魔女は人間が好き   作:少佐A

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38話 使命

 結界はまだ消えない。魔女がその活動を停止してもなお、結界は崩れ行く兆候すら見せずに魔法少女たちを閉じ込めている。

 暴食の魔女は動かない。とどめを刺すべきではあるが、結界が消えない以上、結界を維持するだけの余力を残していることを考慮する必要がある。となれば、魔法少女を誘う演技である可能性も否定できない。杏子とさやかは暴食の魔女から目を離せないでいる。

 また、二人とは別の理由でマミも暴食の魔女へのとどめを躊躇っていた。理由は言わずもがな、彼女の精神力では暴食の魔女――ベルを殺すための引き金を引くことができない。いくら魔法少女として優れているとはいえ、彼女もまた、家族の愛に飢える一人の少女なのだ。

 

 やがて、暴食の魔女の身体が霧散していく。グリーフシードの代わりに出てきたのは、ベルその人だった。傷一つないベルに、暴食の魔女として魔法少女を追い詰めていた異形の怪物の面影はなかった。

 そのまま倒れるベルにマミが駆けよる。

 

「待って」

 

 満身創痍のほむらが、銃口を向けていた。

 

「お願い。待って」

 

 ベルに――暴食の魔女に、最早余力がないことなど明らかだった。そうなれば、ほむらに躊躇する理由などない。

 1発、2発。その引き金は、ほむらにとって教科書のページをめくるよりも軽い。元来、マミが悲しみ結果になろうと、まどかが救えればそれで良いのだ。否、本当にそれで良いのか。自問自答しながら、引き金を躊躇いなく何度も引き絞る自分を、ほむらはどこか他人のように考えていた。

 マミが逃げようと、ほむらの攻撃は止まらない。弾切れを起こせば別の銃に持ち替え、狙いを定められないほど遠くに逃げれば魔法で執拗に追い掛ける。錯乱しているマミでは、対魔法少女戦に長けたほむらを完全に迎撃できない。マミのパフォーマンスは、その心理状態に大きく左右されるのだ。

 

 偏差で撃ち込まれた弾丸がベルの頭部を捉えて、すんでのところで振るわれたマスケットの銃身が凶弾を弾いた。

 逃げた先に魔法で投げ込まれた手榴弾の爆発から身を守るために、巨大なリボンの繭に閉じこもる。こじ開けた隙間から、機関銃を乱射して爆発物を放り込まれた。

 

 ベルを排除せんと鬼気迫る様子で追走するほむらの様子は、明らかに異常だった。

 マミもろとも殺さんと苛烈な攻撃を加えるほむらと、逃げ回るだけのマミの戦闘を見て、さやかはどちらに加勢するか決めあぐねていた。繭をこじ開けて中に直接攻撃を加えるほむらを見て、止めに入ろうとしたさやかの肩を杏子が抑える。

 見殺しにするつもりか、と怒鳴ろうとして、杏子が顎で指した方を見る。

 

 内側から焼き尽くされた繭の中にマミはいない。リボンの繭の死角から抜け出していたのだ。即座にマミへ攻撃を加えようとするが、ほむらはマミの魔法に近づきすぎていた。

 リボンの繭の残骸はほむらを待っていたかのように暴れ出し、増殖していく。意思を持ったリボンの怪物のようなマミの魔法は、指向性をもってほむらに襲い掛かる。魔法で離脱を試みるも、既にほむらの足にリボンが絡みついていた。ほむらの力では拘束を解くことはできないうえ、重火器しかないほむらの武器では安全にリボンを破壊することもできない。

 そもそも、魔法で複雑に編まれたリボンは並大抵のことでは傷つけることすらできないのだ。それは、本来の歴史でマミに捕縛されたほむらがマミの死亡まで拘束を解けなかったように。

 つまるところ、ほむらがリボンの繭をこじ開けることができたのも、機関銃や爆発物で焼くことができたのも、マミの手のひらの上だったというわけだ。

 

「ねえ、ダメ。待って。待ってってば!」

 

 ほむらをリボンで拘束しながら、ベルを別のリボンの繭に閉じ込めた。どうにかして武器を取り出し、ベルへ弾丸を撃ち込もうとするほむらに更にリボンが足され、ようやくほむらが動きを止めた。

 どうやら、ほむらとマミの攻防はいったんの閉幕を迎えたらしい。で、あれば今度は。

 

「アンタは待ってな」

 

 追い抜きざま、さやかに囁いて杏子が歩き出す。相棒たる朱色の長槍を確かめるように数回振り回したあと、肩に担ぎなおした。

 わざと足音を立てながら一歩一歩、マミに近づく。その音は、争いを諫めるためのガベルのようにも、判決を待つ罪人をあざ笑う時計の針の音のようにも感じられた。

 

 杏子の接近には、マミも気が付いていた。ほむらの拘束とベルの繭を緩めることなく、新たにリボンとマスケットを編みなおして杏子に向き直る。驚異的な体力と魔力だ。

 

「どきなよ」

「いや」

 

 マミは頑なだった。

 

「アンタも分かるだろ。ソイツはいずれ、手に負えなくなる」

「そんなこと言ったら、私たちだってそうじゃない! いつかは魔女になる!」

「それとこれとは違う!」癇癪を起こしたマミがマスケット銃を床に向かって撃つ。「違わないっ!」

 

 地団太。

 

「違わない! 違わないったら違わない!」

 

 マミがまくし立てる。興奮してヒステリックを起こすマミの姿を直視できず、杏子は少しばかり目をそらしていた。

 

「いつか強力な魔女になるかも知れないから殺すだなんて――そんなの」

 

 泣いている。黄色のソウルジェムは、マミの精神状態とは正反対に光り輝いている。そんなところに、違和感を覚えている暇はなかった。

 

「だったら、みんな死ぬしかないじゃない!」

 

 視線を戻せば、マミは杏子の胸元に銃口を向けていた。狙いは朱色のソウルジェム。魔法少女の心臓だ。

 

「本気か。アンタ」

 

 支離滅裂だ。魔法少女は、適切な対処を施せば魔女になることを防ぐことはできる。しかし、ベルは根本的に存在が違う。

 ベルは魔女だ。いくら理知的であろうと、れっきとした魔女なのだ。それは野生の勘を取り戻して本能を取り戻しつつある飼い熊のように、無視できない危険性を孕んでいる。夜な夜な同族狩りをしているその食欲が、いつ人間に向けられるか分かったものではない。

 そして実際に、暁美ほむらは暴食の魔女の食欲の標的になっているのだから。

 

「そうよ。きっと何かの間違いだもの。話せばわかってくれるわ」

 

 まだ、睨み合いは続いている。凍ったような時間の中で、先に限界を迎えたのはほむらだった。

 ほむらは、さやかほどソウルジェムを利用した感覚の遮断を器用に行うことができない。暴食の魔女を相手にたった一人で大立ち回りを演じていた彼女は、既に体力の限界だったのだ。

 ベルを殺すための武器を取り出すために盾をまさぐろうと魔法を行使した瞬間、ほむらの視界は暗転した。朦朧とする意識の中で前後左右すら分からなくなり、立っていることすらままならない。早く回復しなければ。

 武器ではなくソウルジェムを取り出そうと指を動かすも、指の先にすら力が入らない。ソウルジェムを回復させるためのグリーフシードを取り出す体力すら残っていなかった。

 倒れこむ感覚に気が付くも、自由に動かせない。まるで自分の体ではないような、不思議な感覚だった。慣れか癖か、身体が勝手に受け身を取ろうとして、不格好に足をもつれさせて更に勢いを増す。立ったまま昏倒したほむらは、そのまま地面へ頭を打ち付けながら倒れこんだ。

 

「ほむらっ」

 

 急いで、杏子が投げてよこしてきたグリーフシードをほむらのソウルジェムに当てた。ソウルジェムの穢れがグリーフシードに吸収されていく。いや、これは。

 

「あれ?」

 

 ソウルジェムの穢れは薄くなっている。実際、ほむらの表情はどんどん安らいでいた。しかし、肝心のグリーフシードが何の反応も示さない。

 首をひねりながらもう一度グリーフシードをソウルジェムに当てようとして、穢れが流れていく方向を見やる。

 

「まさか」杏子が叫ぶ。「起きてんぞコイツ!」

 

 リボンの繭が弾けた。繭の中からは中途半端に魔女へ変化したベル。羽化に失敗した醜い蠅のようにどろどろに溶けかけた身体を無造作に放り出しながら、一心不乱にさやかとほむらに突進する。

 歯をがちがちと鳴らしながら、体液をまき散らして飛行する姿はまさしく汚らわしい魔女の姿だった。そこに、理性的なベルの姿はない。

 

 狙いはソウルジェム。ほむらのソウルジェムを取り込んで、その常識外れの魔法を己がものとするつもりだろう。

 向かってくる怪物を切り捨てようとサーベルを構えて、逡巡。忌々しそうにサーベルを魔力に変換すると、ほむらを抱きかかえて飛び退いた。さやかでは、少なくとも魔女に再び成り掛けているとはいえ、人間に擬態した姿のモノを切り捨てる精神力が無かったのだ。

 ほむらは必要であれば非常に徹することができる思い切りの良さがあり、杏子にとってベルは交流が少ないが故に魔法少女たちの中で最も魔女として捉えられている。魔女の中には擬態や精神攻撃も行う個体がいるため、経験豊富な杏子はなおさら切り替えが早い。

 しかし、さやかにとってのベルは、魔法少女と魔女の世界を知ってから面倒を見てくれた先輩の1人だ。魔女の姿ならばまだしも、擬態状態の彼女を迎撃することは思春期の少女には難しい。

 

 飛び退いたさやかを守るようにリボンの壁と、ベルを串刺しにするために差し出された槍。それらを足場に利用して急激な方向転換を行いながら、さやかが飛び退いた方向と真逆へと跳ねた。

 ベルの視線の先には、ほむらを抱きかかえて飛び退く際に取りこぼした黒い種。無造作に放られたソレへ、一直線へと飛び掛かり、噛みつく。狙いは初めからソウルジェムではなかった。

 

「グリーフシードっ!?」

 

 口内のグリーフシードを美味しそうに味わい、嚥下する。かつてグリーフシードを食べて不味いと言い放った暴食の魔女は、グリーフシードを送り込んだ胃を確かめるように胸元を撫でまわして、恍惚とした表情を浮かべながら薄ら笑いしている。

 冒涜的で悍ましい光景だった。消化して取り込んだグリーフシードから数多の力を吸収し、学び、真似る。未だ、身体中に空いた穴のような傷跡から体液を流し続け、グリーフシードの風味の残る口内を名残惜しそうに舐め回す。頬に空いた穴から涎が垂れた。

 そして、暗転。暴食の魔女の結界は、たった一度瞼を閉じた間に水墨画の世界に書き換わっていた。

 

「殺すな! 拘束しろッ!」

 

 マミのリボンがベルの手足を締め上げる。身動ぎすらできないよう、念入りに。舌を噛み切って自害することもできないよう、口内にリボンを詰めて口元を覆った。

 自分の死を使い魔に肩代わりさせる能力は、仕組みさえ分かっていれば対処は容易だ。本体を自害すらできないように厳重に拘束している間に使い魔を殲滅し、最後に魔女を始末する。むしろ、そうすることでしか倒せない能力なのだから。

 それは、能力を学んだベルも理解しているはずだ。だというのにもかかわらず。口元を覆うリボンから覗く、耳元まで裂けた口角を更に釣り上げて笑った。瞬間。

 

 学習机が拘束しているリボンごとベルを押し潰す。だん。ぐちゃり。

 落下してきた学習机の勢いと重量をベルの身体が受け止めきれるはずもなく。子供が蟻を踏み潰すように、大人が蚊を叩くように、呆気なく、マミの目の前で擬態の肉体を魔力と血肉に変えながらベルが圧死する。

 マミが伸ばす手のひらは、飛び散った体液とベルの右腕だけをすくい上げた。何が起きたのか理解する余裕もないまま、蜥蜴の尻尾のように手の中で暴れるベルの腕を握ることしかできない。

 ベルの右腕はひとしきり暴れたかと思うと、大人しくなる寸前、マミの腕を握り返した。そのまま、冷たくなって項垂れる。ベルの右腕は、魔力に変わるでもなく霧散するでもなく、見せつけるように形を残したままマミの水晶体にその身を焼き付ける。

 

「ああああああッ!」

 

 錯乱したマミが無造作にマスケット銃を連射する。誰も、止めることはできなかった。

 

 やがて、完全に魔女が逃げ、結界が晴れた。魔法少女たちは、初め、暴食の魔女がほむらとさやかを取り込んだ通りに放り出される。

 誰も、言葉を発せないでいた。相対していた魔女は、絶対に逃してはいけない魔女だった。この場での討伐が最適解で、次点で捕縛。逃げられるなど、敗北に等しい。即座に後を追うべきなのだろうが、誰も行動に移せないほど消耗が激しい。

 ほむらは未だ目を覚まさない。さやかはグリーフシードを奪われたミスを自分で責めていた。マミはうんともすんとも言わず、その場を動こうともしない。杏子だけが逃げ続けるベルの痕跡を追えていたが、一人で追い続けても無駄であることは自明だ。

 

「あたし……」

「あー、気にすんなよ。優先順位間違えてたら、喰われてたのはソイツかも知れないし、アンタだったかも知れない」

 

 精神的な消耗が少ない杏子がこの場で唯一のバランサーだった。元々、面倒見は良い方である。

 さやかが魔法少女になったばかりの新入りであることは聞き及んでいた。そして、自称するのもいささかこっぱずかしいが、杏子は魔法少女としてベテランだ。むしろ、警戒しなければならないのは自分の方だった。

 もちろん、責任を完全に転嫁するのも良くないだろうが、気にしすぎて潰れてしまうのも良くない。加えて、ソウルジェムの穢れが溜まったときに魔女と化すならば、余りネガティブな感情を持ち続けるのは良くない。

 

「それに、穢れを吸い上げる性質もだけど――使う魔法まで、擬態中でも変わらないとは予想できないじゃん?」

 

 杏子がさやかの胸を軽く叩く。ハッとして顔をあげるさやかの目は、もう気にしてないフリをしていながらも、やはり自分自身しか見ていないようだった。

 コイツも中々自分大好きなナルシストだな、なんて普段は生意気な後輩の新たな一面を知って自然と口角が上がる。きっと、さやかはさやかなりに自分を責めて、折り合いをつけて、後悔して、努力をするのだろう。ナルシストなヤツってだいたいそうだから。

 もう一回だけ、さやかの胸を小突いてやった。何はともあれ、さやかはきっかけだけ与えてやれば勝手に立ち直るのだろう。

 

 だからこそ、未だに夢を見ている先輩の目を覚ましてやらねばならない。それもまた、誰かの先輩であり、誰かの後輩でもある杏子の役目だ。

 

「結局、ヒトの形してようが魔女は魔女ってコト」

 

 最早、何をする気力もない。変身を解いて呆然とするマミを、杏子は睨みつけていた。

 

「アンタが一番わかってんじゃないの」

「う~~~~ッ!」

 

 あまりに残酷な現実は、思春期の少女では耐えられない。

 感情の発露が止まらないマミは、言い返すこともできずに涙を流しながら、嗚咽を漏らしてうずくまった。

 

 そもそも、そもそもだ。いくら意志をもって人間に好意的であろうと、魔女は魔女だ。

 そんな当たり前のことは、とうの昔にマミも理解していた。今日まで、たった今まで、理解していないふりをして自分を騙していた。

 ベルのことも理解していないふりをして目をそらした。どこか現実感のない現実の中で、マミは新しい家族となった人形とままごとをしていたにすぎないのだ。

 それは、マミも心の奥底では理解していた。

 

 初めのティロ・フィナーレには手心は加えていなかった。二発目を撃つことができなかったものの、跡形すら残すつもりはなかった。

 グリーフシードを取り込んで再生するベルに銃口を向けていた。杏子の静止がなければ、そのまま心臓を撃ち抜くつもりだった。

 怠惰の魔女の能力を利用して逃げるベルをたった一人捉えて、錯乱しながらも超遠距離から追撃を加えていた。蘇生テレポートがギリギリの状態だったことは推測できた。すんでのところで避けられたものの、新たに使い魔を生む暇すら与えず仕留めるつもりだった。

 そして何より――ベルを魔法少女たちから守っていた繭の内側は、鋼鉄の処女の如し針山をかたどっていた。

 

 マミは魔法少女の使命と情に揺れながらも、使命を優先していた。

 同じ魔法少女に牙を剝く家族を、マミはその手で殺すつもりだったのだ。




こんばんは。

こちらは3月分の投稿となります。
月末になるとは思いますが、4月分として今月中にもう1話投稿する予定です。

引き続き、本作をよろしくお願いいたします。

2022/04/29追記
月初めにもう一話今月中に投稿すると宣言していましたが、最新話の描写に苦戦しております。
幸い、GW中に時間を取れそうなのでそこで投稿できればと思っております。

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