暗い雲の下、平原の中を往く。目的地であるサマンガン海停を目指して。道中には魔物たちがそこかしこに彷徨いているが、出発前に使ったホーリィボトルが発するマナに怯えて遠ざかっていくばかり。誰とも接しない時間。聞こえるのは僕が引っ張っている馬の蹄の音と、自分の足音だけ。
馬の上のミラは、黙ったままじっと虚空を見据えている。足の傷が痛むのだろうか、時折少し顔を歪めては元に戻した。我慢しているのだろう。痛々しくて、目を逸らして、だから前だけを見ていた。
だからか、感じ取れるのは単調な音と、似たような風景だけになっていた。
そして、全身を蝕む痛みが。我慢はできるが、痛いものは痛いのだ。
だけど弱音は吐かない。僕以上の怪我をしているミラが弱音を吐かないのに、一体どうして守れなかった僕だけが。
そんな事をぐるぐると考えこんだまま、気づけばあたりは暗くなっていた。夕方にしても暗すぎる。そう思った時、ぽつ、ぽつ、という水滴の音が聞こえ始めた。
「雨、だね」
旅に濡れ烏は禁物だ。体力の消耗は道程に支障しか来さないから。このまま濡れてはかなわないと、僕は馬を道の脇に引っ張っていった。そして雨に濡れないように大きな樹の下に連れていき、紐を繋ぐと、馬の上に飛び乗った。軽く、衝撃を与えて驚かせることが無いよう、優しく飛び乗る。
そして、何やら虚ろになっているミラに手を伸ばした。
「降って来ちゃった。今日は、あそこで休もう」
「………分かった」
手伝って、一緒に地面に。岩壁にあった窪みに入る。詰めれば4人は入れそうな横穴にミラを座らせ、道具袋を取り出す。
見れば、ここも旅人が休むための休憩場のようだ。焚火ができるような場所もあった。濡れていない、燃やしても問題がないような木も置いてある。
そうして僕は焚火をするため、木を組んで――――その後に、気がついた。道具袋に入れているものを思い出し、そして冷や汗が出た。種火がないのだ。そして火の精霊術が使えない僕は、この木を燃やすことが。そこまで考えた時、後ろから声がした。
「どけ、ジュード」
詠唱もない。ただゆるやかに火の精霊が活性化し、焚火に火が灯った。
「………このぐらいはな」
「ありがとう。じゃあ、夕食を作るから」
材料はクレインさんからもらったものが。かなり高級なものも多く、早朝に屋敷で下ごしらえもしてきたから後は調理をするだけ。とはいっても、簡単な肉野菜入りスープと、サンドイッチだけ。
僕はまず鍋を取り出し、水を入れた後に焚火の上へと持っていく。
手は矢傷を負っていない方。それでも怪我をしていて、水が入っている鍋は重くて痛みが全身に走る。だけど、我慢をする。
「良い材料を貰ったんだ。きっと美味しいから、お楽しみに」
ミラは食べることが好きだ。だから、美味しいものを食べればきっと元気になるだろう。そうして、火加減を見ているときだった。
後ろにいるミラが、僕の名前を呼んだ。
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「ジュード…………ジュードは、何故武術を学ぼうと思った?」
手に頭に。白い包帯を所どころに巻きつけている少年は、じっと鍋を見たまま。痛みはあるのだろう。やや動作がぎこちなく、また歩く時の動作も今までの旅で見てきたそれより、荒い。だけど、力は本物だった。私も、四大が居た頃よりかなり力は落ちたけどそれなりにやれると思っていた。そんな自信を打ち砕いたナハティガル――――奴が言っていた事を思い出す。
倒れるジュード。ナハティガルはローエンに、女子どものお守りがお似合いだと言い捨てて、逃げようとした。だから追ったのだ。しかし、目の前には越えてはいけない方陣があった。事前に見た、呪帯を爆発させる忌まわしき仕掛けの。ナハティガル、そしてジランドという側近らしき男は既にその方陣の向うにいた。どうするべきか。火の精霊術を放つが方陣に防がれ、ここからでは攻撃も届かない。腰にある剣を投げたとしても、この距離では当たらないだろう。
そうして迷った時、奴は言った。
『無駄だ、"自称"マクスウェル』
酷く、癇に障った。それまでのご高説と同じか、あるいはそれ以上に。だけど使命を果たさなければと、問う。どうして、民を守るべき王が、その民を犠牲にしてまで力を――――黒匣を求めるのか。
ナハティガルは嘲りと共に、答えた。あの時のやり取りは、寸分違わず思い出せる。
王を自負するあの男は、声を張り上げて主張した。
『己を守るためには、力が必要なのだ――――国を! 地位を! 望みを! 意志を! 犯されず、守り通すには誰にも負けぬ力が!』
守るために。だが、国を守るというのに民を犠牲にするのはどういうことだ。
その問いに答えたのは、ジランドという男だった。
『貴方も同じでしょう。自分を――――"鍵"を守るためならばと、あのエリーゼという娘を見捨てようとしました』
『それは………っ!』
『出しゃばるな、ジランド。しかし、お前も分かっているではないか。何かを成すには、犠牲が必要なのだと』
『っ、守るものを、守るためにと傷つけるのがお前のやり方だというのか!』
『そうだろう! 大望のためならば、わずかな民の犠牲など些細なこと!
大のために小を捨てる事否定するのは、現実を理解していない愚か者の言葉だ!』
『それが王の………黒匣を使ってまでも成すべきことか! そのようなものを頼り、守ってもやがては全て潰れてしまうぞ!』
『貴様ごときの言葉など聞かぬ。それが真実かどうかも、分からないのではな』
『何を………!?』
その言葉に、私は驚きを隠せなかった。よりにもよって、その部分を疑うのかと。その問いに返ってきたのは、さらなる疑惑の視線だった。
『本当の危機であれば、精霊の主たるマクスウェルが黙ってはいないのだろう。だが、お前のような"弱い"小娘がマクスウェルを名乗るだと?』
あり得ん、とナハティガルは嗤った。
『っ、
『黒匣の力を使っていない我に完敗した貴様にも、言われたくはないことだな。まあ――――せいぜい囀っていろ』
ナハティガルは背を向けた。そして最後と、振り返らないままに言った。
『………そうだな、あの小僧であれば、何かを言う資格があったのかもしれんが』
『………何?』
『気に入らないことこの上ないが、認めてはやろう。意志一つでこの要塞に挑み、挙句は儂の身体に拳を打ち込みおった。力で意志を押し通したのだ。あ奴の主張であれば対峙するに足るかもしれん、が―――』
ナハティガルは興味もなさそうに、告げた。
――――儂に傷ひとつ負わせられぬ貴様が何を言っても、弱者の負け惜しみにしか聞こえんわ、と。
ナハティガルはそれだけを告げて、歩き出して。気がつけば、私は地面を蹴っていた。
何よりも、あそこで退けば私が私で無くなってしまうような気がしたから。
どういう攻撃をして、どういう防ぎ方をされたのか。あの時のことは痛みが酷く、方陣を抜けた後は思い出せそうにない。しかし、手に持っていた剣には血が、ナハティガルの額には傷が。
――――意志を通すことはできたのだと、知った。だけど代償になったものがあった。
片やジュードは、怪我をしていても治る範囲だ。意志を通すには力が必要だという。それは分かっている。諦めないからこその力であり、譲れないもののために我が意を貫くからこその強さ。
なのに、ジュードは――――精霊術も使えないのに、何故。そう思ってしまう自分がいた。血を流しながらも助けに。疑ってしまったのに、必死で駆けつけてくれたジュードに嫉妬していたのだ。
だから、黙っていた。だけど、どうしても気になってしまって、だから質問をしたのだ。ジュードは振り返らないままに、言った。
「………存在する理由が欲しかったから、かな」
目の前には背中。ジュードは、焚火の火をじっと見ながらぽつぽつと語ってくれた。
「僕には夢があったんだ。今のミラの足でも治すことができそうな、医者――――父さんや母さんのようになりたいっていう夢が」
やがてジュードは語り出した。治療院に訪れる人たち、そして感謝の言葉と笑顔。
それが眩しくて、だから憧れたのだと言った。
「だけど、届かないって知った。その、僕は精霊術の才能が無くてさ」
―――嘘だとは知っている。才能が無いのではなく、使えない。詳細を聞こうとした私達は、アルヴィンに説明をされた。ジュードは精霊術を発動させることもできないのだと。それを指摘しない方がいいとも言っていた。私達が指摘をすれば、ジュードは私達の元を去っていくかもしれないからと。
私達には理解できないことだと、そう渋い顔で教えられたからには従わざるをえなかった。
歴戦の傭兵であるアルヴィンがあんな顔をするほどの。
私では、想像することさえできない。
「ショックでさ。そんで、色々と事件があって……………誰とも話したくないって、引きこもって…………いっそ居なくなった方がいいんじゃないかって思うようになってた」
声はただ弱々しかった。いつものジュードの声ではない、弱気な少年のような声質。かなりの出来事だったのだろう。私も、四大を使役できなくなった時はかなり衝撃的だったが、ジュードはもっとショックだったのかもしれない。
心の底から望んだ夢があって――――だけどそのスタートラインにさえ立てないということを知ったのだ。事件があったとも言うが、どれだけの影が心に生まれたのか。心の内をうかがい知ることは出来ないが、このジュードが引きこもったというのだから、その衝撃が相当であることは分かった。
そして疑問が浮かぶ。
「何故、立ち上がろうと思えたのだ?」
「師匠が、ソニア
「何をだ?」
「頭が固いって笑われた。医者だけが人の命を救ってるんじゃないって、それでも嬉しそうにさ」
「それは………そうだな」
「言われてみればそうだったよ。例えば、食べ物を作る人。安全な寝床を用意する人。旅人を魔物から守る人。みんなが自分のために、そして誰かのために働いているんだ」
そして、働くことも。誰かの使命にしても、優劣を決めるものがあるわけじゃないと。
ジュードはそう言いながら、笑っていた。
「しかし、何故そこで武術を学ぼうと思ったのだ?」
「最初は………その、かなり自慢できない理由だったんだけどね。修行を耐え切れば、事件の当事者だったあいつを殴ってもいいからって、その条件なら修行するって答えて。まあ修行が終わった時には、その約束も忘れてたけど」
きつかったと、ジュードは言う。そして、その果てに夢の続きを見始めたらしい。きっと、何か別の方法で治癒術を扱えるようになるかもしれないと。
旅に出て、魔物と戦って鍛えて。そうして強くなったと、ジュードは言う。
「ナディアに会ったのはイル・ファンに出てきた後で。あいつも、色々と抱え込んでるもんがあるらしくて――――殺し合いになった」
「いや、何故だ」
「色々と理由はあるんだけどさ――――本当の所は、分からないんだ」
冗談抜きで、と。その声は今までとは違い、歯切れが悪かった。首をかしげているあたり、本当に分からないらしい。
「まあ、あんな銀髪チビは置いといて――――僕が鍛えたのは、こんな僕でもやれることがあるって知ったから」
「誰かを守るために?」
「使命、とまではいかないけどね。うん、怪我を未然に防ぐのも医師の役目だし」
「いや、それは事前の注意とかであって、物理的に防ごうとするのは違うだろう」
「結果を見れば同じだよ。万人を守る盾となる――――外科限定だけど新しい医療法だね、画期的だと言える。ハオ賞間違いなしかも」
ハオ賞が何かに知らないが、きっと違う。というよりは覇王賞なのではなかろうか。しかし、今の言葉には気になる点があった。
「万人、という割にはアルヴィンに容赦がなかったが」
「女性は守るもの、ってのが師匠の教えだから」
そう答えるジュードの顔は輝いていた。余程、その師匠とやらが好きらしい。そして思うのだが、男はあまり好きじゃないらしい。アルヴィン他、エリーゼを虐めていた村人を殴ろうとしていた所と見るに。8割は本当だが、何やら全ては語っていないような気がする。
しかし根本的な所は同じであろう。女性を守るというのも道理には敵って――――いやこのジュードを鍛え上げたという女性。その女性も、守られればならないほどに弱かったのだろうか。
尋ねた所、箒一本で盗賊団を掃除できる程度の腕前らしい。
何か、小刻みにぷるぷると震えているのを見るに、相当な使い手かもしれない。
「ちなみにジュード………そのソニア師匠とやらとナハティガル、どっちが怖いのだ?」
「レイアのマーボー・カレー攻勢の方が怖いね。ちなみに怒った師匠はその7倍強怖い」
レイアという名前が出てきたので、また尋ねる。その少女はソニア師匠の娘で、ジュードにとっては幼なじみだという。
今も故郷にいると説明しながら、ジュードは鍋に調味料と、そして材料を入れ始めた。
「………大丈夫。ミラならきっと、ナハティガルを倒してあの槍を破壊できるさ。何を言われたのか、聞きはしないけど」
それでも諦めてはいないんでしょ、と。ジュードの言葉に私は迷わず頷いた。
「なら、怪我が治ったら修行だね。ミラは才能あるから、ソニア師匠にアドバイスを受ければきっとすぐに強くなれる」
「強く、か。ああそうだな」
それから、色々な修行の計画を立てた。足が治っていない今に、その話をするのは気が早いがするが、それでも色々と前を向いて話すのは楽しい。
そして料理が完成して、ジュードは容器に盛り付けをはじめた。
「………美味しそうだな」
「栄養、つけなきゃならないしね。怪我治して、いっぱい食べて、修行して。最後には槍を壊して四大を取り戻して、さ。パワーアップしたミラの力で、あの凸親父にきついの一発かましちゃえばいいよ。それがミラのやりたい事、なんでしょ?」
「ああ」
「だったら、手伝うさ」
受け取った料理はいい匂いがして。だから食べる――――うん、美味しい。
「ジュードの料理は、やはり美味しいな」
「材料の恩恵もあるからね。普段なら手が出ないようなレベルの肉と野菜貰ったし」
「それでも、私ではここまで美味しく仕上げられなかった………到底、真似できないな」
「真似する必要はないよ。僕だって、ミラの無鉄砲さと、その、意志の強さは真似できないから」
「む、君にしては言うな」
「それだけ心臓に悪かったってこと。フォローするのも僕の役割だし、これからは無茶する前に相談すること」
「分かった。すまん、苦労をかけるな」
「………謝りはしても、無茶はしないとは言わないんだね」
「人は誰しも、成さなければならない使命がある………しかしやはり旨いな。サンドイッチのソースとか、絶妙すぎるぞ」
「あれ、真剣な話はどこへ………でもいいや。そのソースのレシピはシャール家の料理長に頼み込んで教えてもらったものなんだ。こっちは地方の色々な調味料のことを聞かれたけど、いい取引だった」
「本職のようだな。つまり槍を壊すのが私の使命だとするなら――――ジュードの使命は私に料理を作るということか」
「そっち!? いやてっきり、情報収集とか撹乱とか!」
「どちらにせよフォローに回るという意味では変わらないが」
言いながら、笑う私に、ジュードは言った。
「それもいいさ。ミラだけの使命なんだ、ミラ自身の力で果たさなければ意味ないからね」
「………ああ。私だけの使命だからな」
「頼りにしてるよ、ミラ=マクスウェル。これからも宜しく頼むね」
ジュードはそう言いながら手を前に――――出された掌には、包帯が巻かれていた。そこで、私は思い出した。色々と悩んでいたり。そして今は話が楽しくて忘れていたが、ジュードは私と同じぐらい重傷なのだ。
握手しながら、怪我のことをたずねる。最初の怪我は屋敷の前で、そして道中に行ったことの詳細を全て聞いた。この怪我の酷さも。
「無茶をするのは、君も同じではないか」
「大丈夫だって。こんなもん舐めときゃ治るし」
「本当か?」
いいながらほんの僅か、掌を握る力を強くすると、ジュードの顔がひきつった。
「………無理をするな。使命でもないのに命を賭けるなど、普通の人間が聞けばきっと呆れ果てるぞ」
「いやいや、美人の女性を助けるのが僕の使命だよ。具体的には胸が豊かな。それにドロッセルさんのことで役得もあったし痛ァ!?」
はっ、今は私は何を。見下ろせば、痛みに顔をひきつらせたジュードの顔があった。何故かむかむかするが、これも怪我のせいだろうか。いや、これはジュードのせいだ。
「その点でいえば、エリーゼは該当しないと思うが? 君はそんな男だったのか」
「えっと………いや、エリーゼはかよわいから。関係なしに守りたくなるっていうか、男の本能っていうか」
「ならば私は守りたくないと」
「話変わってるよね!? いや、将来に期待………というよりも、友達だからね。エリーゼも、そしてミラも」
――――友達。長らく聞いたことがない言葉だった。
というより、私には友達がいないような気がする。
「まあ、僕も友達いないしね。悪友しかいいないというか………なんでまあ、友達のためなら無茶だってするさ」
「そう、だな」
その言葉は、嬉しかった。マクスウェルだからと崇めたり、敵視する人間は居たが友達という関係を持っていた人間はいない。
だけど何故だか。面白くないというか、納得できないものを感じていた。
フラッシュバックするのは、血まみれのジュード。あの時のこいつは苦しい顔で、消えそうな声で、でも本当に――――
「えっと、ミラさん?」
「あ、ああ、すまん」
そうして、手を離す。しかし、お礼を言っていなかったことを思い出す。だけどここまで来て言い出すのは、少し。どうしようかと服に手をあて、そこで気がついた。
「ジュード………これを、受け取って欲しい」
「え、何?」
「私の気持ちだ」
言いながら、首飾りを取り出す。これはあの襲撃があった朝、市場で頼んだもの。幼い頃に遊んだ、外の友達。その時に貰った蒼のガラス玉を、失くさないようにと首飾りのアクセサリーとして仕上げてもらったもの。
ジュードにも以前見せたことがある。それを覚えているのだろう、酷く驚いた顔をしていた。
「こ、んな大事なものを」
「いいから受け取れ。女の贈り物は黙って受け取るのがいい男の条件だと、本で見たぞ」
少し叱るように言う。するとジュードは辿々しい手で、青いガラス玉に触れた。
「あ………りが、とう」
「こちらこそだ。君が助けに来てくれなければ今頃は…………ありがとう、ジュード」
礼を言う。するとジュードは、はっと顔を見上げて。
――――そして、静かに泣き始めた。泣きじゃくるとも違う、何か目の中から見えない何かしらの感情が溢れ出たかのようだった。
「ジュード!?」
「あ、ごめん………って、ま、じぃ」
ふっと、ジュードの目から光が消えて、そのまま倒れこんできた。
とっさに胸で受け止めるが、反応はない。怪我か何かと覗きこんだが、表情は穏やかなものだった。いつものような、目のあたりにいつも見て取れた険が消えている。そしてゆっくりとした呼吸も、よくよく観察すれば寝息であると分かる。
「………疲れていたのか」
私の事を心配してか、気を張っていたのだろう。そして、ひと通りの話をして安心したということか。あとはこの怪我。近くでみると、その痛々しさがよく分かる。その身体の小ささも。筋肉はついているが、やはりジュードはまだ成人もしてないのだ。私よりも小さな身体で、あれほどまでに。
考えていると、思わず手が頭を撫でてしまっていた。
「………さい」
「ん?」
寝言のようなものだった。そしてまた、ジュードの目から一筋の涙が溢れた。
「………ジュード」
それほどまでに怖かったのか、あるいは痛かったのか。途絶えた言葉を思うと、何故か胸が痛くなった。だから休めと、頭を撫で続ける。すると寝息はまたゆっくりと、穏やかなリズムを刻みはじめた。見ている内に、私も眠くなってきたようだ。
さっきまでははっきりと見えていた馬も、視界の遠くに霞んでいる。
ジュードの言う通り、食べて、そして寝て、明日からまた頑張ればいいのだ。意志を守ることができるだけの力を手に入れるために。
四大は、確かにいなくなった。精霊を使役する力も衰え、身体能力も比べ物にならないぐらい落ちた。納得はしないが、ナハティガルの言い分にも一理ある。確かに今の私の力は、マクスウェルと名乗るには足りないかもしれない。
だが、四大と共に在った頃とは違う、失ってから新たに得られるものがある。
ならば、負けることはないだろう。
そうして明日からもと、目を閉じた。傍らには温もりがある、今日はよく眠れそうだ。
――――そして数ヶ月後、私はこの時のことを後悔することになる。
どうしてこの時、泣きながら呟いたジュードの言葉を、その意味を知ろうとしなかったのかと。