Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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大変長らくお待たせしました、唯依編の前編です。

人気投票一位だった結果を考慮し、ボリュームは前後編の構成で。



後日談の4ー1 : 『唯依と武と(前)』

 

戦術機の攻撃力と防御力を比べれば、圧倒的に攻撃力が勝っているというのは常識の話だ。手に持つ兵装の種類を問わず、そのどれかが直撃した時点で、戦術機は墜ちる。長刀などと欲張りは言わない、120mmさえ必要ない、36mmの弾頭の端でいい、機体に掠らせることさえできれば優勢を取れるのだ。

 

守勢に回るなど論外中の論外。戦術機どうしの戦闘において最も重要なのは、機先を制することだと俺は考えている。

 

ましてや、相手は完全な格上―――15歳の頃から戦場に出ていた、今ではベテランと呼ばれている衛士なのだから。

 

(距離を保て、近づかれれば負ける。俺に、篁の剣を防ぐ技量はないのだから)

 

意地を張って負けるのは男らしいとは言わない、ただの無能で間抜けなクソ犬がすることだ。勝負は勝つためにやるものなのだから。故に、危険を犯しても臆することなく一心不乱に攻撃を仕掛けることこそが、最善。

 

自慢の視力で敵機の動きを読み取りながら、届け、届けと願いをこめて引き金を引き続ける。轟音と共に36mmの飛礫は次々に飛んでいった。

 

単独では勝ち目がないのは分かっている。僚機との連携をしつつ、止まれば的になるだけだと機体を全力でぶん回しながら、視界の先に居る山吹色の敵機に向けて雨あられと砲弾をばら撒き続けた。

 

(当たれ、当たれ、当たりさえすれば俺は一気に―――)

 

階位など、色の差など些末な事だと宣言されたんだ。次の五摂家の一角、新生“崇宰”に侍るに足る精鋭部隊の選抜試験、萎縮して縮こまる弱卒など武士の風上にも置けないだろう。だから糸口を掴むための戦術を練りに練って、新しい旗頭に誇れるだけの能力を見せつけることこそが最良の選択肢だと俺は考えた。

 

(いや、そこまでなら誰もが思いつく発想だ)

 

俺と同じく出世欲にギラついている者たちより先んずるためには、目に見える成果が必要なのだ。例えば、試験官であり教導役でもあり、旗頭そのものであるこの相手―――篁唯依少佐を相手にして、撃墜判定をもぎ取るなどの、有無を言わせない実績が。

 

未来が左右される一戦と言っても過言ではない、故に俺は果敢に攻めて、攻め立てた。だというのに、何度も繰り返しているというのに、俺の攻撃は掠りもしなかった。距離が遠いのか、照準が甘いのか、精度が不足しているのか。

 

(―――否だ。俺の射撃の成績は同期でもトップクラスなんだぞ、だというのに)

 

常人離れした視力と照準を合わせる精度は、例え上官であっても引けを取らないものだと断言できるのに、どうして何度やっても当たらないんだ。

 

内心の苛立ちが舌打ちになった、その時だった。

 

何かを間違ったかのような、嫌な感覚が背筋に奔ったのは。

 

両腕が自らの直感に従い、動き始めたが、遅かった。

 

 

『―――欲張り過ぎだ、高遠少尉』

 

 

まだ大丈夫だと、そう思い込んでいた自分の迂闊さに恥じ入る暇もなかった。

 

次の瞬間に視界を支配したのは、虚を突いて急速に間合いを詰めてきた山吹色の機体の姿と、長刀の煌めき。

 

叱られるように叩きつけられた攻撃を、認識して間もなく、コックピットの中に撃墜判定の4文字とそれを示す音が無情に鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやー………盛大に負けちまったな。いっそ見事に」

 

「笑えねえよ、クソ」

 

苦笑する僚機―――森近に、俺は悪態をついた。笑えるような結果じゃなかったからだ。帝国の精鋭とも言われている俺たち斯衛が4人だぜ。一斉にかかったというのに勝利どころか優勢さえ掴めなかった事実を、例え冗談でも受け入れる訳にはいかないだろうに。

 

「いや、笑ってねえよ。むしろ笑うしかないって話だぜ……なあ、高遠よ」

 

嬉しそうにいうものの、森近の声は少し震えていた。それを聞いて俺は、何となく察した。褒める気持ちも、悔しいという気持ちもあるのだと。注意する気が失せた中、俺は一部でどこか同意したくなっている自分に気がついていた。

 

―――攻め気は良いが、間合いを見損なうな。

 

―――誰が相手でも関係が無い、ただ一つ共有して言えることは、人は意識の死角からの攻撃に弱いということだ。

 

―――勝ち気を強めるのは奨励するが、芯で受け止められず重心がブレるのならば抑えるべきだ。

 

模擬戦の後、淡々と告げられた内容はいちいち図星をついたものだった。反論したいという気持ちも湧いたが、それ以上に見抜かれていたという事実に対する驚きが勝った。

 

「……流石は、次期五摂家の一角を担う気鋭の達人という所か」

 

「ああ。見た目は同い年に見えたけど、機体越しに相手になったら、なあ?」

 

とても同い年には見えないと言外に示された言葉を否定できる材料はなかった。威風堂々と、4人に向かい合って言葉を交わす―――違う、言葉をかけてくれたと思わせられるだけの風格が彼女、篁唯依にはあった。

 

「ふん……俺は認めねえけどな。少しは強いかもしれんが、それだけだ。空になっていた座を掠め取っただけの女になんぞ」

 

「……俺も、別にそこまでとは思わないな。崇宰大佐が生きていれば、少佐の出番はなかった。いや、御堂中佐を差し置いてどの面で戦技教導だの抜かす「そこまでにしとけよ」」

 

遂に我慢しきれなくなった俺は、強い口調で愚にもつかない会話をせき止めた。お前たちこそ偉そうに、どの口で抜かすのか。負けた口ほどよく回るというが、現実に聞けば滑稽を通り越して苛立たしい。

 

正しいとか間違ってるとか論ずる前に、考え無しに突っ込んで速攻を受けたお前達が言うと負け犬の負け惜しみにしか聞こえねえんだよ。遠回しに言ったつもりだが、嫌味と皮肉には敏感だった二人―――富田と吉峰は、顔を歪めながら反論をしてきた。

 

「よく言う。慎重気取ってるところ悪いが、お前も似たようなもんだろうが。徐々に間合いを調整されてたことに気付かなかった間抜けが、どの口で抜かす」

 

「はん、撃ち合う前に一方的にやられた奴が言える台詞かよ。あれは、あっちが上手かったんだよ、畜生めが」

 

言い返しつつ、自分の力不足を痛感してしまい、鼻にツンとした刺激が走った。勝てる、勝てると思い込んだ上で呑まれて一閃だの、みっともないにもほどがある。

 

そうしている内に、バカ二人は苦虫を噛み潰したような顔で舌打ちをした後、顔を背けた。なんだよ、言い合う価値もないってのか俺は。

 

「そこまでにしとこうぜ、高遠。まあ、言わんとしている所は分かるけどなぁ」

 

少し離れいていた森近が、苦笑しながら言う。傍目には眉唾に近かった彼女の経歴が、嘘じゃないことが確認できただけでも収穫だったと。

 

「京都で訓練未完了のまま初陣、にもかかわらず地獄のようだったという第二次京都防衛戦で負傷しながらも生還………後に関東防衛戦も参加、それだけじゃない」

 

譜代から聞いた話ではないが、噂では明星作戦で主君を失い混乱した部隊を一喝して態勢を立て直させたという。自分にそれができるか、と言われればどうか。

 

(できる、と答えるには見栄による虚力が必要だよな……どんな傑物だよ、本当に)

 

崇宰の直系に近い血を引いているとは聞いたが、それだけでは無理だろう。何より、先の帝都防衛戦での、篁唯依の奮迅振りだ。傍役である御堂家を差し置いて山吹如きが、という各所からの反論を退けて余りある成果を、戦果を、背中を、篁唯依は崇宰の譜代と臣下に見せつけながら戦い抜いたのだから。

 

「……殿下の口添えもあったから、だろうが」

 

「そこまで言うと男を下げるどころじゃ済まねえぞ。それに、俺としては歓迎だがね」

 

阿呆の片割れが囀ったが、森近が言葉で封殺しながら笑った。

 

―――だって美少女だし、と告げた時の目は忠告の言葉を告げた時よりも更に真面目な色を含んでいた。

 

「すっっっげー、綺麗な黒髪に、あのスタイルだぜ? お前達も見ただろ。機体から降りた後、絡まったせいかは知らんけど、長い髪を左右に振った時の仕草を」

 

「ばっ、お前、何を」

 

「汗で、額に、髪が数本張り付いてなぁ……」

 

髪と一緒に胸も揺れた、と言う森近を制止する。馬鹿二人も、それ以上の追求はしてこないまま、顔を若干だが赤くしていた。

 

―――そこで、分かった。こいつらは、嫉妬心と尊敬の心がないまぜになっているのだと。なぜかって、俺も同じ気持ちを抱いていたからだ。

 

帝都を守るべしという斯衛の責務に、力と準備が不足していようとも構わず、戦場に出た先任。同期を失いながらも、心を壊さないまま、戦場に出たこと。それだけじゃない、怨敵である米国の圏内であるユーコンに単身赴いた上で、佐渡を、甲21号を、カシュガルを陥落せしめた国内産の戦術機の傑作中の傑作と言われている不知火・弐型の開発に尽力したのだ。

 

同年代として、負けたくはない。負けたと認めたくはない抵抗がある。だとしても、どこかで敵わないという自分が居る唯一の異性の同年代の英雄、象徴が篁唯依という人物だった。

 

「う~ん、でも俺たちの同年代に近いと言えば、殿下は―――」

 

「不遜だろ貴様えぐり取るぞ舌を」

 

「あっはい」

 

馬鹿の片割れこと吉峰が真剣な声で言う。倒置法だと突っ込む隙間さえなかった。別枠だろ、という気持ちは心の底から分かるが、殺気を含めた声とか腰元に手をやる仕草とか、色々と心臓に悪すぎるんだが。

 

殿下―――煌武院悠陽様は、色々と規格外だ。比べようだなんて烏滸がましい、論ずることさえ無礼だ。少なくとも俺は、遠くから見ているだけで緊張する譜代の当代。それだけではない、あの人達でさえ越える五摂家の方々を前に、自分の意見を述べられるような自信はなかった。

 

「……殿下に比べれば、とか言って侮る年寄りは多いけどな」

 

斯衛とて、一枚岩ではない。混迷の時代であると分かっていてさえ尚、私欲に走るものは居る。所詮は20やそこいらの小娘という態度を隠さず、力で彼女をモノにしようと企む者も居るらしい。

 

なにせ、元が赤でさえない、一端の譜代である山吹でしかなかった篁の家の長女だ。国内のBETAの脅威が収まった今、地盤を固める以外に、空へと手を伸ばそうとするのは至極当然な行為らしい。俺には分からないが、直接的な身の危険が収まったと思い込む者ほど、余計な行動をするものだと森近にため息混じりに説明されたことがあった。

 

着実に成果を重ねている彼女だからこそ、手に入れるに相応しいと考えている堅実な輩も居るとか。訓練兵からは尊敬の目で見られているが、役割を与えられ、家のことを考え始めている者たちからは尊敬と嫉妬、羨望と我欲それぞれの色が含まれた視線を向けられているらしい。

 

現当主である篁祐唯が開発した、小型戦術機の恩恵にあやかりたい者も居る。復興が主となる今後10年の帝国の未来において、かの兵器が担う役割は小さくない。大陸でのフェイズ4を越えるハイヴ攻略戦で必須になるという声を聞けば尚更だ。今や飛ぶ鳥を落とす勢いである篁家に、擦り寄ろうとする家は多い。崇宰の下だけではない、九條と斉御司、斑鳩や煌武院の譜代でさえ例外ではないのだ。

 

(―――違う。それよりも、俺は)

 

忘れられなかった。声が。力で負かされた先の戦闘が―――何よりも、あの声と姿が。訓示を受けた時の記憶が、目に焼き付いて離れない。

 

見惚れるという訳ではない、ただ脳内で何度も繰り返してしまう。そう自分に言い聞かせて、俺は踵を返した。後ろから森近の声がするが、無視をする。

 

敗北の理由など、話題には事欠かないんだ。だから、それを切っ掛けにして話せれば。少しでも、一言でも多くの言葉を交わすことができるのならば、俺は。

 

―――すらりと伸びた鼻筋、柔らかそうな頬、厳しくあった目さえも整っていて。その髪は、烏の濡羽色の長髪は日本の美しさを誇るが如く流麗で。強化服の上からでも分かる凹凸があるだけではない、滑らかな曲線を描く肢体は一種の芸術と思えるほどに黄金比に迫っていた。

 

どこかぼやけた思考で、そんなことを考える。

 

やがて、廊下を歩き渡ってハンガーに到着して間もなく、俺は篁少佐の姿を見かけた。一人ではない、そこには彼女の同期であり親友だという、山城大尉の姿があった。

 

任務に関してか、これからの教導についてか。距離は遠く、声も聞こえないため、話している内容は分からなかった。それでも俺達に対するものとは圧倒的に違う。表情や仕草は、どことなく柔らかいものを思わせられるものだった。

 

俺以外はまだ見えていないのだろう、他の者達は何の反応もしなかった。

 

だけど、それも今は関係がない。俺はどうしようもない衝動に駆られ、少佐に話しかけようとして。

 

―――直後に見せた表情を前に、その歩みを止められた。

 

近くから、どうしたと問いかけてくる声も忘れ、俺はただ遠くに見えた人の顔を呆然と見続けることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「人は簡単には動かせないし、都合良く育たない。躍起になっている者程、その傾向が強いのは分かっていたが……」

 

「そういう時期なのでしょう。特に、今の()()の臣下の者達にとっては」

 

愚痴るような呟きに、上総は苦笑と共に答えてくれた。先月とは異なり、諌める口調ではなく些かの諦観を含ませたのは、度が過ぎていることを実感したからか。気持ちが痛いほどに分かるのは、私も同じ考えを抱いていたからだった。

 

全てが、先程までの模擬戦の内容で説明が出来る。

 

―――現場をまとめられる者が居ないのだ。部隊を指揮し、群としての力を発揮するためには、目の前のことに集中するだけでなく、一歩退いて全体を俯瞰する視点が必要になる。だというのに、崇宰の臣下の衛士誰もが、己の力を示さんと躍起になっているだけの者ばかりだった。

 

これが機会だというのも分からない話ではない。だが、自分を売り込むならもっと冷静になれと言いたかった。斯衛の練度を疑う筈もないというのに、この模擬戦を実施した意味を読み取って欲しかったのに。

 

自分の都合の良い風にしか考えない。意思疎通が、はたしてどこまで取れているものやら。思わずこぼれたため息に、上総は苦笑と共にそれとなく周囲を見ていた。そして、声が聞かれないと判断したのだろう、笑えるわ、と一言置いて小声で呟いた。

 

「まるで嫁取り合戦ね。勘違いしている者の多すぎること」

 

「……分かってはいるつもりだったけど」

 

実際に目にすると、嫌悪感は増す一方だった。先の“白”の斯衛とは異なり、山吹や赤の斯衛の衛士はもっとあからさまだったから。

 

本音で話すが、万が一にも聞かれる心配はない。ここはハンガーで、様々な音が入り乱れている。

 

それよりも、最近の武家の男子の動きだ。力づくでモノにしてやるという、鼻息が隠せない機動で何度も仕掛けられては、忍耐の文字も削られる。いっそ心を消して刃で答えるべきか、と思わせられるぐらいには酷いのだから。

 

「まるで竹取物語の如しね……ここは一つ、入手不可能な宝でも取ってこいという難題でも出したらどうかしら」

 

「混乱が加速するだけだから。まったく、こんな状況になるなんて……」

 

予想外にも程がある。帝都と横浜を守るための戦い、あの時の判断を間違えたとは思っていないし、思いたくはないけれど。

 

「自然な流れとも言えるわ。誰彼の差別なく、人は芯まで届いた熱には、ただ浮かされるものだから」

 

一番は、年若い殿下の輝きによるものだろう。そして、佐渡奪還に防衛成功、あまつさえはオリジナル・ハイヴの攻略だ。夢のような成果が連続した影響で、日本は沸きに沸き立っている。秩序もなく、混沌とした様子で。

 

「次は俺も、私こそが。嫌でも分かる話だけど」

 

苦笑する上総に、私は同意した。初陣に立ってしばらくした後は、持っていた感情だ。私ならば何かをやれる筈だと、根拠のない自信に浮かされていた。実戦を経験した後には、一人では何もできないという“当たり前”を知って、その成は潜まったけど。

 

「……収まるには、負け戦が必要なのだけれど」

 

熱が自らの内から出たものなのか、誰かに与えられたものなのか。それを知るには、一度転倒する必要がある。走っているのか、走らされているのか、止まらなければ気づけないのが狂奔というものだ。

 

「ええ……だけど、それを経験して欲しいと願うのは、傲慢すぎる考えね」

 

安全な敗北などない。私が京都で思い知ったのは、人が状況を選ぶのではなく、状況が人を選ぶのだということ。都合の良い未来は絵空事に過ぎなく、形にするには自分の手と足を使わなければならない。

 

「それでも、放置するという選択肢だけは選べないのよね。史記に曰く、“狡兎死して走狗烹らる”―――とまではいかないけど、暇になると余計なことを考える輩はどこでも出てくるものだから」

 

「都度反応している私が潔癖すぎる、とでも言いたいの?」

 

「健全さは重要よ。でも、上に立つ者にとって、清濁とは併せ呑むものに他ならないと言いたいの。実際、欲を前面に出している誰もが一廉の自負を持っている武士よ。それを向けられる者として、『言い寄られるのは一人の女子として冥利に尽きる』って返して、不敵に笑って見せた方が風格が出るかもしれないけれど」

 

忠告半分、冗談半分だろう。私はそのどちらも、首を横に振ることでお断りの意思を見せた。受け入れた後の事など考えたくもないし、認めたくもないから。

 

それを回避しつつ、部隊の人員―――それだけではない、崇宰の旗に集う衛士を教え導くことの、なんと難しいことか。

 

分かって欲しい、という気持ちは甘えだという。よほど気心の知れた中でも、言葉を交わさずして相互に理解を示せるのは全体の2割ほどだという。海外に出て多くを体験してきた者の言葉の説得力は大きく、実際に体験すれば2割もあるものか、と疑わしく思えるほどだ。

 

衛士達の噂を聞けば、否が応でも理解できる。若手だけではない、それなりに現場を経験してきた衛士でも、私の歩んできた道のりは栄光に溢れていて、だからこそ帝都を守る戦いでああまで指揮出来たのだという。他の五摂家に認められ、助力を得られたのだと。

 

なんだというのか、それは。笑うことさえ出来ない。私が、篁唯依が成したものなど、石の欠片ほどしか無いというのに。

 

初陣の頃、あの京都で私は誰かに何かを教えられるばかりだった。右も左も分からない中で上官と先任の足を引っ張るどころか、同期の戦友さえ守れなかった。どこかで『自分は期待されているのだ』という思いがあったが、愚にもつかない自惚れは現実の前に粉微塵になった。結局は何も出来ずに終わり。私は不甲斐なさのあまり、負傷して搬入された病院の中では子供のように泣くことしか出来なかった。巻き込まれた民間人だった純夏が、見かねて声を掛けてしまうぐらいに。

 

明星作戦は、極めつけだった。尊敬する主君を守ることも出来ず、おめおめと自分だけ生き永らえた。あの優しく立派だった恭子様を守れてさえいれば、今の崇宰はもっと威厳を示せていたように思う。

 

その後も機会を与えられないままずっと燻り続けた。地道に努力を重ねるしかないと分かってはいた。眼の前のことを必死にやったが、どこかで私は焦っていたのだろう。

 

果てに掴んだ―――掴まされたのだと今ならば分かるが―――ユーコンでの機体開発では、兄様の足を引っ張り通しだった。焦っていたという気持ちなど、なんの言い訳にもならない。色々な人達の助力を得て結果を出せたのは他でもない兄様の力があってこそだと、私は今でも信じている。

 

理不尽な政治の話に対し、明確な打開策も見出だせず、ただ助けられるままに事態を守ることしか出来なかった私など、居なかった方が良かったのかもしれない。

 

「いえ、そうでもないと思うけれど」

 

「……心を読まないで欲しい。それに、私が一歩踏み出せたのは……私情に過ぎない。“置いていかれたくない”という気持ちが一番強かったと思うから」

 

ユーコンで、海外という修羅場の中で私は色々なものを見た。世界が抱えている現状を、絶望を。そして、武が抱えてきたものの大きさ。様々なものを背負いながら進んできたこと、その道の険しさを。あれ程までに傷つき疲れ果てながらも、挫けず諦めないどころか、まだ前に走ろうとする人が居るのか。意地を通すだけではない、こちらに気を遣いながら笑うことができる(ひと)が存在するのか。

 

そして、兄様にも。四面楚歌の状況でも屈せず、自分の意思の元に戦い抜いて、欲しいものと場所を命がけで勝ち取ったあの人の妹として恥じぬ存在になりたかった。

 

決意した途端に、胸に炎のようなものが湧き上がったように思う。

 

凄い、尊敬すべき人は大勢居るのだと知って―――同時に、負けたくないと思った。武士として、戦士として、軍人として。国防を憂う一人として、前に進む人の背中に憧れを抱くだけではなく、追いつきたい―――置いていかれたくないと、そう想った。

 

自らに依って立ち、誰かのために前へ進み続ける人達の隣に、胸を張って立てるのならば自分は、と。

 

そして、立った理由はそれだけじゃない。何よりも、あの場で何もしないのは卑怯だと感じたからだ。

 

帝都の危機、否、日本最大の危機の中で黙り込むことだけはできなかった。崇宰の傍系とはいえ、私はあの場において臣下の衛士達を引っ張れる理由を持っていた。その道筋も見えていた。だというのに保身を考え踏み出さない私が、どうしてあの背中に報いることが出来るのか。

 

本気、という言葉がふと浮かび、その本当の意味を意識した。それは気分で決めるものではないのだろう。考えて出すものでは、きっと無い。後ろ足に体重を寄せてどうこう言えるような簡単なものではなく、全身全霊を賭けた上でもなお足りないものを指して言うのだ。

 

あの人は―――武は、それを体現していた。人それぞれに戦う理由はある。だけど、『守りたいから戦おう』なんて単純な剣理を見るだけで理解させられるような人は、そう多くないと思う。

 

まるで風のように、規則性がなくても目的を果たすためにはただ一迅だったあの背中を。京都での試製武御雷が見せたあの一閃に恥じない自分で居たかった。

 

だから、私は後戻りの出来ない一歩を踏み出した。

 

「……でも、私が成し遂げた事では無いように思う。最低限上手くやれたのも、助けがあってこそだった」

 

「そうかもしれないわね。だけど、私はそうは思っていないわ」

 

五摂家の一角として名乗りを上げること、それを事前に相談し、否定せずに協力と助言をくれた親友は苦笑していた。

 

強い怒りを抱くことが出来た貴方が居たからこそ、成功したのだと。

 

私は頷き、感情のまま拳を強く握りしめた。

 

―――自分のことしか考えていない譜代達に対する、腹立たしさがあった。

 

恭子様の死後、一向にまとまろうとしない崇宰の譜代武家をずっと見てきた。父も同じ気持ちを抱いていたが、口を挟むことはできなかった。

 

当主だというのに、明星作戦に出陣しなかったこと。そして、恭子様と同じ戦場に居た私が。目をかけられていたというのに、最後の最後には守れなかったという私に向けられた視線が弱みになっていたからだ。

 

ユーコンに行く前の立場であれば、口出しをした所で逆に責められ屈服させられていただろう。家格も、色という意味では不足していた。『篁如きが口を挟むな』の一言で、周囲の者も含めて封殺されることが分かっていた。

 

立場が変わったのは、ユーコンでの功績が知られた後。テロの際に最後の一線を守りきったという武名と、不知火・弐型開発の功績が認められた後。そして、父の開発した小型戦術機『須久那』が甲21号作戦で目覚ましい活躍を見せたから。

 

それらの武器を手に、傍役という譜代筆頭に近い御堂家の手も借りながら、崇宰の譜代達を強引にまとめきった。上の世代の人間が多く残っていれば不可能だっただろうが、京都撤退から関東防衛の最中に、多くの者達が代替わりをしていた。

 

様々な要素が絡んだ結果、私が指揮権を握ることができた。事前に斑鳩公や斉御司公、九條公に話を付けることが出来ていたのも大きかった。

 

「……でも、私だけでは到底不可能だった。こと人脈という点においては、他力本願どころの話じゃなかった」

 

他所の人間や家との関係性、信頼は時間と共に積み重ねる以外に深める事ができないもの。それを前借りする形で取引が出来たのは、間に互いがよく知る人物が居たからだ。斑鳩公の口添えもあったが、五摂家という武家の頂点との繋がりが得られたのは、白銀武という存在があってこそ。

 

武家たるもの、他者ではなく自らに依り立つべしという期待がこめられた私の名前―――唯依という二文字を考えれば、恥じ入るばかりだ。

 

「ふうん……確かに、借りが増えすぎるのは困るものね」

 

「ええ。今でも返しきれないぐらい、多くのものを貰っているというのに……」

 

「いえ、そういう意味ではなくて―――破産した家に居る美しい一人娘の返済手段なんて、昔から一つしかないでしょう?」

 

「えっ?」

 

どういう意味か分からない。首を小さく傾げながら困っていると、上総は身振り手振りを加えながら色々と語り始めた、が―――な、なんだその破廉恥な話は!

 

「げ、下世話に過ぎる! というより、どうして上総はそんなに詳しいの?!」

 

「どうして、って……そんなに? 一般教養の範疇でしょうに」

 

上総が呆れながら言う。男所帯の軍の中にいれば普通に耳にするものらしいが、いやありえないだろう。反論するものの、上総は信じられないものを見た目で、逆に問い返してきた。

 

「え、唯依。あなたまさか“婚前交渉はー”とか言い出してしまうタイプ?」

 

「そ、それは、その………」

 

直接過ぎる言葉に、私はどう答えればいいのか分からず、たじろいでいると上総はため息を吐いた。どういう意味なのか尋ねると、上総は私の身体を―――足元から胸にかけて観察する目を向けた後、もう一度ため息を吐いた。

 

「……先の話に……嫁取り合戦の話に戻るけど、こうなっている責任は唯依にもあるのよ? 男はなんだかんだいって馬鹿なんだから」

 

「ど、どういういった理由で私に責任が?」

 

「男って大体の好みは似通ってるのよ。具体的に言うと、清潔で~活発で~でも儚げな所もあって~守ってやりたい所もあるけど、共に戦ってくれそうな頼もしさももっていて~」

 

次々に並べ立てられるけど、そんなことを私に言われたって。

 

「黒髪で、髪が長くて~でも擦れてる感じじゃなくて~純朴感があって~、なのに凄いエロス」

 

「エロスッ?!」

 

「……衛士の強化服はね。必要に駆られてのことだっていうのは分かるけど、それはそれとしてこれをデザインした人は変態だと思うのよ」

 

「それは……確かに。でも、強化服と私にどんな関係が」

 

「これは信用できる筋の某人物から聞いた話なんだけど……恋をしている女って、隠しきれない女らしさが出るのよ」

 

上総は納得できる、と頷きながら私を見た。

 

「ユーコンから帰ってきた後の貴方、自覚がないだろうけど……所々の仕草が前とぜんっぜん違うのよ。鋭い人間ならすぐに察するレベル。それで、ね? ―――強化服のせいで隠すどころか晒してるのよ。均整の取れたスタイルと日本人女性の象徴である黒髪と一緒に女らしさを振りまいている女に対して、エロス以外の形容詞が相応しいと思うの? ……私服のセンスは要改善だけど」

 

「え、いや、でも」

 

「でも素材が素材だからね―――長くスラリと伸びた足に、キュッとしまった腰。丸みを帯びた、大きすぎなく形の良いお尻に胸に………言ってる内に腹立ってきたから揉みしだいでやろうかしら」

 

それは流石に冗談でも、と少し怒りを見せたけど逆に強く怒られた。唯依が悪いと言うけど、ど、どうして私の方が……? それ以前に、色々と聞き逃がせない話が。だけど、尋ねるより前に上総は忠告をしてきた。

 

「下剋上とまではいかないけれど、今は色々と“緩まって”いる時代でしょう? 純粋な数も減った。戦力を保持するだけじゃない、京都の時代まで戻すには色々と目こぼされる部分が出てくる。その中で貴方は最大と言っていいぐらいに格好の標的になっているのよ」

 

特に年若い連中は、前の時代のように遠慮が無くなりつつある。上総は頭が痛い話だけど、状況が変わってきていると苦々しげに言った。

 

「生粋の五摂家ではなく、だけど年が若くて功績がある有能な人間。手が届く、なんて思い込むバカは少なくないと私は見ているわ」

 

「だ、だけどそんな立場にあるのは、私だけじゃなくて………いえ、確かに」

 

上総の言う通りだった。五摂家であり、私と同年齢という点ならば他ならぬ殿下が居る。だけど、今の殿下を目にして居るのに、手が届くなんて思う人間が居るとは思えない。上総も同じことを考えているのだろう、頷いていた。

 

「太陽を手中に収めたいなんて考えるのは狂人だけだからね。それ以前に、陽の光に焼かれて浄化させられると思うけれど」

 

大げさな話かもしれないが、それだけ煌武院悠陽という名前は日本国内の中で絶対の存在になっていた。物理的か精神的かは不明だが、不埒なことを考える者は問答無用で浄化―――蒸発させられることが確信できるぐらいに。

 

「それに……こう言ってはなんだけれど、今後は国外との付き合いも考えていく必要があるでしょ?」

 

「……それは、確かに」

 

斯衛内に、父や私以上に国外との繋がり、否、付き合った経験を持っている人物が居るとは思えない。国を、帝都を守ることを存在意義としていた過去があるからだ。

 

唯一の例外は紫藤樹が挙げられるが、彼はあまりにも横浜に近すぎる。魔女と呼ばれていた香月博士を知っている者ならば、近寄るどころか触る気すら失せるだろう。

 

兄様は、斯衛のごく一部しかその存在を知られていない。真実が広まったとして、幸せになる人間など一人もいない。兄様自身がそれを望んでいる。だから、万が一にも巻き込む訳にはいかないし、そのような事を企む愚物が入れば容赦なく叩き切る覚悟だ。

 

「そういう事―――唯依は色々な意味で“美味しい”の。頂かれたくなかったら、もっと色々と自覚しておきなさい」

 

それが例え、俗なことであっても。親友からの忠告は重く、だけど間違ったことではないから、私は有り難く胸に収めた。

 

「でも………本当に、人の上に立つというのは色々と複雑ね」

 

「ええ、本当に」

 

白と黒をはっきりする事ができれば、なんと楽だろうか。

 

話を聞いて、思うのだ。どう変わるべきか、その道の唯一の正解が見えない。

 

―――そういう意味で狙われているからといって、振る舞いを乱すのは上に立つ人間にとって相応しくなく。

 

―――だからといって受け入れる態度を見せると、余計に勘違いを加速させてしまうようにしか思えない。

 

―――真摯に対応すれば応えてくれるというものでもなく、かといって不誠実は反抗の芽しか産まず。

 

―――厳しいだけでは人はついて来なくなるだろう、でも優しくすればこれ幸いと図に乗る輩が後を絶たない。

 

あちらを立てれば、こちらが立たない。五摂家として、臣下をまとめていくためにはどうすれば良いのか、今も試行錯誤中だ。

 

一つの解の候補に『能を舞うが如く』という言葉がある。その助言を届けてくれた斑鳩公の顔を私は思い出していた。

 

能面を身につけて行う仮面劇。どういった意味で能をつけるのかは、諸説ある。宗教的な要素か、呪物的なものか、人が役者に変身するという意図を示すためなのか。

 

確かなのは、舞台の上で観客が見るのは役者であり、面ということ。

 

優れた演者は表情が変わらない筈の一つの面を付けながら、様々な色や感情、表情を観客に魅せるという。様々な武家、臣下の上に立つ中で指揮者であり統括者である演者が―――舞台の中央に居る者が求められる事と同じことのように思えた。

 

だが、弱音は許されない。様々な状況(演目)の中で、見事に舞い続けることを当然のように要求されても、舞台に立つことを望んだのは自分自身だ。

 

生まれた時からその役目を定められ、多くのものを求められるも見事に果たすどころか、それ以上の役割をこなして来た人物を知っているからこそ、出来ないなど口が裂けても言えない。

 

演者は自分自身を見ることが出来ないという。ずっと舞ってきた先達も同じ状況だった。それなのに一つ一つ、相応しい役割の中で立派に役目を果たしてきた。演目を成功させてきた。故に、出来ないというのはくだらない言い訳にしかならないのだ。

 

私はこれから五摂家の一角として、私情に流されず、求められたものを期待以上にこなすことを責務としなければならない。

 

―――それでも。それでも、と私は想ってしまうことがあった。

 

これから先、私自身の素顔が求められることは、最早無いだろう。多くの者が多くのものを求めてくる時に、篁唯依の素の感情は障害になりうる。武家の誰かが伴侶になったとして、欲されるのは相応しい役割と役目のみになると思う。

 

だけど、もしかしたら―――もしかすれば。素顔でしか接してこなかった人と―――下手くそな仮面を強がりながら被り続けようとして失敗していた人と。一緒に居る間はずっと目が離せなかった、脳裏に焼き付いた人が、傍に居てくれたのなら。

 

……私も、誰かの事をバカと笑えない。頭に浮かぶのは都合のいいことばかり、それ以外は考えたくもないのだから。

 

「そんな唯依に朗報よ」

 

「えっ?」

 

自嘲している所に、上総が意地の悪い顔で告げてきた。またからかわれるのか、と思ったが、続けられた言葉は予想外のものだった。

 

「独自のツテでね。色々と、横浜の人間の話が聞けたわ―――それどころか、よ」

 

上総は勿体ぶりながら、囁くような小声で言った。

 

「怪我をしていた某人物だけど……来週には、衛士として復帰するそうよ。それも後遺症なし、五体満足に」

 

「そ、それは本当っ!?」

 

「ちょっ!?」

 

肩を掴んで前後に揺する。生きているとは知っていた、瀕死の重症から一命を取り留めたことは聞かされたが、機密だからと詳しいことは教えてもらえなかった。

 

だから、縋るように上総に、何度も。尋ねていたが、いい加減にしなさいと言われてようやく、私は我に返った。

 

「はっ?! ……ご、ごめんなさい」

 

「……いいわ。今までの話は何だったのか、という弾けっぷりだったけれど」

 

見られて無いわよね、と不安がる上総に謝る。先に連絡を受けた者として気持ちは分かるもの、と上総は小さく頷きながら許してくれた。

 

でも、少し引っかかる部分が。いえいえ、ちょっと待って。どうして私より先に情報の入手に成功しているの。

 

「蛇の道は蛇ってね……だから、ジト目で怒らないで。可愛いだけだから」

 

そんな目の自覚はないし、怒っているのに可愛いなんてどういう理屈なのか。上総に尋ねるけど、「え、天然? 天然で箱入りかつ純真って絶滅危惧種」と騒いでいたけど、意味が分からない。

 

「はあ……本題に入るのが怖いわね」

 

「え?」

 

もしかして、と尋ねる前に上総は優しい笑顔で告げてきた。

 

「感謝しなさい―――会う約束、取り付けてきたわよ。聞けばあっちも会いたかった、って喜んでた………わ……」

 

上総の言葉が徐々に小さくなっていくけれど、どうしてだろう。少し呆然としているだけでなく、頬に少し赤みがさしているけど、風邪だろうか。

 

それに、私は今どんな顔をしているのか。自分自身で分からないことばかりだけど、万感を込めてお礼の言葉を上総に告げた。

 

躊躇うように「え、ええ」という上総の声が聞こえ、ハンガーの入り口に入ってきた誰かが立ち止まるのが視界に入った。

 

それにしても、妙に身体が熱い。ハンガーの気温が上がりすぎてるのかもしれないと思った私は空調の状況を確かめるべく、上総と共に管理者が居る場所へと歩き始めた。

 

 

 




あとがき

年度末仕事による大侵攻をようやく迎撃できました。

後編は、そう遠くない内に更新できそうな感じです。

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