Muv-Luv Alternative ~take back the sky~   作:◯岳◯

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誤字修正、ありがとうございます。

いつも大変感謝をしております。


では、クーデター編の最期を。

ちょー長い(文字数で言えば二話分)ですので、お気をつけをば。


40話 : 事後処理(後)

「………にわかには信じ難い話だが」

 

金髪巨躯の米国軍人は眉間に寄った皺を揉みほぐしながら、頭が痛いとため息をつくと口を閉ざした。そしてしばらく黙り込んだ後に、頭痛の種を持ってきた人物を睨みつけた。

 

「証拠は、この記憶の断片という訳か………確かにこの光景が先の未来のものであれば、それを防ごうと言う中佐がこの地球のために戦っている、という言葉にも頷けるな」

 

「本当です。嘘じゃないですって、ウォーケン少佐」

 

「だが、その話を証明できる公的な物証はないのだろう……いや、あっても困るが」

 

限定的とはいえタイムトラベルなど、SF小説ではないのだぞ。ウォーケンがそう呻きながら頭を抱えながらため息をつき、武は苦笑だけを返した。

 

「笑っている場合ではない。……私は合衆国の軍人だ。他国人である白銀中佐の言葉に対し、納得できる材料でもないのに頷くことはできない。許された権限を越え、軍や政府の上層部へ働きかける事など許されてはいない」

 

「それは軍人の仕事ではない、ですか」

 

武は答えながらも、これは失敗したか、と冷や汗をかいた。ウォーケンはその様子を見て、更にため息をついた。

 

そして迷いながら、2、3問答したい事があると前置いて武に質問をした。

 

「まず最初に、クーデターの事だ。あの時、中佐は冥夜様の身柄を沙霧に一時的にとはいえ渡したな。あれはどういう意図があってのことだ?」

 

「決起軍の乱入を防ぐためです。あちらはあちらで単純な頭数が多かった。F-22Aとの戦闘中に横から入られると乱戦になり、見失う恐れがあった。それだけは防ぐべきだと考えたから、その動きを封じました」

 

説得が終わったという場に、工作員が明確な反逆の意志を以て動き始めた。武は、そこに殿下の身柄という一手を示す事で、選択肢を用意した。

 

害するならば反逆者で、守ろうとするならば日本を憂う者であり、味方。守らねば味方ではないと強く印象を付けて、思考がF-22Aへの攻撃という方向に逸れないようにしたのだ。

 

「……分かった。では、次だ。中佐がこちらに潜んでいた工作員を殺さなかった理由は何故だ」

 

「殺さなければいけない理由が無かったからです。手加減をする余裕があった。それに、作戦前に告げた事に嘘はない。俺の敵はこの地球を脅かす化物だけだから」

 

「そう、か……手加減が出来た、という意見を疑えないのは私自身、驚く他にないが」

 

ウォーケンは武の意見を聞くと、渋い表情をしながら目を閉じた。そこから独り言を呟くようにして自分の本心を話した。

 

「言い分は理解できた。防ぐべき事態に向けて中佐達が動いている事も。もし本当であれば、無視できる類のものではない」

 

そして、とウォーケンは苦虫を噛み潰したような顔で続けた。

 

「G弾にBETA由来の元素が使われている、という噂は軍にも出回っていた………それに、今回の上層部のやり方に関してもだ。指揮官として、到底許容できるようなものではない」

 

現場指揮官の目を欺いて、一国の元首を暗殺しようとした事。それも戦災難民に後催眠暗示をかけたり、裏で脅迫して無理やりに、という方法を許可なく強いた者達が存在するなど、とウォーケンはよほど腹に据えかねているのか、その表情を怒りで歪ませていた。

 

「F-22Aを任された衛士というのは特別だ。彼ら、彼女達は苦しい訓練を耐えたのだ―――市民権を得るために」

 

武は、ウォーケンの意見に頷いた。最新鋭機の競争倍率、という点で考えると、衛士達は血尿が出てもおかしくはないほどに、自分の身体を、脳味噌を徹底的に痛めつけた事が容易に推測出来た。

 

「真摯な努力は報われるべきだ。少なくとも、私はそう考えている。合衆国とはいえ、全ての難民を救うことはできない。故にと、国が条件を出したのだ……出した者達が約束を反故にするのは許されない」

 

全ての努力が報われるとは限らない。才能の差はあるだろう。どうしようもない現実も存在する。だが、それが人の隔意によって左右されるものであってはならない。そんなウォーケンの意見に、武は頷きを返した。

 

「そして、少佐はそれを正すべきために動く、ってことですか………でも、いいんですか? 下手をしなくても命の危険がありますよ」

 

「20にも満たない若者に心配される筋合いはない。未来の光景、あれが真実であれば事は合衆国だけに収まらんのだ。それにF-22Aの部隊を任された指揮官として、口を閉ざし耳を塞ぐことだけはできない」

 

国内でも尊敬される立場に居る―――そして、息子が憧れるF-22Aの衛士は、そんな人間であってはならないのだ。強く宣言するウォーケンは、そちらと同じだ、と武に告げた。

 

「貴様と同じ、護りたい者のために戦うだけだ………彼女達に会うことはないだろうが、見事だったと言っておいてくれ」

 

「彼女、って……え?」

 

「207だったか。中佐が彼女たちから信頼されている様子は見て取れた。ただの上官と部下ではないように思ったのだがな……まあいい。ただ、アフターケアはしておいた方が良い。並の正規兵では相手にならない練度を持ってはいたとして、実戦を経験したことがない訓練兵である事に違いはない」

 

言葉か、飲み食いか。精神的に溜まったものを発散させてやる事が重要だ、というウォーケンの言葉に、武は小さく頷いた。

 

「そう、ですね。確かに……いえ、大丈夫です。飲み食いについては約束していましたから」

 

「そうか―――だが、忠告しておこう。その時までには、演技力を磨いておいた方が良い」

 

「……はい。ありがとうございます、少佐」

 

「階級が下の者にする態度ではないのだがな……」

 

「まあ、いいじゃないですか。それに、忠告ありがとうございます」

 

「礼は要らない。手加減をしてくれた事に対する感謝、としておいてくれ」

 

 

それではな、と敬礼をするウォーケンに対し、武も敬礼を返して別れを告げた。

 

「さて、と………どうせなら、心から楽しめるようにするか」

 

そう告げた武は、休憩を終えたB分隊の面々を一人づつ呼び、話をする事を決めた。隊員どうしの仲が深まっているとはいえ、その濃すぎる背景から、聞かれたくない話もある筈だと考えてのことだ。

 

最初に呼び出したのは榊千鶴だ。武は狭い部屋の中、疲れている千鶴に対して着席を促すと、ここでは敬語は必要ないと告げ。

 

ゆっくりと丁寧に、榊首相が一命をとりとめたことを告げた。

 

千鶴はそれを聞くと、「そう」と答えるも、我慢できなかったのだろう。我慢は身体に毒だという武の言葉を聞くと、下唇を噛み締めながら肩を震わせ、静かに嬉しさから来る涙を零した。しばらくして調子を取り戻した千鶴は、バツの悪い顔をしながら「ご迷惑をおかけしました」と答え、武はその様子に安堵しながらも気不味げに榊是親の容態について話した。

 

「……それじゃあ、右腕は」

 

「再生が間に合うかどうかは不明だけど、後遺症が残る可能性が考えられる」

 

A-01の涼宮遥がそうだったように、年齢の面も考えると、何かしらの障害が残る可能性は高い。それが何を及ぼすのか、千鶴は先に語ってみせた。

 

政治は修羅が跋扈する世界だ。そして結果的には交代劇染みた事件になった今回のクーデターの顛末を思うと、総理として再任できるのは難しいかもしれない。落ち着いた様子で語る千鶴は、最後にだけどと答えた。

 

「今なら、何となく分かるんだけれど………父は、こうなる事を望んでいたような気がするのよ」

 

国体が乱され、国民が苦難に喘ぐ争乱の時代。綺麗事だけでは到底乗りこなせない荒波の中で、捨てなければいけなかった荷物があったかもしれない、ということ。だけど、誰かがやらなければいけなかった。上に立って生きるために今は捨てろ、という陣頭指揮を取る必要があった。多くを生き残らせるために。

 

「そして………白銀。傷は、右腕だけだったのよね?」

 

「ああ……細かい傷はゼロ。たった、一太刀だけだ」

 

「……そう。つまりは抵抗もしなかったし、逃げなかったのよね」

 

呆れた、と千鶴は呟いた。

 

「殿下から……父に関する感謝のお言葉を聞かされたわ。日本の行く末を案じ、滅私の精神で戦い続けてきた忠臣であったこと。傑出した政治家である、って」

 

「そうか……良かったな、委員長」

 

「ええ。ただ、ね………少し、複雑なのよ」

 

有能な政治家は、最終的には自分をも一つの要素として処理した。次代に繋ぐための役割は終わったと、家族に何の断りもなく死ぬ事を選んだ。そう告げながら千鶴は、どんな顔をしていいのか分からない、と呟いた。

 

「父が大きなものを見ていた事も分かるわ。一人の国民として、純粋に尊敬できる。でも……家族としては、何を言えばいいのか」

 

「迷っている、と。何が正しいのか分からないから」

 

「……分かった風に言うけど、経験でもあるの?」

 

「めちゃめちゃあるな。それも両方に」

 

父は技師として私生活を犠牲にして、果てはインドまで。母は涙ながらにでも赤ん坊だった自分を置いて風守家に。

 

「人類的には正しかったんだろうけどな……ただの息子としては、もうちょっと、こう……どうにかならなかったのか、的な」

 

「そうよね……でも、その選択を誇りにも思うから、何も言えないのよね」

 

「だよなあ……でも、それが分かるだけ俺も大人になったな、とか自画自賛したりしちゃうんだよな」

 

「そう、ね。ちなみに白銀は何を言ったの?」

 

「や、俺のは参考に出来ないと思う。色々と特殊過ぎるから」

 

だから自分の好きにすればいいじゃん、と武は軽い口調で告げながら笑った。

 

「幸いにして、再会の目処は立ったんだし。徴兵免除ぶっちして国連軍に家出した放蕩娘らしく、正面から殴り込めば」

 

「……それすると、更に溝が深まるような気がするのだけど」

 

「溝が深まれば、埋めたらいい。委員長がそうしたいんなら、だけど」

 

それでどうだ、と言わんばかりに武が言う。千鶴はジト目で睨みつけるも、内心で腹は決まっていた。

 

(でも、なにかしらねこの腹立たしい気持ちは………ああ、そういえば)

 

聞きたかったことがあるのよ、と言いながら千鶴は武を睨みつけた。

 

「任務中は追求しなかったけど……あなた、いったいどういう経歴を持ってるの? 今もさらりととんでもない機密を聞かされた感覚が酷いのだけれど」

 

「家族に関しては今話した通り。経歴は……………色々あった、としか」

 

「ありすぎでしょ! それに、なんなのあの変態を越えた変態的な変態機動は!」

 

「落ち着け、委員長。あと、割りと酷いこと言ってるからな?」

 

「酷いのはあなたでしょう。情報を分析すると、世界でもトップクラスの腕を持っているという結論しか出ないのだけれど」

 

「それな。でも、前に言っただろ? 世界最強だって」

 

ちょっと苦しいかな、と思いつつも言い切る武に、千鶴は助走をつけて殴りたくなった。だが分が悪いと判断し、以前に受けた仕打ちから学んだ千鶴は、表向きは落ち着いた様子を見せた。

 

「そうね、騙された私達が悪いって話よね、勉強になったわ」

 

「そうそう。……いや、まあ、そういう事になる、んだけど」

 

嫌な予感がした武は別の言葉を付け加えようとしたが、千鶴は話は終わりよと視線だけで答え、席を立った。そのまま立ち去ろうとする背中に、武は呼びかけた。

 

「言いそびれてたんだが……見事な連携だった、ステルスバスター。あの戦闘で誰も死ななかったのは、榊分隊長のお陰だ」

 

ありがとう、と武は立ち上がり敬礼をした。千鶴は敬礼を返しながら、答えた。

 

「こちらも、感謝を―――分隊長として、私達が全員生還出来たのは教官方と白銀中佐の訓練があっての事だと確信します」

 

そして個人としては、と挟んで千鶴は感謝の言葉を告げた。

 

「ありがとう、白銀。これで………ようやく、熟睡できそうだわ」

 

「それは良かった……宴会は明日だから、今日はゆっくり休んだ方が良いぞ」

 

武の言葉に千鶴は頷くと、部屋を去った。

 

次に現れたのは、彩峰慧だ。慧は部屋に入るなり、緊張した様子で歩き。その疲れた顔を見た武は先ほどの千鶴と同じ内容を告げ、慧は緊張の面持ちのまま椅子に座った。

 

武はそれを見て、懸念事項の一つを晴らした。榊是親は一命を取り留めたと告げ、慧は目を見開いた。

 

「……それは、千鶴には?」

 

「先に伝えてる……ていうか、知ってたんじゃないか?」

 

反応の薄さを見るに、前もって聞かされていたか、あるいは。武の疑問に答えるように、慧はぽつぽつと語り始めた。千鶴の様子を見に行った事と、任務前からあった張り詰めた感じが消え去っていたことを。

 

「知ってた、とも言える………でも、あの人がやった事が消えた訳じゃない。無傷だとは思えないから」

 

帝国軍の被害も、と不安がる慧に対して、武は事実だけを答えた。主には帝国軍の被害を。今回の決起を引き起こした帝都を防衛する最精鋭はほぼ全てが失われたこと。その穴埋めのために、各所から人材が集められていることを。

 

「そう……佐渡島ハイヴの攻略が、更に難しくなるね」

 

「いや、そうでもないぞ。今後、帝国軍人の士気が上がることは確かだしな」

 

まるで喉の奥に刺さっていた骨が取れたかのように、軍人たちは戦うための意義を取り戻し、奮起するだろう。武は確信をもって告げた。

 

「言い換えれば、戦う誰もが考えていたことだ。沙霧尚哉は直訴でそれを訴え、殿下はこの上ない形で応えた。あとはもう、ハイヴを落とすだけだ」

 

「……今回の戦いは、犠牲は無駄じゃなかったって白銀は考えてるの?」

 

「もっと上手いやり方はなかったのか、とは思ってる。でも、それができるようなら苦労していないんだよな」

 

ただ一点を除けば、分かる話でもある。武は複雑な表情で答えるも、正誤は置いて被害が大きい事を話した。

 

「最後に殿下を守り通した件で、沙霧に対して“大罪を犯した者”っていう認識は薄れたと思う……これで、彩峰元中将に責任追求の声が高まることはほぼ無くなった」

 

「……そう、かもしれないね」

 

説得に応じ、工作員から殿下を守り通し、その後は約束通りに殿下を国連軍の元にお連れした。そう発表されたため、クーデターに対する反発心は何もしない時よりは薄れただろう。武はその認識を語り、それでも許されないことはあると告げた。

 

「処刑は、免れないだろう。本人も認めていた通り、筋を通す意味でも沙霧尚哉の行為が何の罰もなく許される筈がない」

 

「うん………それは、分かってる。覚悟の上だったとも、思うから」

 

力づくで一国の政治の頂点を挿げ替える行為など、法治国家で認められる筈がない。歴史が織り成す言葉と知恵で文明を築く国家であれば、最も許してはならない類のものだったからだ。これを許せば、国外から見た日本という国の印象が激変してしまう恐れがあった。

 

(とはいえ、問答無用とするには勿体なさ過ぎる。戦力の低下は確実だしな)

 

効率的に考えるのなら、損耗率が最も高いハイヴの最先鋒を極秘裏に命じるか。この後の展開を知る武の目からすれば、佐渡島ハイヴ攻略後に起きるであろう横浜基地への侵攻の防波堤にするか。

 

今回の事件で不本意な戦死をした衛士達のことを考えると、犯罪者に殉死したという名誉を与える訳にもいかないので、公的には発表されないだろう。武もそこに反論するつもりはなく、ただこれから発生するであろう問題への対処が第一に優先されるべきだろうとも考えていた。

 

「……悪い顔、してる………じゃなくて、考え事をしている?」

 

「そりゃ俺だって人間だからな。考えるし、悩みもするっての」

 

「でも、あの機動は人間じゃなかった………実は、蝿が進化した存在という可能性が無きにしもあらず」

 

「そんなんねえよ!?」

 

「必死に否定する所が怪しい………というのは冗談だけど」

 

慧はぺこりと頭を下げて、告げた。

 

「ありがとう。色々と、助かった」

 

「どういたしまして。ちなみに、何が助かったのかが皆目分からないんだけど」

 

「だから、色々と………分からないとか、やっぱり未熟?」

 

「否定はできねえなぁ。いつも教えられてばっかりだし、新しい問題が次から次へと………一人なら、気楽かもしれないけどな」

 

生き残るだけなら、どうとでもできるかもしれない。

 

誰かを守るなら、どうとでもという曖昧な言葉は使えない。確定的に守れる方法を模索し続けてようやく、何とかなりそうだなという所にまで手が届きそうになるぐらい。武は今までの事を思い返し、泣きたくなった。

 

「それでも、一人じゃないっていうのは良い。頼れる仲間が居るなら、出来ることは10倍になるしな」

 

「うん。それは……とても痛感した」

 

あの時のF-22を相手にして、単独で勝てるかどうか。慧は自問自答し、否定を答えとした。勝てるかもしれないが、賭けになる。一方で、今回の勝利はほぼ確定的だった。

 

「………勝ち続けることを、当たり前のように望まれる。でも、それは一人では難しい」

慧は呟き、武は苦笑した。それを求められるのが最上級の将校だと。

 

「そういった意味で、彩峰中将は見事だった。実力もそうだけど、言葉でもな」

 

人は国のためにできる事を。国は人のために出来ることを。大きな成果を常に出し続けるのには、勝利の方程式を導き出すシステムが必要だ。情報の量や質に左右される近代戦ならばよっぽどに。そういった意味で、相互連携が必須な現代においては、中将が唱える論は優しく分かりやすくもっともらしいものだと思えた。

 

「でも……白銀も、理想論だって思う?」

 

「思うけど、凄いと思うぜ。それに理想を追いかけて全身全霊で頑張ってる人に、良いも悪いもないだろ………その理想を求めたから起きた事件だったけど、切っ掛けにはなった」

 

帝国を想う人達がいなくなれば、そこでこの国は終わる。そういった意味でも、クーデターはまったくの無意味ではなかったと武は考えていた。

 

国のために死のうと想う人間が居れば、国は滅びない。

 

人を想う国であれば、人は言われずとも国のために死ねる。

 

それができない国は滅び、人は死して滅する。

 

武は“そうならないための中核として悠陽を捧げるように掲げ上げたことだけは納得がいかないけど”という言葉を胸の内に押しとどめ、励ます言葉を選んで告げた。

 

「あとは勝つだけだ。中将が、沙霧が望んでいたものを掴み取る。佐渡島ハイヴを―――更にその先だって落とせば、悪くなかったんだって言えるようになる」

 

「うん……悠陽殿下も、そうおっしゃっていた。あと、父さんのことも」

 

教育係で恩師だった彩峰萩閣の言葉は、常に心の中に。そう在れるように自分を律しているとの悠陽の言葉を聞いて、慧は嬉しさと、何かのピースが嵌ったような感覚を抱いたと答えた。

 

「あの殿下が、父さんの事を尊敬できる師だと言っていた……それだけで、少し胸の中が軽くなった。でも、本当に正しかったのかどうかが出るのは、これから」

 

「そう、だな。本番はこれからだ」

 

ハイヴを撃滅して国内に平穏が満たされて初めて、兵や民、人の死が報われるものになる。無駄ではなかったと思えるようになるかもしれない。武は希望に似た展望を伝え、慧は頷きながら笑った。

 

「だからこれからも手は抜くな、ってことだよね………世界最強さん」

 

「そうだな………ちなみに、そのお言葉は誰から?」

 

「誰もなにも、張本人から―――嫌でも納得させられたけど」

 

じとり、と湿気がこもった視線。武はそれを感じ、いかんと呟きそうになったが、それより前に慧が追求の矛先を収めた。

 

「えっと……もういいのか?」

 

「取り敢えずは。……聞きたいことも、聞けたから」

 

「そっか………良かったか、悪かったか?」

 

「良いも悪いもない。ただ……色々と助けられたから」

 

ありがとうとだけは言っておく、と慧は礼を告げながらマイペースな様子で去っていった。武はどういった意味かを考えながらも、黙って見送った。

 

そして入れ違いのタイミングでやってきた壬姫に入室を促し、迎え入れた。武は第一声として、見事な狙撃だったと礼を告げた。

 

イルマが生きている事や、武が撃墜した衛士達も死んでいない事などを。壬姫はそれを聞いて、深い安堵の息を吐くと、泣きそうな顔で尋ねた。

 

「でも、命令違反だったから……その、イルマ少尉はどうなるんですか?」

 

「まだ何とも言えない。ただ、一方的に処分される事はないだろうな」

 

武はウォーケン少佐が怒り心頭だった様子と、米国における戦災難民出身の軍人の比率を告げた。上層部としても、一方的にイルマ達を犯罪人として処理すれば、国内の兵の感情がどうなるかは分かっている筈だと。

 

「……でも、あくまで可能性ですよね」

 

「その通りだ。ハメられたとはいえ、犯した罪が罪だからな……銃殺まではいかなくても、除隊処分になる可能性はある。理不尽過ぎるけど思うけど、規律を一番とするならな」

 

アメリカの正義が倫理か利益のどちらに動くのか。武はそれ次第だと答え、万が一の時には亡命でも、と軽く提案した。

 

「佐渡島のハイヴを落とせば、日本国内は安定する。家族ごと亡命を、と提案できる可能性もある訳だな」

 

「え……でも、それって………許されるの?」

 

「米国が許可すれば問題ないんじゃないか? 少尉自身もF-22Aを任されるほどの優秀な衛士だから、国連軍に自分の腕を売り込めば良い」

 

義理を果たすのならば、F-22Aや米国軍関係の機密保持が約束されるのなら、認めてくれるかもしれないと、武は考えていた。ここまで注目されているのなら、除隊処分になったあと、事故で死なれても騒ぎ出す輩が出かねない。生きていても新たな火種の元になるのなら、いっそ出ていってくれた方が、と合理的な判断を下す可能性はあった。

 

「その前に、本人の感情次第だけどな……裏切られた事実だけは消えないし」

 

「そう………だよね。イルマ少尉は市民権を得るために、家族のために志願入隊したのに………」

 

日本国内の一部の軍人がどう出るかは不明だが、祐悟が告げた通信の内容が明らかになれば、同情の声は高まるだろうと武は考えていた。判官贔屓な日本人だ。米軍に裏切られたという悲劇を背負った美人ともすれば、一方的に嫌われるような事にはならないとも。

 

「これも一発で行動不能に追い込んでくれた珠瀬大明神のお陰だな。いや、あの一撃は見事過ぎて痺れたぜ」

 

「……うん。撃ちたくはなかったけど……でも、撃って分かったこともあるんだ。射撃も、先読みも……技量とか、力があって初めて色々な方法を選べるってこと」

 

コックピットではなく、脚を狙える技量があったから狙撃を許可された。同様に、タイミング良く肩部を撃つことができたから、殺さずに済んだ。壬姫はそう語り、命を左右できる立場は怖いと、改めての認識を言葉にした。

 

「でも、殺さずに済んで良かっただろ?」

 

「―――うん。少なくとも、後悔はしなくて済みそう」

 

「そっか……まあ、その後にちゃぶ台返しを受ける所だったんだけどな」

 

「佐渡島からのBETA侵攻の事、だよね……」

 

第16大隊の活躍があれど、もしも防衛線の戦力があの時よりも薄まっていれば、そういった意味でも米軍を受け入れた甲斐はあったと武は複雑な表情で告げた。壬姫も同じ表情で、ぽつりと呟いた。

 

「でも、今回の事件は米国が仕組んだことでもあったんだよね………でも、決起軍と戦った人達や、殿下を守ろうとしたウォーケン少佐は日本のために戦ってくれた」

 

「アメリカも一枚岩じゃない、ってことだな。でも、唆されたとはいえ決起したのは日本人だ。防衛線が手薄になったのも事実。万が一に備えて、と動いた珠瀬事務次官の判断は正しかったことになるな」

 

「……うん。殿下も、この複雑な国際情勢の中、パパは良くやってくれている、って認めてくれたんだ」

 

信念の元に弛まぬ努力を重ねることで、私よりも公の利益になるように動いてくれているから、日本は危うい立場にならずに済んでいる。壬姫は悠陽からの言葉を反芻し、涙目になりながら嬉しそうに笑った。

 

「分かった、ような気がするんだ。夢のために戦う事と、信念のまま戦うことは同じなんじゃないか、って。どっちも、自分が望んでやることだから」

 

自己の利益を欲するか、公益を増加させるために邁進するか。珠瀬玄丞斎は、公益のために米軍を引き入れる事を選んだ。色々な反発を受けることは覚悟の上で、日本を守るために動いた。

 

「じゃあ、タマも同じだな。日本……っていうにはスケールがでかいけど、死なせたくない人達を死なせないで済んだ。いや、もっと前に世界を救ってるか」

 

「へっ?」

 

「HSST撃墜は、世界に誇れる偉業だぜ。戦後は表彰に胴上げに歓待に……まあ、色々されても文句は言えないぐらいだな……小さいタマなら、捏ねくり回されてる様子しか浮かばないけど」

 

「……タケルさんは私を恥ずかしがらせたいのか、怒らせたいのか……どっちなの?」

 

「どっちもだ。顔を赤くしたタマは可愛いからな!」

 

「へっ?! あ、ちょっ、撫でないで……」

 

「いや、断固撫でるぞ―――マジで助かったからな。ありがとう、世界最強のスナイパー」

 

武から強引に撫でくり回された壬姫は最後には「はうあう~」としか言わなくなっていた。武はそれを笑顔で見送り、次の来客を待った。

 

「……ていうか、人生相談室みたいになってるな」

 

「だからって、鑑純夏さーん、って病院の看護師みたいに言わなくてもいいと思うんだけど」

 

「ノリだ、ノリ。で、なんでお前は開幕から怒ってんだ?」

 

「さっきそこで壬姫ちゃんに会ったから。顔真っ赤ではうあう~としか言わなくなってたけど、なにしたの?」

 

「感謝の気持ちを伝えるために撫でくりまわしただけだ、って拳はやめろ。待て、話せば分かる」

 

「問答無用!」

 

「必要だっつーの! ……ほら、疲れてるんだろ、座れっていいから」

 

武はふらついた純夏を支え、抱えるように持ち上げた後、強引に椅子に座らせた。純夏はいきなりの接触に顔を真っ赤にした。

 

「ほら、続きを……どうした、風邪か?」

 

「……やっぱりタケルちゃんはタケルちゃんだよね」

 

純夏は呆れ声でぶつぶつと呟いた後、そういえば、と衝撃の事実を告げるように立ち上がり、前にある机を叩いた。

 

「タケルちゃん!」

 

「お、おう……なんだ、純夏」

 

「あのね、冥夜がね! その、殿下の妹だって………そういえば武ちゃんは知ってたの!?」

 

「知ってたぞ、っていうか、今更そんなに驚くことじゃないだろ―――いや、お前まさか気づいてなかったのか? 将軍家の縁者って言っても、いくら何でも似すぎだよなあ、とか思わなかったのか」

 

「……………世の中にはそっくりな人が3人は居るっていうし」

 

「縁者だって言ってんだろ」

 

ずびし、と武は純夏の頭に軽い手刀を落とした。

 

「あいたっ。ちょっ、いきなりなにすんのさ~」

 

「心配してるのに茶化すからだろ……っていうか、マジ話か? おまえ頭大丈夫か? 三日前の晩御飯とか思い出せるか?」

 

「馬鹿にしないでよ!」

 

「じゃあ言ってみろよ」

 

「おいしかったよ!」

 

ずびし、と武は純夏の頭に手刀を落とした。

 

「その理解力でよく衛士やってるなお前は……!」

 

「た、タケルちゃんが叩くからだってば……!」

 

純夏は自分の頭頂部を擦りながら、涙目になっていた。そこで、ふと気がついたように邪悪な笑顔を浮かべた。

 

「これはもう、あれだよ。壬姫ちゃんみたいに、撫でられないと治らないよ」

 

「………痛むのか?」

 

「へ? あ、うん……ちょっとだけど」

 

純夏はいきなり心配する表情になった武に戸惑うも、頷き。それを聞いた武は立ち上がると、純夏の頭をなで始めた。

 

「……まあ、悪かった。冗談抜きで大丈夫か?」

 

「ふあっ!? あ、うんだいじょうぶだけど……どうしたの?」

 

「いや、まあ……そう言えば、今までに褒めたこととか無かったかなーって思ってな。才能だらけの中で、辛かっただろ」

 

純夏がふらついたのも、他の隊員より体力が無いからだ。武はその事から、F-22Aと戦っていた時の光景を思い出し、少し冷や汗を流していた。

 

「でも、よくやったな鑑訓練兵……ってなんだよその不満顔は」

 

「なんか、タケルちゃんらしくなかったから」

 

「ケジメだよ。軍人になった今なら分かるだろ?」

 

「うん……それでも、人目が無い時はタケルちゃんはタケルちゃんのままの方が良いよ」

「……そっか。まあ、俺もその方が楽だな。純夏に気ぃ使うのはすっげー労力使うし」

 

「ちょっ、どういう意味さ?!」

 

純夏は頬を膨らませながら文句を言う。武はその顔を見て、オグラグッティメンだな、と懐かしくも道化を見る顔で純夏を慈しんだ。

 

「……なんか、私、馬鹿にされてる?」

 

「してないぞ。アホだなあ、とは思うけど」

 

「意味一緒だよタケルちゃんの馬鹿!」

 

「それだけ元気なら、大丈夫だな。で、何か聞きたいこととかないか? 無ければこれで終わりだけど」

 

「聞きたいことって……あるよ。美琴ちゃんは、大丈夫なの?」

 

「ああ、大丈夫だ。この情勢で国連のMPも無茶はできないし、帝国軍からの追求も防げる。実際、美琴本人が何も聞かされていないからな。明日には釈放されるだろ」

 

「そっか……良かった」

 

ふわり、と純夏が嬉しそうに笑う。武はその赤い頭に優しく手を置き、心配するなと告げた。

 

「どうにもさせないさ。なんたって俺は世界最強だからな」

 

「関係無いと思うけど……あと、その件についてはみんな怒ってたよ。私も怒ってるけど」

 

「……話は終わりだ、純夏くん。退室したまえ」

 

「あっ、タケルちゃんが逃げた」

 

「いいから。あと、今日はすぐ休めよ。変に夜更かしすると明日の疲労が倍になるぞ」

 

「うん……って子供じゃないんだから分かるよ」

 

「怪しいから忠告してんだろ。ちなみに、明日のご馳走は?」

 

「おいしいと思うよ! あ、そういえば唯依ちゃんは」

 

「冥夜の護衛として残ってる。人前でないなら、話しかけていいぞ」

 

「うん、そうする………タケルちゃんも、早く休んでね」

 

純夏は小さな声で言い残すと、部屋を去っていった。武は告げられた言葉に、苦笑と共に独り言を返した。

 

「なんだかんだと鋭い奴だな……次で、最後か」

 

武は覚悟を決めた表情で椅子に深く座り込み、運命の時を待った。間もなくしてノックの音が響き、武は緊張した声で入室を促した。

 

冥夜は言われるがままに部屋に入り、椅子に座った。そのまま口を閉ざしたまま、1分。武も言葉を発さずに待ち続け、二人の様子から徐々に部屋の中の緊張感が高まっていく。

そうして、戸惑った声での質問が放り込まれた。

 

「……何を言うべきか。時間をかけて考えたが、浮かんだのは一言だけだった」

 

冥夜は居住まいを正して、告げた。

 

「ありがとう―――武のお陰で、私は姉上をお助けすることが出来た。そして、無駄に生命を散らせずにすんだ。全て、そなたの協力があってのことだ」

 

「いえいえどういたしまして―――って答えるのも変だな。冥夜が選択したからこそだろ。こっちも助けられたし、礼を言われる筋合いはないって」

 

「それでも、そなたが居なければ説得もどうであったか………特に過ちから立ち直る点については、自分の身で学ばされた。説得力を培う根本になったと、私は思うのだ」

 

それは演習の後、B分隊だけが落第の印を押された後の、屈辱の。冥夜の言葉に、武はそれでもと答えた。

 

「……何度でも言うけど、俺は切っ掛けを作っただけ。冥夜自身が、仲間と一緒に立ち上がろうと決意したからこその結果だ」

 

それを俺のお陰だとしゃしゃり出るほど、情けないことはない。武はそう告げた後、苦笑を重ねた。

 

「それに言ってみればさ―――俺は、あの公園で交わした約束の通りに動いただけだ」

 

困った時は助けになると誓っただろ、と武は笑う。冥夜は公園で交わした会話と約束の言葉を思い出すと、困ったように笑った。

 

「いま、さら………覚えていなかった、の一言で済ませられる話をするでない。その、なんだ………胸の動悸が収まらないではないか」

 

「………? ひょっとして病気か! 大丈夫か、月詠さんでも呼ぶか!?」

 

「ばかもの、そういった話ではない……とはいえ」

 

冥夜は呆れ声で告げると、口を押さえて上品な仕草で笑った。

 

「律儀過ぎるという話だ。助かったことは確かだが……もっと我欲があっても良いと思うのだが」

 

「いや、俺はかなり欲張りだぞ。色々な所で好き勝手にやらせてもらってるしな」

 

助けたい人達を優先に、というのは傲慢に過ぎるかもしれないが、そのために提供と便宜を交換しあっている。武の言葉に、冥夜は苦笑を返した。

 

「そして最終的には大切な人達を守るために全てのBETAを駆逐する、か。あくまで自分の欲求の延長線上で戦っていると主張するのだな」

 

「ああ。公明正大になれるほどの人格者じゃないし、英雄を気取るにもちょっとな。好きな人を守れればそれでいい」

 

「………すきな、ひと? それは、その……だれなのか、きいてもいいのか」

 

格好をつけられなくなった素の冥夜の言葉。武は子供染みた声に首を傾げつつも、素直に答えた。

 

「誰って言われてもな……多すぎるっていうか」

 

「なに!? それは、その―――現地妻というやつか!?」

 

「誰から聞いたんだその単語!?」

 

「……純夏が、だな。いや、忘れてくれ」

 

武は後で犯人の脳天に手刀を落とすことを決意するも、それどころではないと言葉を付け加えた。

 

「妻とか、そういうんじゃない。なんていうか、その……仲間とか、家族のように思える人達とか、戦友とか、友達とか。死んで欲しくないって思った人達だって」

 

もしも、この人が死んでしまったのなら。リアルに幻視できるからこそ、それを見た途端に心が挫けそうになるような。そんな人達が死なない世界を求めていると、武は語った。

「冥夜と悠陽もな。BETAの脅威だけじゃない。姉妹揃って、笑いながら何でもない話をできるようになればなぁ、ってさ。その光景を考えるだけで、こっちまで嬉しくなるというか」

 

「……私と姉上が姉妹のように在るだけでそなたは嬉しいというのか? 代わりに何を求めるのではなく」

 

まるで父親のような、紅蓮師のような。冥夜はこそばゆさを感じつつも、悪いことではないが、と複雑な表情になった。喜ぶべきなのだろうが、何かが圧倒的に不足しているような。

 

(だが、それも無い物ねだりだな………過ぎるほどに、タケルはやってくれた)

 

自分に関することだけではない、大陸での戦闘から日本における防衛戦まで、真那から聞かされた話を想えば、国内でも1、2を争う英雄だ。そしてXM3開発の功績を含めれば、世界でも有数の衛士でもあると言えた。

 

(偶然知り合えたのは、幸運以外のなにものでもない………これを運命という言葉で象るのは、傲慢に過ぎるが)

 

冥夜は浮かれた思いを押し殺しながらも、横浜で見えた偶然に感謝を捧げた。もしもあの公園で会ったのが白銀武という男子でなければ今の自分は在り得なかっただろうと。

 

「やはり………今更になってしまうが」

 

「ん?」

 

「そなたが居てくれて良かった。人の意見を聞かず強行したことに思う所はあるが、それでも………タケルは私達のこと思い、身をもって動いてくれた」

 

冥夜は深く、頭を下げた。武は平行世界でも見たことがない、冥夜が見せた全面的な感謝の姿勢を前に、何とか小さく頷きだけを返した。

 

「姉妹揃って似てる……けど、違う所もあるんだな。悠陽にはかなり怒られたし」

 

「そうなのか? ……いや、立場を考えると怒らざるを得ぬか」

 

具体的にはどう怒られたのか、と問いかける冥夜に武は全てを話した。そして最初から順番に話していく内に、言葉に詰まった。顔を少し赤くしながら視線を逸らす武に対し、冥夜は首を傾げた。

 

「どうしたのだ? 具合でも悪いのか」

 

「いや、精神的にはちょっと疲れたけど体力なら有り余ってる。まあ、なんだ……悠陽は突拍子もない所で無茶するから、補佐するにも気をつけろって話だよ」

 

「………何かを誤魔化された気がするが、忠告はありがたく。護衛や侍従さえ伴わずに単独で脱出したことを考えると、頷ける話ではある。ただ……やはり、私は斯衛に戻るべきだと思うか?」

 

「A-01を離脱して、か。どうだろうな……帝国軍でさえ、冥夜の正体は露見していないしな」

 

決起軍は最後まで入れ替えに気づかなかった。帝国軍も同様だ。唯一知っている米軍は、口外しないことを約束させた。

 

「秘密はいずれバレるものだけどな……いや、どっちにしろ俺から強制する事はできない。まあ、冥夜なら第16大隊でもやっていけるほどの技量があるから、歓迎はされるだろうけどな」

 

「……タケルの古巣か。いや、そういえば……月詠より経歴を耳にした。まさか、海を渡って1年も経たない内に戦場に立っていたとは知らなかったぞ」

 

「まあ、色々とあってな。親父を助けるために訓練未了の状態で出撃して、九死に一生を得た後にあれよあれよと……どうして生きてるんだろうな」

 

「……申し訳がない、としか言えぬ。姉上や月詠とは、話がついていると聞いたが、誠か?」

 

「ああ、京都でな。風守の家との話もついてる」

 

何でもないように告げる武だが、冥夜は風守、斑鳩公か、と小さく呟いた後に真那から入手した情報が真実であるか尋ねた。

 

主に風守家関連のことだ。そして、当主の雨音とも親しい仲であるという問いに、武は頷きを返した。

 

「血は繋がってないけど、母さんの義理の家族だしな。雨音さん自身も良い人だし……刺々しくない落ち着いた雰囲気の女性、って新鮮だった」

 

リーサに初芝八重は言うに及ばず、ユーリンは落ち着いていそうだが、急に慌てる事があり。クリスティーネとインファンはアレで、その後に出会った人達も包容力があるかと聞かれれば疑問符を浮かべる者ばかりだったと武は言う。

 

「……クズネツォワ教官と紫藤教官とは、長いのか」

 

「サーシャは最初期の頃からだな。樹はアンダマン島からだけど、どっちも一緒にマンダレーを落とした仲だ」

 

「……そういえば、山城中尉や篁中尉とも知りあいだと聞いたが」

 

「京都でベトナム義勇軍やってた時の教え子だな。ユーコンで不知火・弐型を開発する時はちょちょっとフォローした」

 

「……第16大隊でも、親しくなった女性はいたのか?」

 

「介さんと崇継様以外は、全員が部下だったからなあ。雨音さんと母さん以外で言えば、赤鬼、青鬼の二人になるか……ていうか、なんで女性限定なんだ?」

 

「……そなた、鈍感だと言われたことはないか?」

 

「あるな。なんでそんなに、っていうほど言われた」

 

「当たり前だ、ばかもの………純夏が怒る訳だ」

 

「へ? ああ、そういや純夏の話なんだが」

 

武は純夏が冥夜の素性に気づいていなかった事を話した。冥夜は話題を変えられたことに気づいたが、事が純夏の話なので、素直に応じることにした。

 

「演技、とは思わなかったが……純夏らしいと言えば、純夏らしいな」

 

「だな。塔ヶ島城で二人が並んだ時も“似てるなぁ”ぐらいしか思ってなかったぞ、あいつ。おっちょこちょいというか、考えなしというか」

 

「そこに助けられている部分もある―――そなたも、同じでであろう」

 

まるで悪口に聞こえないぞ、と冥夜は苦笑を返した。

 

「私は、良い仲間を………友達を持った。それだけは真実だ」

 

「……戻るのか?」

 

「まだ、何も。いずれにせよ、全ては美琴が帰ってきてからにするつもりだ」

 

「分かった。宴会も、美琴が帰ってくる明日にする予定だ……それでは」

 

武の言葉に冥夜は頷きを返し、立ち上がった。待たせている者が居る故に、という言葉を吐いて。武は美琴以外に誰かがいただろうか、と首を傾げるも、問いかける事はしなかった。

 

戸惑う武に、冥夜は背筋を伸ばし。感情のままに笑いながら、告げた。

 

「そなたに、心よりの感謝を。あの公園で出会えたことを、誇りに思う」

 

「ああ―――俺の方こそ、だ。おまえに会えて、良かったと思う」

 

どちらともなく手を出し、握手を交わした。冥夜の方は“おまえ”という言葉に思う所があるのか、笑みが更に深くなっていたが。

 

そして冥夜が退室した後、武はひとり思い出し笑いを零した。

 

「心よりの感謝を、か………ほんと、姉妹そっくりだな。おまえ、って言葉に反応する所とかも」

 

月詠さんにバレればやばいけど、と武は誤魔化す方法を考え始めた。そこに、ノックの音が。武は訝しみつつも、椅子に座りなおし、ドア越しに名乗られた名前を聞いて、きょとんとしつつも入室を促した。

 

「……改めての久しぶり、山城中尉」

 

「あら、上総とは言ってくれないの? あの頃のように」

 

「いや、無礼になるかなぁと思ってだな」

 

「なりませんわ。それとも、もう友好関係は終わり、とか……」

 

「いや、それは無いって! ……って、やっぱり泣き真似かよ」

 

「目に入ったゴミを取ろうとしただけですわ―――それよりも、この場だけは武と呼んでよろしくて」

 

「ああ。かたっ苦しいのは苦手だしな」

 

「それでは、白銀武様」

 

腰まで届くほどに長い髪をしていた、京都防衛戦の頃とは異なり。綺麗に切りそろえられた黒髪を下げながら、上総は告げた。

 

「ありがとうございました―――京都で私が撃墜された時のことです。生命が危うかった私を助けてくれたのは、武様だと聞きました」

 

「どういたしまして……でも、様を抜いてくれた方が良いな」

 

「ふふ。では、ありがとうございました、武。そして今回の件の事でも礼を申し上げます。殿下の御身体だけでなく、御心も武は守ってくれました」

 

総括しなくても万事が見事だったとい言う他には無い、と上総は笑った。

 

「そして、F-22Aに対していた時の援護も……私事ながら、精進が足りないことを痛感させられましたわ」

 

力量差で言えば、京都の頃より大きくなったように思う。複雑な表情を浮かべる上総に、武はそうでもないと答え、新OSの恩恵の事を話した。

 

「やまし……いや、上総も腕を上げたって。咄嗟の120mmの一撃は見事だった。態とコックピットに命中させなかった所も」

 

唯依もコックピット内の衛士が死なないよう、戦闘不能にするためだけに機体を断ち割った。あれで死人が出ていれば、と語る武に、上総は苦笑を返した。

 

「それも作戦前の、武の演説があってからこそ。珠瀬さんも、宇宙船地球号の乗組員である武の意を汲んだから、狙いを外したのでしょう?」

 

「ああ。多分だけど、その通りだと思う。悪いな………俺の我儘に付き合わせて」

 

斯衛が持つ対米感情と、相手の機体性能と力量を考えれば、死なせずに撃破しようというのは心身ともに相当な無茶をする事を要求したに等しい。そうして謝る武に、上総は可能だからやったまでだ、と答えた。

 

「一対一ならばともかく、武の挙動に気を取られていたからこそ。これぐらいできなくては、最前線は務まりませんもの」

 

「……そういえば、佐渡島で何度も間引き作戦に参加した、って聞いたな」

 

「一応は、明星作戦にも参加しましたわ。尤も、斯衛が誇る“紅の鬼神”殿に比べられるほどではありませんが」

 

「いえいえ何をおっしゃる。そんな過去の遺物をあれこれ言うよりも、ここは上総の成長振りを語る所かと」

 

武の強引な話題転換に、上総は苦笑しながら答えた。

 

「ふふ、残念ながら無理ですわ。ずっと、私の憧れでしたのよ? ……鉄大和という男も、紅の鬼神の衛士も」

 

憧れたから、ああなりたいと思ったから、ずっと腕を磨き続けてきた。上総の言葉に、武は二の句を継げられなかった。

 

「命を賭けて、私達を守ってくれた人。落とされ、激痛の中で死を待つ身だった私の命を救ってくれた人……まさか、同一人物であるとは思いませんでしたけど」

 

「……まあ、無理もないと思う」

 

武は照れつつも、自称日系人が赤の武御雷を任されるようになるなんて思う方が間違っていると告げた。

 

「当時は俺も知らなかったからな……風守光が母さんだってこと。崇継様は確信していたようだったけど」

 

「……家庭の事情は深く聞きませんわ。ただ、どうして国連軍に?」

 

斯衛に戻る気はないのか、そもそもどうやって生き残ったのか。武はその質問に、いつもの通りに答えた。生存のからくりは企業秘密であり、この先は国連軍で―――横浜基地で、香月夕呼を助けながら戦っていくことを。

 

「斯衛で俺がやれる事はない。あとは五摂家の人達がどうにかしてくれる。俺は、俺のやるべき事をやっていくつもりだ……BETAをこの地球から駆逐するために」

 

「そして、二度と志摩子達のような死者を出さないために?」

 

「ああ。まずは小手調べに佐渡島だな」

 

今や帝国軍の悲願であるハイヴの陥落を、通過点だとばかりに武は語った。これまでの苦境を想えば、武以外の誰かが吐けば大言壮語と一笑に付す内容だが、上総はそれが虚栄だとは思えなかった。

 

「……まるで確定事項のように語るのね。頼もしいやら、呆れれば良いのやら」

 

「十分に可能だって。今回の事件で、国内の意志は一つに固まった。あとは切るべき札を順番に切っていくだけだ」

 

当たり前のように語るそれは、夢物語の類ではなかった。最前線で何度も他の衛士の強がりを見てきた上総は武の様子を見て、違う、と呟いた。

 

(鳥、肌が……無責任な希望を語ってるんじゃない。楽観でもない、これは………っ)

 

周囲の衛士達は、実戦を重ねる度に自分の手が届く範囲が狭いことを痛感していった。最前線では、明るい未来を虚飾なく語れる者は居なくなった。楽観論に落ちた者から、絶望に心折られた者から死んでいった。

 

上総は、亡き戦友たちのためにも諦めるものかと戦い続けた。でも、それは明確な展望を持ったものではなく、先延ばしの類であり。気づけば、上総は尋ねていた。

 

「信じて、いいの………? 佐渡島ハイヴを落とせる、っていうあなたの言葉を」

 

「ん? ああ、年内にな。こう、さくっとやる予定だけど」

 

「………っ」

 

上総はその言葉を聞くと、即座に口元を右手で押さえた。だが、意味はなかった。我慢しきれなかった上総の口の端から、笑い声が零れ出た。

 

「ふ、ふふ……さくっと、ってそんな、スナックのお菓子を食べるように」

 

「実際はもう少し難しいだろうけどな……あれだ、虫歯なのにアイスを食べるぐらいの難易度かなー」

 

「………佐渡島が、アイス?」

 

「うん、ちょっと染みるかも―――ぐらい?」

 

上総は耐えられなくなり、俯いてお腹を押さえながら全身を震わせた。顔を真っ赤にして、眼の端には涙さえ浮かんでいく。

 

武はいきなりの変化にきょとんとして。何かおかしい事でも言ったかな、と自分の発言を思い返し、やっぱりおかしくないよな、と頷いた。

 

1分後、なんとか自分を取り戻した上総は眼の端にある涙を拭いながら、前髪を横に払いながら告げた。

 

「それじゃあ、楽しみにしているわ……一緒にあのソフトクリームを食べられる日を」

 

「おう。でも、油断すれば歯が痛むから気をつけてな」

 

「―――ええ。また会いましょう」

 

上総は敬礼をすると、部屋を去っていった。そして入れ替わりに現れた人物に、武はやっぱりかと呟き、その名前を告げた。

 

「生憎と、今日は鰤村祐奈には会えないぞ―――唯依」

 

「……色々と聞きたいことはあるけれど、あれだけ殴られたのに懲りていないのは大したものだと思う」

 

ため息の後、唯依は上総の事について尋ねた。涙を流していた理由と、何故か笑っていたこと。武は素直に説明すると、唯依は何ともいえない表情になった。

 

「難攻不落の象徴であるハイヴのモニュメントをソフトクリーム扱い、か。マンダレーハイヴを攻略した英雄は言うことが違う」

 

「札は揃ったからな……足りないからって仲間を自爆させるのは、金輪際ごめんだし」

 

「……そのための国内における不穏分子の排除、か。事前に止めようにも―――」

 

「地下に潜られて佐渡島攻略の最中にドカン、ってなれば終わりだった。そこまで馬鹿だとは思いたくないけど、唆す奴が居るからな」

 

「分かっている。ただ……いや、これも今更になってしまう。でも、霧島中尉の行動は想定内だったのか? 橘大尉のお姿も無かったようだが」

 

「………想定外だった。大尉も、祐悟に撃たれて命は無事だけど入院中だ……全て覚悟のことだったように思う。実際、祐悟がああしなければ事態が悪い方向に急転していた可能性が高いからな」

 

最悪は悠陽や冥夜の命が危うくなる事態にまで落ちていただろう。武の推測に、唯依は同意を示した。

 

「あれが無ければ、決起軍も敵に回っていた可能性が高かった……咄嗟の機転であることを考えれば、見事としかいいようがなかった」

 

でも、と唯依は言い難そうに続けた。

 

「あれが態とだった、って気づいている人は恐らく居ないと思う。これから先、公言する事も難しくなるけど……武は、霧島中尉とは親しかったのか?」

 

「ああ。ビルマ作戦にも参加してたし、シンガポールで何度も一緒に宴会してた。料理の腕が凄くてな……八重が持ってきた日本酒にあうツマミを即興で作って、フランツとかリーサ、樹達に感謝されてた」

 

武は大陸での思い出を語った。何故か腕相撲を挑まれたことから、戦場を共にしていた時のことまでを。

 

「かなりの凄腕だったんだ。でも突っ込み過ぎた機動をすることが多くて、尾花大尉に怒られてた。アルフとファンねーさんは、死に場所を探してるようにも見える、って言ってたけど……」

 

武は、祐悟の過去は知らなかった。追求されるのを嫌がってた節があったから、聞くこともしなかった。ただ、聞いておけば良かったかもしれない、と武は今になって後悔をしていた。死なれては、推測をする事でしかその声が言葉にならないからだ。

 

唯依は、渋い顔をする武に対し、尋ねた。

 

「でも……どうしてあんな行動に出たのか。それは、自分のためだけじゃ無かったと思う。霧島中尉が最後に何を伝えたかったのか。私には分からないけど、武には分かることがあるんでしょう?」

 

「……ああ、甘い、って怒られたような気がしてるよ。想定が温すぎるぜ、とかな。大陸で失敗した時にも、同じ内容で叱られた事があった」

 

「それを伝える意味でも………いや、違う。帝国全体のためになるように、霧島中尉は決断した。私は、彼があの場に居てくれた事を誇りに思っている」

 

「……俺もそうだ。一人で、国を救ったようなもんだしな」

 

死者に出来ることは弔いを。戦友の死に報いるためには、彼らが安らかに眠れるようにと、誇りの灯火を語ることだけ。武は衛士の流儀を語った後、唯依に礼を告げた。

 

「ごめんな、情けない顔を見せて。仕組みの一端を担った俺に許される態度じゃないっていうのに、付き合わせて」

 

「謝罪は必要ない。お礼も……私が武から貰ったものに比べれば、微々たるものだから」

 

京都で2回、ユーコンで2回。それだけでなく、親友を、兄を、そしてこの星の未来まで希望の火を灯してくれた。誇るように告げる唯依の言葉に、武は改めて言われると照れるんだけどな、と気不味い表情で答えた。

 

「大したことじゃない―――って言うと怒られそうだから言わないけど、まあ友達だからな。困ってるなら助けるって。同じように、助けてもらってる訳だし」

 

「……そう、ね。でも友達というのなら、色々と秘密がありすぎると思うのだけど」

 

冥夜のことだろう。武は察するも、視線を逸しながら答えた。

 

「だって、ほら……あの場面では、ああいう手を打つしかなかったし」

 

「ふうん……何の断りもなく主家の代理を押し付ける、っていうのも仕方無かったと?」

「いや、それは、まあ………仕方無くないです、ごめんなさい」

 

「本当に、驚きの連続だった。横浜基地で、月詠中尉が傍に居た時からそれとなく察する事は出来ていたけど……あと、かなり親しい間柄に見えたのは私の気の所為なのかしら」

 

「……まあ、友達だけど。そんなに親しいように見えたか?」

 

「ああ………殿下に対してもだ。再会した時、かなり長く話していたようだけど」

 

「京都防衛戦の頃に知り合った。でも、明星作戦以降は連絡を断っていたからな」

 

「……そう。それだけじゃないようにも見えたが」

 

「色々あったんだよ……って、唯依、なんか怒ってる?」

 

「怒って、ない。そう見えたのなら、本人にやましい気持ちがあるからだと思う」

 

唯依の指摘を受けた武は、言葉に詰まった。悠陽の不意打ちでの口付けを思い出したからだ。唯依はその様子を見るなり、頭が痛いという風に額を片手で押さえた。

 

「これは、想像以上に競争相手が………だけじゃなくて、まさかの殿下? 冗談だと思いたいけど……」

 

「ん、どうした唯依。疲れているのなら休んだ方がいいぞ」

 

「そうしたいのはやまやまなんだけど……それよりも、今後の展望は?」

 

武はキースの件から繋がる当初の展開を、XM3配布の時に唯依に話していた。だが、キースが切り捨てられるようになれば、その手を使うのは難しくなる。どうするのか、という問いかけに武は夕呼やウォーケンと話した内容を伝えた。

 

「ウォーケン少佐の動き次第だけど、やりようはあると思う。キース・ブレイザーも、生きてはいるからな……でも、あちらさんの動きの全てを掴むことは難しいし」

 

「……いずれにせよ、第四計画の完遂を目指す事に変わりはなし、か。それで、手始めに佐渡島ハイヴの攻略を?」

 

「その前にXM3の発表会だな。今回の件で、国連軍は“殿下の意志を尊重し、見事に筋を通した”訳だから」

 

信望は厚くなるため、新OSへの抵抗感は薄まる。そして武は、新潟で活躍した新型の電磁投射砲について説明した。

 

「……てっきり、あれも武の手筈だと思っていたが」

 

「敵を騙すにはまず味方から、だそうだ。でも、気づけなかったと思うとぞっとする」

 

より慎重に動かなければな、という武の言葉に唯依は頷きを返した。

 

「で、だ。それとは別として、電磁投射砲という新兵器の威力と有用さはアピールできた―――不知火・弐型の先行量産型も、明後日に搬入される」

 

至急で組み上げ、可能であれば佐渡島ハイヴ攻略前に。その情報を受けた唯依は、とうとうか、と緊張の面持ちになった。

 

「なんだ、不安なのか?」

 

「……そう、ね。不安というよりは、緊張しているのかな……自分が関わった戦術機が、実戦に配備されるのは初めてだから」

 

信じていることと、緊張しない事は等号では結べない。そんな顔をする唯依に、武は心配する必要はないと告げた。

 

「ユウヤと言葉で殴り合いながら完成させた機体だろ? あの開発バカの執念だけじゃなくて、ミラさんの手も入ってる。傑作機にならない理由がないって」

 

「一理あるが、そんなに簡単には割り切れない。ここで悩んだ所で、結果はもう出ているというのは分かっているのだけど……開発に参加した者としての責任がある」

 

「唯依は変な所で生真面目になるな。そういう所はユウヤそっくりだ」

 

「え……兄様も?」

 

「ふとネガティブになる所もな」

 

卵が落ちている所を見て、複雑な表情になっていた時のことを武は思い出していた。どうした、と聞くと子供の頃によってたかってぶつけられてな、という答えを聞いた武は、顔を引きつらせる事しかできなかった。

 

「そういえば、唯依の完成版の肉じゃがをもう一度食べたいとか言ってたぞ」

 

「……分かった。宴会用を多めに作るから、持っていってくれると助かる」

 

「了解。あと、クリスカがレシピを欲しがってた。良かったら、だけど―――」

 

「渡さない理由はない。それと、色々と気になることが」

 

唯依はユウヤとクリスカ、イーニァの様子を尋ね、武は最近の3人の様子について説明した。純夏と顔を合わせたことも。

 

「イーニァもそうだけど、クリスカからも話しかけられるようになったらしい。きっと裏表がないアホだからだな」

 

「……酷い言い分になるのは、幼馴染だからか? 裏表が無い、という部分には同意できるけど」

 

「あと、俺はなんか知らんけどクリスカから嫌われ気味なんだ。なんか心当たりはないか?」

 

武の問いかけに、唯依は答えようとして、すぐに口を閉ざした。間違いなく、テロ事件で対峙した時の記憶が原因であると考えていたからだ。そして殺し合った事よりも、記憶を覗いてしまった要因の方が重いだろうとも推測していた。

 

重すぎる記憶。だからこその戦闘力は、戦域支配戦術機の名を持つF-22Aを容易く撃破できる程に高まった。それでも、代償に支払ったものがあるからこその。その大きさを、唯依は測ることができなかった。

 

「えっと……どうした?」

 

「いや……ビャーチェノワ少尉は、テロ事件の時のことをまだ覚えているんだろう。初めて真正面から打ち破られた相手だ、というのが原因かもしれない」

 

「……やっぱり、か。まあ、あれは暴走した俺も悪いんだけどな」

 

「暴走? ……その原因もわかっている口ぶりだけど」

 

「ああ、ちょーっとトラウマがな。今は大体制御できるけど」

 

「……そう、か」

 

親しい者の死に関することだろうと、唯依は内心で呟いた。今回の件で更にその荷物は重く、大きくなった。唯依はその助けになっただろうか、と思い浮かんだ言葉をそのまま声にして尋ねた。

 

「助けるつもりが、助けられたような気がするが………私は、武の力になれたんだろうか」

 

裏事情を知っているとはいえ、撃破数はF-22Aが1機だけ。それ以外で役に立てたか、というと怪しい。唯依は尋ねた後、心臓の動悸が跳ね上がるのを感じたまま、武がなんと答えるのかを待った。

 

そのすぐ後に、武は呆れ声で告げた。

 

「それ、今更だろ? ―――助かったって、マジで。裏事情を知っている味方が一人も居ない、っていう状況になってたらもっと胃が痛くなってたし……ああ面倒くさいな。ありがとう、唯依」

 

「そ、そうか………それなら、良かった」

 

唯依は顔を少し赤くしながら、笑顔を見せた。武は反応が素直で可愛いなちくしょう、とからかいたくなったが、流石に非人道的過ぎると考え、思いとどまった。

 

「っと、もう時間だな……それじゃあ、明日に。材料はすぐに手配させるから」

 

「お願いする。あ、胡椒も忘れずに」

 

「勿論。あと、純夏がやらかさないか見張っててくれ」

 

軽い口調で別れの挨拶を交わしあう。その後、唯依は少し赤い顔をしたまま部屋を去っていった。

 

武は手を振って見送り、扉が閉まってから3秒後に机に突っ伏した。

 

「………あー、しゃべり過ぎて喉が痛え」

 

悪くはなかったけど、と武は内心で呟いた。友達、仲間に類する人達と色々話せて、心の肥やしになったと。

 

「癒されてる、のか俺は………はっ、あれだけ死なせた癖にな」

 

帝都で、その近郊で発生した戦いで死んだ人達は決して少なくない。決起の要因は帝国軍の衛士が、米国の工作員が編み上げたものだ。それを見過ごした上で利用することが最善だと考えた。夕呼や左近も同意し、策の大半を練り上げた。とはいえ、その大元は自分だ。責任があると主張するなら、ともすれば傲慢と受け取られかねないものだ。

 

「だからって………俺は悪くない、って主張するのは無責任過ぎるよな」

 

報いる気持ちに嘘はないが、死神の手助けをしたという事実だけは消せない。

 

武は今までに出会った人達の顔を思い出しながら、静かに胸を押さえた。机に突っ伏したまま、静かに鳴り響く鼓動の音だけが耳に残る。

 

(……なに無節操に動いてやがんだよ、くそ)

 

無根拠な苛立ちを自覚した武は、舌打ちをした。そのまま、割り切ることもできない白黒に悩みながら、呼吸だけを繰り返していった。

 

B分隊と、上総と、唯依と、殿下と。交わした言葉は、甲斐があったと想わせてくれる達成感になった、が。

 

「……同じように、誰かが大切に思う誰かが死ぬ原因を、俺は今日作ったんだよな」

 

武は呟き、顔を上げた。背もたれに体重を預けながら、痛む胸を強く押さえ、眼を閉じる。慣れたものだと、一つ一つの呼吸を大切に、気を落ち着かせていく。

 

後はいつものように、平静を取り戻せるまで息を吸って吐くのを繰り返すだけだと。

 

そのまま、室内の秒針の回転が20を越した時だった。武はふと自分の近くに気配を感じ、眼を開けようとして失敗した。

 

「な――?!」

 

「だーれだ」

 

「……は?」

 

あまりの棒読みに、武は呆然と呟いた。そして、いつの間に入って来たのか、後ろに回って自分の両目を塞ぐ人物の名前を告げた。

 

「もう、大丈夫なのか―――サーシャ」

 

「こっちの台詞。事件中に、副司令を狙う奴らは居なかったし」

 

第四計画の最重要人物を守るためにと、護衛を務めていたサーシャが答えた。

 

「舞子と萌香の方も治療は終わった………後遺症は無いって」

 

「そう、か。それは良かった」

 

「うん。それは良いけど、こっちは良くない」

 

「何がだよ。って、いい加減に眼から手を離して―――っ!?」

 

武は驚愕に固まった。顔を覆う手が腕に、後頭部に柔らかい感触がしたからだ。いきなりの不意打ちに硬直した武に、その頭を後ろから抱きしめたサーシャは、ぽつりと呟いた。

 

「助けられなかった人達が居る………それが重いっていうのは分かるよ、でも」

 

サーシャは鼓動の音を武に伝えながら、幼さが残る口調で言った。

 

「助けられた人達が居ることだけは、忘れないで欲しい―――例えば私とか。あと、いい加減に頼って欲しいんだ」

 

この世界で一緒に戦ってきた私達のこともちゃんと見て欲しい、とサーシャは自分の欲求を飾らずに告げた。

 

「私で無理なら、樹にも相談して。私は……足手まといだった時期が多かったから、偉そうな事はいえないし」

 

「……そんな事ねえって」

 

サーシャが死んでいたらどうだっただろうか。武は妄想し、自分の死を確信した。どう考えても自棄になって無理な戦い方をして死んでいる自分の姿しか思い浮かばなかったからだ。

 

「色々と……考えなくてもいいって事を引きずってる部分は認めるけどな」

 

「うん。神様じゃないのに、神様みたいな責任を背負いたがってる所とか」

 

「………度が過ぎてんだろ、ってか? 自分でも分かってるんだけど……思い出しちまうんだよ」

 

親しい人を多く亡くした記憶。その時に抱いた悲しみは、現実に近い感触で胸を襲う。助けられなかった時の憎悪までも

 

「でも、考えすぎると壊れちゃうよ。平行世界の自分の未練まで、全部背負う必要はないのに」

 

「……分かってるつもりだって。あくまで、俺はこの世界で生まれた“俺”だってことも分かってる。白銀影行と風守光の息子で、クラッカー12で、パリカリ7で……サーシャに賭けの負け分をまだ支払えてない、情けない馬鹿だって事は忘れてない」

 

「でも、最近は純夏達ばかり見てるように思う」

 

「それは……まあ、ちょっとな。でも、かつての同期で戦友だったし。あいつらに生きて欲しいって思うのは俺の我儘で―――って痛い痛い、締まってる締まってるんだけどサーシャさん!?」

 

「うん」

 

「いや、うんじゃなくててててて!」

 

しばらくした後、落ち着いたサーシャに武は続きを話した。

 

「いや、サーシャとか樹をないがしろにしてる訳じゃない。頼ってる部分もあるって。でも、どうしてもさ……なんか、気を使わなくてもやってくれるって思ってるから」

 

「……都合のいい女扱い? 樹まで、とか」

 

「その話はやめてくれ。どちらにもダメージが大きいから」

 

閑話休題、と武は言葉を挟んだ後、話を続けた。

 

「情けないけど……余裕が無いっていうのかな。どうしても、死に顔を思い出しちまうからついついと気になっちまう」

 

「………それは、純夏達は、その……どこかの世界で、武の恋人になったことがあるから?」

 

「う」

 

図星のようであり、少し違う指摘を前に武は言葉に詰まり。そこに、サーシャの追い打ちが突き刺さった。

 

「違うけど、近いと見た。それと……武はもう“気づいてる”ように見えるんだけど」

 

彼女たちの好意を、と。武はサーシャから率直に告げられた言葉に、また黙り込んだ。それとなく、気づいていたからだ。平行世界の記憶を持っているということは、その女性陣の性格や仕草にも詳しくなるという事も含まれている。好かれる可能性があることも。

 

「……ずけずけと、ごめんなさい。助けたい、って気持ちが武の立脚点になったっていうのは分かってる……好意に応えない理由も」

 

「……やっぱり、分かり易いか?」

 

「顔色で分かるよ―――苦しんでることも」

 

サーシャは武の横浜基地での現状を知っていた。悪夢で飛び起きる朝の数は、大陸で、平行世界で戦っていた時から少なくなったと聞いたが、ゼロにはなっていない事も。時折発作のように、知っている誰かの顔と兵士級の顔が重なるように見えてしまい、人知れずに吐いている事も。

 

「応えないのは、繰り返すのが嫌だから………少なくともハイヴを潰して、背負った荷物が軽くなるまでは、ってこと?」

 

「そこまでは考えてないけどな。でも、自分本位になるのは無責任だとも思う」

 

武はそこで言葉を区切り、少し迷った後に告げた。

 

最悪の悪夢は何か、と。サーシャはそれを聞き、少し考えた後に答えた。

 

「人それぞれだと思うけど……私にとっては武が死ぬ所とか、クラッカー中隊のみんなが死ぬ所とか……考えるだけで気分が悪くなるぐらいに最悪」

 

「だよな。誰かが死ぬ場面を、って俺もそう思ってた。でも、俺の最悪はそれが終わった後なんだよ」

 

桜並木を見上げる自分が居る。戦いは終わったと、呟く自分が居る。

 

―――振り返ると、誰もいない。広い空の下でただ一人、ポツンと立っている自分だけしかいない。平行世界の自分とは異なり、どこにも帰れない自分だけが。

 

「最期には勝ったんだろうな。悲しさはあるけど、誇らしさもあるんだよな………でも寂しいんだ。寂しいんだよサーシャ……あれは、あれに俺はきっと耐えられない」

 

言葉では言い表せない、死ぬよりもおぞましい絶乾の。自分の身体が砂になって崩れていくことよりも恐ろしい、時間の経過だけでは癒されない黒穴が穿たれたように。

 

その光景を、感触を否定するために白銀武は戦っているのだと、サーシャは分かってしまった。失いたくないからと、生命を輝かして、誰かの生を掴むために。その度に悲しいほどに強くなっていく。次の、そのまた次の戦いで生き延びるために、研ぎ澄まされて削られていく。

 

「なんて言い繕っても、結局は自分本位だ。自分がああいう思いをするのが嫌だから、見殺しにする―――でも、割り切れないから苦しんでる。バカみたいだろ」

 

「……ちがうよ」

 

未熟な頃の武を知っているサーシャは、痛いほどに理解できていた。武を前に奔らせる要素は数多く存在している。感情、欲望、責任に義務感。だがその一角に純然たる恐怖があることを、その絶望の深さをサーシャは認識した途端に、耐えられなくなった。

 

仲が深まっても、癒されない。逆に大切に想えば想うほどに、その喪失感は大きくなってしまって―――

 

「な………サー、シャ」

 

「………っ、ぐっ」

 

嗚咽が溢れ、武が驚いた。サーシャが悲しいと泣くのは、タンガイルで仲間が、家族のようだったプルティウィが死んだ時だけだと記憶していたからだ。

 

なのに、今泣いている。悲しくてたまらないと、子供のように泣いていた。どうして、とこの運命をもたらした存在を恨むように。

 

武は、何かを言おうとして止めた。よりいっそう、後頭部を抱きしめる腕の力が強くなったからだ。そして、その腕が震えていることも分かっていたために。

 

「ご、め………ごめん、なさい」

 

「いいよ。俺とサーシャの仲だろ? ……それに、助かってるって。夕呼先生の護衛も、そうだろ? ある意味で一番重要だったんだ……悪いけど、これからも頼りにさせてもらうから」

 

泣かないで欲しい、と武が困った様子で訴えるも、サーシャは更に泣いてしまう事になって。

 

武は、その反応に困りつつも、何も言う気が起きなかった。泣いている理由を、全て理解できた訳ではない。だが、自分を想って悲しんでいてくれる事が触れている箇所から、その小刻みな振動から伝わっていたからだ。

 

(……明日には次の戦いが始まる。いや、たった今からか。だから、すぐに立ち上がらきゃならないんだけど)

 

新たに刻まれた霧島祐悟の死を、多くの衛士や民間人の死を無駄にしないためにも、膝を折ることは許されない。

 

一つの戦いの終わりは、次の戦いの始まりにしか過ぎないのだ。

 

武はそれを理解し、だけどと呟いた。

 

 

(明日は―――いつもより早く、立ち直れそうだな)

 

 

仲間と、戦友と、友達と、サーシャと。

 

武は交わした言葉と頭を包む感触に身を任せると、笑みを浮かべながら静かに夢の世界へと旅立っていった。

 

 

 




●あとがき1

・美琴のあれこれは次で

・冥夜に関しても同様に



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