魔女は人間が好き   作:少佐A

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仲間と家族

 放課後、校門の前でせわしなく首を動かしているベルと、ベルに駆け寄るマミを一瞥してから、ほむらは帰路についていた。こんな公の場で人間の姿をしているベルを襲えばどうなってしまうかが分からないほど、ほむらは考えなしでは無い。

 幼い頃に肉親を亡くして一人暮らしをしていたのが原因か、幾年ぶりに出来た新しい家族を手放すまいと必死になっている。ほむらは、今のマミを見てそう感じた。彼女の魔女狩りは以前と比べて頻度が落ちた。かと思えば、無理をして大量に狩っていく日もある。一般人を守らなければいけないという使命感と、ベルと長く居たいという二つの想いに揺れているのかも知れない。

 マミは魔法少女の中でも勘などの第六感が強い部類だ。キュゥべえを通さずしてまどかの魔法少女としての才能を見抜いたのも、恐らく第六感で何かを感じ取ったのだろう。そんな彼女ならば――もしや、ベルの正体に気付いたからこそ、ベルが居なくなるまでいつも共に居ようと、そう考えているのでないだろうか。

 そこまで考えて、ほむらは頭を振った。流石に、考えすぎかも知れない。まどかとさやか、この二人との仲が良くなるのに比例して、その時間軸でのマミの死亡率も高くなる。それは、彼女が心の拠り所を見つけたが故に出来てしまった詰めの甘さが原因だ。ベルのことも、きっと同じなのだろう。

 

「けれど、巴マミがベルの正体に、本当に気が付いているのだとしたら」

 

 話し合いの場を設けて、説得することが出来るのではないだろうか。そんな一番良い展開を思い浮かべて、幸せすぎる幻想だな、とほむらは肩を落とした。

 力の抜けた身体が、自然に肺を圧縮させて息を漏らした。所謂、溜め息である。随分久し振りに吐いたような気がする溜め息を、やるせない気持ちにもう一度吐いた。

 

「そんなに溜め息ばっかり吐いてたら幸せが逃げちゃうっての」

 

 ぺちり、と軽い音を鳴らして、ほむらの後頭部を弱い痛みが襲った。視界の端に現れたのは、澄んだ青色の頭髪。その髪の持ち主は、意外と乙女だったらしい。さらさらと流れる髪の毛に施されたと思われる手入れは、並みのものでは無いだろう。これが、彼氏が出来たものの本気か。呟いた冗談は、友人の耳には届かなかった。

 まるで学園ドラマに出てくる男子学生のように、手の甲を肩に載せて鞄を背中側に持つその姿勢はやけに似合っていた。

 

「上条恭介とは一緒に帰らないの?」

 

「あんたが思い詰めてるみたいだったからね。恭介とはこの後落ち合うつもり」

 

「そう」

 

 さやかと顔を合わせていると、いつも過去の光景がフラッシュバックする。仲間を集めてキュゥべえの狙いを打ち明けた際の、さやかの冷たい視線と言葉が、今もほむらは軽いトラウマとして抱え込んでいた。

 だからこそ、余り良い印象の無いさやかから向けられる好意に、どうしたら良いか分からない。助けたいとは思っていても、意識的に避けてきていたさやかとは、あの時間軸から今回まで仲良くなれたことは無かった。

 あの時は助けてくれなかったくせに。そんな黒い感情は、今のさやかに向けるべきものではないと自覚していた。

 

「最近、すっごく調子が良いんだ」

 

 自分の心の内に悩むほむらを余所に、さやかは唐突にそう切り出した。悩んでいる人間相手に調子が良いだなんて、嫌味以外のなにものでも無かっただろうが、生憎ほむらは一般人では無い。非常識に触れ、己の常識を良くも悪くも壊してしまった一人の少女だ。指輪へと姿を変えたソウルジェムに太陽の光を反射させながら言うさやかのソレは、魔法少女としてのさやかが切り出した話題であることを容易に想像させ、対するほむらも考えていたことを放棄してさやかへと意識を向けた。

 

「なんでだろうね。あんたが夢に出てきてからさ、身体が羽のように軽いんだ」

 

「心当たりは?」

 

「うーん、なんかこう……魔法少女やってる内に魔法ってものに身体が慣れてきたって可能性もあるのかな?」

 

「一概にないとは言い切れないわ。私は自分の意思で行使しているけれど、無意識に強化の魔法を行使している可能性もある」

 

「それって、例の?」

 

 悪戯っぽい笑みを浮かべたさやかは、ちょいちょいと自分の目を指した後、両手で眼鏡の形を作ってほむらの顔に当てた。それを黙っているほむらでは無い。さやかの手を払うと、ボクシング選手のように顔の前で両手を構えた。

 

「それにしても、私の夢に出て来たほむらが、小学生の頃のほむらだったなんてね。確かに、今のあんたからじゃあれは考えられない」

 

 過去のループで、確かにほむらは眼鏡を掛けていた記録がある。そして、このループでも魔法少女としてのほむらへと成り代わる前の一般人のほむらも眼鏡を掛けていたらしい。世界を数回繰り返し、その過程で決意をした彼女は視力を魔力で補い、今までの自分と決別するという意味で眼鏡を外し、三つ編みを解いたのだ。それを追及されるのは余り良い気分では無い。夢で過去の自分を見た、とさやかが言ったときは想定外の出来事に気を失いそうだったが、そこは幾度の想定外に遭遇したほむら。難なく持ち応えて、それは幼かった頃の自分だろう、と誤魔化したのだが、彼女は納得していない様子だった。

 

「偶然とはいえ、調子が良くなるタイミングにほむらが夢に出てくるなんて――もしや、運命!?」

 

「冗談はよしなさい」

 

「あだっ!」

 

 ふざけるさやかの額に強めのチョップを入れる。魔力での強化など無い、友人同士が行う軽いじゃれ合いのようなものを想定していたのだが、それが久し振りなほむらは力加減を間違えてしまう。さやかの額には、ほむらの手の形に沿って縦に赤い線が浮かび上がっていた。

 余りの痛みに目尻に涙を溜めながら、赤くなった額を両手で覆う。痛みで思わず押さえただけではなく、一人の女子として赤くなった不格好な額を周囲の目に晒すことは出来ないのだろう。謝るタイミングを逃してしまったほむらは、気まずそうに道路沿いに植えられた木に目を向けた。どう謝れば良いのか分からなかった。謝るタイミングが遅れたことに怒ってしまうのではないか、そんな不安が胸に渦巻く。

 

「なーにクヨクヨしてんの!」

 

「ほむっ!?」

 

 ほむらが目を逸らしている間に正面に回り込んださやかは、今度は自分がほむらの額へ軽くチョップを落とした。突然の出来事に、痛みを感じなかったにも拘わらず、反射で額を押さえる。さやかの額の赤みは既に引いていた。

 

「不器用なんだね、あんた。可愛いところあるじゃん」

 

 さやかはそう言ってからからと笑った。一体私の何処が不器用だと言うの、と言いかけたほむらは、自分の顔が緩んでいることに気が付いて口を閉じた。胸の奥から込み上がってくる嬉しさに戸惑って、緩んだ顔を元に戻そうとして更に顔が緩む。

 

「少し表情も和らいだね。折角美人なんだから、ずっと仏頂面じゃ勿体ない」

 

 折角の美人なんだから――思わぬ褒め言葉に、ほむらは赤面した顔を隠すように面を下げた。今となっては変わってしまっているが、ほむらの本質は内気だった昔と同じだ。美人だと言われて気の良い一言でも返せれば良かったのだろうが、何とか捻り出した言葉は謙虚な否定であった。

 そんなことはないわ。いや、美人だって。だからそんなことは。いやいや。そんなやり取りを行う二人は傍から見れば、部下を褒める上司と謙遜する部下である。しかと部下を褒める辺り、ブラックな上司では無いのだろう。職場はブラックであるが。

 一悶着の後、先に笑い声を上げたのは意外にもほむらであった。さやか程の大笑いでは無く、まどか程の中笑いでも無く。目を細めて、眉を寄せ、緩く握った手を口に寄せて、ふふ、と小さく笑った。仁美のような小笑いである。それでも、さやかにとっては驚愕に値した。あのほむらが笑い声を上げて笑った、と目を丸くさせた後、自分が笑わせたのだという謎の優越感に浸っていた。

 ふつふつと込み上げる嬉しさも、素直な好意も、初めのうちは戸惑っていたほむらであったが、やがて感情を押さえ付けて自分を無理やり作るのを辞めて、ただ感情の波に身を委ね始めていた。

 

 * * *

 

 雲一つない空を夕焼け色に染める、沈みかけた太陽と重ねるようにマミは手を翳した。そして、指輪の形から変形し、小さな宝石へと姿を変えたソウルジェムと太陽を重ねる。濁りかけのソウルジェムは黄土色に発光しており、橙色の太陽と比べると暗く汚い色をしていた。

 とある廃ビルの屋上、弱めの風に吹かれて、マミとベルの二人は夕日を見つめていた。今日は頻度が減ったマミの魔女退治を行う日だ。現時点で見滝原で活動をしている魔法少女は、杏子を含めずに三人である。一つの地域には少し多い人数だが、活動頻度が減った一人と、元々魔女退治に赴くことが少ない一人に、己の信じる正義に基づいて活動をする一人、と真面目に活動しているのはたった一人な上、知り合い同士であるが故に、縄張り争いも起きない。

 

「魔女は見つかったか?」

 

 ベルの問いにマミは答えない。時折、ベルが理性を失って暴走していることを本人は知らない。魔女の本能のままに動いているらしい暴走状態のベルでは、いつ人を喰っていても可笑しくないのだ。それを本人が知ればショックを受けることは確実である。最悪、暴走を起こしてベルとしての人格を完全に失うことも有り得る。魔女にして人間の人格と知能を持つベルの危険性は、マミも重々承知している。それも、お菓子の魔女の捕食前と捕食後を比べると、魔女としての能力が相手を捕食して魔力を吸収するらしい、放置すればするほど強くなる、最も危険な魔女だとも。本能に呑まれて魔女として生まれ変わるのは時間の問題である。それを悟ったほむらがベルを討伐しようとしていることも、ベルの異常性を間近で感じ取って来たマミには痛いほど理解出来た。

 

「暁美さん、仲良くなれたと思ったのだけれど」

 

「何か……あったのか」

 

「ううん、良いのよ。気にしないで」

 

 魔女であるベル本人曰く、魔女及び使い魔は生まれつき魔力を自由に使える為、魔法少女が消費する魔力より少ない量で魔法を使うことが出来るのだそうだ。それは、人間に姿を変えるに伴って、魔力の大部分を失っている彼女には大きな利点であった。ただ、日に日に人間の状態でも魔力が増えていっている故に、魔力切れ等の心配はなさそうだが。

 マミはソウルジェムによる魔力の感知、ベルは視力と聴力を強化して前触れなく消える人間の探知を担当している。その影響なのだろう、普段なら聞き取れないようなマミの小さな呟きを耳に拾ったのだ。

 再び、二人の間に沈黙が訪れる。二人とも、集中しているのだ。ソウルジェムは何も魔女を見つければ強く光るわけでは無い。ほんの少しだけ感知すればほんの少ししか光らず、間近に入れば強く発光する。故に、どんな些細な光でも見逃してはいけないのだ。

 

「あっ」

 

 方角は北。見滝原中学校のある方角に、ソウルジェムの反応があった。事故防止の柵から身を乗り出して、ソウルジェムの乗った手を精一杯伸ばす。ソウルジェムの強度は見た目より少し硬い程度。ビルの屋上から落としたりなどすれば、簡単に砕け散るだろう。それでもマミが危険を顧みずにソウルジェムの反応の確認を行っているのは、変身することなく魔法を扱えるベルが居るからである。身体能力を強化した彼女ならば、落下するソウルジェムを空中で掴み取ることも可能である。

 手を伸ばせば伸ばすほど、ソウルジェムは輝きを増していく。どうやら、当たりだったらしい。ソウルジェムを落とさないよう、体勢を変えずに指にはまる形で指輪に変形させると、ベルに合図を送る。

 

「どれくらいの距離だ?」

 

「恐らく、見滝原中学校周辺ね」

 

 それだけ聞くと、ベルはマミの首と腰に手を回し、そのまま持ち上げた。俗に言うお姫様抱っこの体勢をした二人は、ベルのボーイッシュな風貌も相まって王子様とお姫様のようでかなりロマンチックだ。

 マミを抱き抱えたまま、事故防止の柵を飛び越えて数秒間落下した後、大きな音を立てて着地した。着地時の勢いを殺しきれずに足へと衝撃が加わって静止する。痛みと痺れが引いた瞬間に、強化を掛けた肉体を駆使して全力で駆け抜けた。成るべく人の居ない道を走り、どうしても人が多い道を通らなければいけない場合は屋根の上を走った。

 

『あと、どれくらい?』

 

『数分もしない内に着くだろうな。すぐそこだ』

 

 ベルの腕の中で揺られているマミの状態は、云わば足場の悪い道を馬で走っているような状態だ。口を使って会話を行えば舌を噛むから、と少し前から移動時はテレパシーを使って会話に変えている。

 前だけを見て走り続けるベルの顔を見上げ、マミは魔女の発見によって止められていた思考を再開させた。他の魔法少女たちとも顔を合わせずに過ごし、少し前に仁美を救い出して落ち着かせるために話をしてから、狭くなっていたマミの視野も広がり、冷静になることが出来るようになった。まるでベルに依存するように掛けられた暗示が解かれたような、不思議な感覚であった。それでも、マミがベルを、家族を求めていることは変わらない。杏子と決別し、家族の愛情に飢えていたマミにとって、ベルはそういう対象になってしまう程、大きな存在であった。冷静になった今でも、実はベルが何処かの魔女に操られているのではないか、という希望を抱いている。討伐はしたくないが、されるのを黙って見ているのも嫌だ。討伐されるならいっそ私が。家族であるベルの行いには私が責任を負わなければ――一度冷静になったマミの心は、己が壊れてしまわないように、子としての依存から親としての依存に依存の方法を切り替えただけなのだった。

 ベルが完全に理性を失うまで。その時までは傍に居させて。

 誰に向けたでもない、マミの懇願は言葉として発せられることは無く、心の中へと溶けて行った。


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