は最後列の机の、窓際の席で頬杖をついていた。

 頬に手を当てているのは左手で、右手は机の下でタオルを持っていた。なぜそんなことをしているかというと――単純に、握力の鍛錬である。布を丸めて握りしめる、という行為を延々と繰り返すことによって、私は徐々に手の力を強化していた。

 手のひらに収まりきらないそれを、無理やり拳で圧縮するように力を加えながら、私は漫然と教室の中を眺めた。

 ――学生たちは、早くもグループを作っていた。

 本来はヴィオレが友達という名の子分を大量に作っていたはずだが、私はどのような人物であれ近寄らないように拒絶していたので、さっそく教室内の勢力は“事前知識”から乖離していた。

 

「あらあら、仲のよろしいこと……」

 

 前方の席で、アニス・フェンネルは友達と隣り合って座り、先生の話をまじめに聞いていた。親友ポジションの女の子とは、どうやらストーリーどおり仲良くなれたようである。……あの子の名前、なんだっけ? 忘れた。まあいいや。

 ひととおり見回したあと、私は真横に視線を向けた。同じ最後尾の机の対極側――つまり、廊下側の席に座っている学生を見遣る。

 

「ミセリア・ブレウィス……」

 

 私は、その少女の名前を呟いた。

 色白の肌に、アッシュグレーのショートボブヘアー。眼鏡をかけた彼女は、授業内容に興味がないと言うかのように、教科書ではない分厚い本に目を落としていた。

 学生の中でも群を抜いて小柄で、実際に年齢も最年少だったはずだ。私が今年で十六の齢になるが、彼女はたしか十三だったか。

 ミセリアは若い年齢でありながらも、その魔法の才はどの学生よりも優れており、いわゆる“天才”の類であった。だが優秀な実力を持ついっぽう、性格は常人のそれとは一線を画しており、ゲームが進むにつれてその狂気を発現させてゆくキャラクターとなっていた。

 

『どうして、生き物を殺したらいけない?』

 

 などと真顔で主人公に尋ね、ルートによっては思いっきり殺しにかかってくる彼女は、サイコパスロリとして一部の人にとっても人気だったとかなんとか。

 ……まあ、そんな余談は置いておいて。

 ストーリーの序盤から、学園では小動物の惨殺死体が不穏を醸すのだが、その下手人こそがミセリアだった。彼女がかかわるルートでは、徐々に動物殺しがエスカレートしてゆき、ついには人殺しへと発展する。その犠牲者こそが、ヴィオレ・オルゲリックなのであった。

 つまりは、彼女の存在は私の死亡フラグだった。

 

「…………」

 

 無言で彼女を、見定めるかのように見つめていると、ふと相手もこちらに顔を向けてきた。

 無表情、無感情なミセリアの瞳が、私を見据える。人間らしい感情の欠落したキャラクターだけあって、彼女が何を考えているのか察することはできなかった。

 ――ミセリアが笑ったのは、死の間際だけである。

 だが、具体的な彼女の心情は口から語られなかった。死の苦痛を抱きながら、彼女は何を学び、悟ったのだろうか。死を前にして、ようやく何か人間的な感情を手に入れたのか。それとも、価値を見出せない命というものと別れられる嬉しさに笑ったのか。ゲームにおいて正解は明示されなかったので、どうとでも解釈することができた。

 ――十秒が経った。

 奇妙なことに、ミセリアはまだこちらに目を向けていた。私も彼女を見ていた。お互いが、まるで相手を愛おしむ恋人同士のように、視線を合わせつづけていた。

 

「…………」

 

 せっかくの機会なのだ。

 第一印象は重要である。だから挨拶でもしておこう、と思った。

 私は唇を動かして、親愛を示す表情を作った。

 口角を吊り上げ、歯を覗き見せ、にっこりと愛嬌にあふれた素敵な笑みを。

 

「――――っ」

 

 だが、意外な反応が返ってきた。

 ミセリアは息を呑んだかと思いきや、その仄暗い灰色の瞳に、何か揺らぎを浮かべたのだ。

 つねに冷淡で機械のような人物で、死の直前だけにしか人間らしい感情を見せなかった彼女が――まるで、人間のような反応を。

 その眼に宿る色は、殺しを繰り返す狂人には似ても似つかない、拍子抜けするほど単純でわかりやすい感情だった。

 小動物が、猛獣に睨まれた時のような。

 ヴィオレが、ミセリアに襲われた時のような。

 ――弱者が、強者に対峙した時のような。

 

「……なぁんだぁ」

 

 私はどこか、がっかりするような気持ちを抱きながら呟いた。

 きっと彼女なら。天才で狂人の彼女なら。私に恐怖という感情を抱かせる、脅威的な存在として立ちはだかってくる――

 そう、期待していた。

 彼女の存在は、私の死亡フラグだった。

 ……それは過去の話で。

 もはや――そんな次元ではないことを、私はどうしようもなく、残念なほど思い知らされてしまった。

 

「……つまらない、わぁ」

 

 右手に力を籠める。

 私の失望、そして怒りという感情は、抑えがたい気の力となって拳に宿る。

 握力が、かつてないレベルに達する。その過大なパワーは、自分の手を握りつぶしてしまうのではないかと錯覚しそうになる。

 いや……全身全霊を出しきれば、もしかしたら本当に肉体が耐えきれないかもしれない。

 こんなところで限界に挑戦する気分にもなれず、私は右手に集めた力を霧散させた。

 

「――えー、では、今日の授業はこれで……」

 

 教壇から、どこか場違いのようにも感じられる教師の言葉が響いた。ようやく退屈な時間が終わったようだ。私はあくびをしながら、ほかの学生たちと同じように立ち上がった。

 鞄を持って、教室の出口へと向かう。

 廊下側の席のところまで来たところで、私は立ち止まった。ミセリアはまるで時間を忘れたように、本を読むこともなく俯いたまま、縮こまるように座ったままだった。

 私は努めて友好的な笑みを浮かべながら、彼女の耳元にささやくように、後ろから顔をのぞかせた。

 

「――ミセリア・ブレウィスさん、ですわね? あなたのうわさ、よく存じておりますわよ! とっても才能のある方なのだと……羨ましいですわぁ」

「…………」

「わたくし、魔法があまり得意ではありませんの。ですから、いずれミセリアさんからご教授していただけたら幸いですわ。……いかがかしら?」

「…………」

「おーっほっほっほ! 随分とシャイな方ですのねぇ! ……でも、構いませんわ。今日はお近づきのしるしに、これを差し上げますので――」

 

 私は彼女の眼前の机上に、右手の中に握っていたものを置いた。

 ――拳に握って収まるような、小さな、そして硬い球状の物体。

 ボールのようなそれは、それなりの大きさがあったはずのタオルが、極大な力で無理やり押し縮められた成れの果てだった。

 だが――これでは、まだ不足しているだろう。もっと努力すれば、もっと小さく圧縮できるはずだ。

 私はさらなる先を、高みを目指せる。そう信じて修練を積み重ねるのだ。

 

「……あなたと仲良くなれることを、願っておりますわ」

 

 びくり、とミセリアの肩が震えた。まるで子供のような、可愛らしい反応だった。

 私はニッコリと笑うと、彼女から離れた。さて、今日の昼はどんなものを食べようか。そんなことを考えながら。

 

 ――死を前にして、笑みを浮かべる。

 

 ふと、ミセリアの死に際の様子がよぎり、私はなんとなく共感してしまった。

 彼女と心情は間違いなく違うだろうが、それでも同じ場面に陥った時、おそらく私も笑みを浮かべることだろう。

 

 ――ああ、こんな強敵(愛しい人)が現れてくれるなんて。

 

 そんな喜びに、胸を躍らせて。きっと私は笑うに違いなかった。

 


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