光の軌跡・閃の軌跡   作:raira

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6月23日 茜色の屋上

 机の上におかれた安物の導力式時計の時針が垂直に下を指している。

 閉じたカーテンの隙間から漏れる光は、もう大分朱色を帯びていた。

 

 放課後のバイトもない日は、いつもであれば銃の特訓をするのだが――今日は何かをする訳でもなく寮の部屋へ真っ直ぐ帰り、すぐにベッドに寝転がっていた。

 横目に見えるのは私と同じくベッドに転がる、お気に入りのオレンジ色のリュックと制服の上着。もっとも彼らをベッドに投げつけた張本人は私であるが。

 

 ふと、私はリュックを手繰り寄せて、中身に手を突っ込む。重い参考書や使用感の薄いノートに、今日返却された中間試験の答案用紙を掻き分け、貴重品を入れる内ポケットのジッパーを開いた。

 

 赤色の薄い革手帳を手に取る――私が持つ唯一公的な身分証明書でもある、パスポート。

 仰向けに寝転がりながら、帝国の国章である黄金の軍馬の紋章が金色で印刷されている表紙を捲ると、すぐに少し恥ずかしい私の写真と基本的な情報について記されたページ目に留まる。

 その頁の自分の出生地の欄には、あまり耳にしない上に長ったらしい味気無い文字列が記せれていた。

 

 ”NORTHWESTERN TERRITORY”――北西準州と呼ばれるこの地域は、帝国西部のラマール州の北に存在する。正式名称”帝国政府直轄の北西部領土”――文字通り、帝都やここトリスタと同じ帝国政府の直轄領であるが、同じ直轄領でも意味合いは大きく違った。

 帝都やトリスタを含むその近郊都市は、帝国の長い歴史の中で一貫して皇帝陛下の領地として統治されてきた帝国の中心地であるのに対して、北西準州は最辺境に位置する場所であり、歴史的に重要な場所がある訳でも特に発展している訳でもない。そればかりか、ほんの十年程前までは帝国ですら無かった場所だ。

 

 いまでこそ帝国に編入され北西準州などという味気の無い名前で纏められてしまっているものの、本来はちゃんとした名前を持ついくつかの国や自治州であったのだ。

 つまり私が生まれた時は、その場所は帝国ではなく、紛れも無い外国だった訳である。

 

 ”帝都と四州”とは古来からの歴史的なエレボニアの国土を表す言葉であるが、同時にクロスベルの様な属州や北西準州等の近年の編入領土は帝国であって帝国でないと見下す意味をも持っている。

 事実、編入領土は北西準州を含めて現在の帝国ではもっぱら”外地”と呼ばれていた。

 

「別に私は外国でも外地でもどっちでも良かったんだけどね」

 

 思わずそんな独り言を呟きながら、赤色の革手帳をリュックの中に無造作に戻す。

 

「混血雑種、かぁ……」

 

 傷付いているか否かと聞かれたら、やはり私はパトリック様のあの言葉に傷付いたのだろう。心が、胸が、痛くない訳ではない。

 人の伏せておきたい、話したくない事をみんなの前であんな風に吐き散らすなんて流石はやはり貴族だ――これは、流石にマキアスの影響を受けすぎたかもしれない。でも、最近よく思うことだがマキアスの気持ちも良く分かる。パトリック様には確かに腹が立つし、悲しい。

 

 でも実際、彼に言われたことが事実であるのがもっと辛かった。

 

『辺境の土民』、『外地生まれ』、『混血雑種』――汚い言葉であるものの、間違っている訳ではない。士官学院に来るまで辺境に住んでいたのだし、私が生まれたのは北西準州という紛れも無い外地であり、私のお母さんがリベール人であるのも確かだ。

 

 謂れもない嘘や間違った事を言われるのなら、それは全力で否定すればいいだけだ。しかし、本当の事を否定すれば私が嘘つきになってしまう。勿論、私は絶対嘘を付かない正直者なんかではないし、嘘も方便であると思う。この際――と考えてしまいたくなるが、Ⅶ組の皆に自分の事に関して偽るのはどうしても避けたかった。

 

「でも……」

 

 だからといって、このまま隠し続けれるのだろうか。

 私は自分が帝国人とリベール人の間に生まれ、半分はリベールの血を引く事がみんなに知られてしまうのが怖い。

 幸いな事に、パトリック様は私がどこの血が混ざった”混血雑種”なのかまでは言わなかった。

 ならば別にこのままでいいじゃないか。元々、誰にも明かすつもりは無かったのだから。

 

(もう、この事を考えるのは辞めよう……。)

 

 自分でもどうすればいいのか分からなくなってしまいそうだから、私は他の事を丁度あの後に発表された今月の特別実習の事に関心を向ける。

 

 あの後、平常通りに実技テストは終わった扱いとなり、特別実習の班分けと実習地の発表となった。

 私は今回初めてB班となり、《ブリオニア島》という場所を目指すらしい。余り聞き覚えのない知らない場所だ。マキアスがなんか言っていたような気はするが残念ながら頭には入ってこなかった。

 A班はガイウスの故郷《ノルド高原》が実習地となっており、彼の実家に泊まるのだという。そういえばアリサは今回は念願が叶ってリィンと同じA班だ。いっぱい仲良くしてくればいいと思う。二人の仲も少しは進展してくれれば私の苦労も減るのに、と思ってしまうがあの二人には余り期待はできない。

 

 そして、肝心の私達B班のメンバーはマキアス、エリオット君、ラウラ、フィー、最後に私。考えれば考える程、気が重くなる面子だ。ラウラとフィーに挟まれた私はありったけの胃薬をベアトリクス教官にねだる必要があると切実に思う。

『一難去って、また一難』、とはよく言ったものだ。

 

 今月も大変そうな特別実習に思いを馳せていると、部屋のドアをノックされる音と私の名前を呼ぶ声がした。

 

「エレナ、居るかしら?」

 

 ドアを開けて開口一番に気が付いたのは、アリサの様子が少し違うことだった。大方私の事を心配してくれているのだろう。

 

「アリサ、どうしたの?」

「いま下で中間試験の返って来た答案の間違っていた所の復習をラウラと一緒にしているんだけど、あなたも一緒にやらない?」

 

 やっぱり。

 私もよく嘘が付けないだとか、思っていることが顔に出るとか言われるが、アリサも結構大概だと思う。なんていってもこの私がわかるぐらいなのだから。

 

 それにしても、ラウラ、かぁ。きっと、フィーにはエマが付いているのだろう。アリサとエマも苦労が絶えないのが窺える。

 

「うえぇ、容赦無いなぁ。やっと試験が終わって勉強から解放されたと思ってる私にそんな酷なこと言うの……?」

 

 でも、ごめん。勉強したくないのも事実なのだけど、今は少し一人の気分だ。心の中で折角気を遣ってお誘いしてくれたアリサに謝る。

 

「もう……そんな事言ってるとまた次のテストで苦労するわよ?」

「あはは……」

 

 少し怒ったような仕草をしながらも、呆れるアリサ。対する私が少しバカっぽい苦笑いしていると、すぐに目の前の彼女の顔が変わった。

 

「……ねえ、大丈夫?」

「――うん、大丈夫だよ!私はこの通り元気だから!」

 

 小さく胸の前で腕を引いてガッツポーズを作ってみる。少しわざとらし過ぎただろうか。

 

「そっか……ならいいのだけど」

 

 心配そうに揺れるアリサのカーネリアのような瞳に再び心の中で謝る。

 

「そうそう、晩ご飯は7時からってシャロンが言ってたわ」

 

 寝ちゃダメよ?、と付け加えて彼女は私に背中を向ける。

 

 私が何かに悩んだ時、すぐベッドに寝転がってそのまま寝てしまう事もアリサは知っていた。本当に何もかもお見通しという訳だ。

 

 

 ・・・

 

 

 第三学生寮には表からは見えない秘密の階段がある。寮一階の勝手口を出て隣の建物との間の狭い隙間に出ると、煉瓦造りの壁面に寄り添う様に作られた錆びた鉄製の外階段が備わっているのだ。

 それを四階分の高さを昇れば、寮の建物の屋上へと出れる。

 

 それぞれが大分離れた場所にある二つの物干しには洗濯物は干されておらず、既にシャロンさんが寮の中に取り込んだ事が分かる。つい1か月前はみんなそれぞれ自分達で洗濯もしていたというのに、いつの間にかシャロンさんがやってくれるのが当たり前になっている事に少し驚く。

 

(やっぱりお世話になってるなぁ……)

 

 入学したての頃、この屋上に物干しは一つしか無く、洗濯物の男女混合というトンデモ事態が発生しそうになった事がある。勿論、女子の尊厳に関わる一大事を看過できる訳はなく、主に当時リィンにツンケンしていたアリサのごり押しによって、歪な物干しをみんなで作ったのはいい思い出かもしれない。

 

 そんな懐かしい出来事を思い出しながら、私は屋上の端へと座り両足を宙に投げ出す。

 初夏の日差しをたんまり浴びた屋上の床が、日が落ちそうな今でも未だ温い。

 

 眼下には大陸横断鉄道の線路が、その向こう側には建物の姿は無く見渡す限りの更地と森林となっている。トリスタの街が駅の北側のみしか栄えていないのは、ちゃんとした理由があった。なぜなら、この線路を隔てた南側の広大な土地は皇室財産となっているのだ。ここからでは森しか目にすることは出来ないが、皇族の召し上がられる毎日の料理の食材の為に整備されている御用農園や牧場、主に貴族を招いて催される狩りの会場となる狩猟場等があるとされている。まあ、つまり関係者以外立入禁止の土地という訳だ。

 

 右の頬を照らす西日が眩しく、熱い。

 空は左手からもう暗くなってきており、トリスタ駅を越えて帝都へと至る線路の向こうへと、日が沈もうとしている。

 

 顔を正面へと戻すと、丁度南。私の故郷であるサザーラント州のある方角だ。

 そして、この方角をサザーラント州を越えて更に南にいけば、お母さんの生まれ育った国――リベールがある。

 

 私の故郷からだとクローネ連峰がリベールとの国境となっていたが、当然ながらここからあの天高く聳える白い山肌を望むことは出来ない。

 ここから望めるのは、既に暗くなり始めた夜空と夕焼けの境目の南の空だ。

 

 

 12年前――大きな戦争があった。

 世界において導力革命以後、初の国と国がぶつかり合った戦争として歴史に名を残す《百日戦役》。

 

 片や中世より大国として君臨する、西ゼムリアにおいての覇権を争う二大国の一、エレボニア帝国。片やその国土は小さくても長い歴史を有し、古来より大国と対等の関係を保ってきたリベール王国。

 

 帝国政府の公的な発表によると、1192年4月、帝国正規軍は約13個師団実働兵力20万人を超える大軍で帝国=リベール間の南部国境を突破しリベール領へと侵攻を開始。

 リベール軍の三倍以上の戦力、当時最先端の導力兵器が多数配備された帝国正規軍は破竹の勢いで進軍し、開戦後1か月も経たぬ間に王都グランセルとヴァレリア湖上のレイストン要塞を除くリベール全土を占領下に置いた。

 

 しかし、その1か月後、リベール軍が投入した三隻の世界初の軍用飛行艇によって戦況は大きく変わることとなる。

 陸と海という従来の戦場は大きく変わり、帝国軍は世界で初めて空から攻撃を受けた軍隊となった。将校も兵士も雲上の敵に狼狽し、帝国軍は最後まで混乱を立て直すことが出ずにリベール側の反攻作戦によって各地で敗走と降伏を繰り返した。

 

 結局、開戦から3か月後には帝国軍はリベール全土から完全に撤退を余儀なくされ、翌年1193年、帝国=リベール間の講和条約が結ばれ《百日戦役》は幕を閉じた。

 

 戦後、帝国政府と軍によって発表された帝国正規軍将兵の戦死者は2万人を下らず、負傷者は7万人に登った。実にリベール侵攻軍の一割が戦死し、戦傷者は三割近くという完全な壊滅状態であった。

 

 私のお父さんも軍人として従軍し、幸いな事に無傷で家まで帰って来てくれたものの、戦後も今に至るまで《百日戦役》について語ることは殆どなかった。多くの将兵が血を流し、命を落とした戦場は言葉にすることの出来ない程悲惨なものだったのだろうか。

 

 2万人の戦死者一人一人に彼らを愛する大切な人が居た筈だ。彼らのお父さんやお母さんが、旦那さんや奥さんが、お子さん、もしかしたらお孫さんもいたかもしれない。そして、恋人や友人も。

 あの戦争で亡くなった人が、自らにとって大切な人だった人間は帝国には大勢居る。

 

 戦死者の2万人という数字だけでも私の故郷の村の百倍近い人数なのだ。その遺族や友人、恋人、あの戦争で大切な人を失った人は何人居るのだろう。

 もはや想像も付かない。

 

 幸いな事に故郷であるリフージョの村から従軍したのはお父さんだけであった為に、私は彼らの事を直接は知らない。

 彼らがもし仮に私が半分リベール人である事を知ったらどう思うだろうか、そんなの簡単に理解る。もしあの戦争でお父さんが帰って来なかったら、私はリベールを酷く恨んだだろう。例え私の中に流れる血の半分がリベール人だと分かっていても、恨んだに違いない。あの戦争で数万人の帝国軍将兵を、彼らが愛した大切な人を殺したのは他ならぬリベール人であるのは事実なのだから。

 

 だから、リベールの血の混じる私は自らにそんな負の感情をぶつけられるのが、とても怖い。勿論、あの戦争に直接関係のない私を責めない人もいると思う。しかし、世の中がそんな人ばかりではない事ぐらいは知っている。

 

 Ⅶ組のみんなは優しいが、仮に近しい人をあの戦争で失っていれば――……。だから、私は絶対に言わない。

 

 リィンはケルディックからの帰りの列車で、隠していたのは不義理――そう言い、私達に自らが貴族である事を打ち明けた。

 フィーはバリアハート市の地下水道で彼女の正体を明かした。多分、隠す気はあまり無かったのだろう。

 アリサはシャロンさんが来たことによって名前を隠すことが出来なくなり、隠していたラインフォルトの家名が発覚した。だが、彼女はいつか話そうと思っていた様だった。

 

 それに比べて私は、今でも誰にも話す気は無い。パトリック様にあんな形で『混血雑種』であると皆の前で言われなければ別にこんな事、考えもしなかっただろう。

 

 私は帝国のパスポートだって持ってるれっきとした帝国国籍の、外地とはいえ現在帝国とされる場所で生まれ、帝国で育った帝国人だ。お父さんは帝国軍人であるし、お祖母ちゃんは百年続く酒屋の店主だ。

 自分が帝国人であることを今まで一度たりとも疑ったことはない。仮に今からリベールに行ったとしても、帝国人として育った私があの国に馴染めないだろう。

 

 バリアハートで会った二人のリベール人の旅行者を思い出す。

 あの時の彼らはとても私達に好意的だった、それこそ舞い上がって私自らお母さんがリベール人である事を口に出してしまった位だ。でも、リベールの人々が皆が皆彼らのように好意的に接してくれる訳ではないだろう。

 

 実際にリベールに行こうと思えば簡単に行ける場所に住んでいたのだ。リフージョからは定期的にリベールのルーアン市まで小さいながら交易船が出ていたし、パルム経由で飛行船に乗れば、半日でリベールの主要都市に行ける。しかし、私は故郷に住んでいた間リベールを訪れる事は無かった。

 それはやはり怖かったからだ。リベールの人に、今度は帝国人への恨みをぶつけられるのが。

 

 屋上に来れば少しは気も紛れるかと思って来たものの――いつもの事ながら、更に気分は沈んでいく。

 そんなだめな自分を自嘲していると、ふと後ろに人の気配を感じた。

 

「こんな所にいたんだな」

 

 座りながら後ろを振り向くと、そこには良い体躯の青年が立っていた。

 

「……ガイウス?……どうしたの?」

「シャロンさんから呼んで来るように頼まれてな。もう夕餉の時間だ」

「あー、そっか」

 

 なるほど、そういえばアリサも7時と言ってたっけ。ぼーっと考えているだけで、もうそんなに時間が経ってしまっていたのか。

 

「考え事か?」

「……うん、ちょっとね」

 

 シャロンさんの晩ご飯と聞けばいつもなら飛び上がって行くのだろうが、今日はもう少しここにいたい気分だった。

 でも、わざわざガイウスが呼びに来てくれたのだ。早く下の食堂へと行くべきだろう。

 そう考えて立ち上がろうとした時、私の隣にガイウスが胡座をかいて座った。

 

「少し、涼んでから行くとするか」

 

 

 ・・・

 

 

「ガイウスは屋上によく来るの?」

 

 少し驚いたのが、私の居場所を彼が分かったことだ。アリサやリィン、フィーなら分かったかもしれないこの場所も余り一緒に過ごすことのないガイウスが知っていたとは思えない。

 だから、少し思ったのだ。ガイウスもこの場所によく来るのではないかと。

 

「ふむ……よく、とは言えないかもしれないが、偶に星を見に来る」

「へぇ……同じだね」

「ほお……」

 

 これは新しい発見かも。もしかしたらガイウスもまた同じ事を思っているかもしれない。

 もう暗くなった右手の東の空を見上げる。まだまだ星空とは言いがたいが、微かに星が瞬いていた。

 

「星空を見てると安心するんだ。故郷にいた頃と比べて色々と凄く変わっちゃったけど、星だけは変わらないから」

 

 巨大な帝都やトリスタの街の灯によって故郷程の綺麗な星空ではないし、正確には場所が変われば星の位置が少しずれてゆくとも教わったので、全く同じ星空という訳ではない。

 それでも故郷で見る星と同じ星が、トリスタの夜空でも輝いているのを見ることが出来る。故郷の綺麗な星空も恋しいが、今の私にはこれで十分だ。

 

「なるほど」

「あの地平線のずっと向こうに故郷があって、星空を通してちゃんと繋がってるって思うと、辛い時でも頑張れる」

 

 同じ星空の下に大切な、大好きな人達がいると思って。

 

「考える事は同じだな」

「えっ……?」

 

 彼の言葉に思わず声が出る程、私は驚いた。

 

「何かおかしい事を言ったか?」

 

 不思議そうな顔をするガイウス。

 

「いや……ガイウスにも悩みとか……辛い時とかあるんだなぁって……」

 

 いつも優しく温厚で、その上凛々しさを感じさせるその長身の身体から、皆の頼れるⅦ組の大黒柱という感じのガイウス。

 そんな彼がダメダメな私と同じ様にこの場所で悩んでいたなんて。

 

「フフ、買いかぶりすぎた。そこまで人間出来ていない。オレも故郷の事を考えれば懐かしく思うし、どこか怖い時もある」

「ガイウスの故郷ってA班の実習地の……でも、なんで故郷の事を考えると怖くなるの?」

「ノルドは雄大な自然に囲まれる美しい場所だ。高原の住民はオレ達ノルドの民を除けば皆無、きっとこの帝国のどの場所より未開の地だろうと思う」

 

 ノルド高原と聞いて思いつくのはかのドライケルス大帝の挙兵地という帝国史的知識のみだ。ノルド高原という地がどのような場所なのかは私は全く知らなかった。

 

「だが、故郷を取り巻く状況は余り良くはなくてな」

「そっか……」

 

 ガイウスは何故、士官学院に来たのだろう。わざわざあんなに遠くの場所から。

 きっとそれ相応の理由があるのだろうと思うが、私には分からない。

 

「私も、故郷の事を考えると怖いんだよね」

「先月の特別実習でマキアスとユーシス相手に食いかかったんだったな」

「そ、そうなんだよね……あんまり言わないでおいて……」

 

 あの事を思い出すと今でもとても恥ずかしくなる。出来ればもう忘れ去りたいぐらいだ。

 

「都市と地方か……帝国はノルドには無い物が多いが、話を聞く限りその問題はあまり他人事ではないかも知れない――」

 

 そこで話は途絶えた。けたたましい汽笛の音と騒音とともに、眼下の線路を凄まじい速さで導力列車が目の前を通り過ぎていく。

 明らかにトリスタの駅に停まる速度ではない事から、大陸横断鉄道の特急列車なのだろう。目が追いつかない程速い列車の窓から溢れる明かりに、もう大分夜が近づいていた事に気づく。

 

 列車は余音を耳に残していくが、過ぎ去った後は嫌に静かに感じられた。

 

「きょうは、ありがとう」

 

 列車によって話題が切られてしまった数秒の静かな時間の後、私はガイウスに感謝の言葉を紡いでいた。

 

「何のことだ?昼間の事ならば、リィンにも言ったがオレは感謝をされるような事は何もしていない」

「そんなこと無いよ。私も、救われた」

 

 リィンの言葉を貰い、ガイウスの凛々しい横顔に向けて精一杯の笑顔を作る。

 

「それに、こうして付き合ってもらってる」

 

 少しの間を開けて、ガイウスは口を開いた。

 

「彼の言葉を気にするな、と言ってもそんな簡単な話ではないだろう」

 

 ガイウスは私がパトリック様から言われた言葉について触れた。

 

「ただ、どんなことがあろうともオレはⅦ組の皆の味方でありたい。皆も同じ気持ちだろう」

 

 こんな私でも、いまは何も話すつもりがない私でも?

 隠していると思わないのだろうか。そして、私が明かした時、万が一にも――。

 

「エレナもそう思っているからこそ、あの場で彼を止めようとしたのだろう?」

 

 そういえば――咄嗟の事で今の今まで考えることすら無かったが、私はパトリック様を止めようとしたのだ。

「黙れ」と一蹴され、その後に続いた言葉に蹴散らされてしまったが、あの時、Ⅶ組のみんながこれ以上罵られることを許すことは出来なかった。

 

「わ、私……」

 

 昔の私ならどう考えても、あの場で四大名門の領主様のご子息を止めようとする行動なんて出来無かっただろう。

 いつの間にか私にとってⅦ組の仲間は、ただの仲間ではなく、もっと大切な存在になっていた。

 

「オレにはそれだけで十分だ。そして、皆にもそれだけで十分だと思う」

 

 そう言うと、彼は立ち上がり私の背中へと近づく。

 

「さあ、行こう――皆、下で待っているぞ」

 

 そして、後ろから私に手を差し伸べてくれたガイウスの顔は、とても優しかった。

 

 私は、私の大切な仲間を信じればいいだけの話ではないか。

 今はまだ心の整理をさせてもらおう。きっといつか話すから、もう少しだけ待っていて欲しい。

 

 

 ・・・

 

 

 時を遡ること数分前、シャロンは階段に腰掛けて顔だけを屋上へ出して様子を窺う金髪の少女を見つけた。

 屋上で話す二人に気を取られすぎているのか、ここから見た彼女はスカートの中の下着が丸見えというなんとも間抜けな姿を晒している。

 

(まあまあ、リィン様にはお見せできないお姿ですわね。)

 

 シャロンの本音から言ってしまえば、この場にいるのが自分ではなくリィンだったら面白い事が起きたかもしれないのに、といった所だろうか

 すぐ傍の線路を列車が猛スピードで通過する音の後、いつまでもこのまま自らのお嬢様のあられもない姿を眺めているわけにもいかないシャロンは、聞き耳を立てる彼女に小さく声を掛けた。

 

「お嬢様」

「げっ、シャ、シャロン……!」

 

 飛び上がる様に驚く彼女の口に、シャロンは人差し指を当てた。

 

「シーッ、大声を出してしまうとお二人にバレてしまいますわ」

「ど、どうしてここにいるのよ……!」

 

 小声で文句を言うアリサ。

 

「覗き見もよろしいですが、シャロンが折角作った晩ご飯が冷めてしまいますわ。今晩はお嬢様の為を思ってお作りした大好物の煮込みハンバーグですのに――」

 

 シャロンはアリサの身体に腕を回してゆく、このまま抱っこしてでも下に連れて行くという意思表示だ。

 

「わ、わかったから……!行くから……!」

 

 音は立てれず抵抗の出来ない状況に観念するアリサ。渋々と言った様子で、静かに階段を降りてゆき1階の勝手口から寮の中へと入っていく。

 食堂からのアリサとⅦ組の面々の声を聞いたシャロンはふと、上――屋上を見上げた。

 

(ふふ、エレナ様へのお届け物は明日の方が良さそうかと思っていたのですが――今晩でも大丈夫そうですわね。)




こんばんは、rairaです。
さて今回はエレナがずっと隠していた事についてのお話でした。
前回のお話で彼女がパトリックにバラされてしまった二つの事柄、”外地生まれ”と”混血”について焦点を合わせています。

”外地生まれ”に関してはかなりの独自設定が入っております。原作ではラマール州の北にはジュライ特区がある事のみしか触れられていません。
エレナの生まれがサザーラント州ではないのはプロローグより触れていましたが、何故そんな場所の生まれなのかは3章の特別実習で明らかになる予定です。

”混血”は少し重いお話となりました。帝国とリベールという国に関係する以上、《百日戦役》に触れないという事は出来ません。
軌跡シリーズでは「空の軌跡」がリベール人のエステルを主人公としている為、どうしても主にリベール側からの視点で戦争が語られることが多かったのですが、この物語は主人公が帝国人ですので帝国側の視点で見てみました。

次回は夕食後の夜のお話となります。遂にシャロえもんがプレゼントを持ってきてくれました。

最後まで読んで頂きありがとうございました。楽しんで頂けましたら幸いです。

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