「あ、おかえり。ルアナ」
「ん。ただいま」
いつの間にかルアナの事を呼び捨てで呼べるようになっている簪の声に応えるルアナ。
アリーナでの問題も終わり、既に夕日が昇っている時間。放課後になってかなりの時間が経過していたというのにルアナはフラフラとようやく自室に戻ってきた。
フラフラと足さえなければ幽霊のように落ち込みながら部屋を歩き、ルアナは力尽きたようにベッドへと倒れ込んだ。
そのまま布団を抱きしめて、しっかりと足を絡めて溜め息を吐きだした。
「…………」
そんなルアナを見て思わず冷や汗を流すのは同室である更識簪である。
先日、
勿論、この
実にいい話である。
ともあれ、夜半の内に犯行が実行され、ものの数分程で室内のお菓子袋は魔王様へ収められたのでした。めでたし。
さて、実行犯とも言える更識簪は非常に優等生で真面目で、そして優しい人なのだ。それこそ殴ってもいい一夏を見逃す程度には優しい人物なのだ。
そんな優しい人物が仮にも同室である程度仲良くなった友人に対して窃盗を行ったのだ。
教師の命令だったとしても、それが正しい判断だとしても、それは彼女の中で許される事ではない。
現に簪は布団で寝ているルアナを見てどう事を切り出そうか迷っているのだ。
出来ることなら謝りたい。
けれど謝ってしまうことで嫌われる事は確実だろう。
なんせあのルアナである。二人の出会いは彼女がお菓子を得る為に土下座をした事から始まっているのだ。
見ず知らずの人間に対して日本流秘奥義である『ドゲザ』をしてのけたのだ。
それはもう、更識簪はとんでもないモノを盗んで行きました。彼女の、命です。なんて言っても過言ではないのだ。
そんな命を奪われた彼女は完全に不貞寝の体勢である。お菓子袋も所持していないところから返して貰ってないのか、はたまた取りに行ってもないのだろうか。
そんなルアナに対して、弱々しく、こわごわと、おっかなびっくりに、簪は声を掛けてみた。
「だ、……だいじょぅ……ぶ?」
随分と語尾が小さくなってしまったが、それでもキチンとわかる程度の声量で言った簪。
対してルアナはゴロリと首だけを動かして簪に顔を向ける。
深い青色の瞳がしっかりと開いて簪に向く。その瞳はお前の悪事は全てわかってんだぞ、と言っているようで、簪は思わず表情を強ばらせた。
「お腹……」
空いた、とでも言うのだろう。簪は次の言葉を予見して心の中で安堵した。
とんでもない事を仕出かしたと思ったけれど、思ったよりも状況は悪くないらしい。
「お腹……いたい」
前言撤回。状況は最悪である。
あのルアナが。なんでも食べる印象なルアナが腹痛を訴えているのだ。これはもしかしなくてもとんでもない状況なのではないだろうか。
簪は安堵の表情から一転、冷や汗を流してあぅあぅと言っている。
これは、もしかしなくてもお菓子袋消失のショックが原因なのではないだろうか。
そう思考した簪。鋭く思考が回転する。
落ち込むルアナ。原因の半分は私。白状する。嫌われる。
簪の頭のスロットが止まり、答えを弾き出した。
もう一度言おう、状況は、最悪である。メーデー、メーデー。
そんなやや涙目になっている簪を相変わらず見ているルアナは小さく溜め息を吐きだした。なるべく、簪にバレない様に。
そして顔を戻し布団に押し付けて、言うのだ。
「……もう寝る」
まるで簪の謝罪など受け取らないと言わんばかりに、そう断言して、ルアナは眠った。
簪は力なく手を伸ばし、その手を床につけて綺麗な四つん這いになって落ち込んだ。
人間、特に真面目な性格の持ち主は好き好んで人に嫌われたくないのだ。
翌日に変わる。
ルアナは簪よりも目を覚まし、先に部屋を出て、購買部にて携帯食料を一本だけ買った。
足りないだろう。いつもならチキン南蛮定食(おかわりあり)と他二品程食べて登校しているというのに、今は手に持った携帯食料だけである。一本で満足なんて出来ないのだ。
けれども現実は時間に余裕がない訳でもなく、ただ一本だけを購入しただけである。
封を開け、口に含んでゆっくりと咀嚼する。
眉間に皺を寄せて、ゴクリと喉を鳴らした。不味い訳ではないのか残ったモノもパクパクと口の中へ入れて、包み紙をグシャグシャと丸めてゴミ箱の中へ投げ込んだ。
「ルアナ」
「何か用?」
「用があるのはお前の方だろう?」
前に立っていた織斑千冬。手には痩せ細った袋。
その袋に視線を向けたルアナは対して気にせずに千冬に改めて向いた。
「先にいうが、食べたのは山田くんだ」
なお、罪の擦り付けである。実際のところ、山田真耶が食べた量などそれほど無いのだ。
無いけれど食べた事には変わりない。すべての罪は
果たして一体、誰が悪かったのだろうか。きっとそんな事になってしまう世界が悪いのだ。そう千冬先生が言っていたのだからそうなのだ。
「どうでもいい」
ルアナは溜め息を吐き出して千冬の言葉を捨てる。
無くなったものには興味が失せているのだ。あればあるでそちらに興味が向きそうだけれど。
「ねぇ、千冬」
「なんだ?」
「アレは、何だった?」
「……アレ、とはなんだ」
「はぐらかしてどうにかなる問題じゃない」
「はぐらかしている訳じゃないさ」
千冬は肩を竦めて息を吐く。
ルアナはそれも認めない様に眉間に皺をさらに寄せる。
「こちらも調べはしている。けれど全くわからないんだ」
「別にこんな学園の報告を聞いてる訳じゃない。私は千冬の意見を聞きたいだけ」
「…………私も、今は同じ意見だよ」
「そう、ツマラナイ。あぁ、ツマラナイ」
しっかりと瞳を開いたルアナは目を伏せて溜め息を吐き出す。それは落胆の意味が大きい。
「ねぇ、千冬。あれは、私?」
「違う。あれはルアナではないさ」
「そう。それはよかった。いいえ、悪かったのかしら?」
クフッ、クヒッ。とルアナの声が廊下に響く。
女性らしい口調にゆっくりと変わっていくルアナ。口は歪み、まるで押し寄せる何かを抑える様に自身の体をかき抱き、引き攣った嗤いを出す。
「あぁ、素敵。本当に素敵だわ」
「ルアナ」
「素敵だわぁ。もう我慢なんてしなくていいわ。ようやくね。えぇようやくよ。きっと今なら許してくれる。えぇもう十二分に強くなったわ。満足でしょう?」
「ルアナ!」
千冬の声がようやく届いたのかルアナは伏せていた顔をグリンッと動かし千冬を観る。
瞳には感情が混ざり、顔には愉悦が貼り付けられ、ルアナは千冬を見て嗤う。
「……どうかしたのかしら、織斑千冬」
「お前の気持ちは分かるが、抑えろ。ここがIS学園だということを忘れるな」
「忘れてなんかいないわ。それこそここが法律の届かない所って事もね」
またクヒッとルアナが嗤う。その顔に千冬は苦虫を噛み潰したような顔になり、舌打ちをする。
「そんな顔をしないでよ織斑千冬。私だってあの人を理解しているわ。馬鹿じゃないんだから、当然でしょう?」
「なら、少し自重しろ」
「…………わかった」
電源が切れた様に、ルアナの瞳から感情が消え、ジト目にわかりにくい表情へと変わった。
その顔にようやく安堵の息を吐きだした千冬。
「私は未だにどちらがお前かわからなくなるよ」
「アレも、コレも、私」
「あぁ、そうだろうな」
「あと」
「ん?」
「菓子袋は他にもあったはず」
「…………」
千冬は菓子袋を申し訳なさそうに渡した。
訝しげにそれを受け取ったルアナは袋を開き、絶望した。菓子袋の中に菓子袋が入っていたのだ。
「犯人は山田くんだ」
「千冬、これとは別に報酬を願う」
「……アレはアレの妹だぞ」
「でも、千冬の依頼だった。報酬」
「……クッキー」
「と?」
「ケーキ」
「と?」
「……あぁ、わかった。菓子袋に飴でも菓子でも詰め込めばいいんだろう」
「待って、今から大きい袋持ってくる!」
先ほどの女性らしい口調などゴミ箱に捨てましたと言わんばかりに、うっひゃーい、と声に出しそうに見える程喜びを顔に浮かべたルアナが走る。
その後ろ姿を見送る千冬は唖然として、ようやく溜め息を吐き出す。
「本当に、私にはお前がわからないよ。ルアナ」
ガシガシと髪を掻いて、千冬は踵を返す。
「バーネット、少しいいか」
「ダメ。ちょんまげ娘に話す言葉など持ち合わせてない」
休み時間になり、篠ノ之箒がルアナに話し掛ける。当たり前の様にそれを切って捨てたルアナ。その胸には朝とは違い太ったお菓子袋が抱きしめられている。
切って捨てられた事にヒクリと口角を引き攣らせ、それでも箒は言葉を続ける。
「昨日はありがとう」
「昨日? ちょんまげを助けた覚えは無い」
「…………」
徐々に箒の怒りのボルテージが上がっていく。
対してルアナはもう何も喋る事が無いと言わんばかりに袋に顔を押し付けて深呼吸をしている。袋は布製だが、中に入っているお菓子たちは包装されているので匂いなんてしないハズなのだけれど。
仮にも守ってもらった箒はコホンと咳をして、一方的にもう一度感謝を述べる。
「それでも言わせてもらう。ありがとう」
「……」
しっかりと頭を下げて謝る箒に対して、その行動自体が面倒になったのかルアナは右手を払う様に振って箒に引く様にジェスチャーする。
その右手を見た箒が疑問に思う。
確か、あの黒焦げになったのは、右手ではなかっただろうか。
一日で治る怪我ではないのは確かだ。というか、ルアナがこうしてルアナが登校している時点でおかしい話なのだけれど。
「バーネット。右手は大丈夫なのか?」
「右手?」
自身の右手を見て、訝しげに視線を箒に向ける。何かあるどころか何もない右手に対して一体何を言っていんだ、と。
「昨日、私を守った時に黒焦げになってただろう」
「……その歳で幻覚を見るのか……」
「……もういい」
素直に心配した私が馬鹿だった。箒はそう一言残してルアナから離れた。
その様子を見ていた一夏は苦笑してしまう。
「一夏さん、どうかなさいましたの?」
「いいや、別に」
「?」
訝しげに見てきたセシリアの問いに簡単に応えた一夏。その視線がルアナとかち合う。
ルアナはヒラヒラと右手を振り、視線を空へと戻した。
やはり一夏は苦笑してしまう。
「一夏! なんなのだ、アイツは!」
「ルアナ・バーネット、好き嫌いも無いなんでも食べるって自己紹介で言ってただろう」
「そういうことじゃない! こちらが感謝しているというのに、あの態度はどうなのだ!」
「あー……」
なんとなく納得したように織村一夏は頭を掻いた。
十割ルアナが悪いとは言いがたい。むしろ、今回の件に関してはルアナは一切悪くないと言える。感謝の気持ちを蔑ろにしたという面はあるが、それに対して感謝した側が怒るのはちゃんちゃらおかしいのだ。
日本人らしい美徳に溢れた箒に対して一夏は諦めたようにため息を吐き出す。
「まあ、ルアナも悪気があるわけじゃねーよ……たぶん」
「いいや、あれは絶対に悪気しかない! そうに決まってる!」
「そうですわ! わたくし達をあんな風に呼んで!」
あー、もう無理かも知れんな。
そう一夏は思ってチラリとルアナの方向を向いた。ルアナは二人の声など聞く気が無いように空を見上げている。実際聞いていないのだ。
一夏は深い深いため息を吐いて、プリプリと怒る二人を宥めることに専念することにした。
感謝をして感謝され返されるという風潮のある風潮は何か、怖いものがあります。
あれ?私の周りだけですか? そうですか。