7月21日・夜
上条は足元に倒れている女性を見下ろしていた。
先程まで自分と交戦─と言うにはあまりに一方的であったが─していた聖人・神裂火織を。
『まさか、聖人なんてもんまで出てくるとはな』
『別に意外でもないだろ。イギリス清教に喧嘩売ろうって奴らなんだからな』
『それもそうか。にしても案外あっさり勝てたな』
『当たり前だ。お前の力は、かのミナ=ハーカーと同じなんだからな。それにマスターが血を吸った魔術師の中には聖人だっていたしな』
『つくづく自分が人間じゃなくなったんだって思い知らされるよ。ところでジェーン』
『なんだ?』
『お前、こいつが私利私欲でインデックスみたいな小さい女の子を追い回すような奴に見えるか?』
『見えないな、確かに。それに無理やり戦わされてるようでもなかった。つまり…』
『何かあるってことだよな。俺たちが思ってなかったような何かが』
『かもしてないな。だが、だからってどうするつもりだ?この女が何を考えてるのかなんて、わからないだろ』
『いや、わかる。あるだろ?1つだけ。魔術も超能力も使えない俺にも、相手の心を覗く方法が』
『まさかお前、この女を吸うつもりか?とうとう、生き血を吸うのか?マスターから力を継いで以来4ヶ月間、輸血用の血液しか飲まなかったお前が?自分のやりたいことだと嘯いて、人間をやめても人助けはやめなかった、偽善使いの上条当麻が?こんなところでいきなり自分の眷族をつくろうってのか?どういう風の吹き回しだよ?そいつは』
『そんな大袈裟に言うな。ちょっと傷口舐めるだけだ。眷族なんかつくらねぇよ』
『なんだよ。拍子抜けだな』
『お前が1人で盛り上がってただけだけどな』
そう言ってジェーンとの念話にけりを付けた上条は、気を失っている神裂の手から七天七刀を奪った。
神裂は上条に殴られただけだったので、派手な戦闘だったのにも関わらず、身体に出血しているようなところはなかった。
つまり今から傷をつける必要があるのだ。
上条は神裂の左手の親指の先に七天七刀で小さな傷をつけると、歯を立てないように気をつけながら、その傷を舐め始めた。
ちょっと変態っぽいが上条に邪な気持ちは一切ないので気にしてはいけない。
そうして、神裂の血を吸うことで、彼女の記憶を手にした上条は知った。
彼女が、かつて天草式十字凄教を率い、女教皇(プリエステス)と呼ばれていたことを。
彼女が、仲間たちの死に心を痛めて、イギリス清教に移ったことを。
彼女が、ロンドンでインデックスという名の少女と出会ったことを。
そして、インデックスの命が後6日で尽きることを。
7月22日・朝
「とうま!わたしはすっごく心配したんだよ!昨日、お風呂から出たら部屋にいなかったんだから!」
「わかった、わかった、わかりましたよ、インデックスさん。すいませんでしたって何度も言ってるじゃねぇか。そろそろ勘弁してくれよ」
「ふんっ!」
「不幸だ」
昨夜、神裂を倒した上条が部屋に帰ってみると、おろおろした様子のインデックスがいた。それも素っ裸で。
そして、上条が無事に帰ってきたと確認したあと、自分が服を着ていないことに気づき、顔を真っ赤にして、上条に噛みついたのだ。
その後はひたすら、先程のように、説教をくらっていた上条であった。
しかし、そんな上条の意識は全く違う方向に向いていた。
『完全記憶能力か…』
『まぁ、そうでもなければ10万3000冊の魔導書の暗記なんて無理だろうから、当然と言えば当然だな』
『それにしたって、それが原因で死ぬなんて…』
『…くだらない嘘っぱちをよく信じたもんだな、あの2人』
『いや、俺たちだって完全記憶能力のことを知らなかぅたら騙されたかもしんねぇぞ?あの最大主教(アークビショップ)、相当なやり手だな』
『なんたって“雌狐”なんて呼ばれるくらいだからな。嘘でも何でも慣れたもんなんだろうよ』
『でも、インデックスが記憶を消す前は苦しみ出すってのも事実みたいだしな』
『そりゃ、例の雌狐がインデックスに“首輪”を掛けてるってことだろ。大事な禁書目録なんだから、それくらいはしてることだろうさ』
『要するに、その“首輪”を俺の“右手”でぶち壊しちまえばいいって話だな』
『そういうことだ。だが、どこに術式を刻んであるかが問題だ。手で触れられない場所なら、その時点でアウトだ』
『まぁ、そこは見つけてからの問題だな。にしても、どこなんだ?』
『まず、目に付くところにないのは確定だ。2回も裸を見たし、神裂に至っては一緒に風呂にまで入ってたが、それらしいものはなかった』
『となると限られてくるな。口の中か鼻の穴か、それとも本当に触れる場所にはないのか』
『それしてもどうやって調べる?体中、触りまくるか?』
『上条さんはそんな変態みたい真似はしません!レントゲンでも撮れば、どこにあってもわかるだろ』
『また、あのカエル先生に頼むのか。あいつは本当に何者なんだろうな?吸血鬼も魔術も知ってるなんて』
『さあな。でも悪い人じゃないんだし、大丈夫だろ』
『このお人好しめ。でもそうなると、今度はどうやって医者に見せるかが問題だぞ』
『うぅ…』
しばらく悩んでいた上条だったが、不意にひらめいたようだ。
『そうだ!そうだよ。簡単なことじゃねぇか』
『おっ!何か思いついたのか?』
『ふふん。今日の上条さんは、いつもとは違いますのことよ』
『まさか、正直に話すとか言わないよな?』
『なっ、何でわかった!?』
『逆に、今までそれに思い至ってなかったお前に驚いてるよ。それじゃダメだから考えてるのかと思ってたよ。そんなんでいいなら、ととっと話せ』
『上条さんはどうせバカですよ』
「なあ、インデックス」
「ん?何かな?とうま」
「お前、ひょっとして、1年以上前の記憶がなかったりするのか?」
「え?何でわかったの?」
「やっぱり、そうなんだな」
「うん。1年くらい前、気付いたら日本にいて、昨日の晩ご飯も思い出せなかった」
「そうか。インデックス、お前に話さなきゃいけないことがある」
そう言うと、上条は話し始めた。
2人の魔術師と交戦したこと。
彼らがイギリス清教の人間で、インデックスの敵ではないこと。
上条の右手のこと。
そして、完全記憶能力のこと。
上条は全て話して聞かせた。
勿論、自分が吸血鬼だということは隠して、神裂が上条に話したことにしておいたが。
話を聞き終えたインデックスは、ショックを隠せない様子だったが、しばらくして少し落ち着くと、上条に向けてこう言った。
「とうま。何か隠してるでしょ」
「何でそう思う?」
「だって、いくらなんでも聖人を倒しちゃうなんておかしいんだよ。それに、そんな人たちが簡単に話すとは思えないんだよ」
「やっぱりそう思うよな」
(いくらなんでもバレるよな)
「でも…」
「ん?」
「わたしはとうまのこと信じるよ」
「え?だって今…」
「確かにおかしなところはあったけど、とうまはわたしを助けてくれたでしょ。だから信じる」
「インデックス…」
「どうしても言えないことなんしょ?だから、とうまが話そうと思うまでわたしは待つんだよ」
「そうか…。ありがとう、インデックス。それじゃあ、早速行くか?病院に」
「うん!」
同日・昼ごろ
「どうやら、喉の奥にルーンが刻んであるようだね」
インデックスのレントゲン写真を見ながら、カエル顔の医者が上条たちに説明する。
上条の思った通り、事情を話したらすんなり応じてくれた。
「これなら肉眼でも見えるじゃないかな。大きく口を開けてくれるかい?」
「はい。あ~ん」
指示に従ってインデックスが口を開く。
そこには、気持ちの悪い色のルーン文字があった。
「うん、もういいよ。これが原因と見て間違いないだろうね。まぁ君の“幻想殺し”なら簡単に壊せるだろう」
「幻想殺し?」
「君の右手のことだよ」
「なるほど。ありがとうございました、先生」
「気にすることはないよ。君もその子も僕の患者だからね、助けるのは医者の務めだよ」
「なんだか、かっこいいんだよ、せんせー」
「よし!それじゃあ帰りますか」
「うん!」
上条とインデックスの顔は明るい。もうすぐ片付くと思っているのだから当然だろう。
だが、彼らは忘れていた。
世界も運命も彼らにそこまで優しくないということを。
同日・夜
「ごちそうさまでした」
「よし!それじゃ、やるか」
「うん!」
病院から帰った2人は、すぐにルーンを消そうとはせずに、しばらく話をしていた。
インデックスが上条のことを知りたいと言い出したのだ。
だから上条は話した。自分の不幸な半生を。
道を歩けば犬に追いかけられ、お遣いに行けば財布をなくし、一緒に遊んだ友達は必ずと言っていいほど怪我をし、近所で“疫病神”と忌み嫌われるようになり、挙げ句の果てには借金苦の男に逆恨みで刺された。
そんないつも通りの話を。
上条の話を聞いていたインデックスは言った。
『とうまって右手の力が神様のご加護とかも消してしまってるんじゃないの?』
そうして話しているうちに夜になってしまったので、取りあえず夕飯にしたのだ(食費のダメージを減らすべく自炊です)。
そして現在にいたる。
「インデックス、口開けろ」
「うん」
上条が右手をインデックスの口に入れる。ぬるりとした感触に少々戸惑うも、喉の奥をつくように手を押し込む。
そして、奥のルーン文字に触れた。
バキッ!
嫌な音が鳴ったかと思った瞬間、上条は部屋の反対側まで吹き飛ばされていた。
突然のことに驚くも、すぐさま体勢を立て直した上条はインデックスを見る。が、今度こそ本当に驚かされた。
「警告、第三章第二節」
インデックスの2つの瞳に赤く光る魔法陣が浮かび上がり、機械的な声がインデックスの口から発せられている。
「Index-Librorum-Prohibitorum─禁書目録の“首輪”、第一から第三まで全結界の貫通を確認。再生準備…失敗。“首輪”の自己再生は不可能。現状、10万3000冊の“書庫”の保護のため、侵入者の迎撃を優先します」
『魔力はないんじゃなかったのかよ!』
『おそらく、これのために全て注ぎ込んでいるから、普段は使えないんだろ。ローラ=スチュアートは私たちが思っていたより、ずっとずる賢かったってわけだ』
『くそっ!』
「結界を破壊した魔術の術式を逆算…失敗。該当する魔術を発見出来ず。対侵入者用の特定魔術(ローカルウェポン)を組み立てます」
『だが、これ以上の細工はもう流石にないだろう』
『つまり、こいつをどうにかすればハッピーエンドってことだよな』
「侵入者個人に対して最も有効な魔術の組み合わせに成功しました。これより“聖ジョージの聖域”を発動、侵入者を迎撃します」
インデックスの瞳に浮かんでいた魔法陣が拡大した。
「“竜王の殺息(ドラゴンブレス)”だと!?」
魔法陣を読みとった上条は驚きのあまり声をあげるが、そんなことをしても状況は変わらない。
空間に亀裂が入り、そこから大質量の光の柱が現れる。
上条は右手を突き出して防ぐが、その威力は幻想殺しの処理能力をはるかに上回っていた。徐々に右手に食い込んでくる。
『当麻!これじゃあ、ジリ貧だぞ!』
『わかってるけど動けねぇんだよ!』
このままでは幻想殺しでさえ突き破り、光の柱が上条を飲み込んでしまうだろう。しかし、右手をどかすわけにもいかないため逃げられない。
上条とジェーンは打開策を考えるが、何もしないうちに竜王の殺息が右手を消し飛ばし、上条の全身を包み込んだ。
結果、上条は跡形もなく消え去り、部屋のドアがあったところには巨大な穴があいた。
「侵入者の破壊を確認しました。“聖ジョージの結界”の発動を停止しま…」
「「インデックス!!」」
インデックスが言い終える前に、上条の部屋に2人の乱入者が現れた。
神裂火織とステイル=マグヌスだ。
「今のは竜王の殺息…。一体どうなっているのですか?あなたは魔力を持たないはずでしょう?インデックス!それに上条当麻はどこに行ったのですか?」
「落ち着け…と言いたいが無理だろう。だが、考えろ神裂。どう見ても今の彼女は普通じゃない。大方、あの雌狐が仕込んでいた防護魔術か何かが発動して上条当麻を蒸発させたってところじゃないかな」
「ですが、彼女は魔力を…」
「これに使うために普段は出せないだけなんだろう。まったく、やってくれるよ」
ステイルは神裂に自分の考えを話すが、彼の顔も落ち着いているようには見えない。当たり前だ。彼が守ると決めた彼女がこんな姿になってしまっているのだ。落ち着いてなどいられるはずもない。
そんな時、インデックスが声をあげた。
「新たな敵兵の存在を確認しました。ステイル=マグヌスと神裂火織と確認。これより、この2名の迎撃に移行します」
「どうやら近付く人間は全て敵と認識するようです。厄介ですね」
「どうする?」
「どうもこうも、止めるしかないでしょう」
「そりゃそうか。やれやれ、インデックスの命を助けるはずが、彼女に殺されそうになるとはね」
毒づきながらも、ステイルがルーンのカードを撒こうとした、その時だった。
「ちょっと待った」
突然、彼らの後ろで声がした。
思わず振り返ると、そこには上条当麻がいた。
竜王の殺息で死んだはずの上条当麻がいた。
目を閉じたまま、こちらに顔を向けて立っている。
「あ、あなたは…」
「ん?神裂か。“死んだはず”って言いたそうだな。もうすぐ何でかわかるよ」
上条は軽く流したが、驚いているのは神裂だけではなかった。
「敵兵・上条当麻の存在を再確認。竜王の殺息による破壊から復活したものと推定」
インデックスも僅かに動揺しているように見える。
「以上の行為が可能な魔術を検索…」
「する必要ねぇよ」
インデックスの声に合わせて上条が言う。
そして、ゆっくりと瞼を開いた。
「これ見ればわかるだろ?」
そこには、禍々しく真っ赤に光る瞳があった。