熱で溶かされ引き延ばされた。砂糖の粒、紡ぐ糸。指先、絡め、空で回して。立ち上る煙は、手繰り丸めた甘い糸に似て。星の銃弾は、まさに砂糖菓子のそれ。暗い夜空に浮かんだそれは、飛び交うそれは。星の下でまた瞬いて。冷たい地面に近い中空、ずっとずっと高い空から、まるで流れ落ちたよう。
放る彼女は、彼女自身は。色取り取りの甘い甘い爆発、私の知らない色に染まった。その空模様と打って変わって真っ黒で。金色の髪が空の明かり、咲いたそれに照らされて。
こいしの姿を探して浮かび。夜空を漂い、辺りを見回し。見回すうちに、地上、爆発、光の群れ。飛び交う、何か、空に浮く人。何度か姿を見掛けだけはした――郷の中心、紅と白。近く、白と黒……二人の少女の姿があって。
二人の姿、私の目、引き付けたのは。白と黒、小さな魔女。彼女のその姿は、人形に囲まれた彼女の夢で。星と人形、似た色の。彼女の心に浮かぶ彼女は、やはり、その、心の奥に。彼女の姿を思い浮かべた。
開いた第三の瞳。私の瞳は、
そんな、私の。夢と現実、重ね合わせて眺める私の、緑の髪を。一筋の光、冷たい光が。攫うように、裂くように穿ち。
「野次馬は誰? 天狗でもいるのかしら」
夜の闇。暗がりから。気付かれることは無いだろう、と。高を括った私へと。鋭く、その、言葉が投げられ。
赤い少女。澄んだ少女。空のよう、空のよう。余りにも澄んだ彼女の心、目を凝らさずともその奥底、深く深くまで見通せそうな―――
また。次は、赤と白。先のは、針で。次は、札。私の動きは余りにも遅く。札は速く。けれど、先の針より、は。痛くは無さそう、無さそうだと。
思った。頃には。
「っ!?」
私の手。避ける間も無く手を叩く。札、一枚の紙、当たっただけ。只の紙だと、紙だというのに。
激しい痛み。弾けるように。痺れるように。奪われるように。私の左手、只、一枚の札が貼り付いただけ。見た目変わらず、けれども、それは。
まるで。肉を抉られたよう……
「――痛、っ、何、痛、痛――」
札を剥がそうと。する頃にはまた、次の札。数枚の札。慌てて逃げるも、札は、札は。私の跡を追って迫り。
「良いじゃないか、見物客の一人や二人」
「視線が鬱陶しいのよ。地底のあれみたいに……いや、もっと」
言葉の意味、考える暇すらも無く。迫り来る札、それから逃げて、逃げて。左手の痛み、入らない力。怪我、肌の下、流れるだろう赤が覗くことは無いにせよ。剥がすことさえ出来ないまま。
彼女たちの遊びのように。弾き落とすことさえ出来ない。彼女たちの張るような、不可視の壁さえ生み出せず。夢の中なら知れず、荊の壁、札を阻む蔓の群。私の視界に落とされた、私の求める障壁は。全て、全て、幻視でしかなく。札と私、射線、遮ろうと。ただ、透けるのみ。何一つとして。何一つとして私を守るものは無く。
今までに無い速度。全力で空を飛び回る。あの時のよう。身体、獣と成り果てて。迫る蔦から逃げ回った――異なるのは。
「ッ、――」
咳。零れ落ちる歯車、部品。動き、鈍り、また。寸での所で札を躱して。
空を飛び回る。本の数枚の札。私がもっと速ければ、振り切り逃げだせたのだろう。辛うじて避けた札、新たな札。追い払おうとしているのだろうけれど、余りにも遅い私の飛行。避けるのに精一杯で、彼女達に。背を向け、逃げ出す暇もなく。只々、同じ場所を行ったり来たり。身体、疲れ、ぐらつく視界。せめて何処か、何処かに。逃げる場所は、隠れる場所はと、探し、探し、探して―――
「っ!」
見つける。その。広い広い、透き通ったそれへ。視線を向ける、心を繋ぐ。この身を空に投げ打って。その酷く澄んだ心へと、私の心を潜り込ませようと。札を躱し、否、躱せず。この体、全身に。走る痛みと、脱力感。体が落ち行く感覚と共に。
私は、この。脆い体を置き去りに。
「なっ」
瞳を、閉じた。
青い青い世界に浮かぶ。体の痛みは其処に無く。有るのは只、浮遊感。体を縛るものは何も無く。重みの一つも感じない。どうやら、現実。痛みからは。逃げ果せたようと安堵する。
そして。此処は、此処は。
『……やっと起きたか』
空、と。理解するが、早いか。鼓膜を揺らした、少女の声。
起き上がれば……空中で。体の向きを、変えてみれば。其処には。
「初めまして、霊夢さん」
紅白の少女。他の誰よりも朧な姿、形をした。器の中身、彼女の心。手を伸ばしても、きっと。掴むことすら。
『何処よ、此処。あんたは―――』
「誰なんだろうね。そんなことより」
彼女の姿は、ぼやけたそれで。視線の一つも合わせられない。面と向かって話すには……まるで。揺れる葉にでも語りかけるよう。
「もう少し、自分の姿を意識してほしいな。あなたの思う
彼女の心は。彼女にはない。目は、何処に向いているのか。言葉は、どこから紡がれているのか。
「あなたは、何なの? 他の人とは全然違う。人間?」
『――――失礼ね』
私の言葉。半ば、反射。一度思い浮かべたならば、それは、隠すことなど出来ず。彼女の姿は、先の空。紅白の服、黒い髪。姿形に納まって。
『人間よ。私は、博麗霊夢。巫女よ』
もう。彼女の姿はぼやけてなどおらず。はっきりとした姿。整った形。彼女の思う自身の姿、何一つとして飾らない。現実のそれと同じ姿。
しかし。
「……何だろう。」
まるで、仮の姿。それは、中身のない器――いや、
『……で。此処は、何処』
そんな彼女は、私に問いかけ。その目に映るのは、この空に映るのは。煙となって渦を巻く苛立ち、染まる怒りの色。例え、夢の中とは言え。彼女が腕を振るえば、私は容易く傷付けられて。
「此処は、あなたの夢の中だよ。あなたから逃げたくて、飛び込ませてもらったんだ」
『なんで、逃げるのに私の方に来るのよ』
仏頂面で言う彼女。苛立ちは未だ、空に渦巻き。それでも、先よりは晴れ、薄れたよう。外で見かけたときと同じ、喜怒哀楽がはっきりと浮かぶ――裏表の無い。考えたままに態度に浮かぶ心情、思考。他の人間とは異なった。そして。
彼女の心。幽かに感じる――
彼女が興味を持った人間。彼女がもっと知りたいと思った人間。それは、私の心もまた。無意識の内に惹き付けて。
「……あなたは」
何、と。彼女は。夢の中、瞳、第三の瞳、私の瞳。その三つ目の一つ目が、彼女の二つの目と繋がって。
瞳の奥、人間としての生、妖怪達と比べれば、余りに短いその記憶――けれど。それは、積み重なった活動写真のフィルムの山。幾つもの物語。目を引き付けて止まない、思わず見入る無数の景色、誰かの顔、先に見た。空を埋める花火、幾何学の光。
紅い屋敷。霧の世界。光を失っても尚輝く世界は紅く、紅く彩られた。
雪に混じる花弁。幽明の境。白い世界は、墨染め、満開の桜に塗り潰されて。
宴の日々。月明かり、照らされた白、酔いを運ぶ鬼の霧に覆われ。
永い夜。欠けた月。隠されたそれ、放つ狂気の色を見詰めた。
溢れ返る花。風の吹き荒れる山。地底の太陽。宝船の跡を追い、欲の生んだ心を追い。
続く、続く。物語。それは、今、この時まで。
彼女は、彼女は、多くの人、妖怪、境を超えて。今の私のように。幾つもの心を引き寄せた。記憶にある顔、私の知る顔。そう、そこには。
こいしの姿も。さとりの姿も。確かに、あって。
それは。余りに眩しい記憶、心。彼女の想いは、飾ることも無く。只々其処にあるだけ。誰にも揺れず。誰にも傾かず。在りのまま。そのままの姿を晒し続けるだけ、だけで。
こんなにも。多くの人、妖。その中心に、彼女は在って。
「――色んな人に好かれてるんだね」
傍迷惑な奴等にね、と。浮かぶ顔、浮かぶ顔。境の妖怪、鬼、天狗。悪魔や、亡霊、月の人。次々と浮かぶ顔、顔、声――
『……何、悲しそうな顔してるのよ』
無意識の内に。見れば、確かに、景色、空。彼女の心、先まで染まった怒りの色は失せた切り。覗くのは、私の色。冷たい色が滲んでいて。
言葉。発しようと想っても。何て、返したら良いのか。分からず。これは、空に浮かんだこの色は。他でもない、私の……妬み。僻みによって滲んだ色で。
一歩。彼女から遠ざかる。遠く聞こえる声、白黒の魔女、彼女が呼ぶ声……眠りに落ちた彼女を呼ぶ声が、聞こえて。
「……私は、行くね。ごめんね、遊びの邪魔をして」
そのまま。彼女に背を向けて――
手を、掴まれる。思ってもみなかった、彼女の行動。誰に対しても深入りせず……それも、たった今出会ったばかりの私に対して。
『……やめてよ。そんな顔向けられたら、目覚めが悪いったらありゃしないわ』
彼女は、言う。裏表の無い。なんら、意味を籠めたわけでもない。他意もない。彼女にとっては、只、自分の思いに則った――私のそれとは、余りに異なる。
酷く眩しい姿で。羨ましい姿で。
理解する。彼女は。自分の姿も意識せず。想うまま、誰もが羨む在りようで生きる。そんな彼女の眩しさ。揺れない姿。だから。
彼女達は。人妖は。そして、こいしは。皆、彼女に惹きつけられた。知りたいと思った。そう。
そう、理解して。
「……ごめんね。でも、もう大丈夫。ありがとう、あなたに会えて良かったよ」
掴まれた手。そっと、離して。
精一杯の笑みを向ける。彼女のようには成れないな、と。一つ、諦め、けれど。
何処か。何故か、晴れた心で。
納得したとは言い難い顔、そんな彼女を呼ぶ声、現へ引き戻される中。私は。
空へと。暗い、暗い、静かな空へと。一人、夢から抜け出した。