「貴方は何者なの?」
黒髪の魔法少女の手は震えている。それは、ベルから感じる得体の知れない恐怖もあっただろうが、一番に驚きが強かった。
拳銃のグリップがかたかたと音を鳴らす。もう片方の手で抑え込むようにグリップを握るも、震えは止まらなかった。
『私が質問しているのだが』
銃を向けられていても、彼女は動揺しない。幾らベルとはいえ、人間の状態で致命傷になるような攻撃を受ければ一溜まりもない。それでいて尚、平然とした表情を浮かべているのだ。
この魔法少女は、この場で自分を撃つことは無い。いや、撃てない。理由は分からないが、彼女の目に宿る殺気は脅すために上辺だけ取り繕ったものなのだ。
「それには、答えられないわ」
『そうか。……それでは、次の質問に移ろう』
「待って」
漸く震えが収まって来たのか、両手で握っていたグリップを片手で握る。今度は落とさないように強く握りしめられた銃口は、ベルの眉間へと向けられていた。
「私の質問に答えてもらっていないわ」
『ふむ。果たして、先程の返答が答えたことになるのだろうか。……まあいい』
余裕の表情を崩さずに口を開いた。相手が脅しを用いている時は、弱気な顔を見せてはいけない。そこに付け込まれてしまうからだ。逆に、脅されていても平然としていれば相手の不安をあおることが出来る。
相手の不安を煽るのにどんなメリットがあるのかと言えば、自分のペースに持っていき易くなるという点が一番だろう。
弱気な顔を見せれば付け込まれるとは、逆もしかり。此方から相手の弱みに付け込むことも出来るのだ。
『私は、人間に興味を持ってしまった欠陥品のはぐれ魔女。暴食の魔女ベルゼブレだよ。マミとキュゥべえにはベルと呼ばれているがね』
「暴食の魔女……? そんなの知らない……っ!」
何かを思い出そうとしているのか、銃を下げずに片手で頭を押さえて小言で呟きだした。如何やら、この魔法少女は魔女の知識については絶対の自信があったのだろうか。自分の知らない魔女が居たということでプライドが崩れたのか。
恐らく、そうでは無いとベルは直感していた。それは、魔法少女内での自身の有名さを知っているからだ。マミは知らなかったようだが、彼女のようにどんな魔女であっても退治する性分のため、態々魔女の情報を把握していなかったのだろう。
現に、キュゥべえは彼女の名前を聞いた瞬間に暴食の魔女であることを理解したのだ。自身の膨大な魔女の知識の中から探すのは時間が掛かる筈だろうが、それ程までにベルの魔女としての存在は異常だったのだ。
簡単に何処が異常なのかをまとめてみると、強大な魔力を有し、それでいて遭遇時の生存率が十割。暴食の魔女ベルゼブレと戦って死亡した魔法少女が存在しないのだ。
勿論、ベルは自身の異常さを自覚している。だからこそ、他の魔女に自身の考えを説こうとも思わないし、自身の正体を知った人間が必ずしも受け入れてくれるとは限らないとも思っている。その点、マミには感謝して足りないくらいだ。
兎にも角にも、それ程異常な魔女ならば知名度は上がる。魔女の力を真似た魔法少女と魔女の区別がつく程の知識を有しているのにも関わらず、知名度の高いベルを知らない。
それは、単にベルの自意識過剰だっただけなのかもしれない。だが、自身を前にして幾人もの魔女が初見でベルゼブレと呼んだのだから、知名度は高いはずだ。
『まあ、そんなことはどうでも良いんだ。君は、ソウルジェムが何なのかを知っているか?』
ピクッと、魔法少女の耳が猫の様に反応した。ゆっくりと上げられた顔には、やはり驚きの色が満ちていた。
「どうして、そんなことを聞くのかしら」
『いや、なに。私は人を食べたことは無いが、腐っても魔女だ。それが魂を有する生物なのか、有さないものなのかの区別はつく』
例えば、菜食主義者でもステーキとハンバーグの見分けはつくだろう。例えば、肉食主義者でも生野菜と煮込んだ野菜の区別はつくだろう。厳密には違うが、それと同じことだ。
生まれつき種として備わっている機能なのだから、特殊な障害でもない限り失うことは無い。だから、人を食すことは無いベルにも魔女として生まれ備わった機能は残っているのだ。
『数々の魔法少女を見て来て、違和感を感じていたんだ。そして、マミと過ごしてから疑問は確信に変わった』
ヒントは幾つもあった。恐らく、人間にもこれを看破した者が居たのだろうと思えるほど、簡単で易しいヒントが。
ベルは、そんな人間たちよりも多くの魔法少女と相対し、多くの使い魔を食らった。即ち、
『ソウルジェムは、魔法少女の魂の一部。若しくは、魂そのもの。――違うか?』
「――っ! ……驚いたわ。できれば、そこまで辿り着いた名推理を教えてくれるかしら」
『そうだな。魂とは人間の全身から感じるはずなのだ。だが、君たち魔法少女の魂は一部からしか感じられない』
「それが、ソウルジェムの付けられている場所ということね」
『その通りだ。ソウルジェムのことはマミに説明を受けてから知ったのだがね』
何時か見た推理ドラマの主人公を真似したポーズを取る。如何やら、黒い魔法少女もそのドラマのことを知っているようで、若干吹き出しそうになりつつも怪訝な表情を浮かべた。
『そしてもう一つ。ソウルジェムの濁りに比例して、マミの情緒が不安定になる。怒り易くなったり、傷つき易くなったりね』
感情や気分とは、ストレスや直前に取った行動によって大きく変わるものである。マミは基本的に温厚な性格であり、ベルが何か失敗をしても妹を励ます姉の様に優しい言葉をかけていた。
だが、魔女退治の直後、グリーフシードでソウルジェムを浄化する直前だけは、顔つきも険しくイライラしているように感じるのだ。それは本当に少しの変化であったため、ベルにしか分からないものなのかもしれない。
『それでは、最後の質問に移ろう』
ピッと伸ばした人差し指の先を魔法少女に向けた。何か攻撃が来ると警戒した魔法少女が拳銃の引き金に手を掛けるが、片方の手で顔を隠すベルの仕草に気付いて、またドラマの真似かと呆れたように肩を竦めた。
『魔女と魔法少女。これ等は、果たして倒す倒されるだけの関係なのか?』
「……参ったわ。今回のイレギュラーは相当な切れ者のようね」
お手上げ、と言わんばかりに両手を軽く万歳する形の姿勢にすると、盾からグリーフシードを取り出して自身のソウルジェムと並べた。
「ここまで辿り着かれては仕方が無いわ。全て説明するから、マミにだけは喋らないで頂戴」
マミに知られては、彼女にとって都合の悪いことなのだ。マミだけでない、他の魔法少女に知られても都合が悪い事実。悪戯に魔女を増やしてしまうことになる、残酷な現実。
「魔法少女は、グリーフシードを使ってソウルジェムの浄化を行うわよね。じゃあ、浄化を行わずに放置したらどうなるのかしら」
『……見当はついた。ソウルジェムが濁り切った魔法少女の末路。それが、魔女なのだな』
「そういうことよ」
唸りながら顎に手を当てて俯くと、もう片方の手でこめかみを揉み解した。予想はしていたのだが、やはり断言されてしまうとショックである。
今や家族同然であるマミが、魔女になってしまう。その時は、ベルの様に明確な意思を持った魔女に生まれ変わるはずも無い。ベルは、こういった意味でも特別な存在だったのだ。
『その目を見る限り、嘘をついているようにも思えん。……それにしても、これを知って魔女化しそうな者が居そうな程精神的にはキツイ内容だな』
「居たわ。事実を知って、魔法少女を勧めた責任を取るために泣く泣く後輩を殺害しようとした魔法少女。自身がゾンビになってしまった、と悲観して魔女になった魔法少女。私は、たくさん見て来た」
顔に影を落としながら話す魔法少女の佇まいは、何処か悲しげなものであった。恐らく、彼女にとっても思い出したくないことなのだろう。しかし、この年で一体どれだけの魔法少女と出会ったか。
この年で、どうして自分が普通の人間とは違う体になってしまった事実を受け止められるのだろうか。先程、魔法少女がベルに抱いた様に、ベルも魔法少女に言いようのない得体の知れない恐怖を感じていた。
それでも、やはり彼女の知的好奇心が恐怖に勝った。彼女は、人間に対して無知であったが故に、人間の何から何までを知りたがる。だからこそ、普通の人間なら遠慮して問わない場面でも問うのだ。
『先程から、君は随分と意味深な発言をするな。一体、何者なんだ?』
「それは言えないわ」
きっぱりと断言されると、面白く無さげに頬を膨らました。
今まで駆け引き同然の会話をしていた相手が突然可愛げのある行動をとったことに驚きつつも、緩みそうになる顔を引き締めた。
「ところで、貴方はこの先人間を襲うつもりがあるのかしら」
『君は、家族同然の存在として鶏と生活し、それを食すことが出来るか?』
「多分無理ね。でも、万一のこともあるから、忠告しておくわ」
ピシッと今度は魔法少女がベルを指差した。もう片方の手で顔を隠している所を見ると、先程ベルがやったポーズと同じものの様だった。
しかし、紅潮させながら腕を震わす魔法少女の状態から勢いでやってみただけのようであり、気まずそうに腕をひっこめ平然とした顔で髪を掻き上げた。誤魔化しているのだろう。
そして、未だ鼻の頭を赤くしつつもベルを指差した。今度は、直立状態から普通に指を伸ばしただけだ。
「まどかを襲うようなことがあれば、どんな相手でも許さない」
ベルを鋭い目つきで睨みつけると、目の前から消えてしまった。やはり、不思議な魔法少女である。現れたかと思えば消え、また別の場所に現れる。瞬間移動系の魔法にしては距離が短すぎるのだが。
『ふむ。私は、まどかを知らないからどうしようもないのだがね。――さて』
辺りをキョロキョロと見渡す。高層ビルだらけで、彼女の見知った景色は一つも無い。薄らと自覚はしていた。魔法少女を追いかけている間に、遠い場所まで追いかけてしまうのではないかという杞憂もあった。
『ここは何処だ?』
案の定、マミの心配は悲しくも現実の事となってしまった。