白光。
轟音。
爆熱。
西日の斜影を払った一撃は確かな手応えを南方棲鬼――否、南方棲戦鬼に感じさせた。
終わってみればあっけない――少女は自分が逆上して戦鬼とまでなってしまったことを忌々しげに思いながらつまらなさそうに水蒸気の白煙の中を見やる。
やがて彼女が身にまとっていた鬼気もゆるゆると落ち着きを取り戻し、少女は再び戦鬼からただの鬼へと戻った。
艦娘達への牽制になる鬼を
しかし、それでも自分の目の前にいた泊地の鬼はもとより、その後方右寄りに立っていた見知らぬ鬼もただでは済まないだろう。
それを当然のこととして受け止めた少女は何かに気がついたかのように視線を移す。
「あら、ちょうどいいタイミングねぇ」
水を割り裂き、水中から岩肌のような壁面が姿を露にする。
彼女たちが戦っていた海域のすぐ近くで、まるで勝者が決まったことを祝福するかのように現れたのは棲艦島だった。
持ち主を失った島を自分好みに造りかえるのも暇つぶし程度にはなるだろう、そう考えた南方棲鬼は未だ晴れぬ霧を一瞥し、その脚を飲み込むようにして広がる蛇尾を海面に一打ち。
――尾の一振りで覗いた霧の晴れ間にありえない光景を見た。
「っ!?」
勝利を確信していた少女は、首筋が粟立つ感触を覚えながら、その薄い桃色の髪を振り払って背後を見た。
視界には酷過ぎる火傷のために表面から血が滲み始めている泊地の鬼の少女。息も絶え絶えに水面に臥し、その
少女の思惑通り、轟沈はせずともなんとか撤退が可能な程度の大破だった。圧倒的な勝利でありながら、真の敵である艦娘たちを増長させないための手加減は完璧にうまくいっていた。
「ハク、大丈夫ですかっ!? ねぇ、返事して下さいよ! ハク!」
なのに、なぜ、もう一人の少女は無傷なのか――?
耐えられたわけがない。あの至近距離で、手加減があったとはいえ自分の火力を受けて耐えきれる存在など自分自身を含めてありえない。冷や汗が南方棲鬼の背中を滑り落ち、そこで、ハタと気がついた。
泊地の鬼が身を呈して少女を守ったのではないか?
もしくは、ありえないほど低い可能性の連鎖の結果、全ての砲弾が彼女に当たらなかったのではないか?
「……万に一つの可能性を拾ったならすぐに逃げ出さないと」
何かしらの結果、弾が当たらなかっただけと理解した南方棲鬼の少女は余裕を取り戻した笑みとともにアイリを見下ろした。
別に、自分の全ての力を振り絞った攻撃が避けられた訳ではない、ならば、もう一度同じことをすればいいだけ。当り前のことに当り前のように気付いた少女は慈悲も優しさもなしに、もう一度、一斉射撃を行った。
白光。
轟音。
爆熱。
まったく同じ光景。
なにもかもが、数分前と寸分違わず再現されている。
傷だらけで倒れるハクも、満足そうに笑う南方棲鬼も――ハクの華奢な体を抱きとめ必死に呼びかけるアイリの姿でさえも。
「なっ、んで! 当たってないのよ!!!」
一度目は
そこで弾が止まってしまえばその後方にいたアイリには弾が当たらない可能性もゼロではない。
二度目も
抱きとめていたハクの影に隠れれば、やはり弾を防げるかもしれない。
ならば――
「三度目は、ないわよね!?」
南方棲鬼の蛇尾が鋭く振られ、ハクの身体を弾き飛ばす。
既に意識を失っていたその身体は、まるで水切りのように波間を一回二回と跳ね、遠くで着水した。
アイリの視線は、それでもハクから外れず、まるで南方棲鬼などいないかのように彼女を見ない。
少女はその姿に得体のしれない感情を抱きかけ、それを振り払うように叫ぶ。
「いいわ!
最早、一切の手加減は不要。
そう判断して、南方棲鬼は今まで以上に苛烈な火力を、しかし冷徹に狙いを定めて放った。
障害物もなく、彼我の距離はたった四、五メートル。そんな環境ではかえって外すことの方が難しい。
吐き出された砲弾は空気を引き裂き、水面を抉り弾きながら――それでもアイリの横をすり抜ける。
「ハク……」
そして、当人は自分が攻撃されたことなど、やはり無関心で遠くに弾き飛ばされた自分の仲間の元へ歩み寄る。
「そんなにそっちに行きたければ、私が連れてってあげるわよ!」
理由は分からないが攻撃が当たらない。
そんな苛立ちを声に出し、それでもおさまらない激した感情とともに南方棲鬼は蛇尾を繰り出した。
数々の提督たちを恐れさせる鬼としての存在感はそこになく、本当に、ただ理解できないことに癇癪を起こす少女としての行動は――
「っあ……」
今度こそ、アイリをとらえた。
確かな感触に、逆に攻撃をした少女の方が驚く。
しかし、その驚きも一瞬。
打撃ならば当たるのだと、少女の顔は嗜虐的な喜びに満たされていった。
「
吹き飛ぶアイリに、しかしそれ以上の速さで南方棲鬼の少女が追いすがる。
追いついた瞬間、アイリの柔らかそうな腹を引き裂かんと鋼鉄の爪が振り下ろされた。
「Proposition"κανείς δεν μπορεί να την σκοτώσει"
RocationA(135,97,573)
RocationB(179,97,567)
Supposition Act=Probability(EnemyAtack"Claw"|ActiveAtack"ArmerBrake")*
Probability(ActiveAtack"ArmerBrake")/Probability(EnemyAtack"Claw")」
意味不明な言語の羅列。
鋭い切っ先がアイリの柔肌に突き刺さるその瞬間、アイリの口から感情の伴わない“それ”が奔る。
感情が伴わないのはアイリの声だけでなく、表情もだったのだがそれを確認することは彼女には出来なかった。
そこからの動きの変化は鮮やかでありつつ緩やか、そして、なにより奇妙だった。
南方棲鬼は驚き頓狂な声を上げつつとも、その手は止めていない。
にもかかわらず、その爪は受け止められる。
「え?」
――まるで、肩から先が消え飛んだのではないかというような速さで動いたアイリの右腕によって。
しかも、それだけでは終わらない。
その、艤装の重量を含め数百キログラム、もしかしたら千キログラム以上とも思える南方棲鬼の身体を、空中にいるアイリが吊り上げ、半身を捩るようにして海面に向かって投げ落したのだ。
数メートルも上がった水煙が晴れた時には、南方棲鬼の少女は海面に大の字になり、動揺のためか全ての艤装も消えていた。
「……あれ?」
そこで、ようやくアイリの声にも理性の色が戻る。
目の前にはアイリ自身の手によって押さえつけられている南方棲鬼。
何が起きたのかを考えようとして、しかし一斉射撃を受けてからの記憶がすっぽり抜け落ちていることを確認して、首を傾げる。
彼女の主観において、自分はあの砲撃から今の今まで気絶していたはずであって、自分の腕の下に南方棲鬼がいる理由がない。
「貴女……いま、何をしたの?」
南方棲鬼の口から出たのはもっともな質問だったのだが、彼女以上にアイリの方がその答えを求めていた。
自分が何をしたかどころか、何が起きたのかすら分かっていないのだから
結局、曖昧に笑うことしかアイリには出来なかった。
たとえそれが相手を怒らせるということくらいは分かっていても。
「いいわ……なら力づくで――っ!?」
「んっ――!」
眼前にせまる貫手。
本当に突き刺さるのではないかというその勢いにアイリは身体を固め反射的に目を閉じる。
一秒、二秒と時間が過ぎ、それでも痛みは届かない。
走馬燈でも見ているのかとアイリが恐る恐る目を開けてみれば、顔から数センチというところで止まっている指先が見えた。
鋭く伸ばされた南方棲鬼の指から血が滴り落ちた。
「テイトク、は、守る」
「ハク……?」
吹き飛ばされ気絶していたはずのハクがアイリを庇うように立ちふさがっていた。
気がついたのかとアイリは喜んだ。
しかし、貫手の先から流れる血はハクのもの。
焼け爛れた手の平が貫手によって抉られていた。
零れ落ちる血は止まることなく、むしろ傷が広がっているのか勢いを増しているが、それでも南方棲鬼の指先はアイリに触れるどころか動くことすらない。
「提督……?」
「アイリは、わたしのテイトク……文句、ある?」
ナオもアイリの頭を貫かんとする少女の手をハクが力尽くで振り払い、二人が組み合う。
「私たち深海棲艦に提督ですって? ……馬鹿馬鹿しい! そんな艦娘と人間みたいな真似をしてどうなるっていうのかしら?」
「シらない……わたしが、欲しいと思った。だから、アイリはわたしのテイトク……!」
未だ、平然と動く南方棲鬼と比べて、血を流しているハクはアイリの目から見ても明らかなほどふらついていたが、それでも不思議と決定的に不利というわけではないようだった。
これが意志の力だと言わんばかりに、ハクは吠え、唸り、喉を鳴らしながらハクは南方棲鬼に応戦する。
「アイリはコワれかけたシマに来てくれた……! わたしたちを守るってイってくれた! だから、わたしも守る!」
言いきったのと同時に、ハクのブローが敵の少女に突き刺さった。偶然か狙ったのか、ハクが叩き折った肋骨の真上。
南方棲鬼もこれにはたまらないと顔を顰め大きく後ろへと飛び退った。
「……なぁるほど、ね」
しかし、すぐに、ニヤリと妖しく笑う。
「新種の鬼、洋服、アイリ、組織的な深海棲艦の資材補充、提督、当たらない弾幕、棲艦島……そっか、貴女、人間ね?」
「……それが、どうかしましたか?」
問い返しながら、アイリは考える。
どうやら人間と深海棲艦には明確な違いがあるようだと。
当たらない弾幕、という言葉には特に興味を覚えたが、そこから推測できる答えを試す度胸まではアイリには無かった。
「決まってるわ……ころ――」
殺すだけよ、という言葉はやはりハクに邪魔されて言いきれない。
しかし、南方棲鬼の少女は既に標的をアイリのみに定めたのかハクに応戦しながらも視線だけはアイリに固定されていた。
「人間なんて、全員死ぬべきだわ」
「一応、深海棲艦の味方として提督やってるのにそんなこと言われるとショックですね」
「そうやって、また、私たちを沈めるんでしょう?」
口調は静かに呟いた南方棲鬼の少女の声には今までとは比べ物にならないほど暗く、深い憎しみが込められているのをアイリは感じ取った。
それだけで身がすくむほどの怨嗟の声は、しかしアイリに疑問を呼び起させる。
(深海棲艦が人間を恨む……単純な覇権争いのようなものではないみたいですね)
よくよく冷静に考えてみれば深海棲艦と人間が争わなければならない理由は必ずしも無い。
例えば人間は陸上から、深海棲艦は深海鉱脈からというように資材の確保についても住み分けができているため、そもそも人間が海に出なければならない理由が『深海棲艦を倒す』こと以外にない。
深海棲艦とそれなりに生活を共にしてみれば彼らが本能的に人間を天敵と見ているわけではないことも理解できる。もしそうならばアイリはとっくに知能が低い(と思われる)駆逐艦などに襲われているはずだ。
そして南方棲鬼の言った“また”沈めるという言葉とが示すものは彼ら深海棲艦の成り立ちから考えればおのずと導き出される。
(深海棲艦――彼我の艦艇のネガティブな想念の塊)
そんな艦艇達の、もしかしたら乗組員達の無念をも飲み込んで形に成ったのが深海棲艦――そう考えていたから、提督達は人間と深海棲艦が争うことに疑問を持たない。
自由度という言葉に支えられた各々の
――もしかしたら、深海棲艦には“設定された”憎しみ以外にも、何か確固とした目的があるのではないか――
たかがゲームの敵キャラを、過大評価しているだけなのかもしれない。しかし、既に短くない時間を深海棲艦と過ごしたアイリには、彼らが決められたプログラムに則った行動しかしない存在だと割り切ることも出来なかった。
「あなたには、深海棲艦となる前の……ただの軍用艦だった時の記憶があるんですね?」
記憶や思い出といったものは人格を決める一つの要因となりうる。
南方棲鬼の少女にも記憶があるのならば――たとえそれが電子的な
「あなたは、何を求めているんですか?」
それを見極められないかと、何気なく放たれたアイリの問いは果たしてアイリが思っていた以上の効果を上げた。
問答しながらも続いていたハクと南方棲鬼との交戦が一時的に止まる。そのまま身体は動かさず、睨むような視線だけがアイリへと向けられた。
「私の、求めてるもの? ……そんなの決まってるじゃない」
言葉とともにハクが突き飛ばされる。
その急な動きに、そもそも無理を通して動いていたハクもあっけなく吹き飛ばされた。
「……敵よ。戦うことこそが
アイリがやはり、と納得するとともに、不用意な問いかけで少女の闘争心を刺激してしまったことに後悔する。
何かしらの信念が有ると予想していたものの、それが戦うことそのものに直結するとは考えていなかったのだ。
(どうしましょう……?)
幸い、南方棲鬼の少女は艤装を解いている。それに肋骨を折られたダメージもあるはず。ならば勝機はあるとアイリは自分を奮い起たせる。
今必要なのは相手の戦意を挫く方法。
「勝ちたいというのなら……やるべきことを考えなさい」
アイリの身体に染み付いた口癖以上の癖。
小さい頃から自分の行動を自ら意識的に律してきたアイリにとって、自分自身への命令というものは一つの儀式となる。
超能力や魔法などとだいそれたものではないものの、それはアイリを半ば強制的に冷静にさせる。
その一瞬だけは頭の中から
――相手は手負い。
しかも、理由は分からないが絶大な火力を見せつけた艤装類は全て無くなっている。
折れた肋骨に打撃を集中させることができれば相手も戦うどころではなくなるはず。
――被害は許容範囲。
ハクは大破負傷を負っているが、自分自身は蛇の尻尾のようなものに吹き飛ばされた一度きり。
その一撃で気を失いはしたが身体へのダメージは少なかった。
――なぜ、自分が一斉射撃を避けられたのか。
推測は出来ている。ただし実戦でいきなり試すことができるほどの確証はない。
――火力がたりない。
――策は、あるか。
……ある。
「ハク、私を――」
「うん、しんじる」
アイリが問いかけるよりも先にハクが応えた。
あえて大破艦を使う作戦内容なんて数えるほどしかないというのに。
「じゃあ、時間稼ぎを、お願いします……」
最近思うのが評価で1~3、4~7、8~10って大して違いがない気がする。
もうBadとGoodだけでいいんじゃないかな