誤字訂正
昼食時になり織斑一夏は篠ノ乃箒の腕を掴んで教室で視線をグルリと一周させる。
幾人かのクラスメイトを昼食の同席に誘った一夏。目的は幼馴染の友人作りでもある。そして『もう一人』の困ったさんを探した視線は、結局探し人を見つける事は出来ずに宙に漂い続けるのであった。
「はむっ……」
そんな『困ったさん二号』であるルアナは昼休みに入った瞬間に阿修、織斑千冬にしか悟らせずに教室を脱出した。
目指すべき購買へと走り、陳列されている種類分のパンを買い込んで、誰も来ない様な日当たりの悪い校舎裏で買い込んだパンの封を開けていた。
アンパンから始まり、惣菜パンに続き、そして菓子パンで占められた袋の中。ルアナにとって守るべきのは隣にある袋とこの場所である。
逃げた理由は多数ある。
小さな理由はあの休み時間から勢いを弱めたセシリア・オルコット。そしてルアナを見る忌避の視線。向けられることは構わないけれど、面倒は少ないに限るのだ。
群れることを極力嫌うボッチ至高であるルアナ。連れそう友人など数える程度しかいないのだ。
「ぉぉ……ぁぁ、菓子パン……」
もふりと菓子パンを頬張るルアナ。誰にも邪魔されない、素晴らしい昼食である。
逃げた理由の半分以上、九割程を占めていたのはこの菓子パンが原因だ。正確には買い込んだパン全て。
もしもここに一夏が入り込んだなら、ボッチであるルアナを仲間に入れる事よりも、ルアナの不摂生ぶりにお冠になるだろう。別にパン食を否定する一夏ではないけれど、栄養の偏りには厳しい彼。ここまで炭水化物に偏ればきっと彼は栄養の代わりにルアナに説教を与える筈だ。
そしてルアナの未来に待っている輝かしい夕食は実に質素で栄養バランスの考えられた素晴らしい夕食になるのだ。
そんな未来は迎えてはならない。絶対に。
強い意志はルアナを導き、そして結果は彼女の隣にあるパン袋である。パン袋とは逆の隣には申し訳程度にペットボトルの野菜ジュースと牛乳パックが置かれている。
ガサゴソとパン袋を漁り、ルアナは眉間を寄せた。
菓子パンが無くなった訳ではない。取り出したのは食パン。半分の更に半分に切られた食パンである。一斤がよかったとかそんなルアナの思考は置いておいて、取り出した食パンの封を開き、ちぎるでも切り落とすでもなく、そのまま噛り付いたルアナ。
もっきゅもっきゅと口を動かして、そして呟くのだ。
「ジャム忘れた」
もはや絶望だった。それはもう、非常につらいのだ。味の変わらない食パンを食べる事は焼きたてでもない限り辛いのだ。
そういえばパン袋にジャムパンが入っていた筈だ。惣菜パンもある。まだ、負けて無い。
いったい何と戦って、何に勝つつもりなのだろうか。
ルアナの思考がついにパンをおかずにパンを食べるというとんでもない方向へシフトしていく。
そんなルアナの元に影。視線だけをそちらに向けたルアナはジャムパンに噛り付く。
「アナタがルアナ・バーネットさんね」
そんな声にも反応を見せずに、ジャムパンの味がまだ口に残っている間に食パンに噛り付くルアナ。無限の可能性を垣間見た瞬間である。
右手に食パン、左手にジャムパンというルアナ曰く最強装備になった彼女を止めれる存在は一夏ぐらいしかいないだろう。
ヒクリと声の主の口元が引き攣る。やや不機嫌になる声の主を無視してルアナは食事を続ける。もはや声の主に視線を向けることもせずにパンを頬張っていく。
「聞いているかしら?」
当然、無視。
ワザとらしく、大きく溜め息を吐き出した声の主は扇子を広げて対抗策を考える。広げた扇子には『思案』の二文字。
ふむ、という言葉と同時に扇子は閉じられて声の主、
「確か生徒会室にクッキーとジャムがあったような」
「行く」
「あら話は聞いてなかったんじゃ」
「行く」
頬袋に詰まったパン達を牛乳で喉へと無理やり通したルアナは口端に付着したジャムを指で拭って舐め取った。
むっふっふ、と言わんばかりに笑みを浮かべた楯無の顔。そしてソレを隠すように開いた扇子には『勝利』の二文字がデカデカと書かれていた。
昼休みも中ほど。すっかりパン袋は痩せ細り、中身はしっかりとルアナの胃の中に納まっている筈なのにそう見えない。彼女の胃袋はきっと四次元か何かだ。
そんなルアナはやけにふかふかなソファに腰掛けてジャムを塗りたくった食パンを齧っていた。この食パンは先ほどの四分の一に切られた物ではなく、二枚セットで売られていた物だ。種類が違うといっても節操が無さ過ぎる。
そんな目的を達成してご満悦なルアナを見つめるIS学園会長、更識楯無。どこぞの秘密結社の親玉のように顔の前で指を組み、肘は机についている。
「さて、ルアナ・バーネットさん。ここへ呼んだのは他でもないわ」
「ジャムの為?」
「…………そう、妹のことよ」
少しだけ上を見て、どうにかツッコム気持ちをやり過ごした楯無はルアナの発言を見送り話を続ける。
妹? とルアナは首を傾げて、ようやく彼女の顔をマトモに直視した。
水色の髪を短く纏め、印象は異なるけれど、同室の彼女と似ている。そこでようやくあぁ、とルアナは合点がいった。
そういえば苗字も一緒か。と思考を纏めてルアナは楯無から視線を外してパン袋を漁る。取り出したのは蒸しパンである。
「同室のアナタには悪いのだけれど、あの子に悪い虫が付くのは見逃せないわ」
「……んぐんぐ」
「別の部屋を用意させているし、別に一日だけの仲でしょう?」
「……んく、なかなか美味しい……」
「……聞いているの?」
「まったく聞く気が無い」
ピシッ、と空気が固まる音がした。楯無の米神に四つ角が浮かびあがり、ニッコリとした笑顔で頬を引き攣らしている。
果たして話自体を聞くつもりがないのか、楯無の言葉を聞く気が無いのか。
蒸しパンを飲み込み、野菜ジュースで押し込んだルアナはようやく楯無の方へと向く。
「簪からお菓子を貰ってない」
「……お菓子なら私が用意させるわ」
「簪から貰ってない。無意味」
「それなら、」
「御節介が過ぎると嫌われる」
「あぐっ」
ルアナの言葉はどうやら楯無の何かにブッスリと刺さったらしい。
パン袋を持ってルアナは立ち上がる。話は終わったのだ。
「待ちなさい」
「パンはあげない」
「そうじゃないわ」
パン袋をしっかりと胸に抱え込んだルアナがジトリと楯無を睨んだ。楯無は溜め息を吐き出して、ヒラヒラと手を振る。
「あの子と同室になるから、アナタの事をある程度調べたのよ」
「……」
「それは勿論、裏の裏まで、しっかりと、ねっとりと」
「蜂蜜みたい」
じゅるり、とヨダレを拭ったルアナに空気がぶち壊される。
完全に自分の世界へと突入しているルアナを放置して、楯無は溜め息を吐く事もせずに言葉を続ける。
「アナタ、いったい誰なのかしら?」
「ルアナ・バーネット。それ以上でも以下でも無い」
「……、えぇそうだったわ」
「ジャム、ありがとう」
「簪ちゃんをよろしくね」
「……善処はする」
パタンと閉じられた扉を見送った楯無は盛大に溜め息を吐き出した。
手元にある彼女の写真の貼られた履歴書と報告書を見ていく。偽りの情報を差し引けば、中学より以前から彼女の情報は一切無いのだ。
資料の通りに言わせれば、ルアナ・バーネットという存在は在りもしない場所からヒョッコリと現れて、そして織斑一夏と同じ中学へと入学を果たした。
頭の中で湧き出る予想と疑問。楯無は溜め息を吐き出す。
「簪ちゃんに何かしてみろ……引き裂いて殺してやる」
少なくとも、淑女とはかけ離れた黒い表情と決意を胸にして楯無はそう吐き出した。
「ックシ」
教室へと向かう道中、ルアナは何者かの噂の力でクシャミを出した。
「ルアナ、風邪か?」
「ヒッ、い、一夏?!」
「いや、なんでそんなに脅えてるんだよ」
そんなルアナの後ろに現れた織斑一夏。そしてその後ろに控える多数の女生徒諸君。
グルリと体ごと一夏へと向いて、腕を後ろへと回したルアナ。小さな体躯の端からチラチラと袋が見えている。暴食の限りを尽くした、と言ってもまだ中身はあるのだ。ゴミも含めてその中へと入れていたことから、導き出す結果は絶望の夕食である。
慣れていない笑顔を浮かべてルアナは後ろ向きで疾走をする。袋を守る為、そして輝くべき夕食を守る為に。
「なんだ、アイツ……」
自分の方を向きながらかなり器用に逃げ出したルアナを訝しげに思った一夏。凡その予想で見えていた袋の中を守っていたのだろう。
首を傾げて、まぁいいか、と結論付けた一夏。そんな一夏の視界の端にコロコロと転がるビニール。
ゴミはゴミ箱へ。そういう正しい思考の持ち主である織斑一夏はソレを拾い、ゴミ箱へと投げ込もうとする。
『食パン 四分の一斤』
そう書かれたバーコードを目にするまでは。
ガシャガシャと一夏の頭の中ではめ込まれるパズルピース。いや、もしかしたら冤罪かもしれない。きっと冤罪だろう。
一夏はルアナを信じた。信じた瞬間にルアナが食パンを食んでいる姿が思いついた。やっぱり信じれる訳が無かった。
けれど、追いかけることはしない。そう織斑一夏は非常に冷静だった。
冷静に、冷徹に、夕食までにルアナを捕獲する方法とそして食べさせるべき食事を思考して、計画を練っていく。
大丈夫、飴玉は常にポケットの中に数個忍ばせているのだから。