光の軌跡・閃の軌跡   作:raira

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8月22日 夏の午後の日常

「良かったですね、アリサさん」

「ええ」

 

 部活から直行してここに来たのか、ラクロス部のユニフォーム姿のままのアリサが嬉しそうにエマに微笑む。

 なんでも、あまり上手くいってないと前々から話に聞いていたラクロス部の貴族クラスの人と、やっとお互いを認め合う間柄になれたのだとか。

 

「こちらもモニカが見事に五十アージュを泳ぎきったのだ」

「頑張ったんだね」

 

 ラウラの方も部活で良いことがあったみたいだ。

 

「ふふ、お互い手助けしてくれたリィンには感謝だな」

「ええ、まぁ……そうね」

 

 リィンの名前が出た途端、アリサがなんか気まずそうにこちらを見てくる。

 

「……」

 

 折角、待ちに待った吹奏楽部の演奏会で、ほんの少しだけ忘れてたのに。思い出してしまったじゃないか。

 

 まだ一日の半分も終わってないのに、今日はもう色々と散々な目にあって最悪だ。

 リィンのバカ、リィンのバカ。

 

「こっちは相変わらず大分重症」

 

 私と一緒に礼拝堂前の花壇の縁に座るフィーが、そんなことを言う。

 ぶっちゃけ、心の傷は重傷どころか致命傷だよ!

 

「その……あんまり気にしすぎない方がいいわよ?」

「そ、そうですよ……私もちょっと恥ずかしかったですし」

「うむ……」

 

 リィンは二回ほど謝ってくれたけど、ちょっとまだ簡単に許す気にはなれない。

 実際、みんなそれなりの”被害”を受けている事を考えれば、私だけがこんなに引きずるのは子供っぽいような気はする。でも、しょうがないじゃないか、あんなことされたの初めてなんだから……。

 

「……アリサは不可抗力に慣れてるからね」

「な、慣れてないわよっ!」

 

 

 午後一時――吹奏楽部の演奏会を聴くために教会の前に集まったⅦ組の面々だが、三人ほど欠けていた。

 

「リィンはまだか……? もうそろそろ始まってしまうぞ」

「ふむ、リィンに限って遅れるような事は無いとは思うが……」

 

 大事なチェスの対局までのギリギリな時間を使って来てくれたマキアス、そして、先程まで《キルシェ》で一緒だったと語っていたガイウスが心配しているように、一人はリィン。

 数時間前にプールで散々、私を弄んでくれた女の敵。

 

「先程、雑貨店で会ったが――フン、あいつの事だ。また何か首を突っ込んでいるのだろう」

 

 ユーシスの言う通りだろう。リィンの事だから簡単に予想出来る。

 どーせ、女絡みに違いない。

 

 リィン以外でまだ来てないのは、先週からⅦ組の一員となったクロウ先輩とミリアム。

 それぞれ部活動がある自由行動日、なんだかんだいってⅦ組のみんなが全員で集まる機会は稀なので、出来れば新しい仲間の二人にも来て欲しかったのだけど。

 マキアスなんて午後に大事な対局を控えているのに来てくれたのに。まぁ、どうも事情を察するとユーシスが変に煽ったらしいのだけど。

 

 やっぱ、無理なのかなぁ。と、少し諦めていた時。

 

「おっす」

 

 クロウ先輩だった。

 商店街の方から左手を挙げてこちらへと歩いてくる。

 

「いやぁ、間に合ってみてぇだな」、と呑気そうに続ける先輩。

 

「クロウ先輩も来てくれたんですね」

 

 朝ご飯の席では、『行けたら行く』という返事しかしてくれなかったこともあり、少し意外だった。

 

「おう、リィンの奴や他の野郎共のお陰で、前の部屋の片付けが早めに終わっちまったからなー」

 

 そういえば、朝ご飯の時にそんなこともいってたっけ。相変わらずどこにでも出てくるリィンの名前だが、今日はちょっと辟易する。

 

「てっきり、私はアンゼリカ先輩達と一緒だと思ってました。ほら、昨日、導力バイクの試運転があるって言ってませんでした?」

「ま、行きたかったのは山々だが、トワにまた口煩く言われるのも面倒だからなぁ。ここはしっかりと、オレ様もやる時はやるって事を見せ付けてやろうかと思ってよ」

 

 ちょっと意外だ。

 クロウ先輩ならトワ会長からいくら口煩く言われても適当に受け流してそうなのに。だってそうでもなかったら、卒業に必要な単位が足りなくなってⅦ組に来る事もなかっただろう。

 あ、だからこそ、心を少し入れ替えたとか?

 

「――それに、リィンもいるしな」

 

 それは、リィンに依頼として出されているという意味だと思う。

 でも、気のせいだろうか。それ以上に、いつもの先輩とは違う、なんか自嘲的で、また、どこか寂しさを感じさせた。

 変なことがあったせいで、私もナイーブになってしまったのかもしれない。

 

「……それはそうと先輩、リィンが手伝ってくれたって言ってましたけど、そのリィンはどこに?」

 

 気を取り直して、まだこの場に来ないあの不埒なリィンの居場所について尋ねる。

 その答えは、クロウ先輩じゃない元気な声が教えてくれた。

 

「あ、いるいるー!」

 

 そんな元気な声を張り上げて商店街の方から駆けてきたのはミリアム。そして、その隣にはリィンの姿もあった。

 

「すまない、みんな……」

「情けないなぁ、リィン」

「誰のせいだと思ってるんだ……」

 

 肩で息をするリィンを見れば大分急いで走って来たことは分かった。

 

 

「あははー、リィンにお買い物付き合ってもらってたんだー」

 

 ああ、なるほど。

 

「これ、デートってヤツになるのかな? ニシシ」

 

 悪戯っぽく笑うミリアム。

 

「リィン……?」

「ふーん」

 

 『デート』という言葉に反応したアリサとフィーから、リィンへと冷ややかな視線が浴びせられる。ラウラとエマだって、きっと何か思うところはあるだろう。私はプールの時から常に冷ややかだけど。

 

「いや、ミリアム一人で買い物に行かせるのが心配だったというか……」

「そんなこと言ってー、ボクのセクシーポーズに釘付けだった癖にぃ。あ、あの透け透けのやつ、今度着て見せてあげるね」

「す、スケスケ……だと……!?」

「おい、顔が赤いぞ。レーグニッツ」

 

 なぜか即座に反応したマキアスに、間髪入れずに突っ込むユーシス。

 

 す、透け透けって……!?

 

「あ、あれも買ったのか!? いつの間に……」

「ニシシ、僕を甘く見ないでよね」

 

 顔を赤くして異様に慌てるリィン、自慢げにその小柄な身体で胸を精いっぱい張るミリアム。

 

「透け透けって……あなたって人は……!」

「……リ、リィン、そなた……」

「リィンさん……」

「ちょっとひくかも」

 

 正直、ミリアムに”透け透けの何か”を着せるとか、ドン引きだ。まさか、下着じゃないよね……?

 

「おいおい、まさかゼリカの野郎がトワに着せたいとか言ってたアレか?」

 

 クロウ先輩から、アンゼリカ先輩の特殊な趣向の一つが明らかになる。……ほんっと、あっちにもドン引きだ。

 

「鬼ごっこの時もわざとだったりして」

「いや、あれは不可抗力で……」

 

 リィンと目が合うと、そこで気まずそうに口をつぐんだ。

 今日一日で何度聞いたか、何度起きたかもわからない不可抗力とか、私は信じたくないんだけど。

 

「どうしたどうした? なんかあったのかよ?」

 

 気遣いというか感の良さは一流とアンゼリカ先輩に云われていただけあって、すぐにこの場の気まずい空気を察知した。

 若干ニヤ付いているのは、とっても気に喰わないけど。

 

「い、いえ、実は――」

 

 事情を説明するリィン。要約すると『サラ教官から、”強制的に”召集を受け、”やむなく”女子の水練特訓に、”不本意ながら”参加した』と、どうも微妙に責任回避臭い内容に聞こえたけど。まぁ、サラ教官がリィンを呼びつけた事に関しては、いつも通りの強引さが想像つくし、私も反論はしないけど。

 

「チクショー! なんつー羨ましい野郎だ!」

 

 リィンから事情を説明されたクロウ先輩の反応は案の定だった。で、Ⅶ組のほかの男子の面々は半ば呆れている。たぶん、もう事の顛末が予想できたからだろう。

 

「それでなんだ、なんかやっちまったのか? 誰かの胸でも触っちまったのかぁ?」

 

 そしてドンピシャだった。

 

「君っていう奴は……」

「全くだな……呆れて言葉も出んぞ」

「ふむ」

「って、そのまさかかよ! アリサか? それとも、委員長ちゃんか? どんな感じだったよ?」

 

 下品なニヤつきを浮かべて顔をリィンに近付けるクロウ先輩は、すぐに女子からの冷たい視線の対象になるけど、そんなのお構い無しだ。

 

 聞かれたリィンもこの状況で下手な事を喋れば、何が起きるか分かっているだろうから口は結んでいる。だけど、彼が私の方にチラッと視線を向けたことをクロウ先輩は見逃さなかった。

 

「そりゃぁー……」

「こっち見ないで下さい」

 

 先輩にまじまじと見られた。顔じきゃなくて、下を。というか、間違いなく胸を。

 

「まぁ、なんだ……ちょいとばかし、”引き”が悪かったな」

 

 そして、何かを労うかのようにリィンの肩をポンポンと二回程叩いた。

 

「聞こえてますよ!」

 

 ハズレくじ扱いするな! 確かに、ハズレかもしれないけどさ!

 どうせ、大して無いよ!みんなに比べれば悲しくなるほど無いですよ!

 そりゃ、リィンも「す、すまない……気付かなくて」とか言う訳ですよねえ!

 

「もーやだ! 厄日だよ! あんなに……」

 

 後ろからの羽交い締めというか、抱き締められた様に捕まえられただけでももう、リィンの身体と密着しすぎていて恥ずかしかったのに、その上、あんな……あんな……!

 

「エレナ」

 

 私に呼び掛けたフィーは、礼拝堂の門に掲げられる、七耀教会の紋章である星杯を見上げた。

 

「ばち、あたったんじゃない?」

「……うぅ……」

 

 今朝のアレのせいなのか、はたまた半年近くもサボったからだろうか。

 いずれにしても、今日の私に女神様の加護が無かったのは疑いようはない。

 

 演奏会のついでに、ううん、終わったら超お祈りしよう。でも、それ以上に今はリィンへの罰も頼みたいくらいだ。不可抗力とかそういうの抜きにして、ただではちょっと許したくない。アリサみたいにぶっ叩いてやればよかった。

 

「まぁ、ドンマイ」

 

 私も、フィーに肩を叩かれるのであった。

 

 

「でも、エリオット、なんだか大丈夫そうだな?」

「え?」

「いや、確かに緊張はしてるみたいだけど……どこか吹っ切れたような顔をしてるからさ」

「うん、そうだね」

 

 礼拝堂の美しい色彩が彩るステンドグラスの下、エリオット君が頷いた。

 

 私のちょっと先で、エリオット君が話している。

 リィンと。

 クロウ先輩にぶつぶつ文句を零していたら、リィンに先を越されてしまった。礼拝堂の中に入ったら真っ先に向かいたかったのに。女子だけじゃなくて、リィンは男にも相変わらず手が早いらしい。

 

 あっちじゃあっちで、ロジーヌさんにもうだらしないくらいデレデレしちゃってるカイがいる。

 カイもあと五年もしたらリィンみたいになるのかもしれない。いや、なるとしたらクロウ先輩やフレールみたいチャラいな感じか。そう考えると、今まさに不機嫌そうにほっぺを膨らませるティゼルの悩みは、更に増えることになるだろう。そう思えば、同情せざるを得ない。

 

 それにしても、リィンは毎度毎度、いいところばっかとってっちゃうんだから。

 

「これからは、もっと自信を持って音楽と向き合っていけると思う。リィンと……そして、Ⅶ組のみんなと過ごしたお陰かな」

 

 そこで、ほんの少しだけエリオット君がこちらを向いてくれて、交差する視線を感じた私は、思わず小さく胸の前で手を振る。

 

「……はは、やっぱりエリオットは強いな。俺も観客席から応援してる。今日はどうか頑張ってくれよ」

「うん――任せて!」

 

 リィンの応援にエリオット君は満面の笑みを返す。

 

 そして、演奏会の開始を告げるパウロ教区長さんの挨拶が始まった。

 

 エリオット君。

 がんばってね。私もちゃんと聴いてるから!

 

 

・・・

 

 

 演奏会の後、午後四時から生徒会の学院祭実行委員会が本校舎で行われた。

 帝国政府代表団の随行員として、来週にはクロスベル行きを控えるトワ会長の負担を少しでも軽くしようと、生徒会のメンバーが気を使い、今日は生徒会長不在の中の会合だ。

 最も、実際のところは会長が前もって用意した資料を配り、これも前もって指示された議題の配分を決めるのみであり、相変わらず”有能すぎる生徒会長”におんぶにだっこなのである。

 それでも、会合には不在なので、今頃はゆっくりとクロスベル行きの準備――してそうもないなぁ……トワ会長の事だし、生徒会室で仕事してないか心配だ。

 

 昨日も遅くまで学院に残って、学院祭開催に関連する進行計画は完全な形で完成させてしまったばかりか、自らが不在の間の時の為に、予算等の学院運営に関わる生徒会室の数多くの書類を整理整頓していた。ちょっとやり過ぎな位で、間違っても学院祭に関しては会長不在でも失敗するような事はない位の完成度の要綱が出来ているし、会長が卒業するまでずっとサボっても大丈夫なんじゃないかと思ってしまう。

 

 生徒会の正規のメンバーではない臨時の面子の私は、生徒会の他の人との関わりが薄かったりする。今までの仕事に関しても大方、トワ会長から直接指示を受けてのものが多かったのだ。

 特別扱いっていう感じで嫌われてたらどうしようかと心配したけど、どうやら私の事を『トワ会長を個人的に手伝いしている人』と同じだと思っていたらしい。

 ちょーっと複雑だけどリィンの評判の良さのお陰で、みんなとっても好意的だったのは幸いだった。

 

 それでも、見知らぬ人の多い生徒会でどうしても心細く感じてしまっていたが、会合には顔見知りもいてくれたのは、もう一つの嬉しい誤算だった。

 

「しかし、どうしましょうか……?」

「うーん……」

 

 学院からの帰り道。傘に当たる雨音の中に、すぐ隣の弱気な声が消えてゆく。

今回の会合の主な目的は通達だった。

 再来月の学院祭を1年生の各クラスに周知すること、来月末までに出し物の内容を決定して、生徒会への申告をするようにお願いすること。

 なぜか、Ⅶ組代表はクラス委員のエマやマキアスじゃなくて、スタッフ兼任で私になってしまっているので、とにかく忘れない内に二人に伝えた方が良いだろう。

 ただ、自分のクラスの出し物うんぬんなんかより、もっと重要な役割を私たち二人は負ってしまった。

 

「ポスターのデザインなんて……」

 

 消え入りそうな声と、傘の中からこぼれるため息。

 

「それも、来月頭までなんて……」

 

 美術部ということで、目を付けられてしまったのは不幸だったとは思う。あと、断れない気弱な性格も。ただ、更なる問題は私が相方だということだろう、いや、というか生徒会の人は私と彼女でやるものだと思っている。

 

「とりあえず、リンデ。味方を集めよう」

 

夕立の中、一緒の傘に入るのは、1年Ⅳ組の代表として会合に出席したリンデ。

 

「そ、そうですね!」

 

パッと数段階は表情を明るくするリンデを、私は打ち合わせも兼ねて宿酒場《キルシェ》に誘う。それに、頼りになるであろう仲間が、確かあのお店にいるはずである。

 

「やっぱり、Ⅶ組の人は頼りになりますね」と、リンデは私の傘を持つ手を握る。

 もう、気弱なんだから。そりゃあ、ヴィヴィにオモチャにされる訳である。双子とはいえお姉ちゃんがこんなに可愛いのはちょっと反則かも。

 但し、リンデは大きな勘違いをしている。私が味方(手伝ってくれる人)を集めたいのは、それが死活問題であるからだ。

 

「だって、私、絵描けないから」

「えっ!?」

 

 本当にみんなⅦ組をなんだと思っているのだろうか。お人好しの不埒なリィンさんが学院内外で頑張りすぎたお陰で、Ⅶ組の認識は既に”何でも出来る頼りになる人達”になってる気がする。そんな何でも出来て頼りになるのはリィンなのに。ああ、でも、アリサとかエマなら、あと、ユーシス様も何でも出来そう。アレ、よく考えたら私以外なら誰でも何でも出来るんじゃ……。

 

 

「あ、いたいたー!」

 

 パッシャパッシャと橋に出来た水たまりを弾いて走って来るのは、私の隣にいる子と全く同じ髪の色の子。髪型だけがおさげのリンデと違う、妹の方のヴィヴィだ。またの名を悪戯大好きお騒がせ娘である。

 

「リンデが男と相合傘してるのかと思ったよ~」

「え!? そ、そんな訳ないじゃない、ヴィヴィ!」

 

 まともに反応しちゃうから妹にオモチャにされちゃうのに。

 

「スカートで分かるでしょ……ふつーに考えて」

 

 大体、前から来たんなら顔だって見えた筈だ。それとも、私が男に見えるって意味で喧嘩でも売ってるのだろうか。

 

「も、もう! ヴィヴィったら!」

 

 やっと意味が分かってぷんぷん起こる双子の姉。お姉ちゃんの威厳は……前々から知ってたけど、サラ教官の”教官”ぐらい無い。

 

「そうそう! 聞いて聞いて! いま面白いもの見ちゃった!」

 

 何やらテンションの高い双子の妹は、私達の反応なんて待たずにそのまま続ける。

 

「リィン君がロジーヌさんに手を出してたわよ!」

「リ、リ、リィンさんとロジーヌさんが!?」

「リィンとロジーヌさん……ねぇ」

 

 そういえば、よく話してるんだよねー。大分前のグランローズの件とかでも仲良さそうだったし。

 

「それはもう長年の夫婦みたいに仲良く寄り添って相合傘を――」

「わわっ……」

「……はぁ」

 

 男女の恋愛とかに初心なリンデが、顔を真っ赤にして妹の話に耳を傾ける傍ら、私は割と冷ややかに状況を考えれた。

 ちょっとホント、リィンなにやってるの……。

 あーあ、しーらない。

 アリサに知れたら……まぁ、ヴィヴィに知られたら今晩中には第二学生寮で広まるだろうから、明日にはⅦ組に回ってくる、かも。

 明日のアリサお嬢様は不機嫌間違いなしだろう。今日も割とゴロゴロ入道雲な心模様なのに。

 

「……あの節操無しが」

 

 今日の事といい、日頃の行いといい、正直、リィンの将来が本気で不安である。いや、リィンにいったい何人が泣かされるのかが、不安でもあるけど。

 というか、いっその事さっさとアリサとくっ付いちゃえばいいのに。そしたら少しは自覚ができてマシに――なりそうにないよね、やっぱ。アリサが今まで通り毎日ぷんぷんしてる姿が想像できてしまう。

 

 クレア大尉辺りがここら辺でしっかり怒ってくれないかなー、なんて思いながら目的地の宿酒場《キルシェ》に目を向けた時、つい見知った人影が雨避けの下に立っているのが見えた。

 

「あ、ラウラ」

「……エレナか……そちらは、Ⅳ組のリンデと……ヴィヴィだったか」

 

 うん? なんかちょっと元気ない?

 

「雨宿り?」

「うむ」

「私たちこれから《キルシェ》で打ち合わせするんだけど、寮に帰るなら傘使う?」

 

 私とリンデの入る傘を見て、ラウラは表情を曇らせて、首を横に振る。

 

「傘、か……いや、遠慮しておこう」

「どうかしたの?」

「……いや、なんでもないのだ」

 

 そして、小さな溜息を付く彼女。いつもの凛とした姿が嘘みたいに、今や夕立の空より曇った表情をしていた。

 

 

 ガイウスを訪ねるついでに、ポスターの打ち合わせも兼ねて《キルシェ》に足を運んだリンデと私は、お目当ての彼に相談中であった。あと、ヴィヴィは面白半分で付いてきて、私の向かいでさっきからずっとニヤニヤしてる。

 

「ほう……学院祭のポスターか」

「ガイウスはリンデと同じ美術部だし、絵も上手いでしょ? だから、色々と手伝って貰えないかなぁって」

「私からもお願いします。二人だとどうしても……」

 

 結果からいうと、ガイウスは自らの絵の腕にこそ謙遜していたが、協力を快く引き受けてくれた。早速、みんなで案を出し合って、リンデが持ってきていたノートにまとめているところである。

 まあ、私といえば絵の事なんてからっきしなので、レイアウトとか色使いなんて美術的な事は全く分からない。どちらかというと、作ってくれる二人の支援と、制作後の印刷や貼り出しの手配や準備を考えた方がいいかもしれない。

 あっさりと二人の会話から置いてけぼりにされてしまった頃、それまで気持ち悪い位ずっとニヤニヤしていた、桃色姉妹の妹が私の手を取って席を立った。

 

「ねえ、ちょっときて」

「なによ……ヴィヴィ」

「しーっ」

 

 私を連れ出すようにして、少し離れた空いているテーブルに座るヴィヴィ。ガイウスとリンデは一瞬首を傾げるけど、またすぐ打ち合わせを始めてしまった。

 

「ね、あの二人、いい感じじゃない?」

「は?」

「リンデ、絶対ガイウス君のこと気になってると思うのよね」

「……ああ、そゆこと……うーん、ほんとに?」

 

単にヴィヴィが面白がって、そういう風にしたいだけなんじゃ……でも、確かにこうやって見てると……うーん。

 

 ガイウスといえば、そこで今も働いてるウェイトレスのドリーさんと、今朝早くに一緒に教会にいってたような気がしたけど……ここでいうと、目の前の噂大好き娘が更に喜ぶだけなので、心に秘めておこう。

 もっとも、ヴィヴィとしては既に身近な姉に舞い降りた、この上ない面白ネタにご機嫌である。

 

「で、そっちはどうだった? Ⅶ組のプールの鬼ごっこ特訓は」

 

 顔に思いっきり『面白そう』って書いてあってもおかしくないぐらいの笑みで聞いてくる。

 それにしても、耳が早い。まあ、水泳部に無理を言って水練特訓をぶち込んだんだから、広まるのはあっという間だろう。またもや、Ⅶ組の変な噂が増えてしまうと思うと頭は痛い。

 

「……聞かないでくれる? 私、そのせいで機嫌悪いの」

「だよねえ、いろいろ噂聞くと、もうキャッキャッウフフで大変だったみたいじゃない」

 

 ほんっと私の心と正反対にめっちゃ楽しそうにしてるんだから。

 

「思い出したくもない」

「リィン君のネタは面白いからもっと教えてよー」

「知らないっ」

 

「この間は全部教えてくれたのにー」と、もう大分前にも思える話を持ち出すヴィヴィ。

 あの後、リィンはラジオで女子を釣ったと学院で噂され、その手法を模倣した日曜日の夜に女子を部屋に誘う”アーベントタイム戦法”とか言われる物を生み出したらしい。

 なお、一部男子による番組の熱烈なファンから、リィンは『我らのミスティを餌に使った許されざる外道』と陰で罵られてるとか。

 ちなみに、この戦法を一番多用してるのはアンゼリカ先輩で、毎週の様にトワ会長を誘っているらしいという、嘘でも本当にしか思えないオチ付きである。

 

 彼女の追及はリンデが呼んでくれたお陰で、躱すことができた。もっとも、ヴィヴィもヴィヴィで、私の機嫌がすこぶる悪い事は察してくれていたのか、いつもほどしつこくはなかったけど。

 

 ポスターの件は、私なんかが話に加わらなくても纏まってしまい、ガイウスとリンデの共作という形で明日にでも描き始めるらしい。というか、もう基本案は二人で出し終えて、明日の部活で一緒に作るのだとか。

 うん、ヴィヴィの言う通りかも知れない、リンデも生き生きしてとっても楽しそうだ。

 

 打ち合わせが終わって、このお茶の席も解散になるかと思きや、桃色姉妹の妹の露骨な引き留めと案外乗り気な姉の二人に付き合う形で、普通に駄弁りになってしまっていた。

 今日は特に予定が無いらしいガイウスも、晩ご飯までこの場にいるつもりらしい。

 

「ばばーん、士官学院七不思議!」

 

 話題の引き出しが尽きないヴィヴィが出した次のネタ、得意気に最近一押しにホットな奴だった。

 

「最近よく噂されてる奴だね」

「そういえば、リィンが今日そんなことを調べていたようだな」

「へぇ……相変わらず今週も変な依頼だね」

 

 リィンへ降りてくる生徒会への依頼のレパートリーの多さ、というか独特さにはもうちょっと依頼主も自重した方がいいんじゃないかと思ってしまう。

 

「そういえば、美術部は”彫刻の涙”とか知ってるの?」

「あれは結露だって、クララ部長がいってました」

「ほう……なるほど。結露の水滴が涙と映るのか」

「なんて身も蓋もない……”音楽室の幽霊”は吹奏楽部の部長さんだし」

 

 七不思議の一つを教えて貰ったお礼じゃないけど、私も知ってる七不思議を披露する。

 

「えっ、吹奏楽部の部長さんって幽霊なんですか!?」

「あっ、そういう意味じゃなくて――」

 

 ハイベル部長が夕方に一人で調律してたら、”無人の演奏会”なんて噂になったしまったという裏事情をリンデに伝える。

 ちょっと前に音楽室に遊びに行った時に、丁度その七不思議の話題になったのだ。ハイベル部長が誤解を招くカミングアウトをするもんだから、エリオット君と二人でマジビビりした覚えがある。

 

「他の有名所の”ギムナジウムの悲鳴”とか”禁断の書”も、何となく察せちゃうしねー。ま、リィン君が調べてたここら辺のは、まだまだ序の口よ」

「「序の口?」」

 

 私とリンデの声が、ガイウスを挟んで重なった。

 

「裏・七不思議――」

 

 ヴィヴィの顔が急に私たち三人に近づき、リンデはもう既にあわあわしている。

 

「な、なにさぁ……」

「ふむ……?」

 

 ここに来てガイウスも興味深そうな表情になった。

 

「謎に包まれてて、私もちょっとしか知らないんだけど――」

 

 思わず唾を飲み込んでしまう。

 

「――実はここだけの話、Ⅶ組の第三学生寮って――出るんだって」

「え”」

「ひっ……」

 

 出る? 出るの? うちの寮に!?

 

「出るとは何がだ?」

「ガ、ガイウス、で、出るっていったらア、ア、アレしかないでしょ……!」

「……ユ、ユウ……」

「リンデ、お願いだから言わないでっ! 私の寮なんだよ!?」

 

 口に出されたら、寝れなくなりそうじゃない!

 

「Ⅶ組の寮になってるあの建物って、元は単身者用のアパートメントだったんだけど……駅前にある優良物件なのに去年までずーっと誰も借り手がいなかったのよ」

 

 ヴィヴィはここだけの話のつもりなのか、更に顔を近づけて真剣そのものの表情で語りを続ける。

 

「何でもあまりにも空き家が長く続いてたから、沢山の蝙蝠が住み着いてて――」

 

 気付けば、私たちは鼻がくっ付きそうな位に、テーブルに身を乗り出していた。

 

「――今年からⅦ組が新しい住人になったけど、リィン君達はあの旧校舎の調査もしてるじゃん?」

 

 思わず何度も頷いてしまった。

 

「あの旧校舎で長い間待ってた、”人じゃない何か”の怨念がまた一つ、また一つってⅦ組の子たちに引っ付いて――蝙蝠の曰くつきの学生寮から――」

 

 私とリンデの喉がもう一度動く。

 

「――今、三人の後ろに――!」

「ひいぃっっ!?」

「きゃっ!?」

 

「え?」

 

 思い切り振り返った先にいたのは、幽霊とか怪物とかじゃなくて、戸惑うウェイトレスのドリーさんだった。

 

「……ふむ、夏の”怪談”というのはこういうのを言うのか」

「夏、怪談……?」

 

 ガイウスの冷静な分析に、ハッと今の状況に気付かされると、思いっきり握っていた彼の片腕から急いで離れる。

 

「あっ……」

 

 ほんの小さく、小さな黄色い声がしたような。

 

「ヴィ、ヴィ、ヴィ、ヴィヴィ! お、おどろかせないでよ!?」

 

 ヴィヴィ制作・演出の怪談の後遺症で何度も舌をもつれさせてしまった。ついでに、後ろからドリーさんが、「ちょっと、静かにしなさいよー」と、注意されてしまった。

 ちなみに、リンデは先程の出来事に照れてるのか、頬を染めて何度も頷いている。

 

「ゴメーン、ゴメーン、二人ともあまりにも真剣な顔するもんだからさー」

 

 てへっと、舌をだして笑うヴィヴィ。

 そりゃ、自分が寝食する生活の場に『出る』なんて言われたら、冗談で済ませたくても済ませれないだろう。ふつうは。

 

「ガイウス君は流石に肝が据わってるわね」

「フッ、二人とも安心するがいい。この場に悪霊の気配は無いし、オレたちの寮で悪しき風を感じたことはない」

 

 ガイウスの言葉にほっと胸を撫で下ろし、強張っていた身体が弛緩していくのを感じる。本当に、彼がこの場にいてくれてよかった。

 ヴィヴィの奴、私がこの手の話、苦手なの知ってる癖に。

 

「はぁ……」

 

 ガイウスを隔てた向こう側のリンデも、私と同じように安堵したらしい。

 

「ゴメンゴメン、でも……帝都って昔は吸血鬼とか出たらしいじゃん?」

 

 吸血鬼のお話はよく知っている。夜中に一人で訪ねてくる見知らぬ人は家に入れてはいけない、とか、夜更かしする子供は吸血鬼に血を吸われちゃう、とか。ニンニクに弱いとか。

 私の故郷である帝国南部にもそういう逸話は数多く残っていて、村一つ丸ごと吸血鬼に襲われて村人が皆殺しにされたなんて、凄惨な話なんかもあったりする。

 

「学院の旧校舎が使われてたのって、その時代らしいし――もしかしたら……」

「確かにあの旧校舎なら何があっても驚かないが……吸血鬼、か」

「えっ……」

 

 神妙な顔つきに変わるガイウスに、一瞬で不安を掻き立てられる。

 そこは、さっきみたいにあっさり否定して、安心させて欲しかった。

 

「もう、ヴィヴィったら……『赤い月のロゼ』の読み過ぎよ」

 

 暗雲が立ち込めたテーブルの雰囲気を元に戻したのはリンデだった。散々、弄ばれたからか、ほんのり熱を帯びた頬をちょっと膨らませているのが可愛らしい。

 

「あ、『赤い月のロゼ』?」

「確か……最近流行りの小説だったか?」

 

 ガイウスの言葉に頭の中でピンと糸が繋がった。

 

「って……リィンが集めてる小説じゃん! 騙されたぁぁ!」

「……ヴィヴィが変な話ばっかりしてすみません」

「ふふーん、だからゴメンってば」

 

 元ネタがはっきりとして怖くなくなったのか、ここにきて悪戯好きの妹について申し訳なさそうにするリンデ。それと対照的に悪びれる事無く、さっきみたいにまた舌を出す仕草をするヴィヴィ。

 

 そんな姉妹の日常の姿に、思わず私とガイウスは顔を合わせてお互いに小さく笑いった。




こんばんは、rairaです。

今回は8月22日の日曜日、自由行動日の午後の『夏の日常』編の中編のお話です。

前半は、サラ教官のリィン&Ⅶ組女子の水練特訓の後、エリオットの演奏会の直前となります。ゲームシステム上の問題とはいえ、エリオットの演奏会がリィンだけが出席なんて寂しすぎます。色々と無理矢理こじつけてⅦ組全員をかき集めてしまいました。

また、二話(一年九か月)ぶりにやっと主人公エレナの”リィンの不可抗力”フラグが回収され、ちょっと過剰反応中だったりもします。

後半は、リンデとヴィヴィの桃色姉妹と、そしてガイウスのお話です。三章でエレナがノルドに行かなかった上に五章がB班視点になる為、今後出番が限られたものになってしまうガイウスにちょっと活躍して頂きました。

次回は8月22日の夜、五章の自由行動日『夏の日常』編の後編の予定です。この後、ジュライ特区及びガレリア要塞の特別実習編となります。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。

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