「さて、どうしたものかしら」
紫銀の髪をした彼女、ルアナ・バーネットは月を見上げて思案する。
思考している顔は、言葉とは裏腹に悩ましい顔ではなく、何処か笑みを浮かべている。
自分が何をするのか。自分がどうして生きるのか。前までは一切考えず、ソレこそ彼の為だけに存在していた自分である。けれども吹っ切れてしまえばなんともアッサリとしていた。彼の為でもあり、そして自分の生なのだ。
好きに生き、好きに往き、好きに逝く。
「これが"普通"で、日常であるべきなのかしら?」
喉で笑う彼女を止める存在は居ない。誰か居たとしても、彼女は止まる事はないだろう。
◇◇
織斑一夏はただただ驚いていた。
加えて、篠ノ之箒も、ラウラ・ボーデヴィッヒも、セシリア・オルコットも、目の前の状態が夢の様に思えた。
思わず四人で顔を寄せ合い現状を確認する始末である。
「え? 夢?」
「一夏、落ち着け。コレはきっと夢だ」
「四人全員同じ夢とは……」
「きっと夢ではないんですわ……」
四人はチラリと夢の様な場所を見る。
ソコには素晴らしい、それこそ負の感情なんて一切思わせない綺麗な笑顔を携えたルアナ・バーネットがいた。
クラスメイト達と軽快な会話をしてクラスに馴染んでいる。そんな普通で、けれど明らかに異質な場面だ。
「何四人で驚いてるの?」
「シャ、シャルロット……」
「バーネットがあの状態で驚かない人間がいるのか?」
「……僕?」
「……いや、シャルはルアナの、ほら」
「えへへぇ、僕とルアナが恋人同士だなんて、やだなー、一夏。えへへ」
みなまで言ってない一夏の言葉に対して相変わらずフルスロットルであるシャルロットは照れた様な笑みを浮かべた。
実際の所彼女達は恋人同士、という訳ではない。シャルロットだってそんな事は理解している。けれど、まあ、オトメではないけれど乙女ではあるシャルロットはソレとは別に照れてみる。
そんな照れているシャルロットに首を傾げるラウラ。
「? 女性同士は恋人にはなれフガフガ」
「ダメですわ、ボーデヴィッヒさん。それ以上はいけません」
きっと言ってしまえば彼女は光の無い瞳をコチラに向けるのだ。なんと恐ろしい事か!
ラウラの口を塞いだセシリアに目配せした後に一夏は改めてシャルロットへと向き直る。
「でも、驚くだろ? あの変わりようだぞ?」
「そうかな? 素の状態はともかく、ルアナは演技で無愛想にしてただけだし。ああやって表情をちゃんと出して接してればそれなりに人気は出ると思うよ?」
顔もステキだからね。なんて少し惚気が入ったような事実を当然の様に言ってのけるシャルロット。
言っている事は理解出来る。けれど納得は出来ない一夏。
そんな一夏に気付いたのか、ルアナは視線を一夏へと向けた。一夏と視線が合う。ルアナは綺麗な笑顔を浮かべた。
顔に熱が上がってくるのを感じて一夏は思わず顔を背けてしまう。
「と、言うか。一夏はルアナの事をずっと見てるんだから知ってるモノだと思ってたよ」
肩を竦めて溜め息を吐き出したシャルロット。
一夏だって、ルアナが今まで演技をしていたことは知っている。それこそ理由を聞いた事は無かったが、一夏はソレを満足していた。
談笑していたルアナが立ち、一夏達へと近寄る。
「おはよう」
「あ、ああ」
「随分な変わりようだな、バーネット」
「ええ。今の内に評価を上げとこうと思ってね」
クツクツと喉で嗤うルアナを見て、箒とラウラは眉間を寄せる。
それなりに目的があっての行動である事は察していたけれど、その目的がサッパリとわからないのだ。
「どうしてですの? 今更、周りの声なんて気になるんですの?」
「目的の為にね。ほら、『将を射んと欲すれば先ず馬を射よ』なんて言うでしょ? 外堀を埋める、とも言うけれど」
「目的?」
「ええ、告白するの」
間。
一夏とシャルロットの思考が停止する。
油の差されてない機械の様に、思考がガタガタと音を立てて停止した。
一言一句、間違い無くソレを聞いた。尤も、ルアナの顔は恋する乙女らしい顔ではなくて獲物を狩る獣の様に口元を歪めては居たけれど、そんな事はどうでもいい。
「あー、えっと、ルアナ。告白って言うのは、アレか? アレだよな? 自分がISだって事を告白するんだよな?」
「違うわよ。愛の告白に決まっているでしょ?」
一夏とシャルロットの思考にまるで鈍器で殴られた様な感触が伝わる。
一夏はシャルロットを見る。シャルロットは首を横に振った。
そんな二人が面白いのか、ルアナはやはり喉を震わせる。
一夏の頭の中に様々な想いが駆け巡る。この感情をどう言葉に出したモノか。自分の庇護下にいた筈の少女が何処の誰とも分からないヤツに盗られようとしている。そう、きっとこの気持ちは、アレだ。
頑固親父がこう口にする時と同じ気持ちなのだ。
「揃っているな、では授業を」
「娘は嫁にやバゥッ!!」
一夏の声は全てを言い切る前に飛来してきた出席簿により強制的に遮断された。
綺麗なフォームでソレを投擲した織斑千冬は何事も無かったかのようにスーツを正し、コツコツと踵を鳴らして歩き出席簿を拾いあげる。
「さて、授業を始めるぞ。全員座れ」
倒れた一夏を一瞥する事も無く、本当にまるで日常を始める様に声を出したのである。
倒れた一夏はどうしてか天井が見えることを疑問に感じながら数秒程そのまま倒れていた。
◇◇
「ルアナが告白!?」
「ああ……」
昼休みになり、一夏は取り合えず件の話を鈴音に話した。鈴音は鈴音で驚きのあまり声を出してしまい、そして眉を寄せた。
鈴音とて、ルアナとは浅からぬ関係がある。そんなルアナが愛の告白と言うのだ。
「その……あー、料理にとかじゃないわよね?」
「ああ……どうすればいいんだ、俺」
「そんな情けない声ださないでよ」
珍しく、というべきか、普段もそれなりに情けない想い人だけれどコレほど落ち込んだ姿は見たことが無いかもしれない。
ソレが自分ではなくて、親友に対してというのも些か不満が残るが、二人の関係を考えればそれこそ普通なのかも知れない。
「それで、セシリア達も誰かは知らないのよね?」
「ええ……ルアナさんが懇意にしている男性なんて、さっぱりですわ」
「それこそ一夏ぐらいしか居ないと思うんだけど……」
「バッサリ否定されたからな」
「ああ…………ハァ」
「簪は何か知らない? ルアナと同室でしょ?」
「うーん……特に変わった様子とかは、なかったかな? ……あ」
「何かわかったのか!?」
「お、織斑君。顔、近い、怖い」
「悪い……それで、何かあったのか?」
「その、ルアナが戻ってきてからだけど、珍しく少女マンガ読んでたな、と」
「……それだけか?」
「あ、あと、私の布団の中には入ってこなかった、かな?」
思い出す様にして簪は納得する。確かに、昨夜帰ってきたルアナは珍しく簪の布団へと侵入はしてこなかった。
少女マンガに読み耽る彼女の顔は真剣そのものであったし、こうして思い出せば中々昨夜の彼女はおかしい所だらけだったのかも知れない。
「色々聞きたい事はあるが、えっと、前は簪さんの布団で一緒に寝てたのか?」
「え? うん」
「…………いや、女の子同士なら普通なんだ。きっとそうだ。落ち着け、落ち着くんだ織斑一夏」
「バーネットに直接聞けばいいんじゃないのか?」
ブツブツと何かを唱える一夏を華麗に無視する事を決めたのか、箒がド直球な言葉を吐き出した。
そんな箒に顔を向けて溜め息を吐き出したのは鈴音とセシリアであった。溜め息を吐かれて少しだけムッと顔を顰める箒。
「なんだ?」
「あのねぇ、箒。アンタ、好きな人の名前を聞かれて素直に言うの?」
「なっ!? その、私はだなっ! えっと……うん、スマナイ」
「わかればよろしいですわ」
「ダメなのか?」
「ラウラさんは好きな人の名前を聞かれて素直に言いますの?」
「嫁が好きだが?」
言いくるめられんな。とセシリアと鈴音は溜め息を吐き出して流す。
未だにブツブツと唱えている一夏は何かを思いついた様に顔を上げる。
「わかった。直接聞こう」
「うん、一夏は少し黙りなさい」
「それで肝心のルアナさんは一体何処にいきましたの?」
「そういえば……食堂には居ないわね」
ぐるりと見渡して見ても皿の積みあがる机は存在していない。彼女が居たならばきっとそれなりに量を食べている筈だ。ソレが無いという事は、彼女はココに居ない。
「……謎は深まるな」
「――ハッ!? ルアナが告白だって!?」
「うん、シャルロットさんも黙ってましょうね」
「それにしても……ふむ、ルアナがねぇ……。そういえば簪はキスされてたけど、どうなの?」
「あ、アレは交友の証みたいなモノで、その、ほら、シャルロットの方がもっと、その……あぅ」
「ああ、うん、いいわ」
鈴音だけは何かを納得したように溜め息を吐き出した。
メールか何かで声援だけ送っておこう。こうして第三者として見てみれば、なんとも報われない行為をした彼女である。
聞く限り、周りの評価を上げているのも納得した。同時に彼女が本気である事にも気付いた。
「ルアナも頑張るわねぇ……」
「鈴!? 何か気付いたのか!?」
「さて、どうかしら?」
詰め寄る一夏を回避した鈴音は笑みを少しだけ浮かべて親友へとメールを打つ。
当然、報われてないという内容も含めて送ってやる。ソレこそ笑いを込めてだ。
◇◇
更識簪はまず驚いた。
生徒会長である姉に呼ばれて、どうしてか表情の硬い姉と世間話をしてから、何度か止められつつもどうにか部屋に戻ってきた。
放課後もかなりの時間が過ぎ、珍しく夕方を過ぎたの帰宅となる。
そんな時間、部屋の扉を開ければいい匂いがした。
そして簪の目の前には三つ指を床につけて頭を下げている紫銀の髪。
唖然としている簪を放置する様に、紫銀は顔をあげてニッコリと綺麗な笑みを浮かべる。
「おかえりなさい、簪」
「え、えっと、ただ、いま?」
「ええ。お風呂も沸かしているし、ご飯も出来ているわ。どちらが先がいいかしら?」
「えっと、じゃあ、ご飯で……?」
とりあえず返事をした簪であるが、まったくもって現状を理解出来ていない。
立ち上がったルアナを見ながら呆然としている簪。そんな簪に微笑みを浮かべるルアナ。
「えっと、ルアナ?」
「何かしら?」
「どう、したの?」
「そうね。どこから説明しようかしら……うん、そうね。ご飯食べながら説明するわ」
ルアナはやはり何処かおかしい様に笑みを浮かべて簪の腕を掴んで椅子に座らせる。
簪の目の前には実に家庭的な料理が並んでいる。ルアナの料理の腕はそれなりに知っている簪はその香りを肺へと入れ込んで、喉を鳴らす。
目の前にルアナが座り、手を合わせた事で簪も倣い手を合わせる。
「いただきます」
「いただき、ます」
ルアナの箸がゆっくりと動き始めて食事が開始される。
まったく箸の動かない簪を見て、ルアナが不安そうに眉を下げる。
「もしかして、何か嫌いなモノでもあった?」
「え、いや、無いよ。うん」
止まっていた箸を動かして簪は肉じゃがのジャガイモを崩して、口に含む。しっかりと出汁の染み込んだジャガイモはホクホクと口の中で崩れて、思わず頬が緩む。
その顔を見てルアナはホッと安心したような息を吐き出した。
「えっと、ルアナ。どういう、事なのかな?」
「ああ、説明ね」
ルアナは箸を置いて、簪を真っ直ぐに見つめる。
「更識簪さん」
「は、はい」
「私をもらってくれないかしら?」
「………………え?」
「……ダメ?」
「いや、えっと、待って。話が唐突過ぎて……」
「一応、昨日にも言ったんだけど?」
「あれは、その……交友の証かな、なんて」
そう呟いた簪の言葉に、ルアナは溜め息を吐き出した。
人間とはなんとも面倒で難しいモノだ、と同時に親友があの唐変木に四苦八苦している気持ちが良く分かった。
「そうね。うん、そうよね。同性愛だなんて受け入れられないわよね」
「いや、その……えっと、驚いただけで、ルアナの事を受け入れられないとかじゃなくて」
「……やっぱり少女マンガみたいに攻めた方がよかったのかしら?」
そんな呟きを簪の耳は正確に捉えた。
巷で誤解されている壁ドンをルアナにされて迫られたら、たぶん自分は流されて行くところまで行くだろう。そのままなし崩しの形で恋人関係になっていたかも知れない。
いや、それはそれでなんともステキな妄想ではあるけれど、ダメだ。自分は絶対に流される。
「それは、ダメだよ」
「アナタの姉にもダメだしされたわ」
苦笑して出されたルアナの言葉に簪は珍しく姉を褒めた。
そこでようやく簪はゾッとした。
「えっと、お姉ちゃんに言ったの?」
「ええ。一応、昨日には言っていた訳だし、こうして改めて告白するに至って近場に居た更識家の御当主様には挨拶をしてきたわ」
「…………」
簪の頭の中で巻き起こるルアナと楯無の戦争。お互い良く無事だったものだ。
そう思い返せば疑問に残る。楯無はルアナの気持ちを知っていた筈で、妹を以ってしてシスコンと言えるあの姉が何も言わずにこうして自分を部屋に向かわせるとは思えない。更にはルアナの為に引き止めていた、なんてことは絶対にありえないだろう。
「楯無に何か言われたの?」
「逆に何も言われなかったけど……」
「ああ、遅かったのはソレが理由ね。まあ、準備する時間が増えたからよかったけど」
お姉ちゃん、利用されてるよ……。
簪は珍しく穴だらけの姉へと同情した。
「それで、出迎えと、料理は?」
「出来る事を売り込もうかと……」
「そんな商品じゃないんだから」
「そうね。癖みたいなモノよ」
「……そっか」
「それで、この商品買ってくれるかしら?」
「まだ、考え中です!」
「そう、残念ね」
まったく残念そうではない笑顔を浮かべたルアナ。簪はソレに対してムッと唇を尖らせてみせる。
「まあ、ゆっくり悩んでくれても大丈夫よ。私が簪を大好きだという事は変わらないし、こうして待つことも中々新鮮でいいわ」
「あぅ……」
「顔が真っ赤ね。期待してもいいのかしら」
「うぅ……あ、シャルロットは?」
「……どうしてあの子の話が?」
さっぱり意味が分からない様にルアナは首を傾げる。
簪も一緒に首を傾げてしまい、疑問を口に出す。
「えっと、その、恋人……とかじゃ」
「違うわよ? あの子は私のモノだけれど、恋人ではないわ」
「ん?」
「あぁ、あの子の為に詳しくは言えないけれど。私達が恋人同士になったとしても問題は無いわ。簪が気にする様なら説得もするけれど」
「気には……しないかな?」
「ああ、いきなり3Pを求める事はないから大丈夫よ」
「違う! ソコじゃない!」
シレッと言葉を吐き出したルアナに顔を真っ赤にして思わず声を大きく出してしまった簪。そんな様子にクスクスと笑うルアナ。
「あ、お風呂はどうする? 一緒に入る? 気持ちいいマッサージも出来るわよ?」
「一人で大丈夫だから!」
「それは残念ね」
それほど残念そうではないルアナの声を聞いてから簪は風呂へと向かう。
数分程して、そこにルアナが入り込む事を、未だに彼女は知らない。