魔女は人間が好き   作:少佐A

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お久しぶりです。
活動報告にてご報告をさせていただいております。
短めとなってしまいますが、最新話です。
お待たせして申し訳ございませんでした。


35話 兆し

――時は魔法少女たちが二手に分かれた直後まで遡る。

 

 慣れない身体の揺れに不快感と違和感を覚えながら、さやかはまどろみから次第に意識を取り戻しつつあった。視界一杯に広がる黒から香る甘味が寝ぼけた彼女の鼻をくすぐる。負ぶっている人間への配慮なんて一切感じられない不器用な足取りは、しかし、普段より重く気だるげなもので。こいつも私たちと同じ中学生なんだな、なんてどこか近寄りがたかったほむらへの親近感を覚えながら、肩を軽く叩く。

 ふい、と髪が揺れる。さやかの視界にほむらの困ったような横顔が映った。

 

「起きたのね」

「うん、ありがと」

「気にする必要はないわ」

 

 さやかがほむらの背から降りようとして、止まった。ほむらを抱きしめるような形で回されていた手が、少しばかり強くなったように感じた。

 

「どうかしたの?」

「その、言いにくいんだけど」

 

 やけに緊張したような面持ちのさやか。彼女の二の句を待っているほむらも、内心予想はついていた。ほむらが受け入れてくれるかどうか不安で、ためらっていた。元々、近寄りがたいだとか、高嶺の花のような存在として一歩引いて壁を作っていた存在だった。断られてしまったら——。

言いよどむさやかに痺れを切らしたのか、ほむらが身体を揺さぶった。恥ずかしさやためらいを押し殺して、さやかがおずおずと口を開く。

 

「もう少しこのままでもいい?」

 

 しばし視線を交わしたあと、ほむらは何も言わずさやかを負ぶったまま姿勢を整えて歩を進めた。ほむらの背から降りようとしたとき、さやかの足はわずかに震えていた。今になって死の恐怖を思い出したのか、さやかの身体は今も小さく震えている。ほむらが、背中に震えを感じつつも何も言わなかったのは、彼女なりの気遣いだった。

 

 そうして、奇妙な雰囲気にこそばゆさを覚えながら負ぶわれてしばらくすると、次第に震えもおさまってきた。気持ちに余裕ができたさやかは、自分が気絶する直前までの出来事を朧気ながらも思い出しつつあった。そうして、真っ先に思い出したのは気絶する直前に自分のことを名前で呼ぶほむらの声。さやかの中に、純粋な疑問と、いくばくかの悪戯心が芽生えた。

 

「さっきみたいに名前で呼んでくれてもいいのに」悪戯っぽく笑みを浮かべながら、さやかが問うた。「いきなりどうして?」

「さあ」

「さあって何さ」

「……びっくりしたのよ」

「ほんとに?」

 

諦める様子のないさやかに対して、ほむらは観念したように肩をすくめた。

 

「あなたが――さやかが死んじゃうと思って」

「ふうん。ふうーん?」

 

 それを聞いたさやかの表情は、ほむらの思ったことをそのまま記すとするならば——むかつくくらいのにやけ顔、というべきか。ともかく、さやかはほむらに対して虚を突かれたような表情を浮かべたかと思えば、彼女の言葉の意味を理解し、反芻して、からかうような笑みを顔に乗せていた。

 実際は、思いがけない言葉が飛び出て、嬉しさのあまり崩れる顔を抑えきれないというのが本音だったが、悲しいかな。ほむらにはただからかわれているようにしか思えなかった。

 

「だから言いたくなかったの!」

 

 ほむらが語気を荒げる。照れ隠しだろうか。怒ったようにさやかから視線を外して正面を向くも、耳元は朱に染まっていた。さやかもなんだか照れ臭くて、これ以上この話を蒸し返すことはしないつもりだった。ああ、でも。鉄面皮を被ったほむらがこんなに慌てて照れる姿を見られるのならば——なんて魔が差したのも一瞬のことで。きっとこのときから、さやかにとってほむらは、絶対に嫌われたくない親友の一人となった。

 しばらく、二人の間に沈黙が続いた。妙にむず痒い雰囲気を打ち破ったのは、ほむらからの質問だった。

 

「私も貴女に聞きたいことがあるのだけれど」

 

 すっかり、いつも通りのほむらだ。先ほどとのギャップに思わずくすりと笑ってしまうさやかに気が付かないまま、ほむらは続けた。

 

「貴女の魔法はソウルジェムの浄化もできたりするの?」

「いや、できないと思うけど」

「……そう」

 

 それ以上追及することは無かったが、ほむらは納得がいっていない様子だった。実のところ、ほむらはまださやかのソウルジェムの浄化を行えていない。にもかかわらず、さやかのソウルジェムは、月明かりに照らしたアクアマリンのように、仄暗くも神秘的な輝きを保っている。

 別の時間軸では、ソウルジェムの仕様を利用して痛覚を遮断するほど扱いに長けていたさやかだ。ソウルジェムの浄化を行える未だ見ぬ”仕様”を無意識に利用したか、限定的な条件でソウルジェムの浄化ができる魔法を本人が気づいていないだけか、或いは。嫌というほど濁ったソウルジェムを見てきたほむらが、状態を見誤るなどあり得ない。ならば、やはり——。

 さやかを負ぶったまま、ほむらは思考の波に吞まれていった。

 

 さて、ほむらが物言わぬ地蔵と化した中、困り果ててしまったのはさやかだった。

 さきと同じように肩を軽く叩いてみても、反応が返ってくることはない。きっと、自分のソウルジェムのことなんだろうなあ、と握っていた手を開いた。ソウルジェムは見慣れた色をしている。決して、暴発寸前の黒だなんてことはなかった。これがどうやら、自分が気絶したときは相当濁っていたという話だが、果たして。ソウルジェムは状況によって魔法の行使以外でも濁ることがあるとは聞いていたが、今回は勘違いだったのでは。

 良くも悪くも、振り切ってしまえば楽観的なさやかだ。

 

 そう結論付けて、ふと、ほむら以外の同行者がいたことを思い出した。急に負ぶわれたまま甘えていることが恥ずかしくなってくるも、万が一にもほむらを転ばせるわけにはいかない。茹で上がりそうなほどの羞恥心を抑えて、意識を向けた。

 

「そういえば」さやかが今まで蚊帳の外だったまどかの方を見やる。「まどか。あんたのとこにまだキュゥべえは来てる?」

「ううん。最近は見ないよ」

 

 聞けば、あれほどまどかに執着していたキュゥべえが姿を見せないという。諦めたのか、はたまた何か企んでいるのか。疑念を抱きながらまどかを見ると、なんとも微笑ましいものを見守るような笑顔を浮かべていた。目が合うと、より一層嬉しそうに顔をほころばせる。余裕そうな態度になんだか恥ずかしくて、むっとした様子で話題をそらすためにベルへと視線を向けた。

 

「ベルさん。ベルさんのこと、まどかに話した方が――」

 

 声をかけたさやかが眉をひそめる。ベルの様子がおかしい。思えば、ベルは魔女の結界を抜けてからずっと黙り込んでいた。魔女とはいえ面倒見の良い彼女のことだから、さやかが目を覚ましたときに何らかの反応を示したはずだ。

 最後尾でついてきていたベルの顔色は泥を塗りたくったような土気色で、血が通っているかすら怪しい。実際に血が通っているわけではないが、それほど顔色が悪かった。胸を押さえて肩で呼吸をしながら、ベルは異常に気が付いて歩みを止めた同行者に目もくれず、うつむいたまま三人を追い越す。

 やがて、少し歩いたところでベルの身体が崩れ落ちた。

 

「ベルさん!」

 

 うずくまり苦しんでいたベルのうめき声が、ぴたりと止んだ。見れば、

 

「お、おおォ、オ」

 

 苦し気なうめき声とは違う、怒り狂った獣の如き唸り声。かと思えば、頭の裏側を引っ搔き回すような金切り声。その声に思わず、さやかがほむらの背中から飛び降りてベルに向き直りつつ、まどかを庇うように立ちふさがって腰を落とす。その指は、ソウルジェムに重ねられていた。

 同じように、ほむらはさやかと逆の方向へ飛びのくと、ベルを挟み撃ちにするような形で臨戦態勢を取った。魔女の結界から抜けてきたはずなのに、氷水を這わせたような背筋の悪寒が止まらない。状況は膠着していた。

 

 さやかとほむらが互いに目を合わせていつでも動けるように構える中、果たして、凍り付いた空気を再びかき乱したのは、ベルだった。まるで金属を打ち付けたような甲高い音が、ほむらとさやかの鼓膜を掻き毟る。続いて、鉛をひっかくような不快音。音の発生源は、全てベルの口元だった。

 

 小さな眼球を無造作に詰め込んだような複眼に、耳元まで切り裂かれた大きな口。肥大した心臓が胸骨を圧迫して脈動している。心臓の肥大に合わせて、身体中至るところの血管が浮き上がり、破裂していく。マミとお揃いの服を己の血液で染め上げながら、異形は空腹への苛立ちと身体中の不快感に胸を掻き毟る。やがて、涎混じりの吐血を繰り返しながら、その複眼を一斉にまどかへと向け、怪物は鎌首をもたげた。

 

 さやかが迎撃の判断を下すよりも早く、変身を終えたほむらが手榴弾を放り投げる。空いた手に握られた拳銃で手榴弾を撃ち抜こうとし、暗転。次に、身体が固まった。泥沼に沈められたような不自由さを覚えたのもつかの間、再び開けた視界には、錆色と薄汚れた白。そして、ガチャガチャとがなり立てて舞い踊る銀食器たち。

 

「ベルゼブレエェッ!」

 

 抵抗する間もなく、ほむらたちは暴食の魔女の結界に閉じ込められてしまっていた。

 


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