上条とエツァリがとある約束を交わしていたころ、窓のないビルでは1人の“人間”が顔を歪めていた。
「一方通行を吸ったか。やはり、そう思い通りになるものでもないな。まあいい。“計画(プラン)”は加速している。それならば、こちらで微調整くらいはせねばな」
そう言うと統括理事長・アレイスター=クロウリーはとある通信回線を繋いだ。
「“猟犬部隊(ハウンドドッグ)”、木原数多」
学園都市の闇が上条に迫っていた。
いや“学園都市の”というのは誤りだった。
「吸血鬼だと!?」
聖ピエトロ大聖堂の中で驚きの声をあげる老人がいた。
彼の名はマタイ=リース。現職のローマ教皇だ。
「そうよ」
そんな彼にタメ口、どころか上から目線で話しかける女がいた。
顔には数え切れないほどのピアス、着ている服は全て黄色という格好の彼女は“神の右席”という組織の一翼を担い“前方のヴェント”と呼ばれている。
彼女は今、とある命令書へのサインを求めている。
「アドリア海の女王がぶっ壊れる前に情報が来たのよ。学園都市の例のガキは吸血鬼だって」
表向き、ローマ教皇はローマ正教のトップである。
しかし、神の右席はローマ正教の最暗部であり、その権限は教皇以上のものがある。
「しかし、吸血鬼といってもただの1匹に、教皇名の討伐命令も、まして神の右席も大袈裟過ぎはし…」
「ワラキア公ヴラド3世」
教皇の言葉を遮って、ヴェントはとある男の名を告げる。
それによって教皇の顔付きが変わった。
「あれはとうの昔に死んだ筈ではないか」
「そうよ。吸血鬼・ドラキュラはもう死んでいる。でも、その眷属は?史上最強の吸血鬼の唯一の眷属はどうだったかしら?」
「ウィルヘルミナ=ハーカーか。この名もドラキュラが狩られて以来、聞かなくなったがな」
「それがいたのよ。学園都市に」
「何だと!?」
「どこの誰か知らないけど、ウィルヘルミナ=ハーカーの魔力を探知した奴がいたのよ。8月21日の学園都市で」
「何ということだ…」
教皇は思わず天を仰ぐ。
「一体どうやってそんな大物を抑えているのだ?学園都市は」
「知る訳ないでしょ。それに案外イギリス清教の方かも知れないわよ。実際、女王艦隊を潰したのは“必要悪の教会”と“上条当麻”だったんだし。ほら、とっととサインしなさいよ」
「いや、しかし、そんな大物を狙うのならば…」
「“よく考える必要がある”とか言う気じゃないでしょうね。神の右席が書けって言ってるんだからアンタの考えなんて関係ないのよ。敵対するものは叩いて潰すのが私のやり方」
そう言って目の前に突き出された命令書に、マタイ=リースは渋々といった具合に自分の名前を書く。
こうして『吸血鬼・ウィルヘルミナ=ハーカー及び上条当麻を早急に抹殺せよ』という命令が、ローマ教皇の名のもとに出された。
こうして、科学サイドと魔術サイドの両最暗部より、上条当麻はターゲットとなった。
そして、もう1ヶ所。
「女教皇様には本当に申し訳ないのよな。しかし、我ら天草式十字凄教は決断したのよな」
ロンドン近くの日本人街にある天草式の拠点で、元教皇・神裂火織と現教皇代理・建宮斎字が膝をつきあわせて話している。
建宮から呼び出された神裂が、到着してからの第一声があれだ。
恐らくは、難しい問題なのだろうと察した神裂も堅い表情になる。
「謝る必要などありません。今更あなたたちの教皇には戻れませんから」
「そう言ってもらえるとありがたいが、我らは女教皇様への裏切りにも等しい行為をしようとしているのよな」
「建宮。あなたがそこまで言うほどのことなのですから、私はとやかく言うつもりはありません。どういうことなのか説明して下さい」
「実は…」
建宮がゆっくりと口を開く。
余程、言い難いことなのだろう。
「我ら天草式十字凄教は…」
神裂がゴクリと唾を飲み込む。
「上条当麻への…」
唐突に上条の名を持ち出した建宮は、その後の言葉を一気に言いきる。
「五和の恋を応援することにしたのよな!」
「はい?」
真面目な顔をしていた神裂だったが、思わず表情を崩して聞き返す。
しかし、建宮は止まらない。
「女教皇様の気持ちは皆知っていたのよな。しかし!あんな乙女な顔をした五和を見たのは初めてだったのよな」
「あ、あの…」
「それで応援しなくて仲間と呼べるだろうか。いいや、呼べんのよな!」
「建宮?何か悪い物でも食べたのですか?」
あまりに真剣な調子で語る建宮を心配し始めた神裂だったが…。
「女教皇様も上条当麻を想っているのを知っておいて、こんなことをするのは裏切りだということはわかっているのよな。本当に申し訳ない」
「それは違うと言っているでしょう!」
結局、いつものように怒鳴るはめになった。
こうして、学園都市、ローマ正教、イギリス清教という三勢力が上条当麻を狙うこととなった。
1つだけ“狙う”の意味がおかしいようだが…。
9月1日・朝
とある高校
「どうしてこうなった…」
新学期初日、始業式の前のホームルーム中に上条当麻は唖然としていた。
今朝、教室に入ったら、男子全員から謂われのない罪で鉄拳制裁を受けた。
それはいい。悲しいがいつものことだ。
普通の男子高校生の拳では上条はろくにダメージも受けない。
『転校生の姫神秋沙。よろしく』
アウレオルスの一件で助けた姫神がクラスメートになった。
それも問題ない。
小萌先生は預けたからにはこうなると思っていた。
しかし今、上条の、というよりクラスメート全員の目の前に、いる筈のない少女がいた。
「転校生の天草五和(あまくさ・いつわ)です。よろしくお願いします」
ショートヘアに二重瞼が特徴的な女の子。
『なんか天草式にいた五和って子とそっくりだな』
『現実逃避してる場合じゃないだろ、当麻。あれは間違いなく天草式にいた五和だ』
『やっぱり、そうか。そうですよね、そうなんですねの三段活用!』
『毎度思うが、その口癖面倒くさいな』
『何で魔術サイドの人間がここにいるんだよ!』
『お前流に言うところの“不幸の前兆”ってやつだな』
『そうだよな、やっぱり。はあ、不幸だ』
「今回の転校生は2人ともカワイイ女の子なのです。喜べ野郎ども。残念でしたね子猫ちゃんたち。それじゃあ、姫神ちゃんも五和ちゃんも席に着いて下さいなのです」
上条の苦悩を余所に、小萌先生が持ち前の明るい調子で話を進める。
そして、着席を促された2人が一番後ろの席に向かう途中に、上条の側で立ち止まった。
「上条くん。久しぶり」
「よろしくお願いします、上条さん」
「ああ、久しぶり、2人とも」
女子2人の転校というイベントに浮かれていた男子たちだったが、この台詞を聞いて石のごとく動きを止める。
そして一瞬の後に、一斉に上条を睨み付けた。
それはもう、睨むだけで人を殺せそうな視線だった。特に青髪ピアスのが怖い。
「カミやん、許すまじ…」
「また上条かよ…」
「何であいつばっかり…」
「あの馬鹿は、本当に…」
「上条くんがまた…」
「私の気持ちは届かないのかな…」
「あの野郎、死ねばいいのに…」
「一体どういう関係なんだろう…」
「きっと上条くんが危ないところを…」
「上条くんが不良から助けたとか…」
「階段で転びそうなところを助けてくれたとか…」
「俺に春は来ないのか…」
「わかってるな?お前ら…」
「始業式の後に…」
「小萌先生がいなくなったら…」
「また面白くなってきたにゃー」
教室がヒソヒソ声に溢れかえる。
合間合間に男子たちの不穏な計画が聞こえてきた。
訳知りの土御門は面白がって助けはしないらしい。
もう、言うことは1つしかないだろう。
「不幸だ…」
放課後、校舎内に上条の悲鳴が響き渡った。
「大丈夫ですか?上条さん」
「ああ、いつものことだよ」
現在、上条と五和は食堂にいる。
戦闘職である五和が心配するほど、先ほどの上条は酷い状態だった。
因みに、怒れる男子たちは通学路に出て上条を探している。
上条が校門を出た後に、また校舎に戻るというトリッキーな動きで撒いたからだ。
それ故、ここはしばらく安全な筈だ。
「それで?何でここにいるんだ?まさか、ただ転校してきただけって言わないよな」
「勿論、違いますよ。私の任務は上条さんの護衛です」
「護衛?」
「はい。女王艦隊の一件がありましたから、ローマ正教から刺客が来るかも知れませんので」
「情報漏れたのか?俺がいたことは極秘だとか何とか土御門が言ってけど」
「いいえ。だから“もしも”の話です」
「それにしたって、ローマ正教に襲われても別に大丈夫だと思うぞ。そんな簡単にやられないって」
「確かにそうなんですが、建宮さんが“行け”と。最大教主からの命令でもあるらしいです」
「ふ~ん」
もちろん、これは五和と上条をくっつけるべく建宮が頑張った結果である。ローラ=スチュアートまで抱き込むとは大したものだ。
「ところでさ五和、お前能力開発どうするんだ?」
能力開発を受けてしまうと、魔術は使えなくなってしまう。より正確に言うと魔術を使うと身体にダメージを受けてしまうのだ。
土御門元春も他聞に漏れずそのジレンマを抱えている。いつぞや、血を吐きながら人払いの結界を張ったのがいい例だ。
「それならちゃんと考えてあるみたいですよ。なんでも、私は“原石”ということになっていて”詳しく調べるまでは能力開発をさせないように”ってお達しが出てるそうです」
“原石”とは、学園都市で人工的に作ったのではない、天然物の能力者のことだ。
人工のものとは方向性が異なる能力らしいので“調べるまで開発をするな”という指令が来ても疑う者はいない。LEVEL5の第7位・削板軍覇の能力などは、数多の科学者が正体を突き止めることに匙を投げるほどだ。
「そうか、良かった。土御門みたいになるんだったら何とかして帰さないとなって思ってたんだ」
「建宮さんはそんな酷い人じゃありませんよ。上条さんはやっぱり優しいんですね」
「そうか?当たり前のことだろ」
そうは言っても、上条の“当たり前”は少々度が過ぎている。
上条が当たり前という行為で、一体何人の人間が救われてきたのかは言うまでもないだろう。
「それで?話って何?」
その頃、“救われた人間”の1人である御坂美琴はカエル顔の医者の病院にいた。
「実はお姉様に会って頂かなければならない人がいるのです、とミサカは告げます」
そして、美琴を呼び出した、彼女の“妹”・御坂妹ことミサカ10032号は、美琴を奥にある病室まで案内する。
「あ!お姉様だ、ってミサカはミサカはいきなり飛びついてみたり!」
「ええっ!」
病室のドアを開けると、小さな人影が飛びかかってきた。
慌てて引き剥がすと、そこには美琴の幼少期と瓜二つの幼女がいた。
「はじめまして!ミサカの名前は“打ち止め(ラストオーダー)”だよ。“検体番号(シリアルナンバー)”は20001号、“妹達”の最終ロットとして製造されたの、ってミサカはミサカは元気よく自己紹介してみる!」
「“打ち止め”?」
「そうです。この幼女は全てのミサカの司令塔たる上位個体なのです、とミサカはチビな上位個体を鼻で笑いながらお姉様に報告します。フッ」
「ちっちゃくないよ、ってミサカはミサカは憤慨してみる!」
「え、えっと、どういうこと?」
話についてこれていない美琴に御坂妹が説明する。
打ち止めは妹達の最後の個体である。
妹達が反抗した場合に抑えるための制御盤のようなものである。
数日前、天井亜雄という研究者に特殊なウイルスを打ち込まれ、妹達を暴走させそうになっていた。
天井からは逃げ出したようだが、行方知れずになっていた。
今朝、誰かが見つけてこの病院に届けられていた。
誰が見つけたのかは分からない。
ウイルスは削除済みであった。
天井は捕獲され警備員に引き渡された。
現在はカエル顔の医者と芳川桔梗という研究者が面倒を見ている。
大まかにはこんなところだった。
ウイルス云々の件では唇を噛んでいた美琴だったが、説明を聞き終わった後に荒れるようなことはなかった。
元気そうな打ち止めが目の前にいるのが大きかったのだろう。
「そっか、また妹が増えちゃったわね」
「そうですね、とミサカは肯定します」
「ねえお姉様遊ぼうよ、ってミサカはミサカはお姉様の手を引っ張ってみる!」
「え、えっと…」
「構いませんよ。今日は上位個体を紹介するためにお呼びしただけですので、とミサカはお姉様にお子様の相手を押し付けたいという思いを隠して言います」
「隠せてないけど。じゃあ遊ぼっか」
「うん、ってミサカはミサカは大きな返事!」
元気に遊ぶ打ち止めだったが、彼女の頭の中では、天井のものとは違うウイルスが発動の時を待っていた。