鳥の鳴き声と共に目覚めた。体中が痛い。変な体勢で寝てしまった時のようだ。僕は身体を起き上がらせ、その原因となったものをみようと、腹の下に敷いているナニカを見る。
「なんだイバルか」
銀髪の褐色小生意気巫子。そんなことはどうでもいいと、二度寝しようとする。
いや、ちょっとまて。
「はあっ、痛ぁ!?」
驚くと同時、全身に痛みが走る。身体には筋肉痛、ほっぺたには謎の痛み。急いで外に出て、近くにあった湖面で顔を見る。なにやら、大きな紅葉が出来上がっていた。
「いったい何が………あ、ミラおはよう、てちょ、ちょ、ちょ!」
無言で襟首を掴まれる。そのまま、引きずられていった。
「ちょ、ミラ、あの?」
「いいから黙ってついてこい」
有無を言わせぬ口調だった。あの時のイフリートみたいな威圧感だ。これは黙るしかない。そのままイバルの家まで引きずられて、到着すると地面に座らされて、長い長い説教が始まった。主に昨日の僕の所業に対してだ。話の途中、目覚めたアルヴィンも説教に加わってくる。と、言われてもなあ。
「僕、昨日なにかしたっけ?」
「………もしかして、覚えていないのか」
「うん。というか、何故にイバルが下敷きに?」
未だにベッドの上で寝込んでいるイバルの方を見る。なんであれを下敷きにして寝ることになったのか。あとほっぺた痛い。巫子はうんうんと魘されているが、夢見が悪いのだろうか。顔も土気色である。まるで二日酔いの店長みたいな感じだ。って、そういえば。
「酒を飲んだんだっけ」
道理で記憶がないわけだ。おもえば、昨日は酒を片手にイバルん家に特攻したんだっけ。で、僕が酒を飲むとどうなるのか、ミラと、アルヴィンに説明した。アルコールが入ると、記憶がなくなること。とある人物から二度と飲むなと言われていた事。忠告した本人が、顔が赤かったことも含めて。
「………いや、そいつの言うことはマジで正しいわ。お前、もう酒飲むなって」
アルヴィンが珍しく真剣な口調。うん、なにやったの酔った僕は。聞くが、二人は口を紡ぐだけ。ミラは、珍しく頬を赤に染めていた。どうやら僕は、本格的にまずいことをやらかしたらしい。聞くが、教えてくれなかった。
そんな気まずい雰囲気の中での朝食が終わる。その後、方針を決定することになった。これからどうするのか。それを話し合うのだが――――その前にやっておかなければならないことがある。アルヴィンの雇用についてだ。ニ・アケリアまでとの約束だった。ひとまずの区切りはついたし、どうしようか。ひとまず今回の依頼料を払うべきだろう。提案したのは僕だし、僕が――――と言いだそうとした時、ミラに手で制された。
「私が全額払おう。とはいっても、村長に預けておいた村の貯蓄からになるが」
「ミラ?」
「私が雇ったのだ。そうでなければ筋が通らないだろう」
断固払う、とミラが言う。
「へえ。大丈夫なのかよ?」
「四大の力が使えていた頃にな。ソグド湿道で珍しい魔物を狩って得た素材品を売っていたのだ」
ソグド湿原とは、ニ・アケリアから繋がる街道の一つ。とはいっても、キジル海瀑より遥かに危険な所らしい。ア・ジュールの街の一つ、"シャン・ドゥ"の近くに繋がっている、普通の旅人ならばまず使わない街道とも呼ばない道。そこで得た素材品を村長に渡し、村長が村人を遣わして、行商人に売りつけていたらしい。もしもの時に貯蓄をしておけという、ウンディーネの提案があってこそだ、と言っていたが。
「………なら、大丈夫か。それにしても"シャン・ドゥ"、ね」
「英霊の集う聖地、だっけ。闘技場のある街だよね」
歴史家であり、教師でもあるカーラさんが住んでいる街でもある。
「知っているのか?」
「何度か行ったことはあるよ。知り合った人もいるしね」
「………へえ、例えば?」
なにやら妙にからんでくるアルヴィン。一体どうしたというのか。街の名前を聞いた途端、何やらまとう空気が変質したけど。まあ――――言ってみて、反応を見るのもいいか。どっちもカタギの人だし。
「一人は、カーラさん。カーラ・アウトウェイさん。メガネをかけた美人の歴史家で、ア・ジュールの歴史というか、遺跡について教わったんだ」
なんかみょーな連中に絡まれていた所を助けて、それで知り合ったんだ。聞けば歴史を学んでいるというから、色々と古文書のありかとか聞いた。同時に、部族間の抗争についても少々。そういえば歴史家っていうのに、巷で話題のガイアス王については言及しなかったな。話しにくいようだったけど、なんでだろうか。
「それで、もう一人は?」
「二人目は、イスラさん。薬剤師での女性でね。泣き黒子のある、これまた違ったタイプのびじ…………ってどうしたのアルヴィン、変な顔して」
「いや………なんでもねーよ」
どう考えても、何かあるって顔だ。と、突っ込もうとした時に、ミラから横槍が入った。
「ふむ。知り合いとは、二人とも女性なのか? ………それも、美人の」
「うん」
率直に答える。だけど、ミラの機嫌が何やら急降下。いったい何があった。
聞くが、答えてくれない。というより、今はアルヴィンのことについて決めるべきだろうに。
「アルヴィンに関しては………出来れば雇用を継続したいな。今はなにより戦力が必要だ。ラ・シュガル相手の大立ち回りをすることになるが、受けるか?」
「………勘弁してくれ、と言う所だけどな。確かに、聞いた通りにあの国が人体実験をしているってんなら、断るわけにはいかないだろーよ。金をもらって人助け。俺も貴方もハッピーに、ってのが俺の傭兵としての心情だしな」
ちょろけるアルヴィン。あいかわらず、こいつの真意は読めない。そもそも存在するのだろうか。だけど、アルヴィンほど有用な戦力がいないのも事実。信用においても、だ。今から新しい人を雇うのには時間がかかりすぎるし。ということで、本格的な方針を話しあうことにした。
まずは第一目的について。いわずもがな、クルスニクの槍の破壊だ。
「あれは二度と使わせてはならないものだ。一刻も早く破壊する必要があるのだが………」
問題点は多々ある。まずは、どうやって研究所があるイル・ファンに侵入するか。
方法は2つ。海路か、陸路だ。
「海路………船でイル・ファンに直接、ってのは無理だな。リスクが大きすぎる。最悪、港についた途端に包囲されかねない」
そうなればアウトだ。僕達3人対ラ・シュガル軍になって、あとは数の暴力でこっちが潰されて終わり。手配書が回ってないわけもないし、まともに乗船すればすぐにばれるだろう。密航という手もあるが、厳戒態勢にあるだろう今の状況では、途中でばれる可能性が高い。そうなった時のリスクも高いのだ。知られた後の対処は神の如き迅速さが求められる。判明してから、船員から港へ連絡が入る前にその報告を止める必要がある。止められなければ港に大軍が配置されるだろう。で、逃げ場はないわけだ。
すなわち、失敗すれば死ということだ。海上だし、逃げ場などない。まさか船員全員を皆殺しにして航路を変えさせるわけにはいかないし。
「となると………サマンガン海停からカラハ・シャールに向かう陸路?」
でも、サマンガン海停には警戒網が敷かれていないのだろうか。その疑問には、アルヴィンが答えてくれた。
「ガンダラ要塞があるんだ。わざわざカラハ・シャールを越えて警戒網を敷く必要はないだろう」
そうだった。ガンダラ要塞は、堅牢で知られる鉄壁の要塞。中には、対軍用の巨大ゴーレムも配備されているという。正面からの突破はまず不可能な、あのモン・バーンさんもいる難所だ。できればそんな事にはなって欲しくないけど。
「とはいっても、二択しかないか………それならば後者を選ぶべきだろうな」
アルヴィンが言うと、ミラはそうなのか、と疑問の声をあげる。
「そういうものか? 前者の方がずいぶんと簡単に思えるのだが」
ミラは、早く着くし、偽装も簡単だろうと言う。だが、ラ・シュガル軍もそう甘いもんじゃない。近衛の兵は警備兵より格段に上だ。それに、相手の実状も分からない今、海路は危険すぎる。
「失敗=死っていうのは勘弁願いたいよ。後者の案なら、失敗しても逃げることができる」
生きているなら、また別の方法も取れる。その時に、一か八かで海路という手段を取ってもいいだろう。方針が決定すると、僕達はひとまず解散した。
出発は明日だ。今のままでも戦えるが、怪我を直しておいた方がいいだろう。僕はグミを食べ、ひとまずの体力回復をはかる。これは下準備だ。グミだけで傷は癒えない。ここからは―――僕のオリジナルの技で治す。それは精霊術を介しない、特殊な治癒術。
以前にカーラさんから教えてもらった遺跡で見つけた古文書に書いていた、とある武術の奥義らしい。とはいっても、"他人に対しては絶対に使えない自己治癒のみの技"。
見つけた時は、ものすごい肩透かしを食らった覚えがある。「治癒術だと思ったのにぃ!」と、犬のように雄叫びを上げたものだ。ともあれ、有用なのは確かなので、一年かけてようやく習得した。
その技の名は『集気法』。誰にも教えたことがない、僕だけの秘術。切り札の内の一つだ。
(精進を怠らずの精神。師匠の教えは、守っています)
静かな所で瞑想すれば、マナの循環速度も早まるだろう。それは集気法の効果である、自己治癒力を高めることになる。ミラに良い場所がないか聞くと、また意外な場所を教えられた。
「確かに、ここなら邪魔も入らないしね」
その場所とは、ミラの社の前だ。樹に包まれているし、ここならば魔物も入ってこないという。
静かで、霧も深いため、一種心地よい閉塞感を感じる。瞑想をするには最適の場所だな。
「それでは、な………私はあちらで素振りをしている」
「うい~」
見送る。そうして、瞑想を始めた。
「集気法――――!」
声を出し、自分の意識に宣誓をする。同時に、体内にあるマナを循環させていくイメージを作る。体内のマナを感じ取り、血液に載っていると仮想して。それをゆっくりと、時計回りに回し始める。五感が高まっていく。神経が鋭くなっているのだ。森の木々が風に吹かれ、わずかに揺れる音。遠くに居るだろうミラの、素振りの音さえも聞こえる。
(………ちょっと、様子が変だったな)
どう話したらいいのか分からない、みたいな。昨日に僕がやらかしたせいだろう。その前の事もあるだろうが。瞑想をしながら考える。そのまま、二時間程度が過ぎた頃だろうか。体内の傷が、あらかた治ったのを感じる。やはりグミと併用すれば、集気法の効力も高まるな。どんどんと五感が鋭くなっていく。
目を閉じれば、世界が広がった。今の僕なら、見たことはないが――――"精霊"のように世界を感じ取れているのではないか。鼻に、木々と土の香りを。耳に、木陰のざわめきを。
広がって、広がって、広がっていく。まるで世界と一体になったかのよう。虫の鳴き声。鳥のはばたき。木の葉が落ちて行く音。普段ならば気づかない音が聞こえ、見えていないものでさえ見えているかのような感覚がある。闇に落ちていくような感覚。光に広がっていくような感覚。
その中で。
僕は、隠れていたものの気配を、察知して"しまって"。
それは、僕に悟られたことを察すると、はっきりとした声で告げてきた。
『―――しかし、気づかないでいいものまで。気づいて、しまうこともあるのではないか?』
(――――な)
次の瞬間、全身に雷に撃たれたような衝撃が奔る。産毛が逆立ち、背筋が芯から凍らされる。
「誰、だ」
叫びたいが、声が出せない。振り絞ったはずの声は、まるで老人のように枯れていた。僕の声とは思えない。それでもこのままじゃまずい。僕は声を発したであろう人物が居る方向に向かい、左手を前にして構えを取った。腰を落とす。重心は後ろに、カウンターの体勢だ。
前方には木々が並んでいるだけで、一見なにもないように思える。
だが、そうと認識してしまえば、分かる。この先に――――怪物がいる。キジル海瀑で戦った巨大な魔物でさえ、比べ物にならない威圧感。巨人だ。不吉な巨人がそこに居る。
僕は僕自身に問うた。もし、この先にいる何者かが襲ってきたとして、勝てるかどうか。
(無理だ)
即答する。疑いの入る余地など欠片もない。戦う前に"逃げるしか無い"、と思ったのははじめてのこと。それもそうだろう、威圧感でいえば師匠以上である。師匠が本気になった所は見たことがないが、それでもこれほどの威圧感は出せない。質の違いもある。目の前の人物のそれは、対峙する者の全てを跪かせるかのような、攻撃的なモノ。一切の遊びもない、例え対峙したとしても、一合で"斬り伏せられる"。それ以外のイメージが浮かばない。
勝負の前に負けを悟らされる。それほどまでに、目の前の相手は圧倒的だ。
(でも、ここで退くわけにはいかない)
ミラが居る。もう少しすればここに戻ってくるだろう。それなのに、ここで僕が退くわけにはいかない。逃げるのも駄目だ。誰と合流したって、こいつには勝てない。
『面白いな、少年。勝てぬと分かっても逃げないか』
男の、大人の声が言う。凛とした声は、どこかミラを思わせるものがある。しかし、遊びは一切含まれていない。それもおかしい。いま来られれば、僕はやられるだろう。対処法なんて皆無だ。
なのに、何故動かない。じっとこちらの様子を伺っているだけ。
――――これではまるで、僕を試しているかのようじゃないか。
『………こういったこと、柄ではないがな。俺がこうまで試したいと思った相手は初めてだ』
心を読まれたのか、即座に肯定された。予想は正しかったのだ。
僕はいま、目の前の化物に試されている。
(………クソ野郎)
ああそうだな。これほどまでの相手、誰かならば試されることさえも光栄と、そう思うかもしれない。だけど、僕には容認できない行為だ。
試すという行為は――――相手の全てを見下す、という行為に等しいのだから。
つまるところは、僕は今こいつに完全に舐められているということ。
察した瞬間、脳の奥が沸騰した。
(馬鹿にするな――――!?)
しかし、沸騰した感情もマナも、目の前の化物に散らされた。
「なっ!?」
相手のマナが更に膨れ上がったのだ。僕の激昂を抑えるように強く。僕は相手のマナに飲まれていた。怪我はない。だけど、心を圧迫してくる。まるで深い海を思わせるかのよう。信じられないぐらいに大きく、濃いマナ。この量に、この密度、これほどのマナが存在するのか。
すでに僕の理解の範疇を越えている。
(こいつ………本当に、人間か!?)
あるいは大精霊と言われた方が納得もできる。どこか遠くから来た怪物と、そう表現した方がしっくりくる。
気配は動きを見せない。じっと留まっているだけ。気づけば、僕の顔は汗にまみれていた。額から流れた汗が目に入った。目がしみるが、今は瞬きもできない。対峙しているだけで体力が消耗していく。このままではジリ貧だ。待っているだけでは、いずれやられてしまう。
状況を打破するには――――前に。この障害を越えるには、前に進むしか無い。ただの勘でもあるが、この相手に背中を見せるのだけはまずい。
(一か八か、突っ込むしかないか)
後ろに寄っていた重心を、前に。つま先に偏らせる。待つ構えではなく、攻める構えに転じる。一足飛びに間合いを詰めれば、あるいは何とかなるかもしれない。
「はっ!」
マナで全身の筋力を強化。限界まで振り絞る。汗がマナの噴出により、一気に散った。攻めの気は悟られているだろうが、どうせ隠したって無駄だろう。
ならば、威圧して、
取るに足らない相手でも、舐めれば痛い目に会うということを教えてやる。
(5………4………)
カウントダウンを始める。マナをつま先へ、拳へ集めながら。
(3………)
色々な人達の顔がよぎる。師匠、レイア、母さん、アグリア。村であったエリーゼという少女。
(2………)
やるしかない。実戦では使ったことがない、一撃。ばかみたいに隙が大きいから、まず当たらないだろう。それでも、実行する以外の選択肢はない。相手の想像を超える一撃といえば、これしか思いつかないからだ。脳裏に、ミラの顔がよぎる。何をしたか、聞いて謝りたかったが、それも叶いそうにない。昨日の今日なのに、なんて状況だ。思わず笑みが零れそうになる。
って、女性ばっかりだな。まあ、男相手には――――碌な事をされた記憶がない。
だから仕方ないってもんだろう。
(1………)
マナを限界に。最後に、一歩。
踏み出そうとして――――
『趣味ではないが、実行した甲斐があった――――なるほどな』
それだけを言い残して、眼前の気配が消えた。
まるで最初からいなかったかのように。
「は………」
思わず息がこぼれる。漏れでたのは、遊ばれたという屈辱ではなく、安堵から来るもの。直後に、全身のマナが散り、筋肉が弛緩していくのを感じてそのまま前のめりに倒れた。顔面を強かにうったが、それも気にしていられない。
気が、遠くなっていく。
『ジュード!?』
視界が暗闇に閉ざされる寸前、ミラの声が聞こえたような気がした。
○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ●
小高い丘の上にその集団はいた。長身の男に、中背で細身の男。大男に、派手な格好をした女性。
一見すればばらばら、関連もなさそうな一団だが、共通している部分がある。
全員が一筋縄ではいかない、強者ということだ。
「………それでは、よろしいので?」
細身の男。黒い衣をまとっている男が、傍らにいる長身の男に言う。
「あの少年ならばマクスウェルを守りきれるだろう。そして、それはラ・シュガル側がかき乱されることを意味する」
長身の男が、面白そうにいう。周りに居る者たちは、長身の男のいつにない様子に驚きを見せた。
「随分と、買われているのですね。兵士でもないただの一人の少年を」
女がたずねる。普段ならば疑問さえも挟まないだろう。だが、長身の男、心酔する主君のかつて見たことがない様子に、戸惑っているのだ。
「………直接ではないが、知っているのでな。お前が翻弄されたと聞いて、面白くも思った」
命までは取らない。ただ見極めたかったのだ、と長身の男が言う。
その言葉に、女は黙った。両者は初めから立場も違うし、何より存在としての格も違う。
女が弱いのではない、長身の男が強すぎるのだ。
それだけにこの男は、強者揃いの一団の中でも、更に際立っていた。
「あれならば簡単に潰されはしまい。ならば、雲を乱す竜巻にも成りうる。ラ・シュガルの目を奴らに向けさせるのが得策だ。今は、こちらの動向を出来る限りラ・シュガル側に知られたくない」
「ええ。我らはマクスウェルの一団が、ラ・シュガルを混乱させる。その間に――――影に、静かに、我らがなすべき事を進めるのが得策かと」
黒衣の男が同意する。
「アグリアから何か連絡は」
「失われた"鍵"を新たに作成する動きがあるとか」
「………捨て置けんな」
そして、大男に向けて言った。
「ジャオ。例の娘の管理はもういい。お前は"鍵"の件を探れ。あれはこちらの切り札にもなりうる。入手しておくに越したことはない」
「いや、しかし………!」
驚いたように、大男が反論しようとする。だが、黒衣の男はばっさりと言葉を切った。
「ラ・シュガル兵どもが去ったというなら、もうお前が直々に護衛につく必要はない」
「
「う、うむ………」
女の後押しの言葉に、大男は唸った。彼自身、自分がどういった立場にあるのか理解しているが故だ。
「プレザ。お前は単独でイル・ファンへ潜れ」
「アグリアは?」
「研究所の件で、ラ・シュガルの"あの"一派から警戒されているようでな。連絡役はまだ警戒されていない、彼女を伝ってこちらに情報を送れ」
プレザと呼ばれた女。彼女は黒衣の男の言葉に、マクスウェルはいいのか、と反論しそうになるが、口をつぐんだ。
「了解。でも、アグリアはまだこちらには?」
「例のシルフモドキで連絡があった明日には到着する予定だったが、昨日に海上で嵐にあったそうでな。船は航路途中の、ル・ロンドにに避難。一日だけだが、滞在することになったらしい」
シルフモドキとは、
「なら、明後日には合流できそうね。イル・ファンにはそれからでも?」
「ああ。直接聞かないと、分からないこともあるだろう。確認だけは念入りにしておけ。ジャオもだ」
「了解」
「………分かった」
黒衣の男の言葉に、二人はそれぞれの――――複雑な感情をもって頷き、場を外す。残っているのは二人だ。沈黙の後、長身の男が口を開いた。
「………今ある"鍵"の在り処、心当たりはあるのか」
「"駒"をつかって探らせている途中です。それよりも………」
丘から見える、ニ・アケリアの里。そこでは、少年がマクスウェルに背負われ、巫子が住むという家に入っていった。
「マクスウェルのこと、本当によろしいので?」
"鍵"は、マクスウェルが持っているだろう。視線だけで告げるが、長身の男は正面を見据えて動かない。まるで一本の刃のような、強靭な意志。男の目からは、折れず曲がらない、不屈の鋼を思わせる何かがあった。
「今は利用できるものを最大限に利用するべきだ。最早開戦は秒読みの段階。もう二度と………ファイザバードでの無様は、繰り返さない」
「けして油断をせずに、ですか」
「出来る限りの手は、全て打て。その上で全力を尽くす」
強大も極まる刀に、油断はない。ただ、全身全霊をもって、真正面から斬り伏せる。身体から溢れるマナに、黒衣の男でさえ畏怖を隠せない。
「………承知しました」
長身の男の言葉に、黒衣の男は同意を返した。そのまま、その場を去っていく。
少年を試した王もまた。家の屋根に一度だけ視線を落とした後、丘から去っていった。