光の軌跡・閃の軌跡   作:raira

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8月28日 揺られる心

 8月25日 水曜日

 

 長く拮抗していた状況が、揺らいだのはほんの一分程前だ。

 ほんの小さな連携の乱れから、男子チームは一気に追い込まれてしまい、今や防戦一方である。多分、もう数分内に決着がつくだろう。

 

 私はそれに全然気づかなかったが、隣で一緒に観戦するミリアムはハッキリと勝敗の決め手となった瞬間に気付いて小さな声を上げていた。

 

 リィン曰く、「あれはラウラとフィーが上手かった」、クロウ先輩曰く、「マキアス、やっちまったな」。

 

 ガイウスとユーシスと剣を交えるラウラとフィーの足が止まった瞬間、男子チームのリーダーであるマキアスには二つの選択肢があった。一つは今まで通りエリオット君と共に前衛二人の支援に徹し、この拮抗した状況を維持し続ける道、もう一つは、積極的な火力支援を敢行してこの状況の打破を目指す道。

 

 結論から言うと、後者をマキアスは選んだ。その選択が誤りだったとは誰も思っていない。だって、あのまま戦い続けた場合、どこかで集中に綻びが生まれるのは目に見えており、Ⅶ組の中で最も戦闘経験が豊富なフィーがそこを突かない訳がない。結局、長期戦になればなるほど、個々がより際立った能力を持つ女子チームが上回ってしまうのだ。

 

 マキアスの判断自体は間違っていなかったが、それは本当に相手の隙があればの話。そう、ラウラの隙が生まれた瞬間に併せてフィーも”わざと”隙を見せたのだ。マキアスはそれに対し少し迷った後に、エリオット君に高位の広範囲攻撃アーツの使用を指示して、自らもスラッグショット――大口径の一粒弾で決着を付けようとする。

 

 ここで迷いなく指示を飛ばして、フィーを牽制しながら時間を稼げれば、もしかしたら勝者は変わっていたかもしれない、とは隣に座るリィンの弁だ。

 しかし、残念ながら現実そう甘くはなく、弾の入れ替えを行うマキアスを横目に、それを待っていたと言わんばかりにフィーが肉薄し、アーツ駆動中で逃げれないエリオット君を潰した。

 

 それも、私に対してやったのと、まったく同じ手で。

 

 

 あれは私達変則チームとの試合の最中だった。不思議なことに、何故か相手チームのフィーと目が合ったのだ。

 ミリアムの傀儡、アガートラムの剛腕を華麗に避けながらこちらを窺う彼女の瞳に、私は身震いするような悪寒を感じた。その正体は、すぐに身をもって知る事になる。

 

「いくよ」

「わぁっ!?」

 

 気付けば、フィーは私の目の前に居て。

 いきなり、押し倒されて。

 

「とどめ」

 

 首元に彼女の得物である、双銃剣を突き付けられていた。

 

「エレナ、退場!」

「ええっ!?」

「いまのは戦闘不能相当判定ね」

「ちょ、ちょっと酷過ぎません!?」

「訓練じゃなかったら結構ヤバかったと思うわよ~?」

「ぶい」

 

 試合の最中だってのに、小憎たらしいしたり顔を向けてくるフィー。

 

「まーまー、エレナ。仇はちゃんととってあげるから~」

「おう、オレ様の雄姿、とくとご覧あれってんだ」

「ああ、任せてくれ。ミリアム、先輩! さぁ、一気に行くぞ!」

「あいあいさー!」

「合点承知!」

 

 まだ試合開始から三分も経ってないのに、あっさりと脱落する事になってしまった。まぁ、私の退場はある意味で変則チームの士気を上げるという意味では役になったのかも知れないけど。

 それにしても、なんでリィンは私がいなくなってから”激励”するんだろうか。まるで、ここからが本番だとでも言外に言われてるような気分だよ。いま思い出すと、少々腹立たしくもある。

 

 

 《スカッドリッパー》、私を一瞬で退場に追い込んだ”引き裂く突風”だなんて物騒な名前の技だ。

 フィーの常人離れした身体能力に裏付けられる素早さで、”突風”さながらに一気に駆け抜け、そのすれ違い様に対象を”切り裂く”戦技。エリオット君も私も、思わぬ奇襲に何もできずに退場――つまり、”戦闘不能判定”をサラ教官に言い渡された。

 

 私と同じ目に遭って、サラ教官の隣で急速に崩れるチームを見守るエリオット君には同情するけど――さっき、私達変則チームと当たった時の男子チームの所業を思い出せば、同情より恨みがまだまだ強いかも。

 

 

 変則チームと男子チームの試合は、普段は慎重に動くガイウスが珍しく積極的な力押しに出ていたのが特徴的だった。

 でも、それはただの陽動。

 俊敏さに欠けるミリアムと対峙していたユーシスは、隙を付いて易々と突破すると、一直線に私目掛けて突っ込んできた。いつか私の事を愛してくれる男が現れても、あんな速さで駆けて来てくれることは未来永劫無い。それぐらいユーシスは速かった。

 

「フン……お前から狙うのは至極当然だろう」

 

 そんな一片の慈悲もない言葉と共に、容赦なく私目掛けて剣を突き付けてくる。

 あとちょっとで三枚おろしにされる所だった。

 

「これは戦略的判断だ。恨まないで貰おう」

 

 眼鏡をクイっと戻して、ショットガンを放つマキアス。陽の光にキラッと輝いた眼鏡がうざい事この上ない。

 直後、私の体が半分ピンク色に染まった。

 

「ゴメンね? エレナ」

 

 エリオット君が笑顔で謝って来た。きっと容赦の欠片もないユーシスとマキアスの事を謝ってくれたんだ、って彼の心遣いに嬉しくなって、頬が緩んだ。

 でも、それはただの私の勘違いで――エリオット君の笑顔は、次の瞬間にはとんでもない勢いの水の奔流に変わって掻き消える。

 ちょっとだけ火照ってた頬に文字通りに冷や水を浴びせられ、全身びしょ濡れにされた。

 

 私、エリオット君がこんな鬼畜なことをするなんて思わなかったよ。……確かに、お陰様で訓練用のペイント弾の塗料は一瞬で全部落ちたけど。

 

 戦術リンクを組んでた相方のミリアムや、チームのリィンとクロウ先輩も多少フォローしてくれたけど、結局二回戦も私はあっさりと途中退場した。

 

 その後、無理に私を潰すに集中し過ぎた男子チームは、あっさりと私を除いた三人の前に敗れ去る事となる。主にミリアムのガーちゃんに追い掛け回されて弄ばれたユーシスとか、クロウ先輩に手玉に取られたマキアスとエリオット君とか。ガイウスだけは最後まで立派にリィンと槍と剣の真剣勝負をしていたけど――乱入したガーちゃんに後ろから殴りつけられてしまい、あっさりとK.Oされた。

 

 ざまぁみろってんだ。

 

「まぁ、そんな落ち込まなくてもいいんじゃないか?」

「うんうんっ」

「……これで落ち込まなくて、何で落ち込めっていうの」

 

 変則チーム四人で戦闘不能判定を貰って退場したのは私だけ。それも、二回とも。というか、私が欠けても二戦ともあっさり勝ってしまっていたので、三人でも十分余裕なのは分かっている。

 自分の不甲斐なさもさることながら、完全勝利を十分狙えたのに、私が二戦とも足を引っ張ってしまった事にも落ち込むのだ。

 

「それだけ、エレナがめんどくさいってことだよ!」

「……めんどくさい女で悪かったね」

 

 そんなにニコニコと心に突き刺さる事を言わないで欲しい。めんどくさい女の自覚はあったけど……いざ、面と向かって言われると本当に落ち込む。

 

「いや、この場合は褒め言葉だぜ?」

 

 ……はぁ?

 

 この銀髪バンダナ、喧嘩売ってるんだろうか。思わず口から先輩への憎まれ口が飛び出そうとした間際、「ああ」とリィンも先輩に同意して相槌を打って、言葉を続けた。

 

「エレナの遠距離からの攻撃とアーツによる妨害や支援。そのどれもが、相手チームからすれば早めに無力化したいと思わせる位”厄介”に思えたんだ」

 

 それは、思っていたのと正反対の意外な言葉と評価。意外過ぎて理解するまで時間が掛かったほどだ。

 

「ああ、特にフィーなんて俺とミリアムと戦いながらも、ずっとエレナの方に注意を向けていた。普段から一緒に訓練してる分、人一倍警戒していたみたいだな」

「つまり、あいつらはお前さんの実力を認めてるって事だな」

「そうそう! ボクはそれが言いたかったんだよ!」

 

 リィンの説得力のある説明がにむず痒くなる。クロウ先輩の言葉が、とても照れくさい。さっきと正反対にミリアムの笑顔がすっごい嬉しい。

 

「そうなんだぁ……そうなのかぁ……えへへ」

 

 Ⅶ組の中で私は、いままでずっと足を引っ張ってばかりだった。ケルディックやバリアハートの時は本当に迷惑ばっかりかけたし、ブリオニア島や帝都の時でも、もっと上手く立ち回る方法はあったんじゃないかという反省点は多々残る。

 

 思えば入学したての頃、武術も勉強も出来ない劣等感から焦った私は、旧校舎の探索で無理をして、「一人で戦うのではなく、みんなで戦おう」とリィンに諭された。あれから半年近く――四回の特別実習をこなし、学院での教練や特訓では沢山のアドバイスを貰った――みんなと共に戦った私は着実に成長している、そう認められた様で本当に嬉しかった。

 

 

「――そこまで!」

 

 サラ教官が試合の終了を宣言する。

 結果はマキアス率いる男子チームが崩された時点で見えてはいたが、エマ率いる女子チームの圧勝であった。

 

 「途中までは良かったんだが……」と残念そうに項垂れるマキアスの気持ちは分からなくはないけど、まぁうちのクラスの女子は強いから仕方の無い様な気もする。

 

 エマのアーツとアリサの弓によるバックアップを受けて、フィーが掻き乱し、ラウラが叩き潰す――決して万能ではないが個々が際立った能力持つ為、女子チームはそれぞれの役割がハッキリしている。だからどんな状況においても、連携面では圧倒的にタフなのだ。

 というか、うちのクラスの女子は強い。なんたって、一年生最強の前衛コンビのラウラとフィーに、学年トップのアーツの使い手のエマと、状況を判断して必要な事が出来る器用なアリサがいるんだから。

 

 だが――それを上回ったのが私達……いや、実質は私を除いた三人の変則チームだろう。リィンの実力がⅦ組でもトップクラスなのは知っていたが、ミリアムとクロウ先輩は正直、予想以上だった。ミリアムのガーちゃんは、当たりさえすればあのガイウスやラウラに一撃で膝を突かせるし、クロウ先輩はリィンとの戦術リンクを使いこなし、その見事な連携はまるで長年の連れ添った相棒の様に感じさせた。

 

 新入り二人がその実力を如何なく発揮し、みんなに知らしめた実技テストは終了し、何はともあれ今月の特別実習の実習地と班分けが発表される。

 

 

【8月特別実習】

A班:リィン、ラウラ、エマ、ユーシス、ガイウス、ミリアム

(実習地:レグラム)

B班:アリサ、フィー、マキアス、エリオット、クロウ、エレナ

(実習地:ジュライ特区)

 

 リィン達A班の実習地はラウラの故郷。そして、私達B班の実習地は……。

 

 ジュライという地名は記憶にはまったくないけど、その響きはどこか懐かしい雰囲気を感じさせた。どこかで聞き覚えがあるのかも知れない。

 

「確か、帝国最北西の海岸にある旧自由都市の名前だな。帝国政府の直轄地だったはずだ」

「あー、あそこかあ。八年前くらいにオジサンが併合した場所だねー」

 

 みんなの疑問に応える形でクロウ先輩が説明し、それに補足を入れるミリアム。彼女のあまりにもストレートな言葉に、みんなが頭を抱える一方、私はやっと納得した。

 

 北西の街の名前だったんだ……。

 

 六月のブリオニア島実習で西方行きが決まった時、もしかしたら、いつかは、と思った。卒業まで毎月の様に特別実習で各地を回っていれば、いつか私の生まれた場所である、帝国の北西部へ出向くこともあるだろうと。

 だけど、まさかこんなに早く、その機会が訪れるなんて。

 私にとっては懐かしいと思う以上に、複雑な気持ちを抱いてしまうあの場所。

 

 呼び起される十年以上も前の記憶を今はそっと蓋をして、アリサが手に持つ実習の書類をまた覗き見ると、いつもは何も書かれていない追記の欄に見慣れない一行が加わっていた。

 

 ※二日の実習期間の後、指定の場所で合流すること。……指定の場所?

 

 誰もが首を傾げたその一文を、丁度良いタイミングでガイウスが質問してくれた。

 

「フフ、それについてはナイトハルト教官の方から告げてもらおうかしら」

「心得た」

 

 実技テストが終わった直後に顔を見せ、サラ教官の隣に立っていたナイトハルト教官。いったい何の用だろうと疑問に思いつつあったが、ここでガイウスの質問は彼に投げられる。

 いつもならあんな投げ方をしたら、お小言の一つは言いそうなナイトハルト教官だが、一度咳払いをしてすぐに承諾した。

 

 その事に、少し嫌な予感がしたのだ。

 

「――諸君には各々の場所での実習の後、そのまま列車で合流してもらう」

 

 まさか――。

 

「合流地点は帝国東部――《ガレリア要塞》だ」

 

 唐突に突き付けられたその場所の名は、私にとっては実習地と同じぐらい重い意味を持つ場所だった。

 

 

・・・

 

 

 色々な思いが混じってすっきりしない心境のまま三夜が過ぎ、特別実習の出発の日の朝。

 

 身だしなみを整え、荷物を抱えて下に降りた私がまず見たのは、A班の面々だ。初めての特別実習に浮かれきって、いつもに増して落ち着きの無いミリアムとその犠牲者となったリィンとユーシスの情けない姿に、思わず笑いを漏らしてしまった。

 リィンの場合はよくある事だけど、ユーシスのあんな様子は初めて見た。ミリアムと彼の相性はある意味で抜群かも知れない。私が彼の立場だったらほんと勘弁だけど、見ている分には最高である。そうだ、今度またユーシスが可愛くない事言ったら、お菓子とかで釣ってミリアムを差し向けてやろう。

 

 バリアハートの実習の時に知った事だが、口はアレだが面倒見の良い性格をしているユーシスは、子供に懐かれやすかったりする。きっと子供は口で何を言ってようが、本能みたいなのでその為人が分かるのだろう。そういう意味では、振り回されるユーシスを見るのも面白いが、それ以上にミリアムが懐いているという事が私には微笑ましく思えた。

 《鉄血の子供達》、軍情報局の諜報工作員としての前に、ミリアムも一人の子供なんだと思えるから。勿論、この間の夜の事も併せて。

 

 既に駅にいたアリサに荷物を預けてから、私とマキアス、クロウ先輩の三人で学院へと向かった。

 出発前の準備として、昨日ジョルジュ先輩に加工を頼んでいた《ARCUS》の結晶回路を受け取りに行く為であったのだが――丁度、技術棟にはアンゼリカ先輩もいて、この先輩たちの思い出交じりの昔語り話がなんとも終わりそうにない。

 だから、時間潰しのついでに、私はトワ会長を訪ねることにした。

 ちなみにクロウ先輩も誘ったんだけど、「朝からお説教は聞きたくない」とかいう理由で来なかった。

 

 なんじゃ、そりゃあ、って感じである。

 こないだの夜の事はミリアムも忘れているのか、他には漏れていないので問題ないとは思うが、日頃の行いが良くない先輩の事だからまだまだ余罪が多いのだろう。想像に容易い。

 

 

「エレナちゃん達はジュライ特区に行くんだよね」

 

 実習地を訊ねるトワ会長に、私は頷いて肯定する。

 

「トワ会長は行ったことあったりしますか?」

「ううん。でも、まだ帝国領になって日が浅い場所って話だから、半分は外国だと思って住民の方に失礼の無い様にね?」

 

 首を横に振ってから、真剣さを帯びる表情で彼女は続ける。

 流石はトワ会長だ。ちゃんとジュライ特区が編入地だって事を知っているみたいだ。

 

「帝国人として節度をもった行動を心がける事。いーい?」

 

 そう告げる会長は、まるでお母さんが子供に言い聞かせる様で、優しい中にも厳しさの芯を感じさせた。

 

「ふふっ、お互いに頑張ろうね」

「そっか、トワ会長の行くクロスベルも……」

「うん」

 

 ”お互い”の部分に力が込められてるのに気付いてしまった私に、トワ会長は小さく頷いてから続けた。

 

「一般には帝国東部の属州として知られてるけど、実際のクロスベルは帝国と共和国から自治権を認められた自治州――事実上の外国だから」

 

 そういわれれば、確かにクロスベル州は東部国境のガレリア要塞よりも東側にあるし、考えれば帝国の版図の中といっても不思議ではある。クロスベルは”国”という意味も内包する”State”で、帝国の四州みたいに”地方”という意味が強めな”Province”とは異なり、北西部の様に単なる”領土”を意味する”Territory”でもない。

 政治的に保守的な人が多い土地柄で、更にクロスベルとは地理的に遠いので元より関心が低い帝国南部で育ったからか、そういう発想が今まであまり浮かんでこなかったが、考えてみると矛盾があった。

 

 日曜学校の中等クラスでは、クロスベル州という帝国の東の属州を共和国が狙っていると軽く教えられただけだし、帝国時報や故郷の地元の新聞等も”東部クロスベル州”とあたかも、クロスベルが帝国領であるような書き方をする。

 

 だけど、トワ会長が随行員として同行する事となった《西ゼムリア通商会議》に関連して、ハインリッヒ教頭の政経の授業でつい最近教わった内容は、少し違った。

 クロスベルは、『帝国と共和国間の緩衝地として住民に一定の独立性と自治権が与えたれた、両国を宗主国とする自治州』であるというのだ。こんな不可思議な事がまかり通ってしまった理由は、『七十年ほど前にクロスベルを巡って争われた大きな戦争で両国が傾きかけた』からなのだという。

 『以来、度々小規模な武力衝突こそ頻発するものの、現在まで帝国と共和国の全面戦争は起きておらず、クロスベルは当初の期待以上の役割を果たしている』とのことだ。

 

 でも、私は正直、クロスベルを”外国”とは思いたくなかった。だって、そう思っちゃったら今日行くジュライ特区や北西準州――私の生まれた場所も”外国”になってしまいそうで。

 

「どうかしたの?」

 

 上目遣いなトワ会長に思わずドキッとしてしまう。会長の言ってたことに対して、私は心の中で相反する事を考えていたから。トワ会長は結構勘がいいから少し心配だったけど、どうやら気付いてはいないようだ。

 

「……いえ、なんでもないです。……そういえば、クロスベルって最近物騒で、いろいろ危ない場所も多いって聞きますけど……」

「うん……やっぱり、事情が事情で、政治的にも不安定だから、そのしわ寄せが来ちゃってるんだね」

 

 どうしてだろう、政府代表団の随行員としての仕事面では全く心配に思わないのに、トワ会長が一人で遠くに行ってしまうって考えると本当に不安を感じてしまう。アンゼリカ先輩辺りが付いてってくれれば安心なのに――いや、それはそれで違う意味で心配だけど。

 溢れるミラに酔う享楽的で退廃的な魔都クロスベル――そんな雰囲気に当たられたら、ただでさえ快楽主義者な気のあるアンゼリカ先輩がここぞとばかりに暴走しちゃいかねない。

 

「一人で夜出歩いちゃだめですよ? あと知らない人に付いていっちゃいけませんからね? 危ない薬が流行ってるって話も聞くので、食べ物には気を付けてくださいね? あと、トワ会長は大丈夫とは思いますけど、クロスベルの男の人はお金は持ってるけど、スケコマシが多くて、女性関係が派手で、節操無しの女泣かせって、雑誌に書いてあったので、男の人に声掛けられたら疑ってかかってくださいね? あとあと魔獣が街中を闊歩してるって――」

「も、もう、エレナちゃん! わたしの方がお姉さんなんだから……!」

 

 ほっぺを膨らませてぷんぷん怒るトワ会長。背の高さの関係で、どうしても可愛く思えてしまう。

 でも、いったん膨らんだ私の不安は縮むことはない。

 

「大丈夫だよ――帝国政府も代表団の安全確保が最優先の方針で動いてるって聞くし、現地の警察当局にも協力員を派遣して最大限支援するみたいだから」

 

 警察当局――その言葉に、帝都のテロ事件の時に会ったあの女の人を思い出す。彼女はクロスベルの人で”警察”を名乗っていたっけ。議長のお祖父さんの護衛って言ってたのを覚えている。

 あの時は非常時で、そんな事微塵も考えなかったけど、いま思えば私のクロスベルのイメージとはちょっと違う人たちだった。

 

「だから、そんな心配しないで?」

 

 困った顔のトワ会長をみて、私は本当に申し訳なく感じた。

 本当はトワ会長に『頑張って下さい』って言いに来たのに、なんでこうなっちゃってるんだろう。

 

「ごめんなさい、会長。私、ちょっと……」

「ううん、心配してくれてありがとう。でも、エレナちゃんは私の事より特別実習の事を考えてないとダメだよ?」

 

 そればかりか、あっさり諭されてしまった。

 

「……じゃあ、おみやげ、期待してます?」

「ふふっ……もう、しょうがないなぁ」

 

 んっ、と声を漏らして背伸びをするトワ会長が、ぽんぽんと私の頭を撫でた。

 それは、髪を崩さない様に少し触れるだけのものだけど、不思議なことに、まるでお母さんに抱きしめられている様な、安心感を与えてくれる。

 

 良さそうなのがあったら、ちゃんとみんなに買ってくるからね、そう応えて”お姉さん”は微笑んだ。

 

 

・・・

 

 

「もう、やっときたわね」

 

 マキアスとクロウ先輩と技術棟で合流して、急ぎ足で駅へと入った時、ちょっと不機嫌そうなアリサと苦笑いするエリオット君に出迎えられた。

 

「通信したのに無視するんじゃないわよ? マキアスに連絡しても埒あかないから、貴女に二人を連れて来て貰おうと思ったのに」

「えっ、通信? 《ARCUS》鳴ってないけど――」

 

 私の疑問は、丁度駅の待合室にリィン達A班が入って来たことによって有耶無耶になってしまう。そして、A班とのいくつかやり取りの後、お互いに暫しの別れを告げて、彼らより早く出発する私達は改札を通った。

 

「ジョルジュ先輩に頼んでいた結晶回路だ」

「荷物になっちまうからケースには入れてねえ。失くさない内にさっさと填め込んじまえよ」

「先輩が邪魔して時間が無くなったんじゃないですか……」

 

 マキアスが副委員長として技術棟から持ってきた、B班みんなの分のクオーツ。

 アリサとエリオット君には金耀石、私とフィーには黒耀石、マキアスには琥耀石の。それぞれ、自らが希望したものを今回は作ってもらっている。

 ちなみにクロウ先輩の分はない。先輩なだけあって、私達の《ARCUS》よりしっかりクオーツが揃っているのだ。

 

「ありがとっ、マキアス」

 

 加工された小さな黒耀石の結晶を掌に取る。小さいながらも光を吸い込む深く綺麗な結晶、失くさない内にオーブメントに――げっ。

 

 太ももの外側、丁度スカートのポケットの辺りを何度か手で叩く。うん、ない。

 《ARCUS》を忘れた。妙に軽いと思ったんだ。いつもは走ると足に硬いのが当たるのに。

 

 それにしっかりと心当たりがあった。昨日の夜、クレア大尉との長話中にウトウトしてしまい、通信を終わるとそのまま枕に突っ伏して寝てしまったのだ。たぶん、《ARCUS》はベッドの枕脇に放置したままだろう。

 

「どうしたの?」

「あ、アリサー、ちょーっと」

 

 怪訝そうな顔を向けてくる隣のアリサの耳元に、小声で語りかけた。

 

「寮まで戻っていい……?」

「はぁ……?」

「ちょっと、忘れ物しちゃって……」

「え……あとちょっとで列車が来ちゃうわよ? そんな大事なものじゃなかったら――って、まさか!?」

 

 いきなり大声が耳を右から左に突き抜け、思わずアリサから飛びのく。

 

 ええ、たぶん、その、まさか。

 あと、折角小声で話してたのに、みんなに完全にバレてしまった。私達を以外の四人は、いきなりのアリサの大声に何事かと驚いている。

 

「《ARCUS》、忘れちゃ――」

「もう、貴女って子は!! さっさと取ってきなさいっ!!」

 

 耳をつんざく様なアリサの怒鳴り声の中、無情にも列車の到着を告げるアナウンスが流れていた。

 

 

 ホームの連絡橋を駆け降りた勢いのまま改札から飛び出した私に、丁度切符をカウンターで購入していたA班のみんなの驚く視線が一斉に向く。

 

「一体、どうしたんだ、エレナ?」

「忘れ物!」

 

 走りながらリィン達に短くそう伝えると、A班の面々がそれぞれ反応するが、無視だ無視。ラウラやエマみたいに心配してくれるのはともかく、どーせユーシスあたりは聞くだけ損な事しか言わないだろう。

 後ろの騒めきを心でシャットアウトして、駅のエントランスの扉を勢い良く開けた先。

 

「まあ、エレナ様。丁度良かったですわ」

 

 目の前に居たのは、シャロンさん。

 その手にはバスケットと銀色の――私の《ARCUS》があった。

 

 今日の私にとっては女神様だ。列車はもう既に一本出てしまっているけど。

 

 背中にA班のみんなの痛い視線を感じながら、荒くなった息を整えてシャロンさんに《ARCUS》を届けてくれたことに感謝すると、「長話も程々に」なんて言われてしまった。忘れた理由までバレてるみたい。

 それと、あともう一つ私達の班の忘れものとして渡されたのは、大きなバスケット。目的地に着く頃には夕方になってしまう長旅の私達B班の為に、列車の中で食べれるお昼ご飯も用意してくれていた様なのだが、「お嬢様にお持ちくださる様、お伝えしていたのですが……」ということらしい。私にはジャジメントボルト級の雷落として怒ったくせに、アリサ。

 

 シャロンさんの微笑みとリィン達A班のみんなの呆れ顔で見送られながら、再び改札を抜ける。シャロンさん曰く、駅の外まで響いたらしいアリサの怒鳴り声と、先程のやり取りを見ていたのか、駅員さんの視線でさえも嫌に生暖かかった。

 線路を挟んで向こう側、帝都方面行きのホームにはアリサ達がいる。まぁ、流石に置いて行かれたりはしないとは思っていたけど、少し胸を撫で下ろした。どう言い訳しても、私の忘れ物のせいで一本列車を逃して出発が遅れたのだ。アリサは――ともかく、ちゃんと説明もせずに飛び出してしまった班のみんなにはしっかり謝らないと。

 

 再びの放送に続いて、目の前から駅構内へと滑りこんで来る青色の大陸横断鉄道の列車が起こした風が、前髪を激しく揺らしてくる。これは反対方向の列車、私達が乗る帝都方面の列車はまだ十分ほど時間がある。

 

 

「よう、久しぶりだなァ」

 

 反対側のホームへと向かっていた私の背中に、何者かが声を掛けた。

 

 振り返った先にいた声の主は、エリオット君より濃い赤毛の若い男。歳は丁度、私より一回り年上ぐらいだろうか。身なりはとても良いが、びしっと決まる服装とその中身の醸し出す雰囲気は正反対に思えた。

 今しがた到着した列車から降りた客だろうか、久しぶりという位だから、以前に会ったことがあるのだろうか。

 記憶の中から目の前の男を探すものの、手掛かりすらない。こんな人、記憶にないんだけど。

 

「えっと……どこかでお会いしましたっけ?」

「くくっ、ま、あの様子じゃ覚えてねぇか。……アリーザ嬢、酒はほどほどにッてな?」

「――えっ」

 

 まるでクロウ先輩みたいな軽薄な笑いを浮かべた男が、その後に口にした事は私にとって衝撃的だった。私の事を”アリーザ”と呼ぶのは、どう考えてもアンゼリカ先輩以外あり得ないのに。帝都のあのカジノに居た客? でも、あの場で他の客に私は名乗ってはいないし、まず、こんな男と話した記憶なんて全く無い。

 

 もっとも、あの時の記憶はお酒のせいではっきりしない。もしかしたら私が覚えてないだけで、実は親友の名前を騙って、カジノの客とお喋りしまくっていたのだろうか。

 そんなゾッとするような考えと、素性の知れぬ目の前の男への警戒心から、全身が強張る。

 

「……《アリーチェ》にいらっしゃったんですか?」

「まァな」

「……私に何か用ですか?」

「用ってほどの事でもないんだが……ガキンチョが世話になってるみてぇだし、一応、礼でもいっておこうとおもってな。あとは――クレアの奴も”後輩との交流”を思いの外楽しんでやがるみたいだしなァ」

 

 彼が口にした”クレア”の名が、最初の”ガキンチョ”が誰のことを指すのかを、私に気付かせた。ミリアム、クレア大尉――この人はまさか……。

 

「あなたは――!」

 

 私の言葉を遮ったのは、隣のホームに走り込んできた鋼鉄の列車であった。

 

「さっさと行かねぇと、お仲間においてかれちまうぜ?」

「……失礼しますっ」

 

 どこか気に入らない赤毛の男を一瞥して、私は階段を駆け昇る。

 言いたい事は山ほどあるが、刻一刻と出発が差し迫る列車に乗り遅れるわけにはいかない。二本も逃したら、今後の予定に大きく影響が出るレベルである。

 

 《鉄血の子供達》、帝国軍情報局の将校。

 

 ――『色気はねぇし俺のタイプじゃねーなァ』って言ってたんだよねー。

 

 先週の夜のミリアムの言葉が頭を過った時、自然に足が止まる。

 そして、ホームを跨ぐ連絡橋の上から乗り出して、改札に向かって歩くあの赤毛の男の背中に叫んだ。

 

「色気が無くてすみませんねっ! レクターさん!」

 

 不敵な笑みを浮かべて振り返った男は、口笛を吹くような仕草をして唇を小さく動かす。

 何て言っているかは聞こえない。でも、何となくはわかった。

 

 ヒューゥ。お見事。

 

 同時に、反対側のホームから「訳分かんない事言ってないで、さっさと来なさい!」と角を生やしてそうな位お冠な声音が響いた。




こんにちは、rairaです。

さて、今回は8月25日及び28日、第五章の実技テストと特別実習の一日目の朝となります。
結果としてみれば良い所無しですが、ここに来てやっと主人公エレナもⅦ組の一員として”ある程度”の期待の出来る戦力となり、この作品において最も重要な特別実習を迎えることになります。

クロスベルに関しての認識は、あくまで無知なエレナの個人的な主観となります。ただ、Ⅶ組周りが比較的穏健的なだけで、独立云々以前から”魔都”なんて呼ばれる位だから帝国人の一般認識も結構悪いんじゃないか…と思っていたりもします。

レク・タ~ランドールさんとは、一か月ぶりの再会でした。彼、原作だとこの後「Ⅱ」終章まで登場しないんですよね…。内戦期もクロスベルで一体何をしていたのやら…ちょっとは《神速》さんを見習って欲しいものです。

次回は8月28日の午後、特別実習ジュライ編のお話です。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。

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