21話 隻腕
9月3日
「上条くん。その右手どうしたの!」
登校して来た上条を見て、姫神は動転したような声をあげた。
「おはよう、姫神。先生から聞いてないのか?」
「カミやんと五和ちゃんが、一昨日の帰り道で事故に遭うたとしか聞いてへんよ」
上条の姿を認めた青髪もやって来た。
「そうか。俺の右手はその事故の所為だよ。五和はまだ入院してるけど大丈夫だ。怪我してる訳じゃねえよ」
クラスメートたちが上条の右の袖を見つめる。
肘から下には中身がなくヒラヒラとしていた。
「それで上条、お前は大丈夫なのか?」
余りにあっけらかんとした上条を心配して、委員長気質の女の子・吹寄制理が話し掛ける。
「ちょっと不便だけどな。大したことはねえよ」
そんなことを話していると、担任の先生が教室に飛び込んできた。
「上条ちゃん!大丈夫なのですか!先生は心配で心配で…」
合法ロリ教師こと月詠小萌は目に大粒の涙を浮かべながら上条を見つめる。
余程、気に病んでいたのだろう。
何とも生徒思いの教師である。
「大丈夫ですよ、小萌先生。ほら、この通り」
上条は左腕をグルグル回して大丈夫だとアピールする。
「強がっちゃって…。上条ちゃん、成績はよくても、やっぱりおバカちゃんなのです」
そう言って上条に微笑む小萌先生であった。
因みに、上条が登校したことを喜んでいたのは小萌だけではなかった。
『取りあえず、ちゃんと学校には通うつもりみたいで安心したよ』
『一晩中、お前が頭の中でうるさかったからな。まるで不良を更生させようとする熱血教師みたいに』
『お前が“真っ当な”吸血鬼にならないように頑張ってるんだよ、私はな。お前は優しい奴なんだから、“ミナ=ハーカー”の二の舞にはしたくないんだよ』
『心配しすぎだって』
『木原数多を殺った時のお前は、かなり危ないところまで行ってたと思うけどな』
ジェーンは、上条がとうとうキレてしまったのではないかと案じていたのだが、必死の呼び掛けの甲斐もあってか、彼は誰の血を吸うことも、誰かを殺すこともなかった。
『力を持つ者には戦いが付いて回る。だが、それを受け入れたら、お仕舞いだ。自我はねじ曲がり、戦いを受け入れるどころか、求めるようになってしまう。当麻、“ミナ=ハーカー”にはならないでくれよ。戦闘狂(ウォーモンガー)の上条当麻なんて見たくない』
これがジェーンの言い分だった。
「上条くん。一緒に帰ろう」
何はともあれ、1日の授業が終わった後、姫神が上条を誘った。
「ああ、別に構わないぞ」
「そう。良かった」
「上条くん。右手はどうなったの?」
学校から少し離れ、人が減ってきた頃に姫神が切り出した。
「朝言っただろ?事故で…」
「嘘。それなら治せるはず。誰かに取られたの?不思議な力のあるあの右手」
「姫神…」
『しようがないか…』
『おい、馬鹿はよせよ』
上条は両目を赤く染める。
“それについて考えるな”とでも命じれば、彼女とてこれ以上の詮索をすることはないだろう。
今の上条はかなり神経質になっていた。
美琴と五和が凶弾に倒れたことで、自身の不幸体質について、長らく忘れていた気持ちが蘇ったのかも知れない。
とにかく、自分の内面に踏み込んでこられることを極端に恐れていた。
「その目で。私を見ないで!」
しかし、普段とは大違いに声を荒げた姫神に、思わず元に戻してしまう。
「ごめんなさい。その目で私を見た“人”はみんな。私が殺してしまうから」
“吸血殺し”を持つが故に、彼女は数多(木原は関係ない)の吸血鬼を、その意思に反して殺してきた。
そんな彼女が、自分の恩人兼想い人である上条が、吸血鬼の片鱗を見せるのを良しとする筈がなかった。
「答えたくないことを聞いたのなら。別に答えなくてもいい。もう。聞かないから」
「悪い」
『そんなポンポン人の頭弄るもんじゃないぞ』
『俺の“不幸”に巻き込みたくないんだよ』
『人の記憶を消したり、意志を曲げたりってのは、殺しちまうことと大差ないんだ。いい加減にしろよ、当麻』
『わかってるよ』
上条と姫神が話していた頃、学園都市のゲートに3人の侵入者が現れた。
しかし、“警備員(アンチスキル)”は無反応だ。
それもその筈、彼らは全員、気絶していた。
「他愛ないわね」
「ヴェントの“天罰術式”の効果は流石ですねー。異教徒どもがあっという間に静かになります」
「無駄な戦いをせずに済むのは良いことなのである」
“天罰術式”とは、ヴェントに対して敵意・悪意を抱いた者を距離・場所を問わず昏倒させるという魔術である。
彼女の、舌につけた鎖と十字架の霊装と、“神の火(ウリエル)”としての性質があって初めて使える。
神の右席のメンバーは、人間が生来持っている“原罪”を可能な限り薄めることによって、人間よりも天使に近い身体的・魔術的性質を持っており、4人それぞれが四大天使の性質に対応している。
ヴェントは“神の火・ウリエル”
テッラは“神の薬・ラファエル”
アックアは“神の力・ガブリエル”
そして、この場にはいないもう1人
右方のフィアンマは“神の如き者・ミカエル”
ただし、“原罪”とは“知恵の実”のことでもあるため、彼らは普通の人間が使える魔術を使えない。
例外もあるのだが、それには後ほど触れよう。
そんなこんなで、フィアンマを除く神の右席は学園都市まで吸血鬼狩りに来たのであった。
堂々と正面ゲートから侵入してきたにもかかわらず、辺りは思いのほか静かだった。
まあ、当然だろう。
対応しようと現れた警備員たちは端から天罰術式にやられて気絶しているし、彼らが情報を送っていれば、それを介してヴェントを見た人間にも天罰術式の効果が現れる。
今、この街の防衛機構は完全に止まっていた。
「現在、吸血鬼の魔力が発せられている座標が送られてきたのである」
探索班からの通信を受けたアックアは2人に言った。
「ミナ=ハーカー?」
「いや、もう一方だけようである」
「チッ!めんどくさいわね」
「自らの眷属がやられれば、もう一方も出てくるでしょう。焦る必要などありませんねー、ヴェント」
「それもそうね」
「では、また魔力が絶たれぬうちに急ぐのである」
彼らは真っ直ぐ上条の方へと向かっていた。
「み~さ~かさ~ん」
「げっ…」
その頃、美琴は面倒な人物と出会ってしまっていた。
「撃たれたって聞いて心配してたわぁ」
「そりゃ、どうも」
長く伸ばした金髪、星マークが光る瞳、長身痩身、そして中学生とは思えないふくよかな胸。
彼女の名は食蜂操祈という。
美琴と同じく常盤台中学の生徒にして、LEVEL5の第5位である。
能力名は“心理掌握(メンタルアウト)”。心理操作系では最強と謳われている。
「連れないわねぇ」
因みに美琴は彼女のことが嫌いだ。
直情型の美琴と、陰湿な性格の食蜂は反りが合わない。というより、美琴が一方的に受け付けない。
「それにしても、御坂さんの回復力は流石だわぁ」
「人を何だと思ってるのよ?腕のいい先生が治してくれたからに決まってんでしょ」
「そうは言っても、私だったらそんなに早く治らないと思うけどぉ」
「アンタに体力がないからでしょ、それは」
「ひどいわぁ」
軽口を叩く食蜂だったが、そこでふと何かに気づいたようだ。
「ねぇ御坂さん」
僅かに食蜂の声色が堅くなる。
「最近“精神攻撃”か何か受けた?」
「は?そんなことあるわけないじゃない」
LEVEL5の電撃使いである美琴は、常に電磁バリアを纏っているため、食蜂ですら精神に干渉することは出来ない。
尤も、会話の内容からして何かしらを感じとることは出来るようだが。
「ふ~ん。それもそうよねぇ」
「アンタまた何か企んでるの?」
「まさかぁ。ところで御坂さん…」
食蜂は何となく、不思議なことに関わっていそうな名前を挙げる。
「“上条”先輩は元気ぃ?」
これに想像以上に大きな魚がかかった。
「誰よ?そいつ」
「え?」
美琴の知らない筈のない名前である。少なくとも食蜂はそう思っていた。
「ええっと、黒髪でツンツン頭で…」
「だから誰よ?」
嘘ではないように食蜂は思った。
心は読めなくても美琴は顔に出しやすいタイプなだけに分かりやすい。
「そう…」
悩ましげに食蜂は顎に手をやる。
「またね、御坂さん」
「え!ちょっと…」
唐突に告げると、止めようとする美琴は無視して、食蜂は去っていった。
「上条先輩の不思議力は侮れないわねぇ」
美琴には聞こえないように呟く食蜂であった。
「あれであるな」
神の右席の3人は、遂に上条を視認した。
「どうやら上条当麻は右腕をなくしたようであるな」
「なるほど、魔力が探知できたのもそれで説明がつきますねー」
「んじゃ、ちゃっちゃと始末しちゃいましょうか」
「待つのである、ヴェント。隣に民間人らしい少女がいるのである」
「どうせ異教徒なんでしょ?関係ないわよ」
そう言うと、アックアには耳を貸さず、ヴェントは手に持っていたハンマーを振るう。
突風が生まれ、上条と姫神へ向かう。
「早まるな、ヴェント」
「これは聖戦なのですよ、アックア。異教徒の犠牲など気にしている場合ではありませんねー」
「テッラ、貴様もか…」
テッラもヴェント周りの被害に気を配るようなことはしない。
彼らの頭の中にあるのは“神の敵の抹殺”という目的だけだ。
「姫神、危ない!」
対して、姫神と歩いていた上条は、ヴェントの放った突風に気付き、姫神を掴まえて後ろに跳んだ。
「誰だ!」
姫神を背に庇いながら、上条は風の来た方向を睨みつける。
目は真っ赤に染まっていたが、後ろの姫神には当然見えない。
上条の視線の先には、奇抜な格好の男女が3人いた。
「魔術師か」
「そんなところである」
曖昧に返すとアックアは“金属棍棒(メイス)”を取り出す。
5mを超えるそれをいとも簡単に片手に持った。
「聖人か?」
「その通りである」
「アックア。くっちゃべってないでとっととやるわよ」
上条と話すアックアをヴェントが戒めるが、名前を出したのはまずかったようだ。
「アックア…」
名を聞いた上条は考える。
『イタリア語で“水”だよな』
『ああ。それに、アイツらの格好よく見てみろよ。わかりやすく色分けしてあるぞ。青、緑、黄色だ』
『とうとう、ローマ正教が本気になったってことか』
「お前ら、神の右席か!」
「おや、バレてしまいましたねー」
ことここに至って、上条は敵の大きさを認識した。
「姫神!後ろに走れ!」
「で。でも…」
「いいから行け!」
渋る姫神だったが、上条の剣幕に圧されて従った。
姫神を見送った上条は眼前の3人を睨みつける。
「心配せずとも民間人を巻き込むことは本意ではないのである」
「信じねえよ、悪いけどな」
上条はアックアの言葉を一蹴した。
しばし双方睨み合いが続いたが、テッラが沈黙を破った。
「アックア。もういいのでは?あの女もかなり離れましたねー」
「うむ」
促されたアックアがメイスを構える。
そして、一直線に上条に向けて跳んだ。
「当たらねえぞ!」
一の太刀を上条は難なくかわすが、そこで後ろから突風が吹いた。
咄嗟に横に跳んでかわす。
見ると、ヴェントがハンマーを振るっていた。
そして彼女の舌からさがる鎖と十字架が揺れていた。
「その十字架をハンマーで叩いたら、叩いた方向に風が吹くのか?」
「さあ?どうかしらね!」
言いながらハンマーを振るうヴェントだが、突風は上条の予測通りに吹いてくる。
その間にもアックアはメイスを振るうので、上条は聖人の攻撃と突風を同時に避け続けることになったが、まだ余裕の表情だ。
「今度はこっちから行くぞ!」
上条がそう言うと、彼の影から黒い犬が現れて3人に向かっていった。地獄の黒犬だ。
「仕方ありませんねー」
そのとき、攻撃に参加していなかったテッラが動いた。
「優先する。人体を上位に、悪魔を下位に」
“犬”は、彼らに襲いかかった瞬間に消滅してしまった。
訝しむ上条を待たず、テッラは更に唱える。
「優先する。聖人を上位に、吸血鬼を下位に」
アックアが上条に襲いかかる。
「芸がねえな」
またも避けようとする上条だったが…
「遅いのである!」
「なっ!」
今度はメイスが上条を捉えた。
「ぐはっ!」
上条の全身が、まるで弾けたように裂けた。
まだまだ彼らの戦いは始まったばかりである。