Muv-Luv Alternative ~take back the sky~ 作:◯岳◯
千年の古都と謳われている京都。その町の中でもひときわ大きな屋敷の中で、風守光はその家の主と向かい合っていた。
「それでは、崇継様は貴方に嵐山の補給基地に異動せよと、そうおっしゃられたのですね」
「はい。将来の希望を、斯衛の卵を。齲窩を守り抜けと」
光は頭をたれながら、答えた。目の前には、少し顔色を青くした女性がいる。黒い髪が腰まで届いていて、その儚げな容貌は武家の当主というよりも、深窓の姫君と言った方が似合っているだろう。だが、彼女は赤の斯衛の中でもより高い地位にあたる、風守の当主であった。名を風守雨音という彼女は、目を閉じて考えこむ仕草を見せた。そして数秒の後、咳き込んだ後に光の方を見据えた。
「崇継様は、貴方を信頼されていると聞き及んでいます。なのに………この日の本の一大事に、斑鳩家の御側役として仕えた我ら風守の者を遠ざけるとは」
悔やむような声。それは、光ではなく、自らを責めるような口調であった。
「私が、このような身体でなければ。この時になって痛感させられます。代々、斑鳩家の剣となって盾となることが我らの責務だというのに」
ご先祖様に申し訳がたちませんという、苦悶を身の芯から絞りだしたような声。それを発した当主、雨音の身体は服の上から分かるほどに細かった。隙間から見える肌も、病躯のそれである。また咳込み、乱れた呼吸の音が部屋に染み入るように広がっていった。それを晴らすようにと、光は言う。
「崇継様より直に承った言葉ですが………複数の思惑が。将来のための考えがあっての事であると。今日ではなく、明日を見据えた上だから、故に協力して欲しいと願われました」
光は雨音に伝える。自分と斑鳩の若、そして真壁の三人だけが居る場で告げられた内容であり、重要な任務であると。決して、風守家の代行を疎んじている訳ではないことを。
じっと黙ったままひと通りの理由を聞いた雨音は、頷きすっくと立ち上がった。
そのまま光の前で座り、ゆっくりと頭を下げた。
――――申し訳ありません。そして、風守を頼みますと。
光は顔を上げ、告げられた言葉を噛み締めて、また頭を下げた。
「雨音様も。どうか、ご自身の御身体を労るように」
「そのような、ことを」
じっと、目を閉じて何かに耐えるように。だけど雨音は涙だけはこらえると、光の目をまっすぐに見返した。
――――恐らくは、今生の別れになるでしょうが。
お互い言葉にはしなかったが、これが危険も極まる任務だということは理解できていた。だが、光はふっと顔を緩めた。いつものことですから心配はしないで下さいと、光は視線だけで慰めた。たまらず、雨音は俯き肩を震わせた。
「貴方ばかりに………父上のことも、母上のことも。辛い役目ばかりを押し付けて、本当に………」
「謝ることはありません。私も………亡き守城の父母も、本望であります。それに生まれは違えど、私は風守の家の一員でありたい。だから風守の家の者として、これは当然のことなのです」
お願いをするように、優しく諭すように。どこで誰に聞かれているか分からないからと、光は口だけ動かして伝えた。
『家族のために戦うこと、それ以上の誇りがありますか』
一切の飾りなく告げられた言葉は、雨音の耳にすうっと通って、身体の中にとどまった。
ずっと、変わらなかった暖かい言葉。雨音は、ぎゅっと自分の拳を握りしめて。
「風守光。風守の当主として、命じます。崇継様、そして先代当主に恥じぬよう、御役目を果たしてきなさい」
「――――御意」
光は外に、雨音は中に。振り返らず、姿勢を正して襖をくぐる。そのまま、目指すべき場所を目指し、板張りの廊下を進む。すれ違う使用人の顔も、どこか固い。それは今より死地に近い場所へと行こうとするお家の者に向ける表情ではなかった。
慣れたものだ。言葉にはせずに、光は靴を履き家の出口となる扉を開いた。光の目に、夕暮れに近い空が見えた。その下には、予想していた通りの人物がいた。
「………
「貴方に義姉と呼ばれる覚えはありません」
年の頃は40を越えた所であろう、神経質な顔をした女性は光の呼びかけに、ぴしゃりと否定の言葉を返した。
「経緯は聞きました。なんでも、崇継様の御側に付く役目を解かれたとのこと」
「はい。厳密には違いますが………いえ」
託された命があり、説くべき理由もあろう。だが、この緊急時に斑鳩家の当主の傍より遠ざけられた、ということは事実である。それを説明する前に、渋い顔をしていた女性の顔に、更に黒いものが宿った。
「やはり………所詮は“白”の家の者と。崇継様はそうお考えになられたのですね」
どうしてこんな事に。
女性は嘆くと同時に、原因であると信じている目の前の光に怒りの視線を向けた。
それは違う、と。光は思うだけで済ませた。溢れる激情をも飲み込んで平静を保ってみせた。慣れた手順である。一体これまで何度繰り返したのか、光はもう数えていない。あの時より10年が経過したというのに頑なに変わらない。かつては義兄のお嫁さんと慕っていた相手を見据えて、思うのは一つだけだ。
(ただ、悲しい。最後まで)
そうして、光は頭を下げたまま。きつい視線を隠そうともしない義姉の横を通り過ぎた。視線はすれ違ったままだった。
エンジンをかけたまま待機している車に乗り込もうとした光の背中に、悲痛な声がかけられた。
「守城光………貴方が、貴方さえいなければ………あの子は………」
そこから先は言葉ではなかった。どこにも届かない問いに、答える者がいようはずがない。光は、そんな義姉の泣くような声を耳に受け入れた。貴方さえという、もしかして。だけど光が抱く回答はいつも同じだった。どう言われようとも、自分はここにいる。だから、いつものように背中を向けたままで言うしか無いのだ。
「行って参ります。義兄上の、そして風守の名を汚さぬように」
貴方もどうかお元気で。
光の悲しみを帯びた希う言葉は、夏の夕暮れの空に吸い込まれて消えた。
明けて、早朝。風守光は真壁介六郎に引き継ぎを済ませた後、嵐山の山中にある補給基地へと到着していた。先日に完成した、自らの新しい機体の試作機を駆って、である。だが、基地の入口へとランディングする際に、気づいたことがあった。標高が高く、地形が入り乱れている山の中にあるせいだろう、ランディングポイントである上空の気流が、平地に比べてやや乱れていた。それなりに乗れる衛士であれば、問題がないレベルだった。未だこの機体に慣熟していない自分でも、なんてことはないぐらいの。だが、教練途中で任官繰り上げとなった新兵にとっては無視できないだろう。
通常時であれば修正は利く。だが戦闘後に、または戦闘途中に補給に戻る時は、慌てている状態ではどうなのか。
(基地に入る前だというのに)
光は部下に面会する前から不安な要素が透けて見えたことに、不安感を覚えていた。
元より不安要素が多いことは覚悟の上だが、実際に会う前からこれでは、先が思いやられる。
実際の衛士達と会って、その感情は加速した。
「篁唯依であります!」
「山城上総です!」
「か、甲斐志摩子です!」
「い、い、石見安芸でです!」
「………能登和泉です」
光は、目の前の5人を。ウイングマークがついている軍服を着た、衛士の少女から着任の敬礼を受け、敬礼を返しつつも冷静に観察していた。
「風守光少佐だ。貴様達の命を預かることになる」
じっと、正面より順番にそれぞれの眼を見据える。同時に、分析もしていた。斯衛の赤ともなれば城内省にも、帝国軍にも、高官と呼ばれる人間と会う頻度は高い。自然と、人を見る目も養われようというものだ。そして光は、そんな経験から目の前の成り立ての兵士達を見て、一定の評定を済ませていた。優先して守れと命令された篁主査の娘の篁唯依と、外様の武家である山城上総に関しては、特に問題とすべき点はない。
未熟なのは当たり前だが、敬礼の仕草や言葉の裏にある力強さを見れば、衛士としての最低ラインは越えているように思えた。だが、残る3人は違った。
(………未だ覚悟を築く、その行程の途中であるか)
当然だ、と光は思う。訓練生は衛士としての教練を受けている時に悟ることがある。BETAの詳細を座学で知り、シミュレーターで映像として対峙する時に、思い知らされるのだ。化け物と戦うという自分が、避けようのない未来の自分であると察知する。人喰う鬼を殺さなければならない自分がいることを。そして一般的に、喰われるかもしれないという未来を前に、恐怖を抱かない人間はあまりいない。問題は、そこから先である。恐怖を胸に仕舞いつつも戦意を捨てないままでいられるか、そして恐怖と折り合いをつけられるか。
それは衛士としての、もう一つの適性試験である。避けては通れない課題である。だが、訓練生時代に大半は済ませておくものである。恐怖の処理の仕方を済ませて初めて、訓練生は兵士足りえるのだから。割り切るも折り合いをつけるも、その速さには個人差がある。一般の衛士は、酷ければ直前まで恐怖を抱え込んだままであるという。
そういった衛士は、後催眠暗示の効きが悪くなる。その点でいえば、斯衛の。武家出身の衛士は、元より戦うということを意識しているため、恐怖に対する問題を解決するのは早い。武家の者が衛士として優れていると言われている要因の一つである。戦いというものを幼少の頃より聞かされ、日常の一部として受け入れられるからこそ、いざ前線に立っても臆さずに動けるのだと。
だが、早いといっても同じ人間である。生身で空を飛べないように、その性能にはいずれかの限界があるのは当然のことだ。現在は7月である。聞かされている教練のスケジュールを鑑みれば、実機に乗り始めてからわずかに半年足らずという所だった。覚悟を抱くには短く、そして一連の動作を覚えることすら出来ていないだろうことは、ほぼ確実だった。
(聞けば、以前の侵攻の際には緊急で召集され、万が一のためとして練習機で待機させられていたらしいが………)
もしかしたら、という事態に備えるため、目の前の少女たちは実機に乗らされた。さぞ怖かったことだろうと思う。任官もされないまま、出撃するかもしれないという事におびえていたわけだから。だが、人は自らの危機を前に成長する。光は篁達を気の毒に思う反面、恐怖を糧として何がしかの成長をしているかと期待していた。
が、それは二人に留まったようだった。格好と仕草だけで、嫌でも分かってしまうものがあった。
それは、甲斐、石見、能登の3人は、ここがもう最前線だということを理解していないということ。
防衛線の存在を盲信しているのだろう。前途多難の四文字が、光の脳内に燦然と輝いていた。
だが、だからといって死なせるわけにもいかない。光は気を引き締め、命令を思い出す。
自分がここに来たのは、卵の状態で兵士となってしまった目の前の5人を死なせないためである。
故に、一番先に済ませておくことがあった。
「さて、貴様たちには言っておくことがある。貴様達の衛士としての力量について。誰より貴様達が理解しているだろうが………貴様達の教練は従来の半分程度しか済んでいない。つまり、まだまだ未熟だということだ」
単刀直入の通告を聞いた5人の顔色が変わった。光は意図した言葉のため、その変化には驚かず、詳細余さず観察した。篁の顔は、何かを噛み締めるように。山城の顔は、当方に反論の用意ありと言わんばかりの。甲斐と石見は、怯えを裏とした狼狽えを。能登は、憎しみを思わせる眼光を隠そうともしていない。
光は観察を終え、ひと通り見回した後に、また告げた。それも仕方のないことだ、と。光はきょとんとした少女たちを前に、苦笑した。一般に斯衛の訓練生が教練を受ける期間が一年であるのには、理由がある。集中してじっくりと、機体の動かし方や基本的な機動、そして一般的な窮地を脱する方法を学ばせるためだ。
「それを、半分程度の時間しか受けていないお前たちが、いっぱしの衛士であると認めることは、先達を侮辱する行為にもなる」
至極尤もな理論である。きっぱりと断言したその後に、だが、と言う。
「諸君たちはここにいる。戦うために残った。お家に逃げた者もいる中で、斯衛の者としての責務を果たそうとしていると判断し――――ならば、私はお前たちを斯衛の一員として扱おう」
「え………」
石見の声に、光は言う。そう意外そうな顔をするなと、苦笑する。
「卑下はするなよ。貴様達は、既に衛士であるのだから」
逃げずに戦おうとするものこそが戦士であり、武の徒である。光は、そういう持論を持っていた。
だからこそ、笑いながら告げた。今すぐに顔を上げろと。
「震えている暇はないぞ。これから始まるのだ。鉄火の場に飛び込み、耐えて祖国を守る盾になる。それはすなわち、陛下や殿下を守ることに繋がる。ふふ、これぞ斯衛としての本懐であるな?」
告げながら、光はじっと篁と山城を見た。視線に気づいた二人は、その視線を真っ向から受け止めると頷いた。その眼にはまだ拭い去れない恐怖の欠片が見て取れた。が、呑まれるほどの大きさではないようだった。次に見たのは、残りの3人の方。視線を送った順番に気づいているのだろう。女はそういったものに敏感だ。意図を察した3人は、数秒の時を置いて、辿々しくはあるが頷きを返した。
「宜しい。では、私達は今この時より同志となるわけだ」
「………は?」
甲斐が、きょとんとした顔をした。光は、全員を見回しながら心外だと言った。
「同じ斯衛の一員として、この国を仇なす化外を払う剣となる。共に目的を同じとして戦おうというのだ………それとも、違うと言うか?」
「いえ、同じであります風守少佐!」
甲斐が、慌てて敬礼し、残るものも敬礼をしながら同意を返した。光はそれでいいと、頷いた。
「我らがこの基地で全うするのは、補給基地として機能している此処を守ることだ。最前線にて奮戦する帝国軍への物資を途絶えさせないようにすること。殿下へと届く可能性のある敵の刃を削ぐ戦士達、その後背を守ること。これは、責任重大な任務である」
「は………でも、それは」
「最前線で戦う者と比べれば劣るとでも言いたげだな、能登少尉。ならば、シミュレーターを思い出してみるといい」
じっと、諭すように。考える時間を数秒与えた後で、光は告げた。
「敵の数多し、だが援護の砲撃もなく、自機に残弾なし。近接の長刀も折れて使いモノにならない。されど物資は届かず」
笑えもしない状況だろう、と。その問いかけに、全員が黙り込んだ。仮にもシミュレーター上で想定の模擬戦闘をこなしているのだからして、分からないはずがない。
いくら戦術機とはいえど、徒手空拳でBETAを止めきれるはずがないのだ。
「同じく、国の一大事における中での、絶対に欠かせない役割である。これは、斑鳩大佐のお言葉でもある」
「い、斑鳩大佐の………では、風守少佐がここに来られたのも」
「日本海側より侵攻するBETAに対しての、兵站の重要中継地点。それを守ると同時に、教練途中で任官したお前たちを指揮するためだ」
光は、事実の3割程度をぼかして、告げた。だが、それだけで十分であったようだ。繰り上がりの任官ということは、人手不足であるから、仕方なく認められたとも取れるもの。誰もが受けている厳しい訓練を乗り越えて階級を授かったのとはまた異なるのだ。それ故に、繰り上がりとなった兵士は本当にこれで大丈夫なのかと自問自答し、訓練を疑い、実力を発揮できずに死ぬ者が多い。
だから必要になる。そうではないと、言葉だけではなく、血肉を削って動いたという証拠が。
だからこその風守光であった。その理由を、石見が言う。
「光栄です! まさか、九・六作戦を戦い抜いた衛士に指揮してもらえるなんて!」
「ありがとう、と言っておくか。まあ、最前線で一番に暴れ………BETAを撃破したのは紅蓮大佐なんだが」
「ぐ、
光は頷き、肯定した。数少ない修羅場を共にしたあの大佐は、無現鬼道流が皆伝の。斯衛の武の頂点として認められている武人であった。もう一人は
性格の方も突出というか斜め上に突き出ているため、権力争いに利用しようという者はいない。
光にとっては、かつての上官でもあり、旧友とも言える仲ではあるが。
「武の技量であの人に勝てるとは微塵も思っていないが、指揮の腕に関して譲る気はない。同志を犬死にさせないようにと、斑鳩閣下より承ったことを全うすることを約束しよう」
「は、はい!」
「元気が良い事で、結構だ………焦らずにな。一つ一つ、共に確実に困難を越えていこう」
宜しく頼むぞ、と敬礼を。能登以外の全員が、機敏な動作で敬礼を返した。
視線と視線が交錯する。声なき大声の任官の挨拶が済み、そして光は言った。
「それでは、最初の任務を言う。各自、自分の機体への報告を完了せよ」
「え、機体へ?」
「私達と同じだ。これからは長らく、命を共に戦場を駆ける相棒になるだろう。だから同じく、志を共有する隊の仲間でもある」
だから、急な配属で出来なかったことをたっぷりと。衛士として着任と挨拶、そして決意の言葉をかけてこいと光は告げた。
「さあ、駆け足急げ! 最初の任務だ、30分で“同僚”への挨拶を済ませてこい」
「りょ、了解!」
全員が敬礼を返すと、すぐに走り去っていった。光はたたん、たたんと、硬質な基地の床の上を急いで走り去る背中を見送った。そんな自分を見ていたのだろう。光は、ゆっくりと近づいてくる二人へと向き直った。
「何か用でもあるのか。さほど面白いことは無かったと思うが」
振り返り、服装を見た光はじっと相手を観察した。服を見るに、帝国本土防衛軍の衛士だろう。ウイングマークが戦術機乗りであることを示していた。そして、階級は中尉。新人ではありえない、それなりに場数を踏んだ空気が見て取れた。だが二人共、観察するような視線に気づいてないこともないだろうに、飄々とした雰囲気を保ったまま言葉を続けた。
「いやいや、十分に見る価値はありましたよ少佐殿」
やや軽いが、揶揄の言葉ではない、真摯な意図が含まれた声質。そうして軍服を纏っている衛士は感心したように言った。
「やっぱ、人の噂はアテになんないっすね。斯衛はお堅い華族気取りのバカが集まっていると聞いていましたが」
「………違うと否定できないのが、痛恨の極みではあるな」
阿呆はどこにでも居る。具体的に言えば、保守派の一部に。そして、紅蓮ほどではないが、斯衛として前線で戦ってきた光には理解できる言葉だった。
「くく、少佐は真面目なんですね。前に“山吹”に同じような言葉をかけた時には、無礼だぞと青い血管を見せつけられたものですが」
「貴様のように人を喰ったモノの言い方をすればな。そういった反応も返ってくるだろうさ。ところで、そちらの中尉は私に何か用でもあるのか?」
気だるげな佇まい。傍目にはただのだらけた学生に見えるかもしれないが、光を見つめる両眼と階級は、衛士のものでしかありえない。そんな彼女は、じっとこちらを見つめてくる。ただ、文句があるというわけでもないらしい。
確かめるような視線を浴びつつ、光が待つこと10秒と少し。ようやく、白い髪をした女の衛士が口を開いた。
「………どうして貴方のような人が、こんな所に。側役であれば、主の横で戦うのが誉だと思いますが」
「ほう………随分と言ってくれるな」
遠慮の欠片もない直球の質問だった。横で聞いていた男の方の衛士も、ぎょっとしていた。だが、光は言った。まずは名乗れと。
「これは失礼を。黛、英太郎です。ポジションは強襲前衛」
「………朔。小川、朔です。ポジションは迎撃後衛」
同じく、この基地に配属された衛士です。聞いた光は、そうか、とだけ答える。盗み聞きしていた輩には、改めて名乗るつもりはなかった。それを咎めないまま、小川朔は言った。
「風守光少佐。大陸で激戦を経験したことのある、数少ない斯衛の衛士。そして斑鳩崇継大佐の懐刀、だったはず」
「言い過ぎだ………というか過去形にするな」
だが、光は否定はしなかった。それだけの自負は持っている。具体的にいえば、斑鳩家直下の家臣の中で自分より技量が高い衛士はいない。早朝に会ってきた真壁助六郎もまだまだ甘い所がある。
だからこそ、不審に思っているのだろう。同時に、分かることがあった。
「貴様、生まれは武家か」
「っ、それこそ過去形。今の私は帝国軍の衛士なだけ」
それ以上ではなく、それ以下ではない。そう言いたげな朔に、光は分かったとだけ頷いた。
「それ以上の事は問わんよ。代わりとして、これ以上の詮索は止めてほしいものだが。特に新人達が居る場ではな」
光は篁達に余計なことを聞かせるのは、控えて欲しいと思っていた。彼女たちはまだ初陣にさえ立っていない状態である。2つのことに気を割けるほど、余裕があるわけがない。だが、その願いは受け入れられなかったようだ。そこで、光は推測を修正した。最初は新人ばかりを配属した斯衛か城内省に嫌味を言いに来たのだろうと思っていたが、違ったようだ。仕草や言動から推測を書き換える。
あるいは、片割れの男の方はそうなのかもしれない。だが、白の女の方は別の何かを聞きたがっているようだと。
(何を探りに来たのか――――とは、考えるまでもないな)
目的は、既に基地に到着しているという、噂の隊のことだろう。
(――――ベトナム義勇軍、パリカリ中隊か)
今、話題の的となっているかの隊については、様々な噂が流れている。新兵器のことを匂わせるレベルから、考えた者を病院に叩きこみたくなるレベルまで。派手な実績がそうさせるのだろうが、色々と多方面にあり得ない部隊であるとされていた。少なくとも九州に居た衛士の中では噂になるぐらいに活躍していたと聞いているし、その後の防衛線でも最前線で戦い、生き抜いたことも確かである。
更に遡れば、光州作戦。非常に困難な戦術として知られている
だが、噂というものは有名な隊にこそついて回るもの。良かれ悪しかれ、注目は避けられない。
そして斯衛にも、かの中隊を忌避する声があった。
義勇軍とはいえ他国の部隊に動き回られて面白くないのは、国防を自負する軍にとっては当たり前のことだ。その上での同じ基地への斯衛軍の配属、隊長は斑鳩の懐刀と言われている自分である。背後関係をそれとなく察せる知識があるものなら、疑うのも当たり前だろう。
さりとて、どう答えたものか。光は迷っていると、ふと近づいてくる衛士の気配を感じた。
質問をしてくる小川中尉の意気を逸らす意味もあり、その姿を確認すべく振り返る。
そこには、帝国陸軍の日本人と思わしき衛士と。
『お話中にすみませんが――――うちのバカ、見なかったですか?』
東南アジア系列と思わしき衛士が、英語でそんな事を聞いてきた。
「良かったね、唯依!」
「え、ええ。そうね」
走りながら戸惑いながら、篁唯依は石見安芸に同意を示した。良かったというのは、自分たちの隊長になる人のことだ。斯衛といえど、実戦を経験したことがないという衛士は少なくない。
初陣を経験したことのない自分たちにとっては、実際のBETAとの死闘を知っている衛士で欲しいという願いがあった。そういった点で言えば、大陸でも有数の激戦だったという作戦を経験したことがある風守少佐が指揮官となったのは喜ぶべきことであった。
だが、手放しでは喜べないような。唯依はどこか引っかかるような思いを抱いていた。
「でも………言ってはなんですけれど、何故風守少佐ほどの方がこの基地に配属されたのでしょうね」
「………山城さんも、そう思う?」
「ということは、唯依も?」
そもそもが赤の斯衛、斑鳩家の側役として名高い風守家の精鋭である。そんな人が、どうしてこの時に京都の中央を離れるのか。ここ嵐山の補給基地も京都ではあるが、風守光ほどの衛士であれば、五摂家の方々が集う京都市の中枢部で護衛のために控えているのが自然なことであるように思える。
「えー、少佐もおっしゃってたじゃない。教練途中で任官したあたし達のためだって」
「そうですわね。実はといえば、私も不安で仕方なくて」
「安芸、志摩子………うん、そうよね」
「背はアタシと同じぐらいだったけど、指揮官としての、こう、なんていうか威厳に溢れてたよね!」
「し、身長は関係ないんじゃなくて?」
「ま、間違っても本人の前で言っちゃだめよ、安芸」
唯依は顔を若干ひきつらせながら、思う。考えすぎかもしれないと。そして否定できる材料として、先ほどの言葉を思い出していた。共に戦う同志であると、少佐は自分たちに言ったのだ。
新兵である自分たちを、真正面から――――身長差があって目線が下だったから、少しこっちが見れば見下ろす形になったけど――――見て、その言葉に嘘はないと信じることができた。おざなりの、形式だけではないような。それに、今走っている理由もそうだった。相棒といった、だからこそ報告をしろと提案してくれた。
(………確かにそうだ。あの日、BETAが上陸してから一ヶ月も経っていない)
思い返せば、BETAの日本侵攻より任官まではあっという間だった。今年の4月の頃には、次の桜を見られる頃には自分は死の八分に挑まんとする、一人前の衛士になっていると。
そう思っていたのに、わずか4ヶ月ほどで自分たちは任務を与えられる状況になっていた。
卒業証書を渡され、真田教官は前線に配属され、練度が不十分と判断された同学年の子達は戦術機も与えられず、後方に回された。
学校はまた別の施設として利用されるらしい。最早、一月前までの光景は二度と取り戻せないと、そうなるまでにかかった時間はあっという間にその後も戸惑う暇さえなく、卒業と同時に任官。そして、自分たちのために用意された瑞鶴を見て。入学時に憧れ、夢にまで見ていた瞬間だったのに、落ち着いて感激する余裕さえなかった。
だけど、ここでやり直せる。早いけれど衛士としての最初を実感すること、それを改めて。複雑な心境はあれど、それが嬉しいことであるのは間違いなかった。自分達のために用意された相棒に、改めて挨拶できるのだ。唯依は、きっと皆も自分と同じ考えを抱いているのだろうと思っていた。
状況や経緯がどうであれ、あの瑞鶴はこれから自分たちと一緒に戦う相棒であり、同僚である。
任官し、同志と言われて、衛士としての実感を持った後に向き直るのも良いことだと。
先日に訓練学校で会った時とは違う、部下に対する上官の声だった。だけど、それでも風守少佐は風守少佐だった。
「………でも、そういえば少佐は」
「なに、唯依?」
「え? いえ、なんでも」
唯依はこちらの話だと答えて、思い出す。土気色になった少佐の顔を。途中にあったBETAの報告にあり有耶無耶になったが、どうしてあの時少佐はあんな顔をしていたのだろうか。
唯依は今も母上と一緒に実家に居るであろう少女のことを思い出していた。斯衛の訓練生や、今までに出会った誰とも違う、横浜からきた女の子。今は塞ぎこんでいるらしいが。
(巌谷のおじさまは、彼女について何かを………知り、隠されていたようだけど)
問いかける間もなく、自分は任官となった。この侵攻を乗り越えれば、説明もあるかもしれない。
そうして唯依は気持ちを切り替えて、走り続けた。
ハンガーの自分達の機体がある場所に到着し――――そこで、唯依は見た。自分に与えられた山吹の瑞鶴と、隣にある白の瑞鶴。その並んでいる機体を下からじっと見上げている、衛士がいた。唯依はじっと観察した。年の頃は、自分たちと同じくらいだろうか。茶色の髪に、自分よりやや高いぐらいの身長。顔立ちは日本人のそれであるが、纏っている軍服は帝国軍のものではないことが分かる。
「えっと………誰、だろ。っていうかどこの軍の人なのかな………分かる、志摩子?」
「国連軍、じゃないわよね。えっと、山城さん?」
「ええ。あれは国連軍のものじゃないですわね」
ウイングマークの形も違いますし。唯依はその言葉に頷き、恐らくは国連軍のように知られてはいないだろう軍服の所属元を思い出そうとした。そうして皆が悩んでいる中に、先程まで黙っていた人物の、呟くような声が割って入った。
「………ベトナム。ベトナム義勇軍の、パリカリ中隊の衛士だと思う」
「ええ!?」
能登の声に、全員が驚きを返した。まだ任官間もなく、噂でしか聞いていない。だが、噂の内容は規格外というか、尋常ではない衛士であると思わせられる内容が多かった。
曰く、かの中隊の戦術機は光線級のレーザーを弾く装甲を持っている。
曰く、九州に配属されていた本土防衛軍の12人の相手を、たった一機で蹂躙した。
曰く、突撃級を上手投げで転倒させた。
曰く、隊長機は特に化け物で、眼からビームを出すらしい。
曰く、足手まといな衛士は、機体諸共に微塵切りにされるらしい。
どう考えてもあり得ないものが混じっているが、本土防衛軍の衛士が「化け物みたいな腕っこきらしい」と言っていたのが、唯依の耳に残っていた。唯依は噂のどこまでが真実か、それは分からなかったが、目の前の衛士が普通でないことを理解した。
ハンガーの中で一人。じっと見上げる佇まい。首筋に見える、絞り上げられた筋肉。その全てが、絵として違和感なく仕上がっていた。まるで何年も前からそこに居るような気配さえしていた。そして遠くからでも分かる瞳の中には、何とも言い様がない質の光を帯びていた。まるで遠い世界から来たような。そう思った瞬間、その瞳がこちらを向いた。
「って、こっちに来た!?」
大声で話していたせいかな、と安芸が戸惑う。だが、最早時すでに遅し、後の祭りであった。じっと瑞鶴を見上げていた義勇軍の男が明らかにこちらに向けて歩いてくる。思ってもみない状況に安芸が慌て、志摩子が自分の背後に隠れた。
(でも、ここで退くわけには)
怯えを見せるのは、士道不覚悟である。先ほど斯衛となった自分である、異国の衛士に後れを取ることなどできない。隣を見れば、自分のライバルでもある彼女、山城さんも退くつもりはないようだ。唯依はそうして意を決し、先手を取ろうと話しかけた。
(化け物のような義勇軍、とはいえ!)
英語ならば通じるだろう。出だしの言葉は決まっていた。
初対面の相手にすることなど決まっている。
故に挨拶を―――“ハロー”、と。
唯依が言うのと全く同時に、少年は言った。
「こんにち………ん、ハロー?」
「え………」
声の後に、間の抜けた風が吹いたような気がした。
気まずい沈黙が流れる。そして石見安芸は、恐る恐ると尋ねた。
「えっと………実は、日本語喋れる?」
「全然オッケー。まあ英語でも問題ないけど、できれば日本語で………えっと、俺なにかしたかな」
唯依は、自分に視線が集まるのを感じていた。山城さん達だけではなく、通りすがった整備員が立ち止まり、こちらを見る気配を感じた。
「………唯依、ファイト」
「貴方は勇敢だったわ、唯依」
慰めの言葉をかけられた、次の瞬間。
唯依は自分の顔が羞恥に真っ赤になっていくのを、止められなくなった。
「えっと、何が何だかわからないけど………隊長さん、になるのかな」
場を流すように少年は前に出て、そして。
「ベトナム義勇軍、パリカリ中隊。コールサインは“パリカリ7”。斯衛軍のみなさんと一緒に戦うことになる、鉄大和中尉だ」
軽く、手を上げて自己紹介の後に。
そう、遠くない未来――――日本より遥か北方の地で、大きな騒動に巻き込まれる事になる二人の手が重なった。