「あ~……ん~……ああ、もうどうしよう……!?」
「えと、愛梨ちゃん……? そんなに唸ってどうしたの?」
場所は
山口愛梨の趣味友達の家。
日頃から思い付いたように転がり込んでくる愛梨であるため、今回もいつもの気まぐれだろうとため息と共に侵入者は迎えられたが、当の愛梨自身がいつも通りではなかった。
「……放っておくわけにもいかないし、でも……あ~~」
ゴロンゴロンゴロンと蹴飛ばされたダルマのように転がり回る愛梨を見て、友人の女性はそれきり構うのをやめた。
あえて述べるのであれば、買ったばかりの長毛カーペットが蹂躙される様に些細な怒りを覚えた程度だった。
■□■棲艦島■□■
「おはよーございまーす」
やはりログインしてしまったか、と外の自分の仕方なさに調子よくやれやれと肩をすくめたアイリは深海棲艦がよく集まるラウンジに挨拶を投げる。
おそらく、未来の提督のために設けられたであろうソファにはイノイチが
そのハクとアイリの目が合う。
反応は劇的……とはいかなかった。
「てーとく……!」
アイリを見つけ、駆け寄ろうと立ち上がったハクはその手に握られた残り一口分のハンバーガーを見て、もう一度アイリを見て、さらにもう一度ハンバーガーを見つめ……逡巡の結果、ハンバーガーを口に入れてからアイリに飛び付くという非常に合理的、かつ非情緒的な選択をした。
「へーほふ、ほほっふぇひふぇふえは」
「今、確実に私より食欲を選びましたよね」
「ほんはほほはい」
いいから飲み込め、と口には出さずに心の裡でツッコミを入れるアイリ。
しかし、その口元は仕方ないなぁ、とでも言うように緩んでいた。
(まぁ、やっぱり放っておけないですよねぇ……?)
ほとんど頭の高さが変わらないハクを撫でつつ嘆息一つ。
例え相手が人工知能の産物であろうと、ここまで強烈に他人から必要とされることなどなかなかあったものではない。
独特の充足感に浸りつつ、そこでようやく雰囲気がいつもと違いピリピリと緊張していることに気づく。
抱き付いているハクを振り回すようにくるりと一回転しながら周りを伺い、その原因を理解したアイリがくすりと笑う。
「ミナミちゃん起きたんですね」
「誰よそれ」
ミナミと呼ばれ憮然とした顔で不満を溢す少女は南方棲鬼。
先日、棲艦島自体を大破に追い込んだ張本人だった。
「まったく……敵を生かしておくどころか自分の根城で休ませるとか何考えてるのよ」
ピリピリするのは仕方ないと理解しつつ、しかしハクと同じような存在のこの少女のこともアイリは嫌いになれなかった。
「なに笑ってんのよ? そんなんだとそのうち後ろからバッサリされるわよ」
そのうち、ということは不確定の未来の話。
偽悪的に口を半月型に歪ませているものの、これでは張本人にはその気がないと言っているようなもの。
それを理解したアイリの次の反応といえば実に分かりやすいものだった。
「……ツンデレだ」
「はぁっ!?」
悪ぶりながらも忠告をする。
その言動はなんというかアイリの琴線に触れるものがあった。
「いえ、別になにも?」
「……ふんっ」
ぷいっと身体を翻して、恐らく自分が寝かされていた場所に戻ろうとした南方棲艦――もといミナミは一度足を止める。
「それと……沈没させてくれなかったこと……………ぅ」
小さく何事かを呟いたあと、ミナミは走り去っていった。
実は小さな声で感謝をのべていたのだが、それはアイリに伝わる前に空気に紛れて消えた――
――というように、アイリがなんのリアクションも取らなかったことでミナミは勘違いしているかもしれないが、実はバッチリ聞き取っていた。
それが何故ノーリアクションに繋がったのかといえば――
(なにそれズルい教科書に載ってそうなツンデレ台詞のくせにその練度が半端なく高いししかも最初に軽くデレたことで相手を満足させつつ油断させておきながらの奇襲的な使い方をすることで小さな声でのありがとうなんて使い古された手法がこれまた胸にキュンときて反則以外の何物でもないですよ!?)
と、“要約”すればそのようなことを考えていてリアクションが取れなかっただけである。
「はぁ……かわい、い゛っ!?」
「てーとく。あれはてき」
激痛、と言っても差し支えない痛みはアイリの背中から。
どうやらハクが抱き着いたまま、体格に見合わない怪力でアイリの背の肉を抓って捩って引っ張っているようだった。
「あれは敵……おーけー?」
「うぅ……ハクが焼きもち妬いてくれてるのは嬉しいけど割と本気で痛い……」
「……てーとくは、私のてーとく」
「あぁ、でも可愛い……」
愛梨はいつのまにかハクの依存度が急上昇していることに不安を覚えつつも、しかし可愛いからまぁいっかー、と気にしないことにした。
「そういえば……ミナミが変なこといってた」
「なんて言ってたんです?」
敵、とは言いつつ南方棲鬼ではなく愛称でミナミと呼んでしまうハクに和みながら、なんとなくきな臭いものを感じとったアイリはハクの顔を覗き込む。
「いったい、何隻の鬼を飼ってるんだって……」
「……?」
棲艦島にいる鬼級艦はアイリの駆逐棲鬼という
しかし、ミナミはそのいずれも知っているはずのため、彼女の発言に首をひねらざるを得ない。
それ以外の鬼級を見たというのでない限りは。
「ハクとミナミちゃん以外にも鬼がいるんですか?」
「いない。てーとくが来るまでも私しかいなかった……はず?」
「はずって……」
どうにも曖昧なハクの言葉に半目になるアイリ。
だからといって、よく思い出してみろなどという言葉の不毛さ加減は学生時代の経験から身に染みて知っている。
思い出せといわれて思い出せるなら試験勉強なんてしなかった、と。
「てーとく……?」
「ちょっと行ってきますね」
「……あのおんなのとこ?」
「ええ、ミナミちゃんのところに」
あえて一度は濁した行先も、改めて聞かれては嘘をつくことも誤魔化すこともできない。
ハクの非難するような表情は見ないようにしてアイリはミナミを追い掛けた。
(浮気を咎められる男の人ってこんな気分なんですかね……?)
■□■イリス執務室■□■
「へい提督ぅ」
「金剛さん? どうしました?」
艦隊を遠征に出すでもなく、かといって建造や開発などの戦備増強について考えてるでもないイリスに金剛が声をかける。
「いやぁ、恐い顔してるからナニゴトかと……女の子の日?」
「! ……違いますっ!」
真っ赤な顔で否定したあと、イリスは頭痛を耐えるような素振りでまったくもう、とだけ呟き黙り込む。
その様子にやはり何かあると感じた金剛が座っているイリスに後ろからのしかかる形で抱きついた。
「提督、なに悩んでるノネー?」
「あー……別に悩んでると言うわけでは……あるんですけど」
一度は誤魔化そうとして、しかしイリスはそれをやめた。
自らの提督の存外素直なところにニヤニヤしつつ金剛は更に胸を押し付けるようにして寄りかかる。
「ほうほう……ズバリ、あの深海棲艦の女の子のこと?」
「ええ……」
イリスはゲーム外のアイリ――山口愛梨のことを知っている。
しかし、それは一方的なものでアイリはイリスのことを知らない。
イリスにとって、それは――アイリ自身についても――どうでもいいことだったのだが、最近になってやけに気になるようになっていた。
否、正確に言うならば、初めて会ったときから少しずつ気になるようになっている。
片手で数えるほどにしか言葉を交わしていないが、それだけでアイリに自分自身を重ねていた。
「ううん、重ねていたってのは語弊があるか……」
あえて言うなら、アイリは
そのことにイリスは複雑なものを感じてはいるが、アイリを嫌うわけではなく、むしろ妹がいればこういう感じになるのでは、とすら考えていた。
「提督?」
「もう一回くらい会ってみてもいいかもですね……」
「oh……今度こそ戦っちゃう?」
「かもですね」
ウキウキしている金剛に微笑みを向けながらイリスは答えた。
■□■棲艦島■□■
コンコン
「ミナミちゃん、入りますよー?」
「却下」
ノックの返事は短い拒絶。
しかしアイリはそれを無視して扉のドアノブを握る。
「あれ?」
しかし、ドアノブは半回転もしないうちに何かにつっかかったようにとまった。
要するに鍵を掛けられていた。
その事実にぷくりと頬を膨らませ、意地になったようにガチャガチャと煩くドアノブを捻る。
「あーけーてー!」
「うるさいっ! そんなに入りたきゃ勝手に入ってきなさいよっ!」
自分で鍵を掛けたのに随分な言い種だと感じつつ、そこで妙なことに気がついた。
扉に鍵穴のようなものが何一つないのだ。
そもそも思い出してみればアイリはこの島で鍵というものを見た覚えがない。
そして多くの提督が所属している鎮守府ではトイレとかどうしているのかと首をかしげた。
「でも、入りたきゃ入ってこいって、やろうと思えばできるってことなんですかね?」
それに嫌がりながらも、そんなことを言うということはやはりツンデレ……と一人勝手に納得しながら、もう一度ドアノブに手を置いた。
とりあえず、カードキーなどがないのならば音声式だろうと当たりを付け、慣れ親しんだキーワードを試してみる。
「うーん……開けごま?」
冗談半分で呟いた言葉に手応えはない。
少し期待をしていたのもあって無意味に周囲をうかがって恥ずかしさを誤魔化す。
誰もいないのを確認して、ようやくアイリがため息をつこう――としたところでリアクションがあった。
『管理者権限の確認――承認――コード――不一致――――エラー:命令が不適当です』
「わひゃあ!?」
連絡用と見られるスピーカーからの機械音声にアイリは飛び上がり、今度は逆に周りに誰もいないのに驚いてしまった自分が恥ずかしくなって赤面しながら笑う。
しかし、頬の熱とは裏腹にその頭の中身は急速に冷却されていた。
「管理者権限……そんなのいつの間に……?」
そんな物を手に入れた覚えなどないアイリは当然戸惑う。
しかし、それはアイリがハクに“深海棲艦の提督”と認められた時から存在し、だからこそこれまで深海棲艦たちはアイリの指令に従っていた。
アイリの記憶にはない、ミナミとの争いの際に無意識下で行われた強制的な武装解除もまた、それによっての副産物だが、そんな覚えのないアイリの内心は混乱の極みにある。
(どうしましょう……これって確実に不正ですよね!? 管理者って本来は運営のはずですもんね!?)
ましてや先日、その一人に会ったばかりである。
それにアイリが不具合に巻き込まれているため、その動向に中止されている可能性も高い。
しかし、アイリはそれとはまた別のことを思い出してもいた。
「……あの緑の鎖が出てくるのはちょっと魔法っぽくてかっこよかったですよね」
駄目だ駄目だ、というポーズは取りながらも、以前の状況を思い出しながらこっそりと呟く。
ゲームマスターを名乗る青年は英語でコマンドを入力していた。
アイリはそれを真似して、しかし人目を憚るように小さく囁いた。
「……Code:Unlock」
変化は、ない。
「あはは……ですよねー! こんなんで鍵が開いたりしたらプライバシーなにそれ美味しいの状態ですもんねー!」
残念半分安心半分という面持ちで、ちょっと期待していた自分という恥ずかしさを誤魔化すために笑いながらドアノブを捻る。
「あははー……あれ?」
そして、扉は開いた。
「なに一人で小芝居してるのよ、恥ずかしい……」
半目をしたミナミは扉の対角の椅子に座っている。
そのくつろいだ様子から一度立ち上がって扉の鍵を開けたとは思えない。
いよいよもっておかしいとアイリは顔を一瞬しかめ、それをミナミに見咎められる前にさっと消した。
「……で、何か用?」
そのアイリの戸惑いを、敵だったミナミへ話しかけることへのものだと受け取ったミナミが先に口を開く。
彼女のこういった不器用な気遣いが、アイリからツンデレのレッテルを貼られているとは知る由もない。
「あぁ、ハクからあなたが妙なことを言っていたと聞いたので」
「なにそれ?」
「なんでも、この島にまだ鬼がいるとかなんとか」
その質問にミナミはぽかんとしたあと、少しだけ笑った。
くすり、というよりにやりというものだったことがアイリの不安を煽る。
「えーと……なにか意地悪なこと考えてません?」
「別に? ただ……あれは貴女の管理下にないのね……そう、あれと戦えるんだ……面白そうじゃない」
アイリの管理下にない深海棲艦=敵、という構図を組み立てたミナミが犬歯を覗かせるように唇を歪ませる。
ちなみにミナミの中では負けた時点でアイリの下につくということに理解を示している。
自分より強い者に従うというある種の本能によるところが大きい。
アイリからしてみれば仲間になれと言った覚えもないため、ミナミちゃんは素直じゃないですね、などと本人が聞いたら顔を赤くしながら怒りそうなことを考えていた。
「えっと、私の知らない子がいるみたいですけど、いきなり戦ったりしたら駄目ですからね? 対話は人類の最大の発明品なんですからね?」
「……それを
そもそも人類ではないという意味か、もしくは対話の末の武力行使のための兵器だという意味か、とにかく愉しそうなミナミ。
それに対してアイリは苦いものを食べたような顔をしてみせる。
「同じ深海棲艦同士じゃないですかぁ……」
「……あのねぇ」
拗ねた様子のアイリにミナミが嘆息する。
これではどちらが提督か分からない、などと考えながらミナミは言葉を続けた。
「艦娘は基本的に帝国海軍の軍艦ばかりだから仲良しこよしやってるけど、
「じゃあ……話してみて仲良くなれそうだったら戦わないでくれます?」
「ええ……まぁ、もう手遅れみたいよ?」
え?
■□■棲艦島沿岸部――爆撃跡■□■
「ふふっ、お姉ちゃん……遊んでね?」
次回はとうとう○○が登場