取り敢えずティポの巨大化は見なかったことにしようと、みんなの間で意見が一致する。だけど現実逃避してばかりもいられない。ひとまず僕達は、兵士たちが守っていた先にあった見るからに怪しい洞窟の奥へと向かった。否、向かおうとした。過去形になった原因はひとつ、入り口がふさがっているからだ。見たこともない、紫色の光で編まれた方陣のようなものが壁になっている。
位置と意図と敵方の目的を察するに、これは妨害障壁の類だろう。
(特殊な精霊術か)
それもかなり強力なもののようで、迂闊に触れると何が起こるか分からない。だけど壁ではないので、障壁の隙間から向こう側が見えた。奥は開けた場所になっている。普通ならば暗闇に閉ざされているところだけど――――
「見える。って、なんだあれは」
光の届かない岩穴ならば、暗闇につつまれていて当然。しかし、そうではない。広場には、あらゆるところに人間の手が加えられていた。高級そうな装置が並んでいる。それは、ラフォート研究所で見たものに酷似していた。何に使うのかも分からない、未知のもの。
だがその奥に、見知った人影を発見したのは同時だった。
「クレイン様!」
「他の人達も!」
方陣の向こう、その奥の扉。横にはガラス窓のようなものがあり、中が透けて見える。見せつけられていたといった方が正しいかもしれない―――なぜなら、囚われている人達がいたから。領主であるクレインさんと、名前も知らないがカラハ・シャールの住民だろう人達がそこには居た。彼らは一様に苦しんでいる。胸を押さえて膝をついて、もがきいているようだ。呼吸さえも出来ないというほどに。
原因は、周囲にある装置のせいだろう。僕は、それに見覚えがあった。
「あれは、ラフォート研究所で見た………!」
「………
「ま、ずいな。マナを吸い取られ続けて………クソ!」
こうもまざまざと見せつけられると、怒りしか湧いてこない。研究を変なことに使いやがって。
「アルヴィン!」
「ああ、やってみる」
アルヴィンは頷くなり、背負っていた大剣を抜き放つ。
呼吸を整えた後、叫びと共に大剣を一閃した。鈍い音が洞窟の外にまで鳴り響く。
だが、それは障壁が壊れた音ではなかった。
「………やっぱりな」
アルヴィンは大剣を背負い、つぶやく。手を抑えているのは、衝撃に痺れてしまったからだろう。そして衝撃をまま跳ね返した方陣は、当然だというように無傷のままそこに残っている。大剣の方も無傷ではない。当たった部分に黒い焦げ目のようなものがついていた。
頑丈すぎて、正面からの突破は困難のようだ。
「やはり
ミラが何事かをつぶやいているが、考察は後だ。今は今とてやらなければならないことを優先する。
「ローエン、あの方陣はどこから? 自然に発生しているとも思えないんだけど」
「恐らくは、あれでしょう」
そう言って指差す先、広場の天井付近にある大きな岩。そこには見るからに力がこめられていそうな岩があった。だが、方陣の向こうにあっては手が出せない。
「あのコアを破壊するしかない。ですが、正面からは無理………ならば、抜け道を探すしかないでしょうね」
「そうだな。っと、見ろよ。岩の上………あれ、穴があいてないか?」
アルヴィンの言うとおり、岩の上には穴があいていた。それもかなり大きめの穴だ。
あれだけの規模なら、もしかしたら山頂にまで繋がっているのかもしれない。
「………決まりだな。ロッククライミングと行きますか!」
登りながら抜け穴を探す。もしかしたら、どこかで横穴に繋がっているかもしれない。だけどどうやら、風穴は山頂にまで続いているようだった。どこを見ても岩だらけで、崩れている場所など見つけられない。ならば一刻も早く登り切るまで。僕達は魔物を蹴散らしながら、急いでよじ登っていく。エリーゼはついてこれないので、僕が背負っていた。
これも僕の責任だからだ。アルヴィンは麓の洞窟付近に待機させとけばと言ったが、いつ兵士が戻ってくるかもしれないので、却下した。
(そうでなくとも却下だが)
樹界でエリーゼに不義理を働いてしまった今だから。なおさらエリーゼ不安を高めたくはない。とはいえ、山頂までの道のりは険しかった。子供とはいえ、人一人を抱えて昇るにはきつい段差だ。跳躍し、手で岩を掴んでよじのぼるも、腕の筋肉にかかる負荷はいつもの1.5倍だ。飛び降りる時も同じで、足にかかる負担が高まっている。それが続くのだから、いくら僕とはいえ疲れるのも仕方ないことだろう。かといって、愚痴を言っては背負うと言った男の名折れ。
掌が疲れようが、太ももの筋肉に疲労がたまろうが知ったことではない。ヘタろうとする意志をなんとかおさえつきながらも、僕は頂上にたどり着くことができて。だけどたまらず、転けるような勢いで地面に膝をついた。
「だ……大丈夫、ジュード」
背中から降りたエリーゼが、心配して声をかけてくれる。自分が荷物になっていたからか、すごく申し訳なさそうだ。だけど、これも僕の都合の一つでもあるんだから、何も言えない。
「すごいしんどそー。ちょこっとだけ休むー?」
ティポまでも心配の声。
だけど、空気が重くなるのは嫌なので、親指を立てて大丈夫だとジェスチャーだけで答えた。
今はちょっと喋るのもつらい。肺がきゅうきゅうになっているし、吐く息もかなり熱くなっている。
いわずもがなだが、全身も熱く汗が吹き出ている。
「無理するからだって。ったく、急ぎすぎだっての」
「というよりも、私ならば登りきれなかったと思うぞ。シルフで飛べれば、別だろうが」
アルヴィンとミラが呆れた風に言う。二人の額からも汗が出ている。
「それだけに危ない状況ということです………が、ここは5分程度は休憩すべきでしょう」
「休憩? ………よりにもよってローエンがそんな事をいうとは」
今は一刻も早くあの装置を止めなければならない。クレインが死ぬ。民が死ぬ。それをこの中で一番許せないのがローエンだろうに。
「時間が無いのは分かっています。ですが、焦りは眼を曇らせます」
失敗すれば何もならないと、ローエンは言う。
「こんな時だからこそ、冷静に。クレイン様や民の方達も、あと一時間は持つでしょう。そういった余裕があるならば、体調は万全な方が良い。今からではカラハ・シャールの兵も間に合わないでしょう」
「………クレイン卿、いや囚われている奴らの命は俺たち次第ってことか」
「ええ。失敗は許されません。それにナハティガルは馬鹿な男ではありません。こ
うして私たちが間に合うこと、彼ならば予測はしていたかもしれない」
「あの装置を壊した後に、何かが起きると?」
「はい。こうした有事において、優先されるべきは過程よりも結果。急いでいただけるのはありがたいですが、目的を果たせないのであれば意味もない」
「ふむ、その通りだな」
ミラが深く頷いた。
「はい。それに…………この風穴を降りる方法も考えなければなりません」
ローエンの指差す先には穴がある。コアはきっと、この下にあの広場があるのだろう。なぜ分かるっていえば、あれだ。馬鹿げた量のマナがまるで暴風雨のように湧きでてきているからだ。
「私が考えます。皆さんはご休憩を………10分後に、この穴から降ります」
高さのことも考えてだろう。僕達はローエンの言葉に従い、そのばに座り込んだ。
「いい景色だなー。ハ・ミルを思い出す」
高台から落ちた記憶も思い出したけど。でもまあ、こんな高さから落ちればどう強化してもミンチになるのは免れないだろうなー。そんな高い所からあの広場まで降りなければならないのだけど、はてさてローエンはどうするつもりなのか。
「どうにかするのだろう。しかし…………ジュードの言うとおりだな。この景色は、見ていて心が晴れやかになる」
横に座っているミラが感慨深そうに頷いている。
「うんうん………でもミラなら、シルフを使役できていた頃はこれよりもいいものを見ていたんじゃないの?」
高々度まで飛び上がれるなら、もっと高いところまで行けたはずだ。
「そうだな。だが、こうして自分の足で登ったのは初めてだ」
ほら、とミラは掌をみせてくる。その手袋は岩で切ったのかところどころ破れている。
服もそうだ。肌が見えている部分も、少なからず土埃に汚れている。
「足も、酷使したせいか痛い。だけど、それだけ自分が居る場所が実感できる」
「どーかんだ。まあ、やっぱり山登りは自分の足でこなきゃな………かなーり堪えたけど」
アルヴィンがおっさんくさそうに腰をさすっている。ふと振り返れば、ローエンも腰をさすっていた。さっき登り切った時は何でもない風に装っていたのだが、その実は疲れているのだろう。
「疲労さえも心地良い。四大を使役していた頃は考えもつかなかった理屈だよ」
「そうだな………与えられるよりは、手に入れる方が。自分の事なんだって実感できるし」
快楽も苦痛もだ。望んで得たそれは、骨身に染みる。
「私は………ジュードに、おぶってもらいました」
残念そうにエリーゼ。でも、今回は仕方ないのだ。
「そうだね。でも、今回は特別に急ぐ必要があったから」
急ぐ理由でもなければ、もっとゆったりとしたスペースで来れただろう。
エリーゼを待てるぐらいには。
「まあ、かなり疲れるけどね。それでも良いってエリーゼがいうなら、今度また来ようよ」
言うと、エリーゼとティポが顔を見合わせる。そして笑いながら、元気よく頷いた。
「兵士の邪魔さえなければ、だな………しかしナハティガルは何を考えている。民を守るのが王の仕事だろうに」
「軍人さんもなあ。あいつら、自分たちが民間人に手を出すってのがどういう事なのか理解してるのか?」
珍しくアルヴィンが文句を言っていた。その通りで、危機無き時に力を奮うべからず。それは流派の掟ですらない、力を身につけるものが心得ておく常識だ。人を傷つけるのが主な目的である力など、ただの魔物と変わらない。奮う意味もない、しかも力を持たない人間を力任せにとらえるなどと。
およそまともな軍人が行う所業ではない。
「ま、兵士には兵士で色々とあるんだろうさ」
「そうだな。それに、命令なら従うのも軍人の仕事だぜ?」
「上司の間違いを指摘するのもな」
軍人が民間人に手を出す。考えうる中では、最も愚劣な行いだ。
崖下に向かって一直線に突き進めというようなもの。それを正すのも部下の役目だろうに。
「そうだな………だが、本当にそんな兵士がいるのか?」
「めったにいないだろうなあ………基本的に命令違反は厳重処罰ものだし。その上で上司に意見をしようって兵士か」
そんな兵士、僕は一人しか知らない。その名もミスター・モンバン。違った、モーブリア・ハックマン―――ガンダラ要塞の門番さんだ。最初に出会った頃のあの人は、確かに他の兵士とは違っていた。自分の信念の元に、力を行使している。だけどそれは、ラ・シュガルを守るためだけではない。主成分は、もっとクサくて泥臭くて素敵なものだ。少し師匠に似ていて。だからこそ、僕は頻繁にあの場所へと通っていたのだ。
「あの人なら、こういった事は許さない。僕も許さない。ミラも許さない?」
「守るべき人間を道具のように消費する行為を、許せるはずがないだろう。ましてや黒匣《ジン》だ。許す理由などどこにもない」
「なら、行こうか。ちょうど用意もできたようだし」
きっかり10分。考えぬいたローエンの案は、シンプルなものだった。
「噴き上がる精霊力に対して魔方陣を展開します………それにのってバランスを取れば、無事に降下できるかもしれません」
「無傷か死ぬかは、賭けってこと?」
「その通りです」
じっと黙る皆。流石に危険なのでエリーゼには残っていてもらおうかとも考えたが、視線でそれを拒否された。覚悟はできたらしい。
「アルヴィン、コアをよろしく」
「ああ。だがあの位置………この高さから飛び降りるなら、狙うチャンスは一度ってことか」
「そういう事だけど、できる?」
「やってやるさ」
頼もしい返事だ。僕はそれを信じることにした。
「ローエンも。舵取りは任せるよ」
「………覚悟が早い。ミラ様も、度胸がお有りですな」
「他に方法もない。迷って間に合わずでは本末転倒だろう」
腕を組んで泰然と答えるミラ。いささかの揺るぎもない様子は、流石の精霊の主といったところか。そして皆が魔方陣に乗る。少し不安な表情を浮かべているエリーゼを、抱き抱えて座る。
エリーゼが僕の腕、服をぎゅっと掴んだ。
「手を離さないでね」
「はい!」
「あとティポさんは頭に噛み付かないでね。前が見えないし怖いから」
「えー」
「いやえー、じゃなくて」
「では………参りますよ!」
声と同時に天高く放り上げられたナイフ。そして描かれた方陣の形状が変わっていく。前を細く、後ろを広く。そのまま飛ばせば大空を飛び回りそうな姿になった方陣に、僕達は飛び乗った。
方陣が、体重に圧されて降下、マナの嵐吹きすさぶ中へ突入していく―――――!
「くっ!」
しっかりと踏ん張りながらエリーゼを抱きしめる。それでも飛ばされそうになった。このまま長時間は耐えられないだろうが、それは無い。登るのは大変だが、降りるのは一瞬なのだ。
そして――――
「アルヴィン!」
「ああ!」
撃てる時間もほんのわずか。声に応じて、見えたコアにアルヴィンが狙いを定める。
「く、だがこう揺れちゃ………!」
腕がマナの風に揺られている。
(あれでは当たらない………!)
狙いを定められないのだ。そして二度登る時間も、また無い。
(ならっ!)
僕はエリーゼを抱えたまま膝立ちながらも移動し、アルヴィンの懐へ行き。
そしてアルヴィンの腕を押さえ込んだ。
「気が利くな………汗臭いけど!」
「言ってる場合か!」
「いや―――――分かってるさ!」
揺らがぬ土台に支えられた腕。その先から放たれた弾丸が、巨大な岩のようなものの上にあった、標的を撃ちぬいた。
コアが粉微塵に砕け散る。すると、徐々に動力が弱まり、やがて装置は完全に停止した。
――――そして。
「はっ!」
ローエンが方陣を平にして、弱まったマナの奔流を正面から受ける。それに圧されて落下の勢いが弱まるのと、マナが途絶えるのは同時だった。方陣も消え、僕達は宙へと投げ出される――――が、問題ない。既に僕達はかなり下にまで降りていたので、難なく着地できる高度だったのだ。
広場に余裕をもって着地する。クレインさん達を閉じ込めていた部屋の扉も、動力を失ったせいか自動的に開いた。
「………死んでいる人はいない。何とかなったな」
囚えられていた人達が次々に広場へと出てくる。動かなくなっている人はいない。苦しんではいるが、まだ心臓は動いているようだ。それでも、かなりのマナが抜かれているようで、皆広場に出るなり倒れこんだ。
「やはり………いえ、今は救助を。カラハ・シャールの兵も来たようです。あとは彼らにお任せを」
ローエンの提案に頷く。馬車でも持ってこなければ無理だろう。それに僕達も数は少ない。さすがにあの20人あまりを町まで運ぶことはできないだろうし。ともあれ、一件落着だ。ローエンの心配していた"何か"も起きていないようだし。
「そうだな…………だが、一つだけ引っかかる」
「どうしたのアルヴィン」
「いや、あの扉だがな。何で自動的に開いたんだ?」
「それは………装置の構造的に、"そう"なって……………っ!?」
広場を見渡す。人が居た。クレインさんがいた。
みな、閉じ込められていた部屋から出て、それでも歩くことはままならず。
"広場"に倒れ込んでいる。
そう、"動けない"のだ。
「ローエン!」
「何か――――っ!?」
ローエンの顔が驚きに満ちる。ああ、どうやら忠告は遅かったようだ。
コアの下にあった、巨大な岩のようなもの。それが光り、開いて――――――
「何か、生まれる!?」
「危ない、全員下がれ!」
しかし、その声は最早遅いもの。
そうこうしている内に、いやしている暇もなく、"それ"は顕現の手順をやり遂げた。
―――いや、それは羽化だった。
岩は玉子で――――生まれたのは、美しい蝶々。
色彩も鮮やかな羽。だけどその身体は、戦うものの構造だ。それを象徴するのが牙のように付き立っている巨大な触覚に、視界いっぱいに広がる巨体。
その大きさは異様で、自然のものではありえない。キジル海瀑で見た巨大な魔物には及ばないが、それでも普通の魔物の3倍以上はあった。
「な、何だコイツ………!?」
「来るぞ、構えろ!」
ミラが忠告の声を広場にいる全員に向けると同時に。
巨大蝶は咆哮を広場へと轟かせながら、僕達の方へと襲いかかって来た。