まずいことになった。
前方には強靭かつ巨大な魔物、ではない。後方に力もない一般人がいることがだ。
(――――後ろに通せば、犠牲者が出かねない!)
この化物、どう見ても尋常なそれではない。マナを見る限り、強いことは間違いない。これだけ分かりやすく、密度の濃いマナを見せびらかしてこようとは。
表皮や羽の色も、通常の魔物とはどこか違っている。キジル海瀑に居たあいつと同じに、珍種の魔物なのかもしれない。いずれにしても、戦いを知らない人ならばひとたまりもないだろう。
悪ければ、一撃で終わってしまう攻撃方法は、羽かあるいは触覚か。
(もしくは――――っ!?)
考えている最中に、攻撃が来た。足元に精霊術特有の陣が浮かんだかと思えば、風が。
いきなりの攻撃にかわすこともできなかった。肌を浅く切り裂かれ、痛みと共に赤い血が飛び散る。
「っ、風の精霊術かよ!」
「気をつけて下さい! こやつ………強力な精霊術を纏っています!」
「そういうのは早く言ってね二人とも!」
精霊関係を看破するのは苦手だってのに。ともあれ、こいつは厄介だ。
今の術を見るに、ポイントを指定して術を発動させるタイプのものだろう。
このままこの位置を保ったまま、民間人を守り切る――――のは難しい。
で、あればだ。
「ローエン!」
「分かっています! 兵士の皆さんは民間人の避難を優先して下さい!」
爺さんは言葉で言わずとも分かってくれたようだ。ローエンの指示を受けたカラハ・シャールの兵達は、捕まっていた民間人達を抱えて洞窟の外へと走っていく。そして、僕は僕の役割を果たすことにした。
前衛として前へ。最も敵へ近づき、そして対峙して、相手を引きつけるのだ。
だけど、相手は空中を自在に飛び回っている。彼我との純粋な距離は遠い、注意を引きつけられきれていない。それを証拠に、化物はやや後方にいたミラの方へと敵意らしきものを向けている。
鳥が水面の魚を取るように。一瞬で降下して、ミラへと襲いかかっていく。
それを予想していたのだろう、ミラは化物の一撃を剣で受け止めた。
だけど勢いは強く、ミラは横へと弾き飛ばされた。
「ミラ!」
「大丈夫、だ!」
とっさに受け身を取ったようだ。そのまま転がり、すぐに立ち上がる。
しかし、早い。僕が走っても全力で走っておいつけるかどうか。
後ろに通せば、人死にの悲劇が量産されるだろう。
その前に何としても止めなければいけない。だけど、あの巨体は正直厄介だった。
そもそも届く位置にいなく、飛び上がったとて生半可な攻撃ではあしらわれて終わりだろう。
(それをさせないためには――――)
決めると同時、プランはすぐさまに浮かんだ。
「アルヴィン!」
「なんだ、ジュード!」
銃で牽制するアルヴィンに、叫ぶ。
「あいつに取り付く! 援護、そのまま頼んだぞ!」
「おま………ちっ、仕方ねーか!」
善は急げな状況ゆえに、迷うことはしない。僕はアルヴィンの了承の意を得るなり、すぐさま吶喊を始めた。マナで強化した足を台に、全力で前方へ"飛ぶ"。
「速い!」
ローエンの声はすでに後方だ。そして敵の真正面に躍り出ると同時に、挨拶代わりの魔神拳を放つ。
だけど距離は遠く、それは回避されてしまった――――が、ひとまずの意識は引き付けられたようだ。
化物はこちらに向き直ると、また風の精霊術を発動しようとする。
だが、それは銃声によって阻まれた。
「ギイッ!?」
アルヴィンの放った銃弾が羽を貫いたのだ。確認すると同時に、僕は前へと走りだす。
この場面でやるべきことは、ベストポジションの確保。
僕はマナで強化した足で跳躍して、化物の上空に飛び上がる。
しかし、まずい。こちらの思惑を読んだのか、化物は急速に方向転換して僕から逃れようとする。
「っ、させるか!」
咄嗟に、目の前にあった触覚をつかむ。
そのまま両手でしがみつく―――――すると化物は、触覚を振り回してきた。
「おおおおおおっ?!」
たまらず叫んだ。このまま岩壁に激突させるつもりだろう。
直撃すれば小さくない怪我を負うだろう。だが、これはチャンスでもあった。
かなりのスピードで迫り来る壁、だけどぶつかるのは間抜け過ぎる。
何より僕にぶつかろうとするなら、壁も敵だ。
敵ならば蹴りつけるべきで―――――されるがままに、というのも趣味じゃない。壁に激突する瞬間、僕は壁を蹴りつけた。
そして跳び、眼下に見えるのは化物の姿だ。
「取ったぁ!」
すかさず、体重を乗せた踵の一撃を化物の脳天に叩きこんだ。確かな手応えを感じ、虫の口から歪な悲鳴が上がった。
「ぎ、グゥゥゥッッ!」
虫の化物、この蝶野良は、怒ったのだろう。勢い良く頭を左右に振り、僕を振り落とそうとしてくる。しかし、ここで落とされては意味がない。
落とされないよう、触覚の根っこを両手で掴んで固定。飛ばされないように踏ん張り、やり過ごす。
そして体勢を立て直しながら再び頭の上に乗り、また踏んだ。踏んで、踏みつけ、踏み倒した。
また悲鳴。そして怒るお蝶さん。そんなこんなを三回ほど繰り返した後だろうか。
化物は今度は頭を振らないまま、岩壁の方へその進路を変えた。
「学習能力がないなぁ!」
さっきも繰り返したことだ。自ら手を離すと同時に化物の身体に蹴りを入れた。
その勢いには逆らわない。蹴り足から返ってくる手応えを跳躍力に変え、空中に。一回転をした後、硬い地面に着地する。
「ぐっ!」
思わず、声がもれる。どうやら衝撃は殺しきれなかったようで、足が痺れて動かない。
「ギアッ!」
そして、化物はそれを好機と見たのだろう。
動けない僕に向かって、追撃をしかけてこようとする。精霊術だ。
それも先ほどよりこめられているマナが大きいように感じる。
だが、その術が放たれることはなかった。
「「ファイアーボール!」」
後方と、敵の反対側から。2方向から放たれた火球が化物の頭部に直撃し、前後に爆ぜた。聞き覚えのある声に、見覚えのある火の精霊術。それを放った術者は、後ろから僕の横にまで近寄って来た。
「助かった、ミラ」
「ジュード………君は無茶をするのが趣味なのか?」
呆れたような声は、ミラのもの。頭痛がするのか、頭を抑えていた。いや、失敬な。
「役割を果たしただけだって。それに婦女子を庇って戦えるのは男の子の特権だってね」
師匠にそう教えられた。答えると、しかしミラはまた呆れ顔を一段と濃くする。
「囚えられていた人達のために、か。そういえば女性もいたか………君は本当に節操が無いな」
「あれ、そっちに取るの!?」
何かズレてるミラの見解。いや、主目的は貴方です。そしてエリーゼのためにです。しかし、時間は稼げたのか。見ると、民間人の避難は本当に済んでいた。半分は洞窟の外に、もう半分はさきほどまで閉じ込められていた装置の中に。エリーゼも一緒だ。クレインさんに付き添っている。
あそこは頑丈だし、精霊術も通さないだろう。
コアは死んでいるので、装置が再び作動することもない。
「そろそろ立てるか?」
「いや、もう少し」
―――ここだけの話なんですがね。ローアングルから見える貴方の太ももが輝いているんだ。
うん、エロすぎて、ちょっと足にきてるんです。
「………おい?」
「はい、起立!」
日直のノリで立ち上がる。
「次は、礼」
心の中で感謝を。良き、太ももにございました。
「………は?」
そして着席。座り込んだ僕の視界には、再び素晴らしきローアングルが。ってな所で、拳骨が入った。剣の柄の底が脳天に突き刺さった。僕は言葉も出せずに悶絶する。
「ってお前ら、漫才してないで応戦しろって――――おわっ?!」
アルヴィンの悲鳴が聞こえてくるが、うむ計画通り。すまん。先日のこともあるし、ちょっとした意趣返しのつもりだったんだ。ちょうど魔物が一番近くにいたし。
「ともあれ、放っておけるはずもないか」
「そうだな。だが、あの程度ならば問題はないだろう」
ローエンもいるし、包囲したまま全力で攻撃すれば、すぐに潰せるだろう。包囲していれば、まず僕達に攻撃を仕掛けてくるだろうし。
――――と思ったが、そう上手くはいかないみたいだ。
「………なに?」
それまでは近くにいる標的を。アルヴィンを優先して狙っていた魔物が、急にその動きを変えた。
ぐるりと、別の方向を向く。その先には、装置にこもっている民間人の姿。
「なっ!?」
ローエンが動揺する。僕も同じ気持だった。
そして僕は驚くと同時。蝶野郎の姿に、激しい違和感を覚えざるをえない。
(おかしい、だろう)
魔物といえば、人を襲う。しかし殺すことを目的としている訳じゃない。大半は自衛のためである。そしてこの場での自衛行為とは、強敵である僕らの排除だろう。それがなぜ、"優先して潰さなければならない強敵を放って、弱い方を先に潰そうとするのか"。
まるで、どこかの誰かに命令されたかのように――――
「…………ローエン?」
ローエンの顔を見る。蒼白になっていた――――直後に、赤くなった。感情が爆発したのか。そしてその感情の名前は、憤怒というのであろう。
あの爺さんはくせ者だ。此処に来るまでの道中も観察していたが、なにがあってもそれなりの余裕を保っていた。屋敷でのゴタゴタがあっても、動じなかった。ただものではないであろう、その爺さん見るも顕に感情をむき出しにしている。
「ナハティガル、あなたはどこまで………っ!」
続く言葉はアルヴィンの銃声にかきけされた。狭い洞窟の中に疾駆する銃弾が、魔物の羽を穿った。何か、よほど痛い部位に当たったのだろう。魔物はいつにない悲痛な色で、叫び戸惑っている。
まるで隙だらけだ。この機を逃す手はない。できれば精霊術で片付けたいが――――
「ローエン!」
ミラの声が響いた。激しい声に、ローエンの顔が跳ねるように上がった。
「何があったかしらんが、今は前を見ろ! 民を、主を見殺しにする気か!」
「ミラ様…………」
ローエンは、ミラの一括を噛み締めるように聞いた後。自分の頬を叩いて、気合を入れた。気を引き締め直したのだろう。
「って、まずい!」
見れば、体勢を立て直した魔物が装置の方へと近寄っていく。
アルヴィンが立ちふさがっているが、一人では厳しいだろう。
「くっ、ジュード、ローエン!」
「ええ、させません、撃ち落としましょう!」
「了解! ってかこの蝶野良、エリーゼに触んじゃねえよ!」
僕達はミラの号令に従って、化物の蛮行を阻止すべくマナを全力で絞りながら、魔物へと飛びかかっていった。強さ的には、ミラの社の前で出会ったあの規格外の化物より遥かに劣る。化物だからして、人間のような技量もない。樹界の出口でやりあった大木槌のオッサンのように、戦術として攻撃をしかけてくるわけもない。
ましてや、こちらは今や4人だ。負ける要素などどこにもない。
――――そうして、本格的な戦闘に入って10分後。
多少の負傷はあれど、死者なく勝利を収めることができた。
「もう、動かないよな」
最後に飛燕連脚で叩き落とした化物は、地面に落ちたままぐったりと横たわっている。
動く様子はない。
「そのようだ………だが、いつ復活するとも限らない」
すかさずと、ミラがトドメをさそうとする。
だが、僕はそれを制止した。
「っ、ジュード! なんのつもりだ!?」
「いや、ちょっと待って」
復活するかもしれない、その程度の危惧を抱くほどにこの化物は異様だった。戦闘方法も、この見た目も。そして生態もそうだが、色々とおかしい部分が多いのだ。トドメをささずに調べることが可能であれば、その方がいい。敵さんの目的か、あの装置の事が分かるかもしれないのだ。あるいは、ナハティガルの思惑が読めるかもしれない。
そう思ってミラを止めたのだが、
「なに………?」
次の瞬間だ。蝶の全身が光ったかと思うと、その輪郭が徐々に解けてゆく。
それはやがておびただしい数の光の粒に形を変えていった。まるで夜暗に映る蛍のよう。美しい光景に、その場に居た僕達は眼を奪われる。
「おお、これは………!」
「………微精霊、か」
マナではない、他の魔物とは違う。こいつは、微精霊の集合体だったようだ。あるいは、あの装置の産物というのか。だけど、それを考えるのは後でいいだろう。
僕はしばらく、その美しい光景に見蕩れていた。
どの場所でも、これだけの燐光を見たことはない。徐々に消えていく様もまた、儚くて綺麗だった。
そして消え終わった直後、横合いから声がした。
「………ありがとう」
「え?」
振り向くと、ミラは優しそうなほほ笑みを浮かべている。
一瞬だけ。僕はわずかに残った蛍のような光より、その笑みに意識を奪われた。
しかし、続く言葉は複雑なものだった。
「危うく、微精霊を滅してしまうところだった。だが、君は気づいていたのだな………止めてくれてありがとう」
「あ、うん」
いや、誤解なんですけど。でもちょっと調べたかっただけなんです、とは言えなかった。
なんでって、無粋な言葉を挟むには、ちょっとミラの笑顔が綺麗に過ぎた。
それに、微精霊のことは僕には分からない。マナのやり取りもしたことがないから。
複雑な気分のまま、ようやく光の粒子は全て消えた。
「………さあ、カラハ・シャールに戻りましょう」
「そうだなぁ。あー、しんどかったぜ、ほんとによ」
爺さんと疲れた中年の声が背後からする。
「聞こえてんぞぉ、少年」
「うん。聞こえるように言ったからね………って、こんな事をしてる場合じゃないか」
みな、マナを大量に吸い取られてしまっている。恐らくは、身体も相当に弱っていることだろう。
急を要する容態でもないが、早く休むに越したことはない。
「行こうか………手伝うよ」
これでも医者の端くれだし。そう言うと、ローエンは笑顔でありがとうございますと言った。
僕はそれに頷きながら、エリーゼ達がいる装置の中へと、歩いて行く。
(めでたしめでたし、といった所かな)
ひとまずの問題は解決しただろう。クレインさんも、イル・ファンへ行くための協力はしてくれるはずだ。ここに来て関係を断ち切ることも有り得ない。
色々と予想外の出来事は発生したが、カラハ・シャールにおける騒動は研究所とは異なり、いい方向で収束した。
――――と、誰もが思うところだろう。しかし、事実は異なっていたのだ。
この時期にカラハシャールで起きた一連の騒動。後に繋がる第二次ファイザバード会戦への、その発端の一部を担うことになったとして知られる、重大な事件。
―――僕は、この時にはまだ考えもしてなかった。
その騒動が、より本格的なものへと加速していくことを。