霧が濃くなっている街道。その奥に、階段はあった。樹に包まれるようにある長い石の階段が、森の奥へと続いてく。それを登って数分。登り切った先に、大きな建物が見えた。向こうには、ニ・アケリア霊山が見える。そのふもとに、でんと大きい一軒家が霊山に続く道を遮断するように建っている。
「ここが、ミラの社?」
「そうだ」
「へえ。じゃあ、ミラはここに住んでたんだ」
「住んでいる、か。考えたことはないが………そういうことになるのだろうな。人の生活とはまた違うものだと思うが」
「何もない所だな。こんな所で、退屈しなかったのか」
アルヴィンが言うと、ミラは腰に手をあてながら答える。
「別に、気にすることもあるまい。私の使命においては何の問題もないからな」
「生活は必要ないって?」
「そうとは言わないが」
ミラの言葉に、ふと思いついた。
「生活とはまた違う………生息していた?」
「魔物か私は」
「痛っ」
ミラのツッコミがずびしと頭に入る。
「何か、どんどんマクスウェル扱いされなくなっていくな………」
「そんなことないよミラ様」
ただミラ=マクスウェルとして見ているのであって。マクスウェル分が村で補充されたようだから、僕はミラ分を補充しようかと思って。そう思っている時、ミラはまた巫子を思い出したのか、何ともいえない顔をしている。
「よせと言っているだろうジュード。それとも君が巫子の代わりを努めてくれるのか?」
いたずらっ子のような口調。ミラは笑うと、社の方を向いた。
僕は望む所だ、と石を両手に運び出した。
社の中には何もなかった。奥に別の部屋があり、そこに書棚などあるという。
儀式には広場を使うという。奥にある玉座みたいなものは、今回は使わないらしい。
「………で、これでいいの?」
指示通り、広場の床に書かれている四色の紋様。その上に、それぞれの石を並べ終わる。
これで、四大を呼び戻す儀式の準備は完了したらしい。
世精石を四方に、その中心の座にミラが座る。
「では、始めるぞ」
「………っ!」
場が一気に緊迫する。
(パンツは見えない)
残念無念。アルヴィンに視線を送るが、首を振る。どうやらアルヴィンにも見えなかったらしい。
おのれ絶対領域。
と、煩悩まみれの僕をさておいて、ミラは真剣な顔で儀式を続けている。最初の構えは、
それは一つの流れとなり、ミラの意志の元に、一定の方向へと荒れ狂っていく。まるで嵐を制御しているかのよう。世精石の力のお陰だろうか。四つの系統だろう、四色のマナが生まれ、ミラの方陣の中へと収まっていく。
――――しかし。
「くっ!?」
「ミラ!」
石は砕けてしまった。ミラは倒れそうによろめいた。その時、背後から気配が近づいてくる。
(奇襲!? こんなタイミングで――――)
かなり早い。僕は振り向きざま、気配に一撃を加えようとして、
「ミラさげふゥァ!?」
走ってきた銀髪の男に、ラリアット。
首にカウンターの一撃をくらった男は、縦に一回転した後、顔から地面へと着地した。
無言のまま、全員が。しばらくしてミラが、慌てたように襲撃者へと駆け寄った。
「イ、イバル!?」
「少年………ついにやったな」
「ついにって何!?」
あと、二人の責めるような視線が痛い。
ってイバルって名前は………たしか、巫子の名前だったような。
「えっ、巫子って女じゃなかったの」
「女と言った覚えはないが」
そんなこんなで、脳震盪を起こして気絶しているイバルを起こすことになった。とはいっても時間がもったいない。きつめ気付け薬を嗅がせると、すぐに覚醒させた。ほら、こんなに巫子が元気に飛び跳ねて!
「やったね、アルヴィン。ってなんでそんな恐ろしいものを見る目で?」
匂いは広がらないようにしてるから大丈夫なのに。
「いや、何でもねーわ。でもその薬を俺に使うのはやめてくれな」
ちょっと引くアルヴィン。
「お前! よくもやってくれたな!」
「いや、本当にすみません。この通り」
さておいて、イバルは巫子。つまりはミラを心配して駆け寄ったのだろう。そこで、僕が昏倒させてしまった。これは謝るしかないだろう。薬に関してはアレ以外の方法が無かったし。
「ジュードは、敵襲だと勘違いしたのだろう。あまり責めないでやってくれ。それよりもイバル………綺麗に一回転したようだが、大丈夫か?」
「あれしきの攻撃、私には通じません! そんなことよりミラ様、心配致しました………と、これは。
何故今になって、このような儀式を。巫子のイバルは儀式の内容を把握した後、しかめっ面で立ち上がり――――ちょっとよろけながら、虚空に向かって呼びかける。
「イフリート様! ウンディーネ様!」
きっと、いつも呼べば姿を現してくれたのだろう。しかし、イバルの声に呼ばれた四大は応えない。
「ミラ様、いったい何が………」
問われたミラは、少し黙り込んだ後、イバルに向かって説明した。イル・ファンで起きた事。そして、今現在何を目的として動いているのかを。アルヴィンに聞かれてしまったが、それも仕方ないだろう。どうせ予想はついてたろうから。
「んで、精霊が召喚できないのって、そいつらが死んだってことか?」
「バカが、大精霊が死ぬものか!」
「………あれ、常識?」
「僕に聞かないでよ」
死んだ精霊は化石になるって話はどこかで聞いたことがある。だけど、その実どうかなんて僕が知れるはずがない。で、イバルが言うには、大精霊も死ねば化石になるという。ただ、力だけは代替わりするらしい。記憶は受け継がれないらしいが、力だけは次の大精霊へと継承されると。
「ふん。存在は決して死なない、幽世《かくりよ》の住人………それが、精霊だ」
「だったら………」
ドヤ顔でポーズを決めるイバルはおいといて、僕は結論を口にする。
「やっぱり、あれは見間違いじゃなかったのか」
最後、四大精霊はあの槍の中に吸い込まれていくように消えた。もしかして死んだとも思ったが、再召喚の儀式に応じないということは違うようだ。代替わりしていない。だけど、呼びかけに応じない―――つまりは、である。
「四大精霊は、今も
「バカが! 人間が四大様を捕らえられるはずが無い!」
「じゃあ………えっと、イバル。巫子のイバルとしては、どう考えているんだ?」
「それは………」
押し黙るイバル。考えているのだろう。だけど、それ以外の回答があるとは思えない。主であるミラの呼びかけにも応えない理由なんて、出られない事情があるから。他には考えつかない。
まさか四大精霊がストライキを起こしたと思えんし。
「………何もない空間で、卵がひとりでに潰れた場合。その原因は、卵の中にある。『ハオの卵理論』ってやつだよな?」
ちょっとドヤ顔のアルヴィンが――――学生ならば誰もが知っていることを口に出す。
「僕の、嫌いな理論だけどね」
「へえ、どうしてだ?」
「前提として、条件を決め付けるのが嫌いなんだ。それに、夢がないじゃないか」
もしかしたら未知のパワーが働いたかもしれないじゃないか。既定の視点に囚われていて何になる。そう言うと、捻くれてるよなあ、とアルヴィンに言われた。
なにさ、夢をみたっていいじゃないか。こちとらアルヴィンと違って、夢多き少年だもの。
それに、そんな荒唐無稽な話を――――信じられなければ。
しかし、槍の力はそれほどだったとは思わなかった。最後の一撃の時に見た、四大を束ねる大精霊達。桁が違う存在を逃さない。つまりはそれほどの拘束力を持っているということ。マナが吸収されていく、その勢いも尋常じゃなかったし。
「四大を捕らえられるほどの
ミラの落ち込んだ声に、僕とアルヴィン、そしてイバルもはっとなる。
3人とも、俯いているミラを見た。
「あの時…………私は、マクスウェルとしての力を失ったのだな」
「ミラ………」
弱々しい声。研究所を脱出した直後も、そんな顔は見せなかったのに。
ミラは立ち上がると、こちらに背中を向けた。顔を見られたくないのだろう。
「ミラ………」
「今は、いい。一人にしておいてくれ」
励ましの言葉をかけた方がいい、と思うけど。考えたいこともあるだろうし、ひとまずは落ち着いて
「そうだ、貴様達たちは去れ! ここはミラ様の社、ニ・アケリアの中でも、最も神聖な場所だぞ!ミラ様のお世話をするのは、巫子であるこの俺だ!」
ってな空気を完全に無視し、ポーズを決め、ドヤ顔で歯を輝かせながらイバル。視線でアルヴィンにサインを送るが、首を横に振った。僕と同じ感想だ。つまり処置なしということ。
で、落ち込んでいるミラもそれを聞いていて。
「イバル。お前もだ。もう帰るがいい」
「………は?」
全くの予想外って声を出すイバル。ってバカやめろ。背中から不機嫌のオーラが出ているのが分からないのか。凹んでいる時にそんな事して、怒るに決まっているだろうに。
「ミラ、様?」
「イバル」
名前を呼ぶミラ。しかし目が危ない。ジト目じゃない、混じりっ気なしのマジ睨みだった。目が見たこともないほどに釣り上がっている。イバルも同じなのか、思いっきり腰が引けているな。
その、たじろぎ気味のイバルに、ミラは容赦なく告げる。
「有り体に言うぞ――――――――― う る さ い 」
死刑宣告のような端的な言葉に、イバルは音もなく膝から崩れおちた。
「かくして、巫子・イバルはこの世から去ったのであった………」
「っ、勝手に殺すな!」
「おや、生きてたんだ」
乾燥したワカメみたいになってたのに。瞬時復活するイバルを見て、僕は味噌汁にワカメを入れすぎた時のことを思い出していた。まあ、今はワカメよりイバルだ。
「どうしてミラ様はあんな言葉を………」
「いや、凹んでる時に騒がしくされたんだ、そりゃムカつくでしょ。まあ、そう落ち込むなってワカメ」
あと、首大丈夫? って聞くが、何やら睨まれた。
「誰がワカメだ! この、貴様らがしっかりしていないおかげでミラ様があんな事に!」
手を上下左右に動かしながら喚くイバル。何か奥義を繰り出すようにじたばたと動きながら、八つ当りしてくる。しかも文法間違ってるし。正確には"おかげ"じゃなくて"せい"だろう。事実を言えば、それも違うのだが。
「くそ………俺がついていっていれば」
「二秒で敵に発見されたろうなー」
さっきから手をバタバタと動かして、うっとうしいやら騒がしいやら。じっと見ていると面白いのだが、こんな騒がしい男を隠密行動なんかに連れていけないだろう。研究所内で四大をぶっ放しまくるミラもミラだけど。はっ、つまりは似たもの同士………隠密より侵略をってか。
あなどれんな。奥が深いよニ・アケリア、さすがは精霊の里――――と思っていると、アルヴィンの呆れ顔が見えた。おっさんには、この騒がしさはきつかろうよ。
「なんか無礼なこと考えられてるような気がする。だけど、マジで短気な奴だな………で、これからどうするよ、少年」
「僕はここで待ってるよ」
やるべき事は話し合うとして、まずは休憩だ。一区切りもついたし、これからのことを決めていかなければならない。槍を破壊するという目的は変わっていないのだから。それに、もうすぐ夜だし、ミラもお腹が空いたら戻ってくるだろう。そう思っての発言だったが、イバルはいたく気に入らなかったらしく、何やらつっかかってきた。
「いいか! これからも、ミラ様のお世話は俺がする! ぽっと出の、どこかの馬の骨かもわからん奴が………余計なことはするなよ!」
「世話、ねえ………それって食事も?」
「ミラ様は食事をしない! 四大様からマナを…………っ!?」
そこで気付いたのだろう。イバルが、驚いた顔になる。
四大がいない今、ミラは食事をしなければ生きていけないってこと。
「今まで通り、僕が作るって。さっきも美味しそうに僕の作った料理を食べていたしー」
「な、ミラ様が食事を!?」
「食べなきゃ死ぬっての。それよりもなにか。食事をするぐらいなら、いっそ飢えて死ねと? それも余計なことだって言うのか?」
ちょうどいい。お世話をしている巫子様に、一度聞いてみたかったんだ。
「なんでミラは食事をしたことがない? 旨いもん食べればやる気も出るってことは、そこらへんのガキでも知ってることだろ」
それが、どうしてだ。聞けば、眠ったこともないという。何故、二大欲求を封じ込めるのか。不必要だったはずがない。食事の匂いを嗅いだことがないなんて、あるはずがない。だけど必要ないものとして育てられた。自らを使命に捧げていたからか。ミラをマクスウェルとして"扱っていた"からか。
「おいおい、落ち着けよジュード。ミラにはミラの事情があるし、こいつにも事情がある。習慣もなにもかもが違うんだ。俺たちとは、視点そのものが違うって可能性もあるだろ」
だから、それを責めるのも決め付けるのも早急だし、間違っている。
アルヴィンが言うが、それでも僕は納得できない。
(………でも、確かに)
頭ごなしに責める問題ではないのかもしれない。ミラもこいつも、今までの生活があったのだ。
だから、ちょっと。落ち着いて、軽く謝ろうとしたのだが――――
「その通りだ! それに、ミラ様は今まで食事をしなくとも、使命を果たしてこられた! これからは………食事を作るが、それでも出会ったばかりのお前に責められる筋合いはない!」
「ンだとこの増えすぎるワカメが」
カチンときた。特に最後の言葉。時間がそんなに大切か、あとドヤ顔すんじゃねーよ。ぶっ飛ばすぞこの野郎。
「ふん、俺は強いぞ。お前のような、子供じみた顔している奴には負けない」
ふふん、という顔をするイバル。
「けっ、ラリアットの一撃で昏倒したくせに、よく言うよ」
「ぐ、あれは汚い不意打ちだったからだ! 正面からやれば、お前のようなチビにやられるか!」
「ぐ、お前だって僕とそう変わらないじゃないか!」
イバルは髪の毛が立っているからか、背は高く見える。だが、素の身長は誤差の範囲だろう。事実―――こうして、正面からメンチの切りあいになると、視点があうのだ。こいつも、僕も………ミラよりは背が低いけど。その時、横からアルヴィンの声がした。
「………どんぐりの背比べ」
「「何か言ったか?!」」
「いーや」
両手を挙げ、降参ーと言うアルヴィン。ちっ、このおっさんはほっとこう。
でも、このままじゃ埒あかねえ…………間違っている云々はともかく、こうまで言われて黙っている僕じゃない。
――――ここは分かりやすく男らしく決着をつけようか。
「………階段の下、草原でぶっ飛ばしてやるよ海藻類。一対一の勝負だ」
要約すると"表ぇ出ろやコラ"。
「ふん、ミラ様に迷惑がかからないようにか………望む所だ目付きの悪い男!」
受けて立ったか―――逃げない所は褒めてやろう。
さあ野郎同士、拳で語り合おうじゃないか。