私が殺した彼女の話   作:猫毛布

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90.乖離世界1st

 篠ノ之箒はゆっくりと瞼を上げた。

 眩しい太陽の光に少し皺を寄せながら、視界を確認した。社。鳥居。石畳。

 近くにあった鳥居に触れて、手の平に感じる真新しい傷跡。自身の古い記憶に当て嵌まる、新しい傷。

 指の腹でゆっくりと撫でて、もう一度箒は辺りを見渡す。

 間違いない。篠ノ之神社である。けれど、今の篠ノ之神社ではない。

 

「お姉さん、さんぱいしゃ?」

 

 後ろから声を掛けられ、箒は振り向いた。ソコには誰も居ない。

 はて? と首を傾げてから袴を引っ張られる感触があり、視線を下へと下げる。

 黒く長い髪を頭で纏め、馬の尻尾のように後ろへと垂らしている少女。その頬は血行が良すぎるのか少しだけ赤い。

 箒は何かを少しだけ考えたあとに膝を曲げて、少女の頭を撫でた。

 

「おいっ! ほうきに何をしてるんだよ!」

「い、いちかっ!?」

 

 箒を咎めるように声を出した少年。どうやら少女と同門である彼も道着を纏っていて、その手には竹刀が握られている。

 その少年を見て、箒は少しだけ頬を緩める。緩めた頬をどうにか引き締める。

 

「すまない、どうこうする心算はない。つい、あー、可愛くてな」

「か、かわ、いい?」

 

 赤くなる少女と一緒に箒の頬も少しだけ赤くなる。嫌悪感と少しの羞恥心が混じった何かが頬を熱くした。

 

「ふーん……それで、おねえさんは何をしに来たんだ?」

「……そうだな。参拝してから考えてみるか」

 

 少年の頭をくしゃりと撫でて箒は社へと近寄る。置かれた賽銭箱の前で立ち止まり、少し瞼を閉じてみる。

 違和感。この状態を変と思っている自分が存在する事。加えて、記憶に自身が登場していない事。以上から箒はココが過去ではない事を判断した。

 そもそも人間一人を過去に飛ばす事など不可能……なのだろうか。人外であり、人災であり、テンサイとも言える姉を思い出すとどうも不可能とは言えない。

 箒はふむ、と一息吐き出して握った手を前に出す。握った手を解けば、そこには五円玉が置かれていた。

 

「……なるほど」

 

 想いが形になる世界。或いはソレに似た何か。

 五円を賽銭箱へと投入して箒は振り返る。幼い自分とそして彼がいる。

 

「やりなおしたい。なんて、我ながら女々しい想いだな」

「なにいってんだ?」

「い、いちか。そんな事いってはだめだぞ」

 

 溜め息を吐き出して頭を振ってみれば少年の一夏が訝しげに声を出し、ソレを幼い箒が慌てて止めようとした。尤も、間に合いはしなかったけれど。

 

「ふっふっ、弱い少年には分からない事さ」

「なんだとっ!?」

「いちか!」

 

 少年は怒ったように竹刀を握り、振り上げる。稚拙な足運び、竹刀の握りも幼いソレ。

 箒はやはり笑みを携えてしまう。近くにあった竹製の掃除用具を手にとって竹刀を弾く。頭へと振り下ろし、当たる寸前でその勢いを全て抑えきった。

 少年は尻餅をつき、驚いた顔をして、箒は慈愛を含めた笑みを浮かべる。

 

「君は強くなりたいか?」

「ああ!」

「なら私が教えてやろう」

「ホントかっ!?」

「いちか、だめだよ!」

「元々、私はここに教えに来たんだ。名前を……(オウギ)。篠ノ之扇だ」

「おうぎさん……」

「ああ。私に勝てるほど、強くなれ少年」

 

 少年と少女の頭を撫でて、箒……いや、扇はやはり笑んでしまった。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 織斑一夏はゆっくりと瞼を上げた。

  眩しい太陽の光に少し皺を寄せながら、視界を確認した。社。鳥居。石畳。

 近くにあった鳥居に触れて、古ぼけた傷を指の腹で撫でる。少しばかり懐かしい気持ちになり、改めて一夏は前を向いた。

 間違いなどない。ソレこそ祭りの時に来訪した篠ノ之神社だ。

 けれど、現実であった篠ノ之神社よりも人の手の行き届いたソコは確かに現実ではなかった。

 

 ようやく一夏は自分の視界がいつもより高い事に気付いた。

 鏡を見る事は叶わないけれど、スーツの上着を手に持ち、袖を捲くった格好である事は判明した。

 額に流れる汗を拭い、夏の暑さが肌に当たるのを感じる。どうやら夏らしい。

 

 蝉の鳴き声。葉擦れの音。その音に混じって竹刀が弾ける音。

 道場から聞える声と踏み込みの音に釣られて一夏の足が動く。

 

 道場の扉を開けば、どうやら試合をしている様だ。

 面を着けているから分からないけれど、一人は長い髪が面から出ているので女性だと分かる。もう片方は体格的に男だろうか。

 扉を開いた事に気付いたのは男で、女性もどうやら男の竹刀が少し戸惑った事に気付いて竹刀を下げて振り返った。

 振り返り、少しだけ止まった。一夏は女性が微笑んだような気がした。尤も、面で視認し辛いから思っただけだが。

 

「今日は止めにしよう、一夏」

「はいっ」

「イチカ?」

 

 しっかりと蹲踞をして竹刀を腰に差し、礼をした彼を目で追っていた一夏は驚く。面を外した男は間違いなく織斑一夏だ。

 面手拭を外した彼に一人の少女が近寄る。ソレもまた間違いなく篠ノ之箒だ。

 

「お疲れ様、一夏」

「ありがとう、箒」

 

 渡されたスポーツ飲料を受け取りホウキに微笑むイチカ。そしてそんなイチカに微笑むホウキ。

 一夏は一歩前に進もうとして、相変わらず防具を装着した女性に止められる。

 

「待て」

「誰かわからないけど、退いてくれ。俺はアイツを迎えに来たんだ」

「……ソレは嬉しいが、お茶を飲んでからでも構わないだろう?」

「は?」

 

 出てきた言葉に唖然としてしまう。

 そんな口の開いた一夏に女性は面越しに微笑んでしまった。面を解き、軽く頭を振った女性。

 何処か落ち着きを思わせる顔立ちと微笑み。一夏は開いた口を更に開けて、驚きを表す。

 そんな様子に女は更に笑みを深めてしまった。

 

「私の名前は篠ノ之扇……アナタが迎えに来た人物で間違いはないよ」

「ほ、箒?」

「ああ。尤も、この世界では扇と名乗っているけどな」

 

 確かめる様に名前を言った一夏に扇は笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

「待ち草臥れた、と言ってもいいものか、少しだけ戸惑うよ」

 

 道着ではなく、小さな模様の入った着物を着ている扇。鴉の濡れ羽の様な黒髪を流し、どこか自嘲的に笑う彼女は困ったように眉を下げた。

 和装の彼女に対してシャツを着ている一夏も困ったような顔をしてしまう。

 

「ココが現実じゃないって気付いてたのか?」

「……現実であればいい、と思っていた。

 ココでの篠ノ之箒は人に囲まれて、姉も、大切な人も、みんな居て、幸せだからな。

 私が望んでた事、私が……いや、忘れてくれ」

 

 呆れた様に息を吐き出して扇は湯呑みに口を着ける。吐き出そうになった何かを飲み込む様に、熱いお茶を飲み込んだ。

 

「けど、ココの箒が幸せでも、お前自身はどうなんだ?」

「そうだな……ついさっき、幸せになった所だ」

「なんだそりゃ」

「ふふっ、気にしなくても問題はない」

 

 少しだけ含んだ言い方に一夏は眉を寄せる。その様子が面白かったのか扇は更に笑みを深めた。

 深めた笑みを手で少し隠して扇は息を吐き出した。

 

「一夏、ココは私の世界だ。私が望んだモノ、私が求めたモノ、私が必要なモノ。全部叶ってしまう……悪趣味でイビツな世界だ」

 

 憂いを帯びた瞳を伏せ、深く溜め息を吐き出す。

 

「自己満足、自分勝手、我ながらココまでエゴイストだと実感したよ」

「そんな事は」

「いいや、自分勝手極まりないよ。三者だからこそ分かる事があった。理想だった篠ノ之箒と現実の篠ノ之箒を比べればなんとも素敵だったよ。吐き気がした」

「箒……」

「今は扇だよ。いや、そうだな。もう箒でもいいのか」

 

 溜め息を吐き出して自分の失言に呆れる。

 そんな扇……箒を見ながら眉を顰めながら、けれども一夏は立ち上がる。

 

「さあ、行こうぜ箒。ココから出よう」

「……一夏。不公平だから、言っておく」

「なんだよ」

「私はお前が好きだよ」

 

 一夏の時間が停止する。

 表情も、伸ばしていた手も停止している。冷や汗だけがゆっくりと流れて、頬を伝う。

 そんな一夏の様子を悪戯気に見つめていた箒の口から畳み掛けるように言葉が溢れ出す。

 

「愛してる。I Love you。この気持ちに嘘偽りも無い。好きだ」

「ま、待て。待ってくれ箒」

「待たない。答えも要らない。言っただろう? 私はエゴイストだ。自分勝手で、お前の事など考えない。けれど、一夏の事は想い続けている。だから、伝えた。それだけの事だ」

「答えも要らないって」

「言っただろう? 不公平(・・・)なんだ。だから私は私の自己満足の為に告白して、そして答えを待たずして振られる」

 

 真摯に見つめている箒。その強い眼差しから逃げる事の出来ない一夏。

 数秒程見つめ、一夏がバツが悪そうに顔ごと目を背けた。その様子に箒は悲しそうに笑う。

 

「知っていた。いや、知ったのはついさっき……違うな。知っていて、認められたのがさっきか」

「悪い、箒」

「いいさ。言っただろう? 自己満足だ。加えて私は諦めるつもりは毛頭ない」

「…………それでも、俺は」

「……この話は止めよう。私の世界だけれど、時間の進み方にも限界があるんだ」

 

 扇はゆっくりと立ち上がり、顔を伏せていた一夏の横を通り抜ける。

 一夏が振り返ると、ソコには箒が立っていた。IS学園の制服を纏い、黒い髪を風に流している。

 

「往こう、一夏。私が篠ノ之箒である為に。お前が織斑一夏であるように」

 

 展開されたのは紅を冠するIS。展開装甲が操者の意思に従い、形を変えていく。

 装甲が集まり、弓へと。理想を打ち破るべく、幻想を穿つ為の武装。弦を引き絞り、エネルギーで形成される矢を放つ。

 高い風切り音を鳴らし放たれた矢は空へと昇り、透明な破片を撒き散らせた。


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