「あ、きた」
フィーが待ち人を見つけたのは、私達がまだ静かな早朝の帝都ヘイムダル中央駅のホームに降り立ってから二十分は経った頃だった。
まったく寝付けなくて身体の重い私は、ベンチに座ったまま頭も動かさず、視線だけをこちらの方に来るであろうサラ教官へと向ける。
「遅いですよ、教官」
「ゴメンゴメン~、ちょっち野暮用があってね~」
大して急ぐ様子もないサラ教官に、不満気に文句をぶつけるマキアス。昨晩の連絡では、私達の到着を待っていてくれている筈だったのに。
もっとも、これから乗る列車の時刻は当初の予定通りなので、スケジュール上では対した問題でもないのだけど。
「クク、その割には酒くせぇみてぇだが」
「え゛」
クロウ先輩にツッコまれ、B班の面々から白い視線を集める私達の教官。野暮用って飲みだったんですか。
「な、なに言ってるのよ、昨日は一杯しか――」
「語るに落ちたね」
「いや、元々だろう……」
「ほんと、サラ教官は……」
「あはは……」
自らボロを出すサラ教官にも呆れるけど、ぶっちゃけもう今更の話である。酔っ払った教官なんで第三学生寮で暮らしてれば毎日の様にお目にかかれるのだから。
そこで、この二十分間で四度目となる大きな欠伸が出る。
「あら、寝不足?」
「みたい」
目が微妙に潤む私の代わりにフィーが答える。
みんなの顔が私を向くけど、心配されているというよりかは、これまたいつもの話といった雰囲気だ。
ただ一人、クロウ先輩を除いて。
昨晩あんな事があったせいで、私は殆ど寝る事が出来なかった。目が冴えていたというより、一晩中ぐるぐる回り続けた頭が寝かせてくれないという感じ。
そして、こうしてサラ教官を待っていた間も、先輩が近くにいるだけですごく気まずい。
眠くて口を開く気もなれないこの寝不足の状況が、変にみんなに勘付かれないで済む丁度良いカモフラージュになっているのが、私にとっては唯一の救いだった。
「大丈夫?」
列車の席に着いてすぐ窓に寄りかかった私に、アリサが覗き込んでくる。
きっと、疲れていると思われたのかな。心配してくれるのはありがたいのだけど、私からすれば逆に彼女の方が余程心配だったりもする。
なんとなくだけど、特別実習が始まってから、いや、実技テストの後に二つ目の実習地を伝えられた時から、アリサは時折様子が少しおかしかった。
きっと、これから行く次の目的地、そこに配備されるある物の事だろう。
以前、六月の特別実習から帰ってきた頃に彼女が話してくれた、アリサの家族――ラインフォルト家の話で聞いた、彼女の家族がバラバラになってしまった経緯。
彼女にとっては、家族を引き裂く直接の原因となった《列車砲》。それは、今日、私達が向かう東部国境ガレリア要塞に配備されている。
「……アリサも、だいじょうぶ?」
小さな声で返すと、彼女の紅輝石の様な瞳が一瞬だけ揺れた。
「ええ」
「そ……」
彼女の返事に、それ以上は何も言わないで、私は瞼を閉じた。
たぶん、今じゃない。それに、彼女が求めるのも私ではないだろう。
目を瞑った中の薄ら明るい暗闇の中で、列車の揺れに身を委ねながら思う。
彼女同様、私もこの列車の
そして、エリオット君も。
ちょっとだけ、瞼を薄く開いてサラ教官と話してるらしい彼の横顔を窺う。
そこまで、思い詰めてはいないみたい。そんな普段とあまり変わらない彼の様子に胸を撫で下ろす。
少々気不味い父親との再会――その意味では、私と彼は同じであった。
帝国正規軍で最強の打撃力を誇ると名高い第四機甲師団、その指揮を執る勇猛な名将《紅毛のクレイグ》。
エリオット君曰く、軍人然とした厳格な父親。彼が本来の進みたかった音楽への道を曲げて、士官学院に来ることなった原因。
一体どんな人なんだろう。一昨日、ジュライのホテルで会ったあの将軍みたいな人なのだろうか。
でも、逆に考えれば士官学院にエリオット君が来てなかったら、私と彼はこうして一緒の時間を過ごす事も無かっただろうし……彼には悪いけど、私にとってはもしかしたら感謝するべき、恩人なのかもしれない。
そこまで考えた時、昨晩のクロウ先輩の声が脳裏に過った。
――だって、お前さん――
あぁ、一晩中かけて考えない様にしてたのに。
いずれにしろ、これから向かう場所は、私を含めたB班の三人にとって特別な意味を持つ場所だった。
リィンやラウラ達A班がケルディックで合流したのは、列車に乗って二時間ほど経った後らしい。
すっかり眠りこけていた私が目が覚めた時には、既にお互いの班の活動内容を報告し終えた後であった。
だから、私は隣に座るアリサからA班の活動の話を聞く事になったのだが、どうも向こうは色々とあったらしい。
ラウラの父アルゼイド子爵と手合わせしたリィンの”力”の話――その事を語るアリサの顔は隠し切れない不安を帯びていた。実際にその場に立ち会えなかった事が、更に言葉に出来ない不安を掻き立てるのだろう。
後ろのボックス席にいるであろうリィンの姿が浮かぶ。それは、私も同じ気持ちだ。
そして、私達も遭遇した機械の仕掛けの魔獣。これに関しては何やら含みがある事をサラ教官が言っていたみたい。詳しくは教えて貰えてないらしいけど。
最後に《槍の聖女》に縁のある霧に包まれた古城と幽霊の話。正直、これを聞いた時は私がB班であった事をこれでもかってくらい感謝した。
そんなレグラムでの出来事の話を聞いている内に、列車は開けた大河へと差し掛かる。
帝国東部を流れる大河、レグルス河に架かる大橋である双龍橋。
大河の中州に築城された古城である、このクロイツェン州領邦軍の拠点を越えれば、帝国東部の国境地帯だ。
もうすぐ、
アリサの視線を感じて、私は今日何度目になるか数えてすらない欠伸を
・・・
帝国東部国境、ガレリア要塞。
帝国最大級の規模を誇る軍事拠点であるガレリア要塞は、その昔、中世の時代より東の脅威から帝国を守ってきた難攻不落の大要塞である。
勿論、東部国境という最前線である事から駐留する兵力も膨大で、正規軍の第五機甲師団を含めれば万を優に超える戦力がここに配備されている。
見る者を圧倒するその外観は、ガイウスの言葉を借りれば、『鉄とコンクリートで出来た巨大な壁』。私には、正に帝国という城を護る城壁の様に思えた。
要塞の全景を見るのは初めてだった。帝国の国防上最も重要な拠点であるガレリア要塞は、その性格上から軍事機密の塊であり、一般はおろか士官学院の教科書ですら帝国側から撮影された写真は載っていない。
一方で、クロスベル側からの写真はかなり有名で、書籍等に載っているのは大腿はこちらの方だ。だけど、帝国側からの全景を見た後では、写真に写っていた光景はこの巨大な要塞のほんの一部であった事が良く分かる。
ガレリア要塞に到着した私達を迎えたのは、学院の時とは違って正規軍の軍服姿のナイトハルト教官――いや、
朝はあんな感じだった、あのサラ教官がナイトハルト教官にまるで軍人の様な敬礼して、私達の到着を報告する。
普段と違う教官達のそんな姿に、この場所が最前線の軍事拠点であることを明確に突き付けられ、私達は一様に緊張感を感じさせられた。
ガレリア要塞での二日間の特別実習、『実地見学』と『特別講義』についてナイトハルト教官から伝えられた後、実習中にしては珍しく時間通りの昼食にありつく事になるのだが……。
目の前のトレーに乗るのは、大きなコンビーフ、見るからに硬そうなライ麦パン、これでもかってくらい豆だらけのスープ、妙に小さくカットされたチーズ、半分にぶった切られた林檎。
前三つは帝国正規軍の酷すぎる食事の定番として有名だ。私の故郷みたいな地方部では正規軍をバカにするのによく使われるネタでもある。『正規軍は貧相な物ばかり食っているから、飯を味わう余裕すらない』とか、『パンが硬すぎて噛めないから、正規軍の奴らは早食い野郎だらけ』とか。
昼食として出された食事にみんなは各々の愚痴を漏らすけど、私は違った感想を抱いていた。
どことなく、懐かしいのだ。小さい頃、割とよく食べた料理だから。
しょっぱすぎるコンビーフ、カチカチのパンをスープに浸して無理して食べる感じ、小さい頃の私はそれが口に合わなくて我儘交じりによく泣いてた。
いま思えば、あれは配給だったのだろう。軍の基地内の官舎だったのだから。
それにしても、こんなに早く記憶と同じ物を食べる日が来るとは思わなかったが――十六歳になった今食べても、不味いものは相変わらず不味い。流石にみんなの前なので泣きはしないけど。
食文化を誇るサザーラント州民からしたら、喧嘩売ってんじゃないかって思う位に味っ気のないトマト風味のスープをスプーンにすくいながら、軍の基地から故郷に移り住めた事を女神様に深く感謝した。
大きくなるまでこれで育ったりしたら、私の舌は間違いなくバカになっていただろう。
その巨大な外観もさることながら、ガレリア要塞は内部も凄まじい。
チラリと見えたフロアの案内板通りなら、要塞はおおまかに前方と中央、左右両翼の四つの区画に分けられ、それぞれ十数層にも及ぶ階に分けられている。
比較的自由な見学が許されてる私達だが、この要塞の全容を見るとなると一週間あっても足りないだろう。
「うわぁ……」
格納庫に並ぶ正規軍の主力戦車に思わず声が漏れた。
「主力戦車《アハツェン》――名前の由来は厚さ十八リジュの装甲よ。その正面装甲を貫通できる砲を持った戦車は現時点で大陸に存在しないわ。……つまり、大陸最強の重戦車という事になるわね」
ゆっくりと近付き、その巨体の正面に立ったアリサが語る。
以前、オーロックス砦で見たのと同じものだけど、こうして間近で見上げるとその鋼鉄の体躯は本当に大きい。
まるで、私達人間なんてちっぽけに感じてしまう位の存在感だ。良く言えば頼もしくて、悪く言えば怖さすら感じる。
「この要塞に何百台も配備されてるんだよね」
伏し目がちに頷いたアリサが格納庫の中をゆっくりと見渡す。
「ガレリア要塞……か。この巨大な要塞の近代化工事をしたのもラインフォルトなのよね。……あの《列車砲》を配備する為に」
「《列車砲》……」
それは、この要塞に配備される二門の戦略兵器の名前。
「八十リジュ口径の世界最大の長距離導力砲。その砲弾一発で、都市の一区画を吹き飛ばしてしまう威力。試算だと二時間でクロスベル市を焦土に変える事が出来る代物――そんなものも、うちの実家は作ったのよ」
《アハツェン》の主砲、《列車砲》と比べれば遥かに小さいだろう、それを見上げながら淡々と紡ぐ彼女に、私はなんて声を掛ければいいのか分からなかった。
だって、彼女の言葉は他ならぬラインフォルト家の人間から語られる事実なのだから。
《列車砲》はあくまで膨張する共和国への備え。軍拡著しい共和国から属州であるクロスベルを守り――ひいては帝国本土への侵攻を思いとどまらせる為の兵器。つまり、戦争を起こさない為の、抑止力を目的に配備された戦略兵器。
帝国内、特に戦力として運用する正規軍や配備を主導した革新派には、その存在を肯定的に捉える見方もある。
彼らの主張は間違ってはいないのかも知れない。現に列車砲の配備以降、両国の緊張状態こそ深刻化したが、東部国境における武力衝突事態は起きていないという事実もある。
だけど、アリサの語った武器としての能力は、明らかに常軌を逸しているものであり、帝国はそれを大陸有数の大都市であるクロスベルに向けている。
それもまた現実なのだ。
「はぁ、軍事演習か……気が重いなぁ。リィンは、演習なんて見たことない……よね?」
「ああ、今回が初めてだよ」
格納庫へと降りて来たリィンとエリオット君の声に気付いたアリサが、少しだけそちらに顔を向ける。でも、何を考えたのか、その場から動く事はなく、すぐに《アハツェン》へとその曇る顔を戻した。
まったく、もう……。
そんな彼女の姿が見ていられなくなって、私は少しばかり遠いリィン達の方へ向かった。
二人に軽く挨拶をして、その中に混ざる。
少し卑怯な手段に申し訳なく思いながら、二人の話を終わらせると、リィンは戦車の並ぶ格納庫の奥へと足を向けてくれた。
「ねぇ、リィン」
「どうしたんだ?」
私は小声でリィンを呼び留め、口に出さず一人戦車の前で佇む親友の後姿に視線を送った。
「傍にいてあげて」
「わかった」
最小限の言葉だけで伝える。それでも、リィンにだったらこれで十分だ。
それに、今のアリサに必要なのは言葉ではなく、彼の存在だと思う。だって、彼女が最初に家族の事を打ち明けた相手は、多分、彼なのだから。
列車の中で聞いた話を思うと、彼も彼で色々と心配なのだが、やっぱり私には親友を放ってはおくことは出来なかった。
リィンと話すアリサの姿を遠目に見守り、私とエリオット君は彼女が少しは持ち直したことを感じていた。
「よかった。アリサ、少しは元気出たみたいだね」
「う、うん……そうだね」
ナイスと言わんばかりの笑顔を私に向けてくれるエリオット君。
その顔を直視すると、また昨晩の先輩の言葉が呼び起こされてしまい、一気に頬が熱くなる。
「じゃ、じゃあ、私は上に戻るね! また後でっ!」
火照る顔を隠す様に慌ててそう告げて、私は一目散に階段へ逃げた。
・・・
「あ、エレナー」
格納庫からの長い階段を全力で走りきった私を、暢気な声で迎えたのはミリアム。
「にしし、オジサン達がいくタワー、見えるトコ教えて貰っちゃった。一緒にいかない?」
憂鬱な気持ちを吹き飛ばしてくれそうな笑顔につられて、すぐに頷いてしまった。
「まさか、演習を見る事になるなんて……ミリアムは知ってたんだよね?」
「まあねー。この演習の目的も聞かされてたし」
鋼鉄製の箱の中で反響混じりに響く声。
通商会議の会場となるクロスベルの超高層ビルを見るために、私達は峡谷の地下部分にある要塞の前方区画――その最上部の地上に露出する監視所へのエレベーターに乗っていた。
「演習の、目的?」
今日、私達が見学するのは、定期的な通常の演習では無いという事なのだろうか。
「通商会議に合わせたクロスベルへの圧力ってカンジかなー。向こうも明日には同じ様な演習があるみたいだし」
最初はガレリア峡谷の向こう側――クロスベルの事かと思った。でも、自治領であるクロスベル州にはそもそも演習をする軍隊はいない。
となると……。
「向こう……って、共和国、のこと?」
つまり、クロスベル州の”向こう側”――大陸西部において帝国と歴史的な対立関係にある大国、カルバード共和国。
ミリアムは何か嬉しそうに頷くけど、私にはどこか満足気にも見えた。もしかしなくても、試されてたのかもしれない。
「ダイトーリョーが昨日視察してたみたいだよ。空挺機甲師団っていうのかな」
微笑ましい位したったらずな子供らしい発音だけど、その言葉は間違いなくカルバード共和国の国家元首の”大統領”を指していた。
つまり、共和国の最高指導者がクロスベルに行く前に自国の軍隊を視察した。
そう彼女は告げたのだ。
「……もしかして、何かあるの?」
「あはは、心配しなくても戦争とかじゃないよ。向こうは向こうで、イミンモンダイとかミンゾクモンダイの過激派とかでゴタゴタしてるから、その辺への備えだろうし」
まるで、食後のおやつの話題の様な軽い口調。でも、それは帝国と対立する大国の重要な内情に他ならない。
「帝国も共和国も、今はお互いの間でイザコザを起こさない事の方が重要なんじゃないかな。ノルドの時もそんな感じだったみたいだし」
彼女の分析なのか、はたまたあのレクターという情報将校の言葉なのか。いずれにしろ、情報局員としての彼女の顔をまた見せつけられている気がする。
「にしし、きっと通商会議で何かあるんじゃないかな。共和国のダイトーリョーも、やる事が一緒な辺りオジサンと気が合いそうだもん」
「……そんな事、私に話していいの?」
「んー、特に制限された情報じゃないし、大丈夫だと思うよー?」
そういうものなのか、私には良く分からないけど、あまり良い気分になれる話ではない。というか、逆に不安を煽られた様な気すらするし、憂鬱な気分が更に深まったのだけは確かだった。
「それに、エレナになら話しても怒られなさそうだし」
「えっ? それってどういう……」
ミリアムの言葉の意味を聞き返すが、タイミング悪く鳴ったベルの音に遮られる。
無骨な鉄製の扉が開くと共に、峡谷の強い風が勢い良くエレベーターを満たした。
要塞前面――岩盤を天然の装甲として利用する為、峡谷の岩肌の中に埋もれている区画だが、その最上部のいくつかの監視所は地上に露出している。そんな場所の一つにお邪魔していた。
任務中の兵士に挨拶と見学する旨を伝えて小さな監視所に入ると、そこには見知った後姿があった。
「あ……」
「あれ、クロウも見に来たのー?」
緑色の制服の背中を見た時、思わずエレベーターに引き返そうかと思った位、私にとっては今一番会いたくないクロウ先輩。
でも、ミリアムの声の方が早くて、私はどうしようもなく先輩から視線だけを逸らした。
「お、チビッコに……お前さんか」
目は逸らしてるけど、先輩からの視線は感じる。仕方なさそうに溜息を付いて首を振る先輩。
やっぱり、めちゃくちゃ気まずい。
峡谷の対岸、ガレリア要塞からの橋が繋がるのはクロスベル州の門。こちらの要塞に比べれば規模は遥かに小さいけど、それでも結構立派な造りをしており、ちらほらと兵士と思しき小さな黒い人影も見える。
なんだ、クロスベルにも軍隊、いるんじゃん。
クロウ先輩によると、対岸の門はベルガード門というらしい。
一体、誰から”
そんな事を考えて、ちょっと複雑な気持ちになりながらも、遠くの空を見上げる。
門の向こう、雲が少ない夏の空に聳えるのは白と青の塔。
あれがクロスベル州の超高層ビル、《オルキスタワー》。今日から開催される西ゼムリア通商会議の会場で、オリヴァルト殿下やオズボーン宰相、先程ミリアムとの話にも出た共和国の大統領も集まる場所。
そして、帝国政府の随行団に参加したトワ会長も。
「……にしても、バカでけぇよなぁ。ここからクロスベルまでまだ数百セルジュあるってのに」
「列車で三十分位だよね。あーあ、いいなぁ、オジサンもレクターも、あんな面白そうな所にいけて」
「……ま、眺めが良いのは間違いねぇだろうなぁ」
「高さ250アージュだもんね!」
「大陸で一番女神に近い建物――ってか」
前から思っていた。クロウ先輩は女神様の名を出す度に、なんであんな表情をするのだろう。
自嘲的で少し物悲しさを感じさせる横顔を見る度に、私は一抹の不安を感じさせられる。
「おいおい、オレ様の顔になんかついてるのか?」
「あ……いえ……」
いきなりこっちを向くなりそう言われて、思わずまた顔を逸らしてしまった。
昨晩の私を全力で恨んでしまう。なんで、考えも無しにあんな事を口走ったのだろう。こんなことになるなら、あの食堂車の扉を開けるんじゃなかった。
「誰にも言わねぇから安心しな」
やれやれといった様子で先輩が私に告げた。
「どうせお前さんも本気じゃなかったんだろ? ま、魔女に悪い夢を見せられたとでも思っとけばいいんじゃねぇか?」
そういわれると、少しだけ気不味さは和らぐような気がするけど、先輩が気にしなくても、私は気にするのを止めれそうにはない。
「……んー……?」
私に向けられた言葉にミリアムが首を傾げる。
「……先週のこと?」
「ま、そんなとこだ」
神妙な面持ちで先輩と私を交互に見上げていたミリアム。そんな彼女をあしらう様にあっさりと答える先輩。
というか、やっぱりミリアムも覚えていたんだ。
一体、私は幾つ弱みを握られれらばいいんだろうか。
「っていうか、こんな所に来てていいのか?」
ミリアムが何か言おうとしたのを先手を打って封じる様に、先輩は話題を変えた。
私としても言いづらい事を聞かれるのは避けたいので、少々強引な先輩に何も言わないで続きを促す。
「親父さん、この要塞にいるんだろ? 顔見せに行ってやれよ」
「……きっと任務中ですし、迷惑になっちゃうから――」
そこで、クロウ先輩の大きな溜息に遮られる。
「……余計なお世話だとは思うがな。子供が親に会うのに何を遠慮してるんだ? ましてや、軍人、会える時に会わないで、後悔するのは他ならぬお前さん自身だぞ」
少し嫌な気分だった。まるで、お父さんに何かあるみたいじゃないか。
でも、軍人である以上は何かあってもおかしくはない、そういう意味だという事は私にだってわかる。ましてや、ここは最前線なのだ。
だから、好意的に考える事にした。
きっと、クロウ先輩は私の背中を優しく押してくれたのだと。
先輩の言葉に動かされた私は、ぶっきらぼうなお礼を伝えてエレベーターへと戻る。
峡谷の風の中、笑顔で見送ってくれるミリアム、バンダナから溢れた銀髪がなびく先輩。
――今の内に、な――
鉄の扉が閉まる直前、先輩の口元が小さくそう動いた気がした。
・・・
「第三中隊?」
要塞中央部の受付区画を担当する若い兵士に、私はお父さんの所属部隊の場所を訊ねていた。
「あぁ、守備隊の第三は左翼の方だな。なんだい、家族の方でもいるのかい?」
「はい、父が――」
「なるほど。だが、要塞左翼部はここからじゃ遠すぎるからな。君たちは第四師団との演習を見学するんだろう?」
「そう、ですよね……」
既に昼食が終わってから結構な時間が経っている。やはり、と思いながらも、私の方の都合がつかない以上は諦めるしか無さそうだった。
「伝言位なら受付ることは出来るが、どうする?」
少し考えてから、私はその提案を受けることにし、担当の兵士が用意した電文用の用紙の記入を行う。
差出人と受取人、そしてたった二行、ガレリア要塞に来ている事と明日の夕方まで滞在する旨を伝えるメッセージ。
あまり時間をかけずに記入を終えて、待っていてくれた兵士に渡すと、彼は驚いた様に私を見た。
「おぉ、アゼリアーノ中隊長か、あの人の娘さんなのか?」
「父をご存知なのですか?」
「守備隊の兵の間じゃ割と有名だぞ。なんといってもあの《百日戦役》での従軍経験もある叩き上げだからな」
なんでも、共和国との緊張関係が深刻化した頃に戦力増強として経験豊富なベテランが多く補充されたらしいのだが、お父さんもその内の一人らしい。
「しかし、名門トールズに娘さんがいたとはな。中尉殿も誇らしいだろうなぁ」
そうですか、そうですよね。エリート扱いされるのは好きじゃないけど、こういうのは言われて嫌な気はしない。士官学院に入れたのは一応、私の頑張りだとは思うから。
同時に、昨日までいたジュライと違って、トールズと聞いて直ぐに”名門”となる辺りに、ここが帝国本土である事を実感する。
「ほぉ、あの第三中隊長のお嬢さんか」
興味深そうにカウンターの奥から出てきて、私に声をかけたのは初老の兵士――いや、階級章から下士官、たぶん軍曹か曹長だと思う。
威圧感こそないものの、後方担当らしかぬ帝国軍人然とした雰囲気に自然と体に緊張が走った。
「ふむ、士官候補生という事だが、将来は正規軍に進むつもりなのかね?」
「は、はい! 帝国正規軍の鉄道憲兵隊を志望しております!」
少々、失敗したけど、何とか元気良く声は出せたと思う。
「お、まじか。TMP志望なんて、超優秀なんだな」
「コホン!」
電文を打ち込む手を止めて私を見上げた兵士を窘める様に、上官と思しき下士官が視線を落として咳払いした。
「しかし、鉄道憲兵か。流石は名門、これは将来が楽しみであるな。中隊長殿もさぞ鼻が高いだろう」
「そうだと良いのですけど」
志望しているだけで、入れるかどうかはまた別の問題である。口で言うだけであれば別に誰でも出来るのだ。
「自信を持たんか。大帝所縁の名門トールズの我が子が、自らの後を継いで軍務に就く事を志望している、帝国軍人としてこの上ない誉れであるぞ」
「曹長殿の息子さんは貴族のお嬢様とクロスベルに逃げてしまってますからなぁ」
「全く、あの親不孝者は……って、ええい! 口を動かしてないでさっさと電文を打たんか!」
「失礼ッ、致しましたッ! サー!」
思わずクスリとしてしまう、部下と上官のそんなやり取り。
その直後、私とお話していた二人を含めて、受付カウンターにいた軍人全員が勢いよく起立し、一糸乱れぬ敬礼を行った。
「ご苦労」
私も驚いて振り向いた先には、つい先程昼食を共にしたナイトハルト教官がいた。
「アゼリアーノ、ここにいたか」
「ナイトハルト……少佐、お疲れ様です」
サラ教官に倣い、私も軍服を着た教官を軍人の階級である”少佐”と呼んだ。私も軍を志望する士官学院生である以上、この場ではこちらの方が正しい気がするから。
教官はほんの一瞬だけ驚いた様な顔をしたような気がしたけど、すぐにいつもの仏頂面に戻り、演習場への出発の準備が整ったのでこの場で待機する様に、との指示だけを告げられた。
そして、ナイトハルト教官――いや、少佐は先程の二人に士官学院生への放送を行う事を伝え、カウンターの奥へと入ってゆく。
やっぱり、そう時間はなかったようだ。
こんばんは、rairaです。
ジュライ編最終話より長らく更新を滞らせてしまっていましたが、少しづつ再開していければと思います。
さて、今回は8月30日、第五章の特別実習の三日目、特別実習ガレリア要塞編の導入部となります。
「閃の軌跡」原作でも少し触れられていましたが、この作品ではより一層《列車砲》に対するアリサの複雑な心境を描く形となっております。
次回は同日午後~夜、軍事演習とその後のお話の予定です。
最後までお読み頂きありがとうございました。お楽しみ頂けましたら幸いです。