Word of “X”   作:◯岳◯

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7話 : 王都脱出

 

覚えがない。一分の間に肝が二回も冷えたのは生涯において初だと断言できる。

 

自由落下の途中、落下時間から高度を逆算した時の僕の顔は蒼白になっていたと思う。着地するにも無事にすまない高度。しかし、幸いにして落下先はそれなりの水深がある水場だった。着水した時にはそれなりの衝撃を受けたが、マナで防御したため肉体へのダメージはほぼ無いという結果に終わった。

 

そして現在である。直後に、僕は別の意味での衝撃を受けていた。何故かというと、

 

「ごぼ、ぼぼぼ?」

 

あらまあ盛大な泡、とか言っている場合ではない。なんともはや、マクスウェル子さんが力いっぱい溺れているではないか。急いで泳いで近づいて。

 

「ごぼ、ぼぼぼ!」

 

慌てるなと言おうとして、口から泡が。相当に焦っていたらしい、思わずやってしまった。そのまま、抱きかかえて水上に浮かび――――

 

「ぷはっ!」

 

抱えたまま、何とか水中から顔を出す。そのまま、かぶっていた面を取って、抱えていたミラを引き上げる。ああもう、ただでさえ服が重くてきついってのに!

 

「げほっ、げほっ………く、助かったぞ」

 

礼を言われたが、ミラはかなり苦しそうだった。まともに水を飲んでたから、無理もない。いや、冗談抜きで焦った。ミラが川に落ちる直後に何をやっていたかは見ていた。何かしらの精霊術を使おうとしていたのだ。しかし、術は発動しなかった。ミラは、それに驚いたせいか盛大に口から気泡を吐き出したのだという。危うく溺死する所だった。

 

「というか、何で泳げないんだよ精霊の主………」

 

まさかあそこまで泳げないとは思ってなかった。そんなお騒がせな精霊の主は、落ち着いてからこっちを見てぼやいた。

 

「流石に、ウンディーネのようにはいかないものだな」

 

「いや、当たり前だろ人間なんだから…………ん?」

 

ちょっと待て。考える暇無かったからあれだけど、マクスウェル子さんこと、ミラって見た感じ人間そのままだよな。

 

(………なんで、精霊の主様が人間なんだろう?)

 

大精霊ってのは、あの四大のようにそれぞれの系統の精霊が集まって形をなすものじゃあ。いやでも人間の精霊ってなんだろう。考えたこともない内容に悩んでいる僕をよそに、ミラはようやく呼吸を整えられたようだ。息を吐いたあと、こちらを向いた。

 

「助かったぞジュード。いつもはもっと泳げるはずなんだが………」

 

「いつもはもっと? ………もしかして、通常はは四大の力を借りて体を動かしているのか」

 

「あくまで補助だがな。水の中でも、空を飛んで移動する時にも四大の力を使っている」

「まじですか」

 

ていうか、マクスウェル様は空を自由に飛べんのか。うわ、乗せてもらいたい。っつーかこの服で飛んだら下からのナイスアングルがパンモロ!

 

(………じゃ、なくて)

 

今は鎮まれ本能。問題はそこじゃない。考えるべきは、何故四大の力が使えなくなったのかだ。そういえば突風が吹いた後、あの槍の中に四大が吸い込まれたように見えた。大きい気配が消えた感じも。と、いうことは―――もしかして、あれは目の錯覚じゃなかったのか。

 

「なあ……ミラ?」

 

「………ああ。四大の力を感じない………あの装置のせいだろうな」

 

ミラも見ていたようだ。同意しながら立ち上がると、濡れた髪を横に振る。いや冷てーな、おい。

 

「………ふむ」

 

ジト目で睨む僕をよそに、彼女はじっと正面を見据えている。視線の先は研究所の方だ。いや、まさか研究所に再突入はしないと思うけど………何やら心配だなこのマクスウェル子さん。

 

「分かっているとは思うけど………あの槍は四大の力無しに壊せるシロモンじゃないと思う」

 

「それは、そうだな」

 

返事をしながら、マクスウェル子さんはまた考えんだ。いや、僕もあの兵器を壊す方法を考えるべきか。まさか地道にどかりどかりと殴って壊すわけにもいかんだろうし。その前に拳の方が壊れてしまうだろう。

 

(あれ使えば何とか―――って、間違いなく死ぬがな)

 

禁じていた切り札はあるが、使えるようなもんじゃない。出来たとして死ぬのでは意味がない。そうして、しばらく考えていたのだが、ミラは思いついたようだ。顔を上げて、何事かを呟いた。

 

「あいつらの力、か………そうだ、ニ・アケリアに戻れば何とかなるかもしれない」

 

と、納得したように頷くミラ。すぐさま振り返ると、こちらの目をまっすぐに見てくる。その目に、落胆の色は毛程にも無かった。

 

「世話をかけたなジュード。手助け、感謝する………それではな。君は家に帰るといい」

「あ、ああ………」

 

すっぱりな感謝の言葉に、返事をして。階段を登って、去っていく彼女の背中を見ていた。後ろ姿というか、滑らか過ぎるヒップも綺麗だが――――考えるべきなのは、そこじゃない。

 

(………なんだ、この感覚は)

 

違和感、という程にはっきりとしてものではない。だけど、今のあの瞳は何だ。かなり大きな失敗をしたというのに――――欠片ほどにも、気落ちした様子が見られない。

 

(………迷いのない瞳は、綺麗だ。だけど、あれは何か違う)

 

これは彼女が精霊の主だからか。いや、もっと根本的な所で―――マクスウェルの"あれ"は違う。立ち直りが早過ぎるとか、そういうレベルにない。あの意志の強さには、どこか狂気を感じさせされる。先程見た瞳を思い返すと、どこか寒気を覚えるような。そんな時、階段の先から何か声が聞こえた。

 

「っ、なんだ?」

 

階段の上から女性の小さな悲鳴――――というか、苦悶の声というか。

 

「っておいおいおいおい! ずいぶんと、聞き覚えのある声だったなぁ、畜生が!」

 

気づけば、走り出していた。で、階段を登った先にあるのは、研究所前の広場だ。そこには思った通り、さっき別れた彼女と――――衛兵がいた。互いに武器を構えているのを見ると、すでに戦闘に入っているようだ。数にして1対4。

 

数にして4倍の兵力を持つ衛兵の方が、傍目には優勢に見える。彼らはミラを囲むような陣形を取っていた。先の報告を聞いたからか、慎重に手堅く攻めるようだ。対するミラは―――足を引きずりながら間合いを調整していた。

 

痛みに顔をしかめながら、足をひきずるようにして、何とかといった調子で距離を保っている。衛兵は、じりじりと合図を交わしながら、慎重かつ徐々に包囲の輪を狭めている。

(逃がさないように、か)

 

衛兵の目的は捕縛だろう。だからどうあっても逃げられないように、まずはミラの機動力を封じたのだ。上から出た命令だろうか。他に外傷が無い所を見れば、その推測は正しいように思える。

 

しかし、ミラは何故にそんな一撃を食らったのか。どう見ても研究所の中に居た衛兵と同レベルだ。まともに食らったとして、そんなにダメージを受けるような強さじゃない。その疑問の答えは、すぐに分かった。

 

「はあっ!」

 

ミラは、足をひきずりながら間合いに入った衛兵に剣を振る。

 

―――否。剣に、振り回されていた。まるで腕力が足りないか弱い女性のように、剣の重さに振り回されている。お粗末にも程があった。最底辺の傭兵のレベルにも達していない。当然に剣は防がれ、ミラは衛兵の反撃を食らう。

 

「………そういうことね」

 

四大の恩恵は無くなって。つまりは、これが彼女の素の実力ということだ。そうしている内にも、また衛兵の数は増えていく。対するミラは――――足音に気付いたのか、こちらをちらりと見た。

 

整った顔立ち。綺麗な瞳が、まっすぐとこちらを捕らえて。

 

しかし、直後に視線は逸らされた。

 

彼女は、先ほどまで共同戦線を組んでいたこちらに、しかし何も言葉を発さなかった。

おそらくは本格的に巻き込んでしまうことを避けるために、声をかけず。ただ無言で、敵のいる正面に向き直った。

 

――――ただの、一言も。

 

――――弱音さえも。

 

――――懇願しての助けなど、乞わないと。

 

自分の力のみで状況を打破せんと剣を構える。僕はそれを見て、笑いが零れるのを隠しきれなかった。

 

「………ばっかだなあ。勝ち目なんてないのに」

 

まずもって間違いない。研究所で対峙した時を思い返すに、彼女の戦闘経験はかなりのものだ。それゆえに自分と敵との現時点での実力差も、この絶望的な戦況も理解していると見ていい。

 

「ちょっと考えたら、分かるだろうに」

 

解決策はあるのだ。僕に助力を頼めばいいのだ。ミラも、僕の力量は知っているのだ。それが賢い選択。なのに、彼女はそれをよしとしない。それどころか、まるで知らない人扱いをする。

 

――――そう、僕を巻き込まないで。たった一人で、この窮地を戦おうとしているのだ。それでも。その背中は。

 

「あー、あー…………」

 

眩しい程に気高くて。

 

「あー………うー、もー!」

 

訳のわからない感情と共に、頭をかきむしる。そして重心は前に、後ろに出した足を踏ん張って。

 

「よーい――――」

 

マナによる強化は十二分に、全力で発射するように。

 

「だらっしゃぁぁっ!!」

 

踏み出し、地を駆ける。4歩目で、すでに敵は間合いの中に捉えていた。

 

「なん」

 

「セやっ!!」

 

兵士に何も言わせない程に、早く。先頭にいる衛士を一撃。腹に拳を叩きこんで、その場に昏倒させた。

 

「貴様、何も――――」

 

相手側は突然の乱入者に驚き、戸惑っているようだが、なにもかもが遅い。殴った衛士が倒れるより先に、ワンステップで踏み込み。二人が固まっている場所、その中間の位置にステップイン。

 

右の前回し蹴りで一人目を、

 

「続いてっ!」

 

続く左後回し蹴りで二人目を蹴り倒し、

 

「魔神拳!」

 

正面、直線上に居た二人を魔神拳でなぎ倒す。残すは後方にいる3人のみ。だけど、こいつらに構っている暇はない。そのまま振り返ると、ミラへと近づく。

 

「じゅ、ジュード!? お前は何を………!」

 

「いいから! さあこっちだ!」

 

何か言おうとするミラの腕を引っ張る。

 

「痛っ!」

 

「―――くそ、僕の背中に!」

 

足の怪我を思い出した僕は、咄嗟に背中を出した。ミラは一瞬だけ戸惑ったようだが、背中に乗ってくる。僕はそのままミラを背負い、唖然とする衛兵をその場に残して撤退を開始した。

 

「どういうつもりだ、ジュード!」

 

「本名はやめて欲しいなあ!」

 

僕の名前は不審者Aです! いや、さっき研究所でナディアに叫ばれたからもう無理か。

「君は………いいのか? このままじゃ君までお尋ね者になるぞ」

 

「いいから、そういうのは脱出した後で! このまま海停から船に乗ってラ・シュガルからトンズラする!」

 

ごちゃごちゃと背中から聞こえる声を無視する。それに、あいつらは倒すべき敵で教授の仇だ。殴っても何も問題はない。

 

だが、一人では流石に如何ともしがたい。ここは脱出すべきだろう。このまま、ラ・シュガル国内に留まるのは、絶対にまずい。あるいはここ、大都会であるイル・ファンの裏路地に潜伏することも考えた。だが、それは無謀だと言わざるをえない。時期に出口となる場所は完全に封鎖されるだろう。

 

それは国の手が届く場所全てに言える。つまり、ラ・シュガルにある街は全てだめなのである。それに、このイル・ファンから陸路でたどりつける街は少なすぎる。まさか、あの難攻不落のガンダラ要塞や、自然の要衝であるファイザバード沼野を抜けるわけにもいかない。

 

「ああくそ、流石は"輝きし王都イル・ファン"ってか!」

 

愚痴りながらも突っ走り続ける。間もなく、広場の向こうにある海停の前まで辿りついた。道中、通行人からの視線が痛かったがそんな視線には慣れている。

 

「ジュード、あれだ!」

 

「あれは―――しめた、イラート海停行きか!」

 

ア・ジュール所有の船だ。いざ船が出航してしまえば、ラ・シュガルには止められまい。その権限も無い。このまま、走って飛び乗るか。そう考えた時、目の前に衛兵が立ちふさがった。情報が速い、もうお尋ね者にされているのか。衛兵は、確信を持って進路に立ちふさがった。止まれと叫んでいる。だけど、止まれと言われて止まるお尋ね者は居ない。

むしろ加速したまま跳躍し、衛兵たちの頭上を飛び越す。しかし、相手も考えていたようだ。飛び越した先、予想着地点の周囲には、衛兵の団体さんが展開している。殺気飛び越した奴らのせいで、見えなかったのだ。見れば、先ほどまでとは1ランク違う衛兵もいる。

 

「ちいっ!!」

 

宙空で舌打ちをする。一人ならどうとでもなるが、ミラを背負ったままでは無理だ。だけど、留まる方が危険だ。国も、軍事機密を見た僕達にかける慈悲など無いだろう。捕まれば、ともすれば問答無用で処刑される。ならば、いっそ玉砕覚悟で突っ込むしかない。

 

そう思った時、横から何かが飛んできた。次々に飛んでくるそれは、石のように小さい。その礫のようなものが、待ち伏せしていた衛兵達に当った。衛兵たちが痛みに体勢を崩す。

 

「行け、そのまま走れ!」

 

「っ、分かった!」

 

飛び込んできた若い男の声。見れば、20過ぎの男がいた。何やら洒落た格好をしている。かなり胡散臭い風体だが、今は確認している隙がない。考えているよりも行動すべきだと判断し、着地直後に限界まで加速した。乱入者の攻撃に怯んでいる衛兵達の、その脇を駆け抜ける。

 

「船が出るぞ!」

 

「いや、この距離なら――――しっかり掴まってて!」

 

「ってえ、俺を置いてくなって!」

 

どこかの誰かの声を無視し、マナを足に集め、強化。

限界まで加速し、乗り場の門をくぐり抜ける。

 

「待て!」

 

後ろから衛兵の声が聞こえるが、無視。

 

「背負ったまま行けるか、無理なら代わるぞ!」

 

「こんな役得、譲るわけにはいかんでしょ!」

 

非常時にあれだけど、背中の感触がごちそうさまです!

 

「………役得?」

 

「よっしゃ口チャックだミラ! でないと舌を噛むぞ!」

 

追求を誤魔化し、正面にある木のコンテナに飛び乗る。その上を走り、更にクレーンに吊るされた木材に飛び乗り、最後に思いっきり船に向けて跳躍。船の甲板の上に着地すると衝撃を膝で殺し、背中のミラへ伝わる衝撃をできる限り少なくする。

 

でも、衝撃を完全には殺せず、ミラの姿勢が前へと傾いてくる。

 

(凄まじい弾力でごわす!)

 

混乱するほどの、見事なブツだった。思わずと口調が乱れてしまう。で、その隣では一緒に飛び移った男がいる。尻しか見えないと前置きがつくが。どうやら勢いそのままにコンテナに頭から突っ込んでしまったらしい。頭隠して尻隠さずといった風情で、もがいている。何という芸人か。素でこれだけの事をやってのけるとは。

 

驚く船員を見た後、僕は男を指してこういった。

 

「ビューティフォー」

 

「いや、助けろよ!」

 

 

切れ味するどいツッコミが、出航する船の甲板上に響きわたった。

 

 

 

 


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