「マクスウェルが、ここイル・ファンから逃げ出したようです」
「………そうか」
報告に来た兵士。対する上司は、何の感情も含めていないような声で、ただ返事をするだけだった。
「それで、四大精霊の方はどうなっている」
「あの槍に囚えられたとのことです。担当者がマクスウェルで無い方の侵入者に倒されていたようですが、代わりとしてあの女が」
「ふん、取り敢えずは予定通りか。それで、そのもう一人の侵入者は判明したか」
「は。名前はジュード・マティス。タリム医学校の医学生で、出身はル・ロンド。先に処理したハウス教授の助手とのことですが………どうしました?」
「いや。皮肉なものだと思ってなぁ」
男は、何かを嘲笑う顔を浮かべた。口からは、押し殺した笑い声がこぼれ出ている。
「"マティス"か………まさかあの腰抜けの息子がな。今更出張ってきたことはあり得んが………」
「あの、首領………?」
「戯言だ、忘れろ。それよりもマクスウェルの足取りだ。お前はどう考える」
「まず間違いなく、精霊の里とやらに戻るでしょう。力も、警備兵よりの報告を読む限りは、かなり落ちているようです。一人ならばすぐにでも捕らえられるほどですが………ジュード・マティスが厄介ですね」
「………ほう?」
「警備兵を薙ぎ倒した、と報告があります。誇張であればいいのですが………それとあともう一人、こちらは我らの武器を使う者のようですが、いかが致しましょう」
「ふん、放っておけ―――既に盤石の体勢だ。勝敗はもう決まっている」
「それでは、指名手配はせずとも?」
「いや、追うというポーズは必要だ。だが、名は伏せておけ。あの落書きのような手配書を書かせればそれでいい。しかし、ジュード・マティスか………そういえば、ハウス教授は一つのふざけた研究をしていたな」
「はい。何でも、霊力野を持たない人間が、精霊術を使うためにはどうすれば、と。そういう題目の一つでしたが」
「ずいぶんと面白い事を考えるものだな………ふむ、余計に放っておけ。手は出すな。
マクスウェルに関しては、いずれ必ず見えることになる。それからでも遅くはない」
「承知いたしました」
そうして、部下が去っていった後。男はこらえ切れないと、笑みを浮かべる。
「二十年………二十年の時を経て、ようやく始められるか」
愉悦。歓喜。男の顔には、それが浮かんでいる。
「卓は用意した。駒も揃えた。届くべき手段も整えた。20年、出来うる限りのことはやり尽くして――――ようやく、“弾”の目算もついた!」
抑え切れない喜び。裏には狂気が潜んでいる。何より、望みそのものがまっとうなものでない故に。
「――――アルフレド、お前が何を考えているのかは知らん。理解する必要もない、ただこちらの望みのままに働いてもらう。もとより、お前が望み、希てきた悲願であることには変わりない」
虚空に向けて話す男。その目には、異常たる何かが含まれている。
「精霊の世界の住人よ。お前たちにも協力してもらう―――――我々が生きるための、餌として」
何もない、暗闇で。男の笑い声だけが響いていた。