「それで、なにがあったんですか?」
先の爆撃は一体なんだったのか、その答えの予想をしつつアイリは質問した。
「……セイキテイトクノカンムスタチガ……ユルサナイ」
声を震わせ、怒りを露にする泊地棲鬼にはリアルではなかなか見ることのできない迫力があった。
アイリはその姿に少し怯えながらも頭では別のことに思い至る。
「正規提督……そっか、私は非正規ってことになるんですね」
その場の勢いだけで深海棲艦の提督になると決めたものの、よくよく考えてみればこれは凄いことなのかもしれない。
もちろん、そんな選択ができるというゲームの自由度の高さもなのだが、それ以上にアイリの心を占めていたのは――
「……深海棲艦たちの提督ってもう私の立場ラスボスですよね」
そんな益体もないことだった。
偶然にも彼女のアバターは色素が薄いため、遠目には深海棲艦と同じ存在のように見えるかもしれない。
これは、他プレイヤーたちの標的にされるのではないかと不安になる。
wikiなどの情報サイトにこの展開が記されていなかったということは、これが運営によって隠されていたレアケースか、もしくはバグがゲームの自由度によって許容されてしまったのか、とにかく、彼女以外のプレイヤーは皆、正規提督ということになるだろう。
「んー、百万ユーザー突破だとかアクティブプレイヤーが数十万とかって考えると、私、割と絶体絶命ですねー」
響きはあくまでも楽観的に、こっそり呟いたアイリの言葉に泊地棲鬼の少女がその紅い目を向ける。
「ダイジョウブ……マモル」
「えー、まぁ、私が前線に立つことになったらお願いしますね?」
任せておけ、とばかりに自信満々に微笑み自分の胸を叩く泊地棲鬼。
状況を楽しみ始めているアイリにとっては無用の心配でもあったが、その少女の姿にアイリは思わず――
「やー、そんなの萌えちゃうじゃないですかー……いいでしょう。私もあなたたちを全力で守りましょう!」
再び飛びついて抱きしめる。
反応に困っている少女のことをかいぐりする一方でアイリは具体的に何をすればいいのかを考え始めていた。
一先ずは深海棲艦たちの規模・戦力の把握だろうか。
いや、それよりも先に現在地点と提督たちがいる鎮守府の位置関係などを知っておくべきか。
――ううん、この場合は、
「えっと……まずは爆撃による被害状況を教えて下さい」
やはりこれが一番最初に知っておくべきことだろう。
被害状況を知ればおのずと深海棲艦達の規模も掴めるだろうし被害が大きければ既に場所が割れているこの拠点から撤退し新たな拠点を構築する必要があるかもしれない。
「ヒガイ、ジンダイ。ロクワリガゴウチン、モシクハタイハ」
6割が轟沈・大破となると戦力は半分以下。
この拠点の中でかなりの実力者であろう少女も中破であるらしい。
他にも主力級の戦艦や重巡洋艦が沈められたらしい。
「急ぎで戦力補充が必要ですね……でも拠点を変えないことにはジリ貧ですし……」
「イドウナラモンダイナイ」
「え?」
「コノシマ、ウゴケルカラ」
「え? え?」
移動が可能ということはひとまず置いておくことにしても動かせるではなく“動ける”?
まるで島自体に意志があるような言い回しにアイリも少し戸惑った。
「コレモワタシタチノ……ナカマ?」
「いや、私に聞かれても」
首をかしげる泊地棲鬼に嘆息しつつも、今は島自体の存在がどういうものかは重要ではないと気を取り直す。
移動ができるならなんでもいい。
「まずは移動を最優先に、その上で戦力の確認、確保を行います」
「ワカッタ。ナラ、キョテンニムカウ……テイトク、ノッテ?」
「え、あ……えぇー」
「フマン?」
バイクの二人乗りに誘うように少女は自分が乗っている、もとい、半分飲み込まれている鉄塊――艦艇部を旋回させるが、ところどころに口があるようなフォルムはアイリに生理的な嫌悪感を感じさせる。
そのうえその塊が口々にあまりよろしくないような欧米圏のスラングを口走っていればなおさらだ。
しかし待ちわびていた提督の機嫌を損ねたと眉を悲しげに歪ませる少女に本当のことは言いだしにくい。
「ほ、ほら、私非力なんで振り落とされちゃうかもしれないですし!」
「ヘイキ、シートベルトアル」
シートベルト……?
見たところそんなお行儀のいいものが付いているようには思えずアイリは艦艇部をまじまじと見つめてしまうが、やはりそのようなものは見当たらない。
しかし少女がその黒々とした表面をさっと撫でた途端に変化が起きる。
最初はひび割れの様な裂け目が一筋。
それが段々と大きくなっていき最後には――
「これは……」
少女を飲み込んでいるものと似たような口がもう一つ開かれた。
「口、ですよね……」
「ウウン、ザセキ」
「の、飲み込まれたりは……?」
「シナイ」
泊地棲鬼のきっぱりとした口調がアイリの抵抗を許さない。
それに目の前の少女が平気な顔で乗っているのだから乗り心地は案外悪くないのかもしれない、という破滅的な好奇心が若干、アイリの心を揺さぶっていた。
そして最終的に何事も経験と、その口の中に足を突き入れた。
「あれ……っ!? ~~~~~~~~~~~~~~~っ!!!!」
意外と平気かも、と言おうとした言葉は途中で声にならない叫び声へと変わった。
ぞくぞくぞくっと、足から背中にかけて寒気が走る。
「これっ、舐めっ! 舐めぇ!?」
混乱の境地に達していながらもゆるゆると波間を進み始めている少女の肩を掴んで揺さぶる。
舐められたっ!?
アイリはそれを口をかたどった穴、だと思っていたのだが、やはり正真正銘の口であった。
現状、口の中に飲み込まれた脚は巨大な舌で押さえつけられており、時折、その舌が足の表面を這いずる。
最早、くすぐったいなどの比ではない刺激が断続的にアイリを襲っていた。
「ちょっ、あのっ、降ろしてっ!」
なんとか抜けだそうと暴れるが既に二人は海上を移動していた。
それも、最初は徒歩程度のスピードだったのが今や本物の船舶同等の速度で動いているのである。
仮に抜け出せたとしてもその拍子に落ちてしまうことを想像してしまってアイリも力いっぱいには動けない。
そこで唯一、助けを得られそうな少女に向かって叫ぶのだが……
「テイトク……オイシイ」
「んなっ!?」
振り返った深海棲鬼の少女はその白すぎるほどに白い顔を少しだけ染めて、涙目混じりにそう呟く。
その時、命の危険を感じ取ったアイリの必死の叫びが島の反対側まで響き渡った。
「だれかたすけてくださーーーーーーい!!!!!!」
■□■パラオ鎮守府■□■
「っか~~~! 良いところだったのに緊急メンテナンスなんてついてねぇな!」
「そだねー。おかげで棲艦島も逃しちゃったし」
比較的新しい鎮守府であるパラオ鎮守府は最近まで深海棲艦の群れの“巣”の一つであったが、呉や横須賀、大湊鎮守府の提督たちの尽力によりこれを撃破、深海棲艦を撃滅する上での新たな拠点として建設された。
よって、この鎮守府にはまだ歴戦の提督こそ少ないものの血気盛んな若い提督たちが溢れ、日に日にその人数も増している。
居住区域にある質素な喫茶店で話しているこの二人はそんな提督たちの中では比較的実力者に入る二人であった。
「あと少しであの島も沈むところだったのにねー」
あの島――棲艦島とは奇しくもアイリがいる島であり、その名の通り深海棲艦の巣の一つである。
特徴としては浮遊島であり、一定の地にあり続けるのではなく日によって出現地域が異なる。昨日はパラオ近海を漂っていたが今日はブルネイ、明日は横須賀だとかそんなこともあるのだ。
そして棲艦島には曰くがある。
「まぁ、沈めたってまた出てくるかもしれないけどな」
「幽霊島って言うくらいだからねー。何度沈めてもよみがえるって」
幽霊島、そう呼ばれるきっかけとなったのはとある提督がその島を沈めたことに起因する。
三日三晩にわたる砲撃や爆撃などによってとうとう島ごと沈めたのだが、その数週間後、まったく同じ島が再び何事も無かったかのように洋上を漂っていたのである。
そのような出来事が何度か繰り返され、棲艦島はまたの名を幽霊島とするようになったのである。
「それにしても棲艦島復活については運営からのアナウンスも無いよねー」
「だなぁ。バグとか放置するような運営じゃないから仕様なのかもしれねぇけど、それすら告知しねぇし」
「あ、そういえば緊急メンテナンスのお詫びで配られた装備なんだけど――
■□■棲艦島□■□
「うぅ、もうお嫁いけません……」
シクシクシクと泣き崩れるアイリをよそに泊地棲鬼の少女は艦艇部から足を引き抜き、ついでにアイリを子猫のように掴んで引きずり出す。
二人が到着したのは爆撃を受けていた港からみてちょうど正反対の位置にあるもう一つの港だった。
二人とも下半身が唾液(のように見えるが実際は機関部冷却に使用された水分)に濡れているがアイリと違って少女の方は気にした様子も無い。
「テイトク、アルイテ」
「鬼! 悪魔! 鬼畜! まったく、いたいけな女の子になんて体験をさせるんですか!」
中身は既にそれなりに大人の女性であるアイリだが14、5歳というアバターの見た目に引っ張られているのか涙目での猛抗議をする。
が、どこ吹く風とばかりに少女は歩いて行ってしまう。
「ハヤクコナイトオボレル」
「そんなこと言って、え? 溺れる?」
辺りは普通の港そのものでこれから溺れてしまうことになるような脅威は見当たらない。
ただ、少女の方はなぜアイリが疑問に思っていることすら気付かないようで、建物の中へと入っていく。
「あ、置いてかないでくださいよー!」
つい、と一度だけ海の方を振り返り、その海面の近さに驚いてから駆け足で泊地棲鬼の後ろに追いつくアイリ。
数分前からの記憶を掘り返しつつ、最後に覚悟を決めて一つ、問いかけた。
「あの、なんだか、この島……沈んでません?」
「ウン」
あまりにも落ち着き払った淡白な答えを理解するのに数秒、目の前の少女が“深海”棲艦であることを思い出すことに数秒、そこから“ある可能性”に思い至るまで数秒。
それだけの時間をかけてから今度は恐々と疑問を口にする。
「あのー……もしかして私があなたたちと同じように海の中でも生活できると思ってる……とか?」
その言葉に少女は振り返り、数秒の間を置いてから、
「ダイジョウブ」
あっさり答えた。
「根拠は!? ねぇ、根拠は何ですか!? 私いやです! 溺死とか絶対いやですからね!?」
「テイトクハシンパイショウ……トリアエズ、コレタベテオチツイテ」
「むぐっ!?」
いつ用意したのか、手に持っていたものをアイリにくわえさせる。
「ん、んぐ……あの、これは?」
「てりやき○ックバーガー」
あぁ、確かにこの味は現実でも慣れ親しんだあの味だ……なんてことをアイリは考えず、
「もう一度、これ何ですか?」
「ダカラ、てりやき○ックバーガー」
「てりやきだけ流暢に言えるんですか!?」
どうでもいいように思えて、少女のカタコトな発音に少し困っていたアイリにとってはもっとも重要な問題だった。
「スキ、ダカラ……」
なぜか恥ずかしそうに答える少女。
好きだから言えるようになった、とそういうことらしい。
「ええ、どっからそれを取り出したのかとか気になることは沢山ありますけど、まず一番最初の提督としての命令が決まりました」
「ナニ?」
提督からの初めての仕事、ということに心なしか眼を輝かせる少女。もし尻尾があれば左右に大きく振られているかもしれない。
そんな少女の様子を見て、やはり最初の命令内容は間違っていないと確認できたアイリは一口、バーガーを齧ってから自信満々に命令を下す。
「3日以内に綺麗な発音で話せるようになること……少なくともあなたはね?」
「…………イエス、マム」
「よろしい」
不満げな少女とは対照的に心底満足げなアイリであった。