仕方ないね。
数週間程経過して、カレンダーは一枚捲られた。
月の表示が4から5へと変化させて既に数日程経過してしまった。
そのあいだに起こったことなど些細な事である。ルアナが飯を喰らい、鈴音の愚痴を聞き、ルアナが簪作のケーキを食べ、ルアナが夜食を食べた。たったそれだけなのだ。特別言う事と言えば、一夏が鈴音を怒らせた事ぐらいだろう。
デフォルトの設定で胸部にまな板を装備してしまっている人間に対して貧乳と言ってしまったのだ。
確かに、近くにメロンを引っさげている幼馴染と服の上からでも膨らみのわかる金髪淑女を侍らしている一夏。既に基準の感覚がおかしくなっているのだろう。
どこぞの誰かが言ったように、貧乳とはステータスなのだ。希少価値である。
バッドステータスである事も加えておこう。
さて、そんな鈴音を怒らせた一夏と鈴音こと貧乳がクラス対抗戦の一回戦に戦うのだ。
勿論、こういった行事にはトトカルチョが秘密裏に発行されており、いったいどちらが勝つのだろうか? 誰が優勝するのだろうかと予想されている。
人気があるのは織斑一夏である。賭けの対象としては『申し分ない』なんて言葉が出ないほど申し訳ない力量である。
ハッキリ言えば、まだ弱いのだ。それこそ代表候補生と戦うにはまだ早い。
けれど人気はある。理由としてはやはり男性唯一のIS操縦者という事なのだろう。
賭けているモノは金銭などではない。金銭を賭けるともれなく生徒指導室へと送られるのだ。出てきた人間は輝かしい瞳で
「賭け事なんてトンデモナイ! 働く事で流す汗はとても素敵デス!」
なんて叫びながら教員達の小間使いへと堕ちてしまうとのもっぱらの噂だ。
金銭ではなく賭けるモノ。それはお菓子であり、食券である。大凡は後者になり、そして内容はスイーツ関係に厳選されている。デザートは別腹という言葉は偉大なのだ。
さて、デザートどころか普通の食事まで砂漠に水を落とすが如く食べていくルアナがそんな賭けを耳にしないわけがない。
訳がないのだけれど、
「チッ……」
やはり憎々しげに太陽を睨み、騒がしい周りから距離を置いてアリーナの端でルアナは舌打ちをしていた。
手に持っている筈の菓子袋は今は無い。
朝起きたら菓子袋の存在が消えていたのだ。そして置き手紙。サボるなよ、という五文字だけ書かれたその内容にルアナは落ち込んだ。
けれど菓子袋など一つではないのだ。ルアナは戸棚を開いた。そこには置き手紙。ルアナはカバンを開いた。そこには置き手紙。ルアナは布団に潜って泣いた。
全部である。全部奪われたのだ。あの鬼に。
当然、試合を見学することが生徒としての義務であるのでサボろうとしていたルアナが悪い訳であり、そのルアナをアリーナへと連れてこようとするならば千冬の行動程手っ取り早いモノもないのだ。
ルアナは織斑一夏
それは友達と家族、どちらを取るか迷った結果の答え……そんな答えだったならこうして彼女は舌打ちをしていないはずだ。
理由は一つ。この賭けは勝てないのだ。理論的な推理ではなくて、ルアナはそう直感していた。
それはルアナにとって繰り返してきた事で、信用に値する経験則でもあった。
どちらかが勝ったならばその祝勝会に出向けばいいし、なんて考えがルアナに過ぎっているあたり本当にどうでもいいようだ。
空を見上げていれば、選手が二人自身のアリーナ内にようやく登場した。
片や攻撃的な
そんな二つのISを見上げるルアナ。ニタリと笑みを深めて、ゴクリと唾液を飲み込む。
湿った舌で上唇を軽く舐めてから、ようやく自身の行動を知ったように、ムニムニと頬を触った。
興奮に近いソレを内面に押し止めてルアナはその場を立ち去ろうとする。けれども二歩ほどで足は止まってしまう。
自室のお菓子達が消えてなくなる未来を予見してしまったのだ。
溜め息を吐き出して、ルアナは踵を返す。客席へと戻り、出口に近い、それこそ出口の隣で壁に凭れて試合を見上げる。
「……くひっ」
どうやら嗤いを抑える事は出来ないようだ。
◆◇
空へと浮いた一夏は目の前に浮く敵に視線を向けた。
代表候補生であり、自身よりも確実に戦闘訓練を繰り返したであろう幼馴染。ソレと戦うのだ。
殊更に、凰鈴音という存在は戦うに至ると非常に冷静だ。表面上怒っていたとしても、心のどこかでは確実に戦闘から意識を逸らすことはない。
過去に喧嘩をしていてよかった。
そう一夏は心から思ってしまった。勿論、成長するにあたり幼い時の性格からズレはあるだろうが、根本的な所は変わってないだろう。
だからこそ、一夏は鈴音に負けたくはなかった。
それは男としてプライドなんてモノではなく、それは一夏としての矜持だ。
一夏とて今日に至るまで何もしなかった訳ではない。
セシリア・オルコットという代表候補生から基本的な手解きを受け、幼馴染である篠ノ之箒から剣の鍛錬を受け。三者から見ればイジメ以外なんでもない一対一の休みの少ない戦闘も繰り返した。
積み重ねたモノは鈴音には程遠いだろう。けれども一夏は勝つ為の努力を積み重ねた。
既に彼は力を得たのだ。そしてその力の使い方も学んだのだ。一夏は既に負ける訳にはいかないのだ。
「一夏、今謝るなら痛めつけるレベルを下げてやってもいいわよ?」
「鈴、今許してくれるならひと思いに倒してやるぜ?」
「嫌よ」
「ならこっちもいいさ。 全力でこい」
「随分上から言うじゃない」
「上でもないさ。空中にいるんだ、目線はいつもと違って対等だろ」
こうして軽口を叩いたが、先ほども言ったように一夏に余裕など無い。当然、その程度の事は鈴音とてお見通しだ。だからこそ、軽口に付き合った。
『それでは両者――』
一度深呼吸をした一夏が目を見開く。これから先の戦闘で何も見落とす事の無いように。勝つ為の材料を探る為に。
絶望的な戦闘でも一筋の光明を得れる様に。
『――試合を開始してください』
ブザーの音と共に二人の世界は加速した。二人が衝突したのは相手に向かう一直線上の中心。
一夏の持つ【雪片弐型】と鈴音の持つ両端に刃を備えた青龍刀【
鈴音は淡々と一夏に対処すべく手首を返す。
【雪片弐型】とかち合っていた青龍刀は引かれ、逆端に備えられた青龍刀が一夏を襲う。
「くっ」
対した一夏の反応は早かった。自身の体と迫る青龍刀の間に刀身を滑り込まし、刃を滑らすように青龍刀をかち上げる。
カチ上げられる事により鈴音に攻撃をするスペースが出現する。上げられた青龍刀に吊られて背中を向けた鈴音。
がら空きの背中。流れる様に弾いた青龍刀。
ゾクリと一夏の背筋に悪寒が走り、振り下ろそうとした【雪片弐型】を盾にするように構える。
瞬間に【雪片弐型】にぶつかったのは【双天牙月】の切っ先。
「惜しかったわね」
【双天牙月】を握る鈴音の声。それが一夏に対して言ったものなのか、それとも釣れなかった事に対して言ったのかそれは定かではない。
一夏はソレを後者だと判断した。同時に直感を信じてよかったと内心で流れる冷や汗を拭いた。
先ほどの攻防で一夏が甘い餌に釣られないと判断した鈴音は【双天牙月】を振るった。鈴音の手により、刃の出処は自在だ。それに対応する一夏には限界がある。
ムリゲーだ。これは積みゲーだ。
一夏はセシリアの時にも思った現実の理不尽さを呪った。呪うだけで声には出さなかった。彼には意地はあるのだ。
このままではジリ貧であることはわかっていた。消耗戦は絶対に避けなくてはいけない。なんせ【白式】の燃費は最悪なのだ。
対して鈴音の操縦する【
一夏は青龍刀を大きく払い、後ろ向きに加速する。
「――甘いッ!!」
【甲龍】に付随していた
瞬間、一夏に衝撃がぶつかる。上から肉体程大きなハンマーを叩き下ろされた様に、衝撃がぶつかった。
白黒する意識を無理やり現実へと引き戻し、混乱する頭で判断する。
何が起こった?
何に殴られた?
攻撃か?
それとも操縦ミスか?
一夏の頭に可能性が溢れて、水泡の様に消えていく。
「今のはジャブだからね」
鈴音の一言でようやく一夏は彼女の攻撃であったことを理解した。
そして、
「ぐあっ!」
上空から落ちてきた衝撃により一夏は地面へと押しつぶされた。しっかりとシールドバリアーを貫通しダメージが痛覚を刺激する。
【龍咆】と名付けられた衝撃砲。空間を圧縮し砲身を作成。余剰で生じた衝撃を砲弾として撃ち出す不可視の砲台。
真上真後ろ真下全てに制限なしに撃てるソレ。
鈴音自身が基礎を高いレベルで習得しているからこそ手出しが出来ない程厄介な代物へと変化している。
勿論それは完璧とは言えない。砲身の作成と砲弾の射出にタイムラグが生じているのだ。
結果として、
「よく避けるじゃない、一夏」
回避される。
一夏はハイパーセンサーにより圧縮される空間、その周辺に生じる歪みを感知している。だからこそ回避は出来る。
けれどもそのタイムラグなど僅かなモノだ。それも砲身が作成されてからの回避になるためどうしても後手へと回ってしまう。
接近すれば【双天牙月】。遠のけば【龍咆】。
無理ゲーもここまで来ると笑いが出てくるだろう。
一夏もやはり笑ってしまう。それは無理ゲーに相対したからではない。
何も迷う必要などないのだ。
【雪片弐型】を握り締め、一夏は笑いを押し込める。決意はした。意思も固めた。
「鈴」
「なによ?」
「本気でいくからな」
真剣な瞳で、真剣な顔で、真摯に鈴音を見た一夏。
一夏に恋心を抱いている鈴音からすればその顔がカッコイイと思ってしまう。けれど今は戦闘中であり、一夏は敵だ。
片思いの相手が敵だなんて、なんて悲劇なのでしょう。なんて、夢想する程鈴音は乙女ではない。
一夏が本気というからには、本気で私を倒しに来るのだろう。
そこに驕りも油断も存在しない。鈴音は徹底して、一夏を倒そうとする。
倒すことが出来る余裕。つまるところ、一夏の力量を測り損ねている。
ここ一週間程、一夏はとある技術の習得に躍起になった。
【
圧縮されたエネルギーの分だけ、速く動く事が出来る。襲い来る重力の鎖と壁などISに全部持って行ってもらうのだ。
一夏という天才は、たった一週間という時間。それも限られた時間でソレを初心者から国家代表候補生を唸らせる程度に昇華させた。
唸らせる程度にしか使えないソレ。けれども奇襲としては十二分に役に立つ。
覚えた理由など、勝つ為という理由しかないのだ。
勝つ為にはどうすればいい?
自身の持つ武器はなんだ?
刀で出来ることは?
答えは至って単純で、非常に難しいモノだ。
近づいて、斬る。
たったソレだけなのだ。
一夏のスラスターから圧縮されたエネルギーが放出され、光を放つ。
同時にバリア無効化攻撃【
「うぉぉぉおおおおおおおおおおおおお!!」
咆哮。それは一夏自身から溢れ出た声。
鈴音との距離など一瞬で消え去り、【雪片弐型】が、その光の刃が鈴音へと迫る。
瞬間、一夏と鈴音のハイパーセンサーに何かが引っかかった。
一夏の叫びを上回る轟音と共に、衝撃と土煙が巻き起こる。
鈴音の衝撃砲ではない。
ましてや一夏の叫びによる揺れでもない。
『一夏! 戦闘は中止よ! すぐにピットへ戻って!』
相対している鈴音からの通信。同時に【白式】からのアラートが一夏を現実に戻す様に響く。
―ステージ中央に熱源。所属不明のISと断定。ロックされています
アリーナのシールドバリアーはISのモノと同一である。そのバリアーを貫いて、ソレはやってきたのだ。
そしてそんなモノにロックされている。
一夏と鈴音はほぼ同時に動き始めた。
互いに弾かれた様に離れて、土煙から伸びる光条を回避した。
その熱線は二つになり、一夏と鈴音を個別に狙う。
『私が時間を稼ぐ。その間に逃げ―』
「ふざけるな!」
個別通信など出来ない……いや、出来たとしても一夏はその言葉を通信に乗せる事は出来なかっただろう。
彼にとって、誰かを置いて逃げるという選択肢など一番最初に捨てるべきモノなのだ。例えそれが男でも、ましてや女なのだ。
男としての矜持も、一夏としてのプライドも、そして意地も全て投げ捨てる程彼は弱くはなかった。
加速して、熱線を回避しつつ、一夏は鈴音へと接近した。
「もう、置いて逃げるなんて出来ないんだよ!」
「…………」
先ほどまでの戦闘とは違う。どこか追い詰められたような一夏の顔に思わず鈴音は眉を寄せてしまう。
戦闘中でありながら、別の事を思考してしまう。
「あぶねぇ!」
迫る熱線を一夏は鈴音を抱きしめて移動することで回避する。
確かにあの状態では鈴音に被弾してしまうが、その行動をしてしまうのはいかがなモノだろうか、天然タラシ。
抱きしめられた事により、いい意味で頭の中がお花畑化してしまった鈴音。ここが遊園地なら素晴らしいデートになっただろう。
抱き寄せた鈴音から柔らかい感触など伝わってこない。当然である。ISを着用しているのだから、当然である。
そんな二人を殺さんばかりに高出力の光学兵器を乱射する正体不明。熱により、気流が発生し土埃が晴れる。
「なんなんだよ、アレ……」
それは見るからに異形だった。
首と肩が同化し、つま先よりも下にある長く太い腕。
ISとしては珍しいとも言える《
一夏から見て、深い灰色のそのISは、異形だと言えたのだ。
キリがよかったので、ここで切断。
そろそろルアナさんを行動させないと……追いつかなくなってしまう。