私はいま薄気味悪い迷宮――ダンジョンの通路を歩いている。
ダンジョンという単語は本来”城の塔”を意味していたが、いつしか塔の地下に作られる地下牢や拷問室等の人々が恐怖を覚える地下施設の意味も表すようになったとされている。
ゼムリア大陸における中世暗黒時代は戦乱の時代で、当時は色々な理由で遺棄された城は珍しくもなく、その様な古城の地下、本来ダンジョンと呼ばれていた場所には怪物――つまり大小様々な魔獣等が住み着いていたり、財宝――王侯貴族が残した装飾品や隠し財産などが隠されている事も多かったようである。
今日、小説や物語で語られる”ダンジョン”は、その時代の伝承等で語られている俗説だったり言い伝えを全てひっくるめてそう呼ばれているのである。
と、私は昔日曜学校の神父様が話してくれた、”ダンジョン”という言葉の由来について思い出す。
そして此処士官学院の敷地内の端に位置する古い不気味な建物の地下は、私の故郷の礼拝堂と似ている中世風の石造建築の様式で、足音がコツコツと通路に反響するのがまた雰囲気を醸し出す――これをダンジョンと言わず何をダンジョンというのか。
なんとも私が大好きな冒険物語におあつらえ向きな舞台だ。
(……と、でも思わないとぶっちゃけ雰囲気有り過ぎて腰が抜けそう……)
とりあえず私は少し気まずい女子四人のチームにいる。
青髪で長身の貴族の女子生徒のリーダーシップにより先導されて、何故か私も誘われてしまった。
出来ればリィンやガイウス、エリオット君と組めた方がある程度話した事あるので、そちらと一緒になりたかったのだが…。
しかし、貴族の方が折角誘っていただいたのに無碍に出来るだろうか。先程のマキアス・レーグニッツなら兎も角、私には到底無理な話であった。
それ以外のメンバーには、主席入学者だとサラ教官が言っていた眼鏡の――胸が”普通ではない”女子生徒。
そしてもう一人は――
「――ねぇ。ねぇ、あなた、聞こえてる?」
「え?あ、ごめん……なさい」
いま私の目の前に怪訝そうな顔を覗かせる、金髪でツーサイドアップの髪型が特徴の女子生徒。
朝、トリスタの駅でリィンと話していた可愛い女の子。
先程、リィンに完全に身体を預けきっており、半ば抱きしめられていた子。
こうして顔を覗き込まれでいる様に、私よりも少し背は低い。
そして――可愛い。考え込みながら歩いていた所を、いきなり現実に引き戻されたとしても何も嫌に思わないぐらいに。
「その……口の横、これで拭きなさい。みっともないわよ」
呆れが混じる声色の彼女は私にピンクのチェック柄のタオルハンカチを渡してくる。
少し気の強そうな彼女にはちょっと子供っぽい気がする意外な柄だった。
「へ?なんか付いてる?」
「うん。よだれの跡が」
「え」
彼女の即答に頭が真っ白になり、数秒時が止まる。
(ええっ、うわぁ…恥ずかしい……)
慌てて受け取ったタオルハンカチで口元を拭う。
まさか、入学式からここに来るまでⅦ組全員によだれ跡があるのを見せていたなんて。
正直、精神的ショックは大きい。
「式の最中、居眠りしてたのね…まったくいい歳して……」
その綺麗な深紅の瞳がジト目となり、私に向けられる。
同級生からたしなめられるとは中々照れくさいものだ。
「……あはは、ご明察……でも、どうもありがとう……えっと……」
「アリサ。あなたは?」
「エレナだよ、ありがとう。アリサ」
すごい自然に笑うことができた。
先程まで少し足が震えていたというのに。アリサには感謝しないと。
「どういたしまして」とアリサはさも当然の事をしたかように振舞う。
そんなやり取りを二人でしていたら、どうしても足が止まってしまっており…前の方から心配したかのような声がかかった。
「――二人共、どうかしたのか?」
「……あ、なんでもないです! 遅れてしまってすみません!」
慌てて前の二人の立ち止まっている場所まで私は駆ける。
「ふむ……?そなた、名は何という?」
「エ、エレナ・アゼリアーノです……そ、その……」
「私の名はラウラ・S・アルゼイド」
(ラウラ様かぁ……)
彼女は自らの名を名乗った後、少し間を置き咳払いする。
「エレナ、そなたは私へ恭謙に接しようとしている様だが――我らはこれから同じ学舎で切磋琢磨する学友同士。遠慮は全く不要だ。名前も呼び捨てで構わない」
ラウラ様は私の目をその透き通る山吹色の瞳で射抜くが、彼女の表情は柔らかった。
「じゃあ、ラウラ……で、いいの?私、ただの平民だよ?」
「ふふ、身分など私は気にはしない。武の道には貴族も平民も無いからな」
ラウラは私に向かって微笑みかけた後、「皆も以後よろしく頼む」と続けながらアリサとその横の眼鏡の子の方へも顔を向けた。
その後、私達は自然と自己紹介の流れとなった。
眼鏡の子の名前はエマ・ミルスティン。大人しそうだけど、優しくて面倒見の良さそうなタイプだと思う。
そして主席合格なのだから、頭は私なんかとは比べ物にならない程良さそう。しかしこのⅦ組というクラス、良い人をばっかりではないか。
ちなみに彼女は今まで見た事もない珍しい武具を手にしており、ラウラが不思議そうに尋ねていた。
「珍しい武具だな。どうやら中世の魔道士の杖の様な意匠ではあるが……」
「これは《魔導杖》といいます。基本的に近距離の無属性のアーツ攻撃が出来る武器……っていう所ですかね」
「ふむ……武器自体が一つの導力器なのか……私が導力器には詳しくないからだろうか、驚きしか感じれないのだが」
エマの魔導杖を説明でラウラが感心するが、エマとしてはやはりラウラの持つモノに視線が移ってしまうようだった。
「あはは……私からしたらラウラさんのその剣の方が……」
「凄いの一言に尽きるわね」
「剣より、その剣を持てるラウラが一番すごいと思う」
私も含めて三者それぞれ感想を正直に口にする。
どれぐらいの重量があるのだろうか、正直私の体重より重いと言われても不思議ではない金属の塊だ。
「鍛錬を積めば誰でも扱う事はできるのだが……」
(そ、その鍛錬が怖い……)
私たち三人は苦笑いしてお互いに顔を向けあった。
「そ、そういえばアリサさんの弓も珍しいですよね。それは導力式なのでしょうか?」
「一応、導力アシスト機能がある弓ね。まぁ、純粋に武器として銃と比べると殆ど何もかも見劣りしちゃうけど」
確かに”武器”としては弓は銃に劣る。
中世ならいざ知らず、現代において弓術という武術はというよりスポーツの方が近くなってきており、弓自体の性能も威力、精度、射程、連射性、整備性、携帯性――全ての面で銃に及ばない。それでも弓を選ぶ重要な理由がアリサの中にはあったのだろう。
「……弓術は伝統的な武術の一つで、東西問わず未だ多くの武術家の中で普及している。それは弓術が高い集中力と精神力を養うのに向いている武術だからだ。鍛錬を積めば決して銃に見劣りする事はないだろう」
弓の達人は今でも多いしな、とラウラは付け加えた。
彼女は励ましたのだ。
「ふふっ、ありがとう。なんだかんだ言って好きなのよね、弓」
アリサは少し笑うと、ラウラに感謝した。
いつか、”なんだかんだ言って”の部分を詳しくアリサが話してくれる時が来ると、私は思った。
そして、アリサはそのまま私の方に顔を向けて、「そうそう、エレナの武器は何なのかしら?」と問うて来た。
「ふむ、確かに気になるな」
「アリサの弓の話の後だと少し複雑なんだけど――これだよ」
腰のホルスターからそれを取り出し、セーフティのレバーが上がっているのをちゃんと確認してから、誰もいない方向へ構えてみる。
長さ二十リジュ近く――いかにも軍用といった角張った無骨な黒色のそれは、両手にずっしりくる重みを感じさせていた。
「導力銃……ですか」
「――『スティンガーシリーズ』、帝国正規軍の制式導力拳銃でラインフォルト社の歴史に残る傑作導力銃ね。うーん……このスライドの型はあまり見ないわね。中のガンユニットも確かめないと正確には分からないけど、形状は改良型じゃないから旧式かしら……」
真剣な眼差しで私の構えている銃を観察するアリサ。
「うんうん。お父さんが使ってた物みたいで。って……アリサ、詳しいね? 家は武器屋さん?」
「あっ、えーっと。それは……」
アリサがまるで何か隠し事がバレそうな時の子供の様に、目をきょろきょろさせている気がするのは気のせいだろうか。
「エレナは導力銃か。しかし、我らの様な歳の女子が軍用拳銃を使うとは何か理由があるのだろうか?」
ラウラは何か気がかりのように尋ねきたので、私は故郷が国境に近く昔から有事に備えての自主的訓練を領主の指示でやっていた事を説明する。
しかし、彼女は故郷レグラムで領民へ指南するアルゼイド流護身術を引き合いに出すものの、国境地域の領民の銃火器での自主武装はあまりいい話ではない、とあまり納得がいかない様子であった。
きっと彼女は真っ直ぐなのだろう。
彼女の父親はレグラムを統治する子爵家の当主だという、きっと万が一の時でも先頭に立って領民を導く素晴らしい領主様なのだろうと私は感じた。
そんな難しい話をしていると、エマが何故か安堵した様子で話題を変えてきた。
「ラウラさんもエレナさんも辺境の出なんですね、少し安心しちゃいます」
「ふむ、ということはそなたもか」
「田舎者同士仲良くしよーね!」
エマは嬉しそうに肯定する。私も嬉しかった。
そんな私達田舎者三人とは別に、アリサは笑いながらも少し残念そうにため息をついた。
「ということは出身は私だけ仲間外れになるわね」
「あ……ちなみにアリサさんは何処のご出身なんですか?」
アリサは自らの出身地がルーレ市であると告げる。ルーレ市とは帝国北部のノルティア州の州都であり、かの帝国最大の重工業企業であるラインフォルト社の本拠地。帝国有数の大都市だ。
ルーレと聞いた時から、私の頭には何故かリィンが浮かんでしまっていた。
この二人には出来れば早く仲直りしてもらいたい。アリサだって本音はそこまで怒っていないのは私にだって分かるし、あの気落ちしたリィンを見るのもなんとも居た堪れない気落ちになる。
しかし……私は少し魔が差してしまった。
「ノルティア州かぁ。リィンと同じじゃん。よかったね!」
「だ、誰があんな奴と同じで喜ぶのよっ! だいたいあんな不埒なヤツ――」
想像以上にアリサをからかうのは面白く、何か癖になりそうな気がする。
アリサは私から目を背けてしまったので顔は見えないのだが、あの出来事を思い出したのか耳が赤い。
・・・
前衛一人後衛三人というアンバランスなパーティではあるのもも、私達四人は至極順調だった。
いや、四人というより――特にラウラか。
身長と同じぐらいの長さの大剣をまるで自分の体の様に自在に扱い、圧倒的な攻撃能力で魔獣を次々に薙ぎ払うラウラ。それも複数の戦技を使い分けている様だ。
リィンが今日の朝、彼女を最初に見かけた時に言っていたように帝国の有名な武門の出なのだろう、少なくとも剣術に相当長けているのは確かだ。
ラウラと比べるのは少しアレだが、アリサとエマも中々にすごい。二人共アーツが得意の様で、アリサの弓は凄く上手い。
ただ導力銃を撃ってるだけの私より、支援アーツに攻撃アーツ…色々な事をしている。
私といえばオーブメントは苦手――っていうか難しく、今まで一回程しか触れていない。
その一回も詠唱中に戦闘が終わるという、我ながら素晴らしい使えなさだ。
タンッ タンッ
自分が引金を引く度に強烈な反動と共に、耳元で大きな乾いた音が鳴る。
二発の弾丸は目にも止まらぬ速さで、目の前の軟体魔獣《グラスドローメ》に突き刺さる。
しかしこの魔獣はゼラチンの様な体で、弾丸の威力は殆どその柔らかそうな体組織に相殺され、未だ健在だ。
「くっ……」
導力拳銃は口径や初速の問題で一発一発の威力はどうしても小さい。
小型の魔獣を殺傷するのには充分な威力こそ有るものの、ある程度大きさ以上の魔獣――特に硬い皮膚や甲を持つ種族相手や、目の前の奴の様に柔らかすぎて弾丸が致命打にならない種族では、どうしても補助的な火力となってしまう。
「エレナ、私に任せて! ――《ゴルトスフィア》!」
アリサがアーツ名を叫ぶと、中空に現れた二つの金色の光球が相互回転し、その速度を早めてゆく。
そして、グラスドローメが三匹が固まっていた所に光球が勢いよく着弾し、光芒が迸る。
「やぁっ!」
アーツの着弾を確認したラウラが突っ込み、止めを刺してゆく。
エマも後ろから前に出てきて、青い泡のような魔導杖の通常攻撃を浴びせた。
このダンジョン区画に入ってから何回目かの戦闘も、今までと同じく呆気なく終わった。
「ふう――こんなものか」
あれだけの剣を振り回して動き回るというのに、全く疲れた素振りを見せないラウラは流石である。
片や私とアリサはもう肩で息をしている有様なのに。しかしエマがそこまで疲れた素振りを見せていないのはとても意外だ。
辺境育ちということなので、意外と体力があるのだろうか。
「……はぁ、疲れたわね。この軟体型の魔獣は私やエレナの武器だとちょっと厳しいかも。アーツならダメージを簡単に与えれるけど……」
確かに私とアリサの銃と弓はあの魔獣相手には武器属性の相性が絶望的に悪い。
いや、武器属性ではなく単純な防御力だろうか。
「アーツは詠唱に時間がかかりますし……効果的に対処するには戦術を決めたほうがいいですね……」
「ふむ、確かにな。私の攻撃も至って効果的とは言えないしな……後方でアーツを担当するのがアリサとエレナ、詠唱の時間稼ぎを兼ねた攻撃が私とエマというのはどうだろう。見たところエマの魔導杖は効果的にダメージを与えれる様だし、この魔獣相手だと主戦力になりそうだな」
「うん、いいんじゃないかしら」
「はい、頑張りますね」
「う、うん……」
ラウラの理にかなった提案によって作戦会議はすぐにまとまるが、私がアーツ役というのは結構な大役なのではないだろうか。
そこはかとない不安感がよぎる。
(大丈夫かなあ、私…)
・・・
どうやら私達が進んでいた方向は行き止まりで、結局来た道を引き返している。
丁度、選択を間違えた分かれ道があった部屋まで戻ってきた所で、右手からリィン達の姿が現れた。
どうやら私たちが行き止まりから引き返してくる間に追い付かれてしまった様だ。どこかで合流したのだろうか、彼らの中には一人で先に進んだマキアスの姿もあった。
「っ……!」
「あ……」
アリサとリィンは目を合わせるとお互い気まずそうにしている。
とりあえず、私はみんなが話しやすそうな空気を作ることにした。
「あ、エレナ達! 良かった、無事だったんだね」
「やっほー、そっちも順調そうだね?」
流石はエリオット君、アイコンタクト一つで意図を察してくれる。
「みなさんも……ご無事で何よりです」
「ふむ、そちらの彼も少し頭が冷えたようだな」
「ぐっ、おかげさまでね……」
ラウラに対し少し悔しそうな渋い顔をするマキアス。
ここで私たちは再び自己紹介タイムとなった。私はここにいる人全員を知ってはいるのだが、他の子は知らないのだ。
途中、ラウラが貴族であることに気付いたマキアスが何か言わんとしていたが、ラウラの真っ直ぐな一言によって彼も考えを変えた。
本当に彼女は流石だ。私が男だったらもう惚れていたかも知れない。
そして自己紹介が終わった頃合いを計って、私とエリオット君は畳み掛けの行動を起こす。
「せっかく合流したんだし、このまま一緒に行動する?」
「あ、いいね! 私は賛成!」
どうせだからみんなで楽しく大人数でいこうよ――と続けて、私は向こうのパーティで主導権を握ると思われるリィンと、この流れに少し慌てるアリサをそれぞれ見る。
勿論、アリサに顔を向けるときは、ニヤつきを止められなかったが。
「そうだな、そちらは女子だけだし、安全のためにも――」
「いや、心配は無用だ」
ラウラはおもむろに大剣をリィン達の方へ構える。
(あ、あれれ?)
「――剣には少々自信がある。残りの二人を探すためにも二手に分かれたほうがいいだろう」
「そうですね……あの銀髪の女の子もまだ見つかってませんし」
私とエリオット君の即席の作戦が一瞬にして崩れてゆく。ラウラが反対するのは今思えば結構想定できた事なのに、そこまで思い至らなかったとは。
エリオット君に目を向けると、同じく彼もこちらを向いて残念そうに眉を下げていた。
「そういう事なら、別行動で構わないだろう。お互い出口を見つけつつ、残りの二人を探してゆく……それで構わないか?」
「うむ。依存はないぞ。――アリサ、エマ、エレナ、それでは行くとしようか」
ガイウスとこれからの方針を取り決めたラウラは、そのまま何事もなかったかの様に先へ進んでゆき、アリサは不機嫌そうにリィンにプンプンしてそれに続く。
先程のアリサの慌てた表情を見ていた私からすれば、彼女が安堵し胸を撫で下ろしているのは一目瞭然であったが。
エマも丁寧に皆に向かってお辞儀してからラウラ達へ続く、本当ここらへんの礼儀良さは主席入学の優等生といった感じだ。
「あー……ごめんエリオット君……せっかく協力してくれてたのに…」
「あはは……やっぱりまだ前途多難だね」
苦笑いするエリオット君。
私が取り敢えず別れを告げようとした時、先へ続く通路の壁からアリサが顔を覗かせ、私を大声で呼んだ。
「エレナ! 早くしないと置いてくわよ!」
アリサがプンプンしてたのはリィンに対してだけでは無かった様だ。
こんばんは、rairaです。
『スティンガー』は空の軌跡・零の軌跡で登場した導力銃のシリーズから採用しました。オリビエ、エリィの武器として登場していました。帝国軍の制式~辺りの設定は捏造ですが。
空FC・SC当時は帝国の描写は物凄く少なく、ラインフォルト社が武器製造の大企業であるのは語られていましたが、具体的に何を?となると導力戦車か『スティンガー』位しか無く、当時私が書いたオリビエ×ミュラー帝国コンビSS等では必ず帝国の人間が使用する銃をスティンガーにしていた覚えがあります。
そう思うと閃の軌跡によって、遂に帝国が舞台になった事は何とも感慨深いです。