ここは精霊の里、ニ・アケリア。だが、目的地に到着したというのに達成感は感じられないでいる。
奇妙な感情に囚われているのだ。意外と普通の村だった、とかそんなことではない。
行動を思い返してみる。ミラはまず、村に入ってすぐの正面にいる老人に話しかけた。
「すまない。イバルはどこにいる?」
「ん? イバルなら、マクスウェル様を追って………」
返事をしながら立ち上がる老人。だけど、ミラの姿を視認してからの態度は違った。劇的に、とはこういうことだろう。纏う雰囲気までも変化していくようだった。
「今、帰った。遅くなったな、長老」
ミラが、ニ・アケリアの長老とかいう人物に言う。祈るように膝をついているその長老は、ミラの問いかけにしかし答えない。祈っているだけ。「よくぞ帰って来られました」などといった、歓迎の言葉もない。驚き、すぐにひざまずいてしまって、それきりだ。
(………"わたし何かにお声をかけてくださるなんて"、か)
ミラの言葉に対して、長老の言葉はそれだけ。これでは、会話になっていないではないか。他の村人も同じだ。確かに、村人は集まってきている。尊敬の念をこめているのか、目を輝かせて彼女のことを見ている。だけど、また労いの言葉も何もない。
「………やっぱ、本物なんだよな」
「うん。だけど………」
アルヴィンの言葉に、いつもの嫌味は含まれていなかった。歯切れが悪い。
僕と同じだ………この光景を前に、何といっていいのか分からないでいる。村人たちの顔に負の感情なんかは含まれていない――――でも、その表情はあるいは憎しみよりも"酷く"思えるのだ。
どう表現すればいいのだろう。ミラは確かにここに存在している。彼女のマナはここにある。
なのに、村人達は"ミラ"を見ていない。目に映るのは、まるで別の存在だった。
あるいは、まるで遥か彼方の星を見るような視線のような。
遠くにあって届かない輝きを見ているのと同じ、届かないなにかを見ているだけの目だった。
ミラも、そんな村人たちを困った表情で眺めていた。前に彼女は、ミラ=マクスウェルはある者達にとっての信仰の対象ではなかろうか、なんて考えたこともあった。あったのだが、それは間違っていなかったようだ。実に神様らしく扱われている。遠くにあって君臨する者そのままの所作で、彼女はそこに認識されていた。
(………なのに、この感情はなんだろう)
僕はミラの事を色々と見てきた。イル・ファンからの短い旅だったが、それでも薄い付き合いじゃない。
まず、研究所で戦った。
イラート海停では、美味しそうに食事をしていた。その時のミラは、人間そのものだった。
ハ・ミルでは、疲れているせいか、あまり元気がなかった。
先ほどのキジル海瀑では、不用意な発言に対して怒っていた。
男はみなこうかと、呆れてもいたけど。
………なんてことはない。彼女は、感情のある人間だった。使命にひたむきであることは分かる。それが、マクスウェルとしての責務なのだろうから。でも、それとは別に"ミラ"という存在は確かにここに在るのに。
――――"こっちに来られないで下さい"なんて風に、崇め奉られて遠ざけられるような存在じゃないのに。
(ああいう顔を見せたことがない、んだろうけどなあ)
里の人間には人間の視線がある。そう自分に言い聞かせようとも、違和感は消えてくれなかった。あるいは巫子とやらも、あんなミラは見たことがないのかもしれない。そのことに僕は、どこか優越感を感じていて。それと同時に、どうしようもない哀しさが沸き上がってきた。
主に、ミラへの対し方についてだ。今も、ほら、そう。
「緊張するな。普段の通りに接していればいい」
ミラが、困ったように長老に言う。だけど長老や、村人たちは顔を上げない。
ただ、こう言うだけだ。「私なんかに、お声をかけてくださるなんて」って。
馬鹿の一つ覚えみたいに繰り返すだけで、何も――――
(きっと、これが普通なんだろうな)
普段からこうなのだろう。ミラと長老の言葉とやり取りから、いつもこういったやり取りが行われているだろうことは、容易に推測できる。わからないのはミラだ。話しかけたとして、こうした受け答えが返ってくるということはわかっていたはずだ。なのに、違うと言いたそうに彼女はずっと長老に向け、言葉を発し続けている。
「―――分かった」
そうして、数秒の沈黙の後。困った風な顔が、本当に一瞬だけ――――なんといっていいのか分からない顔に変化した。その表情にこめられた感情の名前は知らない。だけど、良い物とはとても思えなかった。気丈なミラは、それでもと対応を変えた。
「………では、イバルは外に出ているのだな?」
言うが、頷くだけ。イバルとは誰だろうかなんてどうでもいい。最後までこうなのか。今の里の人達の視線を理解できない。人であるのに、人外を見るかのような視線に対し、納得することができない。そんな僕の心情はさておいて、会話と呼べない会話は終わった。
「手を止めさせて、すまなかった」
ミラはそれだけを告げて、歩き出した。付いてきてくれといいたげに、こちらを見る。顔は元に戻っている。だけど、どこか裏に影を感じる顔だった。そんな顔をされたら、無言で頷かざるをえないだろうに。
「行こうか、ジュード、アルヴィン。私は、これからすぐに社に向かい………そこで四大再召喚の儀式を行う」
喋りながら村の奥へと歩いて行く。そして彼女が近づく度に、村の人達は平伏していく。まるで古の時代の王が降臨したかのよう。ミラは偉大なる女王かのように見られ、ひれ伏す民のように扱われている。だけど、それは畏怖ではないと見て取れる。敬意であり、そして義務だ。
まるで自然現象にするような態度で、村人達はその場にひざまづいていく。
(子供達は、また違うようだけど)
だけど将来は大人たちと同じようになるのだろう。"マクスウェル様"に対する接し方は、親から叩き込まれるはずだ。
無礼のないように。星の輝きに手を組んで祈るように。
所作を仕込まれ、誰もがやっているからのは正しいものであり、だから子供はそれを疑いもせず。
昔を思い出してしまった。それ以上に、腹が立った。
じゃあここに居るミラはなんなんだよ。"マクスウェル"は存在する。だけど、その中に"ミラ"は存在しているのか。その答が何なのかは分からないが、彼らが何も見ていないのは理解できた。彼ら、あるいは彼女達はマクスウェルを崇めているだけだ。使命を果たさんとするマクスウェル様を尊敬の眼差しで見上げているだけ。その中に"ミラ"は含まれていない。
ミートソースをほっぺたにつけながら、美味しそうに料理を食べているミラなど、想像もしたことがないはずだ。もとより食事など取ったことがなかったと彼女は言っていた。ああ、これならば納得もできるじゃないか。
星は星だから輝いていて夜に見上げるもので。そこに疑問の入る余地はない。
誰もが、星の性格など。星が何かを食べるなんて、そんな事考えたりもしないんだから。
「………ジュード、どうした? ……巫子が不在のようなので、手伝ってもらいたいと言ったのだが」
「………あ?」
「おいおい、少年。安心するにはまだ早いんじゃないのか?」
アルヴィンの呆れたような声。全く聞こえていなかったので、もう一度聞き返す。
「村にある、四つの祠。そこにある石………世精石《よしょうせき》を、社に運んでもらいたいのだ。巫子のイバルが不在のようなのでな」
「えっと………それ、僕達にもできるの? 村の人でなければできない、とか」
先ほどの様子を見るに、この村のしきたりというか慣習。特にマクスウェル様関連は、特に厳しいと思うのだが。
「いや、そんなことはない。他の者は………見ただろう。普段は、巫子以外は私とあまり接していないのでな」
話にならない、とミラは言う。それは、どのような意味なのだろうか。会話にならないから、と言いたそうに見えるけど。
(………まあ、今は儀式を優先させようか)
ごちゃごちゃ考えていても埒があかない。それに、最重要目的は帰郷しゃない。ミラがマクスウェルとしての力を………四大精霊の加護を取り戻すことだ。なら、手伝わないなどという選択肢は有り得ない。それに、力仕事は男の仕事だ。先の戦闘の怪我は塞がっておらず、背中の痛みはまだ収まらないが、それでも石を運ぶくらいはできる。
ここで断る、なんて。心情から言って、そんなことは絶対にできないし。
「分かった。それで、社の場所は?」
「村を抜けた先だ。ニ・アケリア霊山のふもとにある」
運び、社に向かっている途中、気分転換も兼ねて様々な話をした。
それから得られた情報は、意外なものが多い。
「じゃあ、その服は巫子のイバルって人が?」
「デザインして、仕立ててくれた。手先が器用なのでな」
このデザインは動きやすさを重要視した結果、らしい。
それでも大胆すぎるんですが、なんて無粋なことは言わない。
(ただ、ジュードは巫女のイバルとかいうお方にグッジョブ、と惜しみない賞賛を送らさせていただきます)
というか、他の村人の服装と違うんだけど、との問いに、そんな答えが返ってくるとは思わなかった。その他、家も特徴的なデザインをしている。村人達は牧歌的、というか、先程の光景がなければ、普通の田舎町に見えたことだろう。農業に、畜産に、はたまた装飾品を作ったり。普通の生活を送っているように感じられる。そんな風に周囲を観察しながら、石を集めていく。石は大きく、両手で持たなければもてないほどの大きさだった。マナで腕力を強化しているので問題はないが、一気に持ってはいけない。アイテムパックもいっぱいだ。だから一つはアイテムパックに、一つは手で持って運ぶことにした。
「というかミラ、これって石というよりは岩………」
「うむ、頼んだぞ男の子」
にべもなかった。人使いが荒い――――とは、今は言えないけれど。
それから、出発前の準備に入った。僕達は一端解散し、それぞれに必要なものを買い出しにいくことにした。ミラはなにやら長老を話があるようだ。アルヴィンは「私用」らしい。特に追求しても躱されそうなので、追求はしなかった。
僕は行商人からはアイテムと食材を、近くにあった食材屋からは新鮮なブウサギの肉をもらった。これがあれば、3時のおやつ………というよりも、間食としてだが、良いものを作れるだろう。香辛料も良質のものが売っている。買い揃えながら、替えの肌着を買った。一番下の肌着は、血で塗れているのでもう洗っても着れないだろうから。
そうして、休憩時間が終わり。
集まった後、ニ・アケリアや村人について、休憩がてら話をしていると意外なことが聞けた。
ミラの出生について聞いた時だ。
彼女には親が存在しないという。20年前、四大を伴ってあの村に現れたと。その頃はまだ赤ん坊だったらしい。3才ぐらいまでは、四大が村の人達に世話をするよう命じたのだとか。ミラも、生まれた当初は、四大に触れることすらできなかったらしい。それもそうだろう。四大はそれぞれの系統に属する精霊を集め、それを媒介として現世に形を成している。
マクスウェルとしての力が無ければ、触れられるだけで大怪我をしてしまうとのことだ。実に不便なことだと思った。ちなみにマクスウェルはそれぞれの系統の精霊を媒介にするのではなく、人間を媒介にするらしい。よっつの精霊、それが最も集まり、バランスよく調和がとれているのが、人間の身体なのだと。
それにしても衝撃的事実だ。20年前、四大が消失した大事件―――
(いや、それは違うかな)
戦争の原因はまた別だろう。あれは戦争で、純粋なる人間の世界の話だから。
目の前の女神さまの誕生と、戦争とに関わりがあろうはずがない。
(精霊の主――――美女の姿をするマクスウェル。ぶっちゃけ女神………ん?)
と、まあふざけたことを考えている最中………根本的な疑問に行き着いた。それは、何故ミラは女性の姿をしているのだろうかということ。人間ならば考えるだけ無駄なことだが、ミラは違う。
(想像上の話だけど、マクスウェルとはもっとこう………じじむさいような)
主だからして、ヒゲの生えた長老のような容姿をしていると。勝手な話だろうが、そんな姿を想像していた。それがなんで、こんな美人に生まれたのか。カモフラージュか、カモフラージュなのか。あるいは視覚心理戦のためか。確かに、この容姿とスタイルに、あの服は反則と思う。
(………それはまあ、誰かの趣味だから、ということで納得ができる………かも?)
男だからとして納得もできよう。ウンディーネ以外は男なのだから。精霊とは言え、野郎はみな兄弟。シルフとノームとイフリートが結託すれば、それもありうる………?
(って、ん? …………ちょっと待てよ)
何気なく、またふざけた思考を走らせている最中だった。なにやら、納得できない………引っかかった所があることに気付いたのは。同時に発生する、どうしようもない違和感。僕は、それを掘り下げることに専念した。考えるのが最善だと判断して。物事を論理だてて順序的に組み立てるのは得意だ。小さい頃から現在まで、精霊術を使うために、色々な事を考えてきたから。
その経験を活かし、組み立てる。出生。生み出すもの。ミラの姿。四大の性質。
手持ちの情報を組み合わせていき―――気づく。
ミラが生まれて、現在に至るまで。どうしても、必要となるピースが欠けているように思えるのだ。
端的に言えばこうである。
(――――誰が、ミラを生み出したのか)
四大がミラを生んだ?
………違う。四大が力を合わせて、主であるマクスウェルを造るなんて、理屈にあわない。四大はマクスウェルに従属する精霊のはず。ならば、誰が産み出したのか。
(………ミラは、そうだな………明言はしていないけど、20年以上より前の記憶を持っていないだろうな。だって、"老人くささがない")
故郷の治療院でみたような、老人の雰囲気がない。むしろ若すぎると言った方がいいかもしれない。知識としては持っている。だが、体験はしていない。そんな感じを思わせるぐらいだ。少し事情が違うのかもしれない。だけど、間違っていないように思える。
先の表情もそうだ。なんせ、"反応が初心すぎる"のだ。とても、何千年も生きているような存在に見えない。今は力を失っているから―――と考えたが、それは否だろう。世界を作ったというのなら、世界を知り尽くしているはず。故に、もっと泰然としているべきなのだ。料理で一喜一憂している様は、眩しいがおかしい。事実、僕は………ミラが偉大なる精霊の主なんて、そんな高等な存在として捉えられなくなっている。これはちょっと、致命傷なのではないか。
"男とは~"の発言も、疑って考えれば実におかしい。もっと、世界の全てを………それこそ、腐るほどに熟知しているのが当たり前なのだ。世界を作った。ならば、知らないことはないだろう。それ故に管理できるのだ、と。複雑な感情抜きでいえば、それが偉大なる精霊の主として最も相応しいあり方だから。そのあり方から外れる道理もない。
(でも、僕は………ミラの事を、神様なんて。そうは見られなくなっている。ここが、どうしても引っかかる)
マクスウェルとして、ではなく――――ミラとして。
一人の女性としか思えなくなっている。
(あるいは、僕がオカシイだけなのかもしれないけど)
楔として胸に残る痛み。脱落者としての自分だから、そんな事を考えてしまうのかもしれない。事実、精霊の理なんて、精霊術を扱えない僕にとっては、ある意味医術所より難解なものである。精霊に対したことがない僕だから、精霊のことが分からないのかもしれない。
(………どこまで行ってもつきまとう、か)
精霊のこと、
(でも、おかしい点が多すぎるだろう?)
生誕の謎。ここにきて、結論が出ない。四大が集まって、相談して決めた?
――それは、違うだろう。四大は均等で、だからこそ対等だ。その四大の全てが、目的を一緒とすることに違和感を覚える。音頭をとる人物がなければ、実現しないだろうに。
つまるところは、一つ。あるいは――――マクスウェルのもう一つ上に彼らを統率者する者が居なければ、ミラが生まれることについての、説明にならないような。
しかし、今現在の手持ちの情報ではそこが限界。それ以上は分からない。
そこで、僕は出発する直前、出口付近にいた長老に話を聞いてみることにした。
「貴方は………」
「ミラの護衛、ですかね」
僕がミラを見ると、ミラが頷いた。その後、話を聞いてみることにする。まずは、この世界を何千年も前に作ったマクスウェルについて。直接聞いても答えてはくれないだろうから、遠くから聞いてみることにしたのだ。何か、他所では聞けない話を聞けるのかもしれない、と。
聞くと、長老は嬉しそうに話しだす。
まずは世界の創世記について。このリーゼ・マクシアは、かの偉大なる精霊の主に作られた。それは一般常識だ。その話に関して、齟齬はない。だが、その内容が微妙に違っている。創世記とは、マクスウェルともう一人の人物を欠いては話せないもの。その人物こそがクルスニクだ。世界を創生するマクスウェルを補佐した偉人である。類まれなる知識を持っていた賢者と、普通の創世記には記されている。
だが、長老の話は違っている。クルスニクは、マクスウェルを補佐した者ではなく。
"マクスウェルに従った最初の人間"が、賢者・クルスニクと言っているのだ。まあ、槍のことはおいといて。この村の者が、クルスニクの末裔であるらしいが、それも特にどうでもいい。
"従った最初の人間"とはどういうことだろう。世界に広まっている創世記とは、異っている。
(内容が、解釈が、少し異なっているか………どちらが正しいんだろうな)
創世記だからして、多少の違いはあるだろう。しかし後者である場合。もし長老の言う内容が正しいとすると、腑に落ちないことがある。世界を作ったのが、マクスウェル。ならば、人はそのマクスウェルに従って当たり前だ。なのに、"最初に従った"とはどういうことだろう。その物言いは、まるで………"世界が作られる前に、マクスウェルに従わなかった者がいる"ことを思わせるが。
(いや、そんな存在は有り得ないだろう)
否定する。精霊術無くして、リーゼ・マクシアは成り立たない。生活の一部、人間でいえば臓器そのものと言っても過言ではない。無くして生きられる者はいない。ゆえに、精霊を必要なものとして、最重要なものであるとしている。
だからマクスウェルのことを、偉大なる精霊の主と呼ぶ。創世の頃から変わっていないはずだ。歯向かう人物なんて、生まれさえもしないはず。どうにも、おかしな点が多すぎるようだ。
あるいは、ミラ=マクスウェルが、問答無用で破壊すべきと主張するもの。
"人と精霊に害為すもの"と、マクスウェルである彼女が断言するもの。
―――
全ては、その先に答えがあるのかもしれない。あの槍の秘密の、その向こう側に。だけど、今は目的を果たすべきだろう。そう考えて話を切ろうとしたのだが、長老さんがなにやらヒートアップしていた。長老も、村の外の人間、いわば他所の人間に偉大なるマクスウェル様のことを説く機会が少なかったからだろうか。
そこからはマクスウェル賛歌が続いた。食事も睡眠も取らずに成長した、とか。使命を果たすべく、昼夜を問わず動いてくださる、とか。クルスニクの末裔である私達を守ってくださる、とか。
「………ちょっと待って。クルスニクの末裔は自分たちだけ?」
前言はムカツイたが、それはいい。だけど、ラ・シュガルの六大貴族、"六家"こそがクルスニクの末裔じゃあ。それが違うと? ………彼らはマクスウェルに付き従った6人の子孫であるとされているけど。
ア・ジュールはそのことを信じていない輩が多いが、それは信憑性の高い情報だ。身分の高さが証明しているようなもの。世間一般からは、"六家がクルスニクの縁者の末裔だなんてものは嘘"だと主張する者は、ラ・シュガルの六家を陥れる詐欺師か。
あるいは、蛮族と言われる部族が多いア・ジュールの馬鹿か、どちらかであると認識されている。それをばか正直にアルヴィンが言うと、長老が沸騰した。反論した長老は、静かに叫ぶ。
「その伝承の方が怪しい! ………事実、六家はマクスウェル様から"世界の秘密の守護"を託されていない。それが、何よりの証拠だ」
「………世界の、秘密?」
秘密ってなんだ。世界の秘密。それは、あるいはミラに繋がることではないかと思って。
僕は、もっと話をと一歩踏み出して――――ミラに手で制された。
まるで、それ以上は許さないと告げるように。
「ジュード………長老も」
「っ! これは、わしとしたことが………お許し下さい」
また平伏する長老。だけど、今はそうした方が正解だろう。
ミラの声は、それほどまでに低く。少量だが殺気さえ混じっていた。
「えっと、ミラ?」
「………なんでもないさ。それより、石は集まった………出発するとしようか」
その声は、反論を許さないというような口調で。さっさとミラは歩き出してしまった。残されたのは、じっと地面を見ている長老と僕達だけ。
僕はアルヴィンと目を見合わせると、互いに肩をすくめた。
「おっかないね。顔色も、表情も………悪い」
「まあ、仕方ないと思うがね」
帰ってきてから。そして今の話を聞いて、気分が悪くなっただろうことは、推測できる。僕の立場であってもそうだろう。ミラだけが特別、人間からかけ離れているなんて、そんな風には思えない。
「行こうか、少年。ほら、お姫様がお待ちだぜ?」
面白くなさそうに言うアルヴィンの言葉に頷き、僕もミラの背中を追って歩き始めた。
そうして、社の前にまで来た。魔物はそれほど強くなく、石を運びながらでも対処できるぐらいだった。道中、たむろしていた魔物をボコったり。共鳴術技の発案をして、その練習をしたり。特に危険はなかったので、さくさくと進めた。
「さくさく、ね………君が世精石をもったまま戦おうとした時は、本当にどうしようと思ったが」
「いや、世精石アタックって………素敵じゃん?」
それぞれに四大の系統が宿っているらしいし。ぶつけたら火とか風とか出そう。ちょっとした精霊術気分を味わえるじゃないですか。そう言うと、ミラは呆れながらため息をついた。
「その発想は無かったよ………しかし、肝が冷えるのでやめてくれ。本当に君は………何をしだすか分からないな。まるで本で見たびっくり箱とやらだ」
「いや、場を和ます冗談のつもりだったんだけど」
「場が凍ったぞ。まったく心臓に悪い………」
「お詫びに特製のサンドイッチをプレゼントしたでしょ。まあそれで手打ちに………」
「―――ああ、あれは美味かったな。味付けもさることながら、肉の旨味が格段に違った。深みがあるというのか。野菜もしゃきしゃきとしていて、歯ごたえも抜群だった。あれは………もしかして、ニ・アケリアで売っていた材料を使ったのか?」
「かなり質が良かったんだよ。ちょっと田舎だけど、舐めてました自分」
お詫びにと差し出した特製サンドイッチ。ブウサギの肉を味付けした後、野菜と一緒に挟み込んだ特製サンドイッチ。故郷の味だからか、ミラのほっぺたは落ちそうになっていた。それほどまでに美味しかったということだろう。
しかし、ミラは何かに気付いたのか、ジト目になっている。
「………君は、あれか。美味しいものを差し出せば、私が引き下がるとか思っていないか?」
「そうでしょ?」
「………違う。と、思う」
ミラは馬鹿みたいに正直だった。くくく、順調に餌付けは進んでおるわ。
そんな顔をしていると、ミラに見つかった。やべえ。
「全く………君は思っていたより意地が悪いな」
「っ、照れるな」
「いや、間違いなく褒めてねーぞ少年。あと、ミラはその剣を抜いてもいい」
そこにアルヴィンが乱入してきた。さっと、視線を交わす。
「………なっ、裏切ったな胡散臭い男、略してウザ男!」
「いや、略せてねーから。あと、さり気なく悪口追加すんの止めてくんないかな? 俺って実は心がよえーのよ、滅茶苦茶繊細なハート持ってんのよ」
と、胸を抑えるアルヴィン。嘲笑を浴びせてやろう。
「ふ、本当の事を言って何が悪い! ………あと、最後のはツッコミ待ちか? そうなのか? つまりは覚悟完了か?」
「やめろ、って目がマジに!?」
「うるせー大岩ぶつけんぞ! 大岩だ、また大岩だ、って連投も可能だぜ?」
あの怪しいねーちゃんとも知り合いっぽいからってよう。いくらか追求するけど説明しやしねえ。ガンに関しても、だ。するりするりと追求を躱しやがる。本人も自覚しているんだろう、ニヤニヤと笑ってやがるし。そのあたりの苛立ちをぶつける意味"も"あってアルヴィンに鬱憤含めた意念をぶつけてやりあっていると、隣からミラの笑い声が聞こえた。
「えっと、ミラ?」
「いや、すまない………その、なんだ」
口を抑えながら、おかしそうに言う。
「お前たちは見ていて飽きない。なぜか、そう思ったのだ」
ミラが、笑いながらいう。
「………ちっ」
「なんでこっち見て舌打ちすんだお前はぁ!」
「一緒にすんなってポーズだよ。なに、僕の猫を無理やり剥がした貴様が悪いのだよ」
「猫? ………剥がすとはまた猟奇的な」
「ひどいよねー」
「咬み合ってねえ………あと、少年はもう少し年上に対する話し方ってのを学ぼうな」
「いや、冗談だって。ほら握手握手」
岩を置いて握手を求める。しかし、アルヴィンは半眼になった。
「なんか、掌が赤いんだけど? マナが唸ってるんですけど?」
「いけない、ついまなをこめてしまったー。ぼくっておちゃめさん」
「棒読みかよ! ………ってそれ、あのでかい魔物に喰らわせてたきっつい技じゃねーか!」
「流石はプロの傭兵。一度見た技は、忘れないんだね」
「………ひょっとして、こいつがこの旅の最大の強敵なんじゃねーか?」
アルヴィンがぼそりと呟いた。
「………失礼な、こんな良識な一般人をつかまえて」
「ちょっと待て。いい加減に反撃するぞ、俺も」
そんなこんなで漫談を続けていると、ついにミラはおかしくなったのか笑い出す。
「っ、いつの間にか………仲良くなったのだなお前たちは」
「「いや、ねーよ」」
「ほら、息もぴったりだ」
くすりと笑うミラ。その顔は、ニ・アケリアに到着する、その寸前のものに戻っいた。
あそこを出発する時の顔でも、長老や村人達に対して向けていた顔は、どこにもない。
それを見て僕はアルヴィンに視線でサインをした。ありがとう、と。
―――実はというと、村からここまで。歩いている時のミラの顔は、なんか見たくない"色"をしていて。アルヴィンに、それとなく視線でサインを送っていたのだ。ちょっとわざとらしかったかもしれないが、アルヴィンはそれに乗ってくれた。まあ、だからってお世辞とかそういうのではなく、自分の言いたいことを言ったのだけど。
結果はオッケーだ。ミラの顔が、元に戻った。これで気兼ねなく前にすすめるというもの。
ああ、そうさ。世界に対する謎。興味深いし、考える価値もある。疑問点も謎もひどく魅力的なものだ。それは確かだ。僕だって一端の知識人。世界の謎なんてロマンを前にして、魅力を覚えない方が嘘というものである。
―――あるいは、精霊術が使えないという僕の特殊体質が、分かるかもしれないから。それは本能に刷り込まれたものだ。このリーゼ・マクシアで人として生きるに必須な技術。人として生きられる、最低限のラインを越したい。それならば、片足片目、片腕さえも献上しよう。それほどに、僕は渇望している。旅の目的の一つでもあって。ミラについてきたのも、その目的を達成するためだ。
だけど同時に、譲れない想いがある。
それは――――ミラがそんな顔をしているのが嫌だと。笑わせたいという、そんな単純な想いだ。綺麗な顔が曇っているのが嫌で。四大を従えていた時のような、無機質な暴君を思わせる表情に戻っていくミラが、嫌でたまらない。
村人にしてもそう。食事も睡眠もだと?
――――ふざけている。独りよがりと言われるかもしれないが、気に食わないという考えは止められない。探究心が、ある。だけどそれとミラの事、その想いの強さは今は等号で結ばれるようになった。
その両方を知りたいと思う自分がいる。精霊術のこと。そして、ミラのこと。その奥にある秘密も。
(興味がある、っていうのか)
どちらかは、判別がつかない。謎と彼女自身のこと、そのどちらに惹かれているのか。わからない。だけど、あの顔は――――もう二度と、させない。変えよう。嫌なものは、自らの手でどうにかするべきだから。
だから僕は、笑わせるためにも動くべきなのだ。師匠や、レイアに対するように。
あるいは、もう一人。僕と同じような、願っても届かなくて、一度壊されて。
死にかねない痛みを抱えながらも、どうしようもないと叫びながらも。
戦うことで発散させないと臓腑を焼くというのに、無理に溜め込もうとしていたどこかのチビに対するように。
(って何を考えた、僕は)
今は、ミラだ。"マクスウェル"だけど"ミラ"な、ミラを。我ながらミラミラ言っているとは思うが、止められない。だから、それを何とかして変えるべく動いた。石ぶつけようとしたりして、慌てさせて。食事で機嫌を取って、喜ばせて。感情を揺れ動かせば、ミラが戻ってきた。アルヴィンと即興でコメディを展開したのも良かったようだ。ある意味で本気が混じった一芝居だけど、上手くいった。アルヴィンも満足だろう。
僕と同じように、ミラを見ながら、微妙な表情を浮かべていたし。
(しかし、この男も分からないなあ)
胡散臭いを人形にすればこのような男が出来上がるのではなかろうか、それぐらいに得体が知れない傭兵。実力を隠している可能性が高い。そうでなければ、あの場面であの共鳴術技は決められないから。けど、嫌なものばかりでもない。短い付き合いだけど、それははっきりと分かる。
隠している実力を見せること、わかっていたはずだ。それなのに、僕達を助けるためにだろうか、隠したままでいなかった。こうして、漫談に付き合ってくれてもいる。怒らずに、合わせてくれた。それだけの男気は持っているのだ。だから、礼を言うことにした。
ミラが少し前に行った後。彼女に聞こえないように、小声で伝えようと。
対するアルヴィンは――――来ましたか、とばかりにまた厭らしい笑みを浮かべている。
読まれているのだ。僕はそんな仕草に、"このやろう"と思いながら。
それでも僕は礼の言葉を口にした。
『サンクス、中年』
「――――お前な!!」
「え、なんで怒る?」
「ってぇ、なんで不思議そうな顔をするよ!?」
なんで大声を。前にいるミラが驚いてしまっているじゃないか。
告げると、アルヴィンは手をわなわなさせた。
「はあ………馬鹿らしい。少年、素直に礼を言うのが照れくさいんなら、最初から言うなよ」
「はぁ、誰が照れ隠しだ!? 一体僕がいつ照れたって証拠だよ! このおっさんが!」
「てめっ………お前、本当に面倒くさい性格してんのな。というか中年はよせ、おっさんじゃない! 俺はまだ26だぞ!?」
「え、おっさんじゃん」
「…………お前とはいつか決着をつけなきゃならんようだな。というか、お兄さんと呼べ」
「いや、アルヴィンがもう少し秘密を打ち明けてくれたら………って、呼んでるよ」
ミラが僕達を呼ぶ声が聞こえる。前を見ると、社へ続くのだろう、長い階段が見えた。
恐らくはあれがミラの社に続く道なのだろう。
もうすぐ到着だと、僕はアルヴィンより先にミラへと駆け寄っていく。
「ほんっとに似てねえなあ、少年…………………あの生真面目な"お医者さん"とは、大違いだぜ」
そんな、後ろでつぶやかれたアルヴィンの声を聞き逃したまま。