武闘派悪役令嬢   作:てと​​

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武闘派悪役令嬢 016

 

 次の日の放課後。

 寮室に戻って私物を片付けた私は、とある人物と会うために部屋を出た。

 目的は言うまでもなく、ルフ・ファージェルという男の情報収集である――と同時に、“彼”と久しぶりに対面して言葉を交わすためでもあった。というか、むしろ後者のほうが本命かもしれない。フォルティスのように気軽に交流はできない関係上、なんらかの口実があるのならば、その機会を見逃すべきではなかった。

 

 階段へ向けて廊下を歩いていると――ふいに前方でドアが開かれた。ほかの寮室の女子が出掛けるところなのだろう。右手に分厚い本を抱えて、ちょうど姿を現した眼鏡の少女は――

 

「…………」

「あら?」

 

 私は眉をひそめつつ、見慣れた彼女――ミセリアに声をかけた。

 

「今日は一緒に行動するつもりはないわよ? 言ったでしょ?」

 

 フォルティスとお茶会をした昨日のように、基本的にミセリアはいつも私にくっついて日常を過ごしている。が、今日にかぎっては、私は事前についてこないでほしいと伝えていた。フォルティスのようにクラスメイトとして顔見知りの相手ではないので、さすがに部外者は連れていけないと考えたからだ。

 それを彼女は理解して、了承したはずなのに――

 まさか、無理にでも同伴するつもりなのだろうか? そう心配していると、ミセリアは否定するように顔を振った。

 

「友達と一緒にいる」

「はぁ? だから、今日はあなたとは――」

「ほかの友達」

 

 言いかけた私に対して、彼女は補足するように言葉を付け加えた。

 

 ……ほかの友達?

 その意味を理解して、少し硬直してしまう。ミセリアの言う友達とやらは今まで私ひとりを指した単語であったはずだが――どうやら、新しくべつの“友達”ができたらしい。

 

 クラスメイトの誰かなのだろうか? しかし、彼女がまともに会話したことのある相手など数が限られている。しいて候補に挙がるとしたら――アニスか、それともつい昨日に遊んだフォルティスか。

 とはいえ――私が見ていないところで、ほかの誰かと交流している可能性もなくはない。私だって週末はアルスの家を訪れているし、平日でもたびたび壁を飛び越えて無断外出していたりする。その間に、ミセリアが新しい友人を作ったということも否定はできなかった。

 

 ……気になる。めちゃくちゃ気になる。

 というのが素直な心境ではあるが――それはプライベートな事柄だった。

 私だってろくに個人的な交友関係を話してはいないので、わざわざ相手に尋ねるのも失礼というものだろう。

 

「そう……私以外の友達、ちゃんとできたのね」

「最近、できた」

 

 そう言って頷くミセリアは、いつもと変わらぬ様子だった。人によって態度を変えるような子でもないので、このままの在り方でも付き合ってくれるような相手なのだろう。

 なんとなく小さな妹の成長を見守るような心境で、私は顔をわずかに綻ばせた。

 

「友達は大事にしなさい」

 

 その言葉に、彼女はこくりと頷く。

 はたして共感性の欠如というものは、先天的なものなのか環境的なものなのか。いずれにせよ、最近のミセリアの様子を見るかぎりでは、彼女が誰かと一緒にいることは悪いことではなかった。私以外にも会話できる相手ができたのなら、それは喜ばしいことだろう。

 

「――じゃ、先に行かせてもらうわ」

 

 私はそう言うと、足早に歩きだした。手を軽く振りながら、ミセリアの横を通り過ぎる。彼女と話すことも悪くはないが、今の私には優先すべき人物がいた。

 

 向かうべきところは――放課後のグラウンドである。

 いつもの行動パターンからすると、日が暮れるまで彼はそこにいるはずだった。

 “あの時”以来、まだ言葉は一つも交わしていない。だから、間近で会って確かめるのが楽しみだった。――この短い期間で、彼がどれだけ成長したのかを。

 

 そして――どれだけ強くなったのか。

 少しだけ、味見しておきたかった。

 ――レオド・ランドフルマという男を。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 人の感情というものが、いつからか容易に察せられるようになっていた。

 これまでの人生経験による賜物……だけではない。もっと物理的な能力によって、相手の精神変化の機微を捉えられるようになったのだ。

 

 たとえば、瞳孔の細やかな動作。

 たとえば、息遣いの小さな差異。

 たとえば、心拍数の僅かな変化。

 

 研ぎ澄まされた五感は、あらゆる情報を感知していた。その人間の内部から発せられる微音でさえ、集中すれば感じ取ることができるのだ。そして――そうした情報を統合すると、相手の心情の変化まで精確に把握することが可能だった。

 ミセリアのように情動が乏しい人間もいるが、たいていは感情が呼吸や心臓などに表れるものである。

 とくに、もっともわかりやすい感情といえば――

 

「――あら、今日も精が出るわね」

 

 グラウンドで魔法の訓練をしていた学生に対して、その背後から声をかけた瞬間――相手の心音が一気に高鳴った。

 そして即座に振り向いた美青年は、左手に持った杖を容赦なくこちらへ突き付けていた。

 その顔は無表情ではあったが――感情があらぶっていることは明白である。

 

 ――殺意。

 

 そんな単語が、対峙している彼の姿から思い浮かんだ。

 まばたきせず、油断せず、私へ向けて警戒心と敵対心を向けているレオドは――まさに殺し合いに臨むような立ち姿だった。

 その反応も過剰とは言いきれない。実際にあの時の夜、彼は私に殺されそうになったのだ。もちろん私は()るつもりなどなかったが、彼にとってはこちらの内心など知る由もない。いきなり襲ってきた、わけのわからない恐ろしい狂人。そう思われても仕方のない邂逅であった。

 

「……なんの用だ」

「たまには話でもしようかしら、と思って」

「ふざけるな。きみと仲良くするつもりはない」

 

 ようやく杖を下ろしたレオドだが、足を一歩うしろへ退かせていた。私が普通の人間ではありえない身体能力を持っていることを認知しているので、近寄りたくない思いがあるのだろう。もっとも――こちらが本気になれば、彼が気づかぬ一瞬で肉薄することもできるのだが。

 

「故郷が“お隣さん”なんだから、そう邪険にすることもないでしょ?」

「……ランドフルマ家とオルゲリック家は、不倶戴天の間柄だとわかっているくせに」

「あらあら、昔の出来事に執着する男なのかしら? この戦争が少なくなった平和な時代なら、両家の関係にも改善の余地があると思わなくて?」

「…………」

 

 レオドは憎々しげに目を細めるが、じつのところ私の言葉はわりと正論なので、否定はできないのだろう。

 そもそも現ランドフルマ公爵は重い病を患っているうえに、その後継もレオドとその兄で実質的に争っている状況だった。内政が安定していないなか、他国の諸侯と敵対するなどという愚策を採るはずもなく、基本的に今のランドフルマ公爵家は不和を避ける方針のはずだ。

 そして私の父も、温和な人間性からか他国の諸侯ともできるだけ融和的な付き合い方をしていた。まあ歴史的には両家の仲は悪いのだが、当代にかぎってはかなり平和的な関係であると言えるだろう。

 

 そういうわけで――

 お互いの家の子弟が、こうして交流を重ねるというのは悪いことではない。

 

「……僕を殺そうとしたのに、よくそんなことを言えるな」

「殺そうとした? それは誤解よ」

 

 私は笑みを浮かべた。

 レオドにとっては悪夢のような夜だったろう。大地を貫くような鉄拳を向けられたのだ。本当に命を奪われると恐怖したに違いない。

 だが――

 

 わかっているはずだ。

 彼は愚か者ではない。

 ならば――彼我にある、圧倒的な差についても理解しているはずだ。

 そう――

 

「やろうと思えば、あなたなんて一瞬で亡き者にできるわ」

「…………」

 

 無言は肯定の合図だった。

 偽りなどない。ここで全力をもって踏み込み、正拳突きを放てば、それだけで彼の命は消え去る。誰かの生命を絶つことは、それほど造作もないことだった。

 あるいは、道義を無視するならば――

 他国の領地に侵入し、領主の屋敷に忍び込み、その一族を皆殺しにすることさえ可能だろう。

 

 絶望的なまでの、武力の違い。

 レオドはそれを認識している。

 だからこそ――

 

「……わかっている」

 

 彼は大きなため息をついた。

 何かを嘆くような、重々しい吐息だった。

 

「……僕は弱い。それを痛感させられた。きみに教えられたんだ」

 

 弱さを自覚し、強さを求める。

 私がそれを彼に促したということは、すでに悟っていたのだろう。

 

「あの夜、きみに殺されそうになって……強くなりたいと思った。身を守り、己の意を通す力を得たいと思った。そう……弱さを捨てることにした」

 

 そこでレオドは、初めて笑顔を見せた。

 気品を感じさせるプラチナブロンドの髪が、陽の光で銀色に煌めいている。生娘ならば一目で惚れてしまいそうな美青年っぷりだった。

 

「その成果は出ているかしら?」

「……それなりに」

 

 レオドは左手の杖を強く握ってみせる。

 彼が魔法の練習をしているのは、最初の頃と変わっていないが――以前とは決定的に違う部分があった。

 持ち手が逆になっているのだ。

 レオドは右利きで、魔法を使う時も右手で杖を振っていたはずだ。それが今は、左に変えていた。なんらかの意図があることは明らかだった。

 

「――昔の騎士は、利き腕とは反対のほうで杖を使っていたらしい」

 

 ほう、と興味を抱きながら耳を傾ける。

 昔、というのは戦争が身近にあった頃の話だろう。剣呑な時代の騎士は、実戦を見据えて生きていたはずだ。

 

「その理由は諸説ある。一つは、何か危険が迫った時にとっさに動くのは利き手だから、という説だ。たとえば暴漢がいきなり襲いかかってきた時は、右利きなら反射的に右腕で体をかばおうとする。そうすると――左手で杖を振るうことに慣らしておいたほうが都合がいい」

 

 なるほど。けっこう理にかなっている。

 たしかに転んで地面に倒れた時でも、反射的に動かすのは利き腕のほうだった。左手から右手に矯正して日常生活を送っている人でさえ、無意識の場面では本来の利き手を動かしてしまうという話を聞いたことがある。利き手で危険を防いでしまったら――攻撃に転じれるのは逆の手しかない。

 

「ほかにも、戦場では右手で盾を持っていたから、という説もあるな。今じゃ騎士が重い防具に身を固めることは少ないが、昔は当たり前のように鎧と盾を装備していたらしい。これもさっきの説に通じるが――ふと流れ矢が飛んできた時、それを反射的に防ぐなら利き手に盾を持っていたほうが生存率が上がる」

 

 戦争において、戦略的に重要な魔術師の生存力を第一に考えるならば、これも不自然ではなかった。利き腕のほうが運動能力が高いため、どちらを利き手に配置するかというと盾なのだろう。消去法的に杖が逆側に置かれたのかもしれない。

 

「――だから、あなたも古い騎士に倣って左手で訓練しはじめたわけ?」

「まあ、そういう面もある」

 

 微妙な言葉遣いだった。ただ古風なスタイルを模倣しただけではないと言いたいのだろうか。だとしたら――

 レオドが右手をフリーにしている真の目的。

 それに考えを巡らせようとする前に、彼は次の言葉を紡いでいた。

 

「僕が左手で杖を使うことにした、真の理由は――」

 

 その瞬間――気配が伝わってきた。

 

 レオドの肉体が動く。杖を持った左手を、下から振り上げる形で払う。その動作には当然ながら魔力がこもっていて――物理的な力へと変換されていた。

 強い“風”の力だ。

 おそらく面ではなく球でイメージした、砲弾のような風の塊。それを躊躇なく私の顔へと放っていた。

 

 唐突な不意打ち。

 それも常人が相手ならば、首を折って殺害しかねない威力の魔法だった。

 手加減など一切ない攻撃。

 レオドは私を本当に殺す気で、殺意をこめて魔法を打ち込んだのだ。

 

 ――そうまでしなければ、勝機のない相手だと理解しているから。

 

 彼の意志を受け入れるように、私は立っていた。

 手でかばうこともなく、大地に足を踏みしめて。

 しっかりと前を見つめ――その攻撃を食らった。

 

「…………っ」

 

 痛みが走った。

 鼻っ面をぶん殴られる感覚というのは、こういうものか。

 あの夜、レオドから魔法を受けた時よりも威力はずっと上がっていた。

 つまり――それは強くなっている証だった。

 

 わずかに、顔を引かせつつ――

 私はレオドの次の動きを、はっきりと認識していた。

 

 彼は連続して、こちらに攻撃を叩き込もうとしている。

 どんなに熟練した魔術師といえど、魔法を放つ間隔は一秒以上は必要だが――

 レオドの攻撃は、もしかしたらその一秒の壁を超えていたかもしれない。

 

 ――彼の右腕が振るわれていた。

 

 そして――右手から解放された物体が、私の顔を狙って飛翔する。

 魔法と投擲を組み合わせた、虚を衝くような二連撃。

 風の打撃で怯ませた私へ、レオドが放ったのは――鋭い尖端を持った、手投げの矢だった。

 

 その凶器は、ちょうど私の左目へと迫り――

 

「遊戯室の備品をくすねてくるなんて、イケナイ子ねェ……?」

「…………ッ!?」

 

 ――ダーツは静止していた。

 私の左手、その人差し指と中指に挟まれて。

 わずかでも遅れていたら、眼球に矢が突き刺さっていたかもしれない。目玉に“気”を通した時の耐久度など確かめたことがなかったので、焦燥がなかったと言えばウソになる。つまり――たった一瞬ながら、レオドは私に脅威を抱かせる存在となっていた。

 

 素晴らしい成長だ。

 魔法にこだわらず、ほかの道具を使ってでも敵に打ち勝とうという意欲。騎士としては失格かもしれないが、戦士としては合格だった。

 レオドは力をつけている。

 その事実に、私は自然と笑みを深めてしまう。

 

「…………殺す気で、やったのに」

 

 レオドは憎々しげな表情で、歯がみをしていた。全力で仕掛けた奇襲を防がれてしまったのだ。悔しさもあって当然だろう。

 

「十分よ。あなたは強くなっている」

 

 私はそう褒めながら、ダーツを手のひらに乗せて差し出した。

 フォルティスから遊戯室でダーツの練習をしているレオドの話は聞いていたが、なるほど悪くはない手段だった。

 投擲という攻撃は、原始的ながら威力のあるものだ。刃物を投げつければ流血させられ、石を投げつければ打撲を負わせることができ、砂を投げつければ目つぶしにもなる。なんでもありの殺し合いなら、距離を保つことでリスクを抑えつつ相手に被害を与えられる優秀な戦法だった。

 

「…………」

「安心しなさい。取って食おうなんて思っていないわよ」

 

 杖を構えて警戒するレオドに、私はそう言い聞かせる。

 少し迷ったような素振りを見せたが、彼はゆっくりとこちらへ近づき――ダーツを受け取った。

 

「さっきの魔法、痛かったわよ」

「……嘘をつけ。きみのような化け物が、あれくらいでダメージがあるはずない」

「……女の子に向かって失礼な言い方ね」

 

 まあ怯みはしたが、戦闘に影響のある被害だったかというと否である。真正面で受けても問題ないとわかっているから、素直に受け入れたのだ。本当に危険が迫っていたら、当然ながら私も防ぐか避ける。

 

 ――はたしてレオドは、私にもっと脅威をもたらす存在になってくれるのだろうか。

 

 そんな期待をひそかに抱きつつ、私はニッコリと笑顔を浮かべた。

 

「ところで、時間があるなら私と付き合ってくれない?」

「……きみと殺し(やり)合うなんて御免だ」

「そうじゃなくて――」

 

 年頃の女子が、気になる異性を誘う。この学園でもよく見られる行為である。

 そんなわけだから、私もレオドを誘ったって問題ないだろう。

 

 

 

 

 

「――私とお茶しない?」

 

 レオドは気が抜けたような表情を浮かべて、「なに言ってんだこいつ」というような反応をしていた。

 


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