暑いと何のやる気も出ません。夏は、夏は、暑いのです……。
「私は出ないよ?」
「え?」
放課後へと時間を動かし、訓練を終えた一夏は簪の言葉に思わず口を開いてしまった。
そんな口を開いて驚いている一夏に対して簪は不思議そうな顔をして今一度自分の言葉を紡ぐ。
「だから、キャノンボール・ファストには出ないよ、私」
「マジで?」
「う、うん」
簪の事を所謂『優等生キャラ』だと認識していた一夏。いや、更識簪という人物はれっきとした優等生ではある。座学も優秀ならば、実習訓練でもそれなりの成績を収めている。
それこそ一夏の周りには優れた人間が居すぎるのだが、その中に居てもオカシク無い程度に簪は優秀だ。
そんな簪が市の行事を休むのだ。
それこそ以前までなら『ISが未完成である為』という理由があったが、今となってはほぼ完成している状態だ。
眉間に皺を寄せている一夏に少しだけ笑って簪は口を開く。
「私は、まだ弱いから……レースに出てる余裕、ないの」
一夏はその言葉とドコか自嘲気味な簪の笑顔を見る。きっと、あの時をずっと思っているのだろう。
簪の気持ちをある程度体験したことのある一夏はそんな簪を否定する事は出来ない。
「一応、表向きの理由はISの未完成って事にするんだけどね」
「そっか……なら俺も」
「一夏君はダメよん」
「うわぁっ?!」
「お姉ちゃん……」
突然後ろから現れて一夏の耳元で囁いた更識楯無。突如現れたお姉様に驚きを隠すことも出来ず顔を少し赤らめる一夏と少し呆れた顔をしている簪。
当の本人は『いたずら!』とポップな文字が書かれた扇子を広げて肩を揺らしていた。
「あらぁ、そんなに驚かれるとお姉さんショックよぉ」
「なら驚かさないでくださいよ……」
「一夏君で遊べなくなるから却下ね」
「そもそも俺で遊ばないでください」
「ねぇ一夏君、キミはずっと息を止めろと言われて従うのかしら?」
「いや、従いませんけど」
「つまり、そういう事よ」
「頼みますから呼吸と悪戯を同レベルまで引き上げないで下さい」
本当に、頼みます。
そんな事が心の奥底から溢れてきた一夏だが、そんなの事も知っていて無視しているのか楯無の目はずっと笑っている。姉が笑っているのを見ながら「あぁ、いつも通りだなぁ」とのんびりスポーツ飲料に口を付ける簪。
「それで、どうして俺は出ないといけないんですか?」
「一夏君だからよッ!」
「な、なんだってー!」
「いや、簪さん。どうしてそんな棒読みで反応をしたんだ……」
「言わないといけない気がして……」
少しだけ赤くなって一夏から目を背けた簪。一夏はそんな簪を見たあとに楯無を見た。真面目な顔で簪を見つめていたけれど、扇子には『簪LOVE』と書かれていてとても残念な気持ちになってしまった。立て直した簪が改めて視線を戻せば当然扇子は閉じられた。
「ま、一夏君だから。って言うのは冗談でも無いんだけどね」
「そうなの?」
「俺って何かしましたっけ?」
「世界で唯一の男性IS操縦者。キミの名前はそれだけで十二分に大きくて、重要なのよ」
ソレは一夏に課せられた義務だ。たとえ一夏が拒否しても、一夏が望まなくても、世界は一夏にソレを求めてしまう。世界で唯一の男性IS操縦者という名前はそれだけの責任がある。
「という事で、一夏君にはキャノンボール・ファストの訓練もしてもらいます!」
「出るからには勝ちま……"も"?」
「セシリアちゃんやラウラちゃんから高機動運用法を教わりながらコッチで戦闘技術を磨いてもらいます」
「えっと、ラウラとかに聞いたんですけど追加のスラスターとか装着されるんですよね?」
「【白式】にそんなモノあるの?」
「………………ない、です」
「じゃあそのまま訓練出来るよ。やったね一夏君! 力が」
「お姉ちゃんそれ以上はいけない」
正しく四つん這いになりながら落ち込んでいる一夏。今日まで続けてきている訓練に加えて高機動訓練も追加されるのだ。
いや、よく考えるんだ。今掛けている時間から逆算して、高機動訓練に割ける時間はほぼ無い。一夏の意志を無視すれば高機動訓練の方が重要度が高い筈だ。
つまり、削られるのは現在の訓練だ。ソレならば、俺は、俺は生きれるかもしれない!
「あ、一応言うけれど、ノルマは減らないからね」
「ガッデム!」
一夏は地面を強く叩いた。
叩いた手が痛くて泣きそうになった。決してこの世界の理不尽さに涙しそうになった訳ではない。決して。
◇◆
「ぽーっか、ぽかーぽーか」
「ふふっ、楽しそうだね、バーネットちゃん」
「うんっ!」
ニコニコと奇妙な歌をちゃんとしたテンポを取りながら歌っていたバーネットは後ろにいたシャルロットに振り返って頷いた。
そしてまた後ろに音符マークでも付きそうな程上機嫌に鼻歌を奏でる。てこてことステップを踏んでいるバーネットを見ながらシャルロットは微笑んでしまう。
湯上りであり上気した肌と水気を帯びて艶やかな紫銀の髪。犬着ぐるみパジャマのフード部分はしていないけれど、お尻辺りの太めの尻尾がバーネットが歩く毎にゆらゆらと揺れている。
「あぁ、もう可愛いなぁ」
「?」
心が口に出てしまってますよ、シャルロットさん。
欲望がポロリしてしまったシャルロットに小首を傾げているバーネット。そんなバーネットを見てまた妄想に浸ってしまうシャルロット。
悪循環とはこれほど怖いものなのか。
もしも自分に妹が居たならばこんな感じなのだろうか。
とシャルロットは妄想してしまう。紫銀であるバーネットが金髪のシャルロットの妹になっている時点で血縁的にマズイものがあるのだけれど、ソレはどこかの神棚に置いといて。
色々と妄想して、現実に当てはめていけば中々に厄介である。妹しては最高なのだけれど、シャルロット自身の経歴が特殊すぎる。
継母のイジメから守る事は出来るのだろうか。あの父から自分は救う事が出来るのだろうか。
いや、そもそも少し待って欲しい。
他はお姉ちゃんとかお兄ちゃんとか言われてるのにどうして私は呼び捨てなんだ。おかしいだろ。
「ねぇ、バーネットちゃん」
「どうしたの? シャルロット」
「……シャルロットお姉ちゃん、じゃないの?」
「ん? なんで?」
「箒お姉ちゃんはどうして箒お姉ちゃんなのかな?」
「んーと、箒お姉ちゃんは箒お姉ちゃんだから!」
「じゃあ、私は?」
「シャルロット!」
あー、うん。子供って凄いなぁ。
シャルロットはどこか遠くを見つめてしまう。いや、別に「シャルお姉ちゃん(はぁと」なんて呼ばれたくないし。そんな事ないし。
遠くを見つめ出したシャルロットにバーネットはまた小首を傾げて、心配そうに声を出す。
「だいじょーぶ? ドコか痛いの?」
「うん……大丈夫だよ」
「シャルロットはわたしのモノなんだから、痛いのがまんしちゃ、メッだよ」
「っ」
シャルロットはバーネットを抱き締めてしまう。
抱き締められたバーネットはそれこそシャルロットの頭を撫でて「だいじょーぶ、だいじょーぶ」なんて言っている。
どうしようもないシャルロットの傷が溢れてしまう。自分だけのモノで、自身の主人に慰めてもらうと決めた傷が溢れそうになる。
姿形が変わっても、この幼女は自身の主だ。
だからこそ、シャルロットの事はずっと呼び捨てであったし、頼ってくれる。恐らく混濁しているだろう記憶の中でちゃんとシャルロットの事を覚えているのだ。
「シャルロットは泣き虫さんだ」
「うん……私は泣き虫さんになっちゃった」
「だいじょーぶだよ。人は遠いし、甘えてもいいんだよ?」
「うん、うん……ちょっとだけ、ちょっとだけ」
「だいじょーぶだよ……ゆっくり泣いてもだいじょーぶ…………わたしだけのシャルロット」
どうしてか湿り温かくなる肩。キツクなる拘束を感じながらもバーネットは少し濡れた金髪を指で梳いて自分の愛おしい持ち物を撫でた。
「その、バーネットちゃんごめんね」
「なにが?」
「弱い所みせちゃった」
照れたように空笑いしているシャルロット。バーネットは棒アイスを口に含みながら首を傾げる。
「シャルロットが弱いのは知ってるよ?」
「うぐっ……そうなんだ」
「うんっ!」
無邪気というのは悪意が無いだけで心にクる事を躊躇い無く言うんだ。そんな事を理解したシャルロットはどうしてか痛む胸へと手を置いた。
いや、そもそもバーネットではなくてルアナだったとしても当然の様に言ってそうな言葉なのだが……。
「だから、私は…………わたしが? あれ?」
頭を両手で抑えて俯く。「私が、わたしは、わたしが、私が?」と何度も呟くバーネットを心配そうに見ていたシャルロットが手を伸ばし、一歩目を踏み出した瞬間にバーネットの顔が跳ね上がる。
咄嗟に手を引っ込めてしまったシャルロット。バーネットは何度か瞬きをして小首を傾げてしまう。
「あれ? 何を悩んでたんだっけ?」
ま、いっか。
と続けてからバーネットは口に含んでいたアイス棒を取り出す。
親指と人差し指で摘み、狙いを簡単に着けて弾きだす。綺麗な放物線を描いた棒はそのままゴミ箱の中へと消えていった。
思い出そうとしていたモノはきっと現在の記憶だ。そうシャルロットは思った。けれど、それに関して何も言及する事はない。
まだ思い出せない、整理出来ていないというのなら、きっとソレはルアナの為でも無いのだろう。
自分としては早く思い出して欲しい所でもあるのだけれど。シャルロットの都合なんてそもそも彼女が考えてくれる訳もない。
「シャルロットー?」
「なぁに?」
「ふへへ、なんでもないよぉ」
あー、でもこのままでもいいかも知れない。
いや、このままがいいかもしれない。
そんな事を思いながらもシャルロットの夜は更けていく。