光の軌跡・閃の軌跡   作:raira

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7月25日 薔薇園と会議室

 うわぁぁ……私、ネクタイ緩めたまんまだよ。シャツも出してるし、パーカーも腰に縛ったままだし……。

 

 先程、この場にまで案内して貰った際に、良くも悪くも女学院の生徒から注目を浴びた自分の着こなしに激しい後悔を抱く。いま思えば、あの時に恥を忍んででもしっかり直しておけば良かった。

 

 私は、今、とんでもないお方とお茶の席をご一緒していた。その方は――

 

「……殿下こそ。ご無沙汰しておりました」

「ふふ……お美しくなられましたね」

 

 ユーシスとラウラの言葉に小さく笑って感謝の言葉で応えたのは、アルフィン・ライゼ・アルノール皇女殿下――エレボニア帝国の現皇帝陛下であるユーゲント三世陛下の娘さんにして、セドリック皇太子殿下に次いで皇位継承権第二位。

 皇太子殿下の双子のお姉さんで、その可憐な容姿から巷では二人はもっぱら《帝国の至宝》とも言われている。お年は今年で十五歳――丁度、私の一つ下で、フィーやこの場にいるリィンの妹さんのエリゼちゃんと同い年だ。

 私は初めてこうして直にお目にかかり、《至宝》という喩え言葉が寸分違わず正しいという事をいま正に実感していた。もちろんお写真を見た時もそう思っていたけど!

 

 皇女殿下とラウラのお話の最中、緊張でガチガチになっている。だって、だって――目の前にいらっしゃるのは皇女殿下なんだから!

 ユーシスの普段ならあり得ないような優しく柔らかい声なんて最早どうでも良い位、未だ私はこの状況への驚きから立ち直れていない。

 

 いったいどうしてこんな事になってしまったのだろう。

 午後五時にアストライア女学院に行けというサラ教官からの指示が、まさか帝国のお姫様と会うことだったなんて夢にも思わなかった。

 

 頭を悩ます私を現実に引き戻したのは、リィンの妹のエリゼちゃんの慌てた声。

 

「トールズに編入する」と冗談で仰られる皇女殿下に驚くエリゼちゃん――もっともそれは彼女の気を引くための殿下の冗談。

 そういえば、話を聞いている限り彼女はアルフィン殿下の女学院でのお友達らしい。やっぱり貴族って凄いと思う。殿下と共に過ごされるなんてとても羨ましいけど、私だったら正直そんな大任をこなせそうにはないもの。

 そんな、その後にとんでもない事をリィンに提案する皇女殿下――流石のリィンも驚きの余り素っ頓狂な声を出して困惑している。だって、私が『リィン兄様』って誂っていたのとはレベルが違い過ぎる。

 

 結局、皇女殿下の提案はリィンとエリぜちゃんをからかっていただけの様だったが、狼狽えまくるリィンは私にとっても心臓に悪く。未だあのやり取りにドキドキしてしまっている中、どうにか落ち着こうとエリゼちゃんが淹れてくれた紅茶のティーカップの持ち手に指を通す。

 カップの透き通った茶色の中身からは、いままで口にしたどの紅茶よりも良い茶葉の香りが引き立つ。

 私、本当にアルフィン皇女殿下と一緒にお茶してるんだ――そう思ってしまったが最後。震えた手がカップをソーサーの縁にぶつけ、甲高い音を響かせてしまう。

 一気に背筋が冷える。

 

「まあ……大丈夫ですか?」

 

 そして、アルフィン殿下のお声。

 顔を上げると心配そうな顔を私に向けるお姫様が――今度は顔が一気に熱くなる私。

 

「い、いいええっ! こ、皇女殿下……お気遣い頂いて、その、きょっ、恐縮です!」

 

 慌てて私は頭を下げて、真っ白な頭から言葉を捻り出す。見事に声は裏返り、何度も噛み噛みだが、アルフィン殿下は何も無かったかの様に小さく笑って下さった。

 

「ふふ、公式の場ではありませんし、気楽になさって下さいね」

 

 皇女殿下が、私に、笑いかけて下さった……! うわあぁっ……!

 

「……は、はぃ……っ」

 

 もう、目を合わせられない。恥ずかしさと嬉しさと感激が入り混じって、更に身体が熱くなるのを感じた。

 

「ちょ、ちょっと……貴女、落ち着きなさいよ……!」

「え、エレナ、大丈夫……?」

 

 両隣のアリサとエリオット君に大丈夫じゃない! と声を大にしていいたい。もう、私、色んな意味で死んじゃいそう。

 

 

「さて、そろそろですね」

 

 そんな私のバカなアクシデントを笑って見過ごしてくれたアルフィン殿下が今迄のお話が前座であった事を言外に示す。

 

「今日、皆さんをお呼びしたのは他でもありません。ある方と皆さんの会見の場を用意したかったからなのです」

 

 えっ、アルフィン殿下の他にも誰か来るの?

 そう私を含めたみんなが思ったのと同じタイミングで、扉の開く音と共に軽やかなメロディが薔薇園に流れた。

 

「ふふ、いらしたみたいですね」

 

 それを聞いて嬉しそうに微笑んで、アルフィン殿下は席を立たれる。

 

「フッ、待たせたようだね」

「ご無沙汰しております」

 

 私の後ろを通った金髪の男の人にエリゼちゃんが頭を下げて一礼する。あれ……この人……どこかで……。

 

「……だれ?」

「ええっと、どこかで見たことがあるような……?」

 

 あ、あれ、えっと、まさか……?

 席を立ったアルフィン殿下の隣に立った白いコートに身を包んでリュートを持つ来訪者。この人、やっぱり……えええっ!?

 

「お……お……っ……」

 

 声が出ない。そのまさかだったら、私はとんでもない方二人とお会いすることになる。

 でも、やっぱりこの方の横顔には見覚えがある。というより、手も振ってくれた。去年の秋に、パルム市の発着場と駅を結ぶ大通りで。

 

「フッ、ここの音楽教師さ。本当は愛の狩人なんだが、この女学院でそれを言うと洒落になってないからね。穢れ無き乙女の園に舞い込んだ愛の狩人――うーん、ロマンなんだが」

 

 音楽教師? 愛の狩人? ロマン?

 もうよく分からないけど、もっとよく分からない!

 

「えいっ」

「あたっ」

 

 アルフィン殿下が叩いた! うわぁ、えっと、でもこんなに親しそうってことは、そういうことだよね?

 

「お兄様、そのくらいで。皆さん引いていらっしゃいますわ」

「フッ、流石は我が妹中々のツッコミじゃないか」

 

 お、お兄様!アルフィン殿下が『お兄様』と仰られたということは、やっぱり、やっぱり、やっぱり――!

 

「オリヴァルト・ライゼ・アルノール――通称”放蕩皇子”さ。そして、トールズ士官学院のお飾りの理事長でもある。よろしく頼むよ――Ⅶ組の諸君」

 

 

 ・・・

 

 

 晩餐会が終わり、アストライア女学院の建物を出た所で、やっと私は緊張の糸がほぐれていくのを感じていた。

 生まれて初めて見たあんな高級そうな料理もあまり手を付けられなかった。いま思えば勿体無いけど、あの場で食が進む訳が無い。なんといってもオリヴァルト殿下と二、三度視線が合った時は本気でどうしようかと思った位だ。士官学院に来てから私のあがり症も治ってきたと思っていたのに、流石に皇族の方々は論外過ぎた。それでも、最後にはちゃんとご挨拶も出来たし、一生の思い出になりそうな出来事として記憶に残る事は間違い無いだろう。

 

 オリヴァルト殿下もアルフィン殿下も私が思ってたより遥かに……こんな事を言っていいのか分からないけど、面白いお人柄だった。そのお陰もあってか、私もお話を聞くだけであればいくらか楽にある程度慣れれたと思う。ただ、その面白いお人柄によって突拍子もない爆弾発言がなされてしまったのだけど。

 

 こうして歩きながらも、私達を先導して正門まで送ってくれるエリゼちゃんの小さな背中に目が行ってしまう。

 彼女は皇女殿下のちょっとお戯れの過ぎたあのお話以後、リィンに対して向ける不機嫌さを隠そうとしていない。それは、先程私達を正門まで見送ると申し出てくれた時、リィンを無視して何故かアリサにそれを伝えた事からもよく分かった。

 

 でも……まあ、仕方ないのかも。

 

 そうこうしている内に正門に辿り着くが、エリゼちゃんのご機嫌は戻る筈もなく、案の定リィンは未だに拗ねられてしまっている。

 エリゼちゃんはリィンから顔を逸らして、わざわざ兄から数歩離れた私達の前に来て礼儀正しくお辞儀した後に、女学院の中にそのまま立ち去ってしまった。

 

 まぁ、リィンにはちょっと同情するよね。

 

「はぁ……」

「どんまい」

 

 深い溜息と共に肩を落としたリィンを励ますフィー。

 

「ふふ、まさか殿下からあんなお誘いをされるとはな」

「いや、それって俺のせいか?」

 

 ラウラが小さく笑ってから、原因となった皇女殿下の”お誘い”に触れた。

 

「――そうそう、忘れてました。実はリィンさんにひとつお願いがあるんです」とアルフィン殿下が切り出したお願いは、夏至祭で皇族の方々がご出席される園遊会への出席。それだけでも大変驚くべき事ではあるけど、ここまでであればエリゼちゃんやアリサがここまで拗ねることも慌てることも無かったとも思う。問題はそれを遥か突き抜け、殿下がなんとご自身のパートナーとしてリィンを誘った事だった。

 

 うん、勿論、私も驚いた。この上ない程。あの話の間、私もずっとドキドキしながら固唾を呑んで見守った。

 

 だって殿下はあんなお可愛らしいのにリィンをあの手この手で攻め立てるし、オリヴァルト殿下は煽られるし――なにより、もう心に決めた人がいるのかとアルフィン殿下がリィンに聞いた時はあの場の空気が一瞬だけ変わった気がした。主に、エリゼちゃんとアリサを中心に、だけど。

 結局、どう辞退しようかと言葉を詰まらすリィンを見て殿下は引き下がられるものの、その際にも『あくまで今回は』と気になる言葉を残して”次回”への含みを持たせていた。

 

「よかったわね~、リィン。皇女殿下にあそこまで気に入って貰えるなんて」

 

 リィンに向けられるアリサの目が怖い。まあ、彼女にとっては大問題だろう。いや、全く関係ない私でさえ色んな意味でドキドキしてしまった位なのだから。アリサの場合内心ではもう気が気でなかったんじゃないかと思う。夜聞こう、うん。

 

「フッ、あのままお受けすれば良かったじゃないか。瓢箪から駒ということも将来あり得るかも知れんぞ?」

「いや、あり得ないから……」

 

 今思い出した。雑誌に載ってた記事で、夏至祭の園遊会でアルフィン殿下のお相手をされるのは、殿下の意中の方かも知れないっていう記事を。

 えええ、リィンいつ殿下とそんな深い仲に?っていうか、今日が初めてじゃないの?

 

 友人の兄に興味を持たれただけだけで、妹込みでからかってるだけと口にするリィン。

 私もそんな気はするけど、何かよく分からない。からかうだけにしては、なんというか気に入られすぎというか……まあ、分からないや。

 

「しかし心臓に悪いというかこっちもハラハラしたぞ……」

 

 私もマキアスの言葉に全力で同意した。うん、これだけは正しい。

 

 オリヴァルト殿下のお話は気になる話題が多かった。Ⅶ組の設立の理由、三人の常任理事によって決定される特別実習、そして、サラ教官の正体。

 Ⅶ組の担任教官であるサラ教官は帝国において有名な元遊撃士だったのだ。

 

「A級遊撃士といえば実質最高ランクの筈だ。当然、フィーは知っていたのだな?」

「ん。私達の商売敵としても有名だったし。何度か団の作戦でもやり合ったこともあるから」

 

 さも普通にフィーに話しかけるラウラに、私は二人が仲直り――いや、フィーがラウラに受け入れられた事を実感した。

 フィーもフィーで可愛いのが、いつの間にかラウラとの物理的距離がぐっと近付いているし、なんだか少し嬉しそう。一時期は少し諦めかけていたけど、本当に良かった。

 

 そんな話をしていた丁度のタイミングで、噂をすれば影とでも言うのか、私達の背中に掛かった声の主はサラ教官だった。

 

「やれやれ、私の過去もとうとうバレちゃったか。ミステリアスなお姉さんの魅力が少し減っちゃったわねぇ」

 

 そんなどうツッコメばいいのか分からないような事を口にして、女学院の正門前までの坂道を登り切った彼女は私達へと近づいて来る。

 

「いや、そんな魅力は最初からなかったと思いますけど」

「サラ、図々しすぎ」

「なんですってぇー」

 

 真っ先に反応したマキアスとフィーに冗談っぽく声を荒げる教官の姿。アリサやユーシスも軽口を叩き、私もそれに笑った。

 こんな少しバカらしいやり取りだけど、やっとⅦ組の日常に帰って来た気がした。ついさっきまで居た場所の事を考えると本当にそう思う。

 

 ただ、面と向かって言うと何かウザそうなのでサラ教官本人に直接言う事は無いと思うけど、私にとってはサラ教官は憧れの人だ。

 特に帝国の武術の世界で有名だった元遊撃士という経歴を聞いて更にその思いは強まったと思う。あんな風に強くなれればいいのに――。

 

「……アンタ達ちょっとは教官を敬いなさいよね」

 

 一通りみんなの笑い声が収まり、溜息混じりに肩を竦めるサラ教官。

 そんな今までの掛け合いを小さく笑う声が聞こえた。その声の主は、丁度サラ教官の隣に立つ。

 

「クレア大尉?」

 

 私は昨日振りに会う、もう一人の憧れの人に驚いた。

 この二人が隣り合わせに立っているとどうしても最初のケルディックでの特別実習を思い出してしまう。少し仲悪いんだよね、この二人。

 ただ、私にとっては二人共憧れの人なのだ。サラ教官は剣と銃を両手に取るあの独特な武術の強さ、そして、ついこの間もお世話になったけど、教官というかお姉さん的な所。普段は超ズボラだけどなんだかんだしっかりと私達を導いてくれている。

 クレア大尉は憧れでもあるけど、どちらかといえば現実的に目標にしたい人。卒業後に軍に進むのであれば、将来私はクレア大尉と近い進路を歩むことになると思う。勿論、彼女のように鉄道憲兵隊に入るかどうかは分からないが、帝国正規軍の軍人には変わりはない。彼女と同じ軍人を目指す私としては、やっぱり色々と気になる人物なのだ。

 そういえばクレア大尉ってサラ教官と同じぐらい……いや、ちょっと若い……のかな?

 サラ教官は二十五歳だから、そう考えると私より九歳年上……九年後の私は、何をしているんだろうか。ちょっと目の前のクレア大尉に自分を重ねようとしてもあんまり上手くはいかない。

 

「ふむ、これはまた珍しい組み合わせだな」

「あたしの本意じゃないけどね」

 

 ラウラの感想にあくまでそう答えてサラ教官は続ける。

 

「知事閣下の伝言を伝えるけど明日の実習課題は一時保留。代わりにこのお姉さんたちの悪巧みに協力する事になりそうね」

「悪巧み?」

「ふう……サラさん。先入観を与えないで下さい」

 

 サラ教官の物言いに少し戸惑う私達を見て、彼女に小さな溜息と共に苦笑いを向けるクレア大尉。

 

「その、実はⅦ組の皆さんに協力して頂きたい事がありまして。知事閣下に相談したところこういった段取りとなりました」

 

 段取りというのは、オリヴァルト殿下達との晩餐会の後に迎えに来たという事だろうか。

 

「さあ、どうぞお乗り下さい。ヘイムダル中央駅の司令所にて事情を説明させて頂きます」

 

 

 ・・・

 

 

 気付けば、彼の手を掴んでいた。

 

「エレナ?」

 

 別れるのが嫌だったから。

 

 少し戸惑いを浮かべるエリオット君の顔の向こうでは、A班のみんなとサラ教官の背中が離れていく。

 

 帝国の鉄道網の中心にして、帝都内の路面鉄道網の中心でもあるヘイムダル中央駅の立派な駅舎の前。丁度、午後十時半を回ったところ。

 もう夜遅く、明日の私達には重要な仕事がある。今日は昨晩の様に《ARCUS》でお話という訳にも行かない。

 

「どうしたの?」

 

 話したい事は沢山あるのに。

 思わず、掴んだ手に力が篭り、慌てて彼の手を離す。

 

「ううん……ごめん。何でもない」

 

 多分、笑顔を作って、私は首を左右に振った。

 

「エリオット君、明日も頑張ろうね」

「うん、エレナの方こそ」

 

 そんな他愛も無いやり取りをしてから、お互いに「またね」と別れを告げて、彼は踵を返してA班の元へと走ってゆく。

 そんな背中を見送って、私もそろそろアリサ達を追いかけようかと思ったその時だった。もう随分小さくなって街灯に照られながら闇に紛れつつあるエリオット君が、こちらを振り返って小さく手を振ってくれていた。

 

 その気遣いが寂しかった私にはとても嬉しくて、思わず背伸び手を振り返す。私が付いて来ていない事に気付いたアリサに呼ばれる迄、これでもかというぐらい大きく手を何度も振っていた。

 

 

 私達以外のお客さんが乗っていない西回りのトラム。

 列車とはまた違う感じの路面鉄道に揺られながら、夜の帝都の街並みとガラス窓に映る自分の顔を眺めて、今日一日にあったことを思い返していた。

 

 大使館でふと蘇る昔の記憶。みんなは私の事をずっと見守ってくれていて、受け入れてくれた。

 

 シェリーさんとの出会い、フレールとの再会。違う世界に生きる人の姿を見て、私は大切な人を祝福出来た。

 

 オリヴァルト皇子殿下とアルフィン皇女殿下。一生直に会って言葉を交わすことは無いと思っていた人々に会った。

 

 そして……ヘイムダル中央駅の鉄道憲兵隊の司令所を訪れた。

 

 今日の夜のⅦ組の面々の口数はいつもよりも少なかった。

 毎月の特別実習のスケジュールはハードだ。最後までガチガチに緊張していたのは私ぐらいだったかもだけど、あんな高貴な方々とのお茶会と晩餐会もあった。

 だが、一番の理由はそこではない。

 明日の課題が一時保留され、私達Ⅶ組に知事閣下経由で鉄道憲兵隊のクレア大尉より要請された”任務”。

 

 窓ガラスに映る私の顔越しに見える帝都の夜の街並みは至って平穏だ。夜も遅くなっているのであまり人影は少ないが、それでも危機が差し迫っている事を感じさせる事は微塵もない。

 

 しかし、この夜を明けるのを待っている人々の中には、悪意を持って帝都を攻撃しようとしている人間がいる――。

 

 

 帝都ヘイムダル中央駅の巨大な駅舎の一角、鉄道憲兵隊の司令所内にある会議室を私達は訪れていた。

 レーグニッツ知事閣下がつい昨日の朝に特別実習の説明して以来だから、丁度一日振りとなる。そこで、私達は今度はクレア大尉に事情の説明を受けていた。

 

 先程、マキアスが驚きの余り声を上げていたが、事情とは夏至祭を狙うテロリストへの対策。

 私も勿論、みんなも驚きを隠せておらず、未だ戸惑いを隠せていない。

 

「――ええ、我々はそう判断しています。帝都の夏至祭は三日間……しかも、他の地方のものと異なり盛り上がるのは初日ぐらいです」

 

 帝都市民のエリオット君やマキアスから聞いてはいたが、帝都の夏至祭は随分淡白な印象を受けた。勿論、帝都という巨大都市の夏至祭目当てに集まる観光客は多いし、飾り付けの行われた各所はとても華々しい。だけど、私にとっては夏至祭といえば、一週間以上の間昼夜関係無しに夜通しで飲みに食いに踊って歌ってを楽しむお祭りだ。実際、帝都市民は夏至祭の事をお祭を楽しむというよりどちらかと言うと催事を祝うに近い感覚でいる様な気がしたのだ。

 

 まあ、今回においてはテロ対策をし易いということなのかもしれないけど。

 

「ノルドの事件から一か月……”彼ら”が次に何かするならば明日である可能性が高いでしょう」

「ま、私も同感ね」

 

 テロリストは自己顕示欲が強い、という理由を続けて口にしてサラ教官はクレア大尉に概ね同意した。

 

「そ、それで私達にテロ対策への協力を?」

 

 私同様アリサもまだいまいち呑み込めていない様だ。だって、テロ対策で私達学生にお呼びが掛かるのかが少し分からない。そういうのは帝都憲兵隊や軍のお仕事だと思うだけど。

 

「ええ、鉄道憲兵隊も帝都憲兵隊と協力しながら警備体制を敷いています。ですが、とにかく帝都は広く警備体制の穴が存在する可能性は否定出来ません。そこで皆さんに”遊軍”として協力していただければと思いまして」

 

 私達の疑問に答える様にクレア大尉は理由を告げた。

 遊軍かぁ……つまり、本来の警備体制とは別にあくまで私達だけで行動する事を求められるということ。確かにそれなら、不思議では無いけど……。

 それでもまだ、少し負に落ちなかった。

 

「まあ、帝都のギルドが残っていたら少しは手伝えたんでしょうけどねー」

 

 クレア大尉の隣からサラ教官が何か含みのある感じで口を挟んだ。

 そういえばオリヴァルト殿下との晩餐会で、サラ教官は紫電なんていう二つ名を持つ程有名な元遊撃士という話だった。そして、遊撃士協会は帝都から撤退していて、今は私達がその支部を特別実習の活動拠点兼宿泊場所として利用している。

 

「ええ……それは確かに心強かったとは思いますが」

 

 クレア大尉は困った顔をサラ教官に向けた。

 

「……あの、サラさん。遊撃士協会の撤退に鉄道憲兵隊は一切関与していないのですが……」

「そうかしら? 少なくとも親分と兄弟筋は未だに露骨なんだけどね~」

「それは……」

 

 なんかケルディックの時にも思ったけど、この二人には因縁というか事情がありそう。

 ただ、この場に関してはサラ教官がクレア大尉をいじめてるとしか思えないのだけど。なんか、大人気無いし、大尉が可哀想だった。

 そして、私の中での憧れでもある二人がこんな感じなのはちょっと残念だった。

 

「ま、その兄弟筋も今はクロスベル方面で忙しそうだし」

 

 また少し良く分からない話。

 クレア大尉が警戒の色すら混じる驚きの表情を浮かべる傍ら、対照的にサラ教官が自慢気にほくそ笑んでいる事から、それが何やら重要な意味合いを持つことは多分この場にいる皆が分かっただろう。

 

 

「Ⅶ組A班――テロリスト対策に協力させて頂きます」

「同じくB班、協力したいと思います」

 

 本人達は否定しそうだけど一応各班のリーダーのリィンとアリサの答えが会議室に響く。

 結局、サラ教官に自分達での判断を促された私達は、クレア大尉の要請通り明日の帝都の夏至祭を狙ったテロ対策への協力を決めた。帝都を守るという重要な任務でもある為に、特に反対する仲間も居なかった。

 

 テロ対策の遊軍として明日は帝都内を巡回する事となった私達Ⅶ組の巡回担当のエリアは、特別実習通りにA班が帝都東部、B班が帝都西部を受け持つ。私達B班は南のズュートヴェステン地区に出てから北に向かい、ヴェスタ通りを経て帝都北部のサンクト地区、そこから最後にヴァンクール大通りに向かうという巡回ルートとなる予定だ。

 

 但し、これはあくまで午前中の巡回警備。

 午後には皇族の方々が各地の催し事に出席される事もあり、そちらへの巡回も重点的に行う必要が出てくる。A班は都心部のマーテル公園でアルフィン皇女殿下の出席される園遊会、私達B班はオリヴァルト皇子殿下の出席される帝都競馬場での夏至賞、そして皇太子殿下の出席されるヘイムダル大聖堂でのミサ。

 

 皇城バルフレイム宮や中央官庁街といった政府関連施設や帝都国際空港やここヘイムダル中央駅といった交通関連の重要施設は既に重点的な警備体制が敷かれているので、私達はあくまで最重要の保護人物である皇族の方々に目を向けていて欲しいという事だった。

 

「夏至祭初日の警備体制はここ近年で最大の規模――帝都内で動員される警備要員は帝都憲兵隊約1万人、私達鉄道憲兵隊は未明に到着する応援を含めて十個中隊、およそ1500人――総勢約1万1500人体制となります」

 

 簡潔に警備体制の説明をしてゆくクレア大尉。

 大尉の説明と帝都の全体の配置図を見る限り、概ね帝都全域に満遍なく配置されている帝都憲兵隊、そして重点的に警備すべき対象に配備されている鉄道憲兵隊といった所が読み取れる。

 

「えっと、バルフレイム宮を警備している領邦軍の兵隊さんは参加しないのですか?」

 

 エマの言う通りであった。今まで見たことのない紫色の領邦軍の制服を着た兵士達の数が入っていなかったのだ。

 

「近衛軍の事ですね。そちらの方は、残念ながら……」

 

 クレア大尉が目を伏せて、左右に頭を振った。

 

「先日、近衛軍からはあくまで独自の警備計画で動くと一方的な通達がありまして――帝都知事閣下が説得に出向かれていたのですが、折り合いを付けることは出来なかったようです」

「ま、そんな事だと思ったわ」

 

 大尉の残念そうな言葉に、サラ教官が案の定といった感じで呆れた様に両手を広げる。

 

「えっと、それって……」

「くそっ……これだから《貴族派》は……」

 

 特にマキアスはお父さんの説得で折り合いが付かなかった、というのにも怒っているのかも知れない。

 

「《貴族派》も大概大人気ないけど、アンタ達も無駄に煽り過ぎなのよ。ま、下らない縄張り争いに興味はないけど、頭数としては惜しいんじゃない?」

「……約三千の精鋭を擁する近衛軍の兵力は確かに惜しいですが――彼らが私達の指揮を受ける事を拒んでいる以上は致し方ありません」

「ふーん、まあ、あくまで想定内って事ね。バルフレイム宮は兎も角、園遊会のあるマーテル公園の警備、どうするのかしら?」

 

 サラ教官の言う通り、クレア大尉達《革新派》の鉄道憲兵隊は《貴族派》の近衛軍との協力は最初から難しいと分かっていたのかも知れない。現に、大尉はそこまで期待してなかった様な言い方であった。

 しかし、その後のサラ教官の言葉に、クレア大尉は少し申し訳無さそうな顔を浮かべていた。

 

 今日は本当にサラ教官はクレア大尉に突っ込むなぁ。さっきも思った事だけど、私の憧れの人でもある二人がこう仲が悪いのを目の前で見せ付けられると、やっぱり気が重い。

 

「A班の皆さんには申し訳無いのですが、マーテル公園の外側、帝都憲兵隊の管轄内まででお願いします」

 

 その指示に私達の向かい側に座るリィン達A班から意外そうな声が上げる。

 

「残念ながら、近衛軍が単独で皇城とマーテル公園の園遊会の警備の管轄権を主張して固持してしまっている以上、私達鉄道憲兵隊も入ることが出来ません。よって、私達の要請で動いている皆さんも立ち入りはまず認められないでしょう」

「やはりそうなりますか……」

「ふむ……」

「ちょっと馬鹿らしいかも」

「ああ、全くだ」

「え、えっと……そんなので大丈夫なんですか?」

「実力としては問題は無いかと――彼らは近衛軍であると同時にラマール州領邦軍から選抜された最精鋭でもありますから。ですが、何が起きるかは分かりません。私達も出来る限りのことは尽くすべきでしょう」

 

 臆せず訊ねたエリオット君に答えるクレア大尉の声はあくまでいつも通り冷静なものだ。だけど、その言葉にどうしても冷たい刺を私は感じてしまっていた。

 

「クレア大尉。勿論、何も起きない事が最も良い事ですが……もし仮にテロが起きたら場合はどうするのですか?」

「良い質問ねー、リィン」

「常に最悪の場合を想定して対策は立てられるべき、ということですね」

「まあ、アンタの事だから全て織り込まれた計画が組まれてるとは思うけど?」

「ええ、勿論です。最善はテロを未然に防ぐ事ですが――仮にテロが発生してしまった場合、何よりも要人――特に明日の催事にご出席される皇族の方々の安全は最優先で確保します。その際、状況次第では皆さんもご協力をお願いします」

「フン……当然だ」

 

 その後の、クレア大尉の説明で有事の際の行動について説明を受ける。

 概ね帝都憲兵隊が市中の混乱の収拾、鉄道憲兵隊が要人の保護とテロ組織構成員の鎮圧を担うとのことで、私達はあくまで”遊軍”なので、適宜サラ教官からの指示を受けて行動して欲しいとの事だった。

 

「テロ組織の情報は全然無いって言ってたけど、大尉さんはどの位の規模だと予想してるの?」

 

 フィーがクレア大尉に訊ねる。

 

「――あくまで私個人の分析であり、判断要素も不確定なものが多いですが――全体で百人未満の小規模な武装集団、構成員の大多数は”プロ”ではないと推測しています」

「ふーん、まぁ、ぶっちゃけ妥当かも。それ以上の数になると潜伏中に足が付きそうだし」

 

 アンゼリカ先輩と先週末に帝都に来た時、帝都東門では帝都憲兵隊の厳重な検問が敷かれていたのを思い出す。そして、ヘイムダル中央駅では至る所で鉄道憲兵隊の兵士が目を光らせていた。現状でも帝都では並々ならぬ警備体制が敷かれているのだ。

 そして、きっとスパイ小説みたいな感じで私服や変装をして市民に紛れている監視の目もある筈。

 

 フィーとクレア大尉、そしてサラ教官を偶に交えた専門的過ぎる話が続き、その中で、警戒すべき人物や不審物といった対象を細やかに説明される。

 少人数でも大きな効果を狙うテロリストは、その傾向として爆破や暗殺、誘拐といった犯行に及ぶ可能性が高いようだ。

 

「そ、その……もし、予想よりずっと……被害が大きくなったらどうなるんですか?」

 

 爆弾テロで炎上する帝都市街を想像して身震いした私は、思ったことをそのままクレア大尉に尋ねる。聞いたから失敗だと思ってしまったのは、そこで大尉が物凄く言いにくそうな表情を浮かべたから。

 

「私達の対応能力を大きく超えたと判断された場合、帝国政府による非常事態宣言の発令と共に、南西部のズュートヴェステン地区から帝都守備隊である正規軍第一機甲師団が治安出動して帝都全域に展開する予定です。その他にも、帝都近郊各所の拠点で即応体制をとっているいくつかの師団も一時間程度で帝都市街地内へ進駐出来る手筈となっています」

 

 正規軍の機甲師団が帝都内に進駐する。その言葉は、とても重かった。

 帝都憲兵隊はあくまで帝都の治安維持の為の憲兵隊で、鉄道憲兵隊も正規軍の最精鋭部隊ではあるけど、どちらかと言うとやはり治安維持に重きを置いている色合いが強い。

 でも、機甲師団は別だ。数百両を超える主力戦車と装甲車、一万人を超える兵士で構成されるそれは、紛れも無く戦争の為の力である”軍隊”なのだから。

 

「――ですが、これはあくまで最終手段。私達はそのような事態が引き起こされるのを未然に防がなくてはなりません」

「ま、正規軍の機甲師団に頼らざるを得ない様な状況になったら、アンタ達も親分も各方面から相当叩かれるでしょうからねぇ。否が応でも、第一機甲師団の治安出動は避けたいというのが本音かしら」

「――否定はしません」

 

 クレア大尉が目を伏せる。

 

「――ぶっちゃけこの状況、鉄道憲兵隊の《氷の乙女》さんとしてはどう見てるのかしら?そこんとこしっかり聞いておきたいわね」

「そうですね……”一切の予断を許さない危険な状況”――私はそう判断しています」

 

 いままでの隙さえあればクレア大尉にチクチクと意地悪するようなノリではなく、真顔なサラ教官。そして、それに応えるような氷の様に冷たく温度を感じさせない《氷の乙女》の言葉は私に重く乗しかかった。

 

 その時、私の脳裏にふと過った。

 少しずつ、でも、確実に、この帝国の平和と私達の日常が崩れていく様な、そんな不吉な事が。




こんばんは、rairaです。
閃の軌跡Ⅱは一応、終章まで来ました。それにしても最後の絆イベントの場所は……あてつけでしょうかね。

さて、今回は第四章の特別実習のニ日目の夕方~夜のお話となります。
遂にオリビエ&アルフィンとの出会いとなりますが、概ね原作通りのイベントとして変更点がありませんので大幅にカットしています。特に重要な部分のみ、次のお話へ持ち越しとなります。

そして、クレア大尉の登場です。原作より『テロ対策』という色を少し濃くして、深刻さを掘り下げて色付けていければと思います。
ちなみに、彼女と言えば個人的には閃Ⅱの三つ目の絆イベントが気になります……あれで終わりなのでしょうか。

次回はこの続きのお話です。
最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。

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