Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

225 / 275
41.5話 : 短編集

●美琴の話

 

 

怖くて震えが止まらない、という思いをしたことは何度かあった。最初は、父さんに連れられて入った森の中で、蛇に噛みつかれそうになった後に。あとは、方角も分からない密林の中で父さんの姿を見失った時も心細くて涙まで出そうになった。

 

軍に入ってからは、シミュレーターで人の死体を見た後に。精巧な人の中身は、それだけで人の胃腸にダメージを与えてくるものだと学習させられた。

 

「………でも、今度はとびっきりだよね」

 

震えるだけにとどまらず、目の前が暗くなっていくかのようで。それだけに、国連軍の憲兵(MP)から尋問された内容は、そこから連想できることはボクにとって大きなものだった。

 

―――決起軍に接触していた。

 

―――蜂起前には情報も提供していた痕跡が。

 

―――殿下を唆し、単独で帝都脱出を促したのも。

 

否定したかった。父さんはそんなことをする人じゃないって。変な所は、いっぱいある。でも、大勢の人達の命を弄ぶような外道だなんて思えなかったから。

 

それでも、鎧衣左近という名前はそれだけの事をしてもおかしくはない人物として認められていたという。

 

曰くに、帝都の怪人。まるでどこかの劇作家が考えたかのような名前。世界の裏に潜み、あらゆる情報戦に介入していたという実績があるからこそ呼ばれているのだろうとは思う。違和感を覚えなかったのは、ここだけの秘密だ。

 

でも、許せる事と許せない事がある。今回の一件、間違いなく大勢の人達を巻き込んだ。知らない人達だけじゃない、筆頭で言えば千鶴さん、慧さんに壬姫さん。そして冥夜さんも。

 

もしも、榊首相が―――千鶴さんのお父さんが死んでいたら。彩峰元中将が、珠瀬事務次官が、殿下が。そうなった時に、誰がその発端を作ったのか。考えるだけで、頭と胸の中がぐちゃぐちゃになって、どうしようもなくなってしまう。

 

「国連軍からの疑いは、晴れたんだ………でも」

 

証拠不十分だとして、こうして横浜基地に、207に戻ることは許された。それでも、ボクは父さんが何かをしたのだということは分かっていた。当然、千鶴さん達も気づくだろう。殿下が現れた時、父さんはそこに居たのだから。

 

戻った後に、責められれば。苦楽を共にした、死線さえも味わった、背中を預けあった大切な仲間の顔はすぐにでも思い出せる。でも、その顔が憎悪と嫌悪に満ちれば。自分に向けられれば。

 

十分にあり得る話だ。だって、人は手さえ使わずに人を殺せる。舌をナイフとし、耳目を介して多くの臓腑を抉ることができる、それが分かった今だからこそ恐ろしい。すべてを知られた時の仲間が取る反応が。

 

だというのに、どうしてなんだろう―――

 

「おかえり美琴。あ、これ宴会のしおりだから……あと、みんなに裏事情とかはさっくり説明はしておいたぞ。とりあえずは飲もうぜ、って結論になったみたいだけど」

 

―――どうしてなんだろうか。こんなにも呆気なく憂鬱の雲を晴らす暴風が、ボクの目の前に現れてくれるのは。

 

「気にすることないって。それに、あの時に確認しただろ? ―――鎧衣課長はこっち側だって」

 

「うん……頭では分かってたんだけどね」

 

殿下の側、という事は紛れもない国の意志に沿っていたという事だ。それは分かっていたけど、万が一がある。それに、殿下のご意志に従っていたとはいえ、千鶴さん達を巻き込んだという事実は否めない。そう主張するけど、タケルは宴会の会場に向かうまでの廊下の上で、周囲に誰も居ないことを確認した後、何でもないように答えた。

 

「実際、時間の問題だった。米国の工作はかなりの深度に及んでた。だから、一回爆発させる必要があったんだよな」

 

掘る暇は無かった。だから根こそぎ引っくり返されるより前に、こちらからひっくり返す。そこで現れた不穏分子を一掃する事が狙いだったと、タケルは難しい顔をしながら言っていた。

 

「損失は大きかったけどな……でも、佐渡島攻略してる時に引っくり返されるよりはマシだ」

 

帝都の防衛もままならない状態で土台から持って行かれるのは困るってもんじゃない。最悪は横浜基地をどさくさに紛れて接収される、それだけは防がなければならない。何故ならその時点で人類は詰むからだ、と不穏な顔をしながらタケルは困った顔で笑っていた。

 

「事前に防ぐに越したことはない。だから俺は、あの人はそれを阻止するために動いた……とはいっても、あっちもこっちも便乗する形になったけどな」

 

それでも大切な仕事だと、タケルは考えていた。戦いになれば、自分は多くの者達に勝てるだろうけど、その戦いで失われるものは大きい。人材に物資に貴重な時間。後々に残る禍根まで考えると、それだけで頭が痛くなる程だって。

 

それを未然に防ぐか、防げなければ出来る限り損失が少なくなるように“調整”するのが上層部の仕事で、そのための情報を届けるのが諜報員―――父さんの役割なんだって。

 

そう言われれば、否定はできない。例え家族に本当の事を話さなくても。裏切り者だと思われてもやらなければならない、ことがあるのは分かってきた。千鶴さん、慧さんが抱えてきたものを見てきたからだ。それを言うと、タケルは苦笑していた。

 

「そういう事だな……上に立てば、追わなければならないのは二兎どころじゃなくなるから」

 

大勢を助けるためには、身軽にならなければならない。どこにも現れて、最低限しか留まらず、飄々と次の現場に移動する事が求められる。まるで風のようにと、タケルは言った―――いつだったか、父さんが零していた言葉の通りに。

 

人の隙間をくぐり抜けて、目的の場所にまで辿り着くために、出来る限り軽く希薄に、時には酷薄に、誰かに迷惑をかけながらも。今回のこともそうだ。大勢を巻き込んだのは、紛れもない事実だった。指摘すると、タケルは切なそうな顔で、どうしようもないんだが、と呟いていた。

 

「他人事でもないんだよな……俺達も同じだ。敵が人間なら、加害者の立場になる時もある。俺達が勝てば、誰かが負けるんだからな……今回は米国だった、ってだけで」

 

負けて、利益が損なわれるだけに終わる話でもない。今回の勝利の結果、米国で何人の関係者が死ぬことになるのか、見当もつかないとタケルは噛みしめるよう言った。

 

「やりきれないけどな……でも、やるしかないんだ。進むしかない。自分が正しいと思った道を」

 

「……そして、自分の正しさで相手の正しさを潰すの?」

 

「場合によってはだ。時には、一緒に正しさを共有することができる。あの模擬戦の第二ステージのように」

 

タケルの指摘に、ボクはあの時の事を思い出していた。少しして、そうか、と頷いた。

 

「ボクは父さんじゃない。だから、ボクはボクが正しいと思うままに……みんなを助ければ」

 

「少し、違うな」

 

「え?」

 

まさか否定されるとは思ってなかった。けど、悪戯をする子供のような笑顔で、タケルは言った。みんなで助け合えばいいだろ、って。

 

「それに、勝手な気持ちを暴走させると俺みたいに怒られるぜ?」

 

「そんな自虐的にならなくても……でも、そうだね。うん、そうだ。ボクの足りない所も、みんなが足りない所も補いあえば」

 

先の戦闘がまさしく、そうだった。総合力ではF-22に負けていたかもしれない。それでもみんなと協力して戦った結果、一人も失わないまま勝つことができたんだ。

 

そして、この重い気持ちも。一人ぼっちだったら、厳しいと思う。だけどみんなが居ればきっと、どこまでも挫けずに頑張れる。一緒に支え合って、自分の正しいと思うがままに歩き続ける事ができるんだ。誰かの正しさを否定することになろうとも、この正しさの果てに何かが掴めると信じて。

 

でも、ふと思った。タケルもそうなのかなって。ううん、きっとそうだ。父さんと同じように、経験しなければ分からない事を言ってくれているような気がする。

 

たった一人、辛い時にはどうすれば良いのか。信じる道か、仲間か、大切な人を守るために頑張るのかどうか。

 

父さんの事は、疑ってはいない。そういう人だったから。だから当然、ボクの事を思ってくれていることも信じている。父さんなりに、正しいと思ったからこそ、ボクにあんな技術を授けてくれたんだ。今回の件も、巻き込まないために、話さなかった。

 

辛い事を分かち合わせないように。いかにも器用な父さんらしいと、今になって思えるようになった。だから、その事に気づくきっかけになったタケルに、ありがとうと告げた。これから先にボクがやらなければいけないのは、謝罪ではなく、今まで以上に仲間を助けることなんだって。

 

そして、目の前のひとを助けることが何よりも正しいと思ったボクは、行動に移すことに決めた。

 

「さしあたっては、タケルを助けることにするよ。パーティの準備、まだなんでしょ?」

 

「あ、ああ、まだだけど……いきなりだな、おい」

 

「動いている方が、ボクらしいと思うから。それに、がさつな男の人だけに準備を任せる訳にはいかないよ」

 

「相変わらずドきっぱりと言うな」

 

「あと、出し物があると良いよね。ボクにいい考えがあるから、任せてよ。でも、ちょーっと権限が必要そうなものなんだけど」

 

「ちょっ、人の話を……いや、いいか。あと権限なんて気にすんな、やっちまえやっちまえ。折角の無礼講だしな!」

 

それでもタケルは頷き、親指を立てながら無茶をやる許可を出してくれた。これで元気が出るなら安いもんだ、と照れくさそうに笑いながら。

 

 

―――その顔を見て少し顔が熱くなったのは、ここだけの話だけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●とある帝国陸軍衛士の体験談

 

 

軍に入ってから、敗北は何度も味わってきた。比べるのはおかしいと同期から言われたこともあるが、正規兵や教官殿に比べれば、軍に入った頃の俺の体力や技術なんて、へっぽこのぴーであったのは事実だから。

 

虫のように見下されるのは、当然だと思った。劣っている者は見下されるのが、実力の世界だ。だから負けてなるものかと、俺は努力に努力を重ねた。喉が、肺が焼け付くような思いをしながら、時には酸っぱい液体を口から撒き散らしながら走ったし、針で刺されるような痛みを抱えながら腕の筋肉を酷使した。どうしてこんな事をしなくちゃならないと、泣きそうな想いを必死で隠しながら、肉体をひたすらに苛めた。

 

負けたままでは、止まれない。いつか、誰にでも勝てるように。帝国を救えるような、そんな存在に成りたかったから。

 

肉体的な事だけではない、頭の方もだ。嘘だろう、と思われる量の操縦に関するテキストを必死になって覚えた。座学の時は少しサボったこともあったが、訓練の時に欠片さえ手を抜かなかったのは、自分なりに誇れることだと思っていた。

 

先輩方の、教官殿の操縦記録や映像を見ながら、盗めるものは盗んで自分のものにした。そのお陰か、俺は陸軍の精鋭部隊に入ることを許された。そこでまた、更に上の存在を―――大陸で生き抜いた本物の猛者を―――知ることで、敗北を味合わされたんだが。

 

衛士の技術どうこうを語る以前に、目が違った。存在感どころか、人種が違うんじゃないか、と思った人に会ったのは初めてだった。時には冗句の類を言ってくれるのだが、戦闘になると人が変わる。気を抜いた事で起きたミスを責められる時など、視線と言葉だけで殺されるかと思わされる程だった。

 

それでも、日々を血肉にした。俺も、あのままで居るつもりは無かったからだ。努力をして、努力をして、努力をした。同期や少し年上の先任方も、相当の腕利き揃いだった。自分が必死に時間を重ねて会得した技術を同じように、あるいは自分以上に使いこなしている人も居た。

 

それでも、挫けなかった。シミュレーターも使用時間が許す限り使用した。実機訓練も、もっと多くの時間を、と同期と一緒になって陳情した。またもやその甲斐があってか、俺は部隊でも―――とはいっても、年齢差を3とした人達限定だが―――5指に数えられるほどだと言われるようになった。

 

ついには、実戦まで経験した。突然の、佐渡島ハイヴからのBETAの侵攻。陸軍や本土防衛軍の大半は帝都のクーデターに対処しているため援軍は来ない、と言われた時は耳を疑いたくなった。尾花大佐に、初芝少佐。鹿島大尉に、九十九大尉。陸軍でも強者として知られる先任方がおられるが、数として圧倒的に負けているからだ。色々なことが、走馬灯のように脳裏を過ぎった。死兵として使われるのか、俺はここで終わるのかなんていう感じの。上官の正気さえも疑った。

 

だが、結果的に俺達は勝った。第16大隊の協力と、新兵器の凄まじい光に導かれて、勝利をもぎ取った。損失は信じられないぐらいに少なかった。歴史的な勝利だと、少し年上の先任方が言っていた。今までやってきた事が報われたんだと泣いていて、俺もつられて泣いた。実際、俺も感動していたから。先任の人達が、死んでいった人も含めて、積み上げてきたものは無駄じゃなかったんだと思ったから。

 

隊の士気も高まった。第16大隊の、日本最精鋭の実力を見れたことも大きかった。人は真摯に努力を重ねれば、あそこまでたどり着けるという事を知ったから。いつか、俺も。だから、俺は、俺達は挫けなければやれるんだと思った。ハイヴを落とす所まで行けるんだって。

 

だから、許せなかった。横浜基地で行われた、新OSのトライアルでのことだ。XM3とかいうOSの性能には、身震いさえ覚えた。国連軍の新兵器と聞いて最初は鼻で笑っていた、見くびっていたのだが、実際の有用さを体感して、その評価を変えざるを得なかった。それは、いい。だが、俺よりも二つ年下だという隊の成績は認められなかった。

 

俺達でさえまだ到底敵わない、尾花大佐達を越えた成績だなんて、バカを言えと思った。いくらOSが有用で、それを宣伝するために多少の誇張が必要だと考えても、大佐達より上はやり過ぎだ。だから、詰め寄った。本当の事を話せ、こんな不正は間違っていると。俺達でさえ、70点代だったんだ。新任らしいお前たちが90点以上だなんてあり得ないと告げた。

 

三峰や樫根、吉野が揉め事を起こすなと制止してくるが、事は俺達だけでは済まないんだと一蹴した。不正を見逃す方が、悪しき手段だ。士気が高まっている今だからこそ、殿下に恥じぬ行動をしなければならない。

 

……なぜか殿下のそっくりさんとか、不正をした女性部隊は色々なタイプの可愛い娘達が居たが、それはそれだ。ここで退いてはならないと、強く訴えかけて。

 

―――そこに、男が現れた。どう見ても、俺達と同年代だというのに、中佐の階級章をつけていた。最初は目を疑った。何をどうしても、中佐の階級が与えられるなんて、帝国軍では考えられない。斯衛でさえ、任官して数年で佐官以上を許されることはほぼ無いと言っていいぐらいに少ないらしい。

 

だから、真っ当なものじゃないと考えた。他の奴らも同じだったように思う。日本かどこかの国のボンボンが、金や権力に物を言わせて階級を買ったのだと考えた。

 

後ろに居る銀髪の女性と、黒髪の女性―――女性?は、愛人の類か。ちょっと見たことがないくらい端正な容姿を持っていたことから、そんな下世話な事を考えた。それぐらいに、綺麗だったというのもある。だが、その威圧感は尾花大佐達のような、大陸での死線を越えた人特有のものがあったから、分からなかった。

 

そして、その後にやってきた途轍もなくおっかない初芝少佐と、久しぶりだと笑いあい。尾花大佐とも同じような挨拶を交わす中で、少なくともボンボンの類ではないことは分かった。

 

と、言うよりも銀と黒の美人さん達がクラッカー中隊の衛士だという方に驚いた。仲間達も同じように動揺していた。まさかこんな所に、大陸で名を馳せた英雄達が居るとは思わなかったからだ。

 

でも、そんな英雄達と気安く話す男は何者なのか。考えれば考える程に、分からなくなった。同時に、違和感を覚えた。

 

何というか………気持ちが悪いのだ。実力は、あるのだろう。そうでなければ、尾花大佐達に対してあんなに気安く話すことはできない。そして大佐達の威圧感に欠片も動じていない。こちらを見る目も、まるで10は年下の後輩を見るような感じだった。

 

そして―――極めつけは、その実力だ。

 

俺達は、207だとかいう連中に負けた。徹底的に叩きのめされた。完敗、という二文字を認めるしかない程に。浮かれた気持ちも吹き飛んだ。そして、勘違いを知った。日本が、帝国が強くなろうとも、俺達のような個々人は普通に死ぬのだと。油断をすれば、当たり前のようにBETAに踏み潰されるのだという気持ちを、思い出した。初陣を経験する前に抱いていた危機感を、恐怖心を。

 

その気持ちが顔に出ていたのだろうか、初芝少佐はすぐに見抜いて、指摘を受けた。それで良い、それが良いんだって。

 

どれだけ強くなろうと、一撃。間違った所に当てられれば、衛士は死ぬ。どれだけ実力が上がろうが変わらない、平等な真実だと教えられた。だから、上だけを見ずに前を見ろと言われた。足元が疎かになれば、掬われる。余所見をすれば、横っ面を張られる。視界が180°あるかないかの人間は、集中すべき点を誤れば呆気なく撃墜されるのだと。

 

貴重な教えだと思った。そして、浮かれていた自分達を恥じた。それは良い。それは良いのだが、その後が問題だった。

 

国連軍が開発したという、新しいシミュレーターでの模擬戦闘。OS程ではないが、これからの衛士の損耗率を減らすための一手になるというそれは、確かに高性能だった。BETAの動きも、より実戦に近いように思えた。映像の綺麗さも余計に上がっていたせいか、BETAと対峙しているかのような感覚になった。複雑な条件下での戦闘も可能らしい。

 

だからこそ、異質さが浮き彫りになる。少なくとも、俺はそう思った。

 

要塞級を、単独で撃破できればエース扱いだという相手を、当たり前のように惨殺するアレはなんだ。

 

BETAの大群に囲まれて孤立し、後は踏み潰されるしかないという状況下でも、逆にBETAを次々に踏み潰していくアレはどういった存在だ。

 

映像の不知火を、かなりの速度で動いているにも関わらず、長刀や突撃砲ではない、脚だけで文字通りに蹴散らしていくアレは。

 

誰かが、「ひっ」と言葉を零した。俺も、歯を食いしばらなければ危うかった。それだけに、“アレ”が怖かった。

 

どうしてか、実戦でも同じようにするのだろうと思った。当たり前のように死線に潜り、1秒間違えれば死ぬだろう行動を取り続けてもなお、当たり前のように生き残るような。頭がおかしい、というよりも理解ができない。あれに乗っているのは本当に人間なのか。BETAのスパイのような者達ではないのかという疑いさえも浮かぶような。

 

そんな考えが、またもや顔に浮かんでいたのだろう。俺達に対して、初芝少佐は言った。ああいう風に成りたいのか、と。

 

即座に、首を横に振った。きっとあの衛士は強いのだろう、恐ろしいのだろう、頼りにされるのだろう。でも、ああは成りたくないと、そう思った。

 

怒られると思ったが、笑顔で頷かれた。それでええ、と優しい顔だった。

 

どういう意味なのかを、三峰と樫根が尋ねた。俺も同感だった。衛士は強い方が良いと言ったのは、少佐達だったから。

 

でも、少佐は頷きながらも、否定した。あそこにまで成らなくても良いと。

 

「あれは……あいつはな、戦う者や。きっと、これからもずっと戦い続ける。日本が平和になった所で変わらへん。また次の戦場に行く。きついのいやや、とか愚痴りながらも命を賭けにいく」

 

戦う者として、生きるより前に戦う。寂しそうに少佐は呟いた。

 

「多くは言わへんけど、あいつも………樹やサーシャもそうや。線を越えた人間って言うんかな。もう退けへん。何が切っ掛けになったんか、自分で決めたんか知らんけど、死ぬまで戦い続けるやろ……どこに戻るでもなく、な」

 

それを聞いて、俺は理解できなかった。お国のために、家族のためにだと思えるからこそ、俺達は戦場に立つことができる。いつか帰れる時が来ることを信じて、命を賭けることができる。怖くてチビりそうになっても、歯を食いしばりながら。

 

「うん、それでええ。それが人間や……若いもんは、国も守らんとな」

 

また笑顔で、肯定された。それでこそだと言われた。

 

「戦いに勝った後は、荒れた国内を立て直すことが必要になる。その時に、戦場の空気を巻き散らかされたらかなわん―――あんな風に、気軽に死線を越えるような存在になることは無い。自分の背丈を越えて、色々と抱え込む必要もないんや」

 

その言葉は、悲しそうで、思いやりにあふれていた。何故俺達に、とは言わなかった。あんな存在に成りたいか、と聞かれた所で、頷きを返すことができなかったからだ。

 

あの規格外の衛士は、軍人として完璧に近い、正しい姿のように見える。強い事は正しい。隔絶した実力を持つ英雄に違いない。きっと今までに多くの死線をくぐり抜けてきたのだろう、ひょっとしたら大陸での戦闘も経験したのかもしれない。

 

幼少の頃から、かもしれない。一つや二つ、美談もあるんだろうか。あの年齢で尾花大佐にまで認められる、完全無欠な英雄らしい戦績も持っているのかもしれない。

 

だけど、俺は成りたくないと思った。他の仲間達も同じだ。三峰と樫根だけは違ったが、今は関係ない。俺は、俺達は英雄に憧れていた。そんな存在に憧れていた時期が確かにあった。だというのにその果てを見せられた今は、辿りつきたくないと思ってしまった。

 

―――理解ができない、人から恐れられるものになるぐらいなら、という思考が滲み出て。今のままで良いと言われて安心する自分が居る事も、気づいてしまって。

 

「……まあ、アイツもそこまで考えてへんかもしらんけどな……ふつーに修羅場潜り抜けた結果、ああ成ったのかもしれへん。でも、ついていくとなったら大変や」

 

「それは、どうしてですか?」

 

「強かったら、色んな事が許される。あの娘達のように、綺麗どころを侍らすことができるかもしれへん。でも……世の中、良え話だけやない」

 

相応のものが求められる。完璧に、綺麗な存在として、一つの間違えさえ許されない、少しの怠惰が誰かに死に繋がるからだと。

 

「周囲の者もな、大変や。あいつは暴風どころやない、竜巻そのもの。一端巻き込まれて宙に浮いたが最後、終着点までは死んでも降りられへん」

 

そう告げた初芝少佐の口元は、笑う形になっていて。少佐自身が巻き込まれたのか、いないのか。それを喜ばしく思っているのか、あるいは。

 

口にして確かめる度胸を持ち合わせてはいなかった俺は、言い様のない敗北感を覚え。それ以上の安堵が胸に満ちていく様にされるがまま、遠い存在を眺めることしかできなくなっていた。

 

―――その日の夜、やっぱり負けたままで居るのが悔しくなった俺は、また「やってやる」という気持ちを思い出したのだけれど。

 

 

 

 

 

 

 

●クリスマスについて

 

 

同じ一室に、8人。武、純夏、サーシャ、樹、霞、ユウヤ、クリスカ、イーニァは集まると、今後のことについて話し合っていた。

 

次の山場は、佐渡島ハイヴ攻略。その次には、恐らく今も掘り進めているだろう佐渡島ハイヴからのトンネルから這い出してくる、横浜基地を襲撃するBETAの一軍の掃討。そして、と言おうとした所で、武は話題を変えた。

 

「取らぬ狸の皮算用、って言うしな。それよりも、もうすぐクリスマスだな」

 

「……確かにそうだけど、なんで日本人の、それもクリスチャンじゃないお前がそれを言うんだ?」

 

「あー、まあ。色々あってな」

 

平行世界の事は言えないしな、と武はユウヤの指摘を適当に誤魔化しながら、何かイベントのようなものをする予定はあるのか、問い返した。

 

ユウヤは「無い」と即答した。

 

「というか、何をすればいいのか、皆目分からん」

 

「え? でも、ミラさんが居る時とか」

 

「……本家の人間の監視が一段と刺さる日なんでな。申し訳なさそうにする母さんの顔しか浮かんでこねえよ。母さんが居なくなってからはずっと一人だったしな」

 

自嘲するユウヤを、クリスカが励まそうとして、失敗した。クリスカ自身、クリスマスに何をすれば良いのか知らないからだ。霞がフォローに入り、興味津々になったイーニァと共に、二人はユウヤを改めて励ましていた。

 

その横で樹は、武に話しかけた。

 

「イエス・キリストの降誕を祝う、だったか。やった事はないが、どういった事をするんだ?」

 

「……そういえば、クラッカー中隊では“とにかく飲もうぜ”が常態化してたからな」

 

勝った後は飲む、悔しいことがあったら飲んで気晴らしを、何でもない日こそ素晴らしいと飲む。昔を思い出した樹は遠い目をしながら、頷いた。

 

武は、簡単に説明をした。ツリーとか、飾りつけとか、チキンとか。

 

「でも、俺も正しい作法っていうのか? そういうのは純夏の家でしかやった事ねえからなぁ」

 

「うん……影行おじさんも、仕事が忙しくてこっちには帰ってこられなかった日の方が多かったからね」

 

一人、暗い部屋で寂しくクラッカーを鳴らす武を誘ったのは、純奈だった。武はその時の事を思い出しそうになるも、誤魔化し、話題を変えた。

 

「そういえばサーシャの方は?」

 

「ソ連に居た頃なら、覚えてない。というか思い出したくない。こっちに、というか日本に……居た時は……」

 

サーシャはそこで、口を閉ざした。まだ治療されていなかったとはいえ、無邪気に武に抱きついた自分を思い出したからだ。

 

「って、どうしたサーシャ、なんか顔が―――風邪か!?」

 

「違う。いいから、放っておいて」

 

「いや、でも」

 

「いいから……私の顔を見ないで、お願いだから」

 

涙目で頼み込んでくるサーシャに、武は何も言えなくなった。樹と純夏も同じだ。見たことがないぐらいに、女性らしい―――というよりも少女らしい振る舞いにギャップを覚え、言い様のない感覚が胸に満ちていくのを感じたからだ。

 

「しかし、救世主か……なら、武の誕生日も祝う必要がありそうだな」

 

12月16日だったか、と樹が言う。どういう意味かとユウヤが問い返し、樹は面白そうな顔をしながら答えた。

 

「前に、本人が言っていたからな。救世主と呼ばれるような真似でもしないと、BETAを地球から追い出すことはできない、って」

 

「へえ……大きくでたな、おい」

 

茶化すように、ユウヤが武ににやついた顔を向けた。武は、ぽりぽりと頬をかきながら気まずそうに答えた。

 

「改めて言われると恥ずかしいな。でも、言ったのは俺じゃないぞ、先生だ」

 

武は説明しようとして、思い出した。サンタの格好をした夕呼が「私は聖母には成れなかった」と弱りきった姿を見せたのも、確かクリスマスだったか、と。

 

そして、その後に起こった事は。考えた武の顔が、少し赤くなり。同時に霞の顔まで赤くなった所を、サーシャと純夏は見逃さなかった。

 

「―――タケル?」

 

「どういう―――事なのかな?」

 

「えっ」

 

鬼神もかくや、という雰囲気を纏った二人が詰め寄り。さり気なく距離を取っていた防御力ナンバーワンの衛士こと樹は、ユウヤの方に尋ねた。

 

「明日のこと、申し訳ないが言葉を選んで頼む。色々と個性的な奴らが多いからな」

 

「ああ、分かってる。それよりも、アンタの方は………なんていうか、落ち着くな」

 

「ん? 誰かと比べているようだが」

 

「ああ、クラッカー中隊の衛士とな。ユーコンでは色々と嫌味を言われたんだが、アンタは違う。気遣いは日本人らしいって思うけどな」

 

「……参考までに、比較対象となったのは誰と誰だ?」

 

「葉玉玲、って中国人の衛士にはきつい忠告を受けたな。アルフレードってイタリア人はなんだか知らねえけどローキックの嵐を受けてた。フランツって人は苦労人っぽい。リーサ、アーサーって呼ばれてた二人は自由人っぽい印象だったが」

 

樹は無言で頭を下げた。そして密かに、クリスティーネはやらかしてなかったか、と安堵の息を零していた。言及しなかったのはユウヤなりの優しさだった、という事には気づかないまま。

 

「……でも、羨ましいって思ったぜ。気兼ねない、家族のような仲間なんて寝言か夢物語だと思ってたからな」

 

それでも、アルゴス小隊に入って、本当の仲間というものを知った。そう語るユウヤに、影は含まれていなかった。

 

何時か、この道の先に。オリジナル・ハイヴを落として、世界が平和になればまた会える。その時に殴られる覚悟は完了している、と言わんばかりの様子で。

 

「そう、だな。そういえば、こちらも家族の行事には疎かった」

 

樹は、紫藤の家を好ましいと思ったことはない。母の監獄で、自分にとっては忌まわしい呪縛だった。家族の仲は言うまでもなく。そう考えた樹は、ふと純夏の方を見た。

 

「……日本限定だが、世間一般の家族というものを知るのは、鑑だけなんだな」

 

「え? えっと……そういう事に、なるのかな」

 

「あ、そういえば純夏だけか。両親揃って家族仲も良好で、っていう生活を過ごしてきたのは」

 

武の発言に、ユウヤも純夏に視線を向けた。そして少し悩みながらも、頼みを告げた。

 

「スミカ、だったよな……図々しいかもしれねえけど、クリスカ達とこれからもよろしくしてやってくれねえかな。普通の家庭ってやつを教えてやりたいんだ」

 

「え……うん。私で良かったら、いくらでも」

 

「助かる。なんせ、俺もそうだけど、こいつも相当なもんだからな」

 

武と日本の一般人がどうしても等号で結べないユウヤは、純夏が適任だと信じた。クリスカやイーニァと普通に話せる人間は―――境遇のせいでもあるが―――他に居なかったからだ。

 

武は、何も言わないまま頷いた。

 

「適任だな。なんせ、精神年齢も近いし」

 

「……ちなみに、何歳ぐらいって思ってるのかな?」

 

「え、8歳ぐらいかなって――――チョバムッッ!?」

 

踏み込みからレバーを抉るまで、コンマ数秒。腕を上げた、とサーシャは人知れず頬に流れた汗を拭った。どこぞの鉄拳教官を思い出しながら。

 

悶絶する武を置いて、話は進んでいく。武は武で、漏らせない考えを抱いていた。

 

クリスマスの日が、オルタネイティヴ4の終焉と、オルタネイティヴ5への移行を。即ち、絶望の帳が降ろされた日と同じ意味を持っていることを忘れていなかったからだ。

 

(今年は、違う。状況はこちらに傾いてる。いつぞやとは違う、確信を持ってそれが言える―――俺達は、前に進んでいるんだ)

 

クリスマスがリミットなど、今や誰も考えていない。何年前の何日からだろうか、詳しく思い出せないほどの以前からずっと、求めてきた成果が形になりつつある。夢見事ではなく、主張できる。遠かったと思う反面、辛かったからこその嬉しさは倍増されて。

 

(でも、まだまだ。今年は、色々と大きな出来事が連続するからゆっくりできない。でも、来年こそは)

 

敗北の象徴だったクリスマス。あの頃と比べて、ここまでこれたのだ。鬼など知らない居るならば勝手に笑わせておけとばかりに、武は来年の、その先のことまで計画して、ほくそ笑んだ。容易くはない事は知っているが、関係無いとばかりに戦乱による不況だけではない、更に乗り越えての平穏な世界を想い、告げた。

 

だが、来年か、再来年には事情を知らない一般の家庭でも何の憂いもなく年を越せるようにしてやる、と言わんばかりに。

 

暗い部屋の中、帰ってこない誰かを待つのではなく。灯りの下で、笑いながら合成ではない鶏肉をかじれるように戦況を好転するのが、俺達の仕事だと信じて。

 

「って、もう快復してるんだろ? なら、場を締める一言ぐらいくれても良いと思うんだが」

 

「容赦ないなお前ら」

 

武は憮然とした態度で毒づいた。樹達は、知らないとばかりに催促をした。

 

これから先も、辛い戦いが待っている。ひょっとするまでもなく、経験した事がない種類の、重要な戦いばかりが控えている。それを乗り切る言葉を吐くのが、台風の目であるお前の義務だ。

 

暗に告げられた言葉に、武は頷き。

 

以前より―――崇継に告げられた時からずっと考えていた、決戦用の演説っぽい何かを思い浮かべた。

 

「ほう……何か、良いものがありそうだな。少し待て、録音の準備を」

 

「本格的だな……まあ、良いけど」

 

武は言葉の通り待った後、自分なりの考えを。米国に告げた、嘘偽りのない自分の考えを元に編んだ言葉をなぞった。

 

観客たちは最初は、苦笑を零し。次第に誰もが口を閉ざし。最後には、神妙な面持ちになって、武の顔を見返した。

 

「……ひとつ聞いておくが、それは即興か?」

 

「え?……まあ、そうだけど。原稿にする、っていうのは俺らしくないしな」

 

何でもないように答える武に対し、クリスカを含めた全員がため息をついた。

 

「武ちゃんはこれだから……反則っていうか」

 

「違反、っていう意味ではあってる。規格外なのも、程々にして欲しい」

 

「だが……なんだろうな。戸惑いと同時に、高揚感が」

 

「同感だ。これで燃えなきゃ、男じゃないって思わされる」

 

「全てに同意はできないが、忘れられない一言がある。それだけで良いぐらいの」

 

「……深い、です」

 

「うん。なんていうか、子供より率直っていうか」

 

それぞれの感想を、言葉に。最後に、しめるように樹が告げた。

 

「色々な感想はあると思うが………良いものを聞かせてもらったと、そう思う」

 

冗談をこぼさないまま、樹は真摯に頷いた。他の者達も同様の反応を示した。純夏までも深く頷き、武をじっと見返した。

 

武は居心地が悪くなり、視線を逸した。別に普通の、当たり前の言葉で話しただけなのに、と。

 

語ったものは空想の類ではない、実現して当たり前のものだと信じていたからこそ、ギャップがあった。このまま何も問題が無ければ、辿り着ける範疇のものだと。

 

 

(……でも、念のため先生にはお酒は控えておくように言っておこう)

 

 

夕呼のサンタ姿にトラウマを持ったヘタレが、一人。誰にも聞こえないように、静かに決意の言葉を呟いたという。

 

 

 

―――数時間後、下着姿の夕呼が顔を赤らめながら武を部屋から叩き出したのは、また、別の、お話。

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。